はじめに——「おめでとう」のLINEが0件の朝
誕生日の朝。目が覚める。スマートフォンを見る。LINEの通知——0件。SNSの通知——0件。メールは——「お得なクーポンのお知らせ」が1件。クーポンだけが自分の誕生日を覚えていた。親からの電話もない(夜に来るかもしれないが、来ないかもしれない)。「おめでとう」を言ってくれる人が、誰もいない誕生日。
20代の頃は違った。友人が「誕生日おめでとう!」とメールをくれた。30代でも何人かは覚えていてくれた。40代に入ってから、メッセージはゼロに近づいた。友人関係が希薄になったのか、SNSの通知を切ったのか、そもそも自分の誕生日を知っている人がいなくなったのか。理由は複合的だが、結果は同じ。「祝ってくれる人がいない誕生日」。
この現実を「寂しい」と感じるか「自由だ」と感じるか。感じ方は自分で選べる。このエッセイでは、「祝ってくれる人がいない誕生日」を「自分で自分を祝う最高の日」に変える方法を示す。
「自分の誕生日を自分で祝う」5つの方法
方法1は「自分へのプレゼントを買う」。予算は2000〜3000円。「ずっと欲しかったけど我慢していたもの」を1つだけ買う。新しいマグカップ。ちょっと高い入浴剤。前から気になっていた本3冊。プレミアムビール6缶パック。「もらう喜び」がないなら「自分にあげる喜び」を作る。ラッピングしなくていい。レジ袋のまま帰宅して、テーブルに置いて、「誕生日おめでとう、自分」と言いながら開ける。
方法2は「誕生日ディナーを自分で作る」。普段はもやし炒めだが、誕生日だけは「特別メニュー」を作る。ステーキ(スーパーで半額の輸入牛ステーキ500〜800円)。ガーリックライス。サラダ。発泡酒ではなくプレミアムビール(350円)。合計1500〜2000円の「誕生日ディナー」。テーブルにキャンドルを1本灯す(100均のティーライトキャンドル11円)。キャンドルの灯りでステーキを食べる。「自分だけの誕生日ディナー」。外食のファミレスより安く、ファミレスより特別感がある。
方法3は「誕生日ケーキを買う」。コンビニのショートケーキ1個(350〜500円)でいい。ホールケーキは一人では食べ切れない。ショートケーキ1個。プレミアムビールと一緒に。「ケーキとビールは合わない」と言う人がいるが、誕生日だ。何を食べても何を飲んでもいい。合うかどうかは関係ない。「食べたいから食べる」。誕生日の特権。
方法4は「誕生日に有給を取る」。誕生日が平日なら、有給を取る。「誕生日休暇」として自分に贈る。休みの日にしかできないことをする。朝寝坊する。美術館に行く。映画を見る。散歩する。「自分のためだけの1日」。これが最高の誕生日プレゼント。
方法5は「1年の振り返りと来年の目標を書く」。誕生日は「自分の年が1つ増える日」であり「1年の区切りの日」だ。ノートを開いて「この1年で何があったか」を書く。「何を達成したか」「何が変わったか」「何が変わらなかったか」。そして「来年の誕生日までに何をしたいか」を書く。誕生日を「人生の年次レビューの日」にする。レビューは自分だけのもの。誰にも見せなくていい。
「おめでとうを自分に言う」ことの心理的効果
「自分で自分におめでとうを言う」のは滑稽に聞こえるかもしれない。だが心理学的には「セルフコンパッション(自己への思いやり)」の実践だ。自分を大切に扱うこと。自分の存在を肯定すること。「誕生日おめでとう、自分。45年間生き延びた。偉い」。この言葉は、他者からの「おめでとう」と同等の——いや、場合によってはそれ以上の効果がある。
なぜなら「自分で自分を肯定する」行為は「他者からの承認に依存しない自己肯定」だからだ。他者からの「おめでとう」は嬉しいが、来なければ「否定された」と感じてしまう。自分からの「おめでとう」は、来ないことがない。自分が言えば必ず届く。100%の到達率。最も確実な承認。
「誕生日がつらい」問題への処方箋
「誕生日が来ると、余計に寂しさが増す」。この感覚は自然だ。誕生日は「社会的なイベント」として「祝われるもの」という前提がある。その前提が満たされないとき、「満たされなかった事実」が痛みになる。
処方箋1は「誕生日の前提を書き換える」。「誕生日=祝われる日」から「誕生日=自分をいたわる日」に書き換える。「祝われる」は他者依存。「いたわる」は自己完結。自己完結できれば、他者が何をしようが関係ない。
処方箋2は「誕生日を意識しない」。カレンダーにマークしない。SNSの誕生日表示をオフにする。「ただの1日」として過ごす。もやし炒めを食べて、発泡酒を飲んで、寝る。いつもの1日。「いつもの1日」なら寂しくない。特別な日にしようとするから、特別でない現実とのギャップに苦しむ。特別にしなければ、ギャップもない。
処方箋3は「誰かに『おめでとう』を言う」。自分の誕生日ではなく、他者の誕生日に「おめでとう」を言う。LINEの友人リストで、誕生日が近い人に「お誕生日おめでとうございます」と送る。相手は驚くかもしれない(何年も連絡を取っていないなら)。だが「おめでとう」を言われて嫌な人はいない。相手が「ありがとう」と返してくれれば、それだけで「人とのつながり」を実感できる。自分の誕生日に祝ってもらえなくても、他者の誕生日を祝うことで「つながりの実感」が得られる。
「45歳の誕生日」に振り返るべき3つの数字
数字1は「生き延びた日数」。45歳=約16425日。16425日間、呼吸し続け、食事し続け、眠り続け、生き延びた。16425回の「朝起きた」。これは「成し遂げた数字」だ。
数字2は「食べたもやし炒めの回数」。仮に20歳からもやし炒めを作り始め、週に3回食べているとすると、25年×52週×3回=3900回。3900回のもやし炒め。もやし3900袋。3900袋×30円=117000円。11.7万円分のもやしで25年間を生き延びた。
数字3は「NISAの残高」。45歳の誕生日にNISAの残高を確認する。「去年の誕生日より○万円増えている」。この「増えた金額」が「1年間の自分の努力の結果」だ。「今年も頑張った証拠」がNISAの数字に刻まれている。
「誕生日のルーティン」を作る——毎年同じことをする安心感
毎年の誕生日に「同じことをする」ルーティンを作る。毎年誕生日に「自分へのプレゼントを1つ買う」。毎年誕生日に「ステーキを焼く」。毎年誕生日に「1年の振り返りをノートに書く」。毎年誕生日に「NISAの残高を確認する」。
ルーティンがあると「今年も誕生日が来た。今年もステーキを焼こう」と思える。「何をしていいかわからない寂しい日」ではなく「いつものルーティンをこなす安心の日」になる。ルーティンは「一人の誕生日」に「構造」を与えてくれる。構造があれば、寂しさが入り込む隙間が減る。
まとめ——「45年間生き延びた自分」に乾杯する
誕生日。「おめでとう」を言ってくれる人がいなくても、自分で言える。「誕生日おめでとう、自分。45年間、よく頑張った」。ステーキを焼く。プレミアムビールを開ける。ショートケーキを食べる。キャンドルの灯りで、静かに乾杯する。
「45年間生き延びた」。これは祝いに値する。100社不採用を乗り越えた。20年間の非正規雇用を生き延びた。手取り16万円で家計を回し続けた。16425日間、呼吸し続けた。これらすべてが「おめでとう」に値する。他人が言わなくても、自分が知っている。自分の45年間の重さを。
乾杯。「来年もここにいられますように」。ビールの一口が、いつもより少しだけ甘い。誕生日だから。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

