封筒の中身を見て、閉じた
健康診断の結果が届いた。茶色い封筒。毎年届く、見慣れた封筒だ。
開封する。数値が並んだ紙を眺める。大半の項目は「A」や「B」だ。問題なし、あるいは軽度の所見あり。毎年だいたい同じだ。酒を飲むからγ-GTPが少し高い。運動不足だから中性脂肪が基準値をやや超えている。この程度は想定内。
だが今年は違った。一箇所、「D」がついている。D。「要精密検査」。
紙を二度見した。Dは初めてだ。どの項目かを確認する。詳しくは書かないが、内臓系の数値だった。「精密検査を受けてください」と、赤字で印刷されている。赤字。健康診断の結果に赤字が印刷されている事態の深刻さは、理解している。
理解した上で、封筒を閉じた。
閉じて、引き出しにしまった。しまった理由は単純だ。精密検査を受ける金がない。
精密検査の費用を調べた夜
その夜、スマートフォンで精密検査の費用を調べた。「精密検査 費用」で検索。
出てきた数字に、血の気が引いた。
精密検査の内容にもよるが、血液検査の追加なら3000円から5000円程度。CT検査やMRI検査になると、5000円から15000円。内視鏡検査だと10000円から20000円。保険適用(3割負担)でこの金額だ。
仮に10000円としよう。10000円。私の月の自由に使えるお金は、3万円以下だ。ここから衣服費、日用品、交際費、そして「もしも」のための予備費を出す。10000円は、月の自由裕度の3分の1に相当する。
しかも精密検査は一回で終わるとは限らない。追加の検査が必要になるかもしれない。治療が必要になるかもしれない。治療費は、検査費の比ではない。入院すれば、数十万円単位の出費になる。高額療養費制度があるとはいえ、自己負担限度額は月に数万円。数万円が毎月続くかもしれない。
この金額を、今の家計から捻出できるか。できない。できないから、封筒を閉じた。
検索結果の画面を閉じた。目を閉じた。考えないことにした。考えると怖くなるから。
「考えないことにする」という技術
健康の不安を「考えないことにする」。これは、貧困の中で身につけた生存技術のひとつだ。
考えたところで、金がなければ対処できない。対処できないことを考え続けると、不安が膨らむだけだ。不安が膨らむと、眠れなくなる。眠れなくなると、翌日の仕事に影響する。仕事に影響すると、収入が減る可能性がある。収入が減ると、ますます検査を受けられなくなる。
この連鎖を断ち切るために、「考えない」を選択する。考えないのは無責任だと言われるかもしれない。その通りだ。無責任だ。だが責任を果たすためのリソース(金)がないとき、人間にできるのは「先送り」しかない。先送りは無責任だが、精神的な崩壊を防ぐための緊急避難でもある。
「考えないことにする」技術は、健康の問題だけでなく、あらゆる場面で発動する。老後の資金が足りない。考えないことにする。年金の見込額が少ない。考えないことにする。親の介護費用をどうするか。考えないことにする。
先送りの山が、心の中に積み上がっていく。山は見えないふりをしていれば見えない。だが、ふとした瞬間に視界に入る。夜中にトイレに起きたとき、ふと山が見える。山の大きさに気づいて、心臓がドクンと鳴る。そしてまた目をそらす。
放置した3年間
「D」の結果を放置して、3年が経った。
3年間、精密検査を受けなかった。毎年の健康診断では、同じ項目がD判定のまま残っている。「前回の精密検査結果を持参してください」と健康診断の問診票に書いてあるが、精密検査を受けていないから持参するものがない。問診で「受けていません」と答えると、医師が少し厳しい顔をする。「受けたほうがいいですよ」。知っている。知っているが、金がない。
3年間の間に、何か症状が出たか。幸い、自覚症状はなかった。痛みも、不調も、特にない。これが「大丈夫なのかもしれない」という楽観を支えていた。症状がないなら深刻ではないのだろう、と。
だが医学的には、症状がないことと、問題がないことは別だ。多くの重大な疾患は、初期には自覚症状がない。症状が出たときには、手遅れに近いケースもある。このことは知識として知っている。知っていても、金がなければ検査に行けない。知識と行動の間に、経済力という壁がある。
3年間の放置は、「問題なかった」のではなく、「問題があるかどうか確認しなかった」だけだ。シュレーディンガーの猫のように、箱を開けなければ生死がわからない。私は箱を開けなかった。開けないことで、「問題がない」という可能性を維持していた。
4年目に行った理由
4年目に、ようやく精密検査を受けた。
行った理由は、怖くなったからだ。3年放置している間に、ネットで健康情報を読みすぎた。「この数値が高いまま放置すると、○年後に○○になるリスクが上がる」という記事を何本も読んだ。読むたびに不安が膨らみ、ある日、不安が「考えないことにする」の閾値を超えた。考えないことにしきれなくなった。
金はない。だがこのまま放置して本当に大きな病気になったら、もっと金がかかる。早期発見なら治療費は安い。遅くなるほど高くなる。これは投資と同じ理屈だ。今10000円を払って検査することで、将来の100万円の治療費を防げるかもしれない。費用対効果の問題。
この理屈で自分を説得し、貯金を崩して検査に行った。貯金と言っても、わずかな額だ。それを崩すのは心理的に痛かった。将来の不安に備えて少しずつ貯めていたお金を、今の健康不安のために使う。どちらの不安を優先するか。今の不安が勝った。
結果は、「経過観察」だった。重大な疾患ではなかったが、定期的に検査を受けるよう指示された。定期的に。つまり、半年後にまた10000円。
安堵した。安堵しながら、「半年後の10000円をどう捻出するか」を考えていた。安堵と不安が同居している。健康問題が経済問題にスライドした。体は大丈夫だが、財布が大丈夫ではない。
「健康は自己責任」の暴力性
世の中には「健康は自己管理の結果だ」という考え方がある。健康診断で引っかかるのは、生活習慣が悪いから。再検査を放置するのは、健康意識が低いから。つまり、自己責任。
この自己責任論は、再検査を受けられない人間の存在を想定していない。
再検査を放置しているのは、健康意識が低いからではない。金がないからだ。健康意識が高かろうが低かろうが、財布の中身は変わらない。再検査に行きたいのに行けない。行きたいのに行けない人間を「自己管理ができていない」と断じるのは、的外れだ。
自己管理の前提には、自己管理するためのリソースがある。健康的な食事をするには食費がいる。運動をするには時間がいる。検査を受けるには医療費がいる。これらのリソースが不足している人間に、「自己管理しろ」と言っても、管理するための道具がない。包丁なしで料理しろ、と言っているのと同じだ。
日本は国民皆保険の国だ。保険証があれば、3割負担で医療を受けられる。これは素晴らしい制度だ。だが3割負担の「3割」が払えない人がいる。3割負担で10000円。10000円が払えない人がいる。制度がいくら整っていても、その制度を利用するための「最低限のお金」がない人間には、制度は絵に描いた餅だ。
無料・低額の検診制度を知ったのは最近
精密検査を放置していた3年間のあいだに、もうひとつの事実を知った。自治体が無料または低額で健康診断や各種検診を実施していることだ。
特定健診。がん検診。歯科検診。自治体によって内容は異なるが、40歳以上の住民を対象に、無料または数百円で受けられる検診がある。
知らなかった。3年間知らなかった。誰も教えてくれなかった。広報誌は読んでいなかった。ホームページも見ていなかった。ハローワークの相談員も、転職エージェントも、このことは教えてくれなかった。
知ったのは、たまたまスーパーの掲示板に貼ってあったポスターだった。「40歳からの無料がん検診」。え、無料? 無料だったの?
すぐに自治体のホームページを確認した。確かに、指定の医療機関で無料のがん検診が受けられる。対象年齢、受付期間、予約方法が書いてあった。
これを3年前に知っていたら。3年間放置する必要はなかったかもしれない。3年間の不安を、もっと早く解消できたかもしれない。
「知らない」ということの代償は大きい。制度があっても、知らなければないのと同じだ。そして「知らない」のは、本人の責任だけではない。制度の周知が不十分なのも原因だ。特に、健康リスクが高い低所得層ほど、こうした情報にアクセスしにくい傾向がある。情報格差が、健康格差を拡大する。
「健康」と「お金」の相関関係
健康とお金は、密接に相関している。
お金があれば、健康的な食事ができる。新鮮な野菜、良質なタンパク質、バランスの取れた食事。これらには、相応の食費が必要だ。お金がなければ、炭水化物に偏った食事になる。カップ麺、食パン、もやし。安いが、栄養バランスは悪い。
お金があれば、運動ができる。ジムに通う、プールに行く、ヨガ教室に参加する。月数千円の会費が払える人は、体を動かす機会を買える。お金がなければ、散歩くらいしかできない。散歩でも運動にはなるが、継続のモチベーションが保ちにくい。
お金があれば、予防医療にアクセスできる。人間ドック、オプション検査、歯科検診。早期発見すれば治療費は安い。お金がなければ、予防を飛ばして、症状が出てから病院に行く。症状が出てからでは、治療費は高くなる。
お金があれば、心のケアもできる。カウンセリング、メンタルヘルスの専門医、リラクゼーション。心の健康を維持するにも、コストがかかる。お金がなければ、心の不調を放置するしかない。放置すれば悪化し、仕事に影響し、収入が減り、さらに心が不調になる。
つまり「健康→お金」ではなく、「お金→健康」の因果関係が存在する。お金があるから健康でいられる。お金がないから健康を維持できない。健康格差は、所得格差の反映だ。
健康診断のD判定を放置するのは、「健康意識の問題」ではなく「所得の問題」だ。この認識が広まれば、「自己管理」の一言で片づけられることは減るかもしれない。減ればいいのだが。
引き出しの中の封筒
4年目に精密検査を受けたあとも、最初の封筒は引き出しの中に残っている。捨てていない。
なぜ捨てないのか。自分でもよくわからない。記念として残しているわけではない。戒めとして残しているのかもしれない。「金がなくて健康を後回しにした」という記録として。
引き出しを開けるたびに、あの茶色い封筒が目に入る。入るたびに、「あの3年間」を思い出す。検査に行けなかった3年間。不安を先送りにし続けた3年間。「考えないことにする」技術をフル稼働させた3年間。
あの3年間が、私の体に何らかの影響を残しているかどうかは、わからない。今のところ自覚症状はない。ないが、「ない」のは表面上の話であり、体の内部で何かが進行していないとは限らない。限らないことを、考えないことにしている。また同じ技術の出番だ。
いつかこの封筒を捨てる日が来るだろうか。来るとしたら、それは「お金の心配なく検査を受けられるようになった日」だろう。その日が来たら、封筒を捨てて、引き出しを空にして、代わりに最新の健康診断の結果を入れる。全部A判定の、きれいな結果を。
その日はいつ来るか。わからない。わからないまま、引き出しの中で封筒は眠っている。3年前と同じ場所で、同じ姿勢で。
同じ経験をしている人へ
もしこれを読んでいる人の中に、同じ経験をしている人がいたら。健康診断で「D」や「要精密検査」が出ているのに、金がなくて放置している人がいたら。
ひとつだけ伝えたい。自治体の無料検診を調べてほしい。特定健診やがん検診は、多くの自治体で無料または低額で受けられる。国民健康保険に加入していれば対象になる場合が多い。自治体のホームページか、区役所・市役所の健康推進課に問い合わせてみてほしい。
それで全部カバーできるわけではない。精密検査は無料検診の範囲を超えることもある。だが、最初の一歩としては十分だ。無料で受けられるものは、無料で受ける。そのあとのことは、そのあと考える。
先送りは、緊急避難としてはアリだ。だが永久に先送りするのは、リスクが大きい。私の3年間は、結果的には大事に至らなかったが、それは運が良かっただけだ。運に頼るのは、戦略ではない。
引き出しの中の封筒は、そろそろ開けたほうがいい。開けた先に何があるかは怖い。だが開けないでいることの怖さのほうが、長い目で見れば大きい。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。健康診断の結果を引き出しにしまった経験がある人は、きっと少なくないはずです。
