婚活を始める前、私はひとつの大きな勘違いをしていた。
「婚活とは、出会いの場所に行けば出会えるものだ」と。
甘かった。婚活とは「出会い」ではなく「遭遇」の連続であり、そこに現れるのは必ずしも「パートナー候補」だけではない。むしろ、「この人は何のために婚活しているのか」という深い哲学的疑問を呼び起こす人々との遭遇が、全体の相当数を占めることを、私は身をもって学んだ。
1974年生まれ、就職氷河期世代。40代で婚活を始めた私が、数年間の活動を通じて出会った「謎の人々」を、愛を込めてここに記録する。批判ではない。ただの記録だ。いや、少しだけ批判かもしれない。でも基本的には愛だ。
図鑑その一:「元カノ・元カレを全部話す人」
マッチングアプリで初めてのメッセージ交換から、なぜか元交際相手の話が始まる。
「前に付き合っていた人が料理上手で」「前の彼氏はよく旅行に連れて行ってくれたんですが」「元カノが好きだったお店を久しぶりに思い出して」——これらのセリフが会話の中に自然な顔をして紛れ込んでくる。
最初は「過去の話をしてくれている、心を開いてくれているのかな」と思う。しかしその頻度が高くなり、元交際相手の食の好み・趣味・休日の過ごし方まで詳細に把握できるようになってきた頃に気づく。「あれ、私は今、見知らぬ人の元カレのプロフィールを丸暗記させられているのでは」と。
実際に会ってみると、話題の60%は元交際相手に関するものだった。残り40%のうちの半分は「前の人とは全然違うタイプですね」という比較で、実質的に元交際相手の話が80%を占めていた。計算してみると本当にそうなった。
これは悪意ではない。おそらく相手は「自分のことを話している」つもりなのだ。ただその「自分のこと」の大半が元交際相手との記憶で構成されているだけで。就職氷河期世代は長年、誰かと付き合う機会が少なかった人も多い。その希少な交際体験がアイデンティティの核になってしまうことは、冷静に考えれば理解できる。できるのだが、正直なところ、2回目のデートに進む気持ちにはなれなかった。
図鑑その二:「条件は全部クリアしているのに何かが違う人」
年収・職業・身長・学歴・趣味——どれを見ても問題ない。むしろ良い。なのに会ってみると「ん?」という感覚が拭えない。
これを私は「条件パーフェクト・実物不一致問題」と名付けている。
実例を挙げよう。趣味が読書と映画鑑賞で、好きな作家も重なっていて、仕事も安定していて、身長も問題ない。完璧なはずだった。ところがカフェで対面した瞬間から何かが違う。何が違うのか分からない。分からないのだが違う。3時間の会話を経ても「良い人だとは思う。でも何かが違う」という感覚が消えなかった。
後から考えて分かったのだが、「条件」とは人間の属性の一部でしかない。条件は人間の「スペック表」であって、「その人そのもの」ではない。話し方のテンポ・目の動き・笑った時の顔・沈黙の使い方・コーヒーカップをどう持つか——これらは条件表には現れない。
婚活を続けることで「条件を見ること」から「人そのものを見ること」への移行が起きるのだと、後になって気づいた。ただし気づいたのが3年目だったのは、自分のことながら少々遅かった。
図鑑その三:「プロフィール写真と別人の人」
これはもはや語り草すぎて語り草になっているが、実際に遭遇すると改めて驚くので記録しておく。
「いつ撮った写真ですか」と聞くと「10年くらい前ですかね」と言われた時のあの感覚を、どう言語化すれば良いか。怒りではない。驚きでもない。「ああ、そういうことか」という、世界の真理を垣間見た時のような、静かな納得感とでも言うべき感覚だ。
10年前の写真を使う心理は理解できる。あの頃の自分が一番良かった・または「老けた自分を見せると会ってもらえないかもしれない」という不安からだろう。でもその結果として、実際に会った相手が「全く別の人」という状況が生まれる。
私が特に印象に残っているのは、プロフィール写真が黒髪・細身・笑顔のさわやかな写真で、実際に現れたのが銀髪・恰幅が良い・無表情という方との遭遇だ。同じ人間であることは確かなのだが、10年という時間がこれほどまでに人を変えるという事実の前に、私は粛然とした。自分もそうなっているのかもしれない、という恐怖とともに。
ちなみに私のプロフィール写真は、撮影から3ヶ月以内のものしか使わないようにしていた。大人として、それくらいの誠実さは守ろうと思っていた。
図鑑その四:「婚活の話を全くしない人」
婚活の場で出会っているので、当然「結婚を考えている」はずなのに、その話題が一切出ない人がいる。
婚活パーティーで2時間話して、仕事のこと・趣味のこと・最近読んだ本のこと——いろいろ話したが、「結婚したいと思っている」「将来についてどう考えているか」という話は一度も出なかった。帰り道に「そういえば何でこのパーティーに来たんだろう」という疑問が頭をよぎった。
後から聞いた話では「とりあえず外に出るきっかけが欲しかった」「友人に誘われて」「婚活というより人と話す機会が欲しかった」という動機の方も婚活市場には一定数いるらしい。
これを批判する気にはなれない。婚活の場が「社会参加の一形態」として機能しているとしたら、それはそれで意味があることだ。就職氷河期世代は職場以外のコミュニティを持ちにくい世代で、孤立しやすい環境に長年置かれてきた。その中で「婚活」という名目で外に出ることを選んだとしたら、それは一つの合理的な選択だとも思う。
ただ、こちらが真剣に婚活している場合、相手の温度差を後から知った時の「あの2時間は何だったのか」という虚脱感は、正直なところ、ある。
図鑑その五:「条件の話しかしない人」
「年収は?」「正社員ですか?」「持ち家ですか?」「車はありますか?」——まるで履歴書の確認作業のように次々と質問が来る。
分かる。条件は大事だ。就職氷河期世代で非正規・低収入での生活を長くしてきた身として、経済的な安定を求める気持ちは理解できる。でも初対面から条件の確認だけが続くと、自分が人間としてではなく「物件」として見られているような感覚になってくる。
私が最も印象に残っているのは、婚活パーティーで20分の会話の中に「で、今の年収はおいくらですか」を3回聞いてきた方だ。1回目は「少し聞きにくいですが」と前置きがあった。2回目は「確認なのですが」と言っていた。3回目に至っては何も言わずにもう一度聞いてきた。おそらく私の回答を信用していなかったのだと思う。あるいは単に忘れていたか。どちらにしても、4回目が来る前にトイレに行くふりをして席を離れた。
条件の話だけをする人と、人間の話もできる人の違いは、「自分が何を怖れているか」の違いだと私は思っている。条件だけを確認する人は、条件でしか安心できない状態にある。その不安は否定できない。でも条件で確認できるのは安心の一部だけで、一緒に生きていく上で本当に必要なものは条件表には載っていない。
図鑑その六:「実は婚活向いている自分に気づいてしまった人」
これは他者の話ではなく、自分自身の話だ。
数年間の婚活を経て気づいたことがある。私は婚活の「プロセス」が、実は嫌いではなかった。初対面の人と2時間話すこと・相手が何を大切にしているかを少しずつ探ること・自分が大切にしているものを言語化すること——これらの作業に、一定の「楽しさ」を感じていた。
この事実は、婚活当初には全く予期していなかった。「早く結婚相手を見つけて婚活を終わりにしたい」と思っていたはずなのに、いつの間にか「この人はどんな人生を歩んできたのだろう」という純粋な好奇心で相手と向き合っていた。
就職氷河期世代として長年、社会との接続が弱く・人と深く関わる機会が少なかった自分が、婚活という形を通じて「人と向き合うこと」に慣れていった。そしてその経験が、婚活という目的を超えて、自分という人間を少し変えていった。
「謎の人々」と出会う中で、実は自分も相手から見ると「謎の人」のひとりだったはずだ。「この人は何を求めているのか」「なんとなく掴みどころがない」——そう思われていた可能性は十分にある。
婚活で本当に学んだこと:謎の人々への感謝
元交際相手の話を延々とする人・条件だけを確認する人・写真と別人の人——これらの遭遇は、婚活開始時の自分には「無駄な時間」に見えた。でも今から振り返ると、これらの遭遇は全て「自分が何を求めているか」を明確にするための材料だった。
「元交際相手の話ばかりする人と会って、私は過去より今の相手を見ていたい」という気づきを得た。「条件の話しかしない人と会って、私は条件より価値観を合わせたい」という認識が深まった。「プロフィール写真と別人の人に会って、私は自分自身をありのままに提示したい」という方針が固まった。
就職氷河期世代として「就職という機会」から長年弾き飛ばされてきた経験と同じように、婚活でも「成婚という結果」から弾き飛ばされることが続いた。でもその弾き飛ばされる経験の中で、「自分はどういう人間で・何を大切にして・どう生きたいか」が少しずつ明確になった。
婚活図鑑を書くように、謎の人々を観察する中で、実は最も謎だったのは自分自身だったかもしれない。
そして気づけば、この原稿を書いている今も、次のメッセージの返信を考えながら、まだ婚活を続けている。向いてないとは思うのだが、向いているとも思う。このアンビバレントな状態が、就職氷河期世代の婚活のリアルだ。

