介護離職した同世代の話を聞いて震えた夜のこと
ハローワークで隣に座った男
ハローワークの待合室で、隣に座った男性と、なんとなく話をした。
ハローワークの待合室では、基本的に誰とも話さない。全員が自分の問題を抱えていて、他者に構う余裕がない。だがその日は、珍しく会話が生まれた。きっかけは些細なことだった。求人検索機の使い方がわからないその男性に、操作方法を教えたのだ。
「ありがとうございます。最近来始めたんで、まだ慣れなくて」。男性は私と同年代に見えた。40代半ば。少し疲れた表情。スーツではなくカジュアルな服装。
「前は何をされていたんですか」。聞くつもりはなかったが、自然に出た。
「製造業の正社員だったんですけど、親の介護で辞めたんです」。
介護離職。
この言葉を、ニュースや記事で何度も目にしていた。だが当事者の口から直接聞いたのは、初めてだった。
彼の話
男性は、ぽつりぽつりと話してくれた。ハローワークの待合室は不思議な空間で、見ず知らずの相手にも、なぜか身の上話をしやすい空気がある。同じ困難の中にいる者同士の、暗黙の連帯感があるのかもしれない。
彼は43歳。独身。実家で母親と二人暮らしだった。父親は数年前に他界。母親が認知症を発症し、徘徊が始まった。最初はデイサービスと訪問介護で対応していたが、夜間の徘徊が深刻化し、仕事中に施設から「お母さんがいなくなりました」と電話がかかってくるようになった。
仕事中に電話が鳴るたびに、心臓が跳ねた。電話に出ると「お母さんが見つかりません」。仕事を中断して探しに行く。見つかったら施設に送り届けて、職場に戻る。これが週に2回、3回と繰り返された。
職場に迷惑をかけている自覚があった。頻繁に中座する社員を、上司も同僚も快く思わないだろう。だが介護は自分しかできない。兄弟はいない。親戚も疎遠。自分が対応するしかなかった。
半年間、仕事と介護を両立しようとした。体重が10キロ落ちた。眠れない夜が続いた。仕事のミスが増えた。上司に呼ばれ、「介護のことは大変だと思うが、仕事にも支障が出ている」と言われた。
退職を決めた。15年勤めた会社を辞めた。
介護離職後の現実
退職して、介護に専念した。母親のそばにいられるようになり、夜間の徘徊にも対応できるようになった。母親は少し落ち着いた。だが彼の生活は崩壊した。
収入がゼロになった。貯金を切り崩しながら生活した。介護費用は母親の年金から出したが、自分の生活費は貯金から出すしかなかった。貯金は300万円あったが、月15万円ずつ減っていった。20ヶ月で底をつく計算。
1年半後、母親が特養に入所できた。待機していた順番がようやく回ってきた。母親が施設に入ったことで、彼は介護から解放された。解放されて、仕事を探し始めた。
だが1年半のブランクは、再就職を困難にした。43歳。製造業の経験はあるが、1年半の空白。面接で「なぜ辞めたのですか」と聞かれ、「介護です」と答えると、面接官は理解を示しつつも「また介護で辞めるのではないか」という懸念を持つ。介護離職の経歴が、次の就職のハードルになっている。
「製造業に戻りたいんですが、なかなか」。彼はそう言って、苦笑した。苦笑の奥に、深い疲労が見えた。
震えた理由
彼の話を聞いて、その夜、布団の中で震えた。寒さではなく、恐怖で。
なぜ震えたか。彼の状況が、自分の未来に重なったからだ。
彼と私の状況には共通点が多い。40代。独身。親の介護リスクがある。経済的に余裕がない。兄弟に頼りにくい。
彼は正社員だった。15年の勤続。それでも介護で辞めざるを得なかった。正社員でさえ両立できなかった介護を、派遣社員の私がどう両立できるというのか。
彼は貯金が300万円あった。私は50万円しかない。300万円でも1年半で底をついた。50万円なら3ヶ月で底をつく。3ヶ月。たった3ヶ月で、生活が崩壊する。
彼は製造業の正社員経験があった。私は派遣の事務経験しかない。再就職のハードルは、彼よりも私のほうがはるかに高い。介護離職後に仕事を見つけるのは、彼でも難しいのに、私ならなおさらだ。
彼の現在は、私の未来だ。私の父が倒れた。今は母がなんとか対応してくれている。だが母も74歳だ。母が倒れたら。母が介護を続けられなくなったら。私が対応するしかなくなる。対応するために仕事を辞める。辞めたら50万円が3ヶ月で消える。消えたあとは——。
この未来のシミュレーションが、布団の中で止まらなかった。止まらないまま、朝になった。眠れなかった。
介護離職の統計
介護離職は、年間約10万人と言われている。10万人。毎年10万人が、介護のために仕事を辞めている。
この10万人のうち、再就職できたのは何割か。政府の調査では、介護離職後に再就職できた人は約半数。残りの半数は、無職のまま。あるいは非正規雇用に落ちている。
正社員として再就職できた人はさらに少ない。介護離職前に正社員だった人のうち、再就職後も正社員だった人は3割程度。つまり7割は、正社員の座を失っている。
この数字を見て思う。介護離職は、キャリアの死だ。一度離職すると、元の位置に戻るのは極めて難しい。年齢とブランクのダブルハンデ。このハンデを覆すのは、40代以降ではほぼ不可能に近い。
ハローワークで隣に座った彼は、この統計の中の一人だ。10万人の一人。彼の苦労は統計の数字としては処理されるが、彼自身の人生の重みは、数字では測れない。
介護離職しないための戦略
彼の話を聞いてから、介護離職しないための戦略を真剣に考え始めた。
戦略1。介護保険サービスを最大限に利用する。ケアマネジャーに相談し、使えるサービスをすべて使う。訪問介護、デイサービス、ショートステイ。制度の範囲内で、プロに任せられる部分はプロに任せる。
戦略2。介護休業・介護休暇を知っておく。急な対応が必要なときに、会社を休むための制度を把握しておく。介護休業は最大93日。介護休暇は年5日。これらを計画的に使う。
戦略3。兄弟との分担を明確にする。疎遠でも、介護の分担については話し合う必要がある。費用の分担、対応の分担、緊急時の連絡体制。話し合いは気まずいが、話し合わないまま進めると、後で揉める。揉めると、さらにエネルギーを消耗する。
戦略4。地域包括支援センターに相談する。親の住んでいる地域の包括支援センターに連絡し、利用できるサービスや支援を確認する。知らないサービスがある可能性は高い。知ることが最大の武器だ。
戦略5。自分の生活を崩さない。これが最も重要で、最も難しい戦略だ。介護に没頭して自分の生活が崩壊したら、介護者自身が支援を必要とする側に回る。共倒れを防ぐために、自分の生活を守る。仕事を続ける。貯金を維持する。健康を保つ。
これらの戦略は、頭では理解している。だが実際に介護が始まったとき、冷静にこれらの戦略を実行できるかどうか。感情が先に立つかもしれない。「親が困っているのに仕事を優先するなんて」という罪悪感が、合理的な判断を歪めるかもしれない。
罪悪感と合理性のせめぎ合い。このせめぎ合いの中で、なんとか合理性を保つ。保てるかどうかは、そのときにならないとわからない。わからないが、今のうちに戦略を立てておく。立てておくことで、そのときの判断が少しだけマシになるかもしれない。
彼のその後
ハローワークで話をした彼とは、その後会っていない。連絡先も交換しなかった。ハローワークの待合室での一期一会。
彼が再就職できたかどうか、わからない。できたことを祈っている。製造業に戻れたかどうか。正社員に戻れたかどうか。母親の施設の費用は払えているかどうか。
彼の話は、私の中に残っている。あの夜の震えとともに。あの震えは、恐怖であり、共感であり、自分への警告だった。「明日は我が身」。この言葉の意味を、あれほどリアルに感じた夜はなかった。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。介護離職の不安を抱えている人は、きっと少なくないはずです。

