年下の上司に敬語を使い続ける日々の感情整理

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最初の日のこと

新しい派遣先に配属された初日。挨拶回りで連れて行かれた部署で、上司を紹介された。

「こちらが、このチームのリーダーの○○さんです」。

目の前に立っていたのは、明らかに年下の男性だった。30代前半に見える。名刺を受け取ると、肩書きは「課長代理」。私の社会人歴の半分くらいの年齢の人間が、私の上司になる。

「よろしくお願いします」。敬語で挨拶した。当然だ。相手は上司だ。年齢に関係なく、組織の中では上司に敬語を使う。これは社会人の基本だ。

基本だとわかっている。わかっているのに、敬語を使った瞬間、心のどこかがちくりと痛んだ。痛みの正体は、すぐにはわからなかった。帰り道に考えて、わかった。プライドだ。45歳のプライドが、30代前半の上司に敬語を使うことに、かすかに抵抗していた。

このプライドは不合理だ。年齢と地位は比例しない。能力と年齢も比例しない。年下の上司に敬語を使うことは、何もおかしくない。頭ではわかっている。頭と心が一致しないことは、よくある。

プライドの正体

年下の上司に敬語を使うことに抵抗を感じるプライド。このプライドの正体は何か。

まず、「年齢=経験」という固定観念がある。年上のほうが経験豊富だから、年上が指示を出すのが自然だ、という感覚。この感覚は、年功序列の社会に染みついたものだ。年下が上に立つのは「逆転」であり、逆転には違和感がある。

次に、「自分はもっと上にいるべきだった」という無意識の悔恨がある。45歳で派遣社員。同年代の正社員なら、課長や部長のポジションにいてもおかしくない年齢だ。その「本来いるべきだったポジション」に、年下の人間がいる。年下の上司は、「自分が逃した可能性」の具現化だ。相手に罪はない。ないが、相手の存在が、自分の「ここにいない」を突きつける。

そして、「敬語=服従」という感覚がある。敬語を使うことは、組織上の上下関係を認めることだ。認めること自体は問題ない。だが年下の人間に対して「認める」動作を行うと、なんとなく「負けた」感覚が湧く。何に負けたのかはわからないが、負けた感覚。

これらのプライドは、冷静に考えれば不合理だ。年下の上司は、自分より先にその会社に入り、自分より成果を出し、自分より評価されて、今のポジションにいる。その実力を認めるのは当然だ。年齢は関係ない。

だが「冷静に考えれば」と「実際に感じること」は、別物だ。頭では理解している。心は、ちくちくする。この乖離を抱えながら、毎日敬語を使い続ける。

日常の細かい場面

年下の上司に敬語を使う場面は、一日に何十回とある。

朝の挨拶。「おはようございます」。相手は「おはよう」。この非対称性。私は「ございます」をつけ、相手はつけない。当然だ。上司と部下の関係だから。だがこの「ございます」の有無が、毎朝、関係の非対称性を確認させる。

業務の指示を受ける。「○○さん、これお願いできますか」。「はい、承知しました」。30代の上司が、45歳の私に仕事を振る。私は「承知しました」と答える。内容的には何の問題もない。だが「承知しました」と言うたびに、自分の立ち位置を再確認させられる。

ミスを指摘される。「ここ、ちょっと違ってますね」。「申し訳ありません、修正します」。年下の人間にミスを指摘される。指摘は正しい。ミスをしたのは私だ。だが年下からの指摘は、同年代や年上からの指摘より、少しだけ堪える。堪えるのは不合理だとわかっているが、堪える。

会議での発言。上司が「何か意見ある人?」と聞く。私は意見があっても、言い方に気を遣う。「ちょっと思ったんですが」「素人考えですが」「的外れかもしれませんが」。これらの前置きは、「年下の上司に対して、年上の部下が意見を述べる」という微妙な力学を調整するためのものだ。前置きなしにストレートに意見を述べると、「年上が年下に指図している」と受け取られるリスクがある。

ランチの誘い。上司が「今日ランチ行きません?」と誘ってくれる。「ありがとうございます、ぜひ」。年下の上司とのランチは、仕事の話と雑談の配分が難しい。敬語を崩すタイミングも難しい。相手が砕けてきても、こちらは崩せない。崩すと馴れ馴れしくなるリスクがある。固いままだと距離ができる。このバランス調整に、地味にエネルギーを使う。

年下の上司の側の気まずさ

一方的に自分だけが気まずいわけではない。年下の上司の側にも、気まずさがある。

ある日、上司がぽろっと言った。「年上の方に指示するの、やっぱりちょっと気を遣いますね」。正直な一言だ。上司も気を遣っている。年上の部下に対して、どう接すればいいか、模索している。

上司の立場で考えてみる。部下に年上の人間がいる。仕事の指示を出さなければならないが、年上に命令するのは心理的に抵抗がある。ミスを指摘しなければならないが、年上を叱責するのは気が引ける。評価しなければならないが、年上を低く評価するのは居心地が悪い。

お互いに気を遣い合っている。この相互の気遣いは、良く言えば「配慮」だが、悪く言えば「非効率」だ。年齢を意識しなければ発生しないコミュニケーションコストが、お互いにかかっている。

このコストは、日本特有かもしれない。年齢による上下関係を重視する文化では、年齢と役職の逆転は、双方にストレスを与える。年齢と役職が一致しているほうが、コミュニケーションはスムーズに進む。だが氷河期世代のように、キャリアの出発が遅れた人間は、年齢と役職が逆転する場面に出くわしやすい。

慣れるまでの期間

年下の上司に敬語を使うことに、完全に慣れるまでどのくらいかかるか。

私の経験では、3ヶ月から半年だ。最初の1ヶ月は、毎日がちくちくする。2ヶ月目になると、ちくちくが鈍くなる。3ヶ月目には、敬語を使うことが機械的な動作になる。感情が伴わなくなる。半年も経てば、年下であることを意識しなくなる。ただの「上司」として認識するようになる。

慣れるのは、適応力だ。人間の適応力は優秀で、最初は違和感のあることでも、繰り返していると当たり前になる。当たり前になったとき、プライドの痛みは消える。消えるのか、感じなくなるのか、その区別は微妙だが、実用上は同じだ。

ただし、新しい派遣先に移るたびに、この適応プロセスをリセットしなければならない。新しい上司が、また年下であることは多い。40代後半の派遣社員の上司が30代であることは、珍しくない。そのたびに、ちくちくが再発し、3ヶ月かけて慣れる。この繰り返し。

感情整理の方法

年下の上司に敬語を使い続ける日々。この感情を、どう整理しているか。

方法1。「年齢は関係ない」と自分に言い聞かせる。これは理性的な整理法。組織の中では、役職が上下を決める。年齢ではない。この原則を、何度も自分にリマインドする。

方法2。相手の能力を認める。年下の上司が、なぜそのポジションにいるのかを考える。能力があるからだ。努力したからだ。その能力と努力を、素直に認める。認めれば、敬語を使うことに抵抗が薄れる。

方法3。「自分のプライド」と「自分の価値」を分離する。プライドが傷ついたからといって、自分の価値が下がるわけではない。敬語を使うことで失われるものは、何もない。むしろ、組織のルールに従える柔軟性を持っていることは、強みだ。

方法4。帰り道にリセットする。仕事中に溜まった微細なストレスを、帰り道の散歩や音楽で流す。仕事の人間関係と、自分のプライベートは別物だ。仕事中に使った敬語は、仕事の道具であり、自分の本質ではない。

方法5。このエッセイを書く。書くことで、感情を外に出す。出すと少し楽になる。エッセイは感情のゴミ箱ではないが、感情の整理棚にはなる。

これらの方法を組み合わせて、日々の感情を整理している。完璧に整理できているわけではない。たまにちくりとする日もある。だが整理の方法を持っているだけで、持っていないよりはましだ。

年下の上司でよかったこと

最後に、ポジティブな面も書いておく。

年下の上司から学ぶことは、実は多い。若い世代のITリテラシー、新しいツールの使い方、効率的な仕事の進め方。これらは年上の上司からは学べないことだ。

ある年下の上司は、Excelのマクロを使って業務を自動化する方法を教えてくれた。私はマクロの存在すら知らなかった。教えてもらったおかげで、業務効率が劇的に上がった。プライドが邪魔して教えを請えないのは、損だ。

別の年下の上司は、チームのコミュニケーションにチャットツールを導入した。最初は「メールでいいじゃないか」と内心で思ったが、使ってみると圧倒的に便利だった。古い方法に固執していたのは、自分のほうだった。

年下の上司に敬語を使うことは、プライドの問題だ。だがプライドを横に置いてみると、年下から学べることがたくさんある。学ぶ姿勢を持てれば、年齢の逆転は成長の機会になる。プライドが邪魔をしなければ、の話だが。

45歳にして、30代の上司から学ぶ。この構図を恥ずかしいと思うか、ありがたいと思うか。最近は、ありがたい寄りになってきた。プライドより実利。ちくちくより学び。この優先順位の入れ替えが、40代の適応戦略だ。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。年下の上司との関係に苦労した経験がある人は、きっと少なくないはずです。

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