同一価値労働同一賃金とは
同一価値労働同一賃金とは、同一の価値を生み出す労働の対価として、雇用形態の差異に関わらず、同一の賃金が支払われるべきであるとする概念です。例えば、正社員であろうが、パートであろうが、派遣社員であろうが、労働者が時給1500円に値する価値を生み出しているとしたら時給1500円を支払うという至極単純な仕組みです。
ところが、現代日本においては、同じ価値を生み出す仕事をしていても雇用形態が違うと時給がまったく異なります。正社員が時給1500円くらい貰っているとすると、パートが1000円で、派遣社員は派遣業者に中抜きされて850円くらいしかもらえないというすごく不平等な仕組みがまかり通っています。本来ならば、派遣社員やパートは不景気になったときに”雇用の調整弁”として真っ先に解雇される為、ハイリスクである分高い賃金を受け取るべきです。正社員が1500円貰っているとしたら、2000円くらい貰っても問題はないはずです。
この仕組みを聞くと、イメージとして戦国時代の騎馬武者や足軽、雑兵を思い出します。なんだかすごく身分制なイメージがあります。騎馬武者は大名直属でしっかりと奉公すれば、領地が安堵してもらえて、領土が広がれば恩恵がある。足軽は、一応は戦闘員だけど扱いは軽く、戦闘の際には使い捨てというイメージです。雑兵は、口入屋(昔の派遣業者)が臨時雇いとして雇って、大名の兵力が要らなくなったら雇用契約が切られるというイメージです。
なんだかデジャヴでしょうか。日本人はこういう縦の組織というか、不平等な組織を作ってしまう性質でもあるのでしょうか。
解雇規制の緩和について
市場は基本的には需要と供給のバランスで成り立っています。労働力という商品においても例外ではありません。需給バランスが崩れれば、給料は上下します。ただし、かつての日本では「終身雇用」「年功序列」などのシステムにより、市場メカニズムが正常に機能しなかったため、給料が需給バランスにより乱高下することはありませんでした。例えば、企業に余力がある頃は、企業で不祥事を起こしたり社内文化になじめない「窓際族」のように高給を貰いながら極めて生産性が低い社員が問題となっていました。正社員の解雇規制が極めて強かったため、会社としても持て余していたというのが現状でしょう。バブルが崩壊し、企業に余力がなくなってくると、仕事を与えなかったり、適性に合わない仕事を無理やりやらせるなど、グレーな手段を用いて社員の精神を追い詰め自発的な退社に追い込む「追い出し部屋」が問題となりました。また、退職金に多少の割り増しを付けたり、再就職先のあっせんをする「早期退職制度」も拡充され、部署別に退職者数が割り当てられ、企業に役に立たないとみなされた社員はさまざまな手段を用いて半ば強制的に退職させられました。
需要が供給よりも多ければ、価格すなわち賃金は上昇します。供給が需要よりも多ければ賃金は下落します。経済学の基礎ですが、日本の労働市場においては成り立っていないようです。特定の職種で需要が高まり賃金が上昇すれば、高い賃金に引き寄せられて多くの人々が働くようになるはずです。逆に需要が低下し、賃金が低下すれば、その職種から転職する人が増えるはずです。
しかし、現在の日本においてはどうでしょうか。かつては「窓際族」と呼ばれ、最近は「働かないおじさん」と揶揄される、社内での仕事がなく社内失業状態の従業員が多数存在しています。こういう人たちは、正社員で高給取りにも関わらず解雇されることはありません。企業全体からすれば無駄なコストであるとしか考えられないですが、現代日本においては解雇規制が厳しいため、正社員は余程の不手際がない限り解雇することはできません。ここでは、まったく賃金の市場メカニズムは働いていません。
正社員の立場からしてみれば、終身雇用により雇用は保証されると思っていた為、若い時に会社への貢献と比べて低賃金で働いていたという言い分はあるでしょう。しかし、現在は高コストで会社への貢献度は周囲の士気への影響を考えるとマイナスでしょうから、本来なら会社を退職して社外に活躍の場を求めてもらうべきです。高コストの「働かないおじさん」にも生活があるでしょうから、ある程度まとまった金銭により解雇を認めさせる「解雇規制の緩和」が必要です。妥当な金額については、専門家だけでなく労働者も議論に積極的に参加するべきです。「働かないおじさん」が悪いわけではなく、システム自体に問題があると考えるべきでしょう。
「働かないおじさん」に退職してもらった後は、合理的な賃金体系で雇用が結ばれるようにすれば企業にとってもプラスですし、労働者にとっても新しい雇用が生まれるチャンスが生まれるでしょう。一度雇ったらなかなか解雇できないという正社員の雇用体系の下では、企業は採用の際に保守的になり、正社員の雇用に極めて慎重にならざるをえないからです。
結局は弱い立場のものが損をする
しかし、希望的な観測はできないと思います。利益というパイが限られている以上、弱い立場の者が損をする構図に変化はありません。同一価値労働同一賃金でみんなの賃金が上がってしまっては、企業の収益を圧迫してしまいます。労働者みんなの賃金を引き下げて、“同一価値労働同一賃金”と企業側が言い張るのが目に見えます。非正規雇用者など賃金が低い側に正社員の賃金が引き寄せられて労働者全体の賃金が低下していくのではないでしょうか。得をするのは企業側だけでしょう。正社員もだんだんとその特権を失い購買力が低下していき、結局は企業の利益も減少させるという悪循環をイメージしてしまいます。
今までの”日本的経営”の特色とされてきたものは、一定の環境でのみ経済発展に有効な偶然の賜物であったのではないでしょうか。現在のように変化が激しい時代にはかつて有効であった面が、逆に不利に働いているのではないでしょうか。例えば、「終身雇用」「年功序列」は変化が激しくなければ人材を育て組織を強くしていくために有利かもしれませんが、変化が激しくなれば外部から高給で人材を呼んできたほうが早い場合もあるのです。
今までとは違った雇用体系が求められているとは思いますが、就職氷河期世代の位置づけは不透明です。経済合理性から、就職氷河期世代の雇用の量だけでなく質も向上させていくことはかなり困難ではないでしょうか。政府も正社員を増やすような施策を打ち出してはいますが、”3年で30万人の正社員増”など質ではなく量をキャッチフレーズにしている始末です。いくら正社員として雇用されても労働基準法を守らないブラック企業や、低賃金の雇用が増えたとしても正社員として雇用された意味がありません。就職氷河期世代のスキルアップとして様々な講座が設けられてはいますが、介護や土木、運輸など比較的低賃金で重労働である不人気業界のものが多く、数合わせとして就職氷河期世代を利用したいだけではないかと勘繰ってしまいます。講座の内容としても即戦力になるのか不明なところも多く、”3年間で30万人の正社員増”というキャッチフレーズ倒れに終わってしまうのではないかという懸念があります。雇用の質を計測することは困難かもしれませんが、雇用の量だけでなく当事者の適性も考慮した雇用対策を望みたいものです。
「ゆきどけ荘」に対する複雑な心境
政府が開設した「ゆきどけ荘」という就職氷河期世代を対象にした情報を提供するホームページも就職氷河期世代はみんなニートや引きこもりと考えているような偏った見方に溢れており、当事者として怒りを超えあきれてしまいました。「普通の暮らし」をしたいだけなんですけどね。さんざんぶん殴っておいて、長い間放置して、今更ながら絆創膏でも貼ってあげようというような上から目線で、恩着せがましい態度に絶望しました。
掲載されている情報も労働力が不足してきたから利用してやろうといった魂胆が見え見えです。介護や運輸など不人気職種にとりあえず就職氷河期世代をあてがえば、労働力不足も社会保障問題も解決して一石二鳥という役人の顔が見えるようです。