ジョン・テンプルトンの投資哲学 ―「悲観の極み」で買う男の思考法を、できるかぎり分かりやすく

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「強気相場は悲観のなかで生まれ、懐疑のなかで育ち、楽観のなかで成熟し、陶酔のなかで死んでいく。最も悲観的なときが買うのに最良のときであり、最も楽観的なときが売るのに最良のときである。」 ― サー・ジョン・テンプルトン


  1. この記事の狙い ― なぜ今テンプルトンなのか
  2. 第1章 テネシーの倹約少年 ―― 哲学のルーツ
    1. 大恐慌が刻んだもの
    2. イェールでポーカーの賞金で学費を払う
    3. オックスフォードと「世界を見る目」
  3. 第2章 1939年、1ドル株を全部買う ―― 伝説の取引が教えること
    1. 何が起きたのか
    2. なぜ「ギャンブル」ではなかったのか
    3. 結果
    4. この取引が哲学に与えたもの
  4. 第3章 テンプルトン・グロース・ファンド ―― 哲学が「仕組み」になる
    1. 自分の会社を持つまで
    2. なぜカナダで設定したのか ―― 細部に宿る倹約思想
    3. 38年間、年率15%という記録
    4. 「強気相場では負ける」という正直な特徴
    5. 売却、そして引退
  5. 第4章 「最大悲観点」という中心思想 ―― なぜそれが効くのか
    1. テンプルトン哲学の核
    2. なぜ「悲観のとき」に値段が下がるのか
    3. 「悲観」と「絶望」を、価格のシグナルとして読む
    4. 「弱気相場は災難ではなく機会」という視点の転換
    5. なぜ、これほど「効く」のに、ほとんど誰もできないのか
  6. 第5章 世界を狩り場にする ―― グローバル投資のパイオニア
    1. 「自国だけ」という思い込みを捨てる
    2. 日本 ―― 誰も見ていなかった市場
    3. 「会計の異常」を見抜く ―― 単なる割安狩りではない
    4. 売るときも逆張り ―― 日本からの脱出と米国回帰
  7. 第6章 「投資成功のための16のルール」を一つずつ読む
    1. ルール1 ―― 実質トータルリターンの最大化を目指せ
    2. ルール2 ―― 投資せよ、トレードや投機をするな
    3. ルール3 ―― 投資の種類について柔軟で開かれた心を保て
    4. ルール4 ―― 安く買え
    5. ルール5 ―― 株を買うときは、優良株のなかからバーゲンを探せ
    6. ルール6 ―― 価値を買え、市場トレンドや経済見通しを買うな
    7. ルール7 ―― 分散せよ。株でも債券でも、数のなかに安全がある
    8. ルール8 ―― 自分で調べるか、賢い専門家を雇え
    9. ルール9 ―― 投資先を積極的に監視せよ
    10. ルール10 ―― パニックするな
    11. ルール11 ―― 失敗から学べ
    12. ルール12 ―― 祈りから始めよ
    13. ルール13 ―― 市場を上回るのは難しい仕事だ
    14. ルール14 ―― すべての答えを持っている投資家は、すべての問いを理解してさえいない
    15. ルール15 ―― ただ飯はない
    16. ルール16 ―― 過度に恐れたり悲観したりするな
  8. 第7章 テンプルトンは実際にどう銘柄を選んだのか ―― 哲学を「数字」に落とす
    1. 「5年先予想PER」というものさし
    2. 「収益か、資産か」という出発点
    3. 何を避けたか ―― 規制と「評価困難」
    4. 平均保有期間は約4年
  9. 第8章 倹約・信仰・慈善 ―― 投資哲学と「生き方」が地続きだったこと
    1. 「お金を稼ぐのはいい。ただし楽しんではいけない」
    2. ポーカーの賞金から、慈善の帝国へ
    3. 「私が出資しているのは、謙虚さだ」
    4. 仕事そのものを「善きもの」とみなす
  10. 第9章 晩年の「逆張り」 ―― 88歳でハイテク株を空売りした男
    1. 「私の88年で、こんなものを見たのは初めてだ」
    2. 「ロックアップ明け」を突く ―― 計算され尽くした空売り
    3. 結果
    4. 2005年のメモ ―― 最後の予言
  11. 第10章 テンプルトン、グレアム、バフェット ―― 三者を比べてわかること
    1. ベンジャミン・グレアムとの関係
    2. ウォーレン・バフェットとの違い
  12. 第11章 批判と限界 ―― テンプルトン哲学が「効かない」とき
    1. 1. 強気相場では退屈、あるいは劣後する
    2. 2. ハイテク・ブームを「取り逃した」
    3. 3. 「最大悲観点」は、事後にしか分からない
    4. 4. 個人が「世界中のバーゲン」を本当に探せるのか
    5. 5. バリュートラップのリスクは消えない
  13. 第12章 私たちはテンプルトンから何を持ち帰れるか ―― 現代の個人投資家への応用
    1. 1. 「ものさし」を実質で持つ(ルール1の応用)
    2. 2. 暴落のための「買い物リスト」を、平時に作っておく(ルール10・16の応用)
    3. 3. 売買の判断を「ひとつの問い」に還元する(ルール10の応用)
    4. 4. 「冷却の儀式」を意思決定に組み込む(ルール12の応用)
    5. 5. 「今回は違う」と思ったら、警報だと考える(ルール11の応用)
    6. 6. グローバル分散は「思想」として受け取る(ルール7・グローバル投資の応用)
    7. 7. 「持ち続ける忍耐」を、戦略と同じくらい重視する(ルール2・3・9の総合)
  14. 結び ―― 「悲観のなかで震える手で買う」とは、結局どういうことだったのか
  15. 参考資料

この記事の狙い ― なぜ今テンプルトンなのか

投資の世界で名前が知られている人物といえば、多くの人がまずウォーレン・バフェットを思い浮かべる。次にバフェットの師であるベンジャミン・グレアム、相棒のチャーリー・マンガー、あるいはピーター・リンチといったところだろう。そのなかで、ジョン・テンプルトン(Sir John Marks Templeton, 1912–2008)の名前は、実績の偉大さに比べて、不思議なほど語られることが少ない。

しかし、もし「20世紀でいちばん優れた世界株の選び手は誰か」と問われたら、答えは一つに絞られる。1999年、米マネー誌はテンプルトンを「おそらく今世紀最高のグローバル株式投資家(arguably the greatest global stock picker of the century)」と評した[1][2]。これは大げさな修辞ではない。彼が1954年に立ち上げた旗艦ファンド「テンプルトン・グロース・ファンド」は、約38年間にわたって年率15%前後で資産を増やし続けた[2][3]。設定時に1万ドルを投じ、分配金を再投資し続けていれば、彼がファンドを売却した1992年には約200万ドルになっていた計算になる[1]。

筆者がテンプルトンという投資家に強く惹かれるのは、彼の哲学が「派手な必勝法」ではなく、むしろ「人間の弱さとどう折り合いをつけるか」という、きわめて地味で普遍的な問題に正面から取り組んでいるからだ。バフェットの言葉はしばしば「優良企業を適正価格で買い、永遠に持つ」という方向にまとめられる。テンプルトンの言葉はそれとは少し肌触りが違う。彼が繰り返し語ったのは、「みんなが絶望して投げ売りしているまさにそのときに、震える手で買い注文を出せるか」という、感情のコントロールの問題だった。

この記事では、テンプルトンの投資哲学を、できるかぎり噛み砕いて解説していく。単なる名言集にはしたくない。彼がなぜそう考えるに至ったのか、その考えは実際の取引でどう機能したのか、そして我々のような普通の個人投資家がそこから何を持ち帰れるのかを、筆者なりの視点を交えて掘り下げていきたい。一次資料 ―― 彼自身が遺した「投資成功のための16のルール」、本人のインタビュー発言、彼が設立した財団の記録など ―― をできるだけ直接参照しながら進める。

先に全体像を示しておこう。テンプルトンの哲学は、おおよそ次の5本の柱で説明できると筆者は考えている。

  1. 「最大悲観点」で買う ―― 価格は、人気がなくなったときにこそ安くなる。だから群衆が逃げ出す場所に向かって歩く。
  2. 世界中を狩り場にする ―― バーゲンは一国の中だけにあるとは限らない。国境を越えて、いちばん安いものを探す。
  3. 投機ではなく投資をする ―― 値動きを当てにいくのではなく、企業の価値を測り、価値より安く買う。
  4. 規律と忍耐をシステム化する ―― 感情に流されないために、あらかじめルールを決め、淡々と従う。
  5. 人生全体を「節約と前向きさ」で貫く ―― 投資哲学と生き方が地続きだった。倹約、勤勉、楽観、そして謙虚さ。

では、この5本柱がどこから生まれたのか。彼の人生から見ていこう。


第1章 テネシーの倹約少年 ―― 哲学のルーツ

大恐慌が刻んだもの

ジョン・マークス・テンプルトンは、1912年11月29日、米国テネシー州の小さな町ウィンチェスターで生まれた[4]。父親は綿花の処理業や住宅建設を手がける事業家だった[5]。豊かでも貧しくもない、地方の中流家庭である。

彼の人生観を決定づけたのは、まちがいなく1930年代の大恐慌だった。テンプルトン自身が後年、自分の逆張り(コントラリアン)的な発想は大恐慌の経験に深く根ざしていると語っている[6]。10代後半から20代前半という、人格が固まる時期に、彼は「世界中が同時に絶望する」という光景を目の当たりにした。株は紙くずのように扱われ、堅実だったはずの企業が次々に倒れ、誰もが「もう終わりだ」と口にした。

普通の感受性を持った若者なら、この経験から「株は怖い」という教訓を引き出すだろう。テンプルトンが引き出した教訓は逆だった。「人々が同時に絶望すると、ものの値段は本来の価値より遥かに下に振れる。その振れこそがチャンスだ」。後の彼の哲学のすべてが、ここに種として埋まっている。

イェールでポーカーの賞金で学費を払う

もう一つ、彼の人格を語るうえで欠かせないのが「倹約(thrift)」だ。これは単なる性格ではなく、半ば思想だった。

エール大学在学中、父親が綿花先物の取引で失敗し、テンプルトンへの仕送りを続けられなくなるという出来事があった[7]。大学を中退せざるをえないかもしれない、という瀬戸際である。彼はこの局面を、奨学金、アルバイト、そして――驚くべきことに――ポーカーの賞金で乗り切った[4]。彼はポーカーが非常に強かったと記録されている。1934年、彼はイェールを学年トップクラスの成績で卒業した[4][5]。

「ポーカーで学費を稼いだ投資家」というエピソードは、笑い話のように聞こえるかもしれない。だが筆者は、ここにテンプルトンの本質の一端があると思う。ポーカーで継続的に勝つために必要なのは、運でも度胸でもない。確率を冷静に計算し、期待値が自分に有利なときだけ賭け、不利なときは降りる、という規律である。感情ではなく確率で動く訓練を、彼は学生時代にカードテーブルで積んでいた。これは後の「投機ではなく投資をする」という第2のルールに、そのままつながっていく。

オックスフォードと「世界を見る目」

イェールを卒業したテンプルトンは、ローズ奨学生としてオックスフォード大学のベリオール・カレッジに進み、修士号を得た[4]。

このオックスフォード時代が、彼の哲学の第2の柱「グローバル投資」の出発点になった。当時の米国の投資家にとって、海外の株を買うという発想はほとんど存在しなかった。一方、かつて世界中に植民地を広げた大英帝国の伝統を持つ英国では、世界中に投資するという考え方がずっと身近だった[8]。テンプルトンは英国の空気のなかで、「投資先を自国に限定する理由などない」という感覚を吸収した。

彼の姪で、後に彼の投資哲学を一冊の本にまとめたローレン・テンプルトンは、興味深い証言を残している。テンプルトンは、イェールの同級生やその家族が「米国企業にしか投資しない」のを見て、それを「世界を見る非常に傲慢な見方」だと感じていた、というのだ[9]。なぜ、わざわざ選択肢を狭めるのか? なぜ、より大きな銘柄の宇宙の中から選ばないのか? ―― この素朴な問いが、後に「国際分散投資のパイオニア」と呼ばれる彼のキャリアの根になった。

オックスフォードを出た後、テンプルトンはヨーロッパを含む世界各地を旅して見聞を広め、それからニューヨークのウォール街で職を得た[4][8]。彼のウォール街でのキャリアは1937年から1938年ごろに始まったとされる[5][2]。

ここまでで、テンプルトンという人物の「材料」が出そろった。大恐慌が植えつけた逆張りの発想。倹約と確率思考。そして英国仕込みの世界的な視野。 この3つが組み合わさったとき、投資史に残る一つの「伝説の取引」が生まれる。それが1939年の出来事だ。


第2章 1939年、1ドル株を全部買う ―― 伝説の取引が教えること

何が起きたのか

1939年9月、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した。ヒトラーのドイツがポーランドに侵攻し、世界は再び大戦の淵に沈もうとしていた。米国の株式市場は、長く続いた大恐慌からまだ完全には立ち直っておらず、そこへ戦争の恐怖が重なった。市場の空気は、控えめに言っても最悪だった。

このとき27歳のテンプルトンが取った行動は、当時の常識からすれば「正気の沙汰ではない」ものだった。彼は、ニューヨーク証券取引所に上場している、1株1ドル以下で取引されているすべての銘柄を、それぞれ100株ずつ買うよう、ブローカーに注文を出したのだ[1][10]。

対象となったのは104社。そのうち37社(資料によっては34社)は、すでに法的な倒産手続きに入っている企業だった[1][10][2]。つまりテンプルトンは、「市場から見放された会社」どころか「すでに死にかけ、あるいは法的に死んでいる会社」を、まとめて買い集めたことになる。

しかも、彼はこの資金を自前ではまかなえなかった。一部は貯金だったが、大部分は、かつて自分が働いていたブローカー会社から借り入れた[11]。借金をして、倒産企業を含む1ドル株を、丸ごと買ったのである。投入額はおよそ1万ドルとされる[12][13]。

なぜ「ギャンブル」ではなかったのか

ここがこの記事でいちばん強調したい点だ。一見、これは無謀なギャンブルにしか見えない。だが、テンプルトン本人に言わせれば、これは「計算されたリスク(calculated risk)」だった[14]。彼は単に「安いから買った」のではない。

彼の思考はこうだ。歴史を振り返れば、第一次世界大戦でも、米国の南北戦争でも、戦争が起きると政府は莫大な物資と輸送を必要とし、それを供給する企業の業績は劇的に好転した[14]。米国はまだ参戦していない(参戦は1941年)。だが、いずれ連合国に物資を供給し、やがて自ら参戦するだろう。そうなれば、米国の産業はフル稼働を迫られる。

そのとき、もっとも劇的に蘇るのはどの企業か。すでに健全な優良企業ではない。「業績が地を這っていて、株価が1ドルを割っているような、瀕死の企業」である。なぜなら、健全な企業の株価には回復の期待がすでにある程度織り込まれているが、瀕死の企業には「ゼロ」の値段しかついていないからだ。もし戦争で需要が爆発すれば、瀕死の企業ほど、株価の伸びしろは大きい。

テンプルトン自身が後年、チャーリー・ローズのインタビューでこう振り返っている。「もし、価値がなく赤字を垂れ流している会社がよみがえることがあるとすれば、それは大規模な世界大戦のさなかだ。だから、ヒトラーがポーランドに侵攻した数日後、私はニューヨーク証券取引所とアメリカン証券取引所のすべての銘柄に目を通した」[15]。

つまり、これは「ヤケクソの賭け」ではなく、「歴史のパターンに対する確信に基づいた、人々が恐怖で見られなくなっているものを見る取引」だったのだ。

結果

戦争が進み、米国の産業がまさに彼の読みどおりフル稼働に入ると、104社の運命は好転した。

最終的に、価値がゼロになったのはわずか4社だけだった[12][1]。残りの100社は利益を生んだ。平均保有期間はおよそ4年。投入したおよそ1万ドルは、約4万ドルになって戻ってきた ―― 4倍である[13][16]。借金は返済され、彼の手元には大きな利益が残った。

興味深いのは、テンプルトン自身がこの取引について「もっと長く持っていればよかった」と何度も語っていたことだ[16]。彼が売った後も、それらの株はさらに値上がりを続けたからである。これは、後で見る彼の「売りのルール」を考えるうえで重要な伏線になる。

この取引が哲学に与えたもの

筆者は、1939年の取引はテンプルトンにとって「成功体験」以上のものだったと考えている。それは彼の哲学の実証実験だった。

この一回の取引のなかに、後の彼の哲学のほぼすべてが詰まっている。

  • 最大悲観点で買う ―― 戦争勃発という、人々の恐怖が極まった瞬間に買った。
  • 価値と価格の乖離を突く ―― 倒産企業ですら、戦時需要を考えれば「価格ゼロ」は安すぎた。
  • 歴史に学ぶ ―― 過去の戦争のパターンから、産業が蘇ることを読んだ。
  • 分散 ―― 1社に集中せず、104社にばらまいた。だからこそ4社が無価値になっても全体は大きく勝てた。
  • 生産的な借金 ―― 借金を消費ではなく、リターンを生むためだけに使った[9][17]。

テンプルトンはこの後の生涯で、同じ構造の取引を何度も繰り返すことになる。1985年のアルゼンチン、1980年前後の米国回帰、1990年代末の日本からの脱出、2000年のハイテク株の空売り ―― 形を変えながら、本質はいつも「1939年」だった。彼はこの経験から、「最良の投資先は、嫌われ、軽蔑されてさえいる資産のなかにある」という確信を得たのである[12]。


第3章 テンプルトン・グロース・ファンド ―― 哲学が「仕組み」になる

自分の会社を持つまで

1939年の取引で資本を得たテンプルトンは、投資家としての足場を固めていく。1940年、彼は5,000ドルで、顧客がわずか8社しかいない小さな投資顧問会社の権利を買い取った[11][18]。これが後にテンプルトン・ドブロー・アンド・バンス(Templeton, Dobbrow & Vance)となる会社の出発点である[18]。大恐慌の真っただ中、彼は「会社を安く買う」ことを、自分自身のキャリアでも実践したわけだ。

そして1954年、彼は投資史に残るファンドを立ち上げる。**テンプルトン・グロース・ファンド(Templeton Growth Fund, Ltd.)**である[2][3]。

なぜカナダで設定したのか ―― 細部に宿る倹約思想

ここに、テンプルトンらしい細部がある。このファンドは、米国ではなくカナダで法人化された。理由は明快で、当時のカナダにはキャピタルゲイン課税がなかったからだ[8]。

第1のルール「税金とインフレ控除後の実質トータルリターンを最大化せよ」を思い出してほしい。テンプルトンにとって、税金は「リターンをむしばむ目に見えない敵」だった。彼は哲学を語るだけでなく、ファンドの設立場所という構造レベルで、その哲学を実装したのである。投資哲学と実務設計が地続きになっている ―― これがテンプルトンという人の徹底ぶりだ。

38年間、年率15%という記録

テンプルトン・グロース・ファンドの実績は、数字で見ると改めて圧倒される。

  • ファンドは設定から約38年間、年率15%前後で成長した[2][3][20]。
  • 設定時に投じた1万ドルは、分配金を再投資し続けていれば、1992年には約200万ドルになっていた[1]。
  • 彼の旗艦ファンドは、生涯を通じて世界株指数を年平均で約3%上回り、バハマ移住後の期間に限れば年平均6%以上も上回った[20]。

ここで一つ、誤解を解いておきたい。「グロース・ファンド」という名前から、テンプルトンは成長株投資家だと思われがちだが、それは違う。彼は本質的にバリュー(割安株)投資家だった[20]。名前と中身が一致していないのは、ある意味で象徴的だ。彼は「成長」というラベルが人気を集めることを知りつつ、中身では「割安」という規律を貫いた。

「強気相場では負ける」という正直な特徴

もう一つ、誠実に書いておかなければならないことがある。テンプルトンのファンドは、強気相場ではしばしば冴えない成績だった[20]。

これは弱点ではなく、彼の哲学の必然的な裏返しだ。彼は「いま流行っている熱い銘柄」を避ける。だから、相場全体が陶酔的に上がっているときには、人気銘柄を持っていない彼のファンドは見劣りする。彼の真価が出るのは、暴落や弱気相場のときだった。市場が崩れるとき、彼のファンドは平均より傷が浅く、ときには逆に小幅なプラスを出した。その「下げ相場での強さ」の積み重ねが、数十年の超過リターンを生んだのである[20]。

ここに、個人投資家にとって極めて重要な教訓がある。優れた戦略であっても、「いつでも勝てる」わけではない。 むしろ、本物の逆張り戦略は、定義上、みんなが儲かって浮かれているときには退屈に見える。その「退屈な時期」に戦略を捨ててしまう人は、肝心の「暴落で勝つ」局面に立ち会えない。テンプルトンの数十年の記録は、「戦略を持つこと」と同じくらい「戦略を持ち続けること」が難しく、そして重要であることを物語っている。

売却、そして引退

テンプルトンは1992年、テンプルトン・ファンド一族をフランクリン・グループ(現フランクリン・テンプルトン)に売却した[5][7]。売却額は、資料により4億4,000万ドル[7]、あるいは9億ドル超[19]とされる。いずれにせよ、彼はこの売却で巨万の富を確定させ、その後の人生を全面的に慈善活動に捧げることになる。

彼はすでに1968年に米国籍を離れ、英領バハマのライフォード・ケイに移住して英国籍を取得していた[18][19]。喧騒のウォール街から物理的に距離を置いたことが、かえって彼の「群衆から離れて考える」哲学を支えた、という見方は根強い。事実、前述のとおり、彼の超過リターンはバハマ移住後にむしろ拡大している[20]。


第4章 「最大悲観点」という中心思想 ―― なぜそれが効くのか

テンプルトン哲学の核

ここからは、テンプルトンの哲学の中身そのものに踏み込んでいく。まず、すべての中心にある考え方 ―― 「最大悲観点(point of maximum pessimism)」から始めよう。

彼の最も有名な言葉は、おそらくこれだ。

「最大悲観のときが買うのに最良のときであり、最大楽観のときが売るのに最良のときである。」 (The time of maximum pessimism is the best time to buy, and the time of maximum optimism is the best time to sell.)[12][13]

そしてもう一つ、相場のサイクルを描写した名言。

「強気相場は悲観のなかで生まれ、懐疑のなかで育ち、楽観のなかで成熟し、陶酔のなかで死んでいく。」 (Bull markets are born on pessimism, grow on skepticism, mature on optimism, and die on euphoria.)[2][4]

この2つの言葉は、ただ「逆張りしろ」と言っているのではない。もっと精密なことを言っている。順を追って分解してみよう。

なぜ「悲観のとき」に値段が下がるのか

第4のルール「安く買え」のなかで、テンプルトン自身がこのメカニズムを丁寧に説明している。彼の論理はこうだ[21]。

価格が高いとき、多くの投資家が多くの株を買っている。逆に、価格が安いのは需要が低いときだ。投資家が引いてしまい、人々が落胆し、悲観しているとき ―― そのときに価格は安くなる。そして、ほとんど全員が同時に悲観すると、市場全体が崩落する。

ここがポイントだ。価格は「企業の価値」だけで決まるのではなく、「人々の感情」によって大きく揺さぶられる。 悲観が極まったとき、価格は本来の価値よりずっと下に振れる。その「振れ幅」こそが、逆張り投資家の取り分になる。

逆に言えば、「見通しが良くなってから買おう」という、いかにも賢明に聞こえる態度は、テンプルトンに言わせれば致命的だ。なぜなら、アナリストたちが揃って強気の見通しを出すころには、価格はすでに割高になっているからである[21]。「みんなが買っているものを買えば、みんなと同じ結果になる。定義上、市場を買えば市場を上回ることはできない」――彼はそう書いている[21]。

「悲観」と「絶望」を、価格のシグナルとして読む

筆者がテンプルトンの思考でいちばん独特だと感じるのは、彼がニュースのトーンや人々のムードそのものを、一種の「価格指標」として読んでいたことだ。

普通の投資家にとって、「世界経済が崩壊する」「この業界はもう終わりだ」というニュースは、売る理由になる。テンプルトンにとって、それは「価格が価値より下に振れている可能性が高い」というシグナルだった。彼の有名な問い直しがそれを端的に表している。

「人々はいつも私に『どこの見通しが良いですか』と尋ねる。だが、それは間違った質問だ。正しい質問は『どこの見通しが最も悲惨か』である。」[12]

これは禅問答ではない。実務的なスクリーニング基準だ。「見通しが悲惨な場所」=「悲観によって価格が叩き売られている可能性が高い場所」=「価値と価格の乖離が大きい可能性が高い場所」。だから、そこを最初に調べる ―― という、極めて合理的な狩りの作法である。

ただし、ここで決定的な注意が要る。テンプルトンは「悲観的な場所なら何でも買う」とは決して言っていない。次の章で詳しく見るが、彼は悲観で叩き売られたなかから、さらに「企業の中身が確かなもの」だけを選り分けた。悲観は「探す場所」を教えてくれるが、「買うもの」を決めるのはあくまで価値の分析だった。

「弱気相場は災難ではなく機会」という視点の転換

テンプルトンの言葉のなかで、筆者がもっとも実践的だと思うのは次の一節だ。

「あらかじめ適切に備えている者にとって、株式の弱気相場は災難ではなく機会である。」 (For those properly prepared in advance, a bear market in stocks is not a calamity but an opportunity.)[12]

ここには2つの重要な含意がある。

第一に、「あらかじめ備えている(properly prepared in advance)」という条件節だ。暴落が来てから慌てて何をすべきか考えるのでは遅い。テンプルトンは、平時のうちに「もし暴落が来たら、この銘柄をこの値段で買う」というリストを準備しておくことを重視した。これは彼の第10のルール「パニックするな」と直結する。備えている人だけが、暴落を「機会」に変換できる。

第二に、これは心理的なリフレーミング(枠組みの組み替え)でもある。同じ「株価が30%下がった」という事実を、「資産が30%減った災難」と見るか、「優良企業が30%引きで買えるバーゲンセール」と見るか。事実は一つだが、解釈は二つあり、その解釈が次の行動を決める。テンプルトンは、後者の解釈を意識的に選び取る訓練こそが、逆張り投資家の本質だと考えていた。

なぜ、これほど「効く」のに、ほとんど誰もできないのか

ここで、当然の疑問が浮かぶ。最大悲観点で買うのがそんなに有効なら、なぜ世界中の投資家がそうしないのか?

テンプルトン自身が、その答えを身も蓋もなく書いている。

「これほど概念としては単純で、これほど実行が難しいものはない。」 (So simple in concept. So difficult in execution.)[21]

そして、彼が引用するベンジャミン・グレアムの言葉。「ほとんどの人が ―― 専門家を含めて ―― 悲観しているときに買い、彼らが積極的に楽観しているときに売れ」[21]。さらに、大統領の助言者だったバーナード・バルークの、もっと簡潔な言葉。「決して群衆についていくな(Never follow the crowd)」[21]。

つまり、最大悲観点での買いが難しいのは、知識の問題ではない。感情の問題であり、社会的な圧力の問題だ。みんなが売っているときに買うというのは、

  • 周囲の全員から「正気か」と思われることに耐える、ということ
  • 買った直後にさらに下がる(=「最大悲観点」をピンポイントで当てるのは不可能だから、たいてい買った後もしばらく下がる)という痛みに耐える、ということ
  • 「今回ばかりは本当に違うのではないか」という、自分自身の内なる声に抵抗する、ということ

を意味する。テンプルトンの哲学が「人間の弱さとどう折り合うか」の哲学だと冒頭で書いたのは、この意味においてだ。彼の16のルールの多くは、実は「割安株を見つける技術」ではなく、「見つけた後に、震える手で実際に買い、そして持ち続けるための、感情の管理術」なのである。

「群衆の大多数を上回るには、彼らがやっていないことをやらなければならない。他人が絶望して売っているときに買い、他人が希望に満ちて買っているときに売るには、最大の不屈の精神が必要であり、そして最大の報酬をもたらす。」[2][4]


第5章 世界を狩り場にする ―― グローバル投資のパイオニア

「自国だけ」という思い込みを捨てる

テンプルトン哲学の第2の柱は、グローバル投資だ。第1章で見たとおり、その種はオックスフォード時代に蒔かれた。だが、それを実際の運用で徹底したことが、彼を「国際バリュー投資の祖父」と呼ばれる存在にした[16]。

ベンジャミン・グレアムが米国における「バリュー投資の父」なら、テンプルトンは「国際バリュー投資の祖父」だ ―― この対比はよく使われる[16]。彼のモットーはシンプルだった。「世界中を探して、低価格で、かつ長期の見通しが優れた企業を見つける」[16]。

彼のグローバル投資の発想の根底には、いくつかの明確な認識があった[22]。

  • 割安は一国の中だけにあるとは限らない。 世界中を探せば、どの一国の中で探すよりも、より多くの、そしておそらくより良いバーゲンが見つかる ―― これは第7のルール(分散)のなかで彼自身が書いている[21]。
  • 海外市場、とくに発展途上の市場には「非効率」がある。 アナリストのカバーが薄く、投資家の参加も限られているため、価格が価値から乖離しやすい[22]。情報が取りにくいということは、裏を返せば、手間をかけて情報を取れる者に優位性がある、ということだ。
  • 国の「質」も選別の対象になる。 テンプルトンは、規制が少なく、インフレが抑制されていて、より資本主義的な国を好んだ[23]。彼は報道機関のように規制が強い(あるいは規制が事実上不可能な)分野や、経済の自由度が高い国を意識的に選んだ[23]。

日本 ―― 誰も見ていなかった市場

テンプルトンのグローバル投資を語るうえで、日本の話は外せない。これは日本の読者にとって、とりわけ示唆に富むエピソードだ。

テンプルトンは、1950年代にはすでに自分の個人資産を日本株に投じていた[24]。そして1960年代には、顧客の資金も日本に投資し始めた[24][20]。これがどれほど早かったかというと、彼は日本でも米国でも、取引を扱えるバイリンガルの証券ブローカーを見つけるのに苦労したほどだった[20][8]。市場が存在しても、それを買う「配管」がまだ整っていなかった時代の話である。

なぜ彼は日本に注目したのか。1960年代初頭、彼は日本企業が米国企業に比べて極端に割安だと認識した[21章注][23]。具体的な数字を見ると、その乖離の大きさに驚かされる。

  • 1962年、テンプルトンは利益の2〜3倍で取引されている日本企業を見つけた[23][26]。
  • 当時の日本株は、米国株が19.5倍前後のPER(株価収益率)で取引されていたのに対し、4倍前後で取引されていた。つまり日本株は米国株より約80%安かった[24]。
  • しかも当時の日本経済は年率10%前後で成長していた。これは米国の約2.5倍の速さである[24]。

「米国の2.5倍の速さで成長している国の株が、米国の5分の1の値段で買える。」 これがテンプルトンの目に映った1960年代の日本だった。彼は日本にあまりに多くのバーゲンを見つけたため、1970年までにポートフォリオの約60%が日本株で占められるに至った[23][26]。1970年代、テンプルトン・グロース・ファンドが年率約22%で複利成長していた(同時期のダウ平均は約4%)背景には、この日本株の存在があった[24]。

「会計の異常」を見抜く ―― 単なる割安狩りではない

ここで、テンプルトンが「ただPERが低いから買った」のではないことを示す、重要なディテールがある。

姪のローレン・テンプルトンの証言によれば、ジョン・テンプルトンは会計の優れた読み手でもあった。彼は、日本企業が子会社を連結ベースで貸借対照表に反映していない、という当時の会計慣行の「異常」に気づいていた[24]。

たとえば日立(Hitachi)は、表面的には利益の約16倍で取引されているように見えた。だが、子会社を連結して実態を見ると、実際には約6倍で取引されていた[24]。表面のPERだけを見ていた他の投資家には、この企業は「そこそこ割安」にしか見えない。だが会計の中身まで読み込んだテンプルトンには、「とんでもなく割安」に見えた。

ここに、テンプルトンの真骨頂がある。グローバル投資の優位性は、「他人が見ていない場所を見る」ことだけではない。「他人が見ていない場所を、他人より深く見る」ことにある。情報が取りにくい市場であればあるほど、手間をかけて中身を読み込む者の優位は大きくなる。

売るときも逆張り ―― 日本からの脱出と米国回帰

そして、テンプルトンのグローバル投資のもう一つの真骨頂は、「買い」だけでなく「売り」と「乗り換え」にあった。

1970年代に入り、日本株が「ファッショナブル」になっていく ―― つまり世界中の投資家が日本に注目し始め、株価が上がっていく ―― と、テンプルトンは日本株から手を引き始めた[20]。安いから買い、人気が出て高くなったから売る。第4のルールと、その裏返しを、国レベルで実行したわけだ。

では、日本から引いた資金をどこへ向けたか。米国である。しかも、それは米国株が歴史的な安値圏に沈んでいたタイミングだった[20]。

1979年、米ビジネスウィーク誌(Newsweekとする資料もある)が「株式の死(the death of equities)」を宣言し、誰も米国株に近寄ろうとしなかったころ、テンプルトンは日本から米国へ資金を移し、1980年ごろにはポートフォリオの60%超を米国株に振り向けた[24]。

その象徴的な場面が、1982年前後のテレビ出演だ。当時ダウ平均は800ドル前後だったが、テンプルトンはルイス・ルカイザー司会の番組「ウォール・ストリート・ウィーク」に出演し、「ダウは今後10年で3,000ドルに達する」と予言した[24]。人々は彼が正気を失ったと思った。だが1991年、ダウは本当に3,000ドルに到達した[24]。

安い日本で買い、人気が出たら売り、見捨てられた米国に乗り換える。 このひとつながりの動きのなかに、テンプルトンのグローバル投資哲学のすべてが凝縮されている。彼にとって「世界」とは、地理的な分散先の名簿ではなく、「いま、どこが最も悲観されているか」を測るための、巨大な観測対象だった。彼は世界のどこか一国に忠誠を誓ったりはしなかった。彼が忠誠を誓ったのは、ただ「価値と価格の乖離」という一点だけだった。


第6章 「投資成功のための16のルール」を一つずつ読む

テンプルトンの哲学を語るうえで、最も重要な一次資料が、彼自身がまとめた**「投資成功のための16のルール(16 Rules for Investment Success)」**だ[6][21]。これは現在もフランクリン・テンプルトン社の資料として公開されている。

この章では、16のルールを一つずつ、テンプルトン自身の説明をできるだけ忠実にたどりながら、筆者の解釈を添えて読んでいく。少し長くなるが、ここがこの記事の心臓部だ。なお、16のルールの見出しは以下のとおりである[6]。

  1. 実質トータルリターンの最大化を目指せ
  2. 投資せよ ―― トレードや投機をするな
  3. 投資の種類について、柔軟で開かれた心を保て
  4. 安く買え
  5. 株を買うときは、優良株のなかからバーゲンを探せ
  6. 価値を買え ―― 市場トレンドや経済見通しを買うな
  7. 分散せよ ―― 株でも債券でも、数のなかに安全がある
  8. 自分で調べるか、賢い専門家を雇え
  9. 投資先を積極的に監視せよ
  10. パニックするな
  11. 失敗から学べ
  12. 祈りから始めよ
  13. 市場を上回るのは難しい仕事だ
  14. すべての答えを持っている投資家は、すべての問いを理解してさえいない
  15. ただ飯はない
  16. 過度に恐れたり悲観したりするな

ルール1 ―― 実質トータルリターンの最大化を目指せ

テンプルトンが16のルールの「1番目」に置いたのは、銘柄選びのテクニックではなく、「そもそも何を目指すのか」という目的の定義だった。これは示唆的だ。

彼の言う「実質トータルリターン」とは、税金とインフレを差し引いた後の、投じた1ドルあたりのリターンを意味する[21]。彼は、これこそが「ほとんどの長期投資家にとって唯一の合理的な目的」だと言い切る。税金とインフレという「目に見えない、しかし陰険な作用」を勘定に入れない投資戦略は、投資環境の本質を見誤っており、ゆえに著しく不利だ、と[21]。

彼が当時挙げた数字は鮮烈だ。1990年代初頭の1ドルは、1970年代半ばの35セント、1960年の21セント、第二次大戦直後の15セントぶんの購買力しかない[21]。もしインフレが年4%なら、10万ドルのポートフォリオの購買力は、わずか10年で6万8,000ドルに目減りする。同じ購買力を保つだけでも、ポートフォリオは14万7,000ドルまで ―― つまり47%増やさなければ「現状維持」にすらならない[21]。しかもこれは税金を勘定に入れる前の話だ。

ここから彼が導く実践的な結論が、「人々が犯す最大の誤りの一つは、確定利付き証券(債券など)にお金を入れすぎることだ」というものだ[21]。「元本が減らない」という意味での「安全」は、購買力の維持という意味では「安全」ではない ―― これがテンプルトンの一貫した立場だった。

筆者の視点: このルールが「1番」に置かれていることに、テンプルトンの本質が表れている。投資の議論はつい「どの銘柄か」「いつ買うか」に飛びがちだが、彼はその前に「ものさし」を正せと言う。名目のリターンに一喜一憂するのは、目盛りの狂った定規で長さを測るようなものだ。インフレと税で目減りした後の「実質」で考える癖は、いまの日本の個人投資家にとっても、ほぼそのまま有効な助言だろう。

ルール2 ―― 投資せよ、トレードや投機をするな

テンプルトンは、株式市場そのものはカジノではない、と言う。だが ―― と彼は続ける ―― もしあなたが株が1〜2ポイント動くたびに出たり入ったりするなら、あるいは絶えず空売りを繰り返すなら、オプションだけを扱うなら、先物をトレードするなら ―― 市場はあなたにとってのカジノになる[21]。そして、たいていのギャンブラーがそうであるように、あなたは最終的に、あるいは頻繁に、負ける。

彼の警告は具体的だ。利益は手数料に食われる。下がると思った市場が、あなたの綿密な計算と空売りを嘲笑うかのように上がり続けることもある。ウォール街のニュースキャスターが「速報です」と言うたびに、あなたの心臓は止まる[21]。

テンプルトンはここで、ウォール街の伝説的人物ルシアン・フーパーの言葉を引いている。要約すれば ―― リラックスした長期保有者は、せわしなく在庫を入れ替えるトレーダーよりも、はるかに良い成績を収める。長期保有者はたいてい、より良く情報を把握し、本質的価値をより深く理解しており、より忍耐強く、より感情的でなく、より少ないキャピタルゲイン税を払い、不要な手数料を払わずに済む ―― [21]。

筆者の視点: 「投資と投機の違い」は、対象資産の種類ではなく、行動の様式にある、というのがテンプルトンの主張だ。同じ株でも、価値を測って割安だから買い、価値に達するまで持つなら投資。値動きを当てにいって出入りするなら投機。彼が1939年に倒産企業の株を買ったのは、危なっかしく見えても「投資」だった。なぜなら、それは値動きの予測ではなく、価値の判断に基づいていたからだ。この区別は、デイトレードやテーマ株の短期売買が身近になった現代の個人投資家ほど、噛みしめる価値がある。

ルール3 ―― 投資の種類について柔軟で開かれた心を保て

優良株を買うべきときもあれば、景気循環株、社債、米国債を買うべきときもある。そして、現金で待つべきときもある ―― なぜなら、現金は投資機会をつかむことを可能にするからだ[21]。

テンプルトンの核心的な主張は、「常に最良である投資の種類など、一つも存在しない」というものだ[21]。ある業界や、ある種類の証券が投資家のあいだで人気になれば、その人気は必ず一時的なものに終わる。そして人気が失われたとき、それは何年も戻ってこないかもしれない。

ただし、と彼は正直に付け加える。「そうは言っても、私たちの顧客の資金のほとんどは、ほとんどの期間、普通株に置かれてきた」[21]。なぜか。歴史がその理由を示しているからだ。1946年1月から1991年6月まで、ダウ平均は配当再投資込み(税引き前)で年平均11.4%上昇した。同期間の平均インフレ率は4.4%である[21]。S&P500種指数も、1950年代初頭から1980年代末までの40年間、年平均12.5%で上昇し、インフレ(4.3%)、米国債(4.8%)、米財務省短期証券(5.2%)、高格付け社債(5.4%)のすべてを上回った[21]。

筆者の視点: ルール3は一見「ルール2(=長期保有せよ)」と矛盾するように見えるかもしれない。だが矛盾しない。テンプルトンが言っているのは、「一つの資産クラスに教条的に固執するな」ということだ。彼自身は結果として株を中心に据えたが、それは「株が常に正解だから」ではなく、「歴史を分析した結果、長期では株が最も実質リターンを生んできたから」という、データに基づく判断だった。柔軟さと規律は両立する ―― いや、むしろ「何に柔軟で、何に規律的であるべきか」を見極めることこそが、知性なのだ。

ルール4 ―― 安く買え

「もちろん安く買うさ、当たり前じゃないか」とあなたは言うだろう。だが ―― とテンプルトンは切り返す ―― それは市場の実際の動き方ではない[21]。

このルールの中身は、第4章で詳しく見た「最大悲観点」の論理そのものだ。価格が高いとき、多くの投資家が多くの株を買っている。価格が安いのは需要が低いとき、つまり投資家が引いて、人々が落胆し悲観しているときだ[21]。

テンプルトンはここで、人間の弱さを容赦なく描写する。人々はあなたに「安く買って高く売れ」と言う。だが、そのあまりに多くが、実際には「高く買って安く売って」いる[21]。「いつ買うのか」と尋ねれば、典型的な答えはこうだ ―― 「アナリストたちが好ましい見通しで一致してから」。これは愚かだ、と彼は言う。だが、それが人間の性(さが)なのだ、とも[21]。

彼が引くのはグレアムとバルークの言葉だ。グレアム ―― 「ほとんどの人が、専門家を含めて、悲観しているときに買い、彼らが積極的に楽観しているときに売れ」。バルーク ―― 「決して群衆についていくな」[21]。そしてテンプルトン自身の締めくくり ―― 「概念としてはこれほど単純。実行はこれほど難しい」[21]。

筆者の視点: ルール4で重要なのは、「安く買え」が道徳的な命令ではなく、構造の説明だという点だ。テンプルトンは「安く買うのが正しいことだから安く買え」と言っているのではない。「価格は需要で動く。需要が枯れたとき(=悲観のとき)にしか、本当に安い価格は出現しない。だから、本当に安く買いたいなら、悲観のときに買うしか物理的に方法がない」と言っているのだ。「安く買え」と「悲観のときに買え」は、別々の助言ではなく、同じ一つの事実の言い換えなのである。

ルール5 ―― 株を買うときは、優良株のなかからバーゲンを探せ

ここが、テンプルトンを「ただの逆張り屋」や「ただのバーゲンハンター」と区別する、決定的なルールだ。

彼は安ければ何でも買ったわけではない。彼が探したのは「優良株のなかにあるバーゲン」だった。では、彼の言う「優良(quality)」とは何か。テンプルトンは具体的に列挙している[21]。

  • 成長している市場で、販売トップとして強固な地位を築いている企業
  • 技術革新に依存する分野で、技術的なリーダーである企業
  • 実績のある、強い経営陣
  • 新市場にいち早く参入した、十分な資本力を持つ企業
  • 高利益率の消費財における、よく知られ、信頼されたブランド

ただし、と彼は釘を刺す。これらの「質」の属性は、単独では評価できない。たとえば、ある企業が最低コストの生産者であっても、その製品ラインが顧客に飽きられつつあるなら、それは優良株ではない[21]。彼は印象的な比喩を使う ―― 「株の質を見極めるのは、レストランを評価するようなものだ。100%完璧であることは期待しない。だが、3つ星や4つ星をつける前には、それが『優れている』ことを求める」[21]。

筆者の視点: ルール4とルール5は、セットで初めて意味をなす。ルール4だけを取り出すと「とにかく安いものを買え」になり、これは「バリュートラップ(割安の罠)」 ―― 安いには安いだけの理由がある、永遠に上がらない株 ―― にはまる道だ。ルール5は、その罠への防御壁である。テンプルトンの実際の手口は「悲観で叩き売られた場所を探し(ルール4)、そのなかから中身が確かなものだけを選ぶ(ルール5)」という二段構えだった。第5章で見た日本株の例 ―― 連結ベースで実態を読み込み、本当に中身のある割安企業を選んだ ―― は、まさにルール5の実践である。「安い」と「良い」は、両方そろって初めて買いの理由になる。

ルール6 ―― 価値を買え、市場トレンドや経済見通しを買うな

「賢明な投資家は、株式市場が実は『株の市場』であることを知っている」 ―― テンプルトンはそう書く[21]。

個別の株は、強い強気相場のなかでは一時的に引っ張られて上がることもある。だが究極的には、個別の株が市場を決めるのであって、その逆ではない[21]。あまりに多くの投資家が、市場全体のトレンドや経済見通しに目を奪われている。だが、個別の株は弱気相場のなかでも上がりうるし、強気相場のなかでも下がりうる[21]。

彼は続ける。株式市場と経済は、常に歩調を合わせて行進するわけではない。弱気相場が必ず景気後退と一致するわけではないし、企業収益全体の落ち込みが、必ず同時に株価の下落を引き起こすわけでもない。だから ―― 「市場トレンドや経済見通しではなく、個別の株を買え」[21]。

筆者の視点: このルールは、「マクロ予測の罠」からの解放を説いている。「来年の景気はどうなるか」「金利はどう動くか」 ―― こうした問いは知的で重要そうに見えるが、テンプルトンに言わせれば、それは投資判断の本筋ではない。本筋は「この企業の価値はいくらで、いまの株価はそれより安いか」だ。マクロは当てられないが、個別企業の価値はある程度測れる。当てられないものに賭けるのをやめ、測れるものに集中する ―― これがルール6の精神だ。なお、テンプルトンは「マクロを完全に無視した」わけではない。1939年の戦争需要の読みも、日本経済の成長率の認識も、立派なマクロ判断だ。彼が言っているのは「マクロ”トレンド”を売買シグナルにするな」であって、「個別企業の価値を測る材料としてマクロの文脈を理解する」ことは、むしろ徹底していた。

ルール7 ―― 分散せよ。株でも債券でも、数のなかに安全がある

どれほど注意深くあっても、未来を予測することも制御することもできない、とテンプルトンは言う[21]。

ハリケーンや地震、供給業者のストライキ、競合の予期せぬ技術的躍進、政府命令による製品リコール ―― こうしたことのどれ一つでも、企業に数百万ドルの損失をもたらしうる。さらに、よく経営されているように見えた企業が、買った時点では見えなかった深刻な内部問題を抱えていた、ということも起こりうる[21]。

だから分散する ―― 業界によって、リスクによって、そして国によって[21]。ここで彼は、グローバル投資をさりげなく分散の文脈に組み込む。「たとえば、世界中を探せば、どの一国の中で探すよりも、より多くの ―― そしておそらくより良い ―― バーゲンが見つかる」[21]。

筆者の視点: テンプルトンの分散は、「自信がないから薄く広げる」という消極的な分散ではない。1939年に104社を買ったことを思い出してほしい。彼は4社が無価値になることを織り込んでいた。「個々の判断は外れうる。だが、判断のプロセスが正しく、十分な数に分散していれば、全体としては勝てる」 ―― これがテンプルトン流の分散観だ。一点集中は、当たれば大きいが、外れれば致命傷になる。彼は「致命傷を負わない」ことを最優先し、そのうえで「プロセスの優位性が数の力で発現する」ことに賭けた。これはポーカーで継続的に勝つ思考と同じ構造である。

ルール8 ―― 自分で調べるか、賢い専門家を雇え

「投資する前に調査せよ」と人々は言う。それを聞け、とテンプルトンは言う。企業を研究し、何がその企業を成功させているのかを学べ[21]。

このルールのなかで、テンプルトンは自分の評価の根幹を明かしている。「ほとんどの場合、あなたが買っているのは”収益”か”資産”のどちらかだ」[21]。自由企業の国では、収益と資産が合わさって、ほとんどの株価の主要な決定要因となる。

  • もしあなたが、ある企業が成長し繁栄すると期待するなら、あなたは将来の収益を買っている。収益が上がると期待し、ほとんどの株が将来収益に基づいて評価される以上、株価も上がると期待できる[21]。
  • もしあなたが、ある企業が市場価格を上回るプレミアムで買収または解散されると期待するなら、あなたは資産を買っている[21]。

筆者の視点: 「収益を買っているのか、資産を買っているのか」 ―― この問いは、いまでも投資判断の出発点として極めて有効だ。なぜなら、この問いに答えられないということは、「自分がこの株から何を期待しているのか」を言語化できていない、ということだからだ。期待が言語化できていなければ、その期待が外れたかどうかも判断できず、いつ売るべきかも分からない。テンプルトンの「調べよ」は、単に「勉強しろ」という精神論ではない。「自分が何を買っているのかを、自分の言葉で説明できる状態にしておけ」という、極めて実務的な要求なのだ。

ルール9 ―― 投資先を積極的に監視せよ

「変化を予期し、変化に反応せよ」 ―― これがルール9の核だ[21]。

強気相場も永遠ではない。弱気相場も永遠ではない。そして、「買って忘れていい株」など存在しない、とテンプルトンは断言する。変化のペースが速すぎるのだ[21]。ルール2で「リラックスした長期保有者」を称賛した同じ人物が、ここでは「リラックスすることは、自己満足(complacent)であることを意味しない」と釘を刺す[21]。

彼が挙げる証拠は具体的だ。ダウ平均を構成するわずか30銘柄を見ても、1978年から1990年までの間に、3銘柄に1銘柄が入れ替わった ―― 企業が衰退したか、買収されたか、非公開化したか、倒産したからだ[21]。フォーチュン誌の工業企業100社リストでは、1983年から1990年までのわずか7年間で、30社がリストから消えた[21]。彼の結論はそっけない ―― 「いかなる投資も永遠ではない」[21]。

筆者の視点: ルール9は、ルール2(長期保有せよ)とルール11(失敗から学べ)の橋渡しをするルールだ。多くの人は「長期投資=放置」だと誤解する。テンプルトンの長期投資は放置ではない。「価値を測って買い、その価値の前提が崩れていないかを継続的に点検し、前提が崩れたら手放す」という、能動的なプロセスである。長く持つことそのものが目的なのではない。価値の前提が生きているあいだは長く持つ、というだけだ。前提が死ねば、何年持っていようと関係なく売る。「リラックスしているが、自己満足ではない」 ―― この絶妙なバランスが、ルール9の真髄である。

ルール10 ―― パニックするな

時には、みんなが買っているときに売りそびれて、1987年の暴落のような相場の崩落に巻き込まれることもある、とテンプルトンは言う[21]。一日で15%、あるいはそれ以上の損失に直面する。

そのとき、どうするか。テンプルトンの助言は明快だ。「翌日に慌てて売るな。売るべきときは暴落の前であって、後ではない」[21]。

ではどうするか。彼は「ポートフォリオを研究せよ」と言う。そして、こう自問せよ ―― 「もし今これらの株を持っていなかったとして、暴落後のこの価格で、私はこれらを買うだろうか?」。おそらく答えはイエスだろう。だとすれば、いま売る唯一の理由は、「もっと魅力的な別の株を買うため」だけだ。もっと魅力的な株が見つからないなら、持っているものを持ち続けよ[21]。

筆者の視点: ルール10は、テンプルトンの哲学のなかでも、筆者がもっとも実用的だと思うルールだ。なぜなら、これは「売る/持ち続けるの判断を、感情から切り離して、一つの問いに還元する技術」だからだ。暴落のさなか、人は恐怖で思考が止まる。そのとき「これからどうなるか」を考えても、恐怖に歪んだ予測しか出てこない。テンプルトンの問い ―― 「いま持っていなかったら、この値段で買うか?」 ―― は、その歪んだ予測を迂回する。この問いに「イエス」なら、保有を続ける(あるいは買い増す)のが論理的に正しい。「ノー」なら、それは暴落だからではなく、もともと持つ理由がなかったから売る。暴落そのものは、売る理由にも、買う理由にもならない。判断材料はあくまで「価値と価格」だけだ ―― この一貫性が、パニックを防ぐ。

ルール11 ―― 失敗から学べ

「失敗を避ける唯一の方法は、投資をしないことだ ―― そしてそれこそが、最大の失敗だ」[21]。テンプルトンのユーモアと厳しさが同居した一節だ。

だから、自分の過ちを許せ、と彼は言う。落胆するな。そして決して、損失を取り戻そうとして、より大きなリスクを取るな。代わりに、すべての過ちを「学びの経験」に変えよ。何が、どうして間違ったのかを正確に見極め、将来どうすれば同じ過ちを避けられるかを考えよ[21]。

そしてここで、テンプルトンの最も有名な言葉の一つが登場する。

「『今回は違う』という投資家は ―― それが実際には過去の状況の繰り返しにすぎないときに ―― 投資の歴史上、最も高くつく4つの言葉を口にしたのだ。」 (The investor who says, “This time is different,” when in fact it’s virtually a repeat of an earlier situation, has uttered among the four most costly words in the annals of investing.)[21]

成功する人と成功しない人の大きな違いは、成功する人が自分の過ち「と他人の過ち」から学ぶことだ、と彼は締めくくる[21]。

筆者の視点: 「今回は違う(This time is different)」 ―― なぜこれが「最も高くつく4語」なのか。それは、この言葉が、過去のパターンから学ぶことを「拒否する」ための呪文だからだ。バブルのたびに、人々は「今回のテクノロジーは本物だ」「今回の経済構造は過去とは違う」と言う。そして、たいていの場合、人間の強欲と恐怖のパターンは、まったく同じように繰り返される。テンプルトンが歴史を ―― 過去の戦争を、過去のバブルを ―― あれほど熱心に研究したのは、「歴史は韻を踏む」という確信があったからだ。「今回は違う」と言いたくなったときこそ、それは「今回も同じ」のサインかもしれない。この自己点検は、いまの投資家にもそのまま効く。

ルール12 ―― 祈りから始めよ

16のルールのなかで、おそらく最も人を戸惑わせるのがこれだろう。テンプルトンの説明は、驚くほど短い。

「もし祈りから始めれば、あなたはより明晰に考え、より少ない過ちを犯す。」 (If you begin with a prayer, you can think more clearly and make fewer mistakes.)[21]

テンプルトンは生涯を通じて深い信仰を持つ長老派の信徒であり、後にこの信仰は彼の慈善活動の中心になっていく(第8章で詳述する)。だが、このルールを「信仰を持て」という宗教的勧誘として読むのは、おそらく狭い読み方だ。

筆者は、このルールの実務的な核は「意思決定の前に、心を静める手続きを置け」という点にあると考えている。投資判断は、興奮、恐怖、焦り、強欲といった感情のなかで下されがちだ。祈りであれ、瞑想であれ、深呼吸であれ、あるいは「24時間考えてから注文する」というルールであれ ―― 何らかの「冷却の儀式」を意思決定プロセスに組み込むこと。それが、より明晰な思考と、より少ない過ちにつながる。テンプルトンにとってそれは祈りだった。あなたにとってそれが何であるかは、あなたが決めればいい。重要なのは「衝動と決定のあいだに、間(ま)を置く」という構造のほうだ。

ルール13 ―― 市場を上回るのは難しい仕事だ

テンプルトンは、ここで投資家に対して、ある意味で残酷なほど正直だ。

「課題は、単に平均的な投資家より良い投資判断を下すことではない。本当の課題は、大きな機関を運用するプロのなかでも優れた人々より良い投資判断を下すことだ」[21]。

そして彼は、なぜ市場(インデックス)に勝つのがそれほど難しいのかを、構造的に説明する。S&P500のような運用されていない市場指数は、株の売買手数料を払わない。アナリストやポートフォリオ・マネジャーに給料を払わない。そして指数と違い、投資ファンドは決して100%投資されることはない ―― 解約に応じるための現金を手元に置いておく必要があるからだ[21]。

だから、「市場を一貫して上回る投資会社は、実はあなたが思うよりもずっと良い仕事をしている。もし一貫して、しかも大きな差で市場を上回っているなら、それは見事な仕事だ」[21]。

筆者の視点: 「投資の達人」であるテンプルトンが、わざわざ「市場に勝つのは難しい」と強調していることの意味は重い。これは謙虚さの表明であると同時に、現実的な警告でもある。手数料・コスト・現金保有という「ハンディキャップ」を背負いながらインデックスに勝つのは、生半可なことではない。このルールは、現代のインデックス投資の隆盛を半ば予見しているとも読める。テンプルトン自身は卓越したアクティブ運用者だったが、彼は「誰でもアクティブ運用で勝てる」とは一言も言っていない。むしろ逆だ。「勝つのは難しい。だから、勝てると思うなら、その難しさを正面から見据えよ」 ―― これがルール13の誠実なメッセージである。

ルール14 ―― すべての答えを持っている投資家は、すべての問いを理解してさえいない

「自信過剰なアプローチは、おそらく遅かれ早かれ ―― むしろ早く ―― 失望に、いや、おそらく完全な破滅につながる」[21]。

テンプルトンの論理はこうだ。たとえ我々が、変わらない一握りの投資原則を特定できたとしても、その原則を「変わらない投資対象の宇宙」に、あるいは「変わらない経済的・政治的環境」に適用することはできない。なぜなら、すべては絶え間ない変化の状態にあるからだ。賢明な投資家は、成功とは「新しい問いへの答えを継続的に探し続けるプロセス」であることを認識している[21]。

筆者の視点: ルール14は、ルール11(失敗から学べ)とルール12(祈りから始めよ)に流れる「謙虚さ」の主題を、認識論のレベルで定式化したものだ。テンプルトンは後年、自分の45年の投資顧問のキャリアについて、驚くべき正直さでこう振り返っている ―― 「統計を見ると、私が顧客にある株を別の株に入れ替えるよう助言したとき、約3分の1のケースで、顧客は私の助言を無視したほうが良い結果になっていた」[23]。これは、20世紀最高の株式投資家の一人とされる人物の言葉である。「3分の1は外す」と認められる人間だけが、残りの3分の2で勝ち続けられる。確信は、自信過剰とは違う。確信は「価値の分析」に対して持つもので、自信過剰は「自分は間違えない」という幻想に対して持つものだ。テンプルトンは前者を持ち、後者を徹底的に警戒した。

ルール15 ―― ただ飯はない

このルールは、テンプルトンいわく「終わりのない訓戒のリスト」をカバーする[21]。彼が挙げる「ただ飯はない」の具体例は、3つある。

第一に、「決して感情で投資するな」。あなたに最初の仕事を与えてくれた会社、あなたが初めて持った車を作った会社、昔のお気に入りのテレビ番組のスポンサーだった会社 ―― それらは立派な会社かもしれない。だが、それはその株が立派な投資先であることを意味しない。たとえ企業が本当に優れていても、その株価は高すぎるかもしれない[21]。

第二に、「手数料を”節約”するためにIPO(新規株式公開)に投資するな」。その手数料は株価に組み込まれている ―― だからこそ、ほとんどの新規株は公開後に値下がりするのだ[21]。

第三に、「決して、ただの『お得情報(tip)』だけで投資するな」。それは当たり前だ、とあなたは言うだろう。実際、当たり前だ。だが、よく教育された成功者たちが、まさにこれをやってしまうことに、あなたは驚くだろう。「お得情報」には、心理的に抗いがたい何かがある ―― その性質そのものが、内部情報を、手早く儲ける方法を、ほのめかすからだ[21]。

筆者の視点: ルール15は、要するに「楽をしようとする心理が、判断を腐らせる」ことへの警告だ。感情(この会社が好きだから)、手間の省略(IPOで手数料を浮かす)、近道(誰かの耳打ち) ―― これらに共通するのは、「自分で価値を測る」という地道な作業を回避しようとする誘惑だ。テンプルトンの哲学全体が「地道に価値を測れ」と言っているのだから、その地道さを回避させる誘惑はすべて敵だ、というのは一貫している。「ただ飯はない」とは、結局のところ「価値の分析という労働を省略する方法はない」ということに尽きる。

ルール16 ―― 過度に恐れたり悲観したりするな

そして最後のルール。これは、テンプルトンの哲学全体の「土台」をなす世界観だ。

「過度に、あまりにしばしば、恐れたり悲観したりするな」[21]。なぜなら ―― と彼は言う ―― 100年にわたって、米国株では楽観主義者が勝利を収めてきたからだ。暗かった1970年代でさえ、多くのプロの運用者が、そして多くの個人投資家もまた、株で、とくに小型株で、儲けを出した[21]。

もちろん、調整はあるだろう。暴落さえあるかもしれない。だが、時間をかければ、彼らの研究が示すところでは、株は上がる ―― そして、また上がり、さらに上がる[21]。

そして、ここがテンプルトン哲学の核心だ。彼は、技術が進歩し、世界がより統合され、貿易が拡大し、富が増大していく ―― という長期トレンドへの、揺るぎない信頼を持っていた[12][21]。経済が成長し、世界が結びつき、貿易が広がり、富が増えれば、株価もそれに応じて上がるはずだ、と[12]。

筆者の視点: ここで、多くの人が混乱する。「最大悲観点で買え」と言っていた逆張りの男が、最後のルールで「悲観するな、楽観せよ」と言う。これは矛盾ではないのか?

矛盾ではない。むしろ、ここにテンプルトン哲学の最も深い構造がある。彼の「逆張り」は、短期の局面に関するものだ ―― 「いま、市場が悲観に沈んでいるなら、その局面では群衆と逆を行け」。一方、彼の「楽観」は、超長期の方向に関するものだ ―― 「人類の経済は、数十年・数百年の単位では、進歩し成長していく」。

この2つは、こう組み合わさる。「長期的には世界は良くなる」と信じているからこそ、「短期的なパニックは買い場だ」と確信できる。 もし世界が長期的に衰退していくなら、暴落は単なる「正しい予兆」かもしれず、買う理由はない。だが、長期の上昇トレンドを信じるなら、短期の暴落は「上昇トレンドからの一時的な逸脱」、つまりバーゲンだ。

テンプルトンの逆張りは、悲観主義から来ているのではない。根源的な楽観主義から来ている。「いまは悲観のどん底だ。だが世界は長期的には良くなる。だから、いまのどん底は、後から見れば絶好の買い場だったということになる」 ―― この信念の構造こそが、彼が震える手で買い注文を出せた理由なのだ。1939年、世界大戦の勃発という最悪の悲観のなかで彼が買えたのは、彼が「いずれ世界は立ち直る」と信じていたからにほかならない。

ルール16は、彼自身の言葉で締めくくられている ―― 「この世紀でも、次の世紀でも、富を築く基本ルールは変わらない。それは今も『安く買い、高く売る』だ」[21]。


第7章 テンプルトンは実際にどう銘柄を選んだのか ―― 哲学を「数字」に落とす

16のルールは、いわば「憲法」だ。だが、憲法だけでは実務は回らない。テンプルトンが日々の銘柄選定で実際に使っていた、より具体的な「ものさし」を見ておこう。

「5年先予想PER」というものさし

テンプルトンの銘柄選定で、最もよく知られた具体的な基準が、これだ。彼は、5年先の予想利益に基づくPER(株価収益率)が、おおむね12〜14倍を超える株を「割高」とみなして避けた[20][14]。

ここで重要なのは2点ある。

第一に、「5年先の予想」という点だ。彼はいまの利益や来期の利益ではなく、5年先を見ていた。これは、短期的な業績の谷で叩き売られている企業 ―― 「いまは利益が出ていないが、5年後には正常化しているはずの企業」 ―― を拾うための工夫だ。1939年に倒産企業を買えたのも、この「正常化後の姿」を見る視点があったからこそである。

第二に、「12〜14倍」という具体的な数字を持っていた点だ。これは「なんとなく安い」ではなく、「この線を超えたら買わない」という、明文化された規律だ。第5章の日本株の例で、彼が日立を「連結後で6倍」と評価したことを思い出してほしい。6倍は12〜14倍の線を大きく下回る。だから買い、だった。

「収益か、資産か」という出発点

ルール8で見たとおり、テンプルトンの評価はいつも「自分はこの株から、将来の収益を買っているのか、それとも(買収・解散時の)資産を買っているのか」という問いから始まった[21]。

彼は技術的なチャート分析(テクニカル分析)を明確に拒否し、もっぱらファンダメンタルズ分析を用いた[20]。彼は将来の株価の動きを予測しようとはしなかった。その代わり、バリュエーション(価値評価)に細心の注意を払った[20]。「将来の値動き」は当てにいかず、「現在の価値」を測りにいく ―― この一点が、彼を投機家から分けていた。

ちなみに、あまり知られていないが、テンプルトンと彼の同僚たちは、1930年代後半から、後に「シラーPER」「リバランス」「トービンのq」として知られるようになる手法を、数十年も先取りした洗練された定量分析を発展させていた[20]。彼は「勘の人」ではなく、徹底した「数字の人」だった。

何を避けたか ―― 規制と「評価困難」

テンプルトンは「何を買うか」と同じくらい「何を避けるか」を明確に持っていた。

姪のローレンの証言によれば、彼は重く規制された業界を嫌った。また、評価が難しい業界 ―― たとえばバイオテクノロジー ―― も避けた[24]。国を選ぶときも、規制が少なく、インフレが抑制され、より資本主義的な国を好んだ[23]。

筆者の視点: これは「能力の輪(circle of competence)」の話だ ―― バフェットの言葉だが、テンプルトンも実質的に同じことをしていた。価値を測れないものには手を出さない。規制で価値が政治的に左右される業界、技術の不確実性が大きすぎて5年先が読めない業界 ―― そういうものは、いくら安く見えても「測れない」以上、彼の土俵ではなかった。テンプルトンの大胆さ(倒産企業を買う、戦争のさなかに買う)は、しばしば「無謀さ」と誤解される。だが実際には、彼は「測れる範囲でのみ大胆」だった。測れないものには、むしろ臆病なほど慎重だったのである。

平均保有期間は約4年

テンプルトンの平均保有期間は、約4年だった[2]。これは「デイトレーダー」ではないが、「永久保有」でもない、という絶妙な位置だ。

彼の売買の論理は明快だった。価値より大幅に安いから買う。価格が上がって”フェアバリュー(適正価値)”に達したら売る[2]。そして、フェアバリューを超えた価格の資産を「もっと上がるだろう」と期待して持ち続けることを、彼は投資ではなく投機とみなした[2]。

ここに、テンプルトンとバフェットの、興味深い違いがある。バフェットは「素晴らしい企業なら、適正価格を多少超えても持ち続ける(理想は永久保有)」という方向に進化した。テンプルトンは最後まで「フェアバリューに達したら売り、次のバーゲンへ移る」という、より純粋な「割安・適正回帰」モデルを保った。第2章で見たとおり、彼は1939年の株をもっと長く持っていればよかったと悔やんでいた[16]。彼自身、自分の「早く売りすぎる」傾向を自覚していた。だが、それでも彼はこのモデルを変えなかった。なぜなら、彼の哲学の出発点は「特定の企業への愛」ではなく「価値と価格の乖離」であり、乖離が消えたら去る、というのが彼にとっての一貫性だったからだ。


第8章 倹約・信仰・慈善 ―― 投資哲学と「生き方」が地続きだったこと

テンプルトンを語るとき、投資哲学だけを切り出すと、本質を見失う。彼の場合、投資の哲学と、人生の哲学が、完全に地続きだった。これがこの記事の第5の柱だ。

「お金を稼ぐのはいい。ただし楽しんではいけない」

テンプルトンの倹約ぶりは、伝説的だった。同時代のある人物は、彼についてこう冗談を言ったと伝えられている ―― 「彼は、お金を稼ぐのはいいことだと考えている。ただし、それを楽しまないかぎりは」[14][8]。

これは単なるケチではない。彼にとって倹約は、投資哲学の延長線上にある「思想」だった。彼は人生のあらゆる場面でバーゲンを求め、常に現金で支払った。借金を忌み嫌い、可能なかぎり避けた。彼は「利息の支払い手」ではなく「利息の受け取り手」であることを好んだ[9]。

第2章で見たとおり、彼が借金をした数少ない例の一つが1939年の取引だった。だが、それは消費のためではなく、リターンを生むための「生産的な借金」だった[9][17]。彼の借金観は明快だ ―― リターンを生むために投じられる借金は、生産的な借金だ。だが、車や休暇のような消費に使われる借金は、その購入がいずれ借金を返済できることは決してなく、給料など別の手段で返さなければならない[17]。

筆者の視点: テンプルトンの倹約は、「価値より高いものにお金を払わない」という投資の規律を、生活費にまで適用したものだ。考えてみれば当然の一貫性である。割高な株を買わない人間が、なぜ割高なライフスタイルにはお金を払うのか? 彼にとって、投資の割安志向と生活の倹約は、「同じ一つの規律の、二つの現れ」だった。そして、この倹約こそが、暴落のときに「買う側」に回るための”弾”を、常に手元に用意させていたのである。

ポーカーの賞金から、慈善の帝国へ

イェールでポーカーの賞金で学費を払った青年は、人生の後半、稼いだ富の大半を「手放す」ことに費やした。

1987年、テンプルトンは慈善活動の母体としてジョン・テンプルトン財団を設立した[13]。同じ年、彼はその多大な慈善的功績により、エリザベス女王2世からナイト(勲爵士)に叙され、「サー・ジョン・テンプルトン」となった[2][19]。

テンプルトン財団は、彼の言う「大きな問い(big questions)」――科学(数学・物理・生物・心理・社会)、品性の涵養、自由企業、遺伝学など――に関する研究に資金を提供している[13]。今日、財団の基金は20億ドルを超えるとも、3.4億ドル超とも報じられている(資料により幅がある)[13][14]。

彼はまた、1972年に「テンプルトン賞」を創設した。これは宗教や精神性の領域で顕著な貢献をした人物に贈られる賞で、第1回の受賞者はカルカッタのマザー・テレサだった(彼女はその6年後にノーベル平和賞を受賞する)[13]。歴代の受賞者には、ビリー・グラハム、アレクサンドル・ソルジェニーツィン、ダライ・ラマらが名を連ねる[13]。

「私が出資しているのは、謙虚さだ」

テンプルトンは生涯、敬虔な長老派の信徒だった。だが彼の信仰は、教条的なものではなく、彼が「謙虚なアプローチ(humble approach)」と呼ぶものだった。彼は、聖書や現代の神学を通じて神について知られていることは比較的わずかだと宣言し、科学と宗教のあいだに根本的な対立はないと考えた[13][19]。

彼が2005年にビジネスウィーク誌のインタビューで語った言葉は、彼の人物像を凝縮している ―― 「私が出資しているのは、謙虚さだ。人々に、自分が何もかも知っているなどと思うべきではない、と気づいてほしいのだ」[14]。

筆者の視点: ここで、投資哲学と人生哲学が、はっきりと一本につながる。ルール14 ―― 「すべての答えを持っている投資家は、すべての問いを理解してさえいない」。テンプルトンが投資で警戒した「自信過剰」と、彼が慈善で推進した「謙虚さ」は、同じものだ。彼にとって、謙虚さとは美徳である以前に、**正しく世界を認識するための”方法”**だった。「自分は知らない」と認める人間だけが、新しい問いに開かれ、学び続けられる。投資で勝ち続けた理由と、彼が人生の後半を「謙虚さへの出資」に捧げた理由は、根が同じなのである。

彼の倹約についても、彼自身がこう振り返っている ―― 「私の45年の投資顧問のキャリアにおいて、謙虚さは、リスクを減らすための世界的な分散の必要性を、私に示してくれた」[23]。謙虚さは、抽象的な道徳ではなく、彼の運用手法(世界分散)そのものを導いた実践原理だった。

仕事そのものを「善きもの」とみなす

最後に、テンプルトンの人生哲学でもう一つ重要なのが、「勤勉」への態度だ。彼は、ハードワークを、名誉あるもの、薬効のあるもの、品性を築くものとして、非常に強く信じていた[9]。

ある解説者は、テンプルトンの哲学について鋭い指摘をしている ―― 投資にのめり込んで早く金持ちになり、悠々自適のレジャー人生に引退しよう、という人間は、サー・ジョンの承認を得られないだろう、と[9]。テンプルトンにとって、投資は「働かずに済むための手段」ではなかった。むしろ、投資という営みそのものが、彼の生涯の「仕事」であり、知的探究であり、品性を鍛える場だった。「何のために投資するのか」「自分の究極の幸福はどこにあるのか」を考えること ―― それ自体が、テンプルトン流の投資の一部だったのである[9]。


第9章 晩年の「逆張り」 ―― 88歳でハイテク株を空売りした男

テンプルトンの哲学が、彼の長いキャリアの最後まで、まったくブレなかったことを示す、見事なエピソードがある。2000年のドットコム・バブルだ。

「私の88年で、こんなものを見たのは初めてだ」

1990年代末、インターネット関連企業の株価は常軌を逸した水準まで高騰していた。利益のない企業が、株式公開だけで巨額の資金を調達できた。NASDAQ総合指数のPERは200に達した ―― 日本のバブル期の日経平均のピークPER(約80)すら、はるかに上回る数字だ。

このとき、テンプルトンはすでに88歳。バハマで半ば引退生活を送っていた。だが彼は、この光景を見過ごせなかった。彼はこう語っている ―― 「私の88年で、ハイテク株が利益の100倍に、あるいは利益がない場合は売上の20倍になるのを見たのは、これが初めてだ。狂気の沙汰だった。私はその一時的な狂気を利用した」[29]。

そして彼は、人生でおそらく最も有名な「逆張り」を実行する。それは「買い」ではなく「空売り」だった。

「ロックアップ明け」を突く ―― 計算され尽くした空売り

テンプルトンが2001年のインタビューで明かした、この空売りの設計は、見事というほかない[28]。

彼はメリルリンチに、84のNASDAQ銘柄を空売りする注文を出した。対象に選んだのは、IPOで設定された価格の3倍で取引されている、相当な規模のハイテクIPO銘柄で、かつ、内部関係者(insider)の保有株が「ロックアップ」されている ―― つまり内部関係者がまだ売れない状態にある銘柄だった[28]。

なぜ「ロックアップ中」の銘柄を狙ったのか。テンプルトンの読みはこうだ。IPOの内部関係者は、ロックアップ期間(通常、IPO後6か月)が明ければ、過熱したハイテク株で利益を確定しようと、できるだけ早く売りに出るだろう。その大規模な売りが、株価を押し下げる ―― [27][28]。

そこで彼は、ロックアップ明けの約11日前に空売りを仕掛けた。そして、ロックアップ明けの約11日後になっても株価がまだ上がっているなら、空売りを買い戻した。なぜなら、それは「自分が間違えた」可能性を意味し、買収や新製品の成功のような、何かポジティブなことが起きているのかもしれないからだ[28]。

ここに、ルール11(失敗から学べ)とルール14(すべての答えは持っていない)が生きている。彼は「自分が間違っているかもしれない」というシグナル(11日経っても上がり続ける)を、あらかじめ設計のなかに組み込んでいた。逆張りでありながら、「間違ったときの撤退ルール」を最初から決めていたのである。

結果

テンプルトン自身の集計によれば、この一連の空売りのうち、約3分の1のケースで損を出し、約17%のケースでトントンか少しの利益。だが、残りの約50%のケースでは、空売りした価格の20分の1で買い戻すことができた。彼の挙げた例では、40ドルで空売りした銘柄を、2ドルで買い戻した[28]。

この取引で、88歳のテンプルトンは、わずか数か月で約8,000万〜9,000万ドルの利益を上げたと報じられている[29][31]。グローバル・バリュー投資家として知られた男が、生涯で最も素早い富を、米国ハイテク株の「空売り」で得た ―― この皮肉を、複数の論者が指摘している[29]。

ただし、誠実に書いておくべきこともある。当初、彼の空売りポジションは逆に動き、彼は約3か月のあいだ、含み損の痛みに耐えなければならなかった[31]。「最大悲観点で買う」のと同じく、「最大楽観点で空売る」のもまた、ピンポイントで天井を当てることはできない。テンプルトンほどの達人でさえ、正しい判断の後に、しばらく市場に逆らわれる時間を耐えねばならなかった。これは、彼の哲学が「魔法」ではないことの、重要な証拠だ。

2005年のメモ ―― 最後の予言

テンプルトンの「歴史を読む目」は、最晩年まで衰えなかった。

2005年、彼は短いメモを書いた。そこで彼は、今後5年以内に世界に金融的な混乱が訪れること、住宅市場の崩壊、そして国債利回りがゼロ近くまで低下することを予測した[2][20]。このメモは当初、家族とフランクリン・テンプルトンの一部の経営陣にのみ私的に回覧され、公開されたのは2010年になってからだった[2][20]。

2008年、世界金融危機が ―― まさに住宅市場の崩壊を引き金として ―― 世界を襲った。その後、主要国の国債利回りは、長期にわたってゼロ近辺、あるいはマイナスまで低下した。テンプルトンの予測は、不気味なほど正確だった。

サー・ジョン・テンプルトンは、その金融危機が本格化する直前の2008年7月8日、95歳でこの世を去った[13][19]。彼は、自分が予見した嵐の入り口で、生涯を閉じたことになる。

筆者の視点: 2000年のハイテク株空売りと2005年のメモは、テンプルトン哲学の「不変性」を示す、何よりの証拠だ。彼が20代で1939年にやったことと、80代で2000年代にやったことは、表面的にはまったく逆 ―― 「倒産企業を買う」と「人気企業を空売る」――に見える。だが、本質はまったく同じだ。「価格が価値から極端に乖離している場所を探し、乖離が解消される方向に賭ける」。1939年は「価値より極端に安い」場所、2000年は「価値より極端に高い」場所。狩りの作法は、60年間、一文字も変わっていない。哲学とは、こういうもののことを言うのだろう。流行や年齢や市場環境が変わっても、同じ一つの原理で世界を見続けられること ―― それがテンプルトンの強さだった。


第10章 テンプルトン、グレアム、バフェット ―― 三者を比べてわかること

テンプルトンの哲学の輪郭を、もっとはっきりさせるために、彼を他の偉大なバリュー投資家と比べてみよう。

ベンジャミン・グレアムとの関係

ベンジャミン・グレアムは「バリュー投資の父」と呼ばれる。テンプルトンはグレアムを深く尊敬しており、16のルールのなかでもグレアムの言葉を引用している[21]。「価値より安く買う」「市場の悲観を利用する」という核となる発想は、グレアムと共有している。

だが、興味深いことに、テンプルトンは「グレアム=ドッド村の住人」ではなかった、と複数の論者が指摘する[23][26]。つまり、彼はグレアムの直接の弟子の系譜(バフェットがそうであるように)には属していない。彼はグレアムと同じ結論の多くに、いわば独立して到達した。

両者の違いを一つ挙げるなら、**「どこを探すか」**だ。グレアムは主に米国市場のなかで、定量的に「清算価値より安い株」を探した。テンプルトンは、その探索範囲を「世界全体」に広げた。グレアムが「バリュー投資の父」なら、テンプルトンは「国際バリュー投資の祖父」 ―― この対比は、両者の関係を的確に表している[16]。

ウォーレン・バフェットとの違い

テンプルトンとバフェットは、しばしば比較される。同じ「バリュー投資家」とくくられるが、その中身にはいくつかの重要な違いがある。

第一に、保有期間と「企業への態度」。 バフェットは進化の過程で「素晴らしい企業を適正価格で買い、永久に持つ」という方向に向かった。彼にとって、優れた企業は「複利マシン」であり、できるだけ手放したくない対象だ。テンプルトンは最後まで「割安で買い、適正価値で売り、次のバーゲンへ移る」という、より回転の速い(平均保有期間約4年)モデルを保った[2]。テンプルトンにとって、企業は「価値と価格の乖離を収穫するための器」であり、乖離が消えれば去る対象だった。

第二に、地理。 バフェットは長く米国を主戦場としてきた(近年は日本の商社株などにも投資しているが)。テンプルトンは最初から世界を狩り場とし、ポートフォリオの6割が日本株、という時期さえあった[23]。

第三に、集中と分散。 バフェットは比較的少数の銘柄に集中投資する傾向がある。テンプルトンは、しばしば100以上の銘柄を、複数の国・業界にまたがって保有した[21]。1939年の104社が、その原型だ。

第四に、「優良さ」の重み。 ここは似ているが微妙に違う。バフェットは(マンガーの影響で)「並の企業を素晴らしい価格で買うより、素晴らしい企業を並の価格で買うほうがいい」という方向に進んだ。テンプルトンの重心は、もう少し「価格」側に寄っていた ―― 彼も「優良株のなかから探せ(ルール5)」と言ったが、その目的はあくまで「割安の罠を避ける」ためであって、出発点は常に「安いこと」だった。

筆者の視点: この比較から見えてくるのは、「バリュー投資」という一つの言葉のなかに、実は幅広いスペクトラムがあるということだ。一方の極に「価格重視・回転・分散・世界中」のテンプルトンがいて、もう一方の極に「企業の質重視・永久保有・集中・米国中心」の(後期)バフェットがいる。どちらが正しい、という話ではない。重要なのは、両者とも「価格が価値から乖離したときに動く」という一点では完全に一致していることだ。そして、両者とも数十年にわたって市場を上回った。つまり、「価値と価格の規律」さえ守られていれば、その上に乗せるスタイルには、かなりの自由度がある ―― これは、自分なりの投資スタイルを模索する個人投資家にとって、勇気づけられる事実ではないだろうか。

なお、テンプルトンの逆張り哲学は、現代の投資家にも受け継がれている。たとえばオークツリー・キャピタルのハワード・マークスは、テンプルトンの逆張り思考の影響を公言する一人だ[21章注]。


第11章 批判と限界 ―― テンプルトン哲学が「効かない」とき

どんな投資哲学にも限界がある。テンプルトンを神格化せず、その哲学の弱点や批判も、誠実に見ておこう。

1. 強気相場では退屈、あるいは劣後する

第3章でも触れたが、これは繰り返し強調する価値がある。テンプルトンのファンドは、強気相場ではしばしば市場平均に劣後した[20]。流行の「熱い銘柄」を避けるのだから、相場全体が陶酔的に上がる局面では、見劣りするのは必然だ。

これは「弱点」というより「構造上の特徴」だが、実務的には深刻な問題を生む。なぜなら、多くの投資家は「数年間、周りより成績が悪い」状態に耐えられず、肝心の暴落が来る前に戦略を捨ててしまうからだ。テンプルトン哲学は「正しい」だけでは機能しない。「正しさを、市場が証明してくれるまで持ちこたえる忍耐」がセットでなければ機能しない。

2. ハイテク・ブームを「取り逃した」

テンプルトンは、厳格なバリュエーション基準(5年先予想PERで12〜14倍以下)を守ったために、1990年代後半の米国ハイテク・ブームの大きな上昇を取り逃した[21章注B]。

もちろん、彼は最終的にそのブームの崩壊を空売りで利益に変えた。だが、「もし基準を緩めていれば、ブームの上昇にも乗れたのではないか」という批判は成り立つ。これは、規律の「コスト」だ。規律は、バブル崩壊から守ってくれる代わりに、バブルの果実を諦めることを要求する。テンプルトン自身は、その取引(規律を守り、バブルに乗らず、崩壊を空売る)で正しさを証明したが、すべての局面でそううまくいく保証はない。

3. 「最大悲観点」は、事後にしか分からない

「最大悲観のときに買え」 ―― だが、いつが「最大」なのかは、その瞬間には誰にも分からない。買った後、さらに下がることはいくらでもある。テンプルトン自身、2000年の空売りで3か月間、含み損に耐えた[31]。1939年の買いも、「底でぴったり買えた」わけではない。

これはテンプルトン哲学の「実行上の最大の難所」だ。彼の哲学は「タイミングを完璧に当てる」ことを要求しない ―― むしろ「完璧には当てられない」ことを前提に、分散と忍耐でそれを吸収する設計になっている。だが、それでも「買った後の下落」の痛みは現実に存在し、多くの人はその痛みに負ける。

4. 個人が「世界中のバーゲン」を本当に探せるのか

テンプルトンのグローバル投資は、彼自身が、情報の取りにくい海外市場で、会計の異常まで読み込むだけの能力と労力を持っていたからこそ機能した[24]。

「世界中を探せばバーゲンが見つかる」のは事実だとしても、普通の個人投資家が、外国企業の財務諸表を原語で読み込み、その国の会計慣行の歪みを見抜く、というのは現実的だろうか。テンプルトンの時代に比べれば情報アクセスは劇的に改善したが、それでも「グローバル・バリュー投資を個人が本格的にやる」ことのハードルは高い。この点は、後述する「現代の個人への応用」で改めて考えたい。

5. バリュートラップのリスクは消えない

ルール5(優良株のなかから探せ)は、バリュートラップへの防御壁だと書いた。だが、防御壁は「リスクを減らす」のであって「ゼロにする」わけではない。「安くて、しかも一見優良に見える」企業が、実は構造的に衰退していた、ということは起こりうる。1939年の取引でさえ、4社は無価値になった[12]。テンプルトン哲学は「個々の判断は外れる」ことを織り込んでいるが、それは裏を返せば「個々の判断は外れる」という不愉快な事実から、誰も逃れられないということでもある。

筆者の視点: これらの批判・限界を並べてみると、面白いことに気づく。テンプルトン哲学の「弱点」のほとんどは、実は彼自身が16のルールのなかで先回りして語っていることなのだ。強気相場で退屈なこと → ルール2(投機するな)と表裏一体。タイミングを当てられないこと → ルール7(分散)とルール10(パニックするな)で吸収する設計。個々の判断が外れること → ルール11(失敗から学べ)、ルール14(すべての答えは持っていない)。つまり、テンプルトン哲学は「弱点のない哲学」なのではなく、「自分の弱点を正確に把握し、その弱点を前提に組み立てられた哲学」なのだ。完璧さではなく、自己認識。それがこの哲学の本当の強さなのかもしれない。


第12章 私たちはテンプルトンから何を持ち帰れるか ―― 現代の個人投資家への応用

さて、ここまで20世紀の伝説的投資家の哲学を見てきた。最後に、いちばん大事な問いに答えたい。「で、私たちはどうすればいいのか?」

テンプルトンの手法をそのまま真似ることは、ほとんどの人にはできない。倒産企業を借金で買うことも、外国企業の会計を原語で精査することも、現実的ではない。だが、彼の哲学の「核」は、形を変えて、いまの個人投資家にも十分に応用できる。筆者なりに、7つの持ち帰り(テイクアウェイ)に整理してみる。

1. 「ものさし」を実質で持つ(ルール1の応用)

名目のリターンではなく、「税引き後・インフレ控除後」で考える癖をつける。これはテクニックではなく、思考の習慣だ。「年5%増えた」と喜ぶ前に、「インフレと税を引いたら、購買力は本当に増えているか?」と一度問う。この問いを習慣にするだけで、判断の質は変わる。

2. 暴落のための「買い物リスト」を、平時に作っておく(ルール10・16の応用)

テンプルトンの「弱気相場は、備えのある者には機会」という言葉の実務的な核はこれだ。いま、暴落していない平時のうちに、「もしこの優良企業(あるいは優良なインデックス)が30%下がったら、これだけ買う」というリストと金額を、紙に書いておく。

なぜ平時に書くのか。暴落のさなかは、恐怖で思考が止まるからだ。平時の冷静な自分が書いたリストを、暴落時のパニックの自分が「ただ実行する」だけにしておく ―― これは、感情から判断を守るための、極めて有効な仕組みだ。

3. 売買の判断を「ひとつの問い」に還元する(ルール10の応用)

保有株が暴落したとき。あるいは急騰したとき。テンプルトンの問いを使う ―― 「もし今これを持っていなかったとして、この値段で、私は買うだろうか?」。

イエスなら、保有を続ける(あるいは買い増す)。ノーなら売る。この問いの優れた点は、「これからどうなるか」という当てられない予測を迂回して、「いまの価格と価値の関係」という、まだしも考えられることだけに判断を集約してくれることだ。

4. 「冷却の儀式」を意思決定に組み込む(ルール12の応用)

テンプルトンの「祈り」を、自分なりの形に翻訳する。「注文ボタンを押す前に24時間待つ」「買いたい理由を3行で紙に書く」「なぜ売りたいのかを声に出して言ってみる」 ―― 何でもいい。重要なのは、衝動と決定のあいだに「間(ま)」を強制的に挿入する手続きを持つことだ。最高の投資家が「祈りから始めよ」と言ったのは、神頼みではなく、この「間」の効用を知っていたからだと、筆者は解釈している。

5. 「今回は違う」と思ったら、警報だと考える(ルール11の応用)

新しいテクノロジー、新しい経済構造、新しい「常識」 ―― それらに興奮して「今回は過去とは違う」と思ったとき。それは、過去のパターン(強欲と恐怖の繰り返し)から目を逸らしかけているサインかもしれない。「今回は違う」は、投資判断を停止させる呪文ではなく、「自分はいま、歴史から学ぶことを拒否していないか?」と自己点検するための、警報ベルとして使う。

6. グローバル分散は「思想」として受け取る(ルール7・グローバル投資の応用)

テンプルトンのように外国企業を個別に精査するのは難しい。だが、彼のグローバル投資の「思想」――「自国だけに投資する理由はない。狩り場は世界全体だ」――は、現代では低コストの全世界株式インデックスファンドという形で、誰でも実装できる。テンプルトンが苦労してバイリンガルのブローカーを探した時代から見れば、これは驚くべき進歩だ。彼の「世界を狩り場にする」精神を、個人が最も簡単に受け継ぐ方法が、全世界株への分散投資だと言える。

7. 「持ち続ける忍耐」を、戦略と同じくらい重視する(ルール2・3・9の総合)

そして、おそらく最も重要なこれ。テンプルトンの数十年の記録が証明しているのは、「優れた戦略を見つけること」と「その戦略を、劣後する時期も含めて持ち続けること」は、別の能力であり、後者のほうがしばしば難しい、という事実だ。

逆張りであれ、インデックスの積立であれ、どんな戦略にも「周りより冴えない時期」が必ず来る。その時期に戦略を捨てる人は、戦略を持っていないのと結果的に同じになる。テンプルトンが「リラックスせよ、だが自己満足するな」と言ったバランス ―― 短期の値動きには動じず(リラックス)、しかし価値の前提が崩れていないかは点検し続ける(自己満足しない) ―― を、自分の投資生活のなかに持ち込むこと。これが、テンプルトンからの最大の持ち帰りだと、筆者は考えている。


結び ―― 「悲観のなかで震える手で買う」とは、結局どういうことだったのか

長い旅だった。テネシーの倹約少年から、ポーカーで学費を稼いだイェールの学生、オックスフォードで世界を見る目を得た青年、1939年に世界大戦のさなかで1ドル株を買った27歳、日本株のバーゲンを掘り当てた運用者、88歳でハイテク・バブルを空売りした老投資家、そして「謙虚さに出資する」慈善家へ。

この長い人生を貫いていた一本の糸を、最後にもう一度、筆者の言葉で結び直してみたい。

テンプルトンの哲学は、突き詰めれば、**「価格は価値から乖離する。なぜなら、価格は人間の感情で動くからだ。だから、感情(群衆の、そして自分自身の)を管理できる者だけが、その乖離を収穫できる」**という、一つの命題に集約される。

「最大悲観点で買え」も、「投機ではなく投資をせよ」も、「分散せよ」も、「パニックするな」も、「祈りから始めよ」も、「過度に悲観するな」も ―― すべては、この一つの命題から派生した、感情管理の技術なのだ。彼の16のルールは、銘柄選別の必勝法の一覧ではない。人間の弱さに対する、16の防御策の一覧である。

そして、彼が震える手で買い注文を出せた、その根っこにあったのは、逆説的にも「楽観」だった。短期の悲観のなかに身を置きながら、超長期の人類の進歩を信じる ―― この「短期は逆張り、長期は順張り」という二層構造こそが、彼の哲学の最も深い建築だった。世界は長期的には良くなる、と信じていたからこそ、彼は短期のどん底を「災難」ではなく「機会」と読み替えることができた。

我々のほとんどは、テンプルトンのようにはなれない。倒産企業を借金で買う度胸も、外国企業の会計を読み解く能力も、たいていは持ち合わせていない。だが、彼の哲学の核 ―― 「ものさしを実質で持つこと」「平時に備えること」「売買を一つの問いに還元すること」「衝動と決定のあいだに間を置くこと」「『今回は違う』を警報として聞くこと」「世界を狩り場と考えること」「そして何より、持ち続ける忍耐を戦略と同じくらい大切にすること」 ―― は、形を変えて、確かに我々の手のなかにある。

サー・ジョン・テンプルトンは、自分が予見した金融危機の入り口で、95年の生涯を閉じた。彼が遺したのは、巨額の富でも、慈善財団でもなく ―― いや、それらも遺したのだが ―― 何より、「人間が、自分自身の感情とどう折り合いをつけながら、不確実な未来に賭けるか」という、古くて新しい問いへの、一つの誠実な答えだったのだと思う。

その答えは、彼の言葉でこう締めくくられる。

「この世紀でも、次の世紀でも、富を築く基本ルールは変わらない。それは今も『安く買い、高く売る』だ。」[21]

単純な概念。そして、これほど実行の難しいものはない。テンプルトンの生涯は、その「単純だが難しいこと」を、60年以上にわたって、ただ淡々と実行し続けた記録だった。


参考資料

本記事は、以下の資料に基づいて執筆した。とくに、テンプルトン本人が著した「投資成功のための16のルール」の全文(資料6・21)、本人のインタビュー発言(資料15・28・29)、および彼が設立したジョン・テンプルトン財団による公式記録(資料19)を、一次資料として重視している。

  1. William Green「The Secrets of Sir John Templeton」, Money magazine, January 1999(マネー誌が「おそらく今世紀最高のグローバル株式投資家」と評した原典)
  2. “John Templeton”, Wikipedia(英語版)― https://en.wikipedia.org/wiki/John_Templeton
  3. “Super Investors Series: John Templeton – The Global Value Investor”, My Stock Secret ― https://www.mystocksecret.com/
  4. “John Templeton”, Philanthropy Roundtable Hall of Fame ― https://www.philanthropyroundtable.org/hall-of-fame/john-templeton/
  5. “Globetrotting Fund Manager, Sir John Templeton”, The Tontine Coffee-House ― https://tontinecoffeehouse.com/2025/07/21/globetrotting-fund-manager-sir-john-templeton/
  6. “16 Rules for Investment Success by Sir John Templeton”, Franklin Templeton(公式)― https://www.franklintempleton.com/
  7. “Sir John Templeton’s 16 rules for investment success”, The Wealth Wisher ― https://www.thewealthwisher.com/
  8. “John Templeton: global stock picker’s remarkable life story”, LGT ― https://www.lgt.com/
  9. “29 Things I Learned From Sir John Templeton About Investing”, Hard Money History ― https://www.hardmoneyhistory.com/john-templeton/
  10. “John Templeton Revisited”, J.V. Bruni and Company ― https://www.jvbruni.com/articles/john-templeton-revisited
  11. (同上 資料5・18。1940年の投資顧問会社買収の経緯)
  12. “John Templeton Revisited”(資料10)および J.V. Bruni 社による「最大悲観点」関連の解説
  13. “John Templeton”, Philanthropy Roundtable(資料4)/ テンプルトン財団・テンプルトン賞の記録
  14. “John Templeton: global stock picker’s remarkable life story”, LGT(資料8。5年先予想PER 12〜14倍の基準、倹約に関する逸話、2005年ビジネスウィーク誌インタビュー)
  15. John Templeton インタビュー(チャーリー・ローズ, 1997年5月14日)― Novel Investor「The 22 Maxims of John Templeton」経由 ― https://novelinvestor.com/maxims-john-templeton/
  16. “Lessons From Sir John Templeton”, Nasdaq / GuruFocus ― https://www.nasdaq.com/articles/lessons-sir-john-templeton-2017-04-07
  17. “29 Things I Learned From Sir John Templeton About Investing”, Hard Money History(資料9。生産的な借金と消費のための借金の区別)
  18. “Globetrotting Fund Manager, Sir John Templeton”, The Tontine Coffee-House(資料5。生い立ち、1940年の会社買収、バハマ移住)
  19. “Sir John Templeton”, John Templeton Foundation(公式)― https://www.templeton.org/about/sir-john-templeton
  20. “John Templeton”, Wikipedia(資料2。ファンドの実績、グローバル指数に対する超過リターン、5年先予想PER基準、2005年のメモ、定量分析手法)
  21. Sir John Templeton「16 Rules for Investment Success」全文 ― Franklin Templeton 発行資料(PDF)。本記事のルール解説部分は、原則としてこの全文に基づく。
  22. “How to Invest Like John Templeton: Global Investing Explained”, Picture Perfect Portfolios ― https://pictureperfectportfolios.com/
  23. “John Templeton Resource Page: Bio, Investment Philosophy”, ValueWalk ― https://www.valuewalk.com/john-templeton/(1962年の日本企業のPER、ポートフォリオの6割が日本株、45年のキャリアと謙虚さに関する本人の言葉)
  24. Lauren C. Templeton インタビュー「Lessons from Sir John Templeton, Global Contrarian and Superinvestor」, Latticework ― https://www.latticework.com/p/lessons-from-sir-john-templeton-global(日本株の連結会計の異常、日立の事例、1982年のダウ3,000予想、規制業界を避けた点)。ローレン・テンプルトンの著書 Investing the Templeton Way に基づく証言
  25. (資料24と同じく Lauren C. Templeton の証言・著書 Investing the Templeton Way: The Market-Beating Strategies of Value Investing’s Legendary Bargain Hunter, McGraw Hill, 2008)
  26. “John Templeton Resource Page”, Hedge Fund Alpha ― https://hedgefundalpha.com/john-templeton/
  27. “Dot-com bubble”, Wikipedia(英語版)― https://en.wikipedia.org/wiki/Dot-com_bubble(ロックアップ明けを突いた空売りの記述)
  28. “The 22 Maxims of John Templeton”, Novel Investor ― https://novelinvestor.com/maxims-john-templeton/(2001年インタビューに基づく、84銘柄の空売りの設計と結果。出典:Equities 誌 2001年3-4月号、および John Templeton インタビュー(チャーリー・ローズ, 1997年))
  29. “Meet The Man Credited With One Of The Greatest Trades Of All Time”, AlphaPicks ― https://www.alphapicks.co.uk/p/meet-the-man-credited-with-one-of(「私の88年で初めて」の発言、約8,000万ドルの利益)
  30. John Train Money Masters of Our Time(テンプルトンを含む著名投資家の評伝。資料23・26で参照)
  31. “How to Profit From a Bursting Bubble”, Liberty Through Wealth ― https://libertythroughwealth.com/(1999年の予測、約9,000万ドルの利益、3か月間の含み損)

注記: 本記事中の「[21章注]」「[21章注B]」等の表記は、本文の文脈上、複数資料(とくに資料20・21・23・24)にまたがって裏付けられる記述であることを示す。また、テンプルトン・グロース・ファンドの年率リターン(15%前後)や売却額など、一部の数値は資料によって幅があるため、本文中でその旨を明記した。投資判断は読者ご自身の責任において行っていただきたい。本記事は特定の投資手法を推奨するものではなく、ジョン・テンプルトンという投資家の思想を解説することを目的としている。

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