万能の否定語
日本語には便利な言い回しが多いが、「いい歳して」ほど汎用性の高い否定語はそうない。
「いい歳して独身」「いい歳して派遣」「いい歳して貯金なし」「いい歳してゲームなんかして」「いい歳して実家暮らし」「いい歳して転職活動」「いい歳してアルバイト」「いい歳して夢なんか見て」「いい歳して親に心配かけて」。
何にでもくっつく。万能接頭語。どんな状態にも「いい歳して」を前置きすれば、それが「恥ずかしいこと」「みっともないこと」「改善すべきこと」に変換される。魔法の呪文だ。恥の呪文。
この言葉を投げかけてくる人は多い。親、親戚、上司、同僚、初対面の人、ネットの匿名コメント。社会のあらゆる層から、「いい歳して」は飛んでくる。
私は45歳だ。「いい歳」であることは認める。だが「いい歳だから」何をしてはいけないのか、何をしなければならないのか、その基準は誰が決めたのか。明文化された法律はない。暗黙のルールがあるだけだ。暗黙のルールは、人によって異なる。異なるくせに、あたかも普遍的なルールであるかのように押し付けられる。
バリエーション図鑑
「いい歳して」のバリエーションを、実際に言われた経験から収集してみた。
「いい歳して独身ってさ」。これは最も頻度が高い。独身であることと年齢を結びつけて、問題視する。30代前半までは「まだいい」が、35歳を超えると「いい歳して」に移行する。結婚することが「年齢相応の在り方」であるという前提に基づいている。
「いい歳して派遣?」。雇用形態を年齢と結びつけるパターン。40代で正社員でないことが「いい歳して」の対象になる。30代までは「まだチャンスがある」だが、40代になると「いい歳して、まだ派遣」に変わる。「まだ」がつくのがポイントだ。「まだ」は、本来とっくに卒業しているはずの段階にいることを示唆する。
「いい歳して貯金もないの?」。経済状態を年齢と結びつけるパターン。40代なら「それなりの貯蓄」があるべきだという前提。その「それなり」が具体的にいくらなのかは人によるが、少なくとも100万円以下は「ない」と見なされる。
「いい歳してゲームなんか」。趣味を年齢と結びつけるパターン。40代がゲームをやることへの眉をひそめる視線。大人には大人の趣味があるべきだという暗黙のルール。ゴルフならよくて、ゲームはだめ。ワインの勉強ならよくて、マンガはだめ。この線引きの恣意性が際立つバリエーション。
「いい歳して、まだそんなこと言ってるの」。発言内容を年齢と結びつけるパターン。愚痴、夢、不満。これらを口にすることが「いい歳して」の対象になる。年齢を重ねたら、黙って現状を受け入れるべきだという暗黙の圧力。
「いい歳して親に心配かけて」。親子関係を年齢と結びつけるパターン。40代にもなって親を安心させられていないことへの非難。これは親から直接言われることもあれば、親戚から言われることもある。自分でも思っているから、外から言われると二重に刺さる。
「いい歳」とは何歳か
「いい歳」の定義は、曖昧だ。
20代で「いい歳して」と言われることは少ない。20代はまだ「若い」から、何をしても許される空気がある。30代に入ると「そろそろ」の空気が漂い始める。35歳で「いい歳」のラインに到達し、40歳で完全に「いい歳」として確定する。
興味深いのは、「いい歳」の基準が、話者によって異なることだ。50歳の人が40歳に「いい歳して」と言う。60歳の人が50歳に「いい歳して」と言う。つまり「いい歳」は相対的な概念であり、常に「自分より下だが、もう若くはない」人に向けて発射される。
絶対的な基準がないのに、あたかもあるように運用されている。これは「空気」の問題だ。日本社会の空気が、年齢ごとの「あるべき姿」を暗黙に規定している。その規定から外れた人間に対して、「いい歳して」が発動する。
「いい歳して」が本当に言いたいこと
「いい歳して」の裏にあるメッセージを翻訳すると、こうなる。
「あなたは、あなたの年齢に期待される社会的な在り方から、逸脱している。逸脱していることは恥ずかしいことであり、改善すべきことだ。改善しないなら、少なくとも恥ずかしく思うべきだ」。
つまり、「いい歳して」は、社会的規範からの逸脱を指摘し、恥の感覚を喚起するための言葉だ。恥を感じさせることで、行動の修正を促す。
だが問題は、逸脱の原因が個人の怠慢ではなく、構造的な問題にあるケースが多いことだ。「いい歳して派遣」は、本人が派遣を選んだのではなく、正社員になれなかった結果だ。「いい歳して貯金なし」は、低賃金で貯金する余裕がなかった結果だ。「いい歳して独身」は、経済的な不安で結婚に踏み切れなかった結果だ。
構造的な原因による状態を、個人の恥として突きつける。これは不公平だ。椅子取りゲームで座れなかった人間に、「いい歳して立っているなんて」と言うのと同じだ。椅子が足りなかったから立っているのだ。立っていることを恥じる必要があるか。
「いい歳して」への内心の反論集
「いい歳して」と言われたとき、声には出さないが内心で行っている反論を、ここに記録しておく。
「いい歳して独身」→ 独身でいることは犯罪ではない。結婚は義務ではない。結婚していない人生にも、結婚している人生と同等の価値がある。
「いい歳して派遣」→ 派遣で働くことは、働かないことより遥かにましだ。雇用形態で人間の価値は決まらない。派遣だって税金を払い、社会に貢献している。
「いい歳して貯金なし」→ 貯金がないのは浪費したからではなく、収入が少なかったからだ。少ない収入で生き延びてきたこと自体が、ある種の達成だ。
「いい歳してゲーム」→ 他人の趣味に口を出すほうが、よほど「いい歳して」だと思うが。
「いい歳して親に心配かけて」→ 心配をかけたくてかけているわけではない。心配をかけないためにできることがあるなら、とっくにやっている。
これらの反論を声に出さないのは、出しても「言い訳するな」と返されるからだ。反論は言い訳に変換され、言い訳はさらなる非難を招く。だから黙る。黙って、内心で反論する。この二重構造を、何百回と繰り返してきた。
言う側の心理
「いい歳して」と言う側の心理を、少し考えてみる。
多くの場合、善意から言っている。「あなたのためを思って」という親切心。「このままではまずいよ」という警告。「もっとしっかりしなさい」という叱咤激励。
だが善意の根底にあるのは、「年齢に応じた在り方がある」という固定観念だ。この固定観念は、言う側自身の人生経験から形成されている。自分は30歳で結婚した。自分は35歳で課長になった。自分は40歳で家を建てた。だから、同じ年齢の他者も同じであるべきだ、と。
自分の経験を普遍化している。個別の経験を、普遍的な基準として他者に当てはめている。これは想像力の欠如であり、時代認識の欠如だ。自分が生きた時代と、相手が生きている時代は違う。違う時代の基準を、同じ物差しで測ることはできない。
「いい歳して」と言う人のほとんどは、言われる側の事情を知らない。知らないから言える。知っていたら、少なくとも一部の人は言わないだろう。知らないことへの想像力があれば、「いい歳して」の代わりに「大変だな」と言えるかもしれない。
「いい歳」を肯定する
最後に、逆転の発想をひとつ。
「いい歳」を否定語として使うのではなく、肯定語として使えないか。
「いい歳だから、自分のペースで生きていい」「いい歳だから、他人の基準に合わせなくていい」「いい歳だから、やりたくないことはやらなくていい」「いい歳だから、自分を許していい」。
「いい歳して」を「いい歳だから」に変えるだけで、意味がまったく変わる。否定から肯定へ。「いい歳だから」は、年齢を重ねたことを肯定する。年齢を重ねた分だけ、自由になっていい。年齢を重ねた分だけ、自分を縛る必要はない。
この発想は、自分に言い聞かせるためのものだ。他人からの「いい歳して」は止められない。止められないが、自分の中で「いい歳だから」に変換することはできる。変換することで、ダメージを緩和する。
45歳。いい歳だ。いい歳だから、もう他人の基準で自分を測るのはやめにしたい。測るなら、自分の基準で。自分の基準で見れば、45年間生き延びてきた。それだけで、十分に「いい」のではないか。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。「いい歳して」と言われて悔しかった人は、きっと少なくないはずです。
