はじめに——「投票しても何も変わらない」は本当か
選挙の日。日曜日。「投票に行こうかな」。5秒考える。「行っても何も変わらないし」。行かない。もやし炒めを作って、発泡酒を飲んで、散歩して、本を読んで、1日が終わる。投票に行かなかった日曜日。こういう日曜日を——何回過ごしただろうか。23年間で国政選挙は約10回。地方選挙を含めれば20回以上。そのうち投票に行ったのは——3〜4回。投票率30%以下。「国民の義務」を果たしていない。
「投票しても何も変わらない」。この言葉は「合理的」に聞こえる。1億人の有権者の中の「自分の1票」。1億分の1。「1億分の1の影響力」で「何が変わるのか」。数学的には正しい。だが——「数学的に正しい」と「政治的に正しい」は別だ。
第1章 「氷河期世代371万人」が全員投票したら何が起きるか
氷河期世代の非正規雇用者は約371万人。この371万人が「全員同じ候補者に投票した」と仮定する。衆議院の小選挙区は289選挙区。1選挙区あたりの平均有権者数は約36万人。371万人÷289選挙区=1選挙区あたり約1万2800人。小選挙区の「当選と落選の差」は数千〜数万票であることが多い。「1万2800人の票」が一方に入れば——「選挙結果を変えられる選挙区が複数ある」。
もちろん「371万人が全員同じ候補者に投票する」のは非現実的だ。だが「371万人の投票率が10%上がる」だけでも約37万票が追加される。37万票は——「政党の議席数を数議席変える」規模であり「連立政権の構成を変える」可能性がある。「数議席の変化」が「政策の変化」を生む。「氷河期世代への支援策が拡充される」「非正規雇用の待遇改善が進む」「住宅支援が始まる」。これらは「投票の結果」として起こりうる。
「投票しても何も変わらない」は「自分1人の投票では変わらない」の意味では正しい。だが「氷河期世代全体の投票率が上がれば変わる」の意味では「間違い」。問題は「自分が投票に行くかどうかが、他の氷河期世代の投票率に影響するか」。直接的には影響しない。だが「投票に行った自分がSNSで『投票してきた』と投稿する→同じ境遇の人が『自分も行こう』と思う→投票率が少し上がる」の連鎖は起こりうる。「1人の行動が全体を動かす」可能性はゼロではない。
第2章 「1票の経済的価値」を計算する
自分の1票には「経済的な価値」があるか。計算してみる。政府の歳出は年間約110兆円。有権者数は約1億人。1人あたりの歳出は110万円。「自分の1票が110万円分の歳出の方向性に影響を与える」と解釈できる(極めて粗い計算だが)。
より具体的に。「氷河期世代支援策」の予算は年間数百億円〜数千億円規模。371万人で割ると1人あたり数万円。「投票に行くことで、自分に数万円分の政策的利益が返ってくる可能性がある」。投票にかかるコスト。往復30分+投票5分=35分。35分の時給換算コスト:35分÷60×1000円=583円。「583円のコストで数万円のリターンが得られる可能性」。ROI:数千%。「投票はNISAより高いROIの可能性がある投資行動」。
「可能性がある」に過ぎない。だが「NISAも『年利5%の可能性がある』投資」だ。確実ではない。確実ではないが「やらないよりやったほうがリターンが期待できる」。投票も同じ。「やらなければリターンはゼロ。やればリターンが期待できる」。期待値がゼロより大きい行動は「合理的に行うべき」。これは経済学の基本原則だ。
第3章 「なぜ投票に行かないか」——5つの理由とその反論
理由1は「投票しても何も変わらない」。反論:第1章で示した通り、氷河期世代の投票率が上がれば「議席が変わりうる」。1人では変わらないが「全体として」は変わりうる。理由2は「誰に投票すればいいかわからない」。反論:「完璧な候補者」はいない。「自分の生活に最も関わる政策」(雇用、社会保障、住宅)を掲げている候補者を選ぶ。「全項目で一致する候補者」を探すのではなく「最も重要な1〜2項目で一致する候補者」を選ぶ。理由3は「政治に興味がない」。反論:政治は「興味がなくても影響を受ける」。消費税の税率。社会保険料の料率。NISAの制度設計。これらはすべて「政治の結果」であり「投票の結果」。NISAを使っている時点で「政治の恩恵を受けている」。「興味がない」のに「恩恵は受けている」のは矛盾。恩恵を受けるなら「恩恵を維持・拡大するために投票する」のが合理的。
理由4は「投票所に行くのが面倒」。反論:投票所までの往復30分+投票5分=35分。散歩30分と同程度。「散歩のついでに投票する」。投票所は「学校や公民館」であり「散歩のルートに組み込める」。「散歩+投票」=「健康投資+政治投資」の二重投資。0円。理由5は「日曜日にわざわざ外出したくない」。反論:期日前投票を使えば「投票日の1〜2週間前から投票できる」。「平日の仕事帰りに期日前投票所(駅ビルやショッピングモールに設置されることもある)に寄る」。5分で終わる。
第4章 「投票」と「氷河期世代の政策」の因果関係
「投票に行ったら、氷河期世代への支援が増えるのか」。直接的な因果関係は証明しにくいが「間接的な関係」はある。政治家は「投票してくれる層」の意見を聞く。「投票率が高い層」は「政策的に優遇される」傾向がある。高齢者の投票率が高い→高齢者向けの政策(年金、医療費)が手厚い。若者の投票率が低い→若者向けの政策が後回しにされる。「シルバー民主主義」と呼ばれる構造。
氷河期世代の投票率が低い→政治家は「氷河期世代の声を聞かなくても落選しない」→氷河期世代向けの政策が後回しにされる→支援が20年遅れた。この「悪循環」を断ち切るには「投票率を上げる」しかない。「氷河期世代が投票する→政治家が氷河期世代の声を聞かないと落選するリスクが生まれる→氷河期世代向けの政策が進む」。この「好循環」を作るための「最初の一歩」が「投票に行く」。
第5章 「投票所への散歩」——健康投資と政治投資を兼ねる方法
投票所は通常「自宅から徒歩15分以内」の学校や公民館に設置される。往復30分。散歩の「30分」と同じ。「投票日の散歩=投票所への散歩」。散歩のルートに投票所を組み込めば「健康投資(散歩)+政治投資(投票)」が同時に達成できる。所要時間は通常の散歩とほぼ同じ。追加コスト:0円。
「投票所への散歩」のルーティン。投票日の朝。いつもと同じ時刻に起きる。もやし炒めの朝食版を食べる。散歩に出る。散歩のルートを「投票所経由」にする。投票所に着く。入場券を見せる。投票用紙に記入する。投票箱に入れる。5分。投票所を出る。散歩の続き。帰宅。「30分の散歩のうち5分を投票に使っただけ」。「いつもの散歩とほぼ同じ」。「いつもの散歩」で「政治に参加できる」。ハードルはゼロに等しい。
第6章 「投票」と「もやし炒め」の共通点——「小さな行為の積み重ね」が世界を変える
もやし炒めは「1食60円の小さな行為」だ。1食で人生は変わらない。だが2808食の積み重ねが「23年間のサバイバル」を支えた。投票も同じ。1回の投票で政治は変わらない。だが「氷河期世代371万人が20年間投票し続ければ」政治が変わる。「小さな行為の積み重ね」が「大きな変化」を生む。もやし炒めが「体を変えた」ように、投票が「社会を変える」可能性がある。
「もやし炒め」を23年間続けてこられたのは「効果が見えるから」。「食費が減った」「体重が減った」「もやし炒めが美味くなった」。投票の問題は「効果が見えにくい」こと。「投票したけど何が変わったかわからない」。だが「NISAも最初の1年目は効果が見えにくかった」。1年目のNISA残高は12万円。「12万円で何が変わったのか」。何も変わっていないように見えた。だが7年後には90万円。「見えなかった効果が時間の経過とともに見えてきた」。投票も同じかもしれない。「今の1票の効果は見えないが、10年後に効果が見える」かもしれない。「NISAの複利」のように「投票の複利」がある。信じるに足る根拠は——「もやし炒めとNISAで学んだ『積み重ねの力』」しかない。だがそれで十分だ。
結論——「35分の投票」が「もやし炒めの未来」を守る
投票に行く。次の選挙には行く。35分。583円分の時間。「583円で、もやし炒めの未来を守る可能性がある」。「NISAの制度が拡充される可能性」「非正規雇用の待遇が改善される可能性」「住宅支援が始まる可能性」。これらの「可能性」を「583円の投資」で買う。もやし炒め19食分の投資で「社会を変える可能性」を買う。安い。安すぎる。
投票用紙に名前を書く。たった5秒。5秒で「社会への参加」が完了する。5秒。もやし炒めをフライパンに入れる時間と同じ。「フライパンにもやしを入れる5秒」が「1食の始まり」であるように、「投票用紙に名前を書く5秒」が「社会を変える始まり」かもしれない。「かもしれない」で十分だ。「確実」を求めていたら——もやし炒めも作れない。「確実に美味いか」はわからない。だが「作ってみなければわからない」。投票も同じ。「やってみなければわからない」。やる。次の選挙には——やる。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。特定の政党・候補者を支持するものではありません。

