長編・2026年夏の家計と投資。数字はすべて2026年8月時点の公表値・報道に基づく。本稿は分析であり、投資勧誘や助言ではない。
プロローグ:同じNISAが、二人にとって、まったく違う意味を持つ
一人は、毎年の投資枠360万円を、余裕をもって使い切っている。株価は最高値圏を更新し続け、その値上がり益には、税金が一切かからない。資産は、雪だるまのように、静かに、しかし着実に膨らんでいく。彼にとってNISAは、「富をさらに増やす、非課税の魔法の箱」だ。
もう一人は、話題になったからと、勇気を出して口座を開いた。だが、日々の暮らしで精一杯で、投資に回せるお金は、月に数千円がやっと。あるいは、口座は開いたものの、「何を買えばいいか分からない」まま、一度も取引せずに放置している。彼にとってNISAは、「開いてはみたけれど、その先へ進めない扉」だ。
同じ「新NISA」という制度が、この二人にとって、まったく違う意味を持っている。2024年に始まった新しいNISA(少額投資非課税制度)は、いま2年目を終え、「大成功」と報じられている。だが、その成功を、少し立ち止まって採点してみると、答案の欄によって、評価が大きく分かれることに気づく。お金の欄——買付額——では、文句なしのオール5だ。だが、公平の欄——誰がその恩恵を受けているか——では、評価は「保留」と書くほかない。 本稿では、この「2年目の通信簿」を、できるだけ正直に読み解いてみたい。「貯蓄から投資へ」という国家の大号令は、果たして、日本の格差を埋める橋になっているのか、それとも、逆に広げる坂になっているのか。
あらかじめ断っておきたいのは、本稿は「NISAをやるべきか、やめるべきか」を論じるものではない、という点だ。個々人にとって、インフレの時代に長期・分散で投資することは、多くの場合、合理的な選択だ。そこに異論はない。本稿が問いたいのは、もっとマクロな、社会全体の視点だ。「貯蓄から投資へ」という国策が、日本社会の格差に、どんな影響を与えているのか。 一人ひとりにとって正しい選択が、社会全体としては、意図せぬ歪みを生むことがある。その可能性を、冷静に見つめてみたい。個人の家計術としてのNISAと、国家政策としてのNISAは、分けて考える必要があるのだ。
第1章:お金の欄は、文句なしのオール5
まず、明るい数字から見よう。新NISAの「成績」は、こと金額に関しては、目を見張るものがある。
金融庁の発表によれば、NISAの累計買付額は、2025年12月末時点で、約71兆円に達した。前年末から36%もの増加だ。政府は2022年、「2027年末までに、NISAの買付額を当時の28兆円から56兆円へと倍増させる」という目標を掲げていた。ところが、この56兆円という目標は、2025年3月には、すでに達成されてしまった。目標の達成時期を、約3年も前倒しにしたことになる。そして、達成後も勢いは衰えず、買付額は積み上がり続けている。
この背景には、制度そのものの魅力がある。新NISAは、運用益への非課税期間を無期限とし、年間の投資枠を最大360万円にまで拡大した。使い勝手が劇的に改善されたことで、新たに投資を始める個人が急増した。「貯蓄から投資へ」という、長年言われながらなかなか進まなかった掛け声が、ようやく現実の動きになった——そう評価する声は、決して大げさではない。
金額だけを見れば、新NISAは、間違いなく政策の大成功だ。日本人の「現金・預金偏重」という、何十年も変わらなかった資産の姿が、ついに動き始めた。株式市場に、家計のお金が流れ込み、それが日経平均の史上最高値を、下支えする一因にもなっている。「日本人は投資をしない」という常識は、少なくとも金額の上では、過去のものになりつつある。 これが、通信簿の「お金の欄」に、堂々とオール5がつく理由だ。
この変化が、いかに歴史的かは、少し振り返れば分かる。戦後の日本は、世界でも稀な「貯蓄大国」だった。汗水たらして稼いだお金は、銀行や郵便局に預けるのが美徳とされ、株式投資は「ギャンブル」「危ういもの」という警戒感が根強かった。家計の金融資産の半分以上が、長らく現金・預金のまま眠り続けてきた。政府は何度も「貯蓄から投資へ」と旗を振ったが、この分厚い現金志向の壁は、容易には崩れなかった。その壁が、新NISAという制度の後押しと、後述するインフレという時代の変化によって、ついに動き出した。買付額71兆円という数字は、単なる統計ではない。日本人のお金に対する価値観が、戦後初めて、根本から変わり始めたことの、証しなのだ。だからこそ、この成功は本物であり、同時に、その中身を丁寧に吟味する価値がある。
第2章:だが、通信簿を読み込むと——「人」の欄には、陰りが見える
華々しい買付額の陰で、もう一つの数字が、静かに、しかし重要なことを告げている。口座数の伸びだ。
NISAの口座数は、2025年12月末時点で、約2,826万口座。前年から10%の増加だ。決して悪い数字ではない。だが、買付額が36%も伸びたことと比べると、その勢いには明らかな差がある。政府が掲げるもう一つの目標、「2027年末までに口座数を3,400万に倍増させる」については、2025年末で達成率は約8割にとどまる。お金(買付額)は目標をはるかに超えて集まっているのに、人(口座数)の広がりは、それに追いついていない。 この非対称が、通信簿を読み解く、最初の鍵だ。
さらに気になるのが、「未活用率」だ。口座は開設したものの、一度も取引をしていない——そんな「眠ったままの口座」が、いまだに約2割にのぼる。「何を買えばいいか分からない」「金額やリスクが不安」「そもそも投資が未知」。理由はさまざまだが、5つに1つの口座が、開かれたまま、その先へ進めずにいる。 しかも、この未活用の傾向は、女性や若年層で、とりわけ強いという。
この二つの事実——口座数の伸び悩みと、高い未活用率——が示すのは何か。それは、**「買付額の急増は、比較的限られた、積極的な投資家層によって牽引されている」**という可能性だ。お金の数字を見れば「国民的な投資ブーム」に見える。だが、参加している「人」の姿を見ると、実は、まだ一部の層に偏っているのかもしれない。金額という華やかな指標が、参加の偏りという、地味だが本質的な事実を、覆い隠している。この偏りこそ、次に見る「公平の欄」の、核心的な論点だ。
もう一つ、投資の「中身」にも、その偏りは表れている。日本証券業協会の調査によれば、2026年初めのNISA買付額のうち、実に79%が「成長投資枠」——つまり、個別株やより幅広い投資信託を、まとまった額で買える枠——での買付けだった。少額をこつこつ積み立てる「つみたて投資枠」中心の初心者ではなく、まとまった資金を、より積極的に、時に個別株へと振り向ける投資家が、買付額を牽引している姿がうかがえる。「みんなが少しずつ積み立てている」というイメージと、実際に大きなお金を動かしているのは、投資に手慣れた、余裕のある層だという現実とのあいだには、無視できない距離がある。買付額という数字の華やかさは、この「動かしている人の偏り」を、見えなくしてしまうのだ。
第3章:独自の読み①——NISAは「機会」を開いた。だが「結果」は開いていない
ここで、公平の欄の採点に入ろう。まず、フェアに、NISAが達成した「公平さ」を評価したい。
日本総研の分析によれば、興味深い変化が起きている。かつての旧NISAが始まった当初は、主に高所得者層を中心に口座開設が進んだ。ところが、新NISAの開始時には、低所得者層での口座開設の動きが目立ったという。つまり、新NISAは、投資というものを、これまで縁のなかった層にも広げた。「投資は、お金持ちだけのもの」という壁を、少しだけ低くした。これは、機会の平等という点で、間違いなく前進だ。投資への『扉』は、多くの人に開かれた。 ここは、素直に評価すべきだ。
だが、問題はここからだ。扉が開かれることと、その扉の奥へ進めることは、まったく別の話だからだ。
NISAで資産を大きく増やすには、当然ながら、まとまったお金を投資に回せることが前提になる。年間360万円の枠をフルに使える人と、月に数千円がやっとの人とでは、10年後、20年後に積み上がる資産に、天と地ほどの差がつく。口座を開くのは、誰にでもできる。だが、その口座に、意味のある金額を継続的に入れ続けられるのは、生活に余剰のある層に限られる。NISAは、投資という機会(口座)の平等を広げた。だが、その機会を実際に活かせるかどうか——結果の平等——は、その人の懐具合に、厳しく縛られている。
具体的に想像してみよう。毎月10万円を投資に回せる人と、毎月3千円がやっとの人がいるとする。同じ利回りで運用できたとしても、投じる元手が30倍以上違えば、生み出される利益も、雪だるまのように膨らむ複利の効果も、30倍以上の差になって開いていく。しかも、余裕のある人は、生活防衛のために途中で取り崩す必要がないから、長期の複利をフルに享受できる。一方、ぎりぎりで投資する人は、急な出費のたびに取り崩さざるを得ず、複利が育つ前に、芽を摘んでしまう。同じ制度、同じ利回りでも、『いくら投じ続けられるか』と『いつまで持ち続けられるか』という二つの差が、時間とともに、資産の格差を、指数関数的に拡大させていく。 投資の世界では、「お金がお金を生む」。だが、その最初の「お金」を持っている人と持っていない人の差は、時間が経つほど、埋まるどころか、開いていくのだ。
ここに、別稿で論じた「K字経済」との、深いつながりがある。K字経済では、資産を持つ層と持たない層の間に、分断の線が引かれていた。NISAは、この分断を埋める橋になりうるのか、それとも、広げる坂になりうるのか。扉を開いただけでは、橋にはならない。 余剰資金のない層が扉の前で立ち止まっている限り、NISAの恩恵は、結局、投資に回せる余裕のある層に、より厚く配られていく。次章で、この「傾き」の正体を、さらに掘り下げたい。
第4章:独自の読み②——「非課税」という優遇は、富める人に、より大きく効く
NISAの核心は、「運用益が非課税になる」ことだ。この仕組みは、一見、すべての人に平等に開かれた恩恵に見える。だが、よく考えると、この非課税という優遇は、構造的に、多く投資できる人ほど、大きな恩恵を受けるようにできている。
単純な話だ。運用益にかかる税金が免除されるということは、運用益が大きいほど、免除される税金の額も大きくなる、ということだ。100万円を投資して10万円の利益が出た人が免除される税金と、1,000万円を投資して100万円の利益が出た人が免除される税金とでは、後者のほうが、10倍大きい。投資に回せる元手が多い人ほど、非課税の恩恵という『得』が、雪だるま式に大きくなる。 これは、制度に悪意があるという話ではない。非課税という仕組みが持つ、避けがたい構造的な性質だ。
そして、この構造は、いまの株高と組み合わさると、さらに際立つ。別稿で見たように、日経平均は史上最高値圏にある。この株高の恩恵を、NISAの非課税枠をフルに使って受け取れる余裕層は、その値上がり益を、税金に一切削られることなく、まるごと手にする。一方、投資に回せるお金の乏しい層は、この歴史的な株高の宴に、ほとんど参加できない。株高という追い風と、非課税という優遇が掛け合わさって、資産を持つ層の富を、加速度的に膨らませていく。
だとすれば、NISAは、意図せずして、資産格差を「広げる坂」として機能してしまう危険をはらんでいる。もちろん、これはNISAが悪い制度だという意味ではない。むしろ、投資の裾野を広げた功績は大きい。だが、「みんなに開かれた公平な制度」という見た目の裏で、その恩恵が、実は資産を持つ側に傾いて配られている——この構造を直視しないと、私たちは「NISAで日本全体が豊かになった」という、都合のよい物語に、酔ってしまう。税制による優遇は、しばしば「中立で公平」という顔をしている。だが、その恩恵が「多く持つ人ほど大きい」という性質を持つとき、それは静かに、格差を制度の中に組み込んでしまう。この見えにくい傾きにこそ、注意を払うべきなのだ。
第5章:独自の読み③——「貯蓄から投資へ」の影の動機は、インフレへの恐怖だ
なぜ、いま、これほど多くの人が投資に向かうのか。その動機を、NISAの税制優遇や、株高への期待だけで説明するのは、片手落ちだ。私は、その裏に、もっと切実な「影の動機」があると見ている。インフレへの恐怖だ。
別稿で論じたように、日本の物価は上がり続け、「物価は上がるものだ」という感覚(ノルム)が定着した。人々の予想インフレ率は高止まりしている。この状況で、お金を現金や預金のまま持っていれば、どうなるか。物価が上がるぶんだけ、そのお金で買えるものは減っていく。つまり、現金は、持っているだけで、実質的な価値が目減りしていく。 かつてデフレの時代、現金は「持っているのが最も安全」な資産だった。だが、インフレの時代には、現金を持ち続けることが、じわじわと損をする行為になる。
この変化が、人々を投資へと押し出している。「投資で儲けたい」という前向きな動機だけでなく、「現金のままでは、インフレに食われてしまう」という、後ろ向きの、防衛的な動機だ。新NISAの成功は、制度の魅力の勝利であると同時に、『現金では、もう資産を守れない』という、時代の不安の裏返しでもある。 人々は、期待に胸を膨らませて投資しているというより、恐怖に背中を押されて投資している側面が、少なからずある。
この視点は重要だ。なぜなら、「防衛のための投資」に、いちばん切実に迫られているのは、実は、資産の少ない層だからだ。わずかな貯金がインフレで目減りしていくことの痛みは、余裕のある層より、ぎりぎりで暮らす層にとって、はるかに重い。ところが、その最も切実な層こそ、投資に回す余裕がなく、扉の前で立ち止まっている。インフレから最も資産を守るべき人が、最も投資から遠い——この残酷な逆説が、NISAの公平の欄に、暗い影を落としている。
第6章:独自の読み④——NISAマネーは、日本を潤すのか、円安を招くのか
もう一つ、見落とされがちな視点がある。NISAで集まった巨額のお金は、いったい、どこへ流れているのか。
日本証券業協会の調査によれば、2026年初めのNISA買付額のうち、国内株の買付けが44%を占めた。これは、家計のお金が、日本企業への「成長資金」として供給されているということであり、制度が本来意図した役割の一つを、確かに果たしている。別稿で論じた日経平均の史上最高値も、こうした家計のNISAマネーに、下支えされている面がある。家計が株を買い、株高になり、その株高が資産を潤す——NISAは、この循環の一部に組み込まれている。
だが、話はそう単純ではない。NISAで人気を集める投資信託の多くは、実は、海外の株式に投資するインデックス型だ。世界経済の成長を取り込もうとすれば、成長著しい海外へ投資するのは、合理的な選択だ。だが、これはマクロで見ると、日本の家計のお金が、円を売って外貨に換えられ、海外へと流出していることを意味する。そして、この「円を売る」動きは、別稿で論じた円安の、隠れた一因になりうる。
ここに、静かな皮肉がある。人々は、インフレから資産を守るために、NISAで海外に投資する。だが、その海外投資が円売りを通じて円安を助け、その円安が輸入物価を押し上げて、インフレをさらに悪化させる。家計が自分の資産を守るための行動が、めぐりめぐって、家計を苦しめるインフレと円安を、後押ししてしまう。 一人ひとりの合理的な選択が、全体としては、望まぬ結果を生む。「貯蓄から投資へ」という国策が、意図せず「円から外貨へ」という資本流出を促し、それが通貨の弱さに跳ね返る——この循環の存在は、NISAを語るうえで、忘れてはならない視点だ。
もちろん、これはNISAで海外投資をする個人を責める話ではない。世界に分散して投資するのは、教科書的にも正しく、賢明な選択だ。問題は、個人にとっての正しさが、積み重なると、国全体では別の結果を生む、という「合成の誤謬」にある。何千万もの家計が、それぞれ賢く海外へ資産を逃がせば、その総和は、巨大な円売り圧力になる。個人の防衛が、国の通貨を弱らせ、その弱った通貨が、また個人の生活を脅かす。 この入り組んだ循環を、個人の努力だけで断ち切ることはできない。だからこそ、これは政策の問題なのだ。国内に、海外投資に負けないだけの魅力的な投資先と、成長の機会を育てられるか。家計のお金が、わざわざ海外へ逃げなくても済むような、強い国内経済を作れるか。NISAの成功を、本当の意味で国益に変えられるかどうかは、その一点にかかっている。
第7章:本当の試験は、「上げ相場」ではなく「下落」でやってくる
ここまでの成功は、大きな追い風の中でのものだった。株価は最高値を更新し続けてきた。上がる相場の中で投資を始めれば、資産は増え、「投資は良いものだ」という成功体験が積み上がる。だが、新NISAの、本当の通信簿は、まだ書かれていない。 それは、株価が大きく下落する局面で、初めて確定する。
NISAが掲げる理念は、「長期・積立・分散」だ。短期の値動きに一喜一憂せず、長い目で、こつこつと積み立て、分散して、リスクを抑える。この理念は、正しい。だが、それが機能するのは、投資家が、下落局面でも慌てて売らずに、持ち続けられた場合に限られる。実際、日本総研は、過去に株価が急落した局面で、NISA対象の投資信託から資金が流出し、一定程度が売却された可能性を指摘している。理念では「長期保有」でも、いざ暴落が来れば、初心者ほど恐怖に駆られて売ってしまう。 そして、下落局面での狼狽売りは、損失を確定させ、「投資で損をした」という苦い記憶を残す。
とりわけ、上げ相場の高揚の中で、よく分からないまま投資を始めた層や、少ない余裕資金を投じた層ほど、下落への耐性は弱い。生活に余裕のある層なら、下落を「安く買い増すチャンス」と捉えて持ちこたえられる。だが、ぎりぎりで投資した層は、下落による含み損に耐えられず、最悪のタイミングで売却してしまいかねない。下落局面は、投資家の間の「体力の差」を、残酷なまでに露わにする。 そして、その体力の差は、結局、資産の差、余裕の差に行き着く。
ここで、政府の目標設定の「ズレ」も指摘しておきたい。政府は、NISAの成功を「買付額」や「口座数」で測ってきた。だが、日本総研も指摘するように、本当に大切なのは、家計の「投資残高」——つまり、実際に増えた資産——の倍増だ。買付額71兆円という数字は、「入れたお金」の総額であって、「増えた資産」ではない。下落局面で多くの人が売却すれば、買付額が積み上がっても、家計の資産は増えない。華やかな買付額という指標が、成功を、実態より大きく見せている可能性にも、注意が要る。
第8章:ただし——それでも、NISAは「正しい制度」だ
ここまで、NISAの公平性への懸念を、あえて厳しく論じてきた。だが、公平を期すために、はっきり述べておきたい。これらの懸念があってもなお、NISAは、良い制度であり、正しい方向の政策だ。 その理由を、きちんと置いておく。
第一に、NISAは、投資への門戸を、確実に広げた。少額から始められ、低所得者層にも口座開設が広がった。「投資はお金持ちだけのもの」という壁を、低くした功績は、本物だ。
第二に、インフレの時代において、「現金だけで資産を守る」ことは、もはや最善策ではない。長期・積立・分散という王道の投資は、リスクを抑えながら、インフレに負けない資産形成を可能にする。むしろ、投資から遠ざかることのほうが、いまの時代には損失を意味する。 NISAが、その合理的な選択への入り口を、税制で後押ししていることは、評価すべきだ。
第三に、NISAは、日本人が長年苦手としてきた「お金の教育」に、実践の場を提供している。実際に少額でも投資を経験することは、金融リテラシーを高める、またとない機会だ。
だから、公平な結論はこうだ。問題は、NISAという制度そのものではない。問題は、その恩恵を、いかにして、扉の前で立ち止まっている層にまで、届けるかだ。 未活用の口座を持つ人への働きかけ、女性や若年層への金融教育、そして何より、投資に回す余裕すら持てない層の、生活そのものの底上げ。NISAの公平の欄を「保留」から「合格」へと書き換える鍵は、制度の外側——人々の暮らしの余裕そのものを、どう広げるか——にある。
エピローグ:扉を開けただけでは、まだ足りない
2026年、新NISAは2年目を終え、買付額という華やかな数字で、大成功を収めた。「貯蓄から投資へ」という、長年の悲願は、金額の上では、確かに達成されつつある。だが、その成功が、日本全体を等しく豊かにしているかといえば、答えは、まだ出ていない。
これから注目すべき点を、三つ挙げておく。
- 口座数と未活用率——裾野は、本当に広がるか。 買付額の華やかさに隠れた、参加の偏り。眠ったままの口座や、投資から遠い層に、恩恵が届くかどうか。ここが、NISAが「橋」になるか「坂」になるかの、分かれ目だ。
- 投資残高——「入れたお金」ではなく「増えた資産」。 買付額ではなく、家計が実際に手にした資産の増加を見なければ、本当の成功は測れない。指標のすり替えに、惑わされてはならない。
- 下落局面での耐性。 次に株価が大きく下がったとき、人々は「長期保有」の理念を守れるのか。それとも、狼狽売りで損失を確定させるのか。NISAの真価は、そのとき初めて問われる。上げ相場で始めた多くの新しい投資家にとって、最初の本格的な下落は、投資を続けるか、やめてしまうかの、大きな分かれ道になる。ここでの経験が、「日本人の投資文化」が根づくか、それとも「やっぱり投資は怖い」と再び現金に戻るかを、左右するだろう。
「貯蓄から投資へ」。この号令のもとに開かれた扉を、多くの人がくぐった。それは、間違いなく前進だ。だが、扉を開けただけでは、まだ足りない。 大切なのは、その扉の奥へ、誰もが安心して進んでいけること。余裕のある人だけが富を雪だるま式に増やし、余裕のない人が扉の前で立ちすくむ——そんな未来を招くなら、NISAは、格差を埋める橋ではなく、広げる坂になってしまう。お金の欄のオール5に満足するのではなく、公平の欄の「保留」を、どう「合格」に変えていくか。新NISAの、本当の通信簿は、これから、私たち自身の手で書かれていく。
※本稿の数値は、金融庁「NISA口座の利用状況」、日本証券業協会の調査、日本総合研究所の分析、および日本経済新聞等の2026年の公表資料・報道に基づく。「機会は開いたが結果は開いていない」「非課税は富める人に大きく効く」「NISAマネーと円安の循環」といった読み解きは、筆者の分析である。本稿は特定の投資行動を勧誘・助言するものではない。投資判断は自己責任で、必要に応じて専門家に相談されたい。相場・制度は変動するため、利用時点の最新情報を確認されたい。

