隣人の生活音だけが社会との接点だった時期の話

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隣人の生活音だけが社会との接点だった時期の話

派遣切りの冬

33歳の冬、派遣契約を切られた。リーマンショックの余波だった。派遣先の業績が悪化し、派遣社員が一斉に契約終了になった。私もその一人だった。

次の仕事がすぐには見つからなかった。派遣会社に連絡しても「今はご紹介できる案件がありません」。ハローワークに行っても、求人が激減していた。どこも人を雇う余裕がなかった。

無職の日々が始まった。朝起きても、行く場所がない。テレビをつける。ニュースが不景気の話をしている。消して、またつける。消して、またつける。

1ヶ月が経った。2ヶ月が経った。外出するのは、ハローワークとスーパーだけ。ハローワークは週に2回。スーパーは2日に1回。それ以外の時間は、6畳一間の部屋にいる。一人で。

3ヶ月目に入ると、人と話さない日が連続するようになった。ハローワークの窓口で数分話す以外、誰とも会話しない。コンビニの「いらっしゃいませ」は会話に含めない。声を出さない日が、週に3日、4日。

この時期、社会との接点は限りなくゼロに近づいていた。仕事がないから職場がない。友達がいないから会う人がない。家族は遠方。恋人はいない。SNSも見なくなった。社会から切り離された6畳一間。

唯一の社会との接点は、隣人の生活音だった。

壁の向こうの他者

安アパートの壁は薄い。隣の部屋の生活音が、否応なく聞こえてくる。

朝7時。隣の部屋から目覚ましの音が聞こえる。アラームが3回鳴って、止まる。足音。洗面所の水の音。ドライヤーの音。テレビのニュースの音。ドアの開閉音。出勤していった。

私はベッドの中でその音を聞いている。隣の住人は、社会に参加している。仕事に行っている。社会の中に居場所がある。私にはない。壁一枚を隔てて、「社会に参加する人間」と「社会から脱落した人間」が並んでいる。

昼間、アパートは静かだ。みんな仕事に行っている。静寂の中に、自分の呼吸音だけが聞こえる。時計の秒針の音。冷蔵庫のモーター音。これらの無機質な音が、昼間のBGMだ。

夕方6時過ぎ。隣の部屋からドアの開閉音が聞こえる。帰ってきた。テレビの音。料理をしている音。フライパンの音。何かいい匂いがする。壁を通して匂いが来る。

夜10時。テレビの音が消える。水の音。歯を磨いている。ベッドに入る音。静かになる。

隣人の一日を、音だけで追いかけている。追いかけているのではなく、聞こえてしまう。聞こえてしまうことを、この時期の私は「社会との接点」として受け取っていた。

音が教えてくれたこと

隣人の生活音を聞き続けて、いくつかのことを感じた。

まず、「自分以外の人間がこの世界にいる」という感覚。3ヶ月間、ほぼ誰とも話さない生活を送っていると、世界が自分一人しかいないような錯覚に陥ることがある。テレビの向こうの人間は「画面の中の存在」であり、リアルではない。だが壁の向こうの生活音は、リアルだ。確かにそこに人がいて、生活している。この「確かにいる」感覚が、私の精神を辛うじてつなぎ止めていた。

次に、「世界は回っている」という感覚。隣人は毎朝出勤し、毎晩帰宅する。規則正しいリズムで、社会が動いている。自分はそのリズムから外れているが、リズム自体は存在している。リズムが存在しているということは、自分もいつかそのリズムに復帰できるかもしれない、という微かな希望になった。

そして、「一人ではない」という感覚。これが最も大きかった。壁の向こうに人がいる。名前も顔も知らない人がいる。その人と、同じ建物に住んでいる。同じ屋根の下にいる。会話はしない。挨拶すらしない。だが物理的に近い場所にいる。この近さが、孤独の絶対性を少しだけ和らげていた。

社会復帰の日

4ヶ月目に、ようやく次の派遣先が見つかった。初出勤の朝、スーツを着て玄関を出た。隣の部屋の住人も、同じ時間に出勤していた。廊下ですれ違った。お互い軽く会釈した。言葉は交わさない。だが会釈した。

あの会釈が、4ヶ月ぶりの「対面のコミュニケーション」だった。ハローワークの窓口を除けば、生身の人間と視線を交わしたのは4ヶ月ぶりだ。会釈の瞬間、目頭が少し熱くなった。大げさだが本当だ。人との接触に飢えていた。飢えていたことに、会釈をして初めて気づいた。

新しい職場に行った。挨拶をした。名前を呼ばれた。仕事の説明を受けた。同僚と話した。人と話している。声を出している。声を出して、相手が応えてくれる。この当たり前のやり取りが、4ヶ月のブランクのあとでは、泣きそうなほどありがたかった。

あの4ヶ月間、隣人の生活音だけが社会との接点だった。音だけの接点。声なき接点。だがその接点がなかったら、もっと深い場所に沈んでいたかもしれない。音が、私をギリギリのところで引き留めてくれていた。

壁の薄い部屋への感謝

壁が薄いアパートは、通常はデメリットだ。音がうるさい。プライバシーがない。寝られない夜もある。

だがあの4ヶ月間に限っては、壁の薄さが救いだった。壁が厚ければ、隣人の存在に気づかなかった。完全な静寂の中で4ヶ月間過ごしていたら、精神的にもっと追い詰められていただろう。

壁が薄くて、生活音が聞こえる。この不完全な遮音が、不完全な孤独を作り出す。完全な孤独ではなく、不完全な孤独。他者の気配がある孤独。この不完全さが、私を守ってくれた。

高級マンションの防音性能は素晴らしいだろう。隣の音が一切聞こえない。完全なプライバシー。だがその完全なプライバシーは、完全な孤独でもある。独身で、友達がなく、家族と離れて暮らす人間にとって、完全な防音は完全な断絶だ。

安アパートの薄い壁は、意図せず「つながり」を提供してくれている。意図しないつながり。設計ミスのつながり。だが確かなつながりだ。

今住んでいるURの部屋は、壁が厚い。鉄筋コンクリート。隣の音はほぼ聞こえない。静かだ。快適だ。だがたまに、あの安アパートの薄い壁が懐かしくなることがある。懐かしいのは壁ではなく、壁の向こうに感じた「人の気配」だ。

人の気配。これが欲しい。友達でも恋人でもなく、ただの「気配」が欲しい。誰かがそこにいる、という気配。それだけで十分な夜がある。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。隣人の生活音に救われた経験がある人は、きっと少なくないはずです。

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