エアコンをつけるかつけないかで毎年命を賭けている件

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エアコンをつけるかつけないかで毎年命を賭けている件

7月の判断

毎年7月になると、この判断を迫られる。

エアコンをつけるか、つけないか。

テレビでは「熱中症に注意してください」「不要不急の外出は避けてください」「適切にエアコンを使用してください」とアナウンサーが呼びかけている。「適切にエアコンを使用」。適切に。問題は、「適切」の定義が経済力によって異なることだ。

エアコンを一日中つけっぱなしにできる人にとって、「適切」は「常時稼働」だ。設定温度28度。快適。安全。熱中症のリスクはほぼゼロ。

私にとっての「適切」は、もう少し複雑な計算を必要とする。

エアコンの電気代。私の部屋のエアコンは10年前のモデルで、省エネ性能は低い。1時間あたりの電気代は約20円から30円。10時間つけると200円から300円。1日300円として、7月から9月までの3ヶ月間(90日)で27000円。

27000円。月のエアコン代が9000円。普段の電気代が5000円程度だから、エアコンを使うと電気代が3倍近くになる。月の自由に使えるお金から9000円が消える。9000円あれば、NISAの積立をほぼ2ヶ月分増やせる。歯医者に1回行ける。半額の惣菜を60個買える。

この計算が、毎年7月に行われる。計算の結果、「できるだけエアコンをつけない」という結論に至る。つけない。我慢する。扇風機で凌ぐ。窓を開ける。濡れタオルを首に巻く。

こうして毎年、エアコンをつけるかつけないかの判断で、命を賭けている。大げさではない。熱中症は死ぬ。毎年、熱中症で何百人もの人が亡くなっている。その多くが、エアコンを使用していなかった高齢者や単身者だ。私はまだ45歳だが、あと20年経てば、統計の中の「エアコンを使用していなかった単身高齢者」に入る可能性がある。

扇風機との同盟

エアコンの代わりに頼りにしているのが、扇風機だ。

ホームセンターで買った3000円の扇風機。もう7年使っている。首振り機能が少しギコギコ言うが、まだ動く。風を送ってくれる。エアコンのような冷たい風ではなく、ぬるい風。ぬるい風でも、ないよりはましだ。

扇風機の電気代は、1時間あたり約1円。エアコンの30分の1以下。1日10時間使っても10円。月300円。エアコンの9000円と比べると、圧倒的に安い。

だが扇風機は空気を冷やさない。室温が35度なら、35度の風が来るだけだ。温風を浴びているようなもので、体温の上昇を防ぐ効果は限定的だ。

室温が32度くらいまでなら、扇風機で凌げる。33度を超えると、扇風機だけでは厳しい。34度を超えると、危険水域だ。35度以上は、もう扇風機では太刀打ちできない。

問題は、最近の日本の夏は35度以上が珍しくないことだ。猛暑日が年々増えている。10年前なら35度は「異常な暑さ」だったが、今は「まあまあの暑さ」だ。40度に迫る日もある。扇風機で耐えられる限界を、気候が超えてきている。

エアコンをつけた日の罪悪感

さすがに35度を超えた日は、エアコンをつける。つけないと、本当に死ぬかもしれないから。

だが、エアコンのスイッチを入れた瞬間、罪悪感が湧く。「電気代がかかる」「来月の請求が怖い」「もう少し我慢できたのではないか」。冷たい風が吹き出してくるのと同時に、罪悪感も吹き出してくる。

設定温度は30度にしている。28度が推奨されているが、30度に設定することで、少しでも電気代を抑えたい。30度でも十分涼しい。扇風機との併用で、体感温度は28度くらいになる。

エアコンをつけるのは「最低限の時間」にする。帰宅して、30分だけつけて部屋を冷やす。冷えたら消す。消すと徐々に室温が上がる。上がりきったら、またつける。このオンオフを繰り返す。連続運転より電気代は高くなるという情報もあるが、「つけっぱなし」の精神的な負担が大きすぎて、こまめに消してしまう。

寝るときは消す。タイマーで2時間後に消えるように設定する。2時間で部屋が冷えれば、その冷気で朝まで持つ。持たない夜もある。夜中に汗だくで目が覚める。エアコンをつけるか迷う。迷っている間に汗が引いて、また眠る。この攻防を、真夏の夜に毎晩繰り返している。

命と電気代の天秤

冷静に考えれば、命のほうが電気代より大事だ。9000円の電気代で命が守れるなら、安いものだ。

だが、その「9000円」が生活費の中で占める重さが、冷静な判断を歪める。9000円は、半月分の食費に近い。9000円を電気代に払うと、食費を削らなければならない。食費を削ると栄養が偏る。栄養が偏ると体調を崩す。体調を崩すと医療費がかかる。

エアコン代を払うか、食費を確保するか。命と栄養のトレードオフ。どちらを削っても健康リスクが上がる。正解がない選択。正解がない選択を、毎年夏に迫られる。

エアコンをつけずに熱中症になるリスクと、エアコンをつけて食費が減り栄養不足になるリスク。どちらが高いか。たぶん、熱中症のほうが急性で、栄養不足のほうが慢性だ。急性リスクのほうが致命的。だからエアコンをつけるべき。論理的にはそうなる。

だが感情的には、9000円の出費が怖い。怖いから迷う。迷うから、35度の部屋で扇風機にあたりながら、「あと1度下がったらエアコンなしでいける」と自分に言い聞かせる。1度下がらない。上がる。36度。さすがにスイッチを入れる。入れて、罪悪感。

生活保護のエアコン問題

生活保護受給者のエアコン問題が、数年前にニュースになった。「エアコンの購入費用を生活保護で出せるのか」「エアコンは贅沢品か必需品か」。

この議論を見て思った。エアコンが「贅沢品」扱いされる社会で、エアコンの電気代を払えない人間が何万人もいる。エアコンは命を守る装置だ。贅沢品ではなく必需品だ。だが必需品を使うための電気代が払えない。必需品が、経済力によって「選択品」になっている。

自治体によっては、低所得世帯向けにエアコン購入の補助金を出しているところもある。だがエアコンの「購入」は補助されても、「電気代」は補助されない。エアコンがあっても電気代が払えなければ使えない。ハードウェアは揃っても、ランニングコストが出せない。これは別のエッセイで書いた「制度はあるが使えない」構造と同じだ。

冬もまた賭けている

夏だけではない。冬も同じ判断を迫られる。

暖房をつけるか、つけないか。冬の電気代は、エアコンの暖房だと夏よりさらに高くなる。月10000円を超えることもある。

冬の対策。厚着をする。毛布を何枚も重ねる。ホットカーペットは電気代がかかるので使わない。湯たんぽを使う。ガス代がかかるが、電気代より安い。

だが冬も、低体温症のリスクがある。室温が10度を下回ると、高齢者でなくても体温維持が難しくなる。特に寝ているときは体温が下がりやすい。布団の中が暖かくても、顔が冷たい。冷たい空気を吸い続けると、気管支に負担がかかる。風邪を引きやすくなる。

夏は熱中症、冬は低体温症と風邪。年に2回、命と電気代の天秤を迫られる。年中、命を賭けている。こう書くと大げさに聞こえるが、実際に毎年、エアコンを使わなかったことで亡くなる人がいる。明日は我が身かもしれない。

「我慢」が美徳ではない場合

日本には「我慢」を美徳とする文化がある。暑さを我慢する。寒さを我慢する。空腹を我慢する。我慢できる人は偉い。我慢できない人は甘い。

だがエアコンの使用を我慢することは、美徳ではない。命のリスクだ。リスクを取ることは、勇敢ではない。無謀だ。

私は無謀なのかもしれない。9000円を惜しんで、熱中症のリスクを取っている。合理的には間違っている。だが合理性だけで行動できないのが、余裕のない人間の現実だ。合理的な判断をするためには、合理的に判断できるだけの余裕が必要だ。余裕がなければ、目先の出費を避ける方向に判断が歪む。

来年の夏も、同じ判断を迫られるだろう。エアコンをつけるか、つけないか。できれば来年こそ、迷わずにスイッチを入れたい。入れるためには、9000円を電気代に回せるだけの余裕を作る必要がある。余裕を作るには、収入を増やすか支出を減らすか。堂々巡り。

とりあえず、今年の夏は生き延びた。来年の夏も生き延びたい。生き延びるために、エアコンを恐れないこと。電気代より命が大事。このあまりにも当たり前のことを、自分に何度も言い聞かせる。何度も言い聞かせないと忘れてしまうくらい、日常の判断は経済的な圧力に歪められている。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。エアコンの電気代で悩んだことがある人は、きっと少なくないはずです。

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