50歳になって、ふと「普通の人生」について考えてみた。
「普通」とは何か。就職して・働いて・結婚して・子どもを育てて・家を買って・老後を迎える——これが「普通の人生」としてイメージされるものだ、とだいたい分かる。
私の人生は、この「普通」から相当に外れている。正社員になったのは30代・結婚はまだ・子どもはいない・家は賃貸——「普通」のチェックリストの通過率は低い。
これについて、長い間「考えないようにしていた」か「考えすぎていた」かのどちらかだった。50歳になって初めて「普通になれなかった理由」を、感情的にではなく、少し冷静に考えてみる気になった。
「普通」から外れ始めた瞬間の特定
「普通からの逸脱」はどこで始まったか。1994年春、就職活動が始まった年だ。
バブルが崩壊して採用が急縮した時期に就職活動をした。周囲の友人も苦労していたが、「就職できなかった」と「就職できた(でも希望ではなかった)」と「就職できた(ある程度満足)」に分かれ始めた。私は最初の区分に入った。
この「最初の逸脱」が後の全てを規定した、と言い切るつもりはない。その後の選択・努力・運——様々な要因がある。でも「就職できなかった」という出発点が、「普通の人生」への参入を困難にした最初のハードルだったことは否定できない。
「普通」へのキャッチアップ試みと限界
20代後半から30代にかけて、「普通の人生」へのキャッチアップを何度か試みた。
正社員になろうとした。なれた。でも「就職氷河期世代が30代で初めて正社員になる」ことは、「新卒で正社員になる」こととは経験の積み方が違う。スタートの遅れを挽回しようとする中で、「普通の30代正社員」とはすでに蓄積が違っていた。
結婚しようとした。婚活を始めた。でも婚活市場でも「普通の年齢」からすでに外れていて・就職氷河期世代特有の経済的背景が・マッチングの難易度を上げていた。
キャッチアップの試みは、何かを達成するたびに「でもまだここが」という次の課題を見せた。ゴールが動くマラソンのようで、「普通への到達点」が見えないまま走り続けた時期があった。
「普通」を目指すことをやめた瞬間
40代に入ったあたりで、「普通になろうとすること」を意識的にやめた。
きっかけは小さなことだった。ある日、「自分が今日一日でやりたいことリスト」を作ってみたら、「普通の人がやること」が一つも入っていなかった。図書館に行く・川沿いを歩く・気になっていた本を読む・節約のための自炊——これらは「普通」でも「非普通」でもなく、ただ「自分がやりたいこと」だった。
「普通」を目指すことは、「他者が定義した生き方を目標にすること」だ。これは「他者への依存」の一形態だと気づいた。「普通の人生」という概念を作っているのは、広告・メディア・周囲の圧力であり、その「普通」が自分の幸福感と一致しているかどうかは、別問題だ。
「普通にならなかった」ことの実際のコストと恩恵
「普通」から外れたことの実際のコストと恩恵を、50歳になって整理してみた。
コストとして、経済的なコストがある。正社員に早くなれていれば・厚生年金をより長く払えていれば——老後の年金見込み額を見るたびに、これを思う。これは現実のコストだ。また社会的なコストとして、「普通の話題」に入れない場面が多かった。子育ての話・住宅ローンの話・同期との比較——これらの話題から無意識に外れていることで、会話の「外側に立つ」感覚が続いた。
恩恵として、「普通の前提」を持たないことで「普通に疑問を持つ力」が身についた。「なぜこうするのが当然なのか」という問いを立てやすい。これは仕事でも生活でも、何かを改善する際に力を発揮した。また「普通の人生設計」から外れたことで、「自分だけの人生設計」を考えざるを得なかった。これは苦労だったが、「自分が何を大切にしているか」を深く考えた期間でもあった。
50歳になって「普通」をどう思うか
50歳になった今、「普通の人生」を羨ましいとは思わない。
これは強がりではなく、本当にそう思っている。就職氷河期世代として「普通の人生」から弾かれた経験が、結果として「自分の人生を自分で考える機会」を作ったからだ。
普通の人生を送った人が不幸だ、などという気は全くない。でも普通の人生を送れなかった自分が不幸だ、という気持ちも今はない。不幸だと思っていた時期はあった。30代の頃は特にそうだった。でも50歳になって振り返ると、「普通にならなかった経験」が今の自分の全部を作っている。
「普通になれなかった理由」を、50歳になってやっと考えた結果たどり着いた答えは「普通になれなかったのではなく、普通でない人生を生きてきた」というものだ。受動態から能動態への転換。小さいようで、これが今の私には大切な言い直しだ。

