インストールした夜
45歳の夜、スマートフォンにマッチングアプリをインストールした。
指が少し震えていた。大げさに聞こえるかもしれないが、これは本当だ。ダウンロードボタンを押す直前に、3秒くらい止まった。「本当に、これをやるのか」と自分に問いかけた。3秒後、押した。
アプリが起動すると、明るい色調の画面が表示された。笑顔の男女のイラスト。「新しい出会いを始めよう!」。感嘆符がまぶしい。画面の明るさと、自分の心の暗さのコントラストが、少し笑えた。
プロフィール作成。名前、年齢、居住地、職業、年収、身長、体型、結婚歴、子どもの有無。これらの情報を入力する。入力するたびに、自分というスペックが数値化されていく。数値化された自分を、棚に並べる作業。コンビニの弁当が値札を貼られて陳列されるように、私もまた値札を貼られて市場に出される。
年齢:45歳。この数字を入力した瞬間、私のマッチング率は激減した。アプリの世界では、年齢は最強のフィルターだ。多くのユーザーが検索条件で年齢の上限を設定している。35歳以下、40歳以下。45歳は、大半のユーザーの検索結果に表示されない。棚には並んでいるが、大半の客には見えない商品。透明な弁当だ。
プロフィール写真の壁
プロフィール写真の選定が、最初の関門だった。
まず、まともな写真がない。自撮りの習慣がない。友達がいないから、誰かに撮ってもらった写真もない。旅行にも行かないから、観光地での写真もない。スマートフォンのカメラロールを遡ると、あるのは仕事の書類を撮影した写真と、スーパーの特売チラシを撮影した写真ばかりだ。
仕方なく、自撮りを試みた。洗面台の鏡の前で、スマートフォンを構える。シャッターを押す。映った顔を見る。うん、これは厳しい。照明が暗い。表情が硬い。服がヨレている。背景に洗濯物が映っている。
婚活プロフィール写真の撮り方を、ネットで検索した。「自然光で撮りましょう」「笑顔で」「清潔感のある服装で」「プロに撮ってもらうのがベスト」。プロに撮ってもらう。費用は1万円から3万円。この段階でつまずく。プロフィール写真に3万円を払える人間は、そもそも婚活で苦労しないのではないか。
結局、休日の昼間に、近所の公園で自撮りした。自然光、ジャケットを着て、笑顔を作った。何枚も撮って、最もマシな一枚を選んだ。マシ、というのが精一杯の評価だ。良い写真ではないが、壊滅的でもない。中間。すべてが中間。
職業欄の苦悩
プロフィールの「職業」欄で、二度目のつまずきが来た。
選択肢が並ぶ。会社員、公務員、医師、弁護士、経営者、自営業、パート・アルバイト、その他。
私の職業は、派遣社員だ。この選択肢の中に「派遣社員」はない。「会社員」に含めていいものか。含めれば嘘にはならないが、「会社員」と聞いて多くの人が想像するのは正社員だ。派遣社員は「会社員」のイメージからは遠い。
正直に「その他」を選んで、自由記述欄に「派遣社員」と書くか。正直ではあるが、マッチング率はさらに下がるだろう。婚活市場において、派遣社員は正社員の下位互換として認識される。これは偏見だが、市場の現実だ。
結局、「会社員」を選んだ。嘘と言えば嘘だが、虚偽とまでは言えない。派遣社員も会社に所属して働いている。会社で働く社員。会社員。ギリギリのラインだ。
だがこの「ギリギリ」が、後々問題になる。実際に会ったとき、「どんなお仕事ですか」と聞かれる。「派遣で事務を」と答える。相手の表情が一瞬変わる。あの0.5秒の変化。このエッセイシリーズで何度も書いた、あの変化だ。プロフィールには「会社員」と書いてあったのに、実態は派遣。期待と現実のギャップ。ギャップは不信を生む。不信は、二回目のデートを消滅させる。
年収欄の絶望
年収欄。ここが最大の壁だ。
選択肢は200万円刻みで並んでいる。200万円未満、200万円〜400万円、400万円〜600万円、600万円〜800万円、800万円〜1000万円、1000万円以上。
私の年収は300万円弱。「200万円〜400万円」に該当する。これを正直に選択する。選択した瞬間、マッチング率がさらに下がった感覚がある。数字で確認はできないが、「いいね」の数が目に見えて少ない。
婚活市場における年収の重みは、特に男性側で大きい。多くの女性ユーザーが、検索条件に「年収400万円以上」「年収500万円以上」を設定している。300万円弱の私は、その条件に達しない。フィルターで除外される。年齢フィルターに続いて、年収フィルターでも弾かれる。二重のフィルター。
年収欄を「非公開」にする選択肢もある。非公開にすれば、フィルターで弾かれることはない。だが非公開にすると、「何か隠している」と疑われる可能性がある。年収を開示しない男性は、「おそらく低い」と推測される。推測されるのと、明示されるのと、どちらがマシかは議論が分かれるが、隠す行為自体が不信感を生むリスクもある。
結局、正直に選択した。嘘をついて会っても、いずれバレる。バレたときのダメージのほうが大きい。最初から正直に出して、それでも興味を持ってくれる人と出会えれば、それが本物だ。と、自分に言い聞かせた。美しい理屈だが、実態は「いいね」が来ない日々だった。
マッチングしない日々
アプリを始めて最初の1週間。「いいね」を50人以上に送った。返ってきたのは2件。マッチング率4%。
2件のうち1件は、メッセージのやり取りが3往復で途絶えた。「お仕事は何をされていますか」「派遣で事務を」「そうなんですね」。3往復目の「そうなんですね」のあと、既読スルー。永遠の既読スルー。
もう1件は、5往復ほど続いた。趣味の話、住んでいるエリアの話、好きな食べ物の話。このまま行けば実際に会えるかもしれない、と期待が膨らんだ矢先、相手からメッセージが来た。「すみません、ちょっと忙しくなって、アプリお休みすることにしました」。社交辞令の撤退宣言。忙しいのではなく、私への興味を失ったのだろう。わかる。わかっているが、わかったところで傷は傷だ。
2週目。「いいね」をさらに50人に送った。返ってきたのは1件。メッセージのやり取りは2往復で終わった。
3週目。アプリを開く頻度が減った。開いても「いいね」が来ていない。来ていないことを確認するために開くのは、精神衛生上よくない。開くたびに、「誰にも選ばれない自分」を確認する作業になる。
1ヶ月後。アプリを開くのが怖くなった。怖いというより、億劫だ。開いても何もない。何もない画面を見て、何もない自分を確認する。この確認作業の虚しさが、アプリを遠ざける。
実際に会えた、数少ない機会
それでもアプリを続けた。やめたら可能性がゼロになるから。ゼロよりは0.1%のほうがましだ。
3ヶ月目にして、初めて実際に会う約束ができた。相手は42歳の女性、事務職、独身。プロフィールを見る限り、穏やかそうな人だった。
待ち合わせはカフェ。緊張して30分前に到着した。メニューを見ながら、何を頼むか迷った。コーヒー500円。ケーキセット900円。初対面でケーキセットは重いか。コーヒーだけだと素っ気ないか。こういう悩みが、婚活デートの前にはある。金銭的な計算と、印象操作の計算が、同時に走る。
相手が来た。会話が始まった。最初の30分は無難だった。出身地の話、天気の話、最近見たテレビの話。当たり障りのないやり取り。
そのうち、仕事の話になった。「お仕事は何を」。来た。この質問が来た。「派遣で事務をやっています」。答えた瞬間の相手の反応を、注意深く観察した。表情はほぼ変わらなかった。ほぼ。だが目の奥の光が、ほんの少しだけ曇った。あるいは、私の被害妄想かもしれない。
1時間ほど話して、解散。「また連絡しますね」と言い合った。この「また連絡しますね」が、社交辞令なのか本気なのか、当事者にはわからない。結果として、その後の連絡は来なかった。私からも送らなかった。お互いに「合わなかった」と判断したのだろう。判断の根拠は、たぶん、いくつかある。年収もそのひとつだったかもしれない。
アプリの世界の残酷さ
マッチングアプリの世界は、残酷なまでに市場原理が剥き出しだ。
年齢、年収、身長、職業、外見。これらのスペックが数値化され、フィルタリングされ、ランキングされる。数値が高い人間に「いいね」が集中し、数値が低い人間は閲覧すらされない。
リアルの出会いでは、数字に表れない魅力——話し方、雰囲気、笑いのツボ、価値観の合致——が作用する。だがアプリでは、まず数字のフィルターを通過しなければ、その先の「人間としての出会い」にたどり着けない。
45歳、派遣社員、年収300万円弱。このスペックでフィルターを通過する確率は、非常に低い。低いことは、入力する前からわかっていた。わかっていて入力した。わかっていて始めた。わかっているのに、実際にマッチングしない日々を過ごすと、「わかっていた」ことと「受け入れられる」ことが別物だと思い知らされる。
頭では理解している。市場の論理として、私のスペックは「売れにくい商品」だ。だが感情は、理解と同期しない。フィルターで弾かれるたびに、人格ごと否定されたような感覚が湧く。数字だけで判断されている、という事実が、じわじわと自己肯定感を削る。
20代と同じ土俵に立つ無理
アプリの世界では、45歳の私と25歳の若者が、同じプラットフォーム上に存在する。同じ検索結果に表示される可能性がある。だが25歳と45歳では、表示される頻度が天と地ほど違う。
これは、市場における「世代間競争」だ。同じ商品棚に、新品と中古品が並んでいる。大半の消費者は新品を選ぶ。中古品にも味がある、とは言うが、味を評価するのは一部の鑑定眼を持つ人間だけだ。
20代は「ポテンシャル」で勝負する。「これから伸びる」「可能性がある」「一緒に成長できる」。これらのフレーズは、若さと結びついている。
45歳には「ポテンシャル」はない。ポテンシャルとは「まだ実現していない可能性」のことであり、45年分の実績がすでに積み上がっている人間に、「まだ実現していない可能性」を期待する人は少ない。代わりに求められるのは「実績」だ。だが売れる実績がない。ポテンシャルもなく、実績もない。売り物がない状態で、市場に出ている。
この無理に気づきながらも、アプリを続ける理由は単純だ。他に出会いの場がないからだ。職場には出会いがない。友達の紹介はない。趣味のコミュニティにも属していない。アプリが最後の砦だ。最後の砦が陥落したら、その先には何もない。
「結婚相手に求める条件」という鏡
婚活アプリには、相手に求める条件を設定する機能がある。年齢、年収、居住地、結婚歴、子どもの有無。
自分が設定する条件を見ると、自分が何を求めているのかが明確になる。明確になると同時に、自分が提供できるものとのギャップも見えてくる。
私が求める条件。年齢は35歳〜50歳。年収はこだわらない。居住地は同じ県内。結婚歴はこだわらない。子どもの有無もこだわらない。
比較的緩い条件のつもりだ。だが相手側から見たとき、「45歳、派遣社員、年収300万円弱」の私が、この条件を掲げている。相手は思うだろう。「あなたが求めている条件の中で、あなた自身が選ばれる理由は何ですか」と。
選ばれる理由。これが最も答えにくい問いだ。正社員ではない。高収入ではない。若くもない。特別な才能もない。見た目も普通だ。「選ばれる理由」を列挙しようとして、列挙できるものが見つからない。
「人柄」「相性」「価値観」。これらは数値化できないから、プロフィールには載せられない。会ってみないとわからない。だが会うためには、まずプロフィールのフィルターを通過しなければならない。通過しないから会えない。会えないから人柄を見せられない。人柄を見せられないから選ばれない。このループが永遠に回り続ける。
アプリをやめた日、再開した日
半年後、アプリをアンインストールした。
理由は精神的な消耗だ。毎日アプリを開いて、「いいね」が来ていないことを確認する。来ていないことを確認するたびに、自己肯定感が削られる。削られた自己肯定感は、日常生活にも影響する。仕事中にふと「自分は選ばれない人間だ」という思考が頭をよぎる。この思考が繰り返されると、仕事のパフォーマンスも下がる。
アンインストールした日は、少し楽になった。スマートフォンの中から、自分を値踏みされる場所が消えた。消えた瞬間の解放感があった。
だが3ヶ月後、再インストールした。
再インストールした理由も、精神的な問題だ。アプリがなくなると、出会いの可能性がゼロになる。ゼロになると、「このまま一生一人なのだ」という確信が強くなる。確信が強くなると、不安が膨らむ。不安が膨らむと、アプリがあった頃のほうがまだましだった、と思い始める。「いいね」が来ない苦痛と、可能性がゼロの苦痛。天秤にかけると、「いいね」が来ない苦痛のほうがまだマシだった。可能性が0.1%でもあるほうが、ゼロよりは精神的に持つ。
こうして、インストールとアンインストールを繰り返している。入れたり消したり。入れているときは消耗し、消しているときは不安になる。どちらを選んでも苦しい。これが40代の婚活の実態だ。
重さの正体
タイトルに「現実の重さ」と書いた。この重さの正体は何か。
ひとつは、「時間がない」という重さ。20代なら、婚活がうまくいかなくても「まだ時間がある」と思える。40代は、残り時間が見えている。見えているから焦る。焦るから空回りする。空回りするから余計にうまくいかない。
ひとつは、「条件が厳しい」という重さ。年齢、年収、雇用形態。すべてが婚活市場において不利に働く条件だ。この不利を覆すだけの魅力が必要だが、その魅力が何かわからない。
ひとつは、「一人の時間が長すぎた」という重さ。20年以上一人で暮らしていると、生活のリズムが完全にシングル仕様になっている。誰かと暮らすことを想像すると、どう折り合いをつけるのかがわからない。一人暮らしが長すぎて、共同生活の想像力が退化している。
そしてもうひとつ、最も重いのは、「もしかしたら、もう手遅れかもしれない」という思いだ。手遅れではないかもしれない。50代で結婚する人もいる。いるが、統計的には少数だ。少数であることを知っているから、「手遅れかも」という思いが消えない。
これらの重さが、婚活アプリの画面を開くたびに、肩にのしかかる。アプリの画面は明るいが、肩は重い。画面の明るさと肩の重さの落差が、40代の婚活の現実だ。
それでも、アプリを閉じない
重い。重いが、閉じない。
閉じたらゼロだ。ゼロよりは、0.1%がいい。0.1%の可能性に賭けて、今日もアプリを開く。開いて、「いいね」が来ていないことを確認する。確認して、少し肩を落とす。落とした肩を元に戻して、プロフィールを見返す。改善点があるかもしれない。写真を変えようか。自己紹介を書き直そうか。
こうやって改善を繰り返しながら、可能性の窓を開け続ける。窓から風が入ってくるかどうかはわからない。だが窓を閉めたら、風は絶対に入ってこない。開けておく。開けておくだけで、十分な抵抗だ。
もしこれを読んでいる同世代がいたら、伝えたい。アプリを開くのがつらいなら、休んでいい。休んだあと、また開けばいい。開けたり閉めたりしながら、自分のペースで続ければいい。続けること自体が、希望のかたちだ。
華々しい出会いは、たぶん来ない。劇的な展開も、たぶん来ない。来るとしたら、地味で、静かで、なんとなくの出会いだ。なんとなく気が合って、なんとなく続いて、なんとなく一緒にいるようになる。そういう出会いを、気長に待つ。待つ体力があるうちは、待つ。
重い。でも、持ち上げられないほどではない。持ち上げられなくなったら、そのとき考える。今は、持ち上げている。重いまま、持ち上げている。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。40代・50代で婚活アプリと格闘している人は、きっと少なくないはずです。
