レイ・ダリオの投資哲学のすべて ― 「不確実な世界」を生き抜くための原則

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  1. プロローグ ― なぜ、レイ・ダリオなのか
  2. 第1章 レイ・ダリオという人物 ― 失敗から生まれた哲学
    1. 1-1. ロングアイランドの、普通の少年
    2. 1-2. 12歳で、株を買う
    3. 1-3. ブリッジウォーターの誕生 ― 2部屋のアパートから
    4. 1-4. 1982年の大失敗 ― 人生を変えた屈辱
    5. 1-5. 失敗から、原則へ
  3. 第2章 「経済マシン」という世界観 ― ダリオの根本思想
    1. 2-1. 経済は「機械」である
    2. 2-2. 取引(トランザクション)が、すべての基本
    3. 2-3. 信用(クレジット)という、最大の変数
    4. 2-4. 3つの力 ― 生産性、短期債務サイクル、長期債務サイクル
    5. 2-5. 短期債務サイクル(5〜8年) ― 中央銀行の手のひらの上
    6. 2-6. 長期債務サイクル(75〜100年) ― 「最も理解されていない」もの
    7. 2-7. デレバレッジングと、「美しいデレバレッジング」
    8. 2-8. 経済を生きるための、3つのルール
  4. 第3章 「4つの季節」 ― 未来を予測せず、備える
    1. 3-1. なぜ「予測」ではなく「備え」なのか
    2. 3-2. 資産価値を決める、2つの力 ― 成長とインフレ
    3. 3-3. 4つの経済の季節(クアドラント)
    4. 3-4. それぞれの季節で、輝く資産
  5. 第4章 オールウェザー・ポートフォリオ ― 全天候型の設計思想
    1. 4-1. オールウェザーの誕生 ― 家族の信託のために
    2. 4-2. リスク・パリティという発明
    3. 4-3. 有名な配分 ― 株30/長期債40/中期債15/金7.5/商品7.5
    4. 4-4. なぜ、債券が一番多いのか
    5. 4-5. リバランスという、規律
    6. 4-6. 「投資商品」ではなく、「設計思想」
  6. 第5章 投資の「聖杯」 ― 分散の数学
    1. 5-1. ダリオが見つけた「聖杯」
    2. 5-2. 「相関」とは何か ― そして、なぜ「相関の低さ」が宝物なのか
    3. 5-3. 「15〜20のリターン源」という、魔法の数字
    4. 5-4. ただし――「相関が低い」を見つけるのが、難しい
  7. 第6章 ダリオの投資原則 ― 個人投資家への教え
    1. 6-1. 市場のタイミングを計るな
    2. 6-2. あなたの最大の敵は、「あなた自身」
    3. 6-3. コンセンサスは、すでに価格に織り込まれている
    4. 6-4. 大きく賭けるな。しかし、機会は逃すな
    5. 6-5. 借金と現金の、本当の意味
    6. 6-6. 痛みを伴う現実から、逃げない
  8. 第7章 『プリンシプルズ(原則)』 ― 思考と意思決定の技術
    1. 7-1. 投資の本ではない、しかし投資に効く本
    2. 7-2. 「痛み + 振り返り = 進歩」 ― すべての原則の母
    3. 7-3. アイデア・メリトクラシー ― 「最も良い意見」が勝つ仕組み
    4. 7-4. ラディカル・トゥルース(徹底した真実)
    5. 7-5. ラディカル・トランスペアレンシー(徹底した透明性)
    6. 7-6. 信頼度で重みづけした意思決定
    7. 7-7. 5ステップ・プロセス ― 何かを成し遂げるための、普遍の手順
    8. 7-8. 『プリンシプルズ』を、投資に活かす ― まとめ
  9. 第8章 『変化する世界秩序』 ― 帝国の興亡という、超長期サイクル
    1. 8-1. なぜ、歴史を500年さかのぼるのか
    2. 8-2. ビッグサイクル ― 帝国にも「寿命」がある
    3. 8-3. 国家の盛衰を決める、8つの力
    4. 8-4. オランダ → イギリス → アメリカ
    5. 8-5. 『How Countries Go Broke』 ― 国家は、なぜ破産するか
    6. 8-6. 投資家にとっての、意味
  10. 第9章 オールウェザーの「影」 ― 批判と限界
    1. 9-1. S&P500に、長期で「負けて」きた
    2. 9-2. 2022年の悪夢 ― 「分散」が、効かなかった年
    3. 9-3. 米国偏重という、弱点
    4. 9-4. 「真の」リスク・パリティでは、ない
    5. 9-5. レバレッジと、「想定外」の問題
    6. 9-6. ダリオ自身の「予測」は、当たってきたのか
    7. 9-7. ブリッジウォーター文化への、批判
  11. 第10章 ダリオ哲学を、日本の個人投資家が、どう使うか
    1. 10-1. オールウェザーを、そのまま、真似するべきか
    2. 10-2. 円で暮らす人にとっての、為替の問題
    3. 10-3. 「日本版オールウェザー」の、考え方
    4. 10-4. 「経済マシン」を、日本に当てはめる
    5. 10-5. 個人投資家が、本当に、持ち帰るべきもの
  12. 終章 ― ダリオが、本当に、伝えたかったこと
  13. 参考資料
    1. レイ・ダリオ本人による、一次資料 ― 書籍
    2. レイ・ダリオ本人による、一次資料 ― 動画・論考・オンライン
    3. ブリッジウォーターおよびダリオに関する、解説・分析
    4. さらに学びたい人のための、関連書
    5. 重要な免責事項

プロローグ ― なぜ、レイ・ダリオなのか

世界には、すぐれた投資家が数多くいる。ウォーレン・バフェットは「すばらしい企業を、適正な価格で、永遠に持つ」ことを教えた。ベンジャミン・グレアムは「価格と価値は違う」という、投資のすべての出発点を築いた。フィリップ・フィッシャーは「並外れて成長する会社を、深く理解して持ち続けよ」と説いた。

では、レイ・ダリオ(Ray Dalio)は、いったい何を教えたのか。

ダリオの教えは、これらの偉人たちとは、少し毛色が違う。バフェットやグレアムやフィッシャーが「どの株を買うか」「どの企業がすぐれているか」という、いわば「銘柄選び」の知恵を残したのに対し、ダリオが残したのは、もっと根源的で、もっと不気味な問いへの答えだった。

その問いとは、こうだ。

「未来は、誰にも予測できない。では、予測できない未来に対して、人はどう備えればいいのか?」

ダリオは、若い頃に、人生を破滅させかけるほどの「予測の失敗」を経験した。自信満々に「経済は大恐慌に陥る」と公言し、それが完全に外れ、会社の全従業員を解雇し、父親から4,000ドルを借りて生活をつなぐところまで落ちた。世界最大のヘッジファンドの創業者は、そのキャリアの初期に、いったん完全に「ゼロ」になっているのだ。

この壊滅的な失敗から、ダリオは、ほかの誰とも違う結論を引き出した。「自分は天才ではない。市場のタイミングは読めない。未来は分からない。ならば――未来が分からないことを、前提にした投資の仕組みを作ろう」と。

その結論が結晶したのが、「オールウェザー・ポートフォリオ(All Weather Portfolio、全天候型ポートフォリオ)」であり、「リスク・パリティ」という考え方であり、そして投資の「聖杯(Holy Grail)」と彼が呼ぶ、分散の数学だった。

だが、ダリオが残したものは、投資手法だけではない。彼は、自分が60年の人生で学んだ「ものの考え方」そのものを、『プリンシプルズ(Principles、原則)』という分厚い本にまとめ、世界中に配った。そこに書かれているのは、「痛み + 振り返り = 進歩」「アイデア・メリトクラシー(実力主義)」「ラディカル・トゥルース(徹底した真実)」といった、投資にとどまらない、生き方と意思決定の技術だった。

さらに、ダリオは「経済マシンの動き方」を一本の動画にまとめ、これは累計で何千万回も再生された。「変化する世界秩序」では、過去500年の帝国の興亡を分析し、いま世界がどのサイクルのどこにいるのかを論じた。

つまり、レイ・ダリオという人物の遺産は、4つの層からなる。

第一層は、「経済マシン」という世界観。経済とは何か、なぜ好況と不況が繰り返すのか、債務(借金)はどう経済を動かすのか。 第二層は、投資の設計思想。オールウェザー、リスク・パリティ、4つの経済の季節、投資の聖杯。 第三層は、思考と意思決定の技術。『プリンシプルズ』に書かれた、原則に基づく生き方。 第四層は、超長期の歴史観。帝国の興亡、ビッグサイクル、いま世界はどこにいるのか。

この記事では、この4つの層を、できるだけ分かりやすく、しかし手を抜かずに、順に解き明かしていく。

最初に、大切な前提を述べておく。この記事は、特定の銘柄や金融商品を推奨するものではない。「これをやれば必ず儲かる」と保証するものでもない。それどころか、ダリオの代表作であるオールウェザー・ポートフォリオには、明確な「弱点」があり、過去には長期にわたって市場平均(S&P500)に負け続けた時期もある。その「影」の部分も、第9章で正面から扱う。

それでも――いや、だからこそ――ダリオの哲学を学ぶ価値がある。なぜなら、ダリオが本当に教えてくれるのは、「儲かる方法」ではなく、「自分が間違っているかもしれない、という前提で、それでも前に進む方法」だからだ。それは、投資においても、人生においても、おそらく最も重要で、最も習得が難しい技術である。

それでは、始めよう。一人の、ロングアイランドの普通の少年の話から。


第1章 レイ・ダリオという人物 ― 失敗から生まれた哲学

1-1. ロングアイランドの、普通の少年

レイ・ダリオは、1949年、ニューヨーク州のロングアイランドで生まれた。

彼の生い立ちは、決して特別なものではない。父はジャズミュージシャン(クラリネットとサックスの奏者)、母は専業主婦。ごく平凡な、中流家庭の子どもだった。ダリオ自身、自分は学校の成績がよくなかった、と繰り返し語っている。机に座って、興味の持てないことを暗記する、という勉強のスタイルが、どうしても性に合わなかった。後年、彼は自分が「学ぶこと(learning)」は好きだったが「学校(schooling)」は嫌いだった、と表現している。

この「与えられたことを覚えるのは苦手だが、自分で因果関係を考えるのは好き」という性質は、後のダリオの投資哲学――「権威や常識ではなく、自分の頭で『なぜそうなるのか』を理解する」――の原型になっている。

少年時代のダリオは、近所の家の芝刈りや、新聞配達、ゴルフ場でのキャディーなど、さまざまなアルバイトをして小遣いを稼いだ。特に、ロングアイランドのゴルフクラブでのキャディーの経験は、彼の人生にとって決定的だった。

1-2. 12歳で、株を買う

そのゴルフクラブには、ウォール街の投資家やビジネスマンが大勢やってきた。1960年代初頭、米国の株式市場は活況に沸いていた。キャディーをしていた少年ダリオは、彼らがプレー中に交わす「株の話」を、自然と耳にするようになった。

そして12歳のとき、ダリオは、キャディーで貯めた小遣いで、人生で初めて株を買った。

銘柄は、ノースイースト航空(Northeast Airlines)。選んだ理由は、単純きわまりない。「自分が名前を知っている会社のなかで、1株あたりの値段が一番安かったから」。だから、同じ金額で、たくさんの株数を買えた。

投資の理屈としては、まったくの素人考えである。だが、結果は幸運だった。ノースイースト航空は、その後ほどなく経営難から他社に買収され、株価は3倍以上になった。少年ダリオは、初めての投資で、あっさり儲けてしまった。

このビギナーズラックが、彼を株式市場の虜にした。「これは面白いゲームだ。しかも、勝てば、お金がもらえる」。ダリオは、その後、本格的に市場にのめり込んでいく。

ただし――そして、これが重要なのだが――ダリオは後年、この初めての成功体験を「危険な成功だった」と振り返っている。なぜなら、彼は「正しい理由」で勝ったのではなく、「間違った理由」でたまたま勝っただけだったからだ。そして、間違った理由で勝つと、人は「自分は分かっている」と勘違いする。その勘違いが、20年後、彼を破滅の淵まで連れていくことになる。

1-3. ブリッジウォーターの誕生 ― 2部屋のアパートから

ダリオは、ロングアイランド大学を経て、ハーバード・ビジネススクールで学んだ。学校の成績は冴えなかったはずの少年が、米国最高峰のビジネススクールにたどり着いたのは、市場という「自分が本当に興味を持てる対象」を見つけたからだった。興味のあることなら、彼はいくらでも学べた。

卒業後、ダリオはウォール街の証券会社などで働いた。商品先物(コモディティ)の取引を担当し、穀物や家畜、金属といった「現物の経済」と「市場の値動き」の関係を、肌で学んでいった。この「実体経済と市場のつながり」への深い関心は、後の「経済マシン」という世界観の土台になる。

そして1975年、26歳のダリオは、勤め先を離れ、自分の会社を立ち上げた。それが「ブリッジウォーター・アソシエイツ(Bridgewater Associates)」である。

創業の場所は、ニューヨーク市の、寝室が2つしかない、彼自身のアパートの一室だった。世界最大のヘッジファンドは、文字通り、たった一人の若者の、ありふれたアパートから始まったのだ。

創業当初のブリッジウォーターは、ヘッジファンドというより、企業向けのコンサルティングとリサーチの会社だった。ダリオは、企業の経営者たちに、為替や金利、商品価格のリスクをどう管理すべきか、というアドバイスを提供した。たとえば、ある外食チェーン(マクドナルド)のために、鶏肉(チキンマックナゲットの原料)の価格変動リスクをヘッジ(回避)する方法を考えたり、ある企業(後に「ラスティ」という愛称で語られる顧客)のために、債券ポートフォリオのバランスのとり方を助言したりした。

この「企業の現実のリスクを、現実の市場で、どう管理するか」という地道な実務の積み重ねが、後のオールウェザー・ポートフォリオの、思想的な源流になっていく。ダリオは、最初から「ヘッジファンドの天才」だったのではない。彼は、地味な実務家として、一つひとつの問題を解きながら、自分の原則を発見していったのだ。

1-4. 1982年の大失敗 ― 人生を変えた屈辱

そして、1982年。ダリオの人生を、根底から作り変える出来事が起きる。

1970年代後半から1980年代初頭にかけて、米国経済は激しく動揺していた。高インフレ、高金利、そして中南米諸国(特にメキシコ)の累積債務問題。ダリオは、これらの状況を分析し、ある強い結論に達した。

「アメリカ経済は、これから**大恐慌(デプレッション)**に突入する」。

彼は、この予測に、絶対の自信を持っていた。そして、ただ自信を持っただけではなかった。彼は、それを公の場で、声高に主張した。議会の委員会で証言し、テレビ番組に出演し、「破局が来る」と訴えた。彼は、自分の会社の資金も、その予測に賭けた。

結果は――完全な、惨めな、外れだった。

1982年8月、メキシコの債務危機をきっかけに、多くの人が「いよいよ破局だ」と思った、まさにその瞬間から、米国の株式市場は歴史的な上昇相場(ブルマーケット)を開始した。ダリオが「大恐慌が来る」と言ったその時が、実は、その後18年間続く、史上最大級の強気相場の「出発点」だったのだ。彼の予測は、外れたどころか、180度、正反対だった。

代償は、壊滅的だった。ダリオは、賭けに負け、会社の資金を失った。ブリッジウォーターは、事実上、崩壊した。彼は、苦楽を共にしてきた従業員たちを、一人残らず解雇しなければならなかった。最後には、自分一人になった。生活費にも事欠き、彼は、父親から4,000ドルを借りた。

世界最大のヘッジファンドの創業者は、33歳のとき、いったん完全に「ゼロ」に戻ったのである。それも、運が悪かったからではない。「自分は分かっている」という、傲慢な確信のせいで。

1-5. 失敗から、原則へ

普通の人間なら、この経験から「もう市場には関わるまい」と学ぶ。あるいは、「次は予測を当ててやる」と、リベンジに燃える。

ダリオは、どちらでもなかった。彼は、この屈辱的な失敗から、まったく異質な、そして決定的な教訓を引き出した。

その教訓は、いくつかの層に分かれている。

第一に、「自分は間違いうる」という、深い自覚。 ダリオは、1982年の失敗で、「どんなに自信があっても、自分は完全に間違いうる」ということを、骨の髄まで思い知った。これは、敗北ではなく、最大の収穫だった。なぜなら、「自分は間違いうる」と本気で信じる人間だけが、その間違いに備えることができるからだ。

第二に、「どうすれば、自信を持ちながら、間違いに備えられるか?」という問い。 ダリオは、この問いを、生涯のテーマにした。彼の有名な言葉がある。「どうすれば、何も知らないということを認めつつ、それでも、確信を持って前に進めるか?」(How do I know I’m right? / How can I be confident while also being open to being wrong?)。一見、矛盾している。だが、この矛盾を生きる技術こそ、ダリオが追求したものだった。

第三に、「痛み + 振り返り = 進歩」という公式。 ダリオは、この1982年の激痛を、ただ忘れようとはしなかった。彼は、その痛みを、徹底的に「振り返り(reflection)」、「なぜ自分は間違えたのか」を分析し、そこから「次は同じ間違いを繰り返さないための原則(principle)」を、書き出した。これが、後に『プリンシプルズ』という本になる、彼の習慣の出発点である。痛みは、振り返りと結びついて初めて、進歩になる。痛みだけでは、ただの痛みだ。

第四に、そして最も重要なこと――「予測」を捨て、「備え」へ。 ダリオは、「市場のタイミングを正確に予測する」という目標を、(完全にではないが、運用の根幹からは)捨てた。代わりに、「どんな未来が来ても、致命傷を負わない仕組み」を作ることを、運用の中心に据えた。これが、十数年後の「オールウェザー・ポートフォリオ」へとつながっていく、決定的な思想の転換だった。

ダリオは、ゼロから、もう一度ブリッジウォーターを作り直した。今度は、「天才トレーダーの直感」ではなく、「原則に基づく、検証可能な、誰がやっても再現できる仕組み」を土台にして。

そして、その作り直されたブリッジウォーターは、その後40年をかけて、世界最大のヘッジファンド――運用資産およそ1,500億ドル、米誌『フォーチュン』が「米国で5番目に重要な非公開企業」と評するまでの存在――へと成長していった。ダリオ自身は、米『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に名を連ねた。

だが、ダリオは、繰り返しこう言う。「成功の理由は、私という人間が特別だったからではない。私が発見した原則が、特別だったからだ」と。だからこそ、彼はその原則を、惜しみなく世界に公開している。

この章の結論は、シンプルだ。レイ・ダリオの投資哲学のすべては、1982年の、あの惨めな失敗から生まれた。 「自分は間違いうる」という自覚。「予測」ではなく「備え」。「痛み」を「進歩」に変える習慣。これらが、これから見ていく、彼のすべての思想の根っこにある。

次の章では、ダリオが「もう一度作り直したブリッジウォーター」の土台となった、彼の根本的な世界観――「経済マシン」――を見ていく。


第2章 「経済マシン」という世界観 ― ダリオの根本思想

2-1. 経済は「機械」である

レイ・ダリオの投資哲学を理解するには、まず、彼が世界をどう見ているか――その「世界観」から入らなければならない。

ダリオの世界観の中心にあるのが、「経済マシン(The Economic Machine)」という考え方だ。彼は、この考え方を「How the Economic Machine Works(経済マシンはどう動くか)」という約30分のアニメーション動画にまとめ、無料で公開した。この動画は、累計で何千万回も再生され、世界中で「最も分かりやすい経済の入門」として知られている。

ダリオの出発点は、こうだ。

経済とは、機械である。 一見、複雑に見えるが、最も根本的なレベルでは、比較的シンプルな機械だ。多くの人が、それを理解していない――あるいは、その動き方について意見が一致していない。そのことが、多くの『不必要な経済的苦しみ』を生んできた」。

ここで重要なのは、ダリオが「経済学者とは違う見方をしている」と、はっきり宣言していることだ。彼は、大学で教わるような、数式だらけの抽象的な経済理論には、あまり関心がない。彼が知りたいのは、「実際に、現実の経済が、どういう仕組みで動いているか」という、実践的な理解だ。そして彼は、自分のこの「実践的なテンプレート」のおかげで、ほかの多くの人が見逃した「大きなデレバレッジング(後述)や市場の転換」を、事前に予測できた、と述べている。

経済を「機械」と見る、ということは、どういうことか。

機械には、部品があり、部品同士のつながりがあり、入力と出力があり、因果関係がある。あるレバーを引けば、こういう動きが起きる。ある部品が壊れれば、こういう連鎖が起きる。経済も同じだ、とダリオは言う。経済は、気まぐれな神様の意思で動いているのではなく、理解可能な「部品」と「因果関係」で動いている。だから、その部品と因果関係を理解すれば、「次に何が起きそうか」を、正確にではないにせよ、「おおよそ正しく」見通すことができる。

ダリオは、これを「正確に間違えるより、おおよそ正しくありたい(approximately right rather than precisely wrong)」と表現する。これは、彼の思考全体を貫く、重要な姿勢だ。

2-2. 取引(トランザクション)が、すべての基本

では、その「経済マシン」は、何でできているのか。

ダリオは、経済を、どんどん小さな単位に分解していく。そして、最も小さな「原子」にあたるものを、こう言う。

経済とは、その社会で行われる、すべての取引(トランザクション)の合計である」。

取引とは、何か。それは、「買い手が、お金または信用を、売り手に渡し、その対価として、モノ、サービス、または金融資産を受け取る」という、たった一つの行為のことだ。

あなたがコンビニでおにぎりを買う。これも取引だ。企業が工場を建てる。これも取引だ。政府が国債を発行して資金を集める。これも取引だ。中央銀行が市場から債券を買う。これも取引だ。

経済で起きるすべてのこと――好況も、不況も、インフレも、バブルも、暴落も――は、突き詰めれば、この「取引」の積み重ね、あるいは「取引」の急増・急減として説明できる。これがダリオの出発点だ。

なぜ、この「取引」という単位が重要なのか。それは、取引を見れば、「お金と信用が、どこで、どれだけ動いているか」が分かるからだ。そして、ダリオの考えでは、経済の動きを左右する、最も重要で、最も誤解されている要素が――次に説明する「信用」なのである。

2-3. 信用(クレジット)という、最大の変数

ダリオが「経済マシン」の説明で、最も力を入れて強調するのが、「信用(credit、クレジット)」の役割だ。

ここで、多くの人が見落としている、決定的な事実がある。それは、「お金(money)と、信用(credit)は、別物である」ということだ。

「お金」とは、取引を、その場で完結させるものだ。あなたが現金1,000円でおにぎりを買えば、それで取引は終わり。あとには、何の義務も残らない。

「信用」とは、取引を、「将来の支払いの約束」で行うものだ。あなたがクレジットカードでおにぎりを買えば、その場ではお金は動かない。あなたは「将来、お金を払います」という約束(=信用)で、おにぎりを手に入れる。あとには、「あなたの負債(借金)」と「カード会社の資産(債権)」が残る。

ここでダリオが指摘する、衝撃的な事実がある。経済の中で動いている「お金」の総額よりも、「信用」の総額のほうが、はるかに、はるかに大きい。 彼の説明では、米国で、実際の「お金」がおよそ3兆ドルなのに対し、「信用(クレジット)」の総額はおよそ50兆ドルにも達する。経済を動かしているのは、実は「お金」ではなく、その十数倍の規模を持つ「信用」のほうなのだ。

そして、信用には、お金にはない、決定的な性質がある。

信用は、無から生まれ、無に消える。

銀行が誰かに融資をすると、その瞬間、世の中に「新しい信用」が生まれる。それまで存在しなかった購買力が、いきなり現れる。逆に、人々が借金を返したり、あるいは「もう貸せない/借りたくない」と思ったりすると、信用は、すっと消えてしまう。

つまり、信用は、経済の中で「アクセル」にも「ブレーキ」にもなる、最も振れ幅の大きい変数なのだ。信用が膨らむとき、人々は「自分が稼ぐ以上」に支出できる。すると、経済は実力以上に拡大する。だが、信用が縮むとき、人々は「自分が稼ぐ以下」しか支出できなくなる。すると、経済は実力以下に収縮する。

ここで、ダリオの、最も重要な洞察の一つが出てくる。

ある人の支出は、別の人の所得である。

これは、当たり前のようでいて、恐ろしい意味を持つ言葉だ。あなたが使うお金は、誰かの収入になる。誰かが使うお金は、あなたの収入になる。経済は、こうやって、全員がつながっている。

だから、信用が膨らんで、みんなが支出を増やすと――みんなの所得が増える。所得が増えると、もっと借りられるようになる(信用力が上がる)。もっと借りられると、もっと支出できる。支出が増えると、また所得が増える……。これが、経済が「実力以上に」上昇していく、自己強化的なループだ。

そして、このループは、逆回転もする。信用が縮んで、みんなが支出を減らすと、みんなの所得が減る。所得が減ると、借りられなくなる。借りられないと、支出が減る。支出が減ると、また所得が減る……。これが、経済が「実力以下に」下降していく、自己強化的な悪循環だ。

この「信用による、自己強化的な上昇と下降のループ」こそが、経済に「サイクル(周期)」を生む、根本的なエンジンなのである。

2-4. 3つの力 ― 生産性、短期債務サイクル、長期債務サイクル

ダリオは、経済マシンの動きは、たった「3つの大きな力」の重ね合わせで理解できる、と言う。

力その1:生産性の成長(Productivity Growth)。 これは、長期的に、人類が「より賢く、より効率的に働けるようになる」ことによる、ゆるやかな右肩上がりの力だ。新しい技術、新しい知識、新しい working の方法。人類は、長い目で見れば、生産性を上げ続けてきた。だから、経済は、長期的には成長する。

この「生産性の成長」は、ゆるやかで、安定している。借金とは関係なく、人間の知識と工夫の蓄積によって進む。だから、ダリオは「長期的に最も重要なのは、生産性だ」と言う。サイクルは上下するが、生産性は、その上下の「土台」を、少しずつ持ち上げていく。

力その2:短期債務サイクル(Short-Term Debt Cycle)。 これは、信用の膨張と収縮による、比較的短い周期の波だ。一般に「景気循環(ビジネスサイクル)」と呼ばれるもので、ダリオによれば、おおむね5年から8年の周期で繰り返す。

力その3:長期債務サイクル(Long-Term Debt Cycle)。 これは、何度もの短期債務サイクルが積み重なった結果、何十年もかけて進行する、巨大でゆっくりした波だ。ダリオによれば、その周期は、おおむね75年から100年にも及ぶ。

経済の、実際の動きは、この「右肩上がりの生産性の線」の上に、「短期債務サイクルの小さな波」が乗り、さらにその全体が「長期債務サイクルの巨大なうねり」の上に乗っている――この3つの重ね合わせとして、理解できる。

では、サイクルを生む、2つの「債務サイクル」を、もう少し詳しく見ていこう。

2-5. 短期債務サイクル(5〜8年) ― 中央銀行の手のひらの上

短期債務サイクルは、私たちが日常的に「好況」「不況」「景気後退(リセッション)」と呼んでいる、あの波のことだ。

その仕組みは、こうだ。

経済が好調なとき、人々の所得は増えている。すると、銀行は安心してお金を貸す。人々も安心して借りる。信用が膨らみ、支出が増え、所得がさらに増える。経済は加速する。

だが、ここで問題が起きる。支出(=お金と信用の伸び)が、モノやサービスを生産する能力(=実体経済の伸び)を、上回り始めるのだ。需要が供給を追い越す。すると、何が起きるか――物価が上がる(インフレ)

物価が上がりすぎると、中央銀行(米国ならFRB、日本なら日銀)が動く。中央銀行は、金利を上げることで、ブレーキをかける。金利が上がると、お金を借りるコストが高くなる。すると、新規の借り入れが減り、信用の伸びが止まり、支出が減る。支出が減れば、所得が減る。経済は減速し、「景気後退(リセッション)」に入る。

景気後退で物価上昇が収まると、今度は中央銀行が、金利を下げる。金利が下がると、また借りやすくなる。信用がまた膨らみ始め、支出が増え、経済はまた拡大に転じる……。

これが、短期債務サイクルだ。「中央銀行が金利を上げ下げすることで、信用の蛇口を開け閉めし、その結果として、好況と不況が5〜8年周期で繰り返す」。だから、ニュースで、人々が「FRBは利上げするのか、利下げするのか」と、あれほど神経をとがらせるのである。短期的には、経済は、かなりの部分、中央銀行の金利政策の「手のひらの上」で動いている。

そして、ダリオが指摘する、重要なポイントがある。短期債務サイクルは、毎回、その「ピーク」と「ボトム」が、前回より少しずつ高くなる傾向がある。 なぜか。それは、人間には「自分が稼ぐより、少し多めに支出したい」という、根深い傾向があるからだ。だから、サイクルを一周するたびに、経済の総生産は増えるが、それ以上に、債務(借金)の総額も増えていく

この「サイクルごとに、債務が、少しずつ、少しずつ、積み上がっていく」という現象――これが、何十年も続くと、次の、もっと巨大なサイクルを生む。それが、長期債務サイクルだ。

2-6. 長期債務サイクル(75〜100年) ― 「最も理解されていない」もの

長期債務サイクルは、ダリオの経済観の、最も独創的で、最も重要な部分だ。

ダリオは、こう言う。短期債務サイクル(景気後退)は、誰もがよく理解している。なぜなら、頻繁に起きて、ほとんどの人が、何度も経験しているからだ。だが、長期債務サイクルの「終わり」――それは、めったに起きず、ほとんどの人が一生に一度経験するかどうか、なので――ほとんど理解されていない。

何が起きるのか。

短期債務サイクルを何度も繰り返すうちに、債務(借金)は、所得よりも速いペースで、積み上がっていく。最初のうちは、問題ない。借金が増えても、所得も増えているし、何より、資産(株や不動産)の価格も上がっているので、人々は「自分は豊かだ」と感じ、ますます借りる。

ダリオは、ここで、痛烈な一言を言う。「人々は、まだ豊かであるかのように振る舞いながら、実は貧しくなりつつある」。資産価格の上昇という「成功の見せかけ(trappings of success)」を、本当の成功と、混同してしまうのだ。

そして、ある日、限界が来る。債務の返済負担(元本と利息の支払い)が、所得に対して、あまりにも重くなりすぎる。普通なら、ここで中央銀行が金利を下げて、債務の負担を軽くしてやる。だが――長期債務サイクルの「終わり」では、それができない。なぜなら、金利が、すでにゼロ近くまで下がりきっていて、それ以上、下げられないからだ。

金利という、いつものブレーキ解除レバーが、効かなくなる。これが、「長期債務サイクルの頂点(トップ)」だ。ダリオによれば、この頂点は、(1)債務の負担が極端に重く、かつ(2)金融政策(利下げ)がもう信用の伸びを生み出せない、という2つの条件がそろったときに訪れる。

ここから始まるのが、**デレバレッジング(deleveraging、債務削減)**である。

2-7. デレバレッジングと、「美しいデレバレッジング」

デレバレッジングとは、文字通り「レバレッジ(てこ=借金)を、外していく」プロセスだ。積み上がりすぎた債務の負担(所得に対する債務と、その返済額の比率)を、引き下げていく、苦しい調整の時期である。

ダリオは、「景気後退(リセッション)」と「デレバレッジング」を、はっきり区別する。

  • 景気後退:短期債務サイクルの中の収縮。中央銀行が金利を下げれば、解決できる。
  • デレバレッジング:長期債務サイクルの終わりの収縮。金利を下げても、解決できない。債務の負担が、構造的に重すぎるから。

そして、デレバレッジングの中でも、最も激しい収縮の局面――それを、ダリオは「恐慌(デプレッション)」と呼ぶ。1930年代の世界恐慌が、その典型だ。

では、積み上がりすぎた債務を、どうやって減らすのか。ダリオは、デレバレッジングには、「4つのレバー(手段)」がある、と言う。

レバー1:支出の削減(緊縮、オーステリティ)。 人々、企業、政府が、支出を切り詰める。これは、債務を減らす効果はあるが、「ある人の支出は、別の人の所得」なので、経済全体の所得を縮ませる。デフレ的な手段だ。

レバー2:債務の減免(デフォルト、債務再編)。 借金を、踏み倒したり、棒引きにしたり、返済を繰り延べたりする。これも債務は減るが、貸し手(銀行など)が損失を被り、資産価値が崩れる。これもデフレ的

レバー3:富の再分配。 持てる者(富裕層)から、持たざる者(債務に苦しむ層)へ、富を移す。典型的には、富裕層への増税。これも、社会的な緊張を生み、これもデフレ的な側面を持つ。

レバー4:お金を刷る(マネタイゼーション、量的緩和)。 中央銀行が、新しいお金を、文字通り無から作り出し、そのお金で国債などの金融資産を買う。これは、上の3つと違って、唯一、インフレ的で、経済を刺激する手段だ。2008年のリーマンショック後、そして2020年のコロナ危機のときに、世界中の中央銀行が大規模にやったのが、これである。

ここで、ダリオの、最も有名な概念が登場する。「美しいデレバレッジング(Beautiful Deleveraging)」だ。

デレバレッジングは、やり方を間違えると、悲惨なことになる。緊縮(レバー1)に偏りすぎれば、経済が縮みすぎて、恐慌になる。お金を刷ること(レバー4)に偏りすぎれば、インフレが暴走し、最悪、1920年代のドイツのような「ハイパーインフレ」になる。

だが、もし、政策当局が、この4つのレバーを、絶妙なバランスで、同時に使えたら――どうなるか。デフレ的な3つの手段(支出削減、債務減免、再分配)と、インフレ的な1つの手段(お金を刷る)が、ちょうど打ち消し合う。すると、「債務の負担は、所得に対して減っていく。しかし、経済成長は、プラスを保つ。そして、インフレも、許容できる範囲に収まる」という、理想的な状態が実現する。

これが「美しいデレバレッジング」だ。ダリオによれば、典型的なデレバレッジングでは、債務対所得の比率を、おおむね50%程度(プラスマイナス20%程度)引き下げる必要がある。それを、苦痛を最小限にしながら成し遂げられるかどうかは、政策当局の腕にかかっている。

ダリオがここで強調する、興味深い洞察がある。「お金を刷ると、必ずインフレになる、と多くの人は思っている。だが、そうではない。 インフレは、人々が『支出』をして初めて起きる。そして、人々は、将来に自信が持てなければ、支出をしない。だから、バランスのとれた政策は、市場に活気を取り戻させながらも、過度なインフレを引き起こさずに済むのだ」。

なお、ダリオは、デレバレッジングは、うまくいっても、債務負担が正常な水準に戻るまで「10年、あるいはそれ以上」かかる、と言う。だから、この時期は、しばしば「失われた10年(ロスト・ディケイド)」と呼ばれる。実際、米国の株式市場は、1999年から2009年までの10年間、そして1930年代の大恐慌期に、「10年間トータルでマイナス」という、まさに失われた10年を経験している。

2-8. 経済を生きるための、3つのルール

「経済マシン」の動画の最後で、ダリオは、視聴者一人ひとりに向けて、3つの、シンプルで、生涯役立つ「ルール(rules of thumb、経験則)」を残している。これは、国家にも、企業にも、そしてあなた個人の家計にも、当てはまる。

ルール1:債務を、所得より速く増やすな。 なぜなら、債務の負担は、いずれ、あなたを押しつぶすから。これは、国家レベルでも、個人レベルでも、絶対の鉄則だ。借金そのものが悪なのではない。問題は、「借金が、それを返す原資である所得よりも、速いペースで増えること」だ。

ルール2:所得を、生産性より速く増やすな。 なぜなら、いずれ、あなた(あるいはあなたの国)は、競争力を失うから。生産性の裏付けのない所得の増加は、「砂上の楼閣」だ。一時的には豊かに見えても、土台がない。

ルール3:生産性を上げるために、できることはすべてやれ。 なぜなら、長期的には、生産性こそが、最も重要だから。サイクル(債務の波)は、所詮、上下動にすぎない。長い目で見れば、人々の生活水準を本当に決めるのは、「より賢く、より効率的に働けるようになること」――すなわち、生産性なのだ。

この3つのルールは、ダリオの経済観の、エッセンスである。サイクルに振り回されるな。債務を、所得との関係で管理しろ。そして、長期的には、生産性に賭けろ。

――

ここまでが、ダリオの「経済マシン」という世界観だ。

なぜ、投資の話をするのに、ここまで「経済の仕組み」の話に紙幅を費やしたのか。理由は、シンプルだ。ダリオの投資哲学は、すべて、この「経済マシン」という世界観の上に、建てられているからである。

オールウェザー・ポートフォリオも、リスク・パリティも、4つの経済の季節も――すべては、「経済は、理解可能な部品と因果関係で動く機械であり、その機械は、サイクル(周期)を持って動く」という、この章で見た世界観から、論理的に導かれてくる。

次の章では、その「経済マシン」の動きを、投資家の視点から捉え直した、ダリオの有名なフレームワーク――「4つの経済の季節」――を見ていく。


第3章 「4つの季節」 ― 未来を予測せず、備える

3-1. なぜ「予測」ではなく「備え」なのか

第1章で見たように、ダリオは1982年に、「予測」で、人生を破滅させかけた。彼は、その失敗から、決定的な教訓を引き出した。それは――

ほとんどすべての投資家は(よく確立されたプロの投資家でさえも)、自分ではできると思っていても、実際には、市場のタイミングを効果的に計ることはできない」。

これは、謙遜ではない。ダリオの、冷徹な事実認識である。世界最大のヘッジファンドを率い、何百人もの天才アナリストと、最高のデータと、最高の計算資源を持っているダリオが、それでもなお、「市場のタイミングを正確に当て続けることはできない」と認めているのだ。

ならば、普通の個人投資家に、それができるはずがない。

ここから、ダリオの投資哲学の、根本的な方針転換が生まれる。

「未来を予測しようとするのは、やめよう。代わりに、『どんな未来が来ても、大丈夫な仕組み』を作ろう。」

これは、消極的な「あきらめ」ではない。むしろ、極めて積極的で、知的な戦略だ。

考えてみてほしい。未来の予測には、「当たる」か「外れる」かしかない。当たれば儲かるが、外れれば、1982年のダリオのように、破滅する。それは、コインの裏表に、自分の人生を賭けるようなものだ。

だが、「どんな未来が来ても大丈夫な仕組み」を作れば――予測が当たるかどうかは、もう、どうでもよくなる。インフレが来ても大丈夫。デフレが来ても大丈夫。好況でも、不況でも、大丈夫。そういう仕組みさえ作れれば、人は、夜、安心して眠れる。

ダリオは、これを「設計の問題(engineering challenge)」と呼ぶ。投資とは、未来を「予言する」ことではなく、どんな天候にも耐える建物を「設計する」ことなのだ。だからこそ、彼の代表作は「オール『ウェザー(天候)』」と名づけられている。

では、「どんな未来が来ても大丈夫な仕組み」を、どうやって設計するのか。その第一歩が、「そもそも、未来には、どんなパターンがありうるのか?」を、整理することだ。

3-2. 資産価値を決める、2つの力 ― 成長とインフレ

ダリオと、ブリッジウォーターの初期の同僚たち(後に共同CIOとなるボブ・プリンス、グレッグ・ジェンセン、ダン・バーンスタインら)は、何十年もかけて、ある問いを研究し続けた。

「あらゆる経済環境で、良いパフォーマンスを出すポートフォリオとは、どんなものか?」

その研究の中で、彼らは、一つの、決定的にシンプルな洞察にたどり着いた。

あらゆる投資の価値は、突き詰めれば、2つの力によって決まる。

その2つとは――

力その1:経済成長(Growth)。 経済活動の「量」。モノやサービスが、どれだけ生産され、取引されているか。 力その2:インフレ(Inflation)。 その経済活動の「価格」。モノやサービスの値段が、どう動いているか。

ダリオの言葉を借りれば、「あらゆる投資の価値は、主として、経済活動の量(成長)と、その価格(インフレ)によって決まる」。

なぜ、この2つなのか。

少し考えれば、腑に落ちる。たとえば、株式。株式の価値は、企業の利益で決まる。企業の利益は、経済が成長していれば増え、停滞していれば減る。つまり、株は「成長」に敏感だ。

たとえば、債券。債券は、決まった金利を受け取る権利だ。インフレが進めば、その「決まった金利」の実質的な価値は目減りする。インフレが収まれば、その価値は保たれる。つまり、債券は「インフレ」に敏感だ。

たとえば、金(ゴールド)や商品(コモディティ)。これらは、インフレが進むと、価格が上がる傾向がある。「実物」の価値が、お金の価値の目減りに対して、相対的に上がるからだ。つまり、金や商品は「インフレ」に(株や債券とは逆の方向に)敏感だ。

このように、「成長」と「インフレ」という2つの力に対して、各資産クラスは、それぞれ違った反応を示す。ある資産が輝く環境では、別の資産は沈む。

3-3. 4つの経済の季節(クアドラント)

ここで、ダリオの、有名な「4つの箱(four boxes)」の図が出てくる。

「成長」と「インフレ」――この2つの力には、それぞれ「上がる」と「下がる」の2方向がある。正確に言えば、ダリオが見ているのは、絶対的な水準ではなく、「市場が事前に織り込んでいた予想に対して、上振れるか、下振れるか」だ。

なぜ「予想に対して」なのか。それは、市場の価格は、常に「予想」を織り込んでいるからだ。誰もが「来年は成長する」と思っていれば、その成長は、すでに株価に織り込まれている。だから、投資のリターンを左右するのは、「成長したかどうか」ではなく、「予想より、成長したか、しなかったか(=サプライズ)」なのである。

この「2つの力 × 2つの方向」を組み合わせると、4つの組み合わせ――「4つの経済の季節(クアドラント)」――ができる。

成長が予想より上振れ 成長が予想より下振れ
インフレが予想より上振れ 季節① 成長↑・インフレ↑ 季節② 成長↓・インフレ↑
インフレが予想より下振れ 季節③ 成長↑・インフレ↓ 季節④ 成長↓・インフレ↓
  • 季節①:成長↑ × インフレ↑ ― 経済が予想以上に強く、物価も予想以上に上がる、過熱気味の局面。
  • 季節②:成長↓ × インフレ↑ ― 経済は予想より弱いのに、物価は予想より上がる。いわゆる「スタグフレーション」。1970年代の米国がこれ。投資家にとって最も厄介な季節。
  • 季節③:成長↑ × インフレ↓ ― 経済は予想以上に強く、物価は予想より落ち着いている。投資家にとって最も心地よい「ゴルディロックス(適温)」相場。
  • 季節④:成長↓ × インフレ↓ ― 経済が予想より弱く、物価も予想より下がる。デフレ的な不況。2008年のリーマンショック直後がこれに近い。

ダリオの、決定的に重要な主張は、ここからだ。

投資家は、常に、未来の状況を『織り込んで(discounting)』いる。そして、4つの季節のうち、どれが来るかについて、当たる確率は、どれも、ほぼ五分五分(equal odds)だ。

つまり、「次に、どの季節が来るか」は、誰にも、正確には予測できない。プロにも、ダリオにも。

ならば、どうするか。ダリオの答えは、鮮やかだ。

4つの季節の、それぞれに対して、『等しいリスク』を配分すればいい。

どの季節が来るか分からない。どの季節も、同じくらいの確率で来る。ならば、4つの季節すべてに、均等に「備え」を置いておく。そうすれば、実際にどの季節が来ても、ポートフォリオのどこかの部分が、必ず、その季節で輝いてくれる。そして、その輝きが、別の部分の沈みを、埋め合わせてくれる。

これが、「4つの季節すべてに、等しいリスクを置く」という、オールウェザーの根本思想だ。

3-4. それぞれの季節で、輝く資産

では、4つの季節のそれぞれで、どの資産が輝くのか。ダリオの整理は、こうだ。

季節①:成長↑ × インフレ↑(過熱)で輝く資産 → 株式、商品(コモディティ)、金、新興国の債券など。経済が強いので株が、インフレなので商品・金が、それぞれ恩恵を受ける。

季節②:成長↓ × インフレ↑(スタグフレーション)で輝く資産 → 物価連動債(インフレ連動国債)、商品、金など。経済は弱いが、インフレ対策の資産が効く。

季節③:成長↑ × インフレ↓(適温)で輝く資産 → 株式、社債、新興国債券など。経済が強く、インフレも落ち着いているので、特に株式が最も輝く。

季節④:成長↓ × インフレ↓(デフレ不況)で輝く資産 → 国債(特に長期国債)、物価連動債など。経済が弱いとき、安全資産である国債に資金が逃げ込み、金利が下がり(債券価格は上がり)、債券が輝く。

この表を見て、何に気づくだろうか。

「すべての季節で輝く、万能の資産は、存在しない。」

株式は、季節①と③では輝くが、季節②と④では沈む。国債は、季節④では輝くが、季節①では沈む。金や商品は、季節①と②(インフレ局面)では輝くが、季節③と④(インフレが落ち着く局面)では沈む。

これは、当たり前のようでいて、多くの投資家が見落としている、決定的な事実だ。「いつでも勝てる資産」は、ない。資産は、循環(サイクル)する。だから、「一つの資産に集中する」のは、「特定の季節に賭ける」のと同じことなのだ。

そして、ここに、伝統的な「株式中心」のポートフォリオの、根本的な弱点がある。

世間で「バランス型」とされる、有名な「60/40ポートフォリオ」(株式60%、債券40%)を考えてみよう。金額の配分は、株6:債4で、一見、バランスがとれているように見える。

だが、ダリオは、こう指摘する。「金額のバランス」と「リスクのバランス」は、まったく別物だ、と。株式は、債券よりもはるかに値動きが激しい(ボラティリティが高い)。だから、金額で6:4に配分しても、「ポートフォリオ全体のリスク(値動き)に対する寄与度」で見ると――株式が、実に90%前後を占めてしまう。債券は、わずか10%程度しか、リスクに寄与していない。

つまり、「バランス型」と呼ばれる60/40ポートフォリオは、実は、「ほとんど、株式に賭けているだけ」なのだ。それは、4つの季節のうち、株式が輝く「季節①と③」に、大きく賭けているのと同じこと。「季節②(スタグフレーション)」や「季節④(デフレ不況)」が来たら、ひとたまりもない。

この「金額のバランスではなく、リスクのバランスを取る」という発想――それが、次の章で詳しく見る、「リスク・パリティ」であり、それを実装したのが「オールウェザー・ポートフォリオ」なのである。


第4章 オールウェザー・ポートフォリオ ― 全天候型の設計思想

4-1. オールウェザーの誕生 ― 家族の信託のために

レイ・ダリオの名前を、世界で最も有名にした投資戦略――それが、「オールウェザー・ポートフォリオ(All Weather Portfolio)」である。

このポートフォリオが生まれた経緯には、ダリオという人物の本質が、よく表れている。

オールウェザーが正式に世に出たのは、1996年。だが、それは、顧客に売るための「商品」として作られたのでは、なかった。

ダリオは、こう語っている。「およそ30年前(注:この発言は2020年代のもの)、私は、自分がいなくなった後に、家族が、私の助けなしに投資できるような戦略を、作ろうとしていた」。

そう。オールウェザーは、もともと、ダリオが、自分の死後の「家族の信託資産(family trust)」のために、設計したものだったのだ。「自分はもう、アドバイスできない。それでも、家族のお金が、どんな時代が来ても、ちゃんと守られ、育っていくように」。その、切実な、個人的な動機から、この戦略は生まれた。

ダリオは、その「家族のためのポートフォリオ」に、4つの条件を課した。

(a)現金より、はるかに高いリターンを生むこと(少なくとも、伝統的な60/40ポートフォリオと同等以上)。 (b)その60/40ポートフォリオよりも、リスクが小さいこと。 (c)特定の経済環境で、ひどい成績になることがないこと。 (d)市場のタイミングを計る必要が、ないこと。

この4条件――特に(c)と(d)――に、第3章までで見てきた、ダリオの思想のすべてが凝縮されている。「どんな季節が来ても大丈夫」で、「予測を必要としない」。これが、オールウェザーの設計仕様書だった。

そして、ダリオは、この4条件を満たす唯一の方法は、「お互いを分散し合う、複数の、高リターン・高リスクな投資を、組み合わせること」だと考えた。個々に見れば値動きの激しい資産でも、それらが「違う季節で輝く」ように組み合わせれば、全体としては、どの一つよりも、リスクが低く、リターンが高くなる――。この組み合わせの妙を実現するために、ダリオが編み出した概念が、「リスク・パリティ」だった。

4-2. リスク・パリティという発明

リスク・パリティ(Risk Parity)」。直訳すれば「リスクの均等配分」。これは、ブリッジウォーターが先駆けとなって広めた、資産配分の、革命的な考え方だ。

第3章の最後で見た問題を、思い出してほしい。伝統的な60/40ポートフォリオは、「金額」では株6:債4とバランスが取れているように見えるのに、「リスク(値動き)」で見ると、株式が約90%を占めてしまっていた。

リスク・パリティは、この問題を、根本から解決する。

その発想は、こうだ。「金額を、均等(あるいは何らかの比率)に配分するのではない。各資産クラスが、ポートフォリオ全体のリスクに『寄与する度合い』を、均等にする」。

具体的には、どうするか。

値動きの激しい資産(株式、商品など)は、「少なめ」に持つ。 値動きの穏やかな資産(国債など)は、「多めに」持つ。

そうすることで、「株式が生むリスク」「債券が生むリスク」「金が生むリスク」「商品が生むリスク」が、だいたい同じ大きさになるように、配分を調整する。

たとえるなら、こうだ。4人で、一台の車を、交代で運転する旅に出るとする。一人が、運転がものすごく荒い(=株式、ボラティリティが高い)。一人が、すごく安全運転(=国債、ボラティリティが低い)。このとき、「運転時間を、4人均等にする」と、荒い運転の人が運転している間、車(=ポートフォリオ)は、めちゃくちゃに揺れる。旅全体の「揺れ」の、ほとんどを、その一人が生み出してしまう。

リスク・パリティの発想は、こうだ。「運転の荒い人には、運転時間を『短く』してもらう。安全運転の人には、運転時間を『長く』してもらう。そうやって、『誰が運転しているときも、車の揺れが、同じくらい』になるように、調整する」。

こうすれば、旅全体を通じて、車の揺れ(=ポートフォリオのリスク)は、特定の一人(=特定の資産)に支配されず、なめらかになる。

ダリオの言葉では、リスク・パリティとは「異なるリスク(異なるボラティリティ)を持つ投資を取り上げ、リスク/ボラティリティを調整することで、それらが同じようなリスクを持つようにすること」だ。

そして、ダリオは、もう一段、深いことを言う。リスク・パリティを使えば、「それぞれの資産が、互いを分散し合うことで、どの一つの資産が単独で持つよりも、同じリターンを、より低いリスクで、得ることができる」。

これは、魔法のように聞こえる。だが、魔法ではない。次の第5章で詳しく見る「分散の数学」――ダリオが「投資の聖杯」と呼ぶもの――の、自然な帰結なのだ。

4-3. 有名な配分 ― 株30/長期債40/中期債15/金7.5/商品7.5

では、オールウェザー・ポートフォリオの、具体的な「中身」は、どうなっているのか。

ここで、一つ、重要な注意点がある。ブリッジウォーターが運用する、本物の「オールウェザー・ファンド」の、正確な中身(レシピ)は、公表されていない。それは、ある程度のレバレッジ(借入)も使った、より複雑なものだ。

世間で「オールウェザー・ポートフォリオ」として知られ、個人投資家がよく真似するのは、ダリオが、作家のトニー・ロビンズとのインタビューの中で、「個人投資家でも、簡単に管理できる、レバレッジを使わないバージョン」として、口頭で示した、簡易版のレシピである。

その配分は、こうだ。

資産クラス 配分
米国株式 30%
米国長期国債(残存20年超) 40%
米国中期国債(残存7〜10年) 15%
金(ゴールド) 7.5%
その他の商品(コモディティ) 7.5%

合計100%。

ダリオ自身、この数字について「正確でも、完璧でもない(would not be exact or perfect)」と、はっきり断っている。これは、あくまで「個人が、簡単に実行できる、近似版」なのだ。この点は、第9章(批判と限界)で、改めて重要になる。覚えておいてほしい。

それでも、この簡易版の配分には、ダリオの思想のエッセンスが、ちゃんと詰まっている。順に見ていこう。

4-4. なぜ、債券が一番多いのか

この配分表を見て、多くの人が、まず、こう思うだろう。「なぜ、債券が、合計55%(長期40%+中期15%)も、あるのか? 株式は30%しかないのに?

普通の感覚なら、「リターンの主役は株式なんだから、株式を一番多くすべきだ」と思う。実際、世間の標準である60/40ポートフォリオは、株式が60%だ。

だが、オールウェザーは、株式30%、債券55%。債券のほうが、ずっと多い。

これこそが、前節で見た「リスク・パリティ」の、実践なのである。

思い出してほしい。リスク・パリティの考え方では、「値動きの激しい資産は少なく、値動きの穏やかな資産は多く」持つ。

  • 株式は、値動きが激しい(ボラティリティが高い)。だから、配分は「少なめ」の30%。
  • 長期国債は、株式ほどではないが、ある程度値動きがある。だから「中くらい」の40%。
  • 中期国債は、もっと値動きが穏やか。
  • 金・商品は、実は、個々に見ると非常に値動きが激しい。だから、それぞれ「ごく少なめ」の7.5%ずつ。

この配分の結果として、「株式が生むリスク」「長期債が生むリスク」「中期債が生むリスク」「金・商品が生むリスク」が、だいたい同じくらいの大きさになる。つまり、4つの経済の季節に対する備えが、リスクのうえで、ほぼ均等になるのだ。

金額で見れば「債券だらけ」に見えるこのポートフォリオは、リスクで見れば「4つの季節に、均等に張った」、極めてバランスのとれたポートフォリオなのである。

具体的に、各資産が、どの季節を担当しているかを、整理しよう。

  • 米国株式(30%) … 「季節③(成長↑インフレ↓)」と「季節①(成長↑インフレ↑)」、つまり「成長」の局面を担当する。
  • 米国長期国債(40%) … 「季節④(成長↓インフレ↓)」、つまりデフレ的な不況の局面を担当する。経済が悪化すると、安全資産として買われ、価格が上がる。
  • 米国中期国債(15%) … 長期国債と同じく、デフレ・低成長の局面を、より穏やかに担当する。
  • 金(7.5%) … 「季節②(成長↓インフレ↑)」、つまりスタグフレーションや、通貨価値の下落局面を担当する。
  • その他の商品(7.5%) … 「季節①」「季節②」、つまりインフレ局面を担当する。

こうして見ると、このポートフォリオが、4つの季節すべてに、ちゃんと「担当選手」を配置していることが、分かる。どの季節が来ても、必ず、誰かが点を取ってくれる。そして、誰かが点を取っている間、別の誰かは失点しているかもしれないが、ポートフォリオ全体としては、大崩れしない。

4-5. リバランスという、規律

オールウェザー・ポートフォリオには、もう一つ、欠かせない要素がある。それが「リバランス(rebalancing、再調整)」だ。

時間が経つと、各資産は、それぞれ違うペースで値上がり・値下がりする。たとえば、株式が大きく上がった年は、ポートフォリオに占める株式の比率が、当初の30%から、35%や40%に膨らんでしまう。逆に、その年、値下がりした資産の比率は、当初より小さくなる。

これを放置すると、せっかく設計した「4つの季節への均等な備え」が、崩れてしまう。気づけば「株式に偏ったポートフォリオ」になっていた、ということになりかねない。

そこで、定期的に――一般には、年に1回、あるいは四半期に1回――比率を、当初の設計(30/40/15/7.5/7.5)に、戻してやる。これがリバランスだ。

具体的には、「比率が膨らんだ資産(値上がりした資産)を、一部売る」。そして、「比率が縮んだ資産(値下がりした資産)を、買い増す」。

ここで、見事なことが起きていることに、気づいてほしい。リバランスとは、機械的に実行するだけで、自動的に「値上がりしたものを売り、値下がりしたものを買う」――つまり、「高く売って、安く買う(buy low, sell high)」を、強制的に実行させてくれる仕組みなのだ。

「高く売って安く買う」。投資の鉄則として、誰もが知っている。だが、実際にやるのは、ものすごく難しい。なぜなら、値上がりして人気の資産は「もっと上がりそう」に見えて、売りたくない。値下がりした不人気の資産は「もっと下がりそう」に見えて、買いたくない。人間の感情は、つねに「高く買って、安く売る」方向に、私たちを誘惑する。

リバランスは、この「感情」を、「規律」で、ねじ伏せる仕組みだ。あらかじめ「年に1回、機械的に比率を戻す」とルールを決めておけば、感情を挟む余地がなくなる。値上がりして浮かれている自分も、値下がりして怯えている自分も、ルールが、黙らせてくれる。

ダリオの哲学の、重要な側面が、ここに表れている。それは「仕組みで、人間の弱さを、補う」という思想だ。人間は弱い。感情に流される。タイミングを誤る。ならば、その弱さを叱るのではなく、弱さが出ても大丈夫な「仕組み」を、設計すればいい。オールウェザーも、リバランスも、そして後で見る『プリンシプルズ』も、すべて、この「人間の弱さを、仕組みで補う」という、一貫した思想から生まれている。

4-6. 「投資商品」ではなく、「設計思想」

この章の最後に、ダリオ自身が、強く強調していることを、伝えておきたい。

ダリオは、こう言う。「オールウェザー・ポートフォリオは、『投資商品』ではない。それは、ある種のバランスを達成するための、『設計上の挑戦(engineering challenge)』であり、その挑戦から、投資商品が生み出されることはあるが、オールウェザーそれ自体は、商品ではない」。

これは、どういう意味か。

ダリオが、私たちに、本当に持ち帰ってほしいのは、「株30/長期債40/中期債15/金7.5/商品7.5」という、特定の数字の組み合わせではない。その数字を、丸暗記して、その通りに買うことが、ゴールなのではない。

ダリオが、本当に伝えたいのは、その背後にある「考え方」のほうだ。すなわち――

「未来は予測できない、と認めること」。 「未来には、複数の『季節』のパターンがありうる、と整理すること」。 「どの季節にも、均等に『備え』を置くこと」。 「金額ではなく、リスクで、バランスを取ること」。 「そして、規律(リバランス)で、その設計を、維持し続けること」。

この「考え方」さえ理解できれば――そして、それを自分の状況に合わせて応用できれば――特定の数字の組み合わせは、二の次なのだ。ダリオは、「人々が、その仕組みが『どう機能するか』を理解し、それを自分で応用する機会を持つこと」を、何よりも望む、と語っている。

だから、この記事でも、特定の配分を「正解」として推奨することは、しない。第9章では、むしろ、この簡易版オールウェザーの「弱点」を、容赦なく検証する。

大事なのは、レシピそのものではなく、レシピを生んだ「料理の思想」を、理解することだ。

次の第5章では、その「思想」の、最も数学的で、最も美しい核心――ダリオが「投資の聖杯」と呼ぶ、分散の数学――に、踏み込んでいく。


第5章 投資の「聖杯」 ― 分散の数学

5-1. ダリオが見つけた「聖杯」

レイ・ダリオは、自分の投資人生で見つけた、最も重要な発見を、大げさでなく「投資の聖杯(The Holy Grail of Investing)」と呼ぶ。

聖杯。中世の伝説で、騎士たちが探し求めた、奇跡の杯。それを見つければ、すべてが満たされる、究極の宝物。ダリオが、投資の世界で見つけた「聖杯」とは、いったい何なのか。

それは、驚くほど、シンプルな数学的な事実だ。一言で言えば、こうなる。

互いに相関の低い、複数のリターン源(収益の流れ)を組み合わせると、リターンを犠牲にすることなく、リスクだけを、劇的に下げることができる。

もう少し噛み砕こう。

普通、投資の世界では、「ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターン」が、鉄則だとされる。リターンを上げたければ、リスクを取らねばならない。リスクを下げたければ、リターンをあきらめねばならない。それが、トレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)だ、と。

ダリオの「聖杯」は、この、誰もが信じている鉄則に、ある条件下で、風穴を開ける。「互いに相関の低い」リターン源を組み合わせるなら――リターンはそのままに、リスクだけを、減らせる。トレードオフを、部分的に、打ち破れる。

これは、なぜ起きるのか。「相関」という言葉を、理解する必要がある。

5-2. 「相関」とは何か ― そして、なぜ「相関の低さ」が宝物なのか

相関(correlation)」とは、2つのものが、「どれくらい、一緒に動くか」を表す指標だ。

  • 相関が高い(プラス):2つが、同じ方向に、一緒に動く。一方が上がれば、もう一方も上がる。一方が下がれば、もう一方も下がる。
  • 相関がゼロ:2つの動きに、関係がない。一方が上がっても、もう一方は、上がるかもしれないし、下がるかもしれない。バラバラ。
  • 相関が低い(マイナス):2つが、逆の方向に動く。一方が上がれば、もう一方は下がる。

ここで、決定的な事実がある。投資のリスク(値動きの激しさ)を減らすうえで、宝物のように価値があるのは、「相関の低い(できれば、ゼロや、マイナスの)資産の、組み合わせ」なのだ。

なぜか。具体例で考えよう。

仮に、あなたが、「資産A」だけを持っているとする。資産Aは、年によって、大きく上下する。良い年は+20%、悪い年は−15%、というように。これは、心臓に悪い。

ここで、「資産B」を、半分、組み入れるとする。資産Bも、単独で見れば、資産Aと同じくらい、激しく上下する。

もし、資産Aと資産Bの相関が「高い」なら――両方とも、同じ年に上がり、同じ年に下がる。だから、AとBを半分ずつ持っても、ポートフォリオ全体の値動きは、Aだけを持っていたときと、ほとんど変わらない。リスクは、減らない。

だが、もし、資産Aと資産Bの相関が「低い」なら――話は、まったく変わる。Aが下がる年に、Bは(たまたま)上がっているかもしれない。Bが下がる年に、Aは上がっているかもしれない。すると、AとBを半分ずつ持つと、Aの不調をBが埋め、Bの不調をAが埋める。ポートフォリオ全体の値動きは、AだけやBだけのときよりも、ずっと、なめらかになる。リスクが、減る。

しかも――ここが「聖杯」の核心なのだが――AとBが、どちらも、長期的には「右肩上がり」の資産であれば、リスクは減っても、リターン(長期的な期待収益)は、減らない。AとBの平均的なリターンは、ちゃんと、得られる。ただ、その道のりの「揺れ」だけが、小さくなる。

リターンはそのまま。リスクだけ減る。これが、「聖杯」だ。

5-3. 「15〜20のリターン源」という、魔法の数字

ダリオは、この「相関の低い資産を組み合わせる」効果を、さらに突き詰めた。そして、ある、印象的な発見にたどり着いた。

もし、互いに相関の低い、15から20の、リターン源を組み合わせることができれば――ポートフォリオ全体のリスクを、リターンを犠牲にすることなく、劇的に(8割方)減らすことができる。

数字を、もう少し具体的に言おう。ダリオの説明によれば――

  • 1つの資産だけを持っているときのリスクを「100」とする。
  • 相関の低い資産を、5つ組み合わせると、リスクは、かなり下がる。
  • 相関の低い資産を、10個組み合わせると、リスクは、もっと下がる。
  • そして、相関の低い資産を、15〜20個組み合わせたあたりで、リスクは、元の「100」に対して、「20前後」まで、つまり約8割減まで、下がる。

しかも、この間、ポートフォリオの「リターン」は、ほとんど変わっていない。各資産が、長期的に右肩上がりである限り、その平均的なリターンは、保たれる。

リスクが8割減って、リターンはそのまま。これは、リスクあたりのリターン――いわゆる「シャープレシオ」――が、劇的に改善する、ということだ。同じリターンを、5分の1のリスクで、得られるようになる。あるいは、同じリスクなら、(レバレッジを使えば)5倍のリターンを、狙えるようになる。

ダリオは、これを「人生で見つけた、最も重要な、投資の真実」だと言う。彼にとって、これは、抽象的な理論ではない。ブリッジウォーターという、世界最大のヘッジファンドの、運用の、まさに土台になっている、実践的な原理なのだ。

5-4. ただし――「相関が低い」を見つけるのが、難しい

ここまで読むと、「なんだ、簡単じゃないか。相関の低い資産を、15個、20個、集めればいいんだろう」と思うかもしれない。

だが、ここに、「聖杯」探しの、本当の難しさがある。

「本当に、相関が低い」リターン源を、15も20も見つけるのは、実は、ものすごく難しい。

なぜか。理由は、いくつもある。

第一に、世の中の多くの資産は、見かけよりも、相関が高い。たとえば、「米国株」と「日本株」と「欧州株」と「新興国株」を、それぞれ持てば、「4つに分散した」気になる。だが、世界的な金融危機が起きると、これらは、ほぼ全部、一緒に暴落する。「国は違うが、どれも『株式』」なので、根っこの相関が高いのだ。これは「見せかけの分散」にすぎない。

第二に、相関は、固定されていない。相関は、時間とともに、変化する。 平時には相関の低かった2つの資産が、危機のときには、突然、相関が高くなる(一緒に下がる)ことがある。「いざというとき、頼りにしていた分散が、効かなくなる」。これは、投資の世界で、繰り返し起きてきた、悪夢だ。第9章で見る「2022年の悲劇」も、まさにこれだった。

第三に、「相関が低く」かつ「長期的に右肩上がり(プラスの期待リターンを持つ)」という、両方の条件を満たす資産は、限られている。相関が低いだけなら、たとえば「コインの裏表に賭ける」のだって相関ゼロだが、それは期待リターンがゼロ(かマイナス)なので、意味がない。「ちゃんと儲かり、かつ、互いにバラバラに動く」もの――これを15も20も探すのは、至難の業なのだ。

だからこそ、ブリッジウォーターは、何百人ものリサーチャーを抱え、世界中の、何十もの市場(各国の株式、各国の債券、通貨、商品、物価連動債、信用スプレッド……)を分析し、それらの「相関の構造」を、徹底的に研究している。「相関の低いリターン源を、できる限りたくさん見つけ出す」――それが、ブリッジウォーターの、知的活動の、中心なのだ。

そして、第4章で見た「オールウェザー・ポートフォリオ」は、この「聖杯」の、いわば「個人向けの、簡易版」だと理解すると、すべてがつながる。

オールウェザーの「株/長期債/中期債/金/商品」という5つの資産は、「個人が、現実的に、低コストで保有できる範囲で、できるだけ相関の低い、5種類のリターン源を集めた」ものなのだ。本物のブリッジウォーターのオールウェザー・ファンドが、15も20ものリターン源を使い、レバレッジも駆使して「聖杯」を追求しているのに対し、個人向け簡易版は、5つの資産で、「聖杯」の精神を、ささやかに、しかし本質を外さずに、再現しようとしている。

リスク・パリティ(第4章)も、4つの季節(第3章)も、すべては、この第5章の「聖杯」――「相関の低いリターン源を組み合わせて、リスクを減らす」――という、たった一つの数学的真実から、流れ出ている。これが、ダリオの投資哲学の、最も深い、源泉である。

――

ここまでの第1章から第5章で、ダリオの投資哲学の「設計思想」の部分――経済マシン、4つの季節、オールウェザー、リスク・パリティ、聖杯――を、一通り見てきた。

だが、どんなに優れた「仕組み」も、それを使う「人間」が、感情に流されて、めちゃくちゃに運用してしまえば、意味がない。次の第6章では、ダリオが、私たち一人ひとりの「個人投資家」に向けて語った、もっと実践的で、もっと心理的な「投資の原則」を見ていく。そしてその先で、投資を超えた、ダリオの「生き方の原則」――『プリンシプルズ』――へと、進んでいく。


第6章 ダリオの投資原則 ― 個人投資家への教え

ここまでの章では、ダリオの「設計思想」――経済マシン、4つの季節、オールウェザー、リスク・パリティ、聖杯――を見てきた。これらは、いわば「ポートフォリオの構造」の話だった。

この章では、視点を変える。ダリオが、私たち一人ひとりの「個人投資家」に向けて、繰り返し語ってきた、もっと実践的で、もっと心理的な「原則」を見ていく。構造をいくら正しく設計しても、それを運用する「人間」が間違えれば、すべてが台無しになる。だから、この章の教えは、第5章までの「設計思想」と、同じくらい重要だ。

6-1. 市場のタイミングを計るな

ダリオが、個人投資家に向けて、最も強く、最も繰り返し語る原則。それが、これだ。

市場のタイミングを、計ろうとするな。

ダリオの言葉を、もう一度引用しよう。「ほとんどすべての投資家は(よく確立されたプロの投資家でさえも)、自分ではできると思っていても、実際には、市場のタイミングを効果的に計ることはできない。そのため、私は、自分のポートフォリオを自分で管理するほとんどの投資家にとって、投資は、ほとんど、あるいはまったく、市場のタイミングを計らずに行われるべきだと信じている」。

これは、第1章で見た、ダリオ自身の1982年の大失敗から、直接、引き出された教訓だ。世界最高クラスの頭脳と資源を持つダリオが、「タイミングは読めない」と認めている。ならば、平日は仕事をして、夜と週末に少し相場を見る程度の個人投資家が、「今が買い時だ」「そろそろ天井だ」と読めるはずがない。

なぜ、タイミングを計ってはいけないのか。理由は、突き詰めると、こうだ。

市場のタイミングを計るという行為は、「自分が、市場の参加者全員の総意よりも、賢い」と賭けることに等しい。 あなたが「今は買い時だ」と思って買うとき、あなたの相手として「今は売り時だ」と思って売っている人がいる。その相手は、しばしば、何兆円もの資金を運用し、何百人ものアナリストを抱える、プロの機関投資家だ。あなたは、毎回の売買で、その相手より賢い、と賭けている。それを、何十回、何百回と、勝ち続けられるか。

ダリオの答えは、「ノー」だ。だから、「タイミングを計る」のではなく、「どんなタイミングでも大丈夫な仕組み(=オールウェザー)を作り、それを、淡々と、保有し続ける」。これが、ダリオの処方箋だ。オールウェザーが「市場のタイミングを計る必要がないこと」を設計条件(d)に掲げていたのは、まさにこのためだった。

6-2. あなたの最大の敵は、「あなた自身」

ダリオの原則の、もう一つの柱。それは、「投資における、あなたの最大の敵は、市場でも、不況でも、暴落でもない。あなた自身の『感情』だ」という認識だ。

これは、ダリオに限らず、グレアム以来の、すべての偉大な投資家が、口をそろえて言ってきたことだ。だが、ダリオは、これを、特に深く、構造的に捉えている。

人間の脳は、投資に向いていない。これは、ダリオの基本認識だ。私たちの脳は、何万年もの進化の過程で、「サバンナで生き延びる」ために、最適化されてきた。「目の前に危険があれば、すぐ逃げる」「群れと一緒にいれば安心」「直近の出来事を、重く受け止める」。これらは、サバンナでは、生存に有利な本能だった。

だが、この本能を、そのまま投資に持ち込むと、すべてが裏目に出る。

  • 「危険があれば、すぐ逃げる」→ 市場が暴落すると、恐怖で、底値で売ってしまう。
  • 「群れと一緒にいれば安心」→ みんなが熱狂しているバブルの天井で、つられて買ってしまう。
  • 「直近の出来事を、重く受け止める」→ 直近3年が好調だと「これからもずっと好調だ」と錯覚し、直近3年が不調だと「もう終わりだ」と絶望する。

つまり、人間の感情は、放っておくと、つねに「高く買って、安く売る」方向に、私たちを引っ張る。投資で勝つために必要な「安く買って、高く売る」とは、正反対の方向に。

ダリオの解決策は、第4章のリバランスのところでも触れた、「仕組みで、感情を、ねじ伏せる」というものだ。

具体的には――

  • ポートフォリオの設計を、あらかじめ、ルールとして、書き出しておく。
  • 売買のタイミング(リバランスの頻度)を、あらかじめ、ルールとして、決めておく。
  • そして、いざ、市場が暴落して、自分の感情が「売れ! 逃げろ!」と叫んでいるときも、ルールに従う。感情ではなく、事前に決めた原則に従う。

ダリオは、こうも言う。投資判断を、その場の「直感」や「衝動」で下すのではなく、あらかじめ書き出した「原則(principle)」に基づいて下せ、と。これは、まさに、次章で詳しく見る『プリンシプルズ』の思想そのものだ。「原則を、先に決めておく。そして、いざというときは、感情ではなく、原則に従う」。これが、自分という最大の敵を、手なずける、唯一の方法なのだ。

6-3. コンセンサスは、すでに価格に織り込まれている

ダリオが、市場について語るとき、繰り返し強調する、重要な認識がある。それは――

市場の価格は、すでに『コンセンサス(大方の予想)』を、織り込んでいる。

これは、どういうことか。

たとえば、ある国の経済が「来年は好調だ」と、誰もが予想しているとする。エコノミストも、新聞も、テレビのコメンテーターも、みんな「来年は良い年になる」と言っている。

このとき、初心者は、こう考える。「よし、来年は好調なんだから、株を買おう」。

だが、ダリオは言う。それは、間違いだ、と。なぜなら――「来年は好調」という予想は、すでに、今の株価に、織り込まれているからだ。市場に参加している無数のプロたちが、すでに「来年は好調」を前提に、株を買っている。その結果として、今の株価は、「好調な来年」を、すでに反映した水準にある。

だから、本当に「来年、好調だった」としても――それは、市場の予想通りなのだから――株価は、大して上がらない。

株価を、本当に動かすのは、「予想通りになったかどうか」ではない。「予想に対して、上振れたか、下振れたか(=サプライズ)」だ。これは、第3章で「4つの季節」を説明したときに見た、「予想に対しての上振れ・下振れ」という話と、まったく同じ構造だ。

この認識から、2つの重要な教訓が出てくる。

教訓1:「みんなが知っていること」で、儲けようとするな。 ニュースで報じられ、誰もが知っている情報は、すでに価格に織り込まれている。それを後追いしても、儲からない。

教訓2:だからこそ、「予測で勝とう」とすること自体が、いかに難しいかを、思い知れ。 予測で勝つには、「市場のコンセンサスよりも、正確に、未来を当てる」必要がある。それは、プロでも至難の業だ。だからこそ――話は、また、ここに戻ってくる――「予測で勝とう」とするのをやめて、「予測を必要としない仕組み(オールウェザー)」を作るほうが、賢明なのだ。

6-4. 大きく賭けるな。しかし、機会は逃すな

ダリオの投資原則には、一見、矛盾するように見える、2つの教えがある。

一つは、「一つの賭けに、大きく張るな」。 もう一つは、「しかし、良い機会は、逃すな」。

この2つは、どう両立するのか。

答えは、第5章の「聖杯」にある。

「一つの賭けに、大きく張るな」――これは、第1章のダリオの失敗そのものだ。1982年、彼は「大恐慌が来る」という、一つの予測に、大きく張った。そして、外れて、破滅した。「一つの大きな賭け」は、それが外れたとき、致命傷になる。

では、「機会を逃すな」とは、どういうことか。これは、「リスクを取るな」「臆病になれ」という意味では、ない。

ダリオが言いたいのは、こうだ。「良い機会(プラスの期待リターンを持つリターン源)は、できる限り、たくさん、拾え。ただし、その一つひとつには、大きく張るな。そして、それらが、互いに『相関が低い』ように、組み合わせろ。

これが、「聖杯」の戦略だ。15〜20の、相関の低い、良い機会を、それぞれ「小さく」拾う。一つひとつは小さいから、どれか一つが外れても、致命傷にならない。だが、全部を合わせれば、ちゃんとした「リターン」になる。しかも、相関が低いから、「リスク」は劇的に小さい。

つまり――

  • 「一つに大きく賭ける」のは、ダメ。それは、運任せのギャンブルだ。
  • 「リスクを恐れて、何もしない」のも、ダメ。それは、機会を逃している。
  • 正解は、「たくさんの、相関の低い、良い機会を、それぞれ小さく拾う」こと。

ダリオの言葉で言えば、「攻め」と「守り」は、矛盾しない。「相関の低い機会を、たくさん集める」という、ただ一つの戦略が、「攻め(リターンの確保)」と「守り(リスクの低減)」を、同時に実現してくれる。これが、「聖杯」の、実践的な意味だ。

6-5. 借金と現金の、本当の意味

ダリオは、「経済マシン」の理解(第2章)を、個人の家計にも、応用するよう促す。特に、「借金(債務)」と「現金」について、独特の、しかし重要な見方を持っている。

借金について。 第2章の「3つのルール」の、ルール1――「債務を、所得より速く増やすな」――を、思い出してほしい。ダリオは、借金そのものを、悪だとは言わない。彼が問題視するのは、「所得の伸びを超えるペースで、借金が増えること」だ。借りたお金が、自分の「稼ぐ力(所得・生産性)」を高めるために使われ、その伸びの範囲内に収まっているなら、借金は「良い借金」になりうる。だが、借りたお金が、消費に消え、所得の伸びを超えて膨らめば、それは「悪い借金」であり、いずれ、その人を押しつぶす。国家レベルの長期債務サイクルと、まったく同じ力学が、個人の家計にも働く。

現金について。 ここに、ダリオの、最も「逆張り」的で、最も論争的な主張がある。

多くの人は、「現金が、一番安全な資産だ」と思っている。株や債券は値下がりするかもしれないが、現金は、額面が減らない。だから安全だ、と。

ダリオは、これを、真っ向から否定する。彼の有名な言葉に「Cash is trash(現金はゴミだ)」というものがある(これは特定の時期の、特定の文脈での発言であり、額面通りに受け取るべきではないが、彼の思想をよく表している)。

なぜ、ダリオは、現金をそこまで嫌うのか。理由は、「インフレ」と「お金を刷ること」だ。

第2章で見たように、長期債務サイクルの終わりのデレバレッジングでは、中央銀行は「お金を刷る(レバー4)」。お金が大量に刷られれば、お金一単位あたりの価値は、じわじわと下がっていく。額面は減らなくても、その現金で買えるモノの量は、年々、減っていく。これが、インフレによる「現金の購買力の、静かな目減り」だ。

ダリオに言わせれば、「現金は、額面が減らないから安全」というのは、錯覚だ。現金は、「気づかないうちに、購買力が、ゆっくりと溶けていく」資産なのだ。特に、長期債務サイクルの終盤――まさに、ダリオが「今がそうだ」と考えている局面――では、その目減りのスピードは、速くなる。

だから、ダリオは言う。「真に安全なのは、現金を抱え込むことではなく、よく分散され、よく設計されたポートフォリオを持つことだ」。オールウェザーのような、インフレにも、デフレにも、成長にも、停滞にも、備えのあるポートフォリオ。それこそが、現金よりも、はるかに「安全」なのだ、と。

これは、直感に反する主張だ。だが、ダリオの「経済マシン」の論理を、最後までたどれば、この結論に行き着く。「安全とは何か」という、その定義そのものを、ダリオは、私たちに問い直させる。

6-6. 痛みを伴う現実から、逃げない

この章の最後に、ダリオの投資原則の、最も根底にある「態度」について、述べておきたい。

それは、「痛みを伴う現実から、目を背けるな。それを直視し、受け入れ、それに、うまく対処せよ」という、態度だ。

投資をしていると、「見たくない現実」が、たくさん出てくる。

自分のポートフォリオが、大きく値下がりしている。自分の判断が、間違っていた。自分が、感情に流されて、やってはいけない売買をしてしまった。市場が、自分の予想と、正反対に動いている。

人間の自然な反応は、「目を背けること」だ。値下がりした口座を、見ないようにする。自分の間違いを、認めない。「市場のほうが、おかしいんだ」と、責任を転嫁する。

ダリオは、この「逃避」こそが、投資家を――そして人間を――滅ぼす、と考える。

彼の、最も有名な公式を、もう一度。「痛み + 振り返り = 進歩(Pain + Reflection = Progress)」。

痛み(値下がり、失敗、屈辱)は、それ自体は、ただの痛みだ。だが、その痛みから、目を背けずに、「なぜ、こうなったのか」を、徹底的に振り返るなら――その痛みは、「進歩」に、変わる。次は、同じ間違いをしない。次は、もっとうまくやれる。

逆に、痛みから目を背ければ――痛みは、ただの痛みのまま、何の学びも生まず、そして、同じ間違いが、また繰り返される。

ダリオ自身が、1982年に、これをやった。彼は、あの屈辱的な失敗から、目を背けなかった。それを、徹底的に振り返り、「自分は間違いうる」という教訓を引き出し、その教訓を土台に、ブリッジウォーターを作り直した。彼の、その後の40年の成功は、すべて、「あの痛みから、逃げなかったこと」から、始まっている。

投資における、ダリオの、最も深い教えは、おそらく、これだ。「現実を直視せよ。それが、たとえ、どんなに痛くても。なぜなら、現実を正確に理解することだけが、良い結果の、唯一の土台だから。

そして、この「現実を直視する」という態度は、投資の枠を、はるかに超えていく。それは、ダリオの、生き方そのものの、原則になる。次の第7章で見る、『プリンシプルズ』の世界へ。


第7章 『プリンシプルズ(原則)』 ― 思考と意思決定の技術

7-1. 投資の本ではない、しかし投資に効く本

レイ・ダリオは、2017年、一冊の分厚い本を出した。タイトルは『Principles: Life and Work(プリンシプルズ ― 人生と仕事の原則)』。

この本は、世界的なベストセラーになった。だが、面白いことに、この本は、「投資の本」では、ない。株の選び方も、ポートフォリオの組み方も、ほとんど書かれていない。

書かれているのは、「どう生きるか」「どう意思決定するか」「どう組織を運営するか」――そういう、もっと根源的な「原則」の集まりだ。

では、なぜ、ダリオの投資哲学を語る記事で、この「投資ではない本」を、一章を割いて、扱うのか。

理由は、シンプルだ。ダリオにとって、「良い投資判断」と「良い人生の判断」は、同じ『原則』から生まれるからだ。

第6章で見た、「自分の感情が最大の敵」「現実を直視する」「痛み+振り返り=進歩」――これらは、すべて、『プリンシプルズ』に書かれている、生き方の原則であり、同時に、投資の原則でもある。ダリオの投資哲学を、本当に理解するには、その土台にある、この「思考と意思決定の技術」を、避けて通れない。

『プリンシプルズ』の出発点も、やはり、1982年の、あの失敗だ。第1章で見たように、ダリオは、あの痛みから、「次は同じ間違いを繰り返さないための原則を、書き出す」という習慣を始めた。最初は、自分のためのメモだった。それが、何十年も続けられ、何百もの原則として蓄積され、最終的に、一冊の本になった。だから『プリンシプルズ』は、机上の哲学ではない。「実際の、痛い失敗から、一つひとつ、絞り出された」、実践の記録なのだ。

7-2. 「痛み + 振り返り = 進歩」 ― すべての原則の母

『プリンシプルズ』の、数百の原則の、すべての「母」にあたるのが、すでに何度も登場した、この公式だ。

痛み + 振り返り = 進歩(Pain + Reflection = Progress)

ダリオは、これを、人間の成長の、根本法則だと考える。

人は、うまくいっているときには、学ばない。学びは、いつも、「うまくいかなかったとき」――痛みを感じたとき――に、訪れる。

だが、痛みだけでは、足りない。痛い思いをしても、そこから「振り返り(reflection)」をしなければ、人は、同じ間違いを、何度でも繰り返す。痛みが、振り返りと結びついて、初めて、「進歩」になる。

ダリオは、関連して、こうも言う。「ミスをすることが許される文化を作れ。しかし、そのミスから学ばないことは、許されない文化を作れ。

ミスは、避けられない。誰でも、間違える。問題は、ミスそのものではなく、「ミスから学ぶか、学ばないか」だ。学ぶなら、ミスは、進歩の燃料になる。学ばないなら、ミスは、ただの損失で終わる。

そして、ダリオは、自分自身が、その「学ぶ」プロセスを、徹底的に「仕組み化」した。彼は、間違いを犯すたびに、それを記録し、根本原因を分析し、「次に同じ状況が来たら、どうすべきか」という原則を、書き出した。間違いを、いちいち、「再利用可能な原則」に、変換していったのだ。これが、『プリンシプルズ』という本の、製造プロセスである。

この「痛み+振り返り=進歩」は、投資に、直接、効く。第6章で見た通りだ。ポートフォリオが値下がりしたという「痛み」。その痛みから目を背けず、「なぜか」を「振り返る」。そこから、「次に活かせる原則」を、引き出す。これを繰り返す投資家だけが、「進歩」していく。

7-3. アイデア・メリトクラシー ― 「最も良い意見」が勝つ仕組み

『プリンシプルズ』の、もう一つの中心概念が、「アイデア・メリトクラシー(Idea Meritocracy、アイデアの実力主義)」だ。

これは、もともとは、ダリオが、ブリッジウォーターという「組織」を運営するために、編み出した原則だ。だが、その本質は、「どうすれば、人間の集団は、最も正しい結論に、たどり着けるか」という、普遍的な問いへの、答えである。

ダリオは、組織の意思決定には、3つのタイプがある、と整理する。

  • 独裁(オートクラシー):一人(トップ)が、すべてを決める。速いが、その一人が間違っていれば、組織全体が間違える。
  • 民主主義(デモクラシー):全員の一票が、等しい重みを持つ。公平に見えるが、「最も詳しい人」の意見と、「何も知らない人」の意見が、同じ重みになってしまう。
  • アイデア・メリトクラシー:最も良いアイデアが、誰が出したかに関わらず、勝つ。ただし、「良い」かどうかの判断は、その分野での「実績」も加味して、行われる。

ダリオが目指したのは、3番目だ。地位や肩書きや声の大きさではなく、「アイデアそのものの質」で、結論が決まる仕組み。

そして、ダリオは、このアイデア・メリトクラシーを、一つの「方程式」で表現した。これは、『プリンシプルズ』の、最も有名な一行だ。

アイデア・メリトクラシー = ラディカル・トゥルース + ラディカル・トランスペアレンシー + 信頼度で重みづけした意思決定

(Idea Meritocracy = Radical Truth + Radical Transparency + Believability-Weighted Decision Making)

この3つの要素を、順に見ていこう。

7-4. ラディカル・トゥルース(徹底した真実)

ラディカル・トゥルース(Radical Truth)」とは、ダリオの言葉では、「自分の考えや、自分の疑問を――特に、批判的なものを――フィルターにかけずに、口に出すこと」だ。

普通、人間は、思ったことを、そのまま口にしない。相手を傷つけないように、その場の空気を壊さないように、自分が嫌われないように――さまざまな「フィルター」をかけて、言葉をやわらげたり、飲み込んだりする。

ダリオは、この「フィルター」こそが、組織を――そして、個人を――誤らせる、と考える。なぜなら、フィルターをかけた瞬間、「本当のこと」が、見えなくなるからだ。

ダリオは、2種類の「真実」を区別する。「人々が、正直に、そう信じていること」と、「客観的に、本当に正しいこと」。後者(客観的な真実)にたどり着くには、まず、前者(各人が正直に信じていること)を、全部、テーブルの上に出さなければならない。誰かが、「本当はそう思っているのに、フィルターをかけて、言わない」と――その分だけ、客観的な真実から、遠ざかる。

だから、ブリッジウォーターでは、「思ったことは、言う」ことが、文化として、強く求められた。上司に対してであっても、「あなたのその分析は、3ページ目の前提に、欠陥があると思います」と、はっきり言う。それが、ラディカル・トゥルースだ。

ただし――ここは、極めて重要な注意点だ――ラディカル・トゥルースは、「他人を、無礼に、攻撃していい」という意味では、断じて、ない。ダリオの原則は、「真実を、追求すること」であって、「人を、傷つけること」ではない。「あなたの分析の、この前提に、欠陥がある」と言うのは、有益な、ラディカル・トゥルースだ。「あなたの仕事は、雑だ」と言うのは、ただの、破壊的な、人格攻撃だ。この2つの違いを、組織は、厳格に、区別しなければならない。「ラディカル・トゥルース」を、個人攻撃の「隠れ蓑」にしてはならない――ダリオは、これを、繰り返し戒めている。

7-5. ラディカル・トランスペアレンシー(徹底した透明性)

ラディカル・トランスペアレンシー(Radical Transparency)」とは、ダリオの言葉では、「ほとんど誰もが、ほとんどすべてを、見られるようにすること」だ。

ブリッジウォーターでは、これが、徹底されていた。象徴的なのは、「ほぼすべての会議が、録画され、社員が、後から見られるようにされていた」ことだ。意思決定の理由は、文書化された。人事評価さえ、オープンに共有された。

なぜ、そこまで「透明」にするのか。ダリオの論理は、こうだ。

第一に、人々が、同じ情報を共有していれば、より良い判断ができる。 情報が、一部の人にだけ握られていると、その「情報の非対称性」が、ゆがみを生む。誰かが、情報を独占して、自分に有利に使う。あるいは、情報を持たない人が、見当違いの判断をする。透明性は、この「情報の非対称性」を、なくす。

第二に、透明性は、社内政治を、減らす。 何もかもがオープンなら、陰で操作したり、媚びへつらったり、責任をなすりつけたりする「政治」が、成立しにくくなる。

第三に、透明性は、学びを、加速する。 ある会議での議論を、他の全員が見られれば、その議論から、全員が学べる。一人の学びが、組織全体の学びになる。

ただし、ダリオは、「透明性にも、限度はある」ことを、認めている。たとえば、まだ公表できない、極めて機密性の高い情報まで、何もかも開示せよ、とは言わない。彼の表現では、「より多くの光があったほうがいい、という前提から出発し、『これ以上は、何も生み出さなくなる――いや、むしろ、破壊し始める』と思うところまで、透明性を押し進めよ」。そして、「何を透明にし、何を透明にしないかについて、透明であれ」。つまり、「これは、こういう理由で、開示しません」ということ自体は、ちゃんと、明らかにせよ、ということだ。

7-6. 信頼度で重みづけした意思決定

アイデア・メリトクラシーの方程式の、3つ目の要素。それが、「信頼度で重みづけした意思決定(Believability-Weighted Decision Making)」だ。

これは、ダリオの仕組みを「ただの民主主義」と分かつ、決定的な部分だ。

第7章の3節で見たように、純粋な民主主義(全員の一票が等しい)には、欠陥がある。「その分野に、何十年も取り組み、何度も正しい予測をしてきた人」の意見と、「その分野について、何も知らない新人」の意見が、同じ「一票」になってしまう。これでは、集団の知恵は、最大化されない。

そこで、ダリオは、こう考えた。「各人の意見の『重み』を、その人の、その分野での『実績(track record)』に応じて、変えればいい」。

ある分野で、何度も正しい判断をしてきた、実績のある人――ダリオの言葉で「信頼度(believability)の高い人」――の意見は、その分野の決定において、より大きな重みを持つ。実績のない人の意見は、小さい重みになる。

これは、肩書きや、年功や、役職とは、関係ない。あくまで、「その分野での、実証された実績」だ。新人でも、ある分野で、何度も正しい予測を当ててきたなら、その分野では、ベテランより、大きな重みを持つ。逆に、役員でも、ある分野での実績がなければ、その分野での重みは、小さい。

ダリオは、これを「エリート主義(elitism)」ではなく「合理的な判断(rational judgment)」だ、と言う。実績を、無視するほうが、むしろ、不合理なのだ、と。

このために、ブリッジウォーターは、「誰が、何について、正しかったか」を、正直に、記録し続けた。多くの組織は、この「実績の記録」を、居心地が悪い、と感じて、やらない。だが、それをやることで、意思決定の質は、長期的に、劇的に向上する――ダリオは、そう主張する。

なお、ダリオは、「アイデア・メリトクラシーが、無秩序(アナーキー)に陥ること」を、強く警戒している。意見を戦わせるのは、決定が「下されるまで」だ。いったん、原則に従ったプロセスで、決定が下されたら――たとえ、自分の意見が通らなかったとしても――全員が、その決定を、支持し、実行しなければならない。これを、ダリオは「反対し、そして、コミットせよ(disagree and commit)」と呼ぶ。ダリオは、これを、法廷制度にたとえる。判決が下されたら、敗訴した側も、その判決に従う。それが、システムへの信頼を、保つのだ。

7-7. 5ステップ・プロセス ― 何かを成し遂げるための、普遍の手順

『プリンシプルズ』には、もう一つ、極めて実践的な、有名なツールがある。「何かを得るための、5ステップ・プロセス」だ。

ダリオは、人生で、何かを成し遂げようとするとき、それは、必ず、この5つのステップを、繰り返すことだ、と言う。

ステップ1:明確な「目標(Goals)」を持つ。 何を達成したいのか。それを、ぼんやりとではなく、明確に、設定する。

ステップ2:目標への道を阻む「問題(Problems)」を、特定する。そして、その問題から、目を背けない。 目標に向かう途中には、必ず、問題が現れる。多くの人は、ここで、痛みを感じる問題から、目を背けてしまう。だが、問題は、直視しなければ、解決できない。

ステップ3:問題を「診断(Diagnose)」し、その「根本原因(root cause)」を、突き止める。 ここが、多くの人が、すっ飛ばす、最も重要なステップだ。問題が起きたとき、すぐに「解決策」に飛びつくのではなく、まず、「なぜ、この問題が起きているのか」という、根本原因を、冷静に、診断する。表面的な対処ではなく、根っこを、見る。

ステップ4:根本原因を取り除く「計画(Design)」を、立てる。 診断で分かった根本原因を、取り除くための、具体的な計画を、設計する。

ステップ5:その計画を、「実行(Do)」する。やり遂げる。 どんなに良い計画も、実行しなければ、意味がない。最後まで、押し通す。

そして、重要なのは、この5ステップは、「一周して、終わり」ではない、ということだ。実行(ステップ5)の結果、新しい問題(ステップ2)が見えてくる。それを、また診断し(3)、設計し(4)、実行する(5)。この5ステップのループを、何度も、何度も、回し続ける。それが、ダリオの言う「進化(evolution)」だ。

このプロセスは、投資にも、そのまま使える。

  • 目標:「老後の資産形成」「年率○%のリターン」など。
  • 問題:「自分は、市場のタイミングが読めない」「暴落のたびに、感情で売ってしまう」など。
  • 診断:「なぜ、感情で売るのか? → 事前のルールがなく、その場の判断に頼っているから」。
  • 設計:「オールウェザー型の配分を決め、年1回のリバランスをルール化する」。
  • 実行:「そのルールを、淡々と、何年も、守り続ける」。

ダリオの『プリンシプルズ』は、こうして、第6章までの「投資の原則」と、地続きになっている。投資とは、人生という、より大きな「5ステップ・プロセス」の、一部なのだ。

7-8. 『プリンシプルズ』を、投資に活かす ― まとめ

この章で見た、『プリンシプルズ』の教えを、投資家の視点で、まとめておこう。

  1. 痛み+振り返り=進歩。 投資の失敗(痛み)から、目を背けず、根本原因を振り返れ。そこから、自分なりの「原則」を、引き出して、書き留めよ。
  2. ラディカル・トゥルース(自分に対して)。 自分の判断、自分のポートフォリオの現実を、フィルターをかけずに、正直に、直視せよ。「見たくないもの」を、見ろ。
  3. 信頼度で、重みづけせよ。 投資情報に接するとき、「誰が言っているか」を、その人の「実績」で、重みづけせよ。テレビで声の大きい人より、長期の実績で、検証された原則を、信じよ。
  4. 5ステップ・プロセス。 投資を、「目標→問題→診断→設計→実行」の、ループとして、回せ。特に、「診断(根本原因の特定)」を、すっ飛ばすな。
  5. 反対し、そして、コミットせよ。 いったん、自分の原則(投資方針)を決めたら――市場が、一時的に、自分の方針と逆に動いても――感情で、ぶれるな。原則に、コミットせよ。

ダリオにとって、投資の成功は、特別な才能や、秘密の情報から、生まれるのではない。それは、「現実を直視し、原則に基づいて意思決定し、失敗から学び続ける」という、地道で、規律ある、思考の習慣から、生まれる。『プリンシプルズ』は、その習慣の、教科書なのだ。

次の第8章では、ダリオの視野が、さらに、大きく広がる。一つの会社、一つの人生を超えて――数百年単位の、「帝国の興亡」という、超長期のサイクルへ。


第8章 『変化する世界秩序』 ― 帝国の興亡という、超長期サイクル

8-1. なぜ、歴史を500年さかのぼるのか

2021年、レイ・ダリオは、『Principles for Dealing with the Changing World Order(変化する世界秩序に対処するための原則)』という本を出した。

この本で、ダリオの視野は、それまでとは、桁違いに、大きくなる。第2章の「経済マシン」は、せいぜい数十年(長期債務サイクルでも75〜100年)のスケールだった。だが、この本でダリオが扱うのは――過去500年の、いや、もっと言えば、過去千数百年の、帝国の興亡である。

なぜ、ヘッジファンドの運用者が、500年の歴史を、研究するのか。

ダリオの動機は、いつも通り、極めて実践的だ。彼は、2010年代後半、いくつかの「自分が、これまで一度も経験したことのない出来事」が、同時に起きていることに、気づいた。たとえば――先進国の金利が、ゼロやマイナスになったこと。中央銀行が、巨額のお金を刷っていること。一国の中で、貧富の格差をめぐる、深刻な政治的対立が起きていること。そして、既存の覇権国(アメリカ)に対して、新興の大国(中国)が、台頭してきていること。

ダリオは、考えた。「これらは、自分の人生では、経験がない。だが、自分の人生は、せいぜい数十年だ。歴史を、もっと長く、さかのぼれば、これと『同じようなこと』が、過去に、何度も起きているのではないか?

そして、彼は、リサーチチームとともに、過去500年の、主要な帝国――オランダ、イギリス、アメリカ、そして、中国の歴代王朝など――の、興亡の歴史を、徹底的に、分析した。

その結果、見つけたもの。それが、「ビッグサイクル(The Big Cycle)」である。

8-2. ビッグサイクル ― 帝国にも「寿命」がある

ダリオが見つけた「ビッグサイクル」とは、一言で言えば、「帝国(覇権国)には、人間と同じように、誕生し、成長し、成熟し、衰退する、という『一生』のサイクルがある」という発見だ。

そして、このビッグサイクルは、3つの、より小さなサイクルの、重ね合わせとして、理解できる、とダリオは言う。

サイクル1:長期債務サイクル(ビッグ・デット・サイクル)。 これは、第2章で詳しく見た。債務(借金)が、何十年もかけて積み上がり、やがて、デレバレッジングを迎える、というサイクル。

サイクル2:国内の、政治・社会のサイクル。 一国の内部で、富と権力をめぐる対立が、どう推移するか、というサイクル。繁栄の時代には、格差が広がり、やがて、その格差が、深刻な内部対立(時には革命や内戦)を生み、それが、新しい秩序を作る。

サイクル3:国際的な、地政学のサイクル。 国と国の間で、覇権が、どう移り変わるか、というサイクル。一つの覇権国が、長く支配した後、新興国が台頭し、両者が対立し、やがて、覇権が、移る。

この3つのサイクルが、重なり合って、「帝国の一生」――ビッグサイクル――を、形作る。

ダリオの、重要な主張は、こうだ。「これらのサイクルは、近くから(数年単位の視点で)見ていると、見えない。何百年という、長いスパンで、引いて見て、初めて、はっきりとしたパターンとして、浮かび上がる」。

8-3. 国家の盛衰を決める、8つの力

では、ダリオは、「ある国が、今、ビッグサイクルの、どの段階にいるか」を、どうやって測るのか。

彼は、国家の「力(パワー)」を、8つの指標で、測ることを提案した。これらの指標が、どう推移しているかを見れば、その国が、上り坂にいるのか、頂点にいるのか、下り坂にいるのかが、分かる、というのだ。

その8つの力とは、おおむね、次のようなものだ。

  1. 教育:国民が、どれだけ、よく教育されているか。
  2. 技術・イノベーション:どれだけ、新しい技術や発明を、生み出しているか。
  3. 競争力:国際市場で、どれだけ、競争力のある製品やサービスを、提供できているか。
  4. 経済的な生産力(アウトプット):経済の、絶対的な規模。
  5. 世界貿易に占めるシェア:世界の貿易の、どれだけの部分を、担っているか。
  6. 軍事力:どれだけ、強い軍事力を、持っているか。
  7. 金融センターとしての力:その国の金融市場(ニューヨーク、ロンドンなど)が、世界の金融で、どれだけ重要か。
  8. 基軸通貨としての地位:その国の通貨(ドル、ポンドなど)が、世界の取引で、どれだけ使われているか。

ダリオの分析によれば、これらの8つの力は、ある「順番」で、上昇し、そして、ある「順番」で、衰退していく。

ざっくり言えば――まず「教育」が向上する。教育が向上すると、「技術・イノベーション」と「競争力」が高まる。それが、「経済的生産力」と「世界貿易シェア」を押し上げる。経済力がつくと、それを守るための「軍事力」が強化される。経済と軍事の力が、その国を「金融センター」にし、最終的に、その国の通貨が「基軸通貨」になる。

そして、衰退も、ある順番で進む。基軸通貨の地位は、しばしば、他の力が衰えた後も、慣性で、しばらく残る。それが、衰退期の国に、「過剰な借り入れ」を許してしまい、長期債務サイクルの問題を、深刻化させる。

8-4. オランダ → イギリス → アメリカ

ダリオは、この「8つの力のサイクル」を使って、過去500年の、覇権の移り変わりを、説明する。

17世紀:オランダの世紀。 オランダは、教育とイノベーション(造船技術、金融技術)で台頭し、世界貿易を支配し、アムステルダムが世界の金融センターになり、オランダの通貨(ギルダー)が、当時の基軸通貨になった。だが、やがて、戦争のコストと、債務の積み上がりと、新興国(イギリス)の台頭で、衰退した。

18〜19世紀:イギリスの世紀(大英帝国)。 イギリスは、産業革命というイノベーションで台頭し、世界貿易を支配し、ロンドンが世界の金融センターになり、ポンドが、新しい基軸通貨になった。だが、やはり、2度の世界大戦のコストと、債務と、新興国(アメリカ)の台頭で、衰退した。

20世紀〜現在:アメリカの世紀。 アメリカは、20世紀に、教育、イノベーション、経済力、軍事力で、圧倒的な覇権を確立し、ニューヨークが世界の金融センターになり、ドルが、現在の基軸通貨になった。

そして、ダリオが、2021年の時点で、問いかけたのは――「では、アメリカは、今、このビッグサイクルの、どの段階にいるのか?」だった。

ダリオの分析は、慎重ではあるが、その含意は、重い。彼は、アメリカが、ビッグサイクルの「成熟後期から、衰退の初期」に、さしかかっている兆候が、複数ある、と指摘する。巨額の債務。国内の、深刻な政治的・社会的な分断。そして、新興国(中国)の、急速な台頭。これらは、過去の、衰退期の帝国が、共通して経験した、パターンと、似ている、と。

ただし――ここは、強調しておかなければならない――ダリオは、「アメリカは、もうダメだ」「中国が、必ず覇権を取る」というような、断定的な「予言」は、していない。彼が言っているのは、「過去のパターンに照らすと、こういう力学が働いている可能性が高い。だから、投資家も、政策当局も、この『可能性』に、備えておくべきだ」という、あくまで「備え」の話だ。第3章で見た、「予測ではなく、備え」という、彼の一貫した姿勢が、ここでも、貫かれている。

8-5. 『How Countries Go Broke』 ― 国家は、なぜ破産するか

ダリオは、2025年、さらに踏み込んだ本を出した。『How Countries Go Broke: The Big Cycle(国家は、いかにして破産するか ― ビッグサイクル)』である。

この本で、ダリオは、「ビッグ・デット・サイクル(大きな債務のサイクル)」――特に、政府自身が、過剰な債務を抱え込んだとき、何が起きるか――を、より詳しく、論じている。

ダリオの分析の、核心は、こうだ。

長期債務サイクルの終盤、政府は、苦境に陥る。景気を支えるために、政府は、支出を増やさざるをえない。だが、不況なので、税収は、減っている。だから、政府は、大量の国債を、発行する。

問題は、「その大量の国債を、誰が買うのか」だ。民間(投資家)が、喜んで買ってくれるうちは、まだいい。だが、民間が、「この国の財政は、もう危ない」と感じ始め、国債を買うのを、ためらい始めたら――あるいは、すでに持っている国債を、売り始めたら――どうなるか。

政府は、「債務の需給ひっ迫(debt squeeze)」に陥る。国債を発行したいのに、買い手がいない。このとき、最後の買い手として登場するのが、中央銀行だ。中央銀行が、お金を刷って、政府の国債を、買い支える。これが、第2章で見た「お金を刷る(レバー4)」である。

だが、これを、やりすぎると――通貨の価値が、下落し、インフレが、進む。最悪の場合、通貨への信認が失われ、深刻な事態に至る。

ダリオは、この本でも、「典型的なデレバレッジングでは、債務対所得の比率を、おおむね50%程度、引き下げる必要がある」と述べ、それを「うまくやる(美しいデレバレッジング)」か、「下手にやる(恐慌や、ハイパーインフレ)」かで、結末が、大きく分かれる、と説く。

なぜ、ダリオは、こんな「重い」テーマの本を、書き続けるのか。彼自身の言葉が、それを、よく表している。「私は、50年以上、グローバル・マクロ投資家として、誰よりも、長く、懸命に、最高の資源を使って、これらの理解と原則を、得てきた。それらは、私と、他の人々に、豊かに報いてくれた。私は、それらを、私とともに、死なせたくない」。

8-6. 投資家にとっての、意味

『変化する世界秩序』や『How Countries Go Broke』が、個人投資家にとって、持つ意味は、何だろうか。

率直に言って、これらの本の内容を、明日の売買に、直接、活かすことは、できない。「アメリカが衰退期かもしれない」と知っても、では明日、何を買えばいいのか、という問いには、直接の答えは、ない。

だが、これらの本は、もっと、根源的なレベルで、投資家の「視座」を、変える。

第一に、「今の常識は、永遠ではない」という、感覚。私たちは、つい、「自分が生きてきた数十年の常識」を、永遠の真理だと、思い込む。「株式は、長期で持てば、必ず報われる」「ドルは、基軸通貨だ」「アメリカ市場が、世界の中心だ」。だが、500年の歴史を見れば、覇権も、基軸通貨も、「世界の中心」も、すべて、移り変わってきた。この「自分の常識を、相対化する」感覚は、長期投資家にとって、極めて重要な、知的な備えだ。

第二に、「だからこそ、分散が、重要だ」という、再確認。もし、一つの国、一つの通貨、一つの資産クラスの「常識」が、いつか覆りうるなら――それに、すべてを賭けるのは、危険だ。第3章〜第5章で見た「4つの季節への分散」「相関の低い資産への分散」は、数年単位のサイクルへの備えだったが、ビッグサイクルの視点は、それを、「数十年、数百年単位のサイクルへの備え」にまで、拡張する。地域の分散、通貨の分散、資産の分散――その「なぜ」が、より深く、腑に落ちる。

第三に、「予測ではなく、備え」という、一貫した姿勢の、再確認。ダリオは、500年の歴史を分析してもなお、「次に、こうなる」と、予言は、しない。彼がするのは、「過去のパターンは、こうだった。だから、こういう可能性に、備えておこう」という、「備え」の話だ。500年スケールでも、数年スケールでも、ダリオの姿勢は、まったく、ぶれていない。

ダリオの、超長期の歴史観は、私たちに、こう語りかける。「謙虚であれ。今の常識を、疑え。そして、どんな世界が来ても大丈夫なように、備えよ。」――それは、第1章で見た、1982年の失敗から始まった、彼の哲学の、最も壮大な、表現なのである。


第9章 オールウェザーの「影」 ― 批判と限界

ここまで、8つの章を費やして、ダリオの哲学の「光」の部分を、見てきた。経済マシン、4つの季節、オールウェザー、リスク・パリティ、聖杯、プリンシプルズ、ビッグサイクル。

だが、誠実な記事であるためには、「影」の部分も、正面から、見なければならない。ダリオの哲学、特に、その代表作である「オールウェザー・ポートフォリオ」には、明確な「弱点」と「批判」が、存在する。この章は、おそらく、この記事の中で、最も重要な章の一つだ。光だけを見て、影を見ないのは、ダリオ自身が最も嫌う「現実からの逃避」だからである。

9-1. S&P500に、長期で「負けて」きた

オールウェザー・ポートフォリオへの、最も基本的な、そして、最も重要な批判は、これだ。

過去の長期にわたって、オールウェザーは、シンプルな『米国株インデックス(S&P500)』に、リターンで、負けてきた。

これは、批判というより、「事実」だ。そして、ダリオ自身も、これを、否定しない。

ある分析では、オールウェザー・ポートフォリオの、過去30年程度の年率リターンは、おおむね7%台半ば(たとえば、ある集計では年率7.65%、標準偏差7.43%)とされる。これは、決して悪い数字ではない。リスク(標準偏差)が小さいことを考えれば、「リスクあたりのリターン」は、優秀だ。

だが――同じ期間、S&P500は、年率10%前後の、リターンを上げてきた。単純なリターンの比較では、オールウェザーは、米国株インデックスに、明確に、負けている。

これは、当然のことなのだ。なぜなら、第3章〜第4章で見た通り、オールウェザーは、「最高のリターンを狙う」ためのものでは、ないからだ。それは、「どんな季節が来ても、ひどい目に遭わない」ための、設計だ。リターンの『最大化』ではなく、リターンの『安定化』を、目的にしている。

ある解説は、これを的確に、こう表現している。「オールウェザー・ポートフォリオは、根本的に、異なる哲学を、体現している。それは、『単一の、期待される結果に対して、最適化する』のではなく、『不確実性に対して、設計する』ことだ。経済環境を、またいで、リスクのバランスを取ることで、それは、『ピークのリターン』を、『一貫性』と、引き換えにしている」。

つまり、オールウェザーは、強気相場(ブルマーケット)では、株式100%のポートフォリオに、必ず、見劣りする。その「見劣り」を、受け入れられるかどうか。それが、この戦略を採用する人が、最初に、突きつけられる、問いだ。「下落局面で、損失が小さい」という安心と引き換えに、「上昇局面で、取り逃がす利益」を、受け入れられるか。

9-2. 2022年の悪夢 ― 「分散」が、効かなかった年

オールウェザーの「影」が、最も、残酷な形で、表面化したのが、2022年だ。

2022年、世界は、急激なインフレに、見舞われた。それに対応するため、米国のFRBをはじめとする、世界の中央銀行は、猛烈な勢いで、金利を、引き上げた。

このとき、何が起きたか。

金利が、急上昇すると――債券価格は、下落する(金利と債券価格は、シーソーの関係にある)。特に、オールウェザーが、最も多く(40%)保有する「長期国債」は、金利変動の影響を、最も強く受けるため、歴史的な、大暴落を、喫した。

そして、同時に――金利の急上昇は、株式にも、打撃を与えた。金利が上がると、企業の借入コストが増え、また、将来の利益の「現在価値」が目減りするため、株価も、下落した。

つまり、2022年は、「株式と、債券が、同時に、大きく下落した」、極めて、稀な年だった。

これは、オールウェザーの「設計思想」の、根幹を、揺るがす出来事だった。思い出してほしい。オールウェザーは、「株式と債券は、相関が低い(逆方向に動きやすい)」という前提の上に、建てられていた。株が下がるとき、債券が、それを支える。だから、全体としては、大崩れしない――それが、設計思想だった。

ところが、2022年は、その「相関の低さ」という、頼みの綱が、切れた。株も、債券も、一緒に、下がった。オールウェザー・ポートフォリオは、その年、大きな損失を、被った。「全天候型」のはずが、2022年という「天候」には、対応できなかったのだ。

これは、第5章の最後で、警告したことの、現実化だった。「相関は、固定されていない。相関は、時間とともに、変化する。平時には相関の低かった2つの資産が、危機のときには、突然、相関が高くなることがある」。2022年は、まさに、それだった。

2022年の教訓は、重い。「分散」は、万能の魔法では、ない。「いざというとき、頼りにしていた分散が、効かなくなる」リスクは、常に、存在する。オールウェザーは、「ほとんどの季節」には、強い。だが、「すべての季節」に、強いわけでは、ない。「株と債券が同時に暴落する」という季節――それは、オールウェザーの、急所なのだ。

9-3. 米国偏重という、弱点

オールウェザー・ポートフォリオ(の、有名な簡易版)には、もう一つ、構造的な、弱点がある。それは、「極端に、アメリカに、偏っている」ことだ。

簡易版オールウェザーの中身を、もう一度、見てみよう。米国株式30%、米国長期国債40%、米国中期国債15%、金7.5%、商品7.5%。

このうち、金と商品(合計15%)を除く、85%が、すべて「米国」の資産だ。米国の株、米国の国債。国際分散(米国以外の国の株式や債券)が、まったく、入っていない。

ある解説は、これを、明確な「ドローバック(欠点)」として、指摘している。「オールウェザー・ポートフォリオの、欠点の一つは、それが、非常に、米国中心(US-focused)であることだ。国際株式や、国際債券の、入る余地が、ない」。

これは、第8章で見た「ビッグサイクル」の視点と、突き合わせると、皮肉な、危うさを、はらんでいる。第8章で、ダリオ自身が、「アメリカは、ビッグサイクルの、成熟後期から、衰退の初期に、さしかかっている兆候がある」と、論じていた。それなのに、彼の名を冠した、最も有名なポートフォリオは、その「衰退の初期かもしれない国」に、85%を、賭けている。

もちろん、これには、理由がある。簡易版オールウェザーは、もともと、アメリカの個人投資家が、アメリカの証券口座で、簡単に実行できるように、と作られた、近似版だ。だから、アメリカの資産が、中心になっている。

だが、この記事を読んでいる、日本の読者にとっては、これは、看過できない論点だ。「ダリオの哲学(=幅広い分散)」と、「ダリオの名を冠した簡易ポートフォリオの実態(=米国偏重)」の間には、明らかな、ギャップがある。このギャップを、どう埋めるかは、第10章で、改めて、考える。

9-4. 「真の」リスク・パリティでは、ない

第4章で、すでに、軽く触れたが、改めて、はっきりさせておきたい。

世間で「オールウェザー・ポートフォリオ」として、広く知られている「株30/長期債40/中期債15/金7.5/商品7.5」という配分は、「真の(厳密な)リスク・パリティ」では、ない。

ある専門的な解説は、こう、明言している。「オールウェザー・ポートフォリオは、それが、処方されている形では、資産の『真のリスク・パリティ』には、基づいていない。だが、かなり、近い。それは、単に、トニー・ロビンズと、レイ・ダリオの、インタビューの、産物にすぎない。そのインタビューで、ダリオは、これらの配分が、レバレッジなしで、平均的な投資家にとって、適切で、管理しやすいだろう、と、示唆した。ダリオは、これらの配分が『正確でも、完璧でもないだろう』とさえ、述べた」。

つまり――この有名な「黄金比」のような配分は、ダリオが、緻密な計算の末に、「これが、最適解だ」と、導き出したものでは、ない。それは、テレビ番組のインタビューという、カジュアルな場で、ダリオが、「個人なら、まあ、これくらいで、いいんじゃないですか。完璧じゃないですけどね」と、口頭で、示した、「目安」に、すぎないのだ。

ブリッジウォーターが、実際に運用する、本物の「オールウェザー・ファンド」は、より、複雑だ。それは、より多くの資産クラスを使い、そして、何より、「レバレッジ(借入)」を、使っている。

なぜ、レバレッジが、必要なのか。それは、第4章・第5章で見た、リスク・パリティと聖杯の、論理的な帰結だ。リスク・パリティで、本当にリスクのバランスを取ろうとすると、値動きの穏やかな「債券」の比率が、非常に高くなる。すると、ポートフォリオ全体の「リターン」が、低くなりすぎてしまう。そこで、「低リスク・低リターンになったポートフォリオ全体を、レバレッジで、適度に、増幅する」。そうやって、「低リスクのまま、リターンも、確保する」。これが、本物のリスク・パリティ戦略の、姿だ。

しかし――個人投資家が、安易に、レバレッジを使うのは、極めて、危険だ。レバレッジは、リターンを増幅すると同時に、損失も、増幅する。そして、レバレッジをかけたポートフォリオは、2022年のような「想定外の事態」が起きたとき、致命的な打撃を、受けうる。だから、個人向けの簡易版オールウェザーは、「レバレッジなし」を、前提にしている。その代わり、リターンは、本物のオールウェザー・ファンドより、見劣りする。

ここで、理解すべき、重要なことは、こうだ。「個人が真似できる『簡易版オールウェザー』と、ブリッジウォーターの『本物のオールウェザー』は、別物である」。簡易版は、本物の「思想」を、薄めて、個人向けに、簡略化したものだ。それを、「ダリオが運用する、あの、すごいファンドと、同じものだ」と、誤解してはいけない。

9-5. レバレッジと、「想定外」の問題

リスク・パリティ戦略、そして、本物のオールウェザー・ファンドが、抱える、より深い、構造的な批判が、ある。それは、「レバレッジを使った、リスク・パリティ戦略は、『すべての資産が、同時に売られる』局面で、危険な、連鎖反応を、引き起こしうる」というものだ。

論理は、こうだ。リスク・パリティ戦略は、「資産のボラティリティ(値動きの激しさ)」を見て、配分を、調整する。ボラティリティが低いときは、レバレッジを、効かせる。ボラティリティが上がってきたら、リスクを一定に保つために、レバレッジを、減らす(=資産を、売る)。

ここで、問題が起きる。市場全体が、急落し、あらゆる資産の、ボラティリティが、同時に、急上昇したら――リスク・パリティ戦略を採用する、世界中の、巨大なファンドが、いっせいに、「リスクを減らさなければ」と、資産を、売り始める。その「いっせいの売り」が、さらに、市場を、押し下げ、さらに、ボラティリティを、上げ、さらに、売りを、呼ぶ……。

この「リスク・パリティ戦略が、危機を、増幅するのではないか」という批判は、特に、2018年や、2020年のコロナショックの局面で、市場関係者の間で、活発に、議論された。批判が、どこまで、正しいかは、専門家の間でも、意見が分かれる。だが、「ある戦略が、あまりに、広く普及すると、その戦略自体が、市場の不安定要因に、なりうる」という指摘は、頭の隅に、留めておく価値がある。

9-6. ダリオ自身の「予測」は、当たってきたのか

もう一つ、公平のために、触れておかなければならない論点がある。それは、「ダリオ自身の、近年の『市場予測』や『発言』は、必ずしも、当たってこなかった」という、事実だ。

ダリオは、「予測ではなく、備えよ」と説く。それは、彼の哲学の、核心だ。だが、現実のダリオは――特に、ブリッジウォーターの「顔」として、メディアに、頻繁に、登場する、近年のダリオは――しばしば、かなり、踏み込んだ、市場や経済の「見通し」を、語る。

そして、それらの見通しが、すべて、当たってきたわけでは、ない。たとえば、彼が、悲観的な見通しを語った後に、市場が、力強く上昇したことも、あった。「Cash is trash(現金はゴミだ)」と、強く語った後の、特定の局面で、現金を持っていたほうが、結果的に、良かった、というような時期も、あった。

これは、ダリオを、貶めるための指摘では、ない。むしろ、逆だ。これは、ダリオ自身の、最も重要な教えを、彼自身の例で、証明している。すなわち――「ダリオほどの、知性と、資源を持つ人物でさえ、市場のタイミングや、短期の見通しは、当て続けられない」。

だからこそ、ダリオは、「予測ではなく、備えよ」と、説くのだ。彼の予測が、外れることがある、という事実は、彼の哲学の「反証」ではなく、むしろ、彼の哲学の「正しさ」の、証明なのだ。

私たちが、ダリオから、学ぶべきは、彼の「個別の、予測」では、ない。彼が、その予測が外れる、という前提の上に、築き上げた、「仕組み」と「原則」のほうだ。「ダリオが、こう言った」を、売買のシグナルにするのは、ダリオの哲学を、最も、深く、誤解した、使い方である。

9-7. ブリッジウォーター文化への、批判

最後に、投資哲学そのものからは、少し離れるが、触れておくべき論点がある。それは、第7章で見た、ブリッジウォーターの「アイデア・メリトクラシー」「ラディカル・トランスペアレンシー」の文化に対する、外部からの、批判だ。

ブリッジウォーターの文化――会議をすべて録画し、面と向かって、容赦なく、批判し合い、「信頼度」で人を、格付けする――は、賞賛される一方で、「過酷すぎる」「カルト的だ」「精神的な圧力が、強すぎる」といった、批判も、長年、受けてきた。

ダリオ自身は、これに、反論している。「我々のやり方が、ほとんどの人が慣れているものと、違う、ということは、それを、不自然にはしない。アスリートや、兵士が、行う、厳しい肉体訓練が、不自然ではないのと、同じだ。困難なことをやって、初めて、人は、強くなれる。これは、自然の、根本法則だ」。そして、ダリオは、「このやり方に、適応できるのは、試した人の、約3分の2だ」とも、認めている。裏を返せば、約3分の1の人は、この文化に、適応できずに、去っていく、ということだ。

この文化が、「素晴らしい」のか、「過酷すぎる」のかは、価値観の問題であり、この記事で、結論を出すことは、しない。ただ、ダリオの「原則」が、万人にとって、無条件に、心地よいものではない――それを、実践するには、相当の、覚悟と、痛みを伴う――ということは、公平のために、記録しておく。

――

この第9章で、オールウェザーと、ダリオ哲学の「影」を、見てきた。S&P500への、長期の劣後。2022年の、分散の機能不全。米国への、極端な偏り。「真のリスク・パリティではない」という事実。レバレッジの危うさ。ダリオ自身の予測の、不確かさ。

これらの「影」を知ることは、ダリオ哲学を、捨てる理由には、ならない。むしろ、逆だ。「影」を、正確に知って、初めて、その「光」を、正しく、使うことができる。次の第10章では、この「光」と「影」の、両方を、踏まえたうえで――では、日本に暮らす、私たち個人投資家は、ダリオの哲学を、いったい、どう、活かせばいいのか、を、考える。


第10章 ダリオ哲学を、日本の個人投資家が、どう使うか

第9章で、オールウェザーの「影」を、容赦なく、見てきた。S&P500への長期の劣後。2022年の分散の機能不全。米国偏重。「真のリスク・パリティではない」という事実。

では、これらを、すべて、踏まえたうえで――日本に暮らす、私たち、普通の個人投資家は、ダリオの哲学を、いったい、どう、受け止め、どう、活かせば、いいのだろうか。この章では、その「実践」を、考える。

ただし、最初に、強く、断っておく。以下は、特定の金融商品や、特定の資産配分を、「推奨」するものでは、断じて、ない。投資判断は、最終的に、読者自身が、自らの状況、リスク許容度、目標に照らして、自己の責任で、行うべきものだ。以下は、あくまで、「ダリオの哲学を、日本の文脈で、考えるための、視点」である。

10-1. オールウェザーを、そのまま、真似するべきか

まず、最も、率直な問い。「ダリオの、有名な簡易版オールウェザー(株30/長期債40/中期債15/金7.5/商品7.5)を、日本人が、そのまま、真似するべきか」。

答えは、「そのままでは、おそらく、不適切。なぜなら、それは、『アメリカ人が、アメリカで、運用すること』を、前提に、作られているから」だ。

第9章で見た通り、簡易版オールウェザーは、その85%が、米国の資産(米国株、米国国債)だ。これを、日本人が、そのまま、買うと、何が起きるか。

最大の問題は、「為替リスク」だ。日本人が、米国の資産を買うということは、自分の資産の、大部分を、「米ドル建て」で、持つ、ということを、意味する。すると、その資産の、円で見た価値は、「米国資産そのものの値動き」と「ドル円の為替の値動き」の、2つの要因で、動くことになる。

ダリオが、緻密に設計した「4つの季節への、リスクの均等配分」は、あくまで「ドルで生活する人」にとっての、バランスだ。「円で生活する日本人」が、それをドル建てで、丸ごと持つと、そこに「為替」という、ダリオの設計には、本来、含まれていなかった、巨大な、第5の変数が、加わってしまう。設計の、前提が、崩れるのだ。

だから、「簡易版オールウェザーを、円換算で、そのまま、コピーする」のは、ダリオの「思想」を、正しく、受け継いだことには、ならない。

10-2. 円で暮らす人にとっての、為替の問題

この「為替」の問題は、もう少し、深く、考える価値がある。

日本人投資家にとって、米ドル建ての資産を持つことは、「諸刃の剣」だ。

円安(ドル高)が進めば、ドル建て資産の、円での価値は、上がる。これは、嬉しい。 円高(ドル安)が進めば、ドル建て資産の、円での価値は、下がる。これは、痛い。

つまり、ドル建て資産を持つことは、「円安に賭ける」ことを、半ば、意味する。

これは、「良い」とも「悪い」とも、一概には、言えない。日本の長期的な経済力や、金利差、物価差などを、どう見るかによって、評価は、変わる。

ダリオの「経済マシン」の論理を、応用するなら、こう言える。「為替もまた、2国間の、生産性、債務、金利、インフレの、相対的な力関係で、長期的に、動く。それは、誰にも、正確には、予測できない。だから――為替についても、『予測』するのではなく、『どちらに動いても、致命傷にならないように、備える』べきだ」。

具体的には、これは「通貨の分散」という発想に、つながる。資産を、全部、円で持つのでもなく、全部、ドルで持つのでもなく、複数の通貨建ての資産に、分散する。そうすれば、円安が来ても、円高が来ても、ポートフォリオ全体が、致命傷を負うことは、ない。これは、第3章〜第5章で見た「分散」の思想を、「通貨」という次元に、拡張したものだ。

10-3. 「日本版オールウェザー」の、考え方

では、ダリオの「思想」を、日本の文脈で、活かすと、どうなるのか。

ここで、重要なのは、第4章の最後で、ダリオ自身が言っていたことだ。「オールウェザーは、『投資商品』ではなく、『設計思想』だ。特定の数字の組み合わせを、丸暗記するのではなく、その背後にある『考え方』を、理解し、応用してほしい」。

その「考え方」を、日本人の視点で、応用すると――おおむね、次のような「問い」に、行き着く。

問い1:4つの季節に、備えているか。 自分のポートフォリオは、「成長」の局面だけでなく、「インフレ」「デフレ」「スタグフレーション」の、それぞれの局面に、何らかの「担当選手」を、置いているか。それとも、株式(=成長への賭け)に、偏っていないか。

問い2:金額ではなく、リスクで、考えているか。 「株6:債4」のような、金額のバランスに、満足していないか。実際の「リスク(値動き)」で見たら、ポートフォリオが、特定の資産(たいていは株式)に、支配されていないか。

問い3:相関の低いものを、組み合わせているか。 自分の持っている資産は、「見せかけの分散」(=国は違うが、全部、株式)に、なっていないか。それとも、本当に、互いに「違う動き」をする、相関の低いものを、組み合わせているか。

問い4:通貨を、分散しているか。 円だけ、あるいは、ドルだけに、偏っていないか。

問い5:リバランスの、規律があるか。 一度、配分を決めたら、それを、感情に流されず、定期的に、機械的に、元に戻す「規律」を、持っているか。

これらの「問い」に、自分なりに、答えていくこと――それが、「日本版オールウェザーを、考える」ということだ。その答えとして、どんな具体的な配分に、たどり着くかは、人それぞれの、リスク許容度、年齢、目標、そして、為替や各資産クラスに対する、自分なりの見方によって、変わる。「唯一の正解」は、ない。ダリオが、私たちに残したのは、「正解」ではなく、「正解にたどり着くための、問いの立て方」なのだ。

なお、近年は、日本の個人投資家でも、低コストの投資信託やETFを使って、国際分散された株式、各国の債券、金、商品といった、多様な資産に、比較的、簡単に、アクセスできるようになっている。「相関の低い、複数の資産に、分散する」というダリオの思想を、実践するための、道具立ては、昔より、はるかに、整っている。ただし、それぞれの商品のコスト(信託報酬など)、為替の扱い、課税関係などは、必ず、自分で、確認する必要がある。

10-4. 「経済マシン」を、日本に当てはめる

ダリオの「経済マシン」(第2章)の枠組みは、日本経済を、理解するうえでも、強力な、レンズになる。

たとえば、ダリオの「長期債務サイクル」の理論を、日本に当てはめると、どう見えるか。

日本は、1990年前後の、巨大な資産バブルの崩壊の後、長く、デレバレッジング(債務削減)の、過程を、歩んできた、と解釈できる。バブル期に積み上がった、民間部門の、過剰な債務。その後の、長期にわたる、低成長と、低インフレ(あるいはデフレ)。中央銀行(日銀)による、長年の、超低金利政策と、大規模な、金融緩和(=お金を刷ること)。これらは、ダリオの「デレバレッジング」の、教科書的な、特徴と、よく、符合する。

ダリオの言葉を借りれば、日本は、「世界の中でも、デレバレッジングを、比較的、うまく、管理してきた」国の、一つだと、評価することもできる(ダリオ自身、過去の論考で、そうした趣旨の評価を、示したことがある)。激しい恐慌にも、ハイパーインフレにも、陥らず、社会の安定を、保ちながら、長い時間をかけて、調整を、進めてきた――それは、「美しいデレバレッジング」の、一つの形だ、という見方も、できる。

ただし、ダリオの3つのルール(第2章)に照らすと、日本にも、長期的な、課題は、ある。「生産性を、上げ続けよ」というルール3は、人口減少が進む日本にとって、最も、切実な、課題だ。

重要なのは、「だから、日本はダメだ」とか「だから、日本は安泰だ」とか、短絡的な結論に、飛びつくことでは、ない。重要なのは、「経済マシン」という、共通の、論理の枠組みを使って、自分の住む国の経済を、サイクルの、どの段階にあるのか、という視点で、冷静に、捉え直す、その「視座」を、持つことだ。

10-5. 個人投資家が、本当に、持ち帰るべきもの

この章の、そして、この記事の、結論に近づいてきた。

日本の個人投資家が、レイ・ダリオから、本当に、持ち帰るべきものは、何か。

それは、「株30/長期債40/中期債15/金7.5/商品7.5」という、特定の配分では、ない。第9章で見たように、その配分は、日本人には、そのままでは、合わないし、そもそも、ダリオ自身が「完璧ではない」と言った、近似値にすぎない。

持ち帰るべきは、もっと、根源的な、いくつかの「態度」と「原則」だ。

第一に、「謙虚さ」。 「自分は、未来を、予測できない」と、本気で、認めること。これは、敗北ではない。最も、知的な、出発点だ。1982年のダリオが、人生を賭けて、学んだことだ。

第二に、「予測」ではなく「備え」。 「次に、どうなるか」を、当てようとするのではなく、「どうなっても、致命傷を負わない」仕組みを、作ること。これが、オールウェザーの、本質だ。

第三に、「真の分散」。 「たくさんの銘柄を持つこと」が、分散ではない。「互いに、違う動きをするもの(相関の低いもの)を、組み合わせること」が、分散だ。そして、その分散を、資産クラス、地域、通貨、経済の季節――あらゆる次元で、考えること。これが、「聖杯」の、教えだ。

第四に、「リスクで、考える」。 金額のバランスに、だまされず、「値動き(リスク)」で、ポートフォリオの、本当の姿を、見ること。

第五に、「規律」。 一度、原則を決めたら、感情に流されず、それを、守り続けること。リバランスという、機械的な規律で、自分の中の「最大の敵」を、手なずけること。

第六に、「現実を直視し、痛みから学ぶ」。 投資の失敗から、目を背けず、その根本原因を、振り返り、自分なりの「原則」を、書き留め、進化し続けること。「痛み + 振り返り = 進歩」。

これらは、どれも、特定の金融商品とは、無関係だ。これらは、「態度」であり、「思考の習慣」だ。そして、これらの態度と習慣は――ダリオの『プリンシプルズ』が、まさに、そう語っていたように――投資だけでなく、人生の、あらゆる、不確実な、意思決定の場面で、役に立つ。

それこそが、レイ・ダリオが、私たちに、残してくれた、本当の、遺産なのである。


終章 ― ダリオが、本当に、伝えたかったこと

この長い記事を、レイ・ダリオという人物の、出発点に、立ち返って、締めくくりたい。

ダリオは、ロングアイランドの、ごく普通の家庭に生まれた、勉強の苦手な少年だった。12歳で、まぐれ当たりの、初めての投資をした。そして、33歳のとき――「自分は、分かっている」という、傲慢な確信のせいで――すべてを、失った。会社は崩壊し、全従業員を解雇し、父から4,000ドルを借りた。

世界最大のヘッジファンドの創業者の、出発点は、「栄光」ではなく、「屈辱」だった。

そして、ダリオの、すべての哲学は――経済マシンも、4つの季節も、オールウェザーも、リスク・パリティも、聖杯も、プリンシプルズも、ビッグサイクルも――その、たった一つの、屈辱から、生まれた。

あの1982年の失敗から、ダリオが、引き出した、たった一つの、核心的な問い。それは、こうだった。

どうすれば、人は、『自分は間違っているかもしれない』と認めながら、それでも、確信を持って、前に進めるのか?

この問いは、矛盾している。「間違っているかもしれない」と思いながら、「確信を持つ」。普通は、両立しない。

だが、ダリオは、生涯をかけて、この矛盾を、生きる「技術」を、追求した。そして、彼が、見つけた答えが――この記事で見てきた、すべてのものだった。

「間違っているかもしれない」という謙虚さがあるから、「予測」に、すべてを賭けない。 代わりに、「どんな未来が来ても大丈夫な、仕組み」を、作る(オールウェザー)。 仕組みを作るために、「未来のパターン」を、整理する(4つの季節)。 仕組みを、より、頑健にするために、「相関の低いもの」を、組み合わせる(聖杯)。 そして、その仕組みを、感情に流されず、運用し続けるために、「原則」を、先に、書いておく(プリンシプルズ)。 さらに、自分の「常識」さえも、相対化するために、500年の歴史を、学ぶ(ビッグサイクル)。

すべては、つながっている。すべては、「自分は、間違いうる」という、あの、痛みを伴う、自己認識から、論理的に、流れ出ている。

ダリオは、繰り返し、こう言う。「私の成功の理由は、私という人間が、特別だったからではない。私が、発見した『原則』が、特別だったのだ」。

これは、謙遜では、ない。これは、ダリオの哲学の、核心そのものだ。彼は、「天才の、ひらめき」を、信じない。彼が信じるのは、「凡人でも、規律をもって、実践すれば、再現できる、原則」だ。だからこそ、彼は、その原則を、惜しみなく、世界に、公開した。本にし、動画にし、無料で、配った。「これは、私だけのものではない。これは、誰でも、使えるものだ。だから、私とともに、死なせたくない」。

この記事を読んだ、あなたへ。

ダリオの哲学を、実践するかどうかは、あなた次第だ。オールウェザーを、組むかどうかも、あなた次第だ。第9章で見たように、それには、明確な「弱点」もある。S&P500に、長期で、負けるかもしれない。2022年のような年には、分散が、効かないかもしれない。

だが――たとえ、あなたが、ダリオの「ポートフォリオ」を、一切、真似しなかったとしても――ダリオの「態度」だけは、ぜひ、持ち帰ってほしい。

「自分は、未来を、予測できない」と、認める、勇気。 「予測」ではなく、「備え」に、エネルギーを注ぐ、知恵。 一つの賭けに、すべてを、張らない、慎重さ。 互いに違う動きをするものを、組み合わせる、設計の思想。 そして、何より――失敗という「痛み」から、目を、背けず、それを「振り返り」、「進歩」に、変えていく、その、地道な、生き方。

レイ・ダリオが、その、長く、波乱に満ちた、投資人生の果てに、本当に、私たちに、伝えたかったこと。それは、おそらく、「こうすれば、儲かる」ではない。

それは、「世界は、不確実だ。あなたは、間違える。それでも――いや、だからこそ――謙虚に、備え、規律をもって、学び続けるなら、あなたは、その不確実な世界を、生き抜いていける」という、静かな、しかし、力強い、励ましなのだと、私は思う。

それは、投資の知恵であると同時に――不確実な時代を生きる、私たち、すべての人間への、一つの、生き方の、提案なのである。

長い記事に、最後まで、お付き合いいただき、ありがとうございました。


参考資料

レイ・ダリオ本人による、一次資料 ― 書籍

  1. Ray Dalio, Principles: Life and Work (2017, Simon & Schuster). ダリオの代表作。1982年の失敗から始まる半生記と、人生・仕事の数百の原則をまとめた書。「アイデア・メリトクラシー」「ラディカル・トゥルース/トランスペアレンシー」「痛み+振り返り=進歩」「5ステップ・プロセス」など、本稿第7章の内容の原典。邦訳『PRINCIPLES(プリンシプルズ)人生と仕事の原則』(日本経済新聞出版)。
  2. Ray Dalio, Principles for Navigating Big Debt Crises (2018, Bridgewater). 債務危機の解剖学。「美しいデレバレッジング」「4つのレバー」など、本稿第2章の内容を、歴史的事例とともに詳述。economicprinciples.org で無料公開もされている。邦訳『巨大債務危機を理解する』(日本経済新聞出版)。
  3. Ray Dalio, Principles for Dealing with the Changing World Order: Why Nations Succeed and Fail (2021, Avid Reader Press). 過去500年の帝国の興亡を分析し、「ビッグサイクル」「国家の力を測る8つの指標」を提示。本稿第8章の主要な典拠。邦訳『世界秩序の変化に対処するための原則』(日本経済新聞出版)。
  4. Ray Dalio, How Countries Go Broke: The Big Cycle (2025, Avid Reader Press). 政府債務の累積と、その帰結を論じた、ダリオの最新の著作。「ビッグ・デット・サイクル」「債務の需給ひっ迫」など、本稿第8章5節の典拠。
  5. Ray Dalio, Principles for Success (2019, Simon & Schuster). 『プリンシプルズ』のエッセンスを、イラストで、簡潔にまとめた書。同名のアニメーション動画もある。

レイ・ダリオ本人による、一次資料 ― 動画・論考・オンライン

  1. “How the Economic Machine Works”(経済はどのように動いているのか), Ray Dalio によるアニメーション動画、約30分。economicprinciples.org および YouTube で無料公開。本稿第2章の主要な典拠。「経済マシン」「取引」「信用」「3つの力」「短期/長期債務サイクル」「デレバレッジングの4つのレバー」「美しいデレバレッジング」「3つのルール」のすべてが、ここで語られている。
  2. Ray Dalio, “How the Economic Machine Works: Leveragings and Deleveragings”(経済原理), economicprinciples.org にて公開の論考。上記動画の、より詳細な、文章版。
  3. Ray Dalio, “The Concept and Mechanics of an All Weather Portfolio”, Principled Perspectives(raydalio.substack.com), 2026年3月。ダリオ本人による、オールウェザー・ポートフォリオの、考え方と仕組みについての、最新の解説。「リスク・パリティ」「家族の信託のために作った」という経緯など、本稿第4章の典拠。
  4. economicprinciples.org / principles.com:ダリオの経済論考、および『プリンシプルズ』関連コンテンツの、公式サイト。
  5. Bridgewater Associates, “The All Weather Story”(bridgewater.com):ブリッジウォーター公式による、オールウェザー戦略の、誕生の経緯。ボブ・プリンス、グレッグ・ジェンセン、ダン・バーンスタインら、初期の開発メンバー、「4つの箱」の図、「ラスティ」の事例、1996年の正式な誕生、などの一次的な記録。本稿第3章・第4章の典拠。
  6. Bridgewater Associates, “Bridgewater’s Idea Meritocracy”(bridgewater.com):ブリッジウォーター公式による、アイデア・メリトクラシーの、フレームワークの解説。本稿第7章の典拠。
  7. Ray Dalio, “Principles for Success,” Talks at GS(Goldman Sachs), 2017年:ダリオ本人が、アイデア・メリトクラシーとラディカル・トランスペアレンシーについて語った講演。

ブリッジウォーターおよびダリオに関する、解説・分析

  1. The Bridgewater “All Weather Story” 関連の各種解説:オールウェザーの誕生経緯、リスク・パリティの理論、4つの経済の季節の枠組みについての、複数の解説記事。
  2. Tony Robbins, MONEY: Master the Game (2014, Simon & Schuster). 作家トニー・ロビンズが、ダリオへのインタビューを通じて、個人投資家向けの「簡易版オールウェザー・ポートフォリオ」(株30/長期債40/中期債15/金7.5/商品7.5)を、世に広めた書。この配分の「出どころ」。邦訳『世界のエリート投資家は何を考えているのか』(三笠書房)。
  3. 各種金融メディアによる、オールウェザー・ポートフォリオの解説と検証(Optimized Portfolio, CMC Markets, Saxo, Money.com, IIFL Capital, RoboMarkets, Surmount, heygotrade 等):オールウェザーの具体的な資産配分、リスク・パリティの仕組み、過去のパフォーマンス(年率リターン、標準偏差)、そして「米国偏重」「S&P500への長期の劣後」「真のリスク・パリティではない」といった、本稿第9章で扱った「批判と限界」の典拠。
  4. The Investor’s Podcast / 各種解説による “How the Economic Machine Works” の要約:ダリオの経済観の、第三者による解説。短期債務サイクル(5〜8年)、長期債務サイクル(75〜100年)、「失われた10年」などの整理。
  5. 『プリンシプルズ』に関する、各種の書評・要約(Admired Leadership, Cabinet, Strategic Intelligence 等):アイデア・メリトクラシーの方程式、信頼度で重みづけした意思決定、「反対し、コミットせよ」、ラディカル・トゥルースとラディカル・トランスペアレンシーの区別などの、整理。

さらに学びたい人のための、関連書

  1. ベンジャミン・グレアム『賢明なる投資家』:ダリオの「感情が最大の敵」「価格はコンセンサスを織り込む」といった原則の、思想的なルーツの一つ。バリュー投資の古典。
  2. ハリー・マーコウィッツの、現代ポートフォリオ理論(MPT)関連の解説:ダリオの「リスク・パリティ」「分散の数学(聖杯)」の、学術的な背景にあたる、「分散投資によるリスク低減」の理論。
  3. 各国の中央銀行・国際機関による、債務と金融政策に関する公開資料:ダリオの「経済マシン」「デレバレッジング」の議論を、現実のデータと、突き合わせて検証するための、一次情報。

重要な免責事項

本記事は、レイ・ダリオの投資哲学および経済思想について、その生涯・思想・代表的な戦略・そして批判と限界を、教育および情報提供の目的で解説したものである。特定の金融商品、特定の資産配分、特定の銘柄の売買を推奨するものではなく、また、本記事で紹介した手法に従って投資すれば利益が得られることを、保証するものでもない。

本文中で、特に第9章で詳述した通り、ダリオの代表的な戦略である「オールウェザー・ポートフォリオ」には、長期にわたって米国株インデックスにリターンで劣後してきたこと、2022年のように株式と債券が同時に下落する局面では分散が十分に機能しなかったこと、米国資産に極端に偏っていること、広く知られた配分は「真のリスク・パリティ」ではなくダリオ自身が「完璧ではない」と述べた近似値にすぎないこと、など、明確な弱点と限界が存在する。

また、本記事が繰り返し強調した通り、ダリオ自身が「市場のタイミングは予測できない」と述べており、ダリオ個人の発言や見通しを、売買のシグナルとして用いることは、彼の哲学の最も基本的な部分を誤解した使い方である。

投資判断は、最終的に、読者自身が、自らの財務状況・リスク許容度・投資目的・税務上の状況を踏まえ、必要に応じて独立した専門家に相談したうえで、自己の責任において行うべきものである。為替リスク、各金融商品のコスト、課税関係などについても、読者自身が、最新かつ正確な情報を、確認する必要がある。


(本記事 了)

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