歯医者に行く金を惜しんだ結果、もっと金がかかった話
最初の違和感は3年前
奥歯に違和感を覚えたのは、3年前のことだ。
冷たいものを飲むと、右の奥歯がしみる。ズキンとくるほどではない。ひやっとする程度。最初は「知覚過敏かな」と思った。知覚過敏用の歯磨き粉に変えてみた。少し良くなった気がした。気がしただけだった。
この時点で歯医者に行けば、おそらく初期の虫歯で済んだだろう。治療費は数千円。保険適用で、1回か2回の通院で終わる。数千円と数時間。それだけの投資で解決できた。
だが行かなかった。数千円が惜しかった。
正確に言えば、数千円の歯科治療費を払うと、今月の食費が苦しくなる。食費が苦しくなると、半額シールの惣菜だけでは足りなくなる。足りなくなると、カップ麺に頼ることになる。カップ麺に頼ると、栄養が偏る。栄養が偏ると、体調を崩す。体調を崩すと——この先の連鎖を想像すると、歯医者の数千円は「今月」ではなく「来月以降」に先送りしたほうがいい、という結論に至る。
先送りの判断は、その月の家計を守った。だが歯を守らなかった。
1年後、痛み始めた
先送りから1年後。冷たいものがしみる程度だった違和感は、何もしなくてもズキズキする痛みに進化していた。進化という言葉は不適切かもしれない。悪化だ。
痛み止めを飲んだ。ドラッグストアで買ったロキソニン。1箱12錠入りで約600円。1日2錠飲むとして、6日分。6日で600円。月に3000円。歯医者に行ったほうが安かったのでは、という計算が頭をよぎるが、痛み止めは「今の痛み」をすぐに解決してくれる。歯医者は予約を取って、行って、治療して、通院して。時間がかかる。時間も金も、両方が必要。両方ないから、痛み止めで凌ぐ。
痛み止めで凌げたのは3ヶ月だった。ある日、痛み止めが効かなくなった。ズキズキがドクドクに変わった。脈打つような痛み。食事ができない。右側で噛めない。左側だけで食べる。偏った噛み方が、今度は左の顎に負担をかける。顎が痛くなり始めた。歯の痛みと顎の痛みのダブルパンチ。
この段階で、ようやく歯医者に行く決断をした。決断というより、もう限界だった。痛みが生活を支配していた。仕事中も痛い。寝ているときも痛い。痛みで眠れない夜が3日続いた。3日目の朝、「もう無理だ」と白旗を揚げた。
歯医者での宣告
近所の歯医者に電話した。「痛みがひどいので、できるだけ早く診てほしい」。幸い、当日の午後に空きがあった。
レントゲンを撮られた。歯科医がモニターを見ながら、少し沈黙した。この沈黙は、良くないサインだ。
「虫歯がかなり進行していますね。神経まで達しています」。
神経まで。つまり、初期虫歯の段階を大幅に超えている。歯の表面を削って詰めるだけでは済まない。根管治療が必要だ。歯の中の神経を取り除き、内部を清掃し、消毒し、詰め物をする。回数にして5回から10回の通院。費用は保険適用で1万円から2万円。
3年前に行っていれば、数千円で済んだ。それが2万円になった。先送りの代償は、金額にして4倍から5倍。通院回数にして5倍以上。時間にして10倍以上。
さらに、歯科医はこう付け加えた。「隣の歯も、ちょっと怪しいですね。こちらも治療が必要になるかもしれません」。痛みを放置している間に、隣の歯にも影響が及んでいた。1本の虫歯を放置した結果、2本の治療が必要になった。
合計の治療費は、概算で3万円を超えた。3年前の数千円を惜しんだ結果、3万円かかった。教科書に載せたいくらいの「安物買いの銭失い」だ。いや、安物すら買っていない。「買わずに済ませた結果の大損」だ。
治療中の苦痛と出費
根管治療は痛い。麻酔をしてくれるが、治療後に麻酔が切れると痛む。帰宅して、また痛み止めを飲む。痛み止め代が加算される。
通院は週1回。毎回の治療費は1500円から3000円。これが2ヶ月以上続いた。毎週3000円×8回=24000円。これに初診料、レントゲン代、投薬代を加えると、3万円を超えた。
3万円。月収の手取りが16万円の人間にとって、3万円は大きい。月の食費とほぼ同額だ。治療期間中、食費をさらに削って歯科治療費を捻出した。半額シールの惣菜すら我慢して、もやしとパスタで食いつないだ。歯を治すために、食事の質が下がる。食事の質が下がると、体調が悪くなる。体調が悪くなると——もうこのループは書くまでもないだろう。
治療は合計10回で完了した。10回。のべ10日、仕事を早退するか遅刻するかして通院した。派遣社員の遅刻・早退は、時給の減算に直結する。通院のたびに、2時間分の時給が消える。2時間×10回=20時間分。時給1200円として24000円。治療費と合わせて、歯の放置の代償は約5万円を超えた。
3年前に数千円で済んだはずの治療が、5万円に化けた。倍率にして10倍以上。投資の世界なら「テンバガー」と呼ばれるが、損失のテンバガーは笑えない。
「予防」は贅沢品なのか
この経験から学んだことは、「予防は最大の節約」だということだ。
初期の段階で治療すれば安い。放置すれば高くつく。これは歯に限らず、健康全般に言えることだ。がんの早期発見、生活習慣病の予防、メンタルヘルスの早期対処。すべて、早い段階で手を打ったほうが安い。
だが「予防」のための出費は、「今すぐ必要な出費」との競合に負けやすい。家賃は来月も払わなければならない。食費は今日も必要。電気代、通信費、交通費。これらの「必須の出費」が先に予算を食い尽くし、予防のための出費は後回しにされる。
予防は「必須」ではなく「推奨」だからだ。今日、歯医者に行かなくても、今日は死なない。今日、健康診断を受けなくても、今日は倒れない。「今日」を凌ぐことが最優先の人間には、「将来のリスクを下げるための出費」は優先度が低い。
これは合理的な判断なのか。短期的には合理的だ。今月の生活を維持することが最優先であり、来年の歯の状態は二の次。だが長期的には非合理だ。数千円をケチった結果、5万円の出費が発生した。短期の合理性が、長期の非合理性を生む。
この矛盾は、経済的余裕のない人間に特有のものだ。余裕があれば、短期も長期も両方ケアできる。今月の家賃も払えるし、歯医者にも行ける。余裕がないから、短期を優先するしかない。短期を優先した結果、長期の負債が増える。負債が増えると、さらに余裕がなくなる。さらに余裕がなくなると、さらに予防を後回しにする。
貧困の連鎖とは、まさにこの構造だ。そして歯の治療は、この構造の最も身近な、最も具体的な事例だ。
歯と貧困の相関
歯の状態と経済状態には、明確な相関がある。
低所得層ほど、虫歯の本数が多い。低所得層ほど、歯科受診率が低い。低所得層ほど、歯の欠損が多い。これは国内外の研究で一貫して示されている事実だ。
理由は簡単だ。歯科治療には金がかかる。定期検診に通う余裕がない。予防歯科の概念にアクセスする機会がない。結果として、歯の問題が深刻化し、治療費がさらに高くなる。
歯は「見える貧困」でもある。歯並びが悪い、歯が欠けている、黄ばんでいる。これらは外見に直結する。外見は、就職面接、婚活、社会生活全般に影響する。歯を治す余裕がないから外見が悪くなり、外見が悪いから就職や婚活で不利になり、不利になるから収入が増えない。ここにも循環がある。
歯の治療は、健康の問題であり、経済の問題であり、社会参加の問題であり、自尊心の問題だ。これだけの多面的な影響を持つのに、「たかが歯」で済まされがちなのは、歯の問題を抱えている人の声が社会に届きにくいからだろう。
今、伝えたいこと
歯医者に行く金を惜しんで、もっと金がかかった。この経験を、同じ状況にいる人に伝えたい。
今、歯に違和感があるなら、できるだけ早く行ってほしい。「お金がない」はわかる。わかりすぎるほどわかる。だが、今の数千円を惜しむと、数年後に数万円になる。これは私が身をもって証明した。
お金がないなら、自治体の歯科検診を利用してほしい。無料または数百円で受けられる自治体がある。また、歯科大学の付属病院は、一般の歯科医院より安いケースがある。治療費の分割払いに対応している歯科もある。
選択肢は、思っているより多い。思っているより多いことを、私は3年間知らなかった。知っていたら、もっと早く行けたかもしれない。知らなかったことの代償は、5万円と10回の通院と、何日もの痛みだった。
歯は、待ってくれない。虫歯菌は、私の財布の中身を確認してから活動するわけではない。お金がないからといって、虫歯の進行は止まらない。止まらないから、早く行く。早く行くことが、長期的には最も安い選択だ。
半額シールのように、歯科治療にも「早い者勝ち」がある。早く行けば安い。遅れると高い。歯の半額セールは、初期治療の段階にしか存在しない。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。歯医者に行く金を惜しんだ経験がある人は、きっと少なくないはずです。
