老後について「楽観的に考えましょう」というアドバイスをよく見る。
「今から準備すれば大丈夫」「年金は必ず受け取れる」「健康でいれば何とかなる」——これらの言葉は、不安を和らげる効果はあるかもしれないが、現実の問題を見えにくくするという副作用もある。
私は「悪い方向から想像すること」を、意識的な練習として行うようにしている。「最悪の場合、何が起きるか」を具体的に想像することで、漠然とした「不安」が「対処すべき課題のリスト」に変わる。不安は感情だが、課題はアクションにつながる。この記事では、そのネガティブシミュレーションの実際を書く。
シナリオ①「70歳で貯蓄が底をついた場合」
まず最悪のシナリオを描く。70歳で貯蓄が底をついた。年金は月7万円。家賃は月6万円。残る生活費は月1万円。水光熱費・食費・医療費——全てを1万円でまかなうことは不可能だ。
この状況で何ができるか。生活保護の申請が選択肢になる。生活保護は「最後のセーフティネット」として機能する制度で、受給できる条件がある場合は申請できる。「生活保護を受けることへの抵抗感」は日本社会に根強いが、そのための制度が存在するということは「使っていい」ということだ。
このシナリオの防止策として、今から毎月の積立額を計算する。70歳時点で貯蓄がゼロにならないためには、毎月いくら積み立てる必要があるか。NISAの計算ツールで弾いてみる。数字は怖いが、数字を見ないよりは怖い数字を見た上で行動した方がいい。
シナリオ②「65歳で大きな病気になった場合」
65歳でがんの診断が出た。治療費が必要になる。入院が必要になる。仕事ができない時期が生まれる。
このシナリオへの対処として、高額療養費制度がある。医療費の自己負担に上限がある制度で、月の医療費が一定額を超えた分は後から還付される。この制度を知っているかどうかで、「大きな医療費への心理的な恐怖」の大きさが変わる。制度を知った上でのシナリオと、制度を知らないシナリオでは、同じ事態への対処可能感が違う。
「がん保険に入るべきか」という問いはYMYL(お金の専門的なアドバイス)に入るので詳しくは書かないが、「がんになった場合に何が使えるか」を知っておくことは、保険の判断以前に必要な知識だ。
シナリオ③「認知症になった場合」
これが最も想像したくないシナリオだった。でも就職氷河期世代の老後リスクとして、認知症は確率的に避けられない課題だ。
認知症になった場合、「判断能力がなくなる」という事態が財産管理・医療の意思決定・生活の契約——全てに影響する。家族がいれば家族が対処できるかもしれないが、独身・一人暮らしの場合、「誰が対処するか」が課題になる。
このシナリオへの事前対処として、「任意後見制度」の存在を知っておくことが重要だ。判断能力があるうちに、信頼できる人(または司法書士等の専門家)と「自分が判断能力を失った時に代わりに判断してもらう」という契約をしておける制度だ。
「そこまで準備するのは大げさだ」という感覚があるかもしれない。でも一人暮らしの就職氷河期世代が認知症になった場合の「誰も対処できない状態」の方が、大げさかどうか以前に現実のリスクだ。
ネガティブシミュレーションの効果と限界
「悪い方向から想像する」ことの効果と限界について、正直に書く。
効果:「漠然とした不安」が「具体的な課題」になる。課題になれば、対処策を考えることができる。「なんとなく老後が不安」という状態は、不安を感じ続けるしかない。でも「70歳で貯蓄がゼロになるリスクがある」という課題になれば、「今から月〇万円積み立てる」というアクションに変換できる。
限界:悪いシナリオに集中しすぎると、現在の生活への意欲が下がる。「どうせ老後は大変だ」という諦めに変換されてしまうと、ネガティブシミュレーションが逆効果になる。シミュレーションは「対処策を考えるため」に行うもので、「絶望するため」ではない。この方向性を間違えないことが重要だ。
「悪い想像をする」ことと「悲観的になる」ことの違い
「悪い方向から想像する」ことは「悲観的になること」とは違う。
悲観主義は「悪いことが起きる」という結論に至る思考パターンだ。ネガティブシミュレーションは「悪いことが起きた場合に、何ができるかを考える」という思考ツールだ。結論が違う。
就職氷河期世代として、先の見えない時代を生きてきた経験が、「最悪を想定することへの慣れ」を育ててきた側面がある。就職できなかった時・収入が途絶えた時・将来の見通しが全く立たない時——「最悪の場合はこうなる。その場合はこうする」という思考は、長年の経験から身についている。
この「最悪への備え」という経験は、老後設計においても有効だ。楽観的なシナリオだけで設計した老後は、想定外の事態に弱い。悪い方向からも想像することで、より耐久性のある老後設計ができる。

