はじめに——「今年も年賀状を書かなきゃ」の呪縛
12月中旬。コンビニに年賀はがきが並び始める。「今年も年賀状を書かなきゃ」。だが「書かなきゃ」は「書きたい」ではない。義務感。惰性。「去年もらったから、今年も出さないと失礼」。この「失礼」の恐怖だけで、毎年12月に「作業」として年賀状を書いている。
宛先リストを見る。20枚。いや15枚。いや——今年は10枚に減った。去年出したのに返事が来なかった人を削除した。一昨年から来なくなった人を削除した。住所変更で戻ってきた人を削除した。リストは年々縮小していく。10枚の宛先を見つめる。「この10人と、最後に会ったのはいつだ」。5年以上会っていない人が8人。「5年以上会っていない人に、なぜ年賀状を出すのか」。答えが出ない。
そしてある年、決断する。「年賀状をやめよう」。やめた年に何が起きたか。このエッセイはその記録だ。
「年賀状をやめた」理由——5つの正直な理由
理由1は「お金」。年賀はがき1枚63円。10枚で630円。印刷代(自宅プリンターのインク代)を含めると1000円前後。手取り16万円にとって1000円は「もやし炒め33食分」。33食分のもやし炒めを「5年以上会っていない人への義務的な挨拶」に使うことの是非。
理由2は「時間」。10枚の年賀状を書く(印刷+手書きの一言メッセージ+宛名書き)のに1〜2時間。この1〜2時間を「散歩」「読書」「NISA の確認」に使ったほうが、自分のためになる。
理由3は「書くことがない」。「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします」。毎年同じ定型文。「お世話になりました」——5年以上会っていないのに何のお世話をしたのか。「来年もよろしく」——来年も会わないのに何をよろしくするのか。書くことがないのに書く。この虚しさ。
理由4は「もらっても嬉しくない」。正月に届く年賀状。かつては「誰から来たかな」とワクワクした。だが今は「また定型文か」。家族写真付きの年賀状は「充実した生活の見せつけ」に感じてしまう(被害妄想かもしれないが)。「子どもが小学校に入りました」の報告を読んで「こっちは45歳独身だよ」と心の中でつぶやく。もらって嬉しくないものを、相手も同じように感じているかもしれない。
理由5は「やめても困らない」。年賀状をやめて「困ること」は何か。「関係が切れる」?5年以上会っていない人との関係は、すでに「切れているのに年賀状で繋がっているふりをしている」状態ではないか。ふりをやめるだけ。実質的な変化はゼロ。
「年賀状をやめた年」に起きたこと——3つの変化
変化1は「何も起きなかった」。これが最大の変化(変化のなさ)。年賀状を出さなかった。「失礼だ」と怒りの電話が来るかと思った。来なかった。誰も何も言わなかった。「あの人、今年は年賀状来なかったな」と思った人はいたかもしれない。だがその程度。「年賀状が来なかった」ことで人間関係が壊れた事例はゼロ。「やめても何も起きない」が最も衝撃的な事実だった。
変化2は「12月が楽になった」。「年賀状を書かなきゃ」の呪縛から解放された。12月の「やるべきことリスト」から「年賀状」が消えた。消えた分だけ12月が「軽く」なった。年末を「もやし炒めを食べながらダラダラ過ごす」だけの月にできた。ダラダラは「贅沢」だ。
変化3は「人間関係を『棚卸し』するきっかけになった」。年賀状の宛先リストを見直すことで「自分にとって本当に大切な人は誰か」を考えた。10人の宛先のうち「本当に関係を続けたい人」は何人か。正直に考えると3人。残り7人は「惰性でつながっていた人」。惰性の人間関係を手放したことで「3人を大切にしよう」という意識が生まれた。
「年賀状の代わり」に何をするか——3つの選択肢
選択肢1は「LINEで新年の挨拶を送る」。本当に大切な3人にだけ、1月1日にLINEで「あけましておめでとう。今年もよろしく」と送る。0円。3分。年賀状よりパーソナルな印象。「この人はわざわざLINEで挨拶をくれた」と感じてもらえる。年賀状の「大量生産感」がない。
選択肢2は「何もしない」。新年の挨拶すらしない。「会ったときに『あけましておめでとう』を言えばいい」。会わなければ言わなくていい。「挨拶は会ったときにする」がシンプルで合理的。
選択肢3は「年に1回、手紙を書く」。年賀状の代わりに、年に1回(誕生日でも、年末でも、いつでも)、大切な人に「手紙」を書く。年賀状の定型文ではなく「最近こんなことがあった」「元気にしてる?」というパーソナルなメッセージ。手紙1通の切手代84円。年3通で252円。年賀状10枚(1000円)より安い。しかも「もらった側の喜び」は年賀状の10倍。「あの人が手紙をくれた」のインパクトは大きい。
「年賀状をもらったが出していない」場合の対処
年賀状をやめたのに、相手から年賀状が届いた場合。対処法1は「寒中見舞い」を出す。1月8日以降に「寒中お見舞い申し上げます。本年もよろしくお願いいたします」と出す。寒中見舞いなら「年賀状を出し忘れた」体裁が取れる。はがき代63円。
対処法2は「LINEで返す」。「年賀状ありがとう!今年からLINEで挨拶することにしたんだ。今年もよろしく」と伝える。「来年からは年賀状じゃなくてLINEでね」と暗に伝えることもできる。
対処法3は「何もしない」。年賀状をもらったが返さない。「来年はこの人から来なくなるだろう」。1年待てば問題は自然に解消する。「冷たい」と思われるかもしれないが、「5年以上会っていない人」の評価を気にする必要はない。
「年賀状文化」への個人的な見解
年賀状は「日本の美しい文化」だ。否定するつもりはない。「手書きの年賀状を楽しんでいる人」は、ぜひ続けてほしい。年賀状を書くことが「年末の楽しみ」になっている人にとって、年賀状は「趣味」であり「喜び」だ。
だが「義務感だけで書いている人」は、やめてもいい。「書きたくないのに書く」のは「自分への嘘」だ。嘘は精神を蝕む。嘘をやめて「書きたい人にだけ書く」に変えれば、年賀状が「義務」から「喜び」に変わる。書く枚数が10枚から3枚に減っても、3枚に込める気持ちは10枚の3倍以上。
「人間関係の棚卸し」——年賀状以外にも応用する
年賀状をやめた「棚卸し」の思考法は、他の人間関係にも応用できる。LINEの友だちリスト。「この人と最後にメッセージを交わしたのはいつか」。1年以上交わしていない相手は「惰性のつながり」。ブロックする必要はないが「この人は自分にとって大切な人か」を意識する。
SNSのフォロー。「この人の投稿を見て幸せになるか、不幸になるか」。不幸になる(嫉妬、劣等感、不安を感じる)なら、フォローを外す。「フォローを外す=関係を切る」ではない。「自分のタイムラインから消す」だけ。相手に通知はいかない。
人間関係の「棚卸し」は「断捨離」と同じだ。不要なものを手放し、大切なものだけ残す。残した3人の関係を深める。広く浅い10人の関係より、狭く深い3人の関係のほうが「孤独を和らげる力」が強い。
まとめ——「年賀状をやめた年」は「自由になった年」だった
年賀状をやめた。12月が楽になった。お金が浮いた。時間が浮いた。人間関係を見直した。何も困らなかった。「失礼だ」と怒られなかった。「関係が切れた」と嘆くことはなかった。「やめたほうが良かった」と確信した。
年賀状をやめることは「人間関係を切ること」ではない。「惰性の関係を手放し、大切な関係に集中すること」だ。手放した7人との関係は「年賀状がなくても、もともと機能していなかった」。残した3人との関係は「年賀状がなくても、ちゃんと機能している」。年賀状は「関係の有無を測る指標」ではなく「形式的な儀礼」にすぎなかった。儀礼をやめても、本質は変わらない。
今年の12月。年賀はがきを買わない。プリンターのインクを交換しない。宛先リストを見ない。代わりに「大切な3人」にLINEを1通ずつ送る。「あけましておめでとう。今年もよろしく」。0円。1分。これで十分。残りの時間はもやし炒めを食べて、発泡酒を飲んで、ダラダラする。最高の年末だ。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

