40代で初めてFPに相談したら沈黙が長かった話
無料相談に行った
ファイナンシャルプランナー。略してFP。お金の専門家。家計の見直し、保険の見直し、資産運用の相談。人生設計をお金の面からサポートしてくれるプロ。
テレビや雑誌で「FPに相談しましょう」というアドバイスをよく見かける。「プロに相談すれば、家計が改善します」「将来の不安を数字で可視化できます」。なるほど、よさそうだ。
だが相談料がかかる。1時間5000円から10000円。この費用が壁になって、ずっと二の足を踏んでいた。お金の相談をするのに、お金がかかる。このアイロニー。
ある日、ショッピングモールのイベントスペースで「FP無料相談会」が開催されているのを見かけた。無料。この二文字に引かれて、列に並んだ。無料の裏には保険の勧誘があることは察しているが、とりあえず話だけ聞いてもらおう。
番号を呼ばれて、ブースに入った。対面に座ったのは、40代くらいの男性FP。名刺を交換し、「何でも相談してください」と言われた。
現状を話した
まず、自分の状況を正直に話した。
45歳、独身、派遣社員。年収300万円弱。手取り約16万円。貯金は50万円程度。NISA口座に5万円。民間の保険は未加入。年金は国民年金と厚生年金の混合で、見込額は月7万円程度。持ち家なし、賃貸。車なし。ローンなし。借金なし。
FPは、メモを取りながら聞いていた。時折「なるほど」とうなずく。穏やかな表情。プロの傾聴姿勢。
一通り話し終えた。「こんな感じです」と締めくくった。
FPがメモから顔を上げた。
そして、沈黙した。
長い沈黙
沈黙は、体感で10秒くらい続いた。実際は5秒程度だったかもしれない。だが5秒の沈黙は、対面の相談の場では異様に長い。
FPは何を考えていたのか。おそらく、どこから手をつけるべきかを考えていたのだろう。あるいは、「この状況で自分に何ができるか」を模索していたのかもしれない。あるいは単純に、「かなり厳しい状況だな」と内心で思っていたのかもしれない。
沈黙のあと、FPはゆっくりと口を開いた。「率直に申し上げますと」。
この「率直に申し上げますと」には聞き覚えがある。転職エージェントが言う「厳しい年齢ですね」の前置きと同じ構造だ。「率直に」のあとには、聞きたくない現実が続く。
「率直に申し上げますと、現状の収入と貯蓄では、老後の生活資金に大幅な不足が見込まれます」。
知っている。知っているから来たのだ。知っている事実を、プロの口から改めて言われると、重みが違う。自分で「足りないだろうな」と思っているのと、専門家に「足りません」と断言されるのでは、確定感が違う。
数字で示された現実
FPは、手元の電卓を叩き始めた。ライフプランシミュレーション。
「65歳まで現在の収入で働くと仮定して、手取りが月16万円。生活費が月12万円。貯蓄に回せるのは月4万円。ただしNISAに5000円回していらっしゃるので、純粋な貯蓄は月35000円。65歳まで20年間で、貯蓄の増加は約840万円。現在の50万円と合わせて約890万円」。
890万円。65歳時点での資産見込みが890万円。
「65歳以降、年金が月7万円として、生活費を月12万円とすると、月5万円の不足。年間60万円の不足。890万円で何年持つか」。
電卓を叩く。「約14年。79歳まで」。
79歳。日本人男性の平均寿命は約81歳。つまり、平均寿命まで生きると、79歳で貯蓄が尽きる。その先の2年間は——。
FPは言葉を選びながら言った。「79歳以降は、年金の7万円だけで生活することになります。あるいは、何らかの追加の対策が必要です」。
追加の対策。70代後半で、追加の対策。何をすればいいのか。働く? 79歳で? 生活保護を受ける? それは「対策」なのか「最後の手段」なのか。
FPの提案
沈黙と数字のあとに、FPはいくつかの提案をしてくれた。
提案1。NISAの積立額を増やす。月5000円を、可能であれば月1万円、2万円に。運用益が非課税なので、長期で見れば貯蓄だけより有利。「可能であれば」の前提条件が重いが。
提案2。iDeCoの活用。個人型確定拠出年金。掛金が全額所得控除になるので、節税効果がある。月5000円からでも始められる。「ただし60歳まで引き出せないので、流動性は失われます」。流動性。急な出費に対応できなくなるリスク。貯金が50万円しかない人間が流動性を失うのは危険だ。
提案3。年金の繰下げ受給。65歳で受け取らず、70歳まで繰り下げれば、月額が42%増える。7万円が約10万円になる。10万円あれば、生活費12万円との差額は月2万円。年間24万円の不足。890万円で約37年。102歳まで持つ。さすがに102歳まで生きる可能性は低いので、繰下げは有効だ。
「ただし」とFPは付け加えた。「繰下げ受給をするには、65歳から70歳までの5年間、年金なしで生活する必要があります。その間の生活費を、貯蓄から取り崩すか、働いて稼ぐか、どちらかが必要です」。
65歳から70歳まで、年金なしで5年間。月の生活費12万円×12ヶ月×5年=720万円。890万円の貯蓄から720万円を取り崩すと、残りは170万円。170万円で70歳以降を過ごす。年金は月10万円。生活費12万円との差額は月2万円。年間24万円。170万円÷24万円=約7年。77歳で貯蓄ゼロ。
あれ、繰下げしても77歳でゼロになるのか。65歳から受け取ると79歳、繰下げると77歳。繰下げたほうが早くゼロになる。
FPは苦笑いしながら「65歳から70歳の間も何らかの収入がある前提だと、繰下げが有利になります。完全に無収入の場合は、繰下げのメリットが薄れます」と補足した。
つまり、どの選択肢を取っても、「70代後半で貯蓄が尽きる」という結論は大きく変わらない。変わらないのか。プロに相談しても、結論は変わらないのか。
保険の勧誘はなかった
無料相談の裏には保険の勧誘がある、と覚悟していた。だがFPは保険の勧誘をしなかった。
理由は察しがつく。私の家計に、保険料を払う余裕がないからだ。月額数千円の保険料を払う余裕がない人間に、保険を勧めても契約に至らない。ビジネスとして成立しない。
FPは最後にこう言った。「正直なところ、現状では保険よりも、NISAやiDeCoでの積立を優先したほうがいいと思います。保険は余裕ができてからでいいでしょう」。
余裕ができてから。いつ余裕ができるのか。できないかもしれない。できないなら、保険は一生加入できない。保険なしで老後を迎える。病気になったら、自費で払うしかない。高額療養費制度に頼るしかない。
FPに相談して得たものは、「数字で可視化された絶望」だった。漠然とした不安が、具体的な数字に変換された。不安が数字になったことで、より明確になった。明確になったことは良いことだ。だが明確になった結果が「79歳で貯蓄ゼロ」では、明確になったぶんだけ重い。
相談後の帰り道
相談を終えて、ショッピングモールを出た。日曜日の午後。家族連れが行き交う。子どもがソフトクリームを食べている。カップルが手をつないで歩いている。
私は一人で、駅に向かって歩いている。頭の中では、FPが叩いた電卓の数字がぐるぐる回っている。890万円。79歳。月7万円。不足額5万円。年間60万円。
数字が、頭から離れない。数字は感情を含まないが、感情を喚起する。890万円という数字が、「足りない」という感情を喚起する。79歳という数字が、「そこまで生きられるのか」という恐怖を喚起する。
駅のホームでベンチに座った。電車を待ちながら、深呼吸をした。深呼吸して、少し落ち着いた。落ち着いて、考えた。
FPに相談したのは正しかった。数字を知ったのは正しかった。知らないままより、知ったほうがいい。知った上で、できることをやる。NISAの積立を続ける。可能なら増やす。繰下げ受給を検討する。65歳以降も何らかの仕事を続ける。
できることは多くない。だがゼロではない。ゼロではないなら、やる。やるしかない。
FPの沈黙の意味
最後に、あの沈黙の意味を考えてみる。
FPは、私の状況を聞いて沈黙した。あの沈黙は、何を意味していたのか。
可能性1。「この状況に対して、自分に提案できることが限られている」と認識した沈黙。プロとして、顧客の問題を解決したいが、解決策が乏しい。その無力感が、沈黙として表れた。
可能性2。「この人は、ここに来るまでに相当苦労してきたのだろう」と感じた沈黙。数字の向こうに、人生が見える。45歳、独身、派遣、貯金50万円。この数字の裏に、就職の失敗、非正規の転々、結婚の断念、友人の消失があることを、FPは察したのかもしれない。察した上で、何と言えばいいかわからなかった。それが沈黙になった。
可能性3。単に、電卓の計算結果を頭の中でシミュレーションしていた沈黙。プロとして、提案の前に精密な計算を行っていた。感情ではなく、職業的な沈黙。
どの可能性が正しいかはわからない。わからないが、あの沈黙は私の記憶に残っている。10秒間の沈黙。あの10秒間に、FPは私の人生を数字として咀嚼し、数字が示す現実の重さを受け止めていた。受け止めた上で、できる限りの提案をしてくれた。
プロの沈黙は、アマチュアの饒舌より信頼できる。「大丈夫ですよ」と安易に言わなかった。「なんとかなりますよ」と根拠なく励まさなかった。沈黙し、計算し、現実を伝えた。それが、プロの誠実さだ。
あの沈黙に、私は感謝している。あの沈黙のおかげで、私は自分の状況を正確に把握できた。正確に把握できたことで、対策を考える出発点が定まった。出発点が定まったことで、少しだけ前に進める。少しだけでも。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。FPに相談して沈黙をもらった経験がある人は、きっと少なくないはずです。
