LINEの友達一覧を見て「この人誰だっけ」が半分を超えた日
スマートフォンの中の幽霊たち
ある夜、なんとなくLINEの友達一覧を開いた。
スクロールしてみる。名前が並んでいる。87人。87人もの「友達」が、この画面上には存在している。87人。なかなかの数だ。これだけの人間とつながっていれば、孤独とは無縁のはずだ。
だが、スクロールしながら気づいた。名前を見ても、顔が浮かばない人がいる。「この人、誰だっけ」。アイコンを見ても思い出せない。名前を見ても、どこで知り合ったのか、いつ登録したのか、最後にやり取りしたのはいつか、何も思い出せない。
試しに数えてみた。「誰だかわからない人」の数を。スクロールしながら、一人ずつ判定していく。この人はわかる、大学の同期だ。この人もわかる、前の派遣先の人。この人は——誰だ? アイコンは風景写真。名前は見覚えがあるようなないような。最後のトーク履歴を開く。3年前の「お疲れ様でした」というメッセージ。それだけ。文脈がない。誰だったのか、思い出せない。
数え終わった。87人中、「この人誰だっけ」が47人。半数以上。半分を超えた。
87人の「友達」のうち、半分以上が「誰だかわからない人」。残りの40人のうち、実際に連絡を取り合っている人は——数えるまでもない。ゼロに近い。親を除けば、この1年で私的なメッセージを交わした相手は、一人もいない。
87人の友達一覧は、幽霊の名簿だ。かつては生きた関係だったものが、死んで名前だけが残っている。幽霊たちがスマートフォンの中に住んでいる。生きてはいないが、消去もされていない。削除すれば名簿は減るが、削除する気にもなれない。削除は、関係が完全に終わったことの確認だ。確認したくない。だから幽霊のまま残しておく。
なぜ「誰だかわからない」のか
47人もの人間を忘れた理由は、関係が浅かったからだ。
LINEの友達追加は、簡単だ。飲み会の席で「LINE交換しましょう」と言えば、QRコードを読み取って完了。3秒で友達登録。この手軽さが、大量の「浅い関係」を生む。一度会っただけの人、派遣先で数ヶ月だけ一緒だった人、セミナーで隣に座った人。これらの人々が、友達一覧に蓄積されていく。
浅い関係は、時間が経つと記憶から消える。名前を覚えていても、顔を忘れる。顔を覚えていても、どこで会ったかを忘れる。すべてを忘れると、「この人誰だっけ」になる。
深い関係であれば、忘れない。大学の親友、昔の恋人、長く一緒に働いた同僚。これらの人は、名前を見ればすぐに顔が浮かぶ。だが深い関係の人数は少ない。多くても10人程度。87人のうち、深い関係はせいぜい10人。残りの77人は浅い関係であり、そのうち47人は「誰だか忘れた」レベルにまで浅くなった。
LINEの友達一覧は、人間関係の地層だ。上の層(最近のやり取り)は鮮明だが、下に行くほど化石化している。化石化した人間関係が、地層の大半を占めている。
数と質の乖離
SNS時代の人間関係は、「数」で語られがちだ。友達が何人いるか。フォロワーが何人いるか。数が多いほうが「社交的」で「充実している」ように見える。
だが数と質は比例しない。87人の友達がいても、本当に頼れる人間がゼロなら、87人の意味はない。数字の向こうに、生きた関係がない。数字はあるが、温度がない。
一方で、友達が3人しかいなくても、その3人と深い信頼関係があれば、人間関係は充実している。3人のほうが87人より豊かだ。
私は87人の友達一覧を持っているが、実質的な友達はゼロだ。87人のゼロ。数字上は孤独ではないが、実態は完全に孤独。この乖離が、LINEの友達一覧を眺めるたびに可視化される。
削除するか、残すか
「誰だかわからない」47人を削除するべきか。
合理的に考えれば、削除すべきだ。連絡を取る予定もない。取る理由もない。名前すら思い出せない相手を、友達一覧に残しておく意味はない。デジタルの断捨離。
だが削除できない。削除することに、心理的な抵抗がある。
理由の一つは、「もしかしたらいつか連絡が来るかもしれない」という微かな期待。来ない可能性が99%でも、1%の可能性のために残しておく。来たとき、「誰ですか?」と返すのは気まずい。登録しておけば、名前で誰だかわかる(わからないのに)。
もう一つの理由は、「数が減ると寂しい」という感情。87人を40人に減らしたら、40人。さらに「実際に連絡を取る人」だけに絞ったら、3人。3人の友達一覧。数字が少ないことが、孤独を数値化する。数値化された孤独は、体感の孤独より鋭い。
だから残しておく。87人の幽霊たちを、スマートフォンの中に住まわせておく。幽霊でも、名前があれば、「かつて人間関係があった証拠」として機能する。証拠がなくなるのが怖い。
友達一覧が映す人生
友達一覧をスクロールしていると、自分の人生の断片が見える。
大学時代の友達。この人とは卒業後に一度だけ会った。あの日の居酒屋の雰囲気を、かすかに覚えている。
最初の派遣先の同僚。半年だけ一緒に働いた。名前は覚えているが、顔がぼやけている。
婚活パーティーで連絡先を交換した人。一度もメッセージを送らなかった。向こうからも来なかった。
派遣会社の営業担当。もう退職しているかもしれない。
それぞれの名前に、それぞれの時期の記憶が、薄く付着している。完全には忘れていないが、鮮明でもない。セピア色の写真のように、輪郭がぼやけた記憶。
87人の友達一覧は、私の20年間の人間関係のアーカイブだ。アーカイブの大半は、二度と開かれないファイル。開かれないが、削除もされない。ハードディスクの隅に、ひっそりと存在し続ける。
今夜もLINEの友達一覧を閉じる。閉じて、画面が暗くなる。暗い画面に自分の顔が映る。87人の友達がいるはずの人間の顔が、一人きりの部屋で、画面に映っている。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。LINEの友達一覧に違和感を覚えたことがある人は、きっと少なくないはずです。
