ジム・ロジャーズの投資哲学を徹底解剖する ― 世界三大投資家の「頭の中」を覗くための手引き

この記事は約39分で読めます。

はじめに ― なぜ今、改めてジム・ロジャーズなのか

投資の世界で「世界三大投資家」と呼ばれる人物が三人います。バリュー投資の権化であるウォーレン・バフェット、ヘッジファンドの帝王であるジョージ・ソロス、そしてその二人と並び立つ存在として語られるのがジム・ロジャーズです。

私がロジャーズという人を面白いと感じるのは、彼が「投資の天才」というよりも「世界の見方の天才」だからです。チャートを見つめるのではなく、地球を一周してくる。会社四季報を読み込むのではなく、ウズベキスタンの街角に立ってみる。そうやって彼は「自分の目」で世界を確かめながら投資判断を下してきました。ウォール街の常識を疑い、群衆と逆に動き、誰も注目しない国に資金を投じる。その姿勢は、二〇二六年の今もブレていません。

二〇二五年に入ってからのロジャーズの動きは特に劇的でした。米国株をほぼ全部売却し、現金、金、銀へとシフトしたと公言したのです。インタビューでは「私はこのパーティーを見たことがある(I’ve seen this party before)」と語り、お金が簡単に儲かる時こそ注意せよと警告を発しました。さらに二〇二五年十二月には、中国本土の証券会社が主催したライブ配信に登壇し、中国が今後十年から一世紀にわたり世界で最も重要な経済になると断言しています。

つまり彼は、八十三歳になった今もなお現役の市場ウォッチャーであり、市況に応じて自分のポジションを変え続けているのです。本記事では、その彼が長年にわたって積み上げてきた投資哲学を、生い立ちから二〇二六年現在の発言まで一気通貫で追っていきます。読み終える頃には、相場の見方が少し変わっているはずです。

第一章 ジム・ロジャーズという人物 ― ピーナッツ売りの少年から伝説の投資家へ

アラバマの少年とビジネスの原体験

ジム・ロジャーズ、本名ジェームズ・ビーランド・ロジャーズ・ジュニア。一九四二年十月十九日、アメリカ南部アラバマ州のデモポリス(後にデマポリスへ)で生まれました。父親は化学工場の経営者、母親は専業主婦で、五人兄弟の長男として育っています。

彼の人生で繰り返し語られる「最初のビジネス」が、五歳でのピーナッツ売りです。野球場に陣取って袋詰めピーナッツを売ったというこのエピソードは、本人がしばしば自著やインタビューで触れるもので、商売の基本である「人がいる場所に行く」「人が欲しがる物を提供する」「現金で報酬を得る」を肌で覚えたのがこの時だったと振り返っています。

子どもの頃のロジャーズについて私が興味深いと思うのは、家庭環境です。化学工場経営者の長男という、決して貧しくはないが「アメリカの中心」からは遠い場所で育ったこと。これが後に「ニューヨーク中心の世界観に疑問を持つ」「現場主義に徹する」という彼の感覚を作っていったように思えます。彼は後年、「金融街にいると視界が狭くなる」と何度も語ることになりますが、その出発点はアラバマの田舎町だったわけです。

イェール、オックスフォード ― 経済学ではなく歴史と哲学を学んだ理由

ロジャーズは高校時代から成績優秀で、名門イェール大学に進学します。ただし、彼が選んだ専攻は経済学でも経営学でもなく、歴史学でした。

これは投資家としてのロジャーズを理解するうえで、決定的に重要なポイントです。彼は後年、繰り返しこう語っています。「投資家になりたければ、ビジネススクールに行ってはいけない。歴史を学べ、哲学を学べ。なんならウェイターをやって極東を旅したほうがいい。コロンビアのビジネススクールで教えた時、私は学生たちに『ここに来るのは時間の無駄だ。十万ドルの学費を投資に使ったほうが学べる』と言った。」

この姿勢の背景には、彼の「歴史は繰り返す」という信念があります。市場の暴騰と暴落、通貨危機、帝国の興亡、商品価格のサイクル ― 過去五百年の人類史を眺めれば、ほとんどのパターンは何度も繰り返されている。だから一人の投資家がやるべきは、ミクロな会社分析よりも、マクロな歴史パターンの把握なのだと彼は考えています。

イェール卒業後、ロジャーズは奨学金を得てイギリスのオックスフォード大学ベリオール・カレッジに進み、PPE(Philosophy, Politics and Economics、哲学・政治・経済)を学びました。ここでも経済学単体ではなく、人間の意思決定や政治の力学とセットで経済を捉える視点が育まれたわけです。

オックスフォード時代、彼はすでに株式投資を始めていました。奨学金で得た資金を運用していたという話が複数の文献に残っています。アメリカから来た若者が、慣れない英国で株を選び始めたという事実は、彼の早熟さを物語っています。

ウォール街、そして兵役

オックスフォード卒業後、ロジャーズはアメリカに戻ります。当時のアメリカはベトナム戦争の真っ最中で、若い男性は徴兵を逃れることが難しい状況でした。彼は一九六六年から六八年まで陸軍に従軍しています。軍隊時代に彼は基地内で他の兵士の口座を運用したり、相場についての勉強を続けたという逸話が残っています。

兵役を終えた一九六八年、ロジャーズはウォール街のアーノルド・S・ブライヒローダー(Arnhold and S. Bleichroeder)という投資銀行で見習いアナリストとして働き始めます。最初の仕事はわずか週給七十五ドルだったとも伝えられますが、彼は仕事に没頭しました。「休みも取らずに毎日働きたい」と語ったほどです。

そしてこの会社で彼はジョージ・ソロスと出会います。ソロスはロジャーズより十二歳年上のハンガリー出身の同僚。この出会いが、世界の金融史を変えることになります。

第二章 クォンタム・ファンドの伝説

1973年、二人の天才の出発

一九七三年、ジョージ・ソロスは独立してソロス・ファンド(後のクォンタム・ファンド)を立ち上げ、ロジャーズはパートナーとして参加します。資本金は約一二〇〇万ドル。ヘッジファンドという業態自体がまだ世間に知られていない時代の話です。

二人の役割分担は明確でした。ソロスがトレーダー、つまり最終的な売買判断を下す人。ロジャーズがアナリスト、つまりリサーチして仮説を組み立てる人。これはソロス自身が自著『ソロスの錬金術』の中で明言しており、ジャック・シュワッガーの『マーケットの魔術師』でロジャーズ本人も認めています。

私が好きなのは、この役割分担にはきちんと理由があったということです。ソロスは「再帰性(reflexivity)」の理論家として、市場参加者の心理と市場価格が相互に影響を与える瞬間を狙うのが得意でした。一方ロジャーズは、歴史と地政学と金融政策をつなぎ合わせて「数年単位の大きな流れ」を読むのが得意でした。短期と長期、トレーディングとアナリシス。この組み合わせが化学反応を起こします。

4,200%という人類史的リターン

クォンタム・ファンドが一九七三年から八〇年までの約十年間に達成したパフォーマンスは、四二〇〇%とも三三六五%とも報じられています(資料により若干の数字の差があります)。同じ期間のS&P500の上昇率は約四七%、ダウ平均はわずか二〇%程度の上昇でした。指数の九十倍から二百倍を超える運用利回りです。

これがどれほどとんでもない数字か。仮に一九七三年に一〇〇万円を預けていたとすると、十年後には四二〇〇万円から四三〇〇万円になっていたという計算です。しかも、これは石油ショック、ニクソンショック、米国の高インフレ、スタグフレーションといった大荒れの十年間でのリターンです。

彼らは何で稼いだのでしょうか。文献を辿ると、当時のクォンタム・ファンドはとにかく投資対象が広かったことが分かります。米国株、外国株、債券、通貨、商品、不動産関連、空売り、オプション、先物 ― ありとあらゆる手段を使っていました。航空株を空売りしながら防衛株を買う、ドルを売って金を買う、ある国の株を買いながら別の国の株を売る。そうしたペアトレードや、テーマ別のポジションを縦横無尽に組み立てるのが彼らのスタイルでした。

これが後に「グローバル・マクロ戦略」と呼ばれることになる手法の原型です。一国の一企業を深く調べて買い持ちするバフェット流のバリュー投資とは、まったく違うアプローチです。クォンタム・ファンドは「世界を一つの大きな相場として見る」という発想を、ヘッジファンド業界に定着させた走りなのです。

別離の理由 ― 三十七歳での「引退」

しかし一九八〇年、ロジャーズはクォンタム・ファンドを去ります。当時三十七歳。すでに大金持ちになっていたとはいえ、ヘッジファンド業界では遅咲きと言える年齢で、まさにこれからという時期です。

退社の理由について、ロジャーズはしばしば「自分の人生をやり直したかった」「ファンドが大きくなりすぎて、スタッフを増員する話になり、私はそれに反対した。ジョージは増員したかった」「マネジメントに時間が割かれすぎる」と語っています。要するに、組織を肥大化させて運営することよりも、自分自身が自由に研究し、自由に判断し、自由に旅する暮らしを優先したかったわけです。

私はこの選択が、ロジャーズの哲学を象徴していると思います。彼にとって投資は「会社経営」ではなく「個人の知的冒険」なのです。だから、最も儲かっていた時期に組織から離れることに躊躇しなかった。ここで一線を引いたからこそ、後のロジャーズの「冒険投資家」としてのキャラクターが立ったとも言えます。

ちなみに、ロジャーズが抜けた翌一九八一年、クォンタム・ファンドは創設以来初めて資産の約半分を失う大損失を出しています。この事実は、彼の役割が単なる「ソロスの助手」ではなかったことの何よりの証拠です。

引退後のロジャーズはコロンビア大学ビジネススクールの客員教授になり、テレビやラジオでコメンテーターを務めるようになります。同時に、自分のお金を運用しながら、「次の二〇年は何を勉強しよう」と考え始めていました。その答えが、世界一周の旅でした。

第三章 冒険投資家への変貌

バイクで六大陸十五万キロ

一九九〇年三月、ロジャーズは恋人を後部座席に乗せ、BMWのオートバイで世界一周の旅に出発します。期間は一年八ヶ月。走破距離は約十五万キロメートル。六大陸を縦断しました。地球の赤道一周は約四万キロですから、地球を三周半したことになります。これがギネス世界記録に認定されました。

旅の記録は『投資バイカー(Investment Biker)』として書籍化され、世界的なベストセラーになりました。日本でも翻訳されています。本書の中でロジャーズはただの旅行記を書いたのではなく、訪れた国ごとの政治体制、通貨、規制、為替レート、闇市場、商品価格、若者の様子、町の活気を逐一観察し、「この国は買いか、売りか、それとも見送りか」を判定していきます。

たとえば、ある国に着いた時、彼は必ず両替商を回って公定レートと闇市場レートの差を確かめる。差が大きい国は通貨が歪んでおり、いずれ調整が来る。商店の品揃えを見れば物流の健全性が分かる。子どもたちの学校の様子を見れば人口動態が見える。役所の窓口の混み具合で官僚機構の効率が分かる。こうした「現場の一次情報」の積み上げで、彼は投資判断を磨いていきました。

メルセデスでの二度目の世界一周

それでは飽き足らず、一九九九年から二〇〇二年にかけて、ロジャーズは今度はオーダーメイドの黄色いメルセデス・ベンツで二度目の世界一周に出ます。妻のペイジ・パーカーが同乗者です。期間は三年半、訪問国は一一六カ国、走破距離は二四万五〇〇〇キロ。これも再びギネス世界記録に登録されました。

この旅行記は『冒険資本家(Adventure Capitalist)』として出版されました。今度はバイクではなく車だったため、機材も多く積めましたし、より長距離を移動できました。彼はサハラ砂漠を渡り、中央アジアを抜け、シベリアを横断し、アフリカの紛争地帯を通過しました。途中、現地の警官に賄賂を要求されたり、車が泥にはまったり、ガソリンを買うのに半日かかったりという冒険の連続でした。

ロジャーズはこの旅で、それまで「新興国」と一括りにされていた国々の中に、明確な勝者と敗者があることを肌で感じます。たとえば、当時の中国は社会主義の名残はあるものの、商売の活気と若者のハングリー精神が突出していた。一方、社会主義崩壊後の旧ソ連の幾つかの国は、表面上は資本主義化していてもインフラが崩壊しており、投資には向かない。アフリカの中でも、ボツワナのように資源と政治の安定が両立している国もあれば、ジンバブエのように崩壊寸前の国もある。こうした「自分の足で歩いた者にしか分からない差異」が、彼の投資判断のベースになっていきます。

二〇〇七年、シンガポール移住

二〇〇七年、ロジャーズは家族とともに住み慣れたニューヨークを離れ、シンガポールに移住します。理由は明快でした。「二十一世紀はアジアの時代だ。アジアに住み、子どもには中国語を学ばせる必要がある」。

彼には二人の娘がいて、特に下の娘はシンガポール移住時にはまだ生まれていませんでした。二人とも幼少期から中国語と英語のバイリンガル教育を受けています。父親が子どもの将来のために、自国を離れて別の地域に移住するという決断はなかなかできるものではありません。これは「アジアの世紀」という長期テーゼに対する、ロジャーズなりの「自分自身への投資」だったわけです。

ちなみに、ロジャーズはニューヨーク時代に持っていた邸宅を売却してシンガポールに移っています。「家を売って次の場所に賭ける」というのは、彼の徹底した行動力を示すエピソードです。

第四章 投資哲学の核心 ― 六つの柱

ここまでロジャーズの来歴を辿ってきました。ここからが本題、彼の投資哲学そのものに踏み込んでいきます。私の読み込みでは、彼の哲学は主に六本の柱から成り立っています。

柱その一 ― 徹底した独立思考と逆張り

ロジャーズが口を酸っぱくして繰り返す言葉に、「群衆に従う者が大金持ちになったことはない」というものがあります。ウォール街のアナリストたちが揃って強気を唱える時、彼は警戒します。テレビが大々的に「次のテーマはこれだ」と煽る時、彼はもう遅いと感じます。

彼は「コントラリアン(逆張り投資家)」という言葉を、しばしば自分のスタンスを表現するのに使います。ただし、ここで重要なのは、彼の逆張りは単なる天邪鬼ではないということです。市場が安いものを「安い理由」と「いずれ反転する理由」の両方を自分で調べ尽くした上で、群衆と反対のポジションを取る。これが彼の逆張りです。

「皆が買っている時に売り、皆が売っている時に買え」というのは口で言うのは簡単ですが、実行するのは難しい。なぜなら、皆が売っている時というのは、自分も含めて世界中が悲観に染まっている時だからです。その瞬間に「ここで買おう」と判断するためには、市場参加者の感情から自分を切り離すための、強靭な独立思考が必要です。

ロジャーズはしばしばインタビューで、「画面ではなく、窓の外を見ろ」と語ります。これは比喩で、ブルームバーグの端末や株価チャートを見つめるのではなく、自分の住む街、訪れる国、出会う人々を観察せよ、という意味です。彼が世界中を旅するのは、まさにこの「窓の外」を最大限に拡張する行為なのです。

柱その二 ― 知っているものにしか投資しない

ロジャーズの最も有名なルールの一つが「投資で成功する方法は、自分が深い知識を持つものにのみ投資すること」というものです。

これは一見、バフェットの「自分の能力範囲(サークル・オブ・コンピテンス)」と似ています。実際、両者は親しい考え方です。ただし、ロジャーズはこれを「個人の生活体験から拡張せよ」と説明する点が独特です。

彼の言葉を借りるなら、「あなたは何かを必ず知っている。車に詳しいかもしれない、ファッションに詳しいかもしれない、料理に詳しいかもしれない。何でもいい、自分の日常を見渡せ。あなたが他人より深く知っていることが、あなたの最良の投資対象になりうる」。

ここでのポイントは二つあります。一つは、専門家でなくても誰しも何らかの強みを持っているということ。もう一つは、その強みを「投資」と結びつけるためには、自分が知っている領域を金融市場の中で見つけ出す眼が必要だということです。たとえば、ファッションが好きなら、長年ブランド戦略を観察してきた経験から、ある会社が衰退傾向にあるか復活しつつあるかを誰よりも早く察知できるかもしれない。

二〇二五年の中国国泰海通証券のライブイベントで、ロジャーズは若い投資家にこう助言しています。「自分がよく理解している分野に集中し、テレビやインターネットの『ノイズ』は無視しろ。長期で富を築くには集中が不可欠だ」。これは何十年経っても変わらない彼の信念です。

柱その三 ― 「窓の外を見ろ」、一次情報の価値

ロジャーズが「画面より窓の外」と言うとき、彼が本当に強調しているのは、「自分の足で確かめた情報の価値」です。

私はこの点が、現代の個人投資家にとって最も応用しやすい教えだと思います。SNSの投稿、テレビのコメント、証券会社のレポート、ChatGPTの回答 ― いずれも誰かが加工した二次情報、三次情報です。一方、自分が住む街で「最近この店に行列ができている」「あのチェーン店が閉店した」「若者が皆この服を着始めている」と感じることは、純粋な一次情報です。

ロジャーズは、ウィーンの大きな銀行の窓口係が「オーストリアには証券市場なんかありません」と答えたのを聞いて、これは逆に大きなチャンスだと直感し、後の伝説的なオーストリア株投資につなげました。この話は次の章で詳しく取り上げます。要するに、現場の「無視されている情報」を拾えるかどうかが投資家の腕を分けるのです。

柱その四 ― 損をしないこと(Don’t Lose Money)

「投資で成功するには、損をしないことだ。確信が持てない時は、何もするな。国債を買って寝ていろ」。これがロジャーズの「損失回避ルール」です。

このルールは、バフェットの有名な「ルール一、お金を失うな。ルール二、ルール一を忘れるな」と通じます。実際、両者はこの点で完全に一致しています。

なぜ「損をしないこと」がそれほど重要なのか。複利の数学を知っている方ならすぐ分かるはずです。たとえば、二年連続で年五十パーセントのリターンを上げても、三年目に五十パーセント失えば、元本は七十五パーセントに戻ってしまう。「五十パーセント勝ち、五十パーセント負ける」は均衡ではなく、明確な敗北なのです。

ロジャーズは「分からない時は何もしない」を実践する典型例として、自分自身を「機会主義者」と呼びます。「私は投機家ではない。チャンスが来るまで何もせず、来た時にはフルスイングで仕掛ける、そういう投資家だ」と。

ここでの教訓は明確です。市場には常にチャンスがあるという信仰を捨てること。実は市場の九割の時間は「何もしないのが正解」かもしれないのです。

柱その五 ― カタリスト(触媒)を待つ忍耐

ロジャーズの忍耐は単に「何もしない」のではなく、「変化のきっかけを待つ」忍耐です。彼はこの「きっかけ」を「カタリスト(触媒)」と呼びます。

ある銘柄や国の市場が割安なのは、たいてい「割安である理由」があるからです。皆が見向きもしない、皆が嫌っている、政府が介入していない、政治が腐敗している、人口が減っている。そうした理由が解消されない限り、割安はずっと割安のまま放置されるかもしれません。

そこでロジャーズは「割安だからすぐ買う」のではなく、「割安が割安でなくなるカタリストの兆しが見えてから動く」のを基本にしています。たとえば、政府の方針転換、世代交代、技術革新、地政学の変化、価格の構造的需給バランスの変化。これらが見えるまで、彼はじっと待ちます。

これは現代の個人投資家にとって、なかなか実行が難しい教えです。我々はどうしても「今動かないと取り残される」という焦りを感じます。しかしロジャーズは、「焦って動くより、待って正しく動くほうがリターンは大きい」とずっと言い続けています。

柱その六 ― 長期トレンドを見抜く歴史観

最後の柱が、これまで述べてきた全てを支える「歴史と長期トレンドへの感覚」です。

ロジャーズはイェールで歴史を学んだ人間です。彼の投資判断の根本には「人類の歴史は数十年単位、数百年単位のサイクルで動いている」という確信があります。

彼が好んで持ち出す例を幾つか挙げましょう。十九世紀は大英帝国の世紀でした。当時の世界の金融、貿易、軍事の中心はロンドンでした。それが二十世紀になると、世界の中心はアメリカに移ります。ニューヨークが世界の金融首都となり、ドルが基軸通貨となりました。そして二十一世紀は、ロジャーズに言わせれば「アジアの世紀」、特に中国の世紀です。彼は何十年も前から、この長期サイクルに自分のポートフォリオを賭けています。

商品(コモディティ)にも同様の超長期サイクルがあると彼は信じています。供給開発に時間がかかる資源、特に農産物や鉱物資源は、需要が供給を上回る局面が数十年単位で続くことがあると。彼の商品市場への信仰の根底には、この歴史観があります。

第五章 グローバル・マクロ戦略 ― 国を投資対象にする

ロジャーズの投資哲学を象徴する手法が、「一つの国全体を投資対象として見る」という発想です。これは彼の独自性を最もよく示す部分でもあります。

オーストリア株の伝説

一九八四年頃のオーストリアは、株式市場としてほとんど忘れ去られていました。取引高は一九六〇年代の半分、株価指数は半世紀前と変わらない水準で停滞していました。当時、ロジャーズはニューヨークでオーストリアの大手銀行の支店に立ち寄り、「オーストリアの株を買いたいのですが」と尋ねました。すると窓口の銀行員は、「申し訳ありませんが、私どもの国には株式市場はございません」と答えたといいます。

普通の人ならここで諦めます。しかしロジャーズはむしろ「これは興味深い」と感じました。なぜなら、世界中の市場が浮かれている時に、こんなに無視されている国があるのは異常だからです。彼はオーストリアに飛び、政府関係者や経済官僚にインタビューを重ね、ある事実を掴みます ― オーストリア政府は資本市場の重要性を認識し始めており、税制改革を含む市場活性化策を準備していた。さらに、ヨーロッパの近隣諸国は皆、株式市場の振興に動いていた。オーストリアもいずれ動かざるを得ない、と。

ロジャーズはオーストリアの株を大量に買い込みました。その後一九八五年から八六年にかけて、ウィーン株式市場は急騰し、彼は莫大な利益を得ました。これが「国丸ごとを買う」というロジャーズ流の代表例です。

中国株への長期コミット

ロジャーズが中国に注目し始めたのは一九八〇年代後半、まだ世界が中国を「赤い貧しい国」と見ていた頃です。彼は何度も中国を訪れ、若者のハングリー精神、商売人の貪欲さ、政府の改革開放への本気度を観察しました。そして「二十一世紀は中国の時代」というテーゼを確信していきます。

彼は中国H株(香港上場の中国本土企業)やA株(中国本土上場株)を長期保有し続けてきました。途中、中国株が大きな下落局面を迎えても、彼は基本的に売らずに耐えています。二〇二五年十二月のインタビューでも、「中国株は今も保有している、売る予定はない、下落局面があればさらに買い増したい」と発言しています。彼が特に注目しているセクターは観光、運輸、航空、農業で、これらは中国の所得増と都市化の長期トレンドの恩恵を受けると見ています。

ここで興味深いのは、ロジャーズの中国投資が「現地視察に基づく構造分析」であって、「中国の経済指標への信頼」ではないことです。彼は中国政府の統計を額面通りには信じていません。むしろ、自分の目で見た都市と農村の実態、若者の働き方、消費の現場、こうした「窓の外」の情報を頼りに判断しています。

国を投資する発想の汎用性

「国全体を見る」というアプローチは、個別株分析より一段抽象度が高い視点です。これがロジャーズの強みでもあり、リスクでもあります。

強みは、個別企業の業績変動に左右されず、長期の構造トレンドに乗れること。リスクは、その国の特定産業のリスクや、為替変動、政治リスクを正面から引き受けることになる点です。

ロジャーズは過去にウズベキスタン株、北朝鮮(北朝鮮の上場市場はないため、隣国を通じた間接的な投資が中心)、ジンバブエ、コロンビアといった「誰も触らない国」にしばしば言及してきました。彼の発想は、「皆が無視している国の中にこそ、十年後にもっとも安く買えた投資対象がある」というものです。

二〇二五年九月のインタビューでも、彼はウズベキスタン株を保有しており、価格下落時にはさらに買い増す意向だと述べています。インド市場については「興奮している」と表現し、将来的にインド株を本格的に買いたいと語りました。

第六章 コモディティへの確信

ロジャーズ国際商品指数(RICI)

ロジャーズが歴史に残した功績の一つが、一九九八年に立ち上げた「ロジャーズ国際商品指数(Rogers International Commodity Index, RICI)」です。これは原油、農産物、金属など世界中の主要な商品(コモディティ)の価格を加重平均した指数で、機関投資家が商品市場への投資の際の指標として参照するようになりました。

RICI設立の背景にあるのは、彼の長期商品強気論です。一九九〇年代後半、世界の商品価格は長年の低迷の底にあり、誰もコモディティに興味を持ちませんでした。当時の話題は完全にIT、インターネット、ハイテク株でした。しかしロジャーズはここで逆を張ります。商品の供給は数十年単位で抑制されてきており、これから新興国の需要が爆発するため、商品スーパーサイクルが始まると見たのです。

実際、二〇〇〇年代に入ると商品価格は大幅に上昇しました。RICIは一九九八年八月の設定以降、二〇〇七年末までに約三二六%上昇したと記録されています。原油、銅、トウモロコシ、大豆 ― あらゆる商品が上昇し、ロジャーズの先見性は再び証明されたかに見えました。

商品の盲点 ― 二〇〇八年以降の苦戦

ただし、商品市場との蜜月は永遠ではありませんでした。二〇〇八年のリーマンショック後、商品価格は一時暴落します。ロジャーズはこのタイミングでも強気を維持し、「商品のファンダメンタルズは損なわれていない」と発言していましたが、二〇一四年後半からの原油暴落(一バレル百ドル超から五〇ドル割れへ)など、商品市場の苦戦は長期化しました。

二〇〇四年三月から二〇一四年二月までの十年間で見ると、RICIの年率リターンは世界株式や債券、不動産に比べて見劣りする結果に終わっています。これは私が彼を尊敬しつつも冷静に評価するうえで、忘れてはいけない事実です。「投資の伝説」と言われる人物でも、長期テーゼが必ずしも短期から中期で正しいリターンを生むとは限らない。むしろ、十年単位で見ても結果が出ない時期がある。ロジャーズ自身もこの点を否定せず、「私はいつもポジションを取るのが早すぎる、下手なトレーダーだ」と冗談半分に自嘲することがあります。

金よりも銀

ロジャーズは長年、貴金属、特に銀(シルバー)を強く推奨してきました。「銀は金よりも安く、より大きな上昇余地がある」というのが彼の論拠です。

二〇二五年の貴金属市場は劇的でした。金は一九七九年以来の最高のリターン(年初来で六十%超)を記録し、銀に至っては年内で約二倍、過去最高値を更新しました。ロジャーズは二〇二五年中盤のインタビューで「金と銀の両方を保有しているが、現在の高値ではこれ以上買い増していない。下げが来たらまた買う」と述べています。

ここで彼の哲学が見事に表れています。コモディティへの長期確信は揺るがない、しかし足元の高値で追い買いはしない。逆に下げを待つ。これが「カタリストを待つ」「損をしない」という彼の柱の実践です。

農業への注目

ロジャーズは長年、農業セクターを「最も過小評価された分野」と呼んできました。理由は二つあります。一つは、農業従事者の高齢化が世界中で進んでおり、若者は農業を選ばないため、いずれ供給が逼迫すること。もう一つは、新興国の所得増による食料需要の質的変化(穀物中心から肉、乳製品中心へ)が、間接的な穀物需要を爆発的に増やすこと。

彼は「もし若者が私のところに来て『どんなビジネスをすべきか』と聞いたら、農業をやれと言う」と何度も発言しています。これは投資としても、職業選択としても、彼が真剣に信じているテーマです。

二〇二五年十二月のインタビューでも、ロジャーズは農業セクターを「現在最も過小評価されている分野」として再び挙げ、投資家の注目に値すると述べています。

第七章 ロジャーズの世界観 ― 地域別の視座

二十一世紀はアジアの世紀

「歴史的に見て、世界の中心は移動する」というのが、ロジャーズの揺るぎない世界観です。

過去千年を眺めれば、世界の中心は何度も移ってきました。中世の中国、ルネサンス期のイタリア、大航海時代のスペインとポルトガル、十七・十八世紀のオランダ、十九世紀の英国、二十世紀のアメリカ。そして二十一世紀の中心は、再びアジア、特に中国に戻ると彼は見ています。

彼がシンガポールに移住したのは二〇〇七年。当時、シンガポールはまだ「金融ハブの一つ」程度の認識でした。今では、シンガポールはアジア有数の金融センターとして地位を確立し、富裕層の移住先としても定番になっています。ロジャーズはこの動きを先取りしていたわけです。

中国 ― 慎重な楽観

ロジャーズの中国観は、決して単純な礼賛ではありません。彼は中国の構造的問題(高齢化の進行、地方政府の債務、不動産バブルの後処理、官僚の腐敗、政治の硬直性)を理解した上で、それでも長期的には世界経済の中心になると見ています。

二〇二五年十二月のライブ配信で、彼は「中国は今後十年、いや今後一世紀にわたって世界で最も重要な経済になるだろう」と発言しました。注目すべき点は、彼が「中国市場は他の市場が暴落する局面でも比較的安定していた」と評価したことです。これは二〇二二年から二〇二四年にかけての中国株の停滞を踏まえての発言で、長期投資家としての時間軸の長さを示しています。

インドへの期待

ロジャーズは長年、インドについてはやや慎重でした。理由は、官僚機構の非効率、規制の多さ、インフラの遅れなどです。しかし二〇二〇年代に入って彼の見方は変わりつつあります。

二〇二五年九月の発言では、彼はインド市場について「興奮している」と表現し、将来的にインド株を購入したいと語りました。インドの人口ボーナス、IT産業の競争力、英語が共通語であるという優位性、これらが彼の見方を前向きにさせている要因です。

北朝鮮ウォッチ

ロジャーズの面白い側面の一つが、北朝鮮への執着です。彼は「北朝鮮はいずれ開放されるだろう。その時、隣接する韓国、中国、ロシアの国境地域に莫大な投資機会が生まれる」と何度も発言してきました。彼自身は北朝鮮を訪問しており、その独特の閉鎖性と、同時に若者たちの市場経済への憧れを観察してきました。

これは典型的な「カタリスト待ち」の投資テーゼです。今すぐには動かないが、何かのきっかけ(指導部の交代、米中朝関係の変化、内部からの圧力)で状況が一変したら、爆発的な機会が生まれる。そこに備えて、隣接国の関連株や不動産、商品にポジションを準備しておく ― そういう発想です。

第八章 アメリカへの厳しい目

史上最大の債務国

ロジャーズが二〇一〇年代以降、繰り返し警告してきたのが、アメリカの財政状況です。「アメリカは人類史上最大の債務国だ。しかも、その債務は日々悪化している」と彼は語ります。

実際、アメリカの連邦政府債務は二〇二〇年代に三〇兆ドルを大きく超え、年間の利払いだけで国防予算を上回るほどに膨れ上がりました。ロジャーズの懸念は、この債務が「いずれどこかで折り合いをつけねばならない」点にあります。歴史的に、こうした債務国は通貨切り下げ、インフレ、デフォルト、あるいは増税のいずれかで調整されてきました。

ロジャーズは「米国債は、かつてのような『絶対安全資産』ではなくなりつつある」「数百年後にはアメリカという国自体が今と同じ形では存在していないかもしれない」と、極めて厳しい長期見通しを述べることもあります。

FRBへの不信

ロジャーズの中央銀行への不信は深く、特にアメリカの連邦準備制度(FRB)に対しては手厳しいです。「FRBですら無限のお金は持っていない。もしFRBが全員を救おうとすれば、たいてい事態をもっと悪化させる」というのが彼の見方です。

彼が問題視するのは、低金利政策と量的緩和(QE)の長期化です。これらは短期的には市場を支えるが、長期的には資産バブルを作り、貧富の差を拡大し、貯蓄者を罰する政策だと彼は見ています。

ロジャーズの中央銀行論の根底には、オーストリア学派的な思想があります。市場は政府や中央銀行の介入なしに、健全に淘汰と再編を行うべきだ。痛みを伴う調整を遅らせれば遅らせるほど、最終的な調整のコストは大きくなる。これは彼が日本銀行を批判する論調とも全く同じです。

二〇二五年、米国株撤退

そして二〇二五年、ロジャーズは行動で示しました。米国株のほぼ全てを売却したのです。

彼自身の言葉を借りるなら、「私は最近、米国株を全部売った。なぜなら、このパーティーは前にも見たことがあるからだ」。「お金が簡単に儲かる時こそ要注意だ。これが永遠に続くことは歴史的に一度もなかった」。

代わりに彼が持っているのは、現金、金、銀、そして中国株や一部の新興国株です。彼は次の大きな調整局面で、現金で機動的に動けるポジションを取っています。

「次に大きく下げた時に、自分が好きな国の好きな資産を、現金で大量に買えるようにしておく」 ― これがロジャーズの「機会主義」の真髄です。

第九章 日本への愛と警告

ロジャーズと日本の関係は、複雑で、興味深いものがあります。彼自身、何度も「日本は好きな国だ」と公言しています。日本食を愛し、日本人の勤勉さを尊敬し、トレードマークである蝶ネクタイには富士山のロゴが入っている。彼は東日本大震災の時、復興を信じて日本株を買い集め、シンガポールの自宅近くのうなぎ屋で家族と一緒にうな丼を食したという逸話さえあります(日本経済新聞・豊島逸夫氏のコラムより)。

しかし、その日本好きであるからこそ、彼の日本への警告は容赦がありません。

アベノミクスは失敗だった

ロジャーズは安倍政権下の経済政策「アベノミクス」を厳しく批判してきました。彼の二〇二五年の著書『「日銀」が日本を滅ぼす 世界3大投資家が警告する日本の未来』(SBクリエイティブ、花輪陽子氏、アレックス・南レッドヘッド氏の翻訳・監修)は、まさにこのテーマを正面から扱った本です。

彼の批判の骨子は明確です。第一に、日本銀行の異次元金融緩和は短期的に円安と株高を演出したが、人口減少、労働市場の硬直性、規制改革の遅れといった根本的問題には一切手を付けていない。第二に、円安は輸出企業を一時的に潤すが、輸入価格を引き上げて国民の購買力を奪い、生活水準を下げる。第三に、金融緩和によって積み上がった政府債務は、いずれ何らかの形でツケが回ってくる。

「私が日銀総裁ならば、まず量的緩和を停止し、金利を市場に任せる。中央銀行は景気をコントロールしようとすべきではない」というのが彼の主張です。

円安と日本国民の貧困化

ロジャーズが特に強調するのが、円安が日本国民の生活を貧しくしているという点です。

データを見れば、確かに日本の一人当たりGDPはドル建てで二〇二〇年代に大きく後退しました。日本円で見ると名目では維持されているように見えますが、世界経済の中での購買力は明確に低下しています。ロジャーズはこれを「日本人は気づかないうちに、国全体として貧しくなっている」と表現します。

訪日観光客が「日本は安い」と言って消費を楽しむ姿は、確かに日本にお金を落としてくれるありがたい現象ですが、視点を変えれば、それは日本円の購買力が低下していることの裏返しでもあります。ロジャーズの警告はここに焦点を当てています。

人口動態という時限爆弾

ロジャーズが日本について最も悲観的なのが、人口動態です。日本は世界で最も急速に高齢化と人口減少が進む国の一つです。生産年齢人口は減り続け、社会保障負担は高齢者層に集中しています。

「移民を受け入れるか、出生率を回復させるか、何かしらの改革をしない限り、日本の衰退は加速する」というのが彼の見方です。彼は「日本人の若者がもし私の隣にいたら、私はAK-47を渡すかパスポートを渡すと言うだろう」と過激なジョークさえ口にすることがあります。要するに、現状のまま日本に留まり続けるリスクの大きさを警告しているわけです。

日本人へのアドバイス

ロジャーズは日本人個人投資家に対しても、たびたびアドバイスを発信しています。

まず、円資産だけに偏らない分散投資の必要性。円安が長期化すれば、円建ての貯金は実質的に目減りします。外貨資産、特に金や銀などの実物資産への分散が重要だと彼は言います。

次に、内需だけに依存せず、海外の成長を取り込む発想。日本国内の市場は構造的に縮小していくため、海外の高成長地域に資金を振り向けるべきだと。

そして、自分の理解できる範囲で動くこと。流行に乗らないこと。日本のメディアが煽る投資ブームに注意すること。これらは、ロジャーズの普遍的な教えそのものです。

ちなみに、ロジャーズは二〇二四年に一度日本株をすべて売却したと公言していましたが、二〇二四年の日経新聞・豊島逸夫氏の取材によれば、「日本株を売ったのは間違いだった、今は強気だ、日本は変わる」と発言を修正しています。彼の柔軟性、間違いを認めて修正する姿勢は、見習うべきところです。

第十章 仮想通貨とAIへの見解

仮想通貨へのスタンス

ロジャーズの仮想通貨に対するスタンスは一貫して懐疑的です。彼は「ビットコインは投機的バブルであり、政府が脅威と感じれば規制で潰されうる」と長年言い続けてきました。

ただし、彼は仮想通貨を「無視すべきもの」とは捉えていません。「ブロックチェーン技術は重要だし、デジタル通貨そのものは将来の貨幣の形態の一つになるだろう。ただ、それは現在の民間仮想通貨ではなく、中央銀行が発行するデジタル通貨(CBDC)になるはずだ」というのが彼の見方です。

彼は法定通貨も含めて、すべての「紙幣的なもの」に懐疑的です。だからこそ、彼の根本的な信頼は金や銀のような実物資産に向かいます。これは「ハードマネー」を重視するオーストリア学派の考えとも親和的です。

AIへの両面的視点

AI(人工知能)については、ロジャーズの見方は二段階に分かれます。

一方では、彼はAIを「電気、自動車、鉄道に匹敵する変革技術」と高く評価しています。「AIは我々が知っているすべてを変えるだろう」と語ります。技術革新の力そのものは否定していません。

他方で、投資対象としてのAI関連株には極めて慎重です。二〇二五年二月の発言で、彼は「私はAI銘柄やテック株には投資していない」と明言しました。理由は「自分が深く理解できる分野ではないから」というのが第一です。これは彼の「知らないものには投資しない」というルールの忠実な実践です。

さらに彼は「新しい技術は時にバブルを生む。AIはまだバブルには至っていないかもしれないが、いずれそうなる可能性がある」「賢く投資して、いつ売るかも考えなければならない」と冷静に語っています。

これは個人投資家にとって、極めて重要な教訓です。「将来性のある技術=必ず儲かる投資」ではないということ。バブルの起きやすい分野ほど、参入と退出のタイミングが命であり、それを掴むためには自分が深く理解している必要がある、というメッセージです。

第十一章 失敗から学ぶロジャーズ

私がロジャーズを尊敬するもう一つの理由は、彼が自分の失敗を隠さない点です。

初期の大失敗

ロジャーズの自伝『ストリート・スマート(Street Smarts)』には、若い頃のとんでもない失敗が記されています。空売りで大成功した直後、その勢いで別の銘柄を空売りしたところ、その株が逆に急騰し、彼は資金をほぼすべて失ったというエピソードです。

このエピソードから彼が学んだ教訓は、「成功した直後こそ最も危険だ」「自信過剰は破滅を招く」「ポジションサイズを常に意識しろ」というものです。これは、現代の個人投資家にも極めて重要な教訓です。短期で大成功した投資家ほど、次の取引で過大なリスクを取って失敗するという心理的バイアスは、いまだに繰り返されています。

「いつもエントリーが早すぎる」自覚

ロジャーズはしばしば、「私は下手なトレーダーだ。いつもポジションを取るのが早すぎる」と語ります。たとえば、商品市場の上昇を一九九〇年代から予想していましたが、実際の本格的な上昇は二〇〇〇年代に入ってからでした。中国株を買い始めたのも、本格的な上昇よりずっと前です。

「早すぎる」は投資の世界では「間違い」とほぼ同義です。なぜなら、ポジションを取った後に何年も含み損を抱えて耐えることになるからです。資金力と精神力の両方がなければ、続けられません。

ロジャーズはこの点について自覚的です。だからこそ、彼は「ポジションを大きく取りすぎない」「分散する」「現金を常に持っておく」という補完的なルールを大事にしています。「自分は早すぎる、だから余裕を持って張る」というのは、自己理解に基づく賢明な対応です。

商品市場での読み違い

前述したように、ロジャーズの長期商品強気論は二〇〇〇年代前半に大正解でしたが、二〇一〇年代の大半は不発でした。彼自身、これを「私の見立ては基本的に正しかったが、タイミングを大きく外した」と認めています。

長期投資家としての成功は、結局のところ「資金力と忍耐力」の関数です。十年待てる人にとっては正解だったテーゼも、三年で資金が尽きる人にとっては破滅です。ロジャーズの体験は、自分の時間軸と資金力を冷静に見極めることの大切さを教えてくれます。

第十二章 個人投資家への具体的アドバイス

ロジャーズが個人投資家に向けて発信してきたアドバイスは、長年にわたって驚くほど一貫しています。私の整理では、以下の十のポイントにまとめられます。

第一に、「自分が深く知っているものにだけ投資する」。日常生活、職業、趣味から自分の優位性を見つけよ。

第二に、「群衆に従わない」。テレビが言うことに乗らない、SNSのトレンドに乗らない、同僚や友人が言うことに踊らない。

第三に、「現場を見る」。可能な限り、自分が投資する対象の現場を訪ねる、または自分の生活圏の変化を観察する。

第四に、「分からない時は何もしない」。何もしないことは戦略の一つだ。現金で待つことは恥ずべきことではない。

第五に、「カタリスト(触媒)を待つ」。割安だから買うのではなく、割安が解消される兆しが見えてから買う。

第六に、「分散する」。一カ国、一通貨、一資産クラスに集中しない。少なくとも国・通貨・資産クラスの三軸で分散を考える。

第七に、「歴史を学ぶ」。チャートだけ見ていてもわからない。過去のバブルと崩壊、戦争と通貨危機、政権交代と経済政策の関係を学ぶ。

第八に、「自分の失敗から学ぶ」。失敗の原因を分析する、二度と同じ失敗をしない仕組みを作る。

第九に、「長期で考える」。十年、二十年単位で見て初めて、真のトレンドは見える。短期のノイズに振り回されない。

第十に、「楽しむ」。投資は冒険であり、世界を理解する手段でもある。お金だけが目的になるなら、続かない。

最後の「楽しむ」というのは、ロジャーズの人生そのものから滲み出るメッセージです。彼にとって投資は、世界を旅し、歴史を学び、人と出会うための言い訳でもあるのです。

第十三章 バフェット、ソロスとの比較

世界三大投資家と並び称される三人ですが、その手法と人生観は驚くほど異なります。

バフェットとの違い

ウォーレン・バフェットは「バリュー投資家」の代表格です。彼は割安な優良企業を長期保有し、ほぼ全期間を米国市場に集中させ、ネブラスカ州オマハという地方都市から動かず、メディア露出も限定的です。

ロジャーズはこれと対照的です。彼はグローバル・マクロ投資家で、商品、通貨、外国株を縦横に動く。米国は二〇〇七年に離れた。シンガポールに移住し、世界を旅し続け、メディアでの発信も活発です。

両者の共通点は、「自分の能力範囲」と「損をしないこと」を最重視する点、そして長期視点に立つ点です。違いは「能力範囲」の中身です。バフェットの能力範囲は「米国の優良企業の本質的価値の見極め」、ロジャーズの能力範囲は「世界の地政学と長期トレンドの読み」です。

ソロスとの違い

ジョージ・ソロスは「反射性(reflexivity)」の理論で知られ、短期の市場心理と政策変化を捉える名手です。一九九二年の英ポンド売り、一九九七年のアジア通貨危機での動きは伝説的です。

ロジャーズはソロスと十年間組んでいましたが、その後の歩みは大きく分岐します。ソロスは引き続き巨大ファンドを運営し、社会・政治活動にも積極的に関与しました。一方ロジャーズは個人投資家としての自由を選び、政治とは距離を置いてきました。

両者の手法の差を一言で言えば、ソロスは「短期から中期の市場心理と政策変動を狙う」、ロジャーズは「長期の構造変化を捉える」となります。同じヘッジファンドの祖でありながら、片や瞬発力、片や持久力という対照的なキャラクターです。

三人から学ぶ三つの道

これら三人から私たちが学ぶべきは、「投資で成功する道は一つではない」ということです。バフェットのように一国の優良企業を深く知る、ソロスのように市場心理と政策を読み解く、ロジャーズのように世界を旅して長期トレンドを掴む。どれも正解です。

しかし全ての投資家に共通するのは、「自分のスタイルを持っていること」「そのスタイルに合った時間軸と資金管理を実践していること」「市場に対する独自の見方を磨き続けていること」です。

第十四章 ロジャーズの名言・教訓集

ロジャーズの言葉は、シンプルでありながら奥深いものが多くあります。私が特に重要だと思うものを抜粋します。

「自分が情熱を持っているものに投資せよ。それなら、市場が下がっても保有し続けられる」

「群衆に従っても金持ちにはなれない。誰も気づいていないものを見つけることだ」

「投資で成功する秘訣は、損をしないことだ。何をしているか分からないなら、何もするな」

「画面ではなく、窓の外を見ろ」

「歴史は繰り返す。少なくとも韻を踏む」(マーク・トウェインの引用を彼が好んで使う)

「中央銀行は景気をコントロールすべきではない。市場に任せろ」

「お金が簡単に儲かる時代は、必ず終わる」

「私は投機家ではない。チャンスを待つ機会主義者だ」

「もし大学に行くなら、ビジネススクールではなく、歴史と哲学を学べ」

「あなたが他人より深く知っているものは、必ずあなたの中にある」

「人生最大の投資は、お金ではない。私の娘たちだ」

最後の言葉は意外かもしれません。投資の話を散々してきた人物が、最後に「人生最大の投資は娘」と語る。これがロジャーズの人間味です。

第十五章 ロジャーズの主要著書

ロジャーズの哲学を深く知りたい方には、彼自身の著書を読むことを強くお勧めします。一次情報そのものだからです。以下、主要なものを列挙します。

『投資バイカー(Investment Biker)』(一九九四年) ― バイクで世界一周した記録と投資洞察。彼の代名詞的な一冊。

『冒険資本家(Adventure Capitalist)』(二〇〇三年) ― 車で世界一周した記録。新興市場への眼差しが鋭い。

『ホット・コモディティーズ(Hot Commodities)』(二〇〇四年) ― 商品投資の入門書にして強気論の理論的支柱。

『私の娘たちへ ― 投資家になるための12の教え(A Gift to My Children)』(二〇〇九年) ― 父親としてのロジャーズが、娘に伝えたい人生と投資の教え。読みやすく感動的。

『ストリート・スマート(Street Smarts: Adventures on the Road and in the Markets)』(二〇一三年) ― 自伝。クォンタム・ファンド時代の裏話も含む。

日本語で出版されている書籍も多数あります。『冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界大発見』(日経ビジネス人文庫)、『危機の時代』(日経BP)、『ジム・ロジャーズ 大予測』(東洋経済新報社)、『大転換の時代』(プレジデント社)、『2030年 お金の世界地図』(SBクリエイティブ)、『捨てられる日本』(SB新書)、そして二〇二五年の『「日銀」が日本を滅ぼす 世界3大投資家が警告する日本の未来』(SB新書)。

特に二〇二〇年代の日本向け書籍は、ファイナンシャル・プランナーの花輪陽子氏とファンドマネージャーのアレックス・南レッドヘッド氏が翻訳・監修を務めており、ロジャーズの最新の見解を日本の文脈で読めるという意味で貴重です。

第十六章 ロジャーズ哲学の現代的意義

最後に、二〇二六年現在のロジャーズ哲学が、私たちにとってどんな意味を持つかを考えてみます。

二〇二〇年代は、世界経済が大きな転換点を迎えています。米中の対立、AI革命、脱炭素、人口動態の急変、地政学の流動化、各国中央銀行の異例の金融政策。これらすべてが同時並行で進行しています。

こんな時代に必要なのは、短期の市場ノイズに振り回されない長期視点と、自分の頭で考える独立思考、そして「分からないことには手を出さない」という謙虚さです。これは、ロジャーズが半世紀以上にわたって説き続けてきたことそのものです。

特に日本に住む我々にとって、ロジャーズの警告は耳が痛いものです。円資産に偏った貯蓄、内需に依存した投資、政府と中央銀行への過度な信頼。これらは、日本特有の心地よさですが、長期的には大きな脆弱性です。

だからこそ、ロジャーズの教えを「異国の伝説的投資家のおとぎ話」としてではなく、「これからの十年、二十年を生き抜くための実践的な思考枠組み」として受け止めるべきだと、私は考えます。

具体的には、第一に、自分のポートフォリオを国・通貨・資産クラスの三軸で見直すこと。第二に、「自分の知っていること」「自分にとっての一次情報源」を意識的に増やすこと。第三に、十年単位で何が変わりつつあるかを月に一度は考える時間を作ること。第四に、現金の戦略的価値を再認識すること。何もしない時間を許容することです。

これらはどれも、ロジャーズの哲学の直接的な応用です。

結論 ― 八十三歳の冒険投資家が私たちに残すもの

二〇二六年現在、ジム・ロジャーズは八十三歳です。彼は今もシンガポールから世界を見つめ、インタビューに応じ、ライブ配信に登場し、本を書き続けています。

彼の人生から私が学んだ最大の教訓は、「投資とは、自分の世界の見方を磨くことの副産物である」ということです。チャートを見て、ニュースを読み、本を読み、人と会い、旅をして、考える。その積み重ねが、ある日「これは買いだ」「これは売りだ」という確信に結実する。そして、その確信に資金を張る。それだけのことです。

しかしその「それだけのこと」を、五十年以上、ブレずに、進化させながら続けてきたのがロジャーズの非凡さです。

私たちは彼ほどの行動力も、人脈も、資金力もないかもしれません。しかし、「窓の外を見る」「自分の知っていることに集中する」「群衆に従わない」「損をしない」「待つ」 ― これらの原則は、明日からでも実践できます。

世界は今、再び激動の時代に入っています。米国株を売って現金と金・銀を持つ八十三歳の投資家が、最後に発するメッセージは、一貫しています。「Be very, very careful(とても、とても気をつけなさい)」。

これは私たち日本の投資家にとっても、最も真剣に受け止めるべき言葉だと、私は思います。


参考資料

本記事の執筆にあたり、以下の資料を参照しました。

ジム・ロジャーズ著、花輪陽子・アレックス南レッドヘッド翻訳監修『「日銀」が日本を滅ぼす 世界3大投資家が警告する日本の未来』SBクリエイティブ、SB新書、2024年

ジム・ロジャーズ著『捨てられる日本 世界3大投資家が見通す戦慄の未来』SB新書

ジム・ロジャーズ著『日本への警告』講談社

ジム・ロジャーズ著 Street Smarts: Adventures on the Road and in the Markets, Crown Business, 2013

ジム・ロジャーズ著 Investment Biker(投資バイカー)、Adventure Capitalist(冒険資本家)、Hot Commodities、A Gift to My Children

ジャック・D・シュワッガー著『マーケットの魔術師』

ジョージ・ソロス著『ソロスの錬金術』

ダイヤモンド・オンライン記事「『はっきり言おう』ジム・ロジャーズが『アベノミクスは失敗だった』と語る納得のワケ」2025年4月12日

プレジデント・オンライン記事「日本は『お気に入りの国』だけど…世界の投資家ジム・ロジャーズが『日本株をすべて手放した』と明かすワケ」2025年1月16日

note記事「ジム・ロジャーズが警告する市場の未来:迫りくる危機と資産戦略、そして日本経済への洞察」マクロ経済研究所、2025年9月17日

日本経済新聞・豊島逸夫氏コラム「我が友ジム・ロジャーズ氏『日本株売ったのは間違い』」2024年4月3日

東洋経済オンライン記事「ジム・ロジャーズ『コロナ禍後何に投資すべきか』」花輪陽子氏

EBC Financial Group, “Jim Rogers’ Guide to Trend-Focused Investing”, 2025年10月

Yahoo Finance / GlobeNewswire, “Jim Rogers predicts China to become world’s most important economy”, 2025年12月22日

Acquirer’s Multiple, “Jim Rogers Warns Investors: Be Very, Very Careful”, 2025年5月19日

Vantage Markets, “Why Jim Rogers Thinks 2025 Could Present Shorting Opportunities”, 2026年3月5日

ScienceDirect, “Investing amid Uncertainty: Perspectives from America’s Investment Biker – Jim Rogers” by Runhuan Feng

GoldSilver.com, “Buy Silver, Not Gold: Jim Rogers’ Contrarian View on Precious Metals”, 2025年2月

Picture Perfect Portfolios, “How To Invest Like Jim Rogers: Co-Founder Of The Quantum Fund”, 2026年2月

Moomoo, “Jim Rogers: Invest Only in What You Have Knowledge about”

Wikipedia「ジム・ロジャーズ」(日本語版、2026年閲覧)

ZUU online 岩田太郎「世界三大投資家を徹底比較 ロジャーズ、バフェット、ソロス」

ARKADEAR「ジム ロジャース氏 インタビュー」

Strainer「ジョージ・ソロスの半生③クォンタム・ファンドでの圧倒的な成功と苦しみ」

セミナーズ「天才投資家ジム・ロジャーズとは?経歴や名言を初心者向けに解説」

タイトルとURLをコピーしました