- はじめに——「人生の10ヶ月」を電車の中で過ごした
- 第1章 22〜25歳の通勤電車——「ぼんやり」の時代
- 第2章 26〜33歳の通勤電車——「スマートフォン登場」の時代
- 第3章 34〜45歳の通勤電車——「読書革命」の時代
- 第4章 「通勤電車の達人」が教える快適通勤術10選
- 第5章 「通勤時間」のコストを計算する——7200時間は「いくら」か
- 第6章 「満員電車」のストレスを科学する——体と心に何が起きているか
- 第7章 「通勤電車」で起きた22年間の「事件」——遅延・人身事故・痴漢冤罪
- 第8章 「通勤電車の中の人間観察」——22年間で見た東京の人々
- 第9章 「各路線」の特徴——22年間で乗った路線の個性
- 第10章 「通勤電車」と「もやし炒め」の共通点——繰り返しの中の発見
- 第11章 「通勤をなくす」3つの選択肢——リモートワーク・地方移住・自転車通勤
- 第12章 「通勤電車の中で読んだ150冊」——読書リストから見える自分の変化
- 第13章 「通勤定期券」の経済学——22年間で定期券にいくら使ったか
- 第14章 「通勤電車」と「健康」——座りすぎ・立ちすぎの身体への影響
- 第15章 「通勤電車」と「季節」——春夏秋冬の車内は別世界
- 第16章 「通勤電車」の未来——自動運転・リニア・人口減少で通勤はどう変わるか
- 第17章 「通勤電車」と「恋愛」——電車の中で誰かに惹かれたことがあるか
- 第18章 「通勤電車」の中で泣いた日——電車は「感情を隠す場所」でもある
- 第19章 「通勤電車」を「哲学の時間」にする——もやし炒めの哲学はここで生まれた
- 第20章 「最後の通勤電車」——65歳の退職日に電車に乗る自分を想像する
- 第21章 「通勤電車」と「お金」の関係——電車の中で「お金の使い方」が変わった
- 第22章 「通勤しない日」の過ごし方——休日の朝に「通勤電車の不在」を感じる
- 第23章 「通勤電車に『ありがとう』と言えるか」——7200時間への感謝と怒り
- 結論——「7200時間を取り戻す」ことはできないが「これからの3600時間」は変えられる
はじめに——「人生の10ヶ月」を電車の中で過ごした
片道40分。往復80分。年間出勤日245日。22年間(空白期間を除く)。80分×245日×22年÷60=約7187時間。約7200時間。300日分。「人生の10ヶ月を電車の中で過ごした」。10ヶ月。赤ちゃんが生まれるまでの期間と同じ。自分は「電車の中で赤ちゃん1人分の時間を過ごした」。その赤ちゃんは——何も産み出さなかった。7200時間は「消えた時間」だ。いや、「消えた」と決めつけるのは早い。7200時間の中に「何があったか」を掘り起こしてみよう。
第1章 22〜25歳の通勤電車——「ぼんやり」の時代
22歳。初めての通勤。東京郊外のワンルームから都心の派遣先まで。電車40分+徒歩10分。朝のラッシュ。乗車率150%。体が斜めに傾いたまま「人間テトリス」の一部として運ばれる。つり革に掴まる。足が浮く。「これが毎日なのか」。毎日だった。22年間。
この時期の電車の中。ぼんやりしていた。窓の外を見る。広告を読む。「英会話スクール」「転職サイト」「保険」。広告を読むしかやることがない。スマートフォンはまだない(2001年。ガラケーの時代)。ガラケーでできるのは「メール」「着メロの設定」程度。電車の中で「有意義なこと」をする手段がなかった。7200時間のうち最初の3000時間(22〜30歳頃)は「ぼんやり」で消費された。
第2章 26〜33歳の通勤電車——「スマートフォン登場」の時代
31歳(2010年頃)。スマートフォンを手に入れた。通勤電車が「エンタメ空間」に変わった。ニュースを読む。SNSをスクロールする。ゲームをする。動画を見る(通信量の制限があるが)。「ぼんやりしていた時間」が「スマートフォンをいじる時間」に変わった。「有意義になったか」と問われれば——なっていない。「ぼんやり→スマートフォン」は「無為→消費」への変化であり、「生産的な時間の使い方」には至っていなかった。
第3章 34〜45歳の通勤電車——「読書革命」の時代
39歳(2018年頃)。通勤電車で「読書」を始めた。きっかけは「通勤時間の革命」という記事を読んだこと(皮肉にも、その記事をスマートフォンで読んだ)。「通勤時間を読書に充てれば、年間100冊読める」。計算してみた。片道40分×2=80分/日。80分で30〜40ページ読める。1冊200ページとして5〜6日で1冊。年間出勤245日÷5.5日=年間約45冊。「年間45冊!」。
読書を始めてからの6年間(39〜45歳)で約200冊を読んだ(通勤時間以外の読書も含む)。通勤時間だけでの読書量は推定約150冊。「通勤電車の中で150冊読んだ」。150冊の知識が「もやし炒めの哲学」「NISAの理解」「公務員試験の情報収集」に役立っている。
「もし22歳から読書していたら」。22年間の通勤時間7200時間のすべてを読書に使っていたら——7200時間÷(80分÷60)÷5.5日×1冊=……計算が複雑だが、ざっくり「年間45冊×22年=990冊」。「990冊読んだ45歳」。教養の深さが段違いだったはずだ。だが過去は変えられない。「39歳から始めた」ことを後悔するのではなく「始めたこと」を肯定する。「遅くても始めたほうがいい」。これが通勤電車の教訓だ。
第4章 「通勤電車の達人」が教える快適通勤術10選
術1は「1本早い電車に乗る」。「7:32発」ではなく「7:25発」に乗る。7分の差で「混雑率が20%下がる」場合がある。座れることすらある。「7分の早起き」のコストは「7分の睡眠」。リターンは「40分の座り読書」。コスパは極めて高い。
術2は「車両を選ぶ」。先頭車両と最後尾車両は「比較的空いている」(階段やエスカレーターから遠いため)。ドア付近は混む。車両の中央部は比較的空く。「空いている場所を知っている」だけで快適度が上がる。
術3は「読書用のカバーをつける」。文庫本にブックカバーをつける。100均で110円。「何を読んでいるか」を隣の人に見られない安心感。
術4は「ノイズキャンセリングイヤホン」。周囲の騒音を消して読書に集中できる。高価(1万〜3万円)だが「通勤時間の質を劇的に改善する」投資。安いものなら3000〜5000円でもノイキャン付きがある。
術5は「立ち読書のフォームを身につける」。片手でつり革。もう片手で本。本は文庫サイズが最適(片手で持てる)。大判の本は電車では読みにくい。電子書籍ならスマートフォンで片手読みが可能。
術6は「降りる駅の1つ手前で本を閉じる」。「読みかけの状態」で降りると「続きが気になって仕事に集中できない」。「きりの良いところで止める」技術。
術7は「ポッドキャストを活用する」。満員電車で「本を開くスペースがない」場合。ポッドキャストなら「耳だけ」で学べる。ビジネス系、教養系、語学系。0円。
術8は「瞑想する」。目を閉じて「呼吸に集中する」。5分間の瞑想で「ストレスが軽減される」。満員電車の中でもできる。「目を閉じているだけ」に見えるが「脳は休息している」。
術9は「雨の日は1本遅らせる」。雨の日は「普段電車に乗らない人」が電車を使うため「いつもより混む」。「1本遅い電車」にすると混雑がマシになる。
術10は「通勤ルートを見直す」。「最短ルート」が「最快適ルート」とは限らない。「10分遅いが座れるルート」のほうが「10分早いが立ちっぱなしのルート」より「読書量が増える」。「時間ではなく質で選ぶ」。
第5章 「通勤時間」のコストを計算する——7200時間は「いくら」か
7200時間を「金額」に換算する。自分の時給は「手取り16万円÷月の労働時間160時間=1000円」。7200時間×1000円=720万円。「720万円分の時間を通勤に使った」。720万円はNISAの現在残高90万円の8倍。「NISAの8倍の価値を通勤電車に捨てた」。もちろん「通勤しなければ給料がもらえない」ので「捨てた」は不正確だが、「通勤以外の方法で仕事に行けたら720万円分の時間を他のことに使えた」のは事実だ。
正社員の同級生Aさんの通勤時間と比較する。Aさんは「徒歩15分の会社」に勤務している(会社の近くにマンションを購入できた)。Aさんの通勤時間:15分×2(往復)×245日×23年÷60=2808時間。自分の通勤時間7200時間との差:4392時間。183日分。「半年分の時間の差」。Aさんはこの4392時間を「家族との時間」「自己研鑽」「趣味」に使えた。自分はこの4392時間を「満員電車の中」で過ごした。「同じ23年間を働いて、通勤だけで半年分の差がつく」。
「通勤時間が短い人ほど幸福度が高い」という研究がある。イギリスの研究では「通勤時間が20分増えるごとに、年収が7%下がるのと同等の幸福度の低下がある」とされている。自分の通勤40分は「年収28%の幸福度低下」に相当。手取り16万円の28%=4万4800円。「通勤のために月4万4800円の幸福を失っている」。年間53万7600円の「幸福の損失」。23年間で1236万円。「1236万円分の幸福を通勤電車に奪われた」。
第6章 「満員電車」のストレスを科学する——体と心に何が起きているか
満員電車。乗車率150%。人と人の間隔が15cm以下。「パーソナルスペース」が完全に侵害される。パーソナルスペースとは「他人に入ってほしくない距離」であり、一般的に「45cm以上」とされている。満員電車では「45cmどころか15cm」。「見知らぬ人の体が自分の体に接触している」。この状態が40分間続く。
満員電車で体に何が起きるか。コルチゾール(ストレスホルモン)の分泌が増加する。血圧が上昇する。心拍数が上がる。交感神経が優位になる(「戦うか逃げるか」の反応が弱いレベルで持続的に起動する)。「満員電車に乗るだけで体がストレス反応を起こしている」。これが「毎日」「40分間」「22年間」続いた。22年間のストレスホルモンの蓄積が「高血圧」「不眠」「胃痛」「パニック障害」の一因になっている可能性がある。
心に何が起きるか。「学習性無力感」。満員電車の中では「自分にはどうすることもできない」。動けない。逃げられない。「状況をコントロールできない」体験が毎日繰り返されると「自分には何もコントロールできない」という「学習性無力感」が形成される。この無力感が「仕事」「人間関係」「人生全般」に波及する可能性がある。「満員電車が人生の無力感を育てた」——大げさに聞こえるが、「毎日40分間の『自分にはどうもできない』体験の蓄積」の影響は無視できない。
「怒り」も蓄積する。隣の人の肘が自分の脇腹に当たる。向かいの人のイヤホンから音が漏れている。後ろの人のリュックが背中に食い込む。急ブレーキで体が傾く。これらの「小さな怒り」が毎日10〜20回発生する。10回×245日×22年=53900回の「小さな怒り」。53900回の怒りが22年間で蓄積された。「怒りの行方」(別稿参照)で述べた「45歳の慢性的な低温の怒り」の一部は「通勤電車の53900回の怒り」が源泉かもしれない。
第7章 「通勤電車」で起きた22年間の「事件」——遅延・人身事故・痴漢冤罪
22年間の通勤電車で「事件」が何度もあった。事件1は「遅延」。年間の遅延回数は路線にもよるが「月2〜4回」。22年間で約660〜1056回の遅延を経験した推定。1回の遅延で「10〜30分のロス」。平均20分として660回×20分=13200分=220時間。「220時間を電車の遅延で失った」。220時間は読書なら73冊分。もやし炒め1320回分の調理時間。「1320回分のもやし炒めの時間を遅延に奪われた」。
事件2は「人身事故」。「電車が止まった。人身事故です」。このアナウンスを22年間で何度聞いたか。推定50〜100回。人身事故のたびに「1〜3時間の運転見合わせ」。振替輸送。大混雑。「人が亡くなった」事実と「電車が来ない」苛立ちが同時に押し寄せる。この複雑な感情を処理するのに精神的なエネルギーが消費される。人身事故の多くは「自殺」であり、「自分と同じ路線で、自分と同じ時間帯に、命を絶った人がいる」事実は——重い。「明日は自分かもしれない」とは思わないが「あの人はどんな人生だったのだろう」とは思う。
事件3は「痴漢冤罪の恐怖」。満員電車で「痴漢に間違えられるリスク」は男性特有の恐怖だ。両手をつり革に上げる。ポケットに手を入れない。女性の近くに立たない。これらの「自衛行動」を22年間続けてきた。「満員電車の中で両手を上に上げ続ける40分間」は「腕が疲れる」が「冤罪のリスクを下げる」ためにやめられない。「痴漢をしない人間が、痴漢冤罪を恐れて両手を上げ続ける」不条理。この不条理も「通勤電車のストレス」の一つ。
事件4は「体調不良」。満員電車の中で「気分が悪くなった」ことが数回ある。過呼吸になりかけた。視界が暗くなった。冷や汗。「もしここで倒れたら——」。37歳のパニック障害の発症は「通勤電車の中」だった。「電車に乗っているとき突然の動悸。呼吸困難。『死ぬかもしれない』と思った」。あの日以来、「電車に乗るのが怖い」時期があった。エスシタロプラムの処方が始まったのはこの出来事がきっかけ。「通勤電車がパニック障害を引き起こし、パニック障害が心療内科の受診につながり、心療内科がエスシタロプラムの処方につながった」。通勤電車が「お薬手帳に新しいページを追加した」。
第8章 「通勤電車の中の人間観察」——22年間で見た東京の人々
通勤電車の40分間。自分以外の乗客を観察してきた。22年間の「人間観察」で見えた「東京の人々」の姿。
観察1は「全員が疲れている」。朝の電車。乗客の表情は一様に「疲れている」。目が虚ろ。口が半開き。肩が落ちている。「この人たちも、行きたくない場所に向かっている」。自分だけが「行きたくない」のではない。全員が「行きたくない」。この共通体験が「連帯感」を生むことはない(全員が黙っているから)が、「自分だけが辛いのではない」と知ること自体が「小さな慰め」になる。
観察2は「スマートフォンの姿勢」。2012年以降(スマートフォン普及後)、乗客の80〜90%が「うつむいてスマートフォンを見ている」。「全員がうつむいている」光景は「異様」だが「日常」。自分も39歳まで「うつむいてスマートフォンを見ていた側」だった。39歳以降は「本を開いている側」になった。「本を読んでいる人」は車両に1〜2人。少数派。だが「少数派であること」に誇りを感じている。「スマートフォンではなく本を選んだ自分」は「多数派に流されなかった自分」だ。小さな誇り。もやし炒めと同じくらい小さな誇り。
観察3は「優先席の攻防」。優先席に座っている若者。高齢者が乗ってくる。若者は——「気づかないフリをしてスマートフォンを見ている」。高齢者は——「立ったまま揺れに耐えている」。この光景を22年間見てきた。自分は優先席に座ることはない(45歳はまだ優先席の対象ではない)が「高齢者に席を譲る」ことはある。譲ると「ありがとう」と言われる。「ありがとう」の一言が「今日の通勤で唯一のポジティブな出来事」になる日がある。
観察4は「同じ車両に乗り続ける常連」。毎日同じ時刻の同じ車両に乗ると「いつも同じ場所に立っている人」がいる。顔は覚えたが名前は知らない。「同じ車両の常連」。22年間で「常連」は入れ替わった。ある日突然「いなくなる」常連がいる。「転勤したのか」「引っ越したのか」「リストラされたのか」。理由は知る由もない。だが「いなくなった」ことに「小さな寂しさ」を感じる。名前も知らない人の「不在」に気づく。これが「22年間同じ車両に乗り続けた人間の感覚」だ。
第9章 「各路線」の特徴——22年間で乗った路線の個性
13社の派遣先を転々とする中で「複数の路線」を経験した。路線ごとに「個性」がある。
中央線。「遅延の王者」。人身事故の頻度が他路線より高い印象(統計的な裏付けはないが体感として)。オレンジ色の車両。朝のラッシュは「壮絶」。新宿駅のホームは「人間の海」。中央線に乗っていた期間は「人生で最もストレスが高かった時期」と重なる。中央線が「ストレスの原因」だったのか「ストレスの高い時期にたまたま中央線だった」のかは不明。
総武線。「庶民の味方」。家賃が安い地域を走るため「自分と似た境遇の人が多い」印象。車内の雰囲気が「中央線より穏やか」。黄色い車両に「親しみ」を感じた。総武線沿線のワンルームに住んでいた時期が最も長い。
地下鉄(東京メトロ・都営)。「空気が悪い」。地下の密閉空間。換気が不十分な古い路線もある。夏は蒸し暑い。冬は暖房が効きすぎて暑い。「地下鉄に乗ると息苦しい」のは「パニック障害の症状」だったかもしれない(37歳以降は地下鉄を避けるようになった)。
私鉄(東急、京王、小田急等)。「比較的快適」。車両が新しい路線もある。座席が柔らかい。車窓の景色がある(地下鉄にはない。景色があるだけで「精神的な余裕」が違う)。読書に集中しやすい。「景色が見える車両で本を読む」は通勤の「ゴールデンタイム」だ。
第10章 「通勤電車」と「もやし炒め」の共通点——繰り返しの中の発見
通勤電車ともやし炒めは「共通点」がある。共通点1は「毎日の繰り返し」。もやし炒めは17年間で2808回作った。通勤電車は22年間で10780回(245日×22年×2回。往復を2回とカウント)乗った。「2808回のもやし炒め」と「10780回の乗車」。どちらも「同じことの膨大な繰り返し」。
共通点2は「繰り返しの中に変化がある」。もやし炒めは「120通りのバリエーション」がある。通勤電車も「同じ路線でも毎日違う」。乗客が違う。天気が違う。遅延の有無が違う。読んでいる本が違う。「同じ」に見えて「毎日微妙に違う」。この「微妙な違い」に気づけるかどうかが「退屈」と「発見」の分かれ目。
共通点3は「コストが安い」。もやし炒め1食60円。通勤電車1回の運賃は200〜400円程度(定期券なら1回あたり100〜200円程度)。どちらも「少ないコストで大きな価値を提供する」。もやし炒めは「60円で1食分の栄養+満腹感+達成感」。通勤電車は「200円で職場への移動+読書の時間+人間観察の機会」。「安いものに価値がある」のはもやし炒めも通勤電車も同じ。
共通点4は「やめたいがやめられない」。もやし炒めを「やめたい」と思ったことはない(美味いから)。通勤電車を「やめたい」と思ったことは何度もある(辛いから)。だが「やめられない」。仕事に行くために。給料をもらうために。もやし炒めの材料費を稼ぐために。「通勤電車に乗る→給料をもらう→もやしを買う→もやし炒めを作る→食べる→体力を回復する→通勤電車に乗る」。循環。もやし炒めと通勤電車は「循環の中の2つの要素」だ。
第11章 「通勤をなくす」3つの選択肢——リモートワーク・地方移住・自転車通勤
選択肢1は「リモートワーク」。コロナ禍(2020年〜)でリモートワークが急速に普及した。IT企業では「フルリモート」の求人も増えている。だが派遣の事務職は「出社必須」が多い。「パソコンの前に座っていれば自宅でもできる仕事」なのに「オフィスに来ることが求められる」。理由は「管理のしやすさ」(出社していれば働いているのが目に見える)と「コミュニケーション」(対面のほうが情報共有が早い)。
「リモートワークができる仕事に転職する」のは選択肢の一つ。だが「45歳の非正規雇用者がリモートワーク可の正社員に転職する」のはハードルが高い。ITスキルが必要。面接で「なぜリモートワークを希望するのか」を説明する必要がある(「通勤電車が嫌だから」では不十分)。「Webデザイン」「プログラミング」「ライティング」のスキルがあればフリーランスとして「完全在宅」も可能だが、スキル習得に数百時間の勉強が必要。「通勤をなくすために数百時間勉強する」投資対効果は——長期的には高い。「数百時間の勉強」で「残り20年間の通勤3600時間がゼロになる」。投資3百時間でリターン3600時間。ROI1200%。
選択肢2は「地方移住」(方言を捨てた日参照)。地方に移住すれば「通勤時間が劇的に短くなる」。車で15分。自転車で10分。徒歩で20分。「片道40分の電車」が「片道15分の車」に変わる。往復で50分の節約×245日×20年=約4083時間の節約。4083時間は読書1361冊分。「地方に移住するだけで1361冊読める時間が生まれる」。
選択肢3は「自転車通勤」。職場まで「自転車で30分圏内」なら自転車通勤が可能。中古の自転車は5000〜15000円。定期代が月1万円なら「1〜2ヶ月で元が取れる」。自転車通勤のメリット:運動になる(散歩の代わり。有酸素運動で心肺機能向上)。定期代の節約(年間12万円の節約。20年で240万円)。通勤ストレスの軽減(満員電車のストレスがゼロ)。デメリット:雨の日が辛い。夏は汗だく。冬は寒い。事故のリスク。「デメリットを上回るメリット」があるかどうかは「職場との距離」と「体力」次第。
第12章 「通勤電車の中で読んだ150冊」——読書リストから見える自分の変化
39歳から6年間。通勤電車の中で約150冊を読んだ。150冊を「テーマ別」に分類すると「自分の変化」が見える。
39〜40歳(約30冊)。テーマ:「お金」「節約」「投資」。NISAの本。節約術の本。封筒管理法の本。この時期は「お金に飢えていた」。「手取り16万円で何とかする方法」を必死に探していた。読書の動機は「生存」。
41〜42歳(約35冊)。テーマ:「心理学」「メンタルヘルス」「認知行動療法」。パニック障害と診断された後。「自分の心に何が起きているのか」を理解したかった。「不安ノート」の技術はこの時期に読んだ本で学んだ。読書の動機は「回復」。
43〜44歳(約40冊)。テーマ:「歴史」「哲学」「社会学」。「なぜ氷河期世代は苦しいのか」を「社会の構造」から理解したかった。「自己責任論」への反論を「歴史と社会学の知識」で武装した。ストア哲学を学び「変えられないものは受け入れる」技術を身につけた。読書の動機は「理解」。
45歳(約15冊。途中)。テーマ:「エッセイ」「ノンフィクション」「他者の人生」。「自分以外の人の人生」を知りたくなった。「同じような境遇の人がどう生きているか」。「まったく違う世界の人がどう生きているか」。読書の動機は「共感」と「視野の拡大」。
読書の動機の変遷。「生存→回復→理解→共感」。これは「マズローの欲求段階説」に似ている。「生理的欲求(生存)→安全の欲求(回復)→社会的欲求(理解・共感)」。読書のテーマが「欲求の段階」に対応している。「今、何を読みたいか」で「今、自分が何を求めているか」がわかる。通勤電車の40分は「自分の欲求を映す鏡」だ。
第13章 「通勤定期券」の経済学——22年間で定期券にいくら使ったか
通勤定期券の費用を推定する。月の定期券代は路線と距離によるが、平均的な東京の通勤で「月1万〜1万5000円」。派遣社員の場合「交通費が支給される」ケースと「されない」ケースがある。自分の場合、13社の派遣先のうち「交通費支給あり」が8社、「交通費支給なし」が5社。
交通費支給なしの5社での自己負担。推定月1万2000円×各社の在籍期間(合計約4年間)=月1万2000円×48ヶ月=57万6000円。「57万6000円を自腹で通勤費に使った」。57万6000円はNISAの残高90万円の64%に相当する。「NISAの6割分を通勤のために自腹で払った」。2020年以降、派遣社員にも「同一労働同一賃金」の原則で交通費が支給されるようになったが、それ以前は「交通費なし」が珍しくなかった。「交通費が出ない=通勤するだけで赤字」の状態で22年間の一部を過ごした。
交通費支給ありの8社での定期券代。全額支給(会社負担)。月1万2000円×8社の在籍期間(合計約18年間)=月1万2000円×216ヶ月=259万2000円。「259万2000円分の通勤費を会社に負担してもらった」。この259万円は「目に見えない福利厚生」であり「給料に含まれない報酬」だ。
22年間の通勤費総額(自己負担+会社負担)。57万6000円+259万2000円=316万8000円。「316万円を通勤に使った」。316万円でもやし炒めを作れば5万2800食分。「5万2800食分のもやし炒め代を通勤費として消費した」。リモートワークならこの316万円が「ゼロ」になる。316万円の節約。「リモートワークの経済的価値は316万円」。
第14章 「通勤電車」と「健康」——座りすぎ・立ちすぎの身体への影響
通勤電車の40分間。「立っている」か「座っている」かで「体への影響」が異なる。
立っている場合(朝のラッシュ。大半はこちら)。40分間立ちっぱなし。つり革に掴まる。体がゆれる。「体幹が鍛えられる」——は冗談だが、実際に「電車の揺れに対応してバランスを取る」行為は「微弱なエクササイズ」であり、「完全に座って動かない」よりは「わずかにカロリーを消費する」。ただし「40分間立ちっぱなし」は「腰への負担」がある。特に「満員電車で不自然な姿勢を強いられる」場合、腰痛の原因になりうる。32歳で始まった腰痛の一因は「通勤電車の立ちっぱなし」かもしれない。
座っている場合(帰りの電車。たまに座れる)。座ると「腰の負担」は軽減されるが「座りすぎ」の別のリスクが生じる。座りすぎは「エコノミークラス症候群(深部静脈血栓症)」のリスクを高める。40分程度では「リスクは低い」が、「通勤40分+仕事中8時間のデスクワーク+帰りの通勤40分」=合計9時間20分の「座りっぱなし」は「リスクが無視できない」レベル。対策:1時間に1回立ち上がる(仕事中)。通勤電車の中でつま先立ちを繰り返す(ふくらはぎのポンプ運動。血流を促進する)。
第15章 「通勤電車」と「季節」——春夏秋冬の車内は別世界
春の通勤電車。花粉症の季節。車内は「マスクとくしゃみの海」。自分もマスクをしてフェキソフェナジンを飲んで乗る。「花粉症の人間同士の無言の連帯感」。全員が鼻をすすっている。全員が目をこすっている。「つらいのは自分だけじゃない」。車窓から桜が見える路線では「桜を見ながら鼻をかむ」シュールな光景。春の通勤電車は「美しさと苦しさの混在」。
夏の通勤電車。地獄。冷房が効いた車両に乗れれば「天国」。冷房の風が当たる場所を「毎日同じ位置」で確保する技術。「冷房の吹き出し口の真下」が「夏の通勤のベストポジション」。だが「冷房が効きすぎる車両」もあり、「冷房の寒さと外気の暑さの温度差」で体調を崩すリスク。「夏は上着を持って乗る」。薄手のカーディガン(ワークマンで980円)。
秋の通勤電車。最も快適な季節。気温が穏やか。車内の温度も快適。読書に集中しやすい。「秋の通勤電車は読書のゴールデンシーズン」。10〜11月の2ヶ月間で「年間の読書量の3割」を稼ぐ。
冬の通勤電車。暖房が効いている。だが「暖かすぎる」車両がある。コートを着たまま暖房の効いた車両に乗ると「暑い→汗をかく→外に出ると冷える→風邪を引く」パターン。「冬の通勤は重ね着で温度調節する」。コートの下にフリース。暑ければフリースを脱ぐ。寒ければ着る。「温度調節の自由度」が「冬の通勤の快適度」を決める。
第16章 「通勤電車」の未来——自動運転・リニア・人口減少で通勤はどう変わるか
20年後の通勤電車はどうなっているか。変化1は「人口減少による混雑の緩和」。日本の人口は減少を続けている。通勤者の数も減る。「満員電車」が「乗車率120%→100%→80%」に改善される可能性がある。「座れる通勤」が実現するかもしれない。20年後の65歳の自分はもう通勤していないが(退職しているから)、「今の若者は20年後に座れる電車に乗れるかもしれない」。少し羨ましい。
変化2は「リモートワークのさらなる普及」。AI技術の進化で「オフィスに行かなくても完結する仕事」が増える。「通勤する人」の割合が減り、「通勤しない人」の割合が増える。「通勤電車」そのものの需要が減る。20年後、通勤電車は「今の半分の本数」になっているかもしれない。「通勤電車の消滅」は——自分にとっては「朗報」だが、「鉄道会社にとっては減収」であり「地域経済にとっては影響大」。
変化3は「自動運転」。電車の自動運転は一部路線で既に実現している(ゆりかもめ等)。20年後にはJRや私鉄の主要路線でも自動運転が導入されている可能性がある。「運転士がいない電車」に乗ることになるかもしれない。運転士がいなくなると「人件費が削減→運賃が下がる」可能性がある。通勤費の節約。
「通勤電車がなくなる時代」が来るかもしれない。全員がリモートワーク。全員が自宅で仕事。「電車に乗る」こと自体が「過去の文化」になる時代。その時代の人が「22年間通勤電車に乗り続けた人がいた」と聞いたら——「なんで? 自宅で仕事すればいいのに」と思うだろう。「そうしたかった。でもできなかった」。これが氷河期世代の返答だ。
第17章 「通勤電車」と「恋愛」——電車の中で誰かに惹かれたことがあるか
22年間の通勤電車。10780回の乗車。「電車の中で誰かに惹かれたことがあるか」。正直に答える。——ある。26歳の頃。毎朝同じ車両に乗る女性がいた。ショートカットで、文庫本を読んでいた。「本を読む人だ」。それだけで「好感度」が上がった。2ヶ月間、毎朝その女性と同じ車両に乗った。「話しかけたい」が「話しかけられない」。「通勤電車で女性に話しかける」のは「迷惑行為」に近い。「ナンパ」と思われたら終わりだ。結局、話しかけないまま、ある日その女性は「いなくなった」。転勤か。引っ越しか。退職か。理由はわからない。名前も知らない。ただ「毎朝文庫本を読んでいた女性」として記憶に残っている。
「通勤電車で恋愛が始まる」のは「ドラマの中の話」であり「現実には極めて難しい」。理由1は「コミュニケーションの場ではない」。電車は「移動の手段」であり「出会いの場」ではない。全員が「黙って目的地に向かっている」空間で「声をかける」のは「異質な行為」。理由2は「繰り返し会える保証がない」。同じ車両に毎日乗るとは限らない。「明日も会える」保証がないのに「関係を始める」のは心理的ハードルが高い。理由3は「手取り16万円の自分に『自信がない』」。「話しかけても、自分のスペック(派遣社員・手取り16万円・6畳ワンルーム)を知られたら引かれるだろう」。自己肯定感の低さが「話しかける勇気」を奪う。
「通勤電車で出会いはなかった」。これは「通勤電車の22年間で得なかったもの」の一つ。7200時間を「誰とも話さず」過ごした。7200時間あれば「何回デートできたか」。「何人と出会えたか」。だが通勤電車は「出会いの場」ではなかった。出会いの場は「別のところ」に求めなければならない。通勤電車は「移動と読書の場」と割り切る。割り切れば「失望」がない。割り切れなかった26歳の自分は「文庫本の女性」への淡い思いを抱えたまま22年間を過ごした。今でもたまに「あの人は今どこで何をしているだろう」と思う。思うだけ。それ以上は何もできない。
第18章 「通勤電車」の中で泣いた日——電車は「感情を隠す場所」でもある
電車の中で泣いたことがある。3回。
1回目。25歳。消費者金融に初めてお金を借りた日の帰り。電車の中で「自分はここまで落ちたのか」と思い、涙が出た。周囲の乗客は——気づいていない。全員がスマートフォン(当時はガラケー)を見ている。「泣いている人」に「気づかない」か「気づいても見て見ぬふりをする」。東京の電車は「感情を隠すのに最適な場所」だ。「泣いても誰にも気づかれない」。プライバシーがない空間なのに「最もプライベートな感情」を隠せる。矛盾しているが——事実。
2回目。30歳。派遣切りされた翌日。「出勤しなくていい」電車に乗った。「行く場所がないのに電車に乗っている」奇妙さ。行き先がないから「終点まで乗って、折り返した」。往復2時間。その2時間の中で「自分はどこに行くのだろう」と思い、涙が出た。「物理的な行き先」がないだけでなく「人生の行き先」もわからなかった。30歳。10年間の社会人生活の「成果」がゼロ。「ゼロの自分」を乗せた電車が「終点」に着く。終点で降りて「折り返す」。「折り返す=人生をやり直す」のメタファー——にはならなかった。ただ「同じ景色を逆方向に見た」だけだった。
3回目。37歳。パニック障害で電車に乗れなくなった後、「初めて電車に復帰した日」。エスシタロプラムを飲み始めて2ヶ月。「もう一度電車に乗ろう」と決意した。ドアが開く。乗り込む。ドアが閉まる。心臓がバクバクする。「大丈夫、大丈夫」と心の中で唱える。電車が動き出す。1駅。2駅。3駅。「乗れている」。パニック発作は起きていない。「乗れた」。安堵の涙。「電車に乗れた」。こんな当たり前のことが「達成」になる人生。でも「達成」は「達成」だ。小さくても。
3回の涙。すべて「一人で泣いた」。泣いたことを「誰にも話していない」。電車は「泣ける場所」でもあった。自宅で泣くと「壁に向かって泣いている惨めさ」がある。電車で泣くと「人混みの中の匿名の涙」であり「惨めさが薄まる」。「みんなの中で一人で泣く」のは「一人で一人で泣く」より「少しだけ楽」。電車は「匿名の涙の避難所」。
第19章 「通勤電車」を「哲学の時間」にする——もやし炒めの哲学はここで生まれた
「もやし炒めの哲学」はどこで生まれたか。台所ではない。散歩中でもない。「通勤電車の中」で生まれた。電車に揺られながら「なぜ自分はもやし炒めを17年間食べ続けているのか」と考えた。「安いから」。それだけか。「安い」だけなら「カップ麺」でもいい。「もやし炒め」を「選んでいる」理由は何か。
「自分で作っているから」。この答えに至ったのが「通勤電車の哲学の始まり」だった。「自分で作る」行為に「価値」があると気づいた。「自分の手でフライパンを振る」「自分の感覚で味付けを調整する」「自分の皿に盛り付ける」。これらの「自分で」の連続が「自己効力感」を生み、自己効力感が「もやし炒めの美味さ」を「60円以上の価値」に引き上げている。
この「気づき」は「通勤電車の40分間の思索」から生まれた。電車の揺れが「瞑想」に似た効果を生み、「日常の中の問い」を「深く考える時間」に変えた。通勤電車は「移動手段」であると同時に「哲学の教室」だった。2808回のもやし炒めと10780回の乗車。もやし炒めが「体」を作り、通勤電車が「哲学」を作った。どちらが欠けても「今の自分」はいない。
「通勤電車の哲学」のテーマは多岐にわたる。「なぜ発泡酒は美味いのか」(感謝の能力と希少性の原理)。「なぜ100均で十分なのか」(必要十分の概念)。「なぜ散歩が心を癒すのか」(運動と精神の関係)。「なぜNISAを続けるのか」(複利と時間の関係)。これらの「問い」はすべて「通勤電車の中で生まれ、通勤電車の中で考え、通勤電車の中で答えに至った」。7200時間の通勤時間は「7200時間の哲学」を生んだ。哲学の単価は「通勤定期代÷哲学の量」。計算するのは野暮だが——「安い」。
第20章 「最後の通勤電車」——65歳の退職日に電車に乗る自分を想像する
65歳。退職日(公務員シナリオの場合。派遣の場合は「最後の契約日」)。朝、いつもと同じ時刻に起きる。いつもと同じ服を着る。いつもと同じ駅に向かう。いつもと同じホームに立つ。いつもと同じ電車に乗る。だが今日が「最後」だ。「最後の通勤」。
最後の電車の中で何をするか。本を読む——いや、今日は本を閉じよう。車窓を見よう。22年間(公務員になってからなら18年間)見続けた「車窓の景色」を最後にもう一度見る。「あのビルは22年前にはなかった」「あの公園は昔はもっと木があった」「あの橋は架け替えられた」。景色の変化が「時間の流れ」を可視化する。自分も変わった。22歳のときは「ぼんやり」していた。45歳のときは「本を読んでいた」。65歳の今は「景色を見ている」。「ぼんやり→本→景色」。通勤電車の中での「行為の変遷」が「人生の変遷」を映している。
最後の電車を降りる。改札を出る。「もう、この改札を通ることはない」。定期券を返す。「22年分(または43年分)のありがとう」を心の中で言う。駅員には言わない。「ありがとう」を言う相手は「駅員」ではなく「通勤電車という時間」だ。7200時間(または1万5000時間)の時間にありがとう。「退屈だった」「辛かった」「泣いた」「本を読んだ」「哲学を考えた」「もやし炒めの味付けを考えた」。すべてが通勤電車の中で起きた。すべてが「自分を作った」。
帰宅する。もう「通勤」はない。明日の朝、目覚ましは鳴らない。「電車に乗らなくていい朝」。嬉しいはずだ。嬉しい——はずだが「少しだけ寂しい」かもしれない。「毎日40分の強制的な読書時間」が消えるからだ。「通勤がなくなれば読書量が減るかもしれない」。通勤電車は「強制読書装置」として機能していた。「強制」がなくなったとき「自発的に読書できるか」。できる——と信じたい。「もやし炒めは強制されなくても作り続けている」。読書も同じだろう。「習慣になったもの」は「強制がなくても続く」。22年間の通勤電車が「読書の習慣」を体に刻み込んだ。体に刻まれた習慣は「通勤電車がなくなっても消えない」。
65歳の夕食。もやし炒めを作る。発泡酒を開ける。「今日で通勤が終わった」。プシュッ。ゴクッ。「ふぅ」。この「ふぅ」は「22年間お疲れさまの『ふぅ』」であり「新しい日常の始まりの『ふぅ』」でもある。明日から「通勤のない朝」が始まる。読書は「ソファで」する。散歩は「通勤ルートだった道」を「散歩ルート」に変える。「かつての通勤路を散歩する65歳」。同じ道。同じ景色。だが「急ぐ必要がない」。「急がない通勤路」は——「通勤路」ではなく「散歩道」だ。22年間急いで歩いた道を、65歳の自分は「ゆっくり歩く」。ゆっくり歩けば「見えなかった花」が見える。「聞こえなかった鳥の声」が聞こえる。7200時間を急いで通り過ぎた道に「ゆっくり出会い直す」。それが「通勤電車の22年間の、最後のご褒美」だ。
第21章 「通勤電車」と「お金」の関係——電車の中で「お金の使い方」が変わった
通勤電車の中で読んだ「お金の本」が人生を変えた(読んだ本260冊参照)。38歳のとき、通勤電車の中で「インデックス投資の本」を読んだ。「月1万円を年利5%で20年間積み立てると411万円になる」。この一文を読んだ瞬間の衝撃を、今でも覚えている。「411万円!」。手取り16万円の自分にとって411万円は「夢のような金額」だった。「夢が、月1万円で実現する」。この本を読み終わったのは「電車が目的地に着く5分前」だった。降車して、すぐにスマートフォンでSBI証券のウェブサイトを開いた。「NISA口座の開設方法」を調べた。翌週にはNISA口座を開設していた。
「通勤電車の40分間に読んだ1冊の本」が「NISA口座の開設」を生み、NISAの口座が「7年間で90万円の資産」を生んだ。「40分の読書→90万円」。時給換算すると——90万円÷40分×60=1350万円/時。「時給1350万円の読書」。もちろんこの計算は「その後の7年間の積立の成果」をすべて「40分の読書」に帰属させているので「不正確」だが、「きっかけとなった40分」がなければ「90万円は存在しなかった」のは事実。「通勤電車の1回の乗車が90万円の価値を生んだ」。7200時間の通勤のうち「最も価値の高い40分」。
お金の本以外にも「通勤電車で読んだ本」が「お金の使い方」を変えた。節約の本→封筒管理法の導入→月の支出の可視化→無駄遣いの削減→年間5万円の節約。料理の本→もやし炒めのバリエーション拡大→食費の最適化→年間3万円の節約。健康の本→散歩の開始→医療費の間接的な削減→年間1万円の節約。「通勤電車で読んだ本の合計節約効果」は年間約9万円。7年間で約63万円。「通勤電車の読書が63万円の価値を生んだ」。NISAの90万円と合わせると153万円。「通勤電車の読書が153万円の価値を生んだ」。
「通勤時間は無駄」と嘆く前に「通勤時間を読書に変えたら153万円の価値が生まれた」事実を思い出す。153万円は「手取り16万円の約10ヶ月分」。「10ヶ月分の給料を通勤電車の読書で稼いだ」。通勤電車は「時間を奪う装置」であると同時に「使い方次第で価値を生む装置」だ。「装置の使い方」を知っているかどうかで「7200時間の価値」がゼロにも153万円にもなる。
第22章 「通勤しない日」の過ごし方——休日の朝に「通勤電車の不在」を感じる
土曜日の朝。目が覚める。6時30分。「今日は電車に乗らなくていい」。この認識が「土曜日の最初の幸福」だ。「乗らなくていい」の幸福。平日に「乗らなければならない」からこそ、休日の「乗らなくていい」が幸福になる。「幸福は苦痛の裏返し」。通勤電車の苦痛が「休日の朝の幸福」を生んでいる。
休日の朝。通勤に使わない80分がある。この80分を「何に使うか」。「もやし炒めの朝食版」を作る(20分)。散歩に出る(30分)。読書する(30分)。合計80分。「通勤の代わりに、料理+散歩+読書」。「通勤電車の80分」が「自分のための80分」に変わる。「電車の中の80分」と「自宅+外の80分」。同じ80分でも「質」がまるで違う。「自分で選んだ80分」は「強制された80分」の10倍の幸福度がある。
「毎日が休日だったら」。つまり「毎日の80分が自分のものだったら」。年間365日×80分÷60=487時間。487時間を「読書」に使えば162冊。「散歩」に使えば487時間×4km/h=1948km(東京から沖縄まで歩ける距離)。「もやし炒めの新バリエーション開発」に使えば487時間÷10分/回=2922回の試作。「通勤がなくなれば、年間162冊読み、1948km歩き、2922回のもやし炒めを試作できる」。夢のような数字だ。だが「通勤がなければ給料がない」。「給料がなければもやし炒めの材料費が出ない」。通勤は「嫌だが必要」。もやし炒めのための通勤。通勤のためのもやし炒め。「循環」。循環から抜け出せるのは「退職の日」だけ。その日まで——あと20年。あと20年分の通勤。あと20年分のもやし炒め。「あと20年」を「長い」と感じるか「短い」と感じるか。22年間を乗り越えた自分にとって「あと20年」は——「もう折り返した」。折り返し地点を過ぎた。後半戦。後半戦は「前半戦で学んだ技術」で乗り切る。読書。もやし炒め。散歩。NISA。推し。この5つの「武器」で。
第23章 「通勤電車に『ありがとう』と言えるか」——7200時間への感謝と怒り
通勤電車に「ありがとう」と言えるか。正直に答える。「半分ありがとう、半分ふざけるな」。
「ありがとう」の部分。通勤電車がなければ「読書の習慣」は生まれなかった。通勤電車がなければ「NISAの本」に出会わなかった。通勤電車がなければ「もやし炒めの哲学」は生まれなかった。通勤電車がなければ「7200時間の人間観察」で「東京の人々の疲れた顔」を見ることも「自分だけが辛いのではない」と知ることもなかった。通勤電車は「強制的に与えられた時間」であり、その時間の中で「自分を鍛えた」。鍛えてくれたことに——「ありがとう」。
「ふざけるな」の部分。7200時間を「自分の意志で使いたかった」。読書に使ったのは「最後の6年間の1500時間」だけ。残り5700時間は「ぼんやり」と「スマートフォン」で消えた。「もっと早く気づいていれば」5700時間を「読書」に使えた。5700時間÷80分×1冊=4275冊。「4275冊読めたかもしれない時間を無駄にした」。この「無駄」は「通勤電車のせい」ではなく「自分のせい」だが、「通勤電車がなければそもそも7200時間を失わなかった」のも事実。「通勤電車という制度がなければ」——リモートワークで自宅から仕事をし、7200時間を「完全に自分の意志で使えた」。「通勤という制度が7200時間を奪った」ことへの怒り。
「ありがとう」と「ふざけるな」が同居している。もやし炒めへの感情と同じだ。「もやし炒めしか食べられないことへの悲しみ」と「もやし炒めが美味いことへの感謝」。「通勤電車に乗らなければならないことへの怒り」と「通勤電車の中で読書革命が起きたことへの感謝」。感情は「単一」ではない。「ありがとう」と「ふざけるな」は同時に存在できる。同時に存在する感情を「そのまま抱える」ことが「45歳の成熟」だ。22歳のときは「ふざけるな」だけだった。45歳の今は「ありがとう」も加わった。「ふざけるな+ありがとう」=「複雑な大人の感情」。通勤電車が——この「複雑さ」を教えてくれた。最後の感謝は、これだ。「複雑な感情を抱えて生きる力」を教えてくれて——ありがとう。
結論——「7200時間を取り戻す」ことはできないが「これからの3600時間」は変えられる
22年間の通勤7200時間。そのうち有意義に使えたのは最後の6年間の約1500時間(読書)。残り5700時間は「消えた」。5700時間は237.5日分。8ヶ月分の人生。「8ヶ月分の人生を失った」。この事実は変えられない。だが「これからの通勤時間」は変えられる。45歳から65歳まで20年間の通勤時間は約3600時間。この3600時間をすべて「読書」に使えば——年間45冊×20年=900冊。900冊。「900冊読んだ65歳」は「教養の王者」だ。
明日の朝。電車に乗る。文庫本を開く。40分間読む。帰りも40分間読む。1日80分の読書。たったこれだけ。たったこれだけで「通勤電車」が「移動図書館」に変わる。もやし炒めと同じだ。「フライパンを振る10分」で「60円の夕食」が生まれるように、「本を開く80分」で「0円の教養」が生まれる。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

