はじめに——「足元を見れば、その人の人生がわかる」
「おしゃれは足元から」と言う。靴を見れば「その人の経済力」「美意識」「生活の丁寧さ」がわかる。年収700万円の同級生はビジネスシューズ(3万〜5万円)を履いている。磨かれた革靴。ブランドのロゴ。「ちゃんとした大人」の足元。自分は——ワークマンのスニーカー(1900円)を履いている。黒。無地。「ちゃんとしていない大人」の足元。だが「1900円の靴」で23年間歩き続けた距離は——「5万円の靴」で歩いた距離と「同じ」だ。靴の値段は「歩く距離」に影響しない。
第1章 「23年間で靴にいくら使ったか」——靴の経済学
23年間の靴の購入履歴を推定する。通勤用の靴。22〜27歳:量販店のビジネスシューズ(3000〜5000円)。年に1〜2足。6年間で10足。合計約4万円。28〜35歳:同上。8年間で12足。合計約5万円。36〜45歳:ワークマンのスニーカー(1900〜2900円)に変更。派遣先が「スニーカーOK」の職場に変わったため。10年間で8足。合計約2万円。
私服用の靴。100均のサンダル(110円。近所のコンビニ用)。年に1足。23年で23足。合計2530円。散歩用のスニーカー(通勤用と兼用の場合が多い)。追加購入は推定5足。合計1万円。
23年間の靴の総支出。通勤用11万円+私服用2530円+散歩用1万円=約12万2530円。月あたり444円。「月444円の靴代」。もやし炒め14.8食分。「月にもやし炒め15食分で足元をカバーしている」。年収700万円の同級生は年間の靴代が5〜10万円(ビジネスシューズ3万円×2足+私服の靴2〜4万円)。自分は年間5300円。10〜19倍の差。「靴代に19倍の格差がある」。だが「歩ける距離」は同じ。「歩ける」のが目的なら「1900円で十分」。「見た目」が目的なら「3万円が必要」。目的が違う。自分の目的は「歩くこと」であり「見せること」ではない。
第2章 「23年間で歩いた距離」——靴底に刻まれた人生
23年間で歩いた距離を推定する。通勤(駅まで徒歩10分×往復×245日×22年)。10分×4km/h÷60分=0.67km。0.67km×2(往復)×245日×22年=7223km。散歩(毎日30分×365日×7年。39歳から本格開始)。30分×4km/h÷60分=2km。2km×365日×7年=5110km。日常の歩行(買い物、家の中の移動等。推定1日1km×365日×23年)=8395km。合計:約20728km。「約2万km」。地球の半周分(地球の周囲約4万km)。「23年間で地球を半周歩いた」。
2万kmを30足の靴で歩いた。1足あたり約667km。「1足の靴で667km歩いた」。667kmは東京から岡山くらいの距離。「東京→岡山を1足のスニーカーで歩いた」計算。1900円のスニーカーで667km。「1kmあたり2.8円」。タクシー(1kmあたり約400円)の143分の1。電車(1kmあたり約20〜30円)の7〜10分の1。「歩くことは最もコスパの良い移動手段」であり「1900円のスニーカーは最もコスパの良い移動装置」。
第3章 「安い靴」vs「高い靴」——靴の値段は何を決定するか
3000円のスニーカーと3万円のビジネスシューズの違い。違い1は「素材」。3000円=合成皮革または布。3万円=本革。本革は「長持ちする」「足に馴染む」「見た目が良い」。だが「手入れが必要」(靴磨き。クリーム代年間2000円程度)。合成皮革は「手入れ不要」「安い」「履き潰して買い替える」。「手入れに時間とお金を使うか」「買い替えで済ませるか」。手取り16万円の人間は「買い替え派」。「手入れの時間=もやし炒めを作る時間」と考えれば「もやし炒めを優先する」。
違い2は「クッション性」。安い靴は「クッションが薄い」。高い靴は「インソールが良い」。「1日8時間立ちっぱなし」の仕事なら靴のクッション性が重要。事務の仕事(座りっぱなし)なら「クッション性はさほど重要でない」。自分はデスクワーク中心なので「安い靴で十分」。ただし散歩用は「クッション性のあるスニーカー」(ワークマンの2900円のウォーキングシューズ)を選んでいる。「毎日30分歩く足」を守るための投資。2900円の投資で「膝の300万円の資産」(体の値段参照)を守る。ROI10345%。
違い3は「社会的印象」。安い靴=「お金がない人」「ファッションに興味がない人」の印象。高い靴=「お金に余裕がある人」「身だしなみに気を使う人」の印象。面接で「安い靴を履いていたら不利か」。おそらく「多少は不利」。面接官は「足元を見る」と言われている。「靴が汚い→生活が乱れている→仕事も雑だろう」の推論。「1900円のスニーカー」でも「きれいに洗ってあれば」印象は「そこまで悪くない」。「価格」ではなく「清潔さ」が印象を決める。「安くても清潔な靴」>「高くても汚い靴」。「清潔さは0円で手に入る」。洗うだけ。
第4章 「靴底」の減り方で「歩き方のクセ」がわかる
靴底を見る。「かかとの外側」が最も減っている。これは「O脚」または「かかとの外側で着地する歩き方」の証拠。「正しい歩き方」は「かかとの中央→足の外側→つま先」の順で体重が移動する。自分の歩き方は「かかとの外側に偏っている」。この歩き方は「膝への負担が大きい」。膝の資産300万円(体の値段参照)を「歩き方のクセ」が削っている。
「歩き方を直す」ことは「0円の健康投資」だ。意識的に「かかとの中央で着地する」。散歩のときに「着地の位置」を意識する。靴底の減り方が「均一」になれば「歩き方が改善された証拠」。「靴底は歩き方の成績表」。半年に1回、靴底を確認する。「かかとの外側だけ減っている→まだ直っていない」「均一に減っている→改善された」。靴底を「体の棚卸し」(体の値段参照)の項目に追加する。
第5章 「靴」と「散歩」の関係——正しい靴が散歩の質を変える
散歩を始めた39歳のとき、最初は「通勤用の安いスニーカー」で歩いていた。1ヶ月後「足の裏が痛い」。「靴が合っていないのかもしれない」。ワークマンで「ウォーキング用のスニーカー」(2900円)を購入。「クッション性が段違い」。「足の裏の痛み」が消えた。「1000円の差で散歩の質が激変した」。
「散歩用の靴」を「投資」として計算する。2900円の靴。寿命1年(毎日30分歩くと約1年で靴底が限界に)。年間2900円。月242円。「月242円で毎日30分の散歩が快適になる」。散歩の健康効果(年間5〜8万円の医療費削減。笑いの変遷参照)を考えれば「月242円の投資で年間5〜8万円のリターン」。ROI:2066〜3306%。「散歩用の靴は世界で最もROIが高い靴」。
「靴のサイズが合っていない」リスク。サイズが小さい→足が痛い→散歩をやめる→健康が悪化。サイズが大きい→靴擦れ→散歩をやめる→健康が悪化。「正しいサイズの靴を選ぶ」ことが「散歩を続ける前提条件」。靴屋で「足のサイズを正確に測ってもらう」(0円)。自分の足のサイズを「知っている」だけで「靴選びの失敗率」が激減する。
第6章 「靴」と「もやし炒め」の共通点——安くて機能的なものを選ぶ哲学
もやし炒めは「60円の食事」。靴は「1900円の移動手段」。どちらも「安い」。どちらも「機能的」。どちらも「見た目は地味」。どちらも「他人に自慢できるものではない」。だがどちらも「生きるために必要なもの」。「安くて機能的なものを選ぶ」のが氷河期世代の哲学であり、もやし炒めも靴もこの哲学に貫かれている。
「高いもの=良いもの」の常識を疑う。3万円のビジネスシューズは「良い靴」か。「見た目が良い」「素材が良い」「長持ちする」。だが「歩ける距離」は1900円のスニーカーと同じ。「目的(歩くこと)」に対する「コスト」で評価すれば「1900円のほうが圧倒的にコスパが良い」。3万円の靴のROI=「歩ける距離÷3万円」。1900円の靴のROI=「歩ける距離÷1900円」。後者が15.8倍高い。
「高い靴を履くと気分が上がる」という反論がある。「気分の上昇」には価値がある。だが「気分の上昇」は「靴」以外でも得られる。もやし炒めの新バリエーション(0〜100円)。NISAの残高確認(0円)。散歩で見つけた花(0円)。「気分の上昇を安い手段で得る技術」を持っていれば「3万円の靴に気分の上昇を頼る必要がない」。「気分の上昇の調達コスト」を最小化する。これが「もやし炒めの哲学」の応用であり「靴の哲学」の核心だ。
結論——「1900円の靴で地球を半周した」
23年間。30足の靴。約2万km。地球の半周。「1900円の靴で地球を半周した」。この事実は——「靴の値段」ではなく「歩いた距離」に価値がある。2万kmの中に「通勤の7200km」と「散歩の5100km」と「日常の8400km」がある。通勤は「給料を稼ぐための距離」。散歩は「健康を守るための距離」。日常は「生活するための距離」。すべてが「生き延びるための距離」であり、すべてが「1900〜3000円の靴」で歩いた。
靴は「消耗品」だ。もやし炒めと同じ。「食べたら消える」のがもやし炒め。「歩いたら減る」のが靴。消えるもの、減るもの。だが「消えた分だけ栄養になった」(もやし炒め)。「減った分だけ距離を稼いだ」(靴)。「消耗」は「無駄」ではなく「変換」だ。「もやし炒めの消耗=栄養への変換」。「靴の消耗=距離への変換」。「消耗品の哲学」。安い消耗品を使い切り、新しい消耗品を買い、また使い切る。この循環が——23年間を支えた。明日も1900円のスニーカーを履いて、もやし炒めの材料を買いにスーパーまで歩く。往復15分。1km。「今日の1km」が「2万kmの次の1km」になる。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

