「一人の食卓」を20年続けて気づいたこと——食事は栄養補給か、それとも文化か

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「一人の食卓」を20年続けて気づいたこと——食事は栄養補給か、それとも文化か

7000回の孤食

一人暮らしを始めて20年以上。一日3食×365日×20年=21900食。このうち、誰かと一緒に食べた回数を数えてみる。職場のランチを除けば、年に数回。20年で100回あるかどうか。残りの21800食は、一人で食べた。

21800回の孤食。この数字は、想像するより重い。朝、一人で食パンをかじる。昼、一人でコンビニおにぎりを食べる。夜、一人でもやし炒めを食べる。テレビをつけるか、スマートフォンを見るか、何も見ないで黙々と食べるか。どのパターンでも、目の前に「人」はいない。

「一人で食べること」は、最初は寂しかった。実家では家族4人で食卓を囲んでいた。「いただきます」と言えば、誰かが「いただきます」と返してくれた。「おいしいね」と言えば、「うん、おいしいね」と返ってきた。一人暮らしでは、「いただきます」は独り言であり、「おいしいね」は壁に向かって言っている。

だが20年も続けると、寂しさに慣れる。慣れるというより、寂しさを感じるセンサーが鈍くなる。鈍くなったことで、一人の食事が「通常」になる。通常になると、たまに誰かと食事をしたときに違和感を覚える。「人がいる食事」が非日常になる。日常と非日常が逆転している。

食事の「儀式性」が消えていく

実家での食事には、儀式性があった。食卓にお皿を並べる。家族が席につく。「いただきます」と手を合わせる。食べ終わったら「ごちそうさま」。食器を下げる。洗う。この一連の動作が、食事の「儀式」だった。

一人暮らしの食事では、この儀式性が徐々に削ぎ落とされていく。最初はお皿に盛り付けていた。食卓に座って食べていた。「いただきます」も「ごちそうさま」も言っていた。

5年目くらいから変化が始まった。お皿に盛り付けるのが面倒になり、鍋から直接食べるようになった。食卓に座らず、キッチンのカウンターで立ったまま食べることが増えた。「いただきます」が省略された。いつの間にか、「食事」が「摂食」になっていた。

10年目くらいには、食事の準備と片付けを最小化するのが当たり前になった。使う食器は茶碗1つと箸1膳。洗い物を減らすために、フライパンからそのまま食べる。カップ麺はそのまま。パンは袋から出してそのまま。食事は「エネルギー補給作業」に最適化された。最適化の結果、所要時間は10分以内。準備3分、食べる5分、片付け2分。

この最適化は、合理的だ。一人暮らしで忙しい人間が、食事の儀式性にこだわる余裕はない。儀式を省けば時間が生まれる。時間が生まれれば、その分だけ別のことに使える。合理的だが、何かが失われている。失われたものの名前がわからない。名前がわからないから、取り戻し方もわからない。

「おいしい」の基準が変わる

一人の食卓が長くなると、「おいしい」の基準が変わる。

20代の頃の「おいしい」は、外食の味だった。ラーメン屋の濃厚な豚骨スープ。焼肉屋の上カルビ。居酒屋の刺身盛り合わせ。プロが作った料理の味が「おいしい」の基準だった。

30代の「おいしい」は、自炊の味に移行した。自分で作ったもやし炒めが「おいしい」。半額の刺身が「おいしい」。基準が下がった——と感じたが、実は基準が変わったのだ。プロの味から、自分の味へ。自分で作った料理は、プロには劣るが、自分の好みに合わせてある。塩加減、辛さ、量。自分好みに調整できるのは、自炊の特権だ。

40代の「おいしい」は、さらに変わった。「空腹が満たされること」自体が「おいしい」になった。もやし炒めでも、卵かけご飯でも、インスタント味噌汁でも。空腹の状態で食べれば、何でもおいしい。「何を食べるか」よりも「食べられること」自体に感謝する心境。この心境は、達観なのか諦めなのか。

「おいしい」の基準が下がることは、一般的にはネガティブに捉えられるだろう。食へのこだわりがなくなった、食の楽しみが減った、と。だが別の見方もできる。基準が下がったことで、満足のハードルが下がった。ハードルが下がれば、日常の中で「おいしい」と感じる回数が増える。毎日の食事が「おいしい」。幸せの密度は、実は高くなっているのかもしれない。

食事の時間と孤独の関係

食事の時間は、孤独が最も鮮明になる時間だ。

仕事中は忙しさが孤独を覆い隠す。通勤中はスマートフォンが気を紛らわせてくれる。入浴中は体の温かさが安らぎを与える。だが食事の時間は、「一人であること」が目の前の皿から立ち上ってくる。向かいの椅子が空いている。向かいに誰もいない。自分の咀嚼音が、部屋の中で唯一の生活音だ。

この孤独に対処するため、テレビやスマートフォンで「誰かの声」を流す。バラエティ番組の笑い声、YouTubeの解説動画、ラジオのパーソナリティの語り。これらの「誰かの声」が、孤独の食卓を少しだけ賑やかにする。声があれば、向かいの椅子が空いていても、部屋に「人がいる」錯覚が生まれる。錯覚でもいい。錯覚が孤独を和らげてくれるなら、それで十分だ。

テレビを消して、スマートフォンを置いて、無音で食べることもある。無音の食事は、自分の咀嚼音と、箸が皿に当たる音と、飲み込む音だけが聞こえる。この無音の食事が、最も「一人であること」を突きつけてくる。だが不思議なことに、無音の食事のほうが「味がわかる」。集中して食べると、もやしの甘み、味噌の香り、米の一粒一粒の食感がわかる。孤独と引き換えに、味覚が研ぎ澄まされる。

「食べる」ことの文化的意味

食事は、栄養補給だけの行為ではない。文化的な意味を持つ行為だ。

人類学的に見れば、食事は「共食」——誰かと一緒に食べること——が基本形だ。家族の団らん、友人との会食、ビジネスの接待、地域の祭りの共同飲食。食事は人と人をつなぐ「社会的接着剤」として機能してきた。共に食べることで、関係が深まり、信頼が生まれ、コミュニティが維持される。

一人の食卓は、この「社会的接着剤」を欠いている。食べることはできるが、「つながる」ことはできない。栄養は摂れるが、「社会性」は摂れない。食事が栄養補給に特化すると、食の文化的な側面——盛り付けの美しさ、旬の食材を楽しむこと、料理を作る喜びと食べてもらう喜び——が失われていく。

私の食卓から、盛り付けの美しさはとっくに消えた。旬の食材を楽しむ余裕はない(半額になっていれば旬に関係なく買う)。料理を「食べてもらう」相手がいない。食の文化的な側面が、ほぼすべて消失している。残っているのは「カロリーを摂取する」機能だけだ。

これは悲しいことだろうか。悲しい。だが悲しんでいても、状況は変わらない。変わらない状況の中で、少しでも食の楽しみを取り戻す方法はないか。

一人の食卓を「文化」に戻す試み

一人の食卓に「文化」を取り戻す試みを、いくつかしてみた。

試み1は「食器を良いものに変える」こと。100均のマグカップから、リサイクルショップで見つけた300円の陶器のマグカップに変えた。たった300円の差だが、手に持ったときの重み、口当たりの滑らかさが違う。毎朝のコーヒーが、少しだけ「文化的」になった気がする。

試み2は「盛り付けを少しだけ意識する」こと。フライパンから直接食べるのをやめた。お皿に盛る。盛るだけで、同じもやし炒めが少し見た目が良くなる。見た目が良くなると、「おいしそう」と感じる。「おいしそう」と感じると、食べる前からちょっと幸せになる。

試み3は「旬の食材を一つだけ取り入れる」こと。すべての食材を旬のもので揃える余裕はないが、一品だけ旬のものを加える。春はキャベツ、夏はトマト、秋はさつまいも、冬は大根。旬の食材は安いことが多いので、節約にもなる。旬を意識すると、季節を感じる。季節を感じると、「生きている」実感が湧く。

試み4は「いただきます」と「ごちそうさま」を言う」こと。独り言だが、声に出して言う。声に出すと、食事に区切りが生まれる。区切りがあると、「食事の時間」が「ただの摂食」ではなく「食事という行為」として意識される。意識されると、食べることへの敬意が戻る。

これらの試みは、すべて小さなことだ。劇的な変化はない。だが小さな変化の積み重ねが、食事を「栄養補給」から少しだけ「文化」に戻してくれる。完全には戻らない。一人の食卓に「共食」の温もりは戻せない。だが一人であっても、食事を大切にすることはできる。大切にすることが、自分を大切にすることにつながる。

20年の孤食が教えてくれたこと

20年間、一人で食べ続けて気づいたこと。食事は栄養補給か文化か、という問いへの答え。

答えは「両方」だ。栄養補給でもあり、文化でもある。だが一人の食卓では、文化的な側面が削ぎ落とされやすい。削ぎ落とされると、食事は「作業」になる。作業になると、食べること自体への関心が薄れる。関心が薄れると、健康を損なうリスクが高まる。栄養が偏る。食べる量が減る。食べることが面倒になる。

食事を「作業」にしないこと。これが、一人暮らしの長い人間が意識すべきことだ。お皿に盛る。「いただきます」と言う。味わって食べる。「ごちそうさま」と言う。これだけのことが、食事を「文化」の側に引き戻す。引き戻す努力を、怠らないようにしたい。

明日の朝食は、パンをそのまま齧るのではなく、お皿に載せてみようか。マグカップにコーヒーを注いで、座って飲もうか。5分の余裕。5分の文化。5分の「人間らしさ」。それだけで、一日の始まりが少し変わるかもしれない。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。一人の食卓が日常になっている人は、きっと少なくないはずです。

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