政策保有株(株式持ち合い)解消の歴史的トレンド——70年の「ねじれ」をほどく長い物語

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  1. この記事の地図——なぜ「持ち合い」の歴史を通史で読むのか
  2. 第1章 政策保有株とは何か——定義と基礎概念を、まず固める
    1. 1-1 「純投資ではない株式」という消去法の定義
    2. 1-2 「安定株主」というキーワード
    3. 1-3 なぜ「問題」とされるようになったのか——三つの弊害
    4. 1-4 「議決権ベース」で見ると、まだまだ大きい
  3. 第2章 起源——戦前の財閥と「持ち合いの前史」
    1. 2-1 持ち合いは「戦後の発明」ではない、しかし「戦前そのまま」でもない
    2. 2-2 財閥のピラミッド構造
    3. 2-3 戦前の株式市場——投機の舞台
  4. 第3章 財閥解体と証券民主化——持ち合いを生んだ「逆説の出発点」(1945-1950)
    1. 3-1 GHQの三大経済改革
    2. 3-2 財閥解体の具体的プロセス
    3. 3-3 個人株主69%——「理想」が生んだ「不安定」
    4. 3-4 陽和不動産事件——三菱、戦後初の「再結集」
  5. 第4章 第一次持ち合いブーム——旧財閥系の「再結集」(1950年代)
    1. 4-1 独占禁止法の「緩和」が扉を開けた
    2. 4-2 旧財閥系グループの再結集
    3. 4-3 メインバンク制の誕生
    4. 4-4 第一次ブームの「経済合理性」
  6. 第5章 第二次持ち合いブーム——「第二の黒船」と安定株主工作(1960年代-70年代)
    1. 5-1 証券不況と「株式の受け皿」問題
    2. 5-2 資本自由化——「第二の黒船」の衝撃
    3. 5-3 「安定株主工作」の本格化
    4. 5-4 「なぜモラルハザードが起きなかったのか」という問い
    5. 5-5 第二次ブームの完成形——「日本株式会社」
  7. 第6章 バブルの絶頂——持ち合いが「最高潮」に達した時代(1980年代-1990)
    1. 6-1 エクイティ・ファイナンスの「受け皿」として
    2. 6-2 ピーク——時価総額の約7割
    3. 6-3 「日本型経営」礼賛論の頂点
    4. 6-4 絶頂に隠されていた「三つの爆弾」
  8. 第7章 転換点——バブル崩壊と「第1期持ち合い解消」(1990年代後半-2000年代前半)
    1. 7-1 含み益の枯渇——「隠し財産」が消えた
    2. 7-2 銀行の苦境——不良債権とBIS規制の二重苦
    3. 7-3 会計ビッグバン——「時価」という劇薬
    4. 7-4 銀行株式保有制限法と「銀行等保有株式取得機構」
    5. 7-5 第1期解消の「副産物」——株式を誰が引き受けたか
    6. 7-6 第1期解消の「限界」——事業会社は動かなかった
  9. 第8章 揺り戻し——2000年代半ばの持ち合い「復活」(2005-2007)
    1. 8-1 解消は一直線ではなかった
    2. 8-2 敵対的買収の時代の到来
    3. 8-3 ブルドックソース事件と買収防衛策
    4. 8-4 なぜ「揺り戻し」は一時的に終わったのか
  10. 第9章 リーマン・ショックと「第2期持ち合い解消」(2008-2014)
    1. 9-1 再びの株価暴落、再びの解消
    2. 9-2 第2期解消の「地味さ」——なぜ印象が薄いのか
    3. 9-3 「危機ドリブン」の限界——三度目の宿題
  11. 第10章 ガバナンス改革の時代——「第3期持ち合い解消」の幕開け(2014-2021)
    1. 10-1 アベノミクスと「日本再興戦略」——成長戦略としてのガバナンス改革
    2. 10-2 伊藤レポートと「ROE 8%」
    3. 10-3 スチュワードシップ・コード(2014)——「ものを言う投資家」を制度化する
    4. 10-4 コーポレートガバナンス・コード(2015)——「原則1-4」の登場
    5. 10-5 2018年改訂——「縮減」へ、そして「妨害の禁止」へ
    6. 10-6 有価証券報告書の開示厳格化(2019年3月期〜)——「見える化」の威力
    7. 10-7 2021年改訂——市場再編とサステナビリティ
  12. 第11章 東証の市場再編と「資本コスト経営」——構造を変える圧力(2022-2023)
    1. 11-1 市場区分の再編——プライム・スタンダード・グロース
    2. 11-2 流通株式比率——持ち合いを「狙い撃ち」にした基準
    3. 11-3 浮動株の定義変更——インデックスからの「圧力」
    4. 11-4 「PBR1倍割れ」問題——東証からの異例の要請
    5. 11-5 なぜ「資本コスト経営」が持ち合い解消を加速したのか
  13. 第12章 損保不祥事という分水嶺——「もたれ合い」が断罪された日(2023-2024)
    1. 12-1 二つの不祥事——ビッグモーターと保険料カルテル
    2. 12-2 金融庁の「異例の指摘」——政策保有株が競争を歪めた
    3. 12-3 損保4社の「ゼロ」宣言——6.5兆円の決断
    4. 12-4 なぜ損保不祥事が「分水嶺」なのか——三つの意味
  14. 第13章 機関投資家とアクティビスト——「下から」突き上げる圧力
    1. 13-1 議決権行使基準への「数値基準」の導入
    2. 13-2 「経営トップが落ちかける」という現実
    3. 13-3 アクティビストの台頭
    4. 13-4 「持ち合い解消」がテーマの投資商品まで登場
    5. 13-5 「上から」と「下から」の合流
  15. 第14章 いま、何が起きているか——最新データで見る「現在地」(2024-2026)
    1. 14-1 野村資本市場研究所——「5年連続で過去最低を更新」
    2. 14-2 大和総研——銘柄数も金額も、二ケタの縮減
    3. 14-3 売却額9.7兆円——2年連続で過去最高
    4. 14-4 個別企業の動き——メガバンクと損保
    5. 14-5 株式は「どこへ」行ったか——外国人保有比率、過去最高
    6. 14-6 さらに続く制度の動き——2025年・2026年
  16. 第15章 持ち合い解消の「光と影」——論点を、フェアに整理する
    1. 15-1 解消推進派の論拠——おさらい
    2. 15-2 慎重派・擁護論の論拠——「特殊」ではない、という反論
    3. 15-3 「解消した株は、どこへ行くのか」という問題
    4. 15-4 「真の解消」か「見かけの解消」か
    5. 15-5 売却益の使途——「解消」がゴールではない
  17. 第16章 これからどうなるのか——七つの論点で展望する
    1. 16-1 第3期解消は「続く」——ただし「ゼロ」にはならない
    2. 16-2 残る「岩盤」——事業会社間、特定業種
    3. 16-3 「買収の時代」の到来——揺り戻しのリスク
    4. 16-4 税制という「未解決の論点」
    5. 16-5 「実質化」——形式から中身へ
    6. 16-6 「危機ドリブン」から「構造ドリブン」へ——歴史的な質の変化
    7. 16-7 最大の問い——「安定」を手放した日本企業は、何を得るのか
  18. おわりに——70年の「ねじれ」が問いかけるもの
  19. 参考資料・出典
    1. 政府・取引所等の一次資料
    2. 調査機関・研究資料
    3. 報道・解説

この記事の地図——なぜ「持ち合い」の歴史を通史で読むのか

日本の株式市場を語るとき、避けて通れない言葉がある。「政策保有株式」、あるいは古くからの言い方をすれば「株式持ち合い」だ。

トヨタ自動車が取引先の株を持ち、その取引先がトヨタの株を持つ。銀行が融資先の株を持ち、融資先が銀行の株を持つ。損害保険会社が顧客企業の株を持ち、顧客企業が損保の株を持つ。こうして企業同士が網の目のように株式を持ち合い、「お互いに、相手の経営にうるさいことは言わない」という暗黙の了解で結ばれてきた。これが戦後日本の企業社会を支えた「見えない骨格」だった。

そして今、その骨格がほどけつつある。2025年に各社が提出した有価証券報告書を集計すると、政策保有株の売却額は前年比でおよそ5割増の9兆7655億円に達し、2年連続で過去最高を更新した。損害保険大手4社は「政策保有株をゼロにする」と宣言し、メガバンクは「設立以来累計9割超の削減」を視野に入れている。トヨタですら、グループ内の持ち合いに手をつけ始めた。

この記事は、その「ほどけていく過程」を、できるだけ長い時間軸で——戦前の財閥から2026年のコーポレートガバナンス・コード改訂案まで——一本の物語として描こうとするものだ。なぜそんな遠回りをするのか。理由は単純で、「持ち合いの解消」は一度きりの出来事ではなく、過去30年間、何度も繰り返されてきた「波」だからだ。1990年代後半に「第1期」の解消があり、リーマン・ショック後に「第2期」があり、そして2015年以降の現在進行形が「第3期」と呼ばれている。波である以上、引き潮もあれば、満ち潮への揺り戻しもあった。2005年から2007年にかけては、いったん解消が止まり、むしろ持ち合いが「復活」した時期さえある。

つまり「持ち合い解消」を理解するには、「なぜ持ち合いが生まれたのか」「なぜ何度も解消の波が来たのか」「なぜそのたびに完全には解消しきれなかったのか」という三つの問いに同時に答える必要がある。この記事の独自の視点を一言で予告しておくと、こうなる——日本の持ち合いの歴史は、「安定」と「効率」という二つの価値が、危機のたびに主役を交代してきた歴史である。そして重要なのは、解消を前に進めたのはいつも「企業の自発的な反省」ではなく、「外からの圧力」と「危機」だった、という点だ。この構造を頭の片隅に置きながら読み進めてほしい。

記事の構成は次のとおりである。

  • 第1章では、そもそも「政策保有株とは何か」という定義と基礎概念を整理する。ここを押さえないと、後の議論がすべて宙に浮く。
  • 第2章〜第6章は「形成史」。戦前の財閥(第2章)、財閥解体と証券民主化(第3章)、第一次持ち合いブーム(第4章)、第二次持ち合いブーム(第5章)、バブル期のピーク(第6章)までを追う。
  • 第7章〜第9章は「第1期・第2期の解消」。バブル崩壊後の銀行の株式売却(第7章)、2000年代半ばの揺り戻し(第8章)、リーマン・ショック後の再解消(第9章)。
  • 第10章〜第14章が、この記事の本丸である「第3期解消」。ガバナンス改革(第10章)、東証の市場再編と資本コスト経営(第11章)、損保不祥事という分水嶺(第12章)、機関投資家とアクティビストの圧力(第13章)、そして最新データで見る現在地(第14章)。
  • 第15章・第16章で、解消の「光と影」を論点整理し、今後を展望する。

長い記事になるが、各章は比較的独立して読めるように書いた。関心のある時代から読み始めてもらってもかまわない。それでは始めよう。


第1章 政策保有株とは何か——定義と基礎概念を、まず固める

1-1 「純投資ではない株式」という消去法の定義

政策保有株式の定義は、実は「消去法」で理解するのがいちばん早い。

企業が他社の株式を持つ理由は、大きく二つに分けられる。一つは「純投資」。値上がり益や配当を得ること、つまりお金を増やすことそのものが目的の株式保有だ。もう一つが「それ以外の目的」での保有である。取引先との関係を維持・強化したい、相手に安定株主になってもらう見返りに自分も相手の株を持つ、業務提携の証としてお互いの株を持つ——こうした「経営戦略上の目的」で持つ株式が、政策保有株式と呼ばれる。

法律や開示制度の上では、上場企業は有価証券報告書のなかで、保有する株式を「純投資目的」と「純投資目的以外の目的(=政策保有目的)」に区分して開示しなければならない。つまり政策保有株とは、制度的には「企業自身が『これは純投資ではありません』と申告した株式」ということになる。

野村資本市場研究所は、この概念を「株式持ち合い」という言葉とほぼ同義に扱っている。同研究所の定義によれば、ここでいう「株式持ち合い」とは、A社とB社が互いに株式を持ち合う「相互持ち合い」だけを指すのではない。A社はB社の株を持っているがB社はA社の株を持っていない、いわゆる「片持ち(片持ち合い)」も含む。なぜなら、相互であれ片方向であれ、「純投資ではない目的での株式保有」という点では同じだからだ。だから本記事でも、「政策保有株式」「株式持ち合い」「政策保有」という言葉は、文脈に応じてほぼ同じ意味で使っていく。

1-2 「安定株主」というキーワード

政策保有株を理解するうえで欠かせないのが「安定株主」という概念である。

安定株主とは、ざっくり言えば「経営陣に反対せず、株を長期に持ち続けてくれる、ものを言わない株主」のことだ。経営陣にとって、これほどありがたい株主はいない。株主総会で何を提案しても賛成してくれる。株価が下がっても売らない。敵対的買収者が現れても、株を売り渡したりしない。

戦後日本の経営者は、この「安定株主」を意図的に作り出してきた。その主な手段が、取引先や金融機関との株式持ち合いだったのである。「お宅がうちの株を持ってくれるなら、うちもお宅の株を持ちます。お互い、相手の経営には口を出さないことにしましょう」——この相互不可侵条約のような関係こそが、持ち合いの本質だ。だから「政策保有株式の解消」とは、見方を変えれば「経営者が、自分にとって都合のよい安定株主を手放していく過程」でもある。これは後の章を読むうえで重要な視点になる。

1-3 なぜ「問題」とされるようになったのか——三つの弊害

長らく日本企業の「強さの源泉」とすら言われた持ち合いが、なぜ近年は「解消すべきもの」と見なされるようになったのか。批判の論点は、大きく三つに整理できる。

第一に、資本効率の悪化である。 政策保有株は、企業のバランスシート上では立派な「資産」として計上される。だが、それ自体は新しい価値を生まない。工場でもなければ研究開発でもない。たとえるなら、企業の金庫のなかに眠っている、換金できるのにしないお金のようなものだ。みずほ証券の解説を借りれば、政策保有株は「企業の金庫に眠っているお金のようなもの」であり、これを売却して工場建設や新製品開発に振り向ければ、収益を生む資産に置き換わり、資本効率が改善する。日本企業のROE(自己資本利益率)が欧米企業に比べて長らく低水準にとどまってきた一因として、この「使われないリスク性資産」の存在が、金融庁の研究会などでも繰り返し指摘されてきた。実際、純資産に占める政策保有株の割合が高い企業ほどROEが低くなる傾向があることも、データで示されている。

第二に、コーポレートガバナンス(企業統治)の形骸化である。 株主による経営の監視は、本来、企業を規律づける重要な仕組みだ。経営がまずければ株主が「ノー」を突きつける——その緊張関係があるからこそ、経営者は緩まない。ところが、株主の相当部分が「ものを言わない安定株主」で占められていると、この監視機能が働かなくなる。経営陣は、株主総会を「シャンシャン」で乗り切れてしまう。不適切な経営に歯止めがかからず、経営トップの暴走を止められず、一般株主の利益と相反する意思決定がなされるリスクが高まる。2018年のコーポレートガバナンス・コード改訂をめぐる議論でも、「取引先などが安定株主として存在することは、株主による経営監視に緩みを生じさせるおそれがある」と明確に指摘されている。

第三に、議決権の空洞化と取引の歪みである。 持ち合い株主はお互いに相手の議案に賛成し合うため、経営陣の意向が実態以上に「支持されている」ように見えてしまう。さらに深刻なのは、取引そのものが歪むことだ。具体例で考えてみよう。自動車メーカーA社が、部品メーカーB社と株を持ち合っているとする。あるとき、新興の部品メーカーC社が登場し、B社より高品質で安い部品を作り始めた。本来ならA社はC社に乗り換えたほうが、より良い車をより安く作れる。ところが「B社とは株を持ち合っている手前、切るに切れない」。結果として、A社は割高で低品質な部品を使い続け、B社は競争にさらされないまま生き延びる。これは経済全体で見れば、明らかな非効率である。後の章で詳しく述べるが、2023年に発覚した損害保険業界の不祥事は、まさにこの「持ち合いが取引(=保険契約の獲得競争)を歪めた」という構図そのものだった。

1-4 「議決権ベース」で見ると、まだまだ大きい

ここで一つ、地味だが重要なデータの話をしておきたい。

政策保有株は「減っている」と言われる。それは事実だ。だが、「どの物差しで測るか」によって、見え方は大きく変わる。

金額ベース(時価総額に対する比率)で見ると、政策保有株のピークは1990年前後で、当時は上場株式の時価総額のおよそ7割程度を「持ち合い的な保有」が占めていたとされる。それが2022年度には31%程度まで下がった。半分以下である。「ずいぶん減ったじゃないか」と思うかもしれない。

ところが、「議決権ベース」で見ると話が違ってくる。事業法人による政策保有株の減少ペースは、金融機関に比べると一貫して緩やかだった。そのため、2018年のガバナンス・コード改訂時の議論でも、「政策保有株式が議決権に占める比率は依然として高い水準にある」と指摘されている。つまり、お金の量としては減ったが、「総会で行使される票」としての影響力は、思ったほど減っていない。この「金額では減った、しかし票としては残っている」というねじれが、第3期解消をしぶとく長引かせている根本原因の一つである。この点は第14章でもう一度立ち返る。

基礎概念の整理はここまでにして、いよいよ歴史の旅に入ろう。まずは、すべての出発点である「戦前」からだ。


第2章 起源——戦前の財閥と「持ち合いの前史」

2-1 持ち合いは「戦後の発明」ではない、しかし「戦前そのまま」でもない

「株式持ち合いは戦後の日本が生み出した独自の慣行だ」とよく言われる。これは半分正しく、半分は不正確だ。

正確に言えば、戦後広まった「企業同士が対等に株式を持ち合う」スタイルは戦後の産物だが、その土台となる「企業グループ」「系列」という発想は戦前の財閥に起源を持つ。持ち合いの歴史を理解するには、まず戦前の財閥がどういう構造だったかを知る必要がある。

2-2 財閥のピラミッド構造

戦前の日本経済は、三井・三菱・住友・安田といった巨大財閥によって、相当部分が支配されていた。財閥の構造は、一言でいえば「ピラミッド」である。

頂点に、創業家(同族)が支配する持株会社が立つ。三井なら「三井合名会社」、三菱なら「三菱合資会社」といった具合だ。この持株会社が、傘下の中核企業——銀行、商社、鉱業、重工業など——の株式を、圧倒的な比率で握る。たとえば三井財閥では、三井銀行や三井物産といった直系会社について、持株会社である三井合名の持株比率は100%、少ない場合でも30%は超えていたとされる。中核企業はさらにその下の子会社・孫会社を支配する。

ここで重要なのは、戦前の財閥は「持ち合い」ではなく「上から下への一方的な支配」だったという点だ。同族が持株会社を握り、持株会社が事業会社を握る。株式の流れは、上から下への一方通行である。企業同士が「対等に」「お互いに」株を持ち合うという発想は、まだ薄かった。

ただし、この「企業グループ」という器、そして「グループ内の企業は運命共同体である」という発想は、戦後の持ち合いにそのまま受け継がれていく。財閥は解体されるが、財閥が作った「仲間意識」と「ネットワーク」は生き残るのである。

2-3 戦前の株式市場——投機の舞台

もう一つ、戦前について押さえておきたいのは、当時の株式市場の性格だ。

戦前の株式市場は、現在のような「広く一般大衆が長期投資をする場」では、必ずしもなかった。一部の富裕層や財閥、そして投機家が主役の、かなり投機色の強い市場だった。財閥は傘下企業の株をがっちり握っていたから、市場で流通する株式の量自体が限られていた面もある。

この「戦前の株式市場は大衆のものではなかった」という事実を、戦後のGHQ(連合国軍総司令部)は問題視する。そして「株式を広く大衆に持たせ、企業経営を民主化する」という壮大な実験を始める。それが、次章で述べる「証券民主化」だ。そして皮肉なことに、この証券民主化こそが、巡り巡って戦後の株式持ち合いを生み出す引き金になる。歴史の歯車は、しばしば意図しない方向に回る。


第3章 財閥解体と証券民主化——持ち合いを生んだ「逆説の出発点」(1945-1950)

3-1 GHQの三大経済改革

1945年、日本は敗戦を迎えた。占領統治を担ったGHQは、日本を二度と戦争のできない国にするため、経済の根本構造にメスを入れる。その柱が「三大経済改革」——農地改革、労働改革、そして財閥解体である。

GHQの見立てはこうだった。「巨大財閥が日本経済を独占的に支配し、その経済力が軍国主義を支えた。財閥を解体しなければ、民主主義は根づかない」。この問題意識のもと、財閥解体が断行される。

3-2 財閥解体の具体的プロセス

財閥解体は、具体的には次のように進んだ。

まず、持株会社整理委員会が設置され、財閥の頂点にあった持株会社(三井合名、三菱合資など)が解散させられる。同族が握っていた中核企業の株式は、強制的に取り上げられ、市場に放出されることになった。三井・三菱・住友といった財閥の名前を冠した商号の使用も制限された。財閥本社は文字どおり「解体」されたのである。

そして、ここからが重要だ。取り上げられた膨大な株式を、GHQと日本政府は「広く大衆に持たせる」ことにした。これが「証券民主化運動」である。1947年から、解体された財閥保有株式を一般国民に分散保有させる取り組みが本格的に進められた。「株式会社の株主が大衆化されることで、会社経営が民主的に行われる」——この理念は、1929年の米国株価大暴落の反省から導かれたものだといわれる。一部の利害関係者が秘密クラブのように企業を支配する状態を、二度と作らない。そのための「資本所有の民主化」だった。

3-3 個人株主69%——「理想」が生んだ「不安定」

証券民主化の結果、何が起きたか。

1949年には、個人による株式保有率が全株式の69%を占めるに至った。東京証券取引所が再開された当時、個人投資家の株式保有率は65%を超えていた。数字だけ見れば、GHQの狙いどおり「大衆が株を持つ社会」が実現したかに見える。

ところが、ここに大きな落とし穴があった。

広く分散して株を持った個人株主の多くは、企業経営に関心も知識もない。配当が出れば嬉しいが、経営をどうこうしようという意欲はない。つまり、所有は分散したが、誰も経営に責任を持たないという状態が生まれた。これが当時「株主無責任」の問題と呼ばれた。

そして、この「誰も経営をしっかり監視していない、株式が広く分散した会社」は、ある人々にとっては格好の標的になった。買い占め屋、すなわち敵対的買収者である。市場で安く出回っている株をかき集めれば、経営権を握れてしまう。実際、1950年前後には、株式の買い占めが盛んに行われた。

経営者たちは恐怖した。GHQが去ったあと、自分の会社が、どこの馬の骨ともしれない買い占め屋に乗っ取られるかもしれない。この恐怖が、経営者たちを「ある行動」に駆り立てる。それが——信頼できる仲間の企業に、自社の株を持ってもらうことだった。

ここに、戦後日本の株式持ち合いの原点がある。持ち合いは、「効率」のためではなく、「防衛」のために生まれた。 GHQが「経営を民主化しよう」として株式を大衆にばらまいた結果、経営者は逆に「乗っ取られない仕組み」を必死で作ろうとした。証券民主化という理想が、その正反対の持ち合いという現実を生んだ。この逆説こそ、日本の持ち合いの出発点である。

3-4 陽和不動産事件——三菱、戦後初の「再結集」

象徴的な事件がある。1952年の「陽和不動産事件」だ。

陽和不動産は、もともと三菱財閥系の不動産会社だった。財閥解体で株式が分散していたところに、当時知られたグリーンメーラー(株を買い占めて高値で買い取らせる投資家)の藤綱久二郎が、陽和不動産株の35%を買い占めた。

三菱グループは、戦後初めて「再結集」する。グループ各社が結束し、藤綱が買い占めた株式を最高値で全株買い取ったのである。これは、解体されたはずの旧財閥グループが、「外部からの脅威」に対して再び一つにまとまった、象徴的な出来事だった。

この事件が示しているのは、財閥は解体されても、旧財閥系企業のあいだのネットワークと仲間意識は生き残っていたということだ。メインバンクを中心に、財閥時代の人脈・取引関係は温存されていた。あとは、それを「株式の持ち合い」という形で再び固めるだけ——その条件は、法律の側からも整えられていく。それが次章のテーマである。


第4章 第一次持ち合いブーム——旧財閥系の「再結集」(1950年代)

4-1 独占禁止法の「緩和」が扉を開けた

財閥解体と同時に、GHQは1947年に独占禁止法を制定していた。当初の独禁法は非常に厳しく、会社による他社株式の保有を強く制限していた。「企業が他の企業の株を持つこと自体が、経済力の集中につながる」という発想である。この厳しい独禁法が生きているあいだは、そもそも持ち合いをやろうにもやりようがなかった。

ところが、占領が終わりに近づくにつれ、独禁法は段階的に「緩和」されていく。1949年と1953年の二度の改正で、会社による株式保有の制限が大幅に緩められた。とりわけ1953年8月の改正は決定的だった。金融業を営む会社の株式保有制限(第11条)、競争関係にある会社間の役員兼任禁止(第13条)、会社以外の者による株式保有制限(第14条)などが、相次いで撤廃・緩和されたのである。

つまり、こういうことだ。GHQが「企業の株式持ち合いを防ぐため」に作った独禁法の縛りが、GHQの退場とともにほどかれた。持ち合いをするための「法的な扉」が、こうして開いた。

4-2 旧財閥系グループの再結集

法的な扉が開くと、旧財閥系の企業グループは一気に再結集へ動いた。

財閥解体で売却された関係企業の株式を、旧グループの企業同士が買い戻し、持ち合うようになった。金融機関と事業法人の垣根は関係なく、財閥ごとに株式を持ち合う構造が再構築されていく。三菱グループ、三井グループ、住友グループといった「旧財閥系企業集団」が、株式持ち合いという新しい接着剤で、再び一つの塊になっていった。

興味深いのは、旧財閥系だけでなく、銀行を軸にした新しい企業グループも同時に形成されたことだ。たとえば富士銀行は、旧安田系(日本精工、沖電気など)、旧浅野系(日本鋼管、日本セメントなど)、旧森系(昭和電工)、さらに旧日産系の一部企業に接近し、系列融資を行いながら株式持ち合いを進めた。第一銀行は旧渋沢系の企業や古河財閥、川崎系などとの関係を固めた。三和銀行も、戦前から密接だった紡績会社や重工業企業との関係を株式持ち合いで強化していった。

ここで、戦後の持ち合いが戦前の財閥と決定的に違う点が見えてくる。戦前は「同族の持株会社が頂点から支配するピラミッド」だったのに対し、戦後は「銀行を中心に、企業同士が対等に株を持ち合う、横並びのネットワーク」になった。 頂点のない、円環状の構造。これが戦後型の「企業集団」であり、後に「六大企業集団」(三井・三菱・住友・富士/芙蓉・三和・第一勧銀)と呼ばれるグループの原型である。

4-3 メインバンク制の誕生

第一次持ち合いブームと並行して形成されたのが、「メインバンク制」である。

メインバンクとは、ある企業にとっての「主力取引銀行」のことだ。だが、単なる「いちばん取引額の大きい銀行」という以上の意味を持っていた。メインバンクは、融資をするだけでなく、その企業の株式を持ち(=株主になり)、役員を送り込み、いざ企業が経営危機に陥ったときには救済の主導役を担う。融資・出資・人材・救済——この四つをワンセットで提供する「企業の面倒を全部見る銀行」、それがメインバンクだった。

そして、その関係を象徴し、固定するのが「銀行と企業の株式持ち合い」だったのである。銀行は融資先の株を持ち、融資先は銀行の株を持つ。お互いに安定株主になり合うことで、長期的な貸し借りの関係が安定する。高度成長期、設備投資のために大量の資金を必要とした日本企業にとって、「いつでも安定して資金を貸してくれる銀行」の存在は決定的に重要だった。メインバンク制と株式持ち合いは、コインの裏表だった。

4-4 第一次ブームの「経済合理性」

ここで、独自の視点を一つ提示しておきたい。

後の時代から振り返ると、持ち合いは「非効率の元凶」のように語られる。だが、1950年代の文脈に立てば、第一次持ち合いブームには確かな経済合理性があった。これは持ち合いを擁護する論者がしばしば指摘する点でもある。

考えてみてほしい。当時の日本は、敗戦からの復興期である。資本市場は未成熟で、企業が大規模な資金を市場から調達することは難しい。個人投資家は分散しきっていて、長期的な視点で経営を支える「ものの分かった大株主」がいない。買い占め屋に乗っ取られるリスクは現実のものだった。

そんな環境で、企業が長期的なプロジェクト——重化学工業化のような、回収に何年もかかる大型投資——を進めるには、どうすればいいか。答えは、「外部からの買収圧力を遮断し、長期的に経営を支えてくれる『仲間』を確保すること」だった。その仲間とは、長期的な企業間取引でつながった他企業であり、メインバンクだった。持ち合いと安定株主は、未成熟な資本市場を「企業同士のネットワーク」で代替する、当時としては合理的な仕組みだったのである。

この「持ち合いには、その時代なりの合理性があった」という視点は重要だ。なぜなら、後に持ち合いが「解消」されていくのは、持ち合いが最初から間違っていたからではなく、時代が変わり、持ち合いを支えていた前提条件が崩れたからだ、と理解できるからである。合理性は、永遠ではない。


第5章 第二次持ち合いブーム——「第二の黒船」と安定株主工作(1960年代-70年代)

5-1 証券不況と「株式の受け皿」問題

1960年代に入ると、持ち合いは第二の大きな波を迎える。きっかけの一つは、1964〜65年の「証券不況」だった。

1960年代前半、日本の株式市場はいったん活況を呈したあと、急速に冷え込んだ。株価が低迷し、証券会社の経営が揺らぐ事態となった。この危機に対応するため、株式買取機関(日本共同証券、日本証券保有組合)が設立され、市場から大量の株式を買い取って株価を下支えした。

問題は、その「買い支えた株式」を、不況が終わったあとどう処分するか、だった。一気に市場に売り戻せば、また株価が崩れてしまう。そこで、これらの株式は時間をかけて、金融機関や事業法人に引き取られていった。「不況対策で買い集められた株式が、企業や銀行に流れ込み、持ち合いをさらに厚くした」——これが第二次ブームの一つの側面である。

5-2 資本自由化——「第二の黒船」の衝撃

だが、第二次持ち合いブームの最大の駆動力は、別のところにあった。「資本の自由化」である。

1960年代、日本は国際社会への本格復帰を進めていた。1964年にはIMF8条国(国際収支を理由とした為替制限ができない国)へ移行し、GATT11条国となり、そしてOECD(経済協力開発機構)に加盟した。OECD加盟は、日本にとって「先進国クラブ」入りを意味する誇らしい出来事だったが、同時に重い義務を伴っていた。それが「貿易外経常取引および資本移動の自由化」である。

平たく言えば、こうだ。「これからは、外国の企業や投資家が、自由に日本企業の株を買えるようにしなさい」。

日本の経営者にとって、これは恐怖以外の何物でもなかった。当時の日本企業は、国際的に見れば規模も小さく、株価も安かった。「資本が自由化されれば、資金力のある欧米の巨大企業に、日本の優良企業が次々と買収されてしまうのではないか」。この危機感は、幕末に黒船が来航したときの衝撃になぞらえて「第二の黒船襲来」とまで呼ばれた。

5-3 「安定株主工作」の本格化

「第二の黒船」への対抗策として、日本企業が組織的に取り組んだのが「安定株主工作」である。

安定株主工作とは、文字どおり「安定株主を、意図的に、計画的に作り出す作業」だ。具体的には、取引先企業や金融機関に頼んで自社の株を持ってもらい、その見返りに自分も相手の株を持つ。こうして「お互いに売らない株主」で株主名簿を埋めていく。外国資本が買おうにも、市場に出回っている株(浮動株)が少なければ、買収は事実上不可能になる。

この時期、安定株主工作は単発の防衛策ではなく、日本企業の「標準装備」になっていった。新株を発行するときも、第三者割当増資という形で、取引先や銀行に引き受けてもらう。そうすれば、増資をしながら同時に安定株主を増やせる。資金調達と買収防衛が、一つの行為で同時に達成できる——経営者にとって、これほど都合のよい仕組みはなかった。

経済学者の宮島英昭らの研究によれば、安定株主化が急速に進展したのは1965年から1974年にかけての時期である。そして第一次石油ショック(1973年)を迎えるころには、日本の主要な企業集団は、安定株主比率の上昇と歩調を合わせるように、ほぼ完成の域に達していた。

5-4 「なぜモラルハザードが起きなかったのか」という問い

ここで、宮島英昭らの研究が投げかけた、きわめて重要な問いを紹介したい。これは持ち合いを考えるうえで避けて通れない論点である。

普通に考えれば、こういう疑問が湧くはずだ。「経営者が、自分に反対しない安定株主ばかりで株主名簿を固めてしまったら、経営者は誰からも監視されなくなり、堕落(モラルハザード)するのではないか?」

ところが、1960年代後半から70年代前半の安定株主化の急進展局面では、少なくとも見かけ上、深刻なモラルハザードは顕在化しなかった。なぜか。

宮島らの研究が示した一つの答えは、「メインバンクが監視役を果たしていた」というものだ。安定株主のなかでも、銀行は特別な存在だった。銀行は、企業の株主であると同時に、最大の債権者(お金の貸し手)でもある。貸したお金を返してもらえなければ銀行は損をするから、銀行には融資先企業の経営をしっかり監視する強い動機がある。

宮島らの分析によれば、ある局面では、メインバンクは「期待収益の高い企業の株式をシステマティックに増やす」という、合理的な投資家としての行動を見せていた。つまり、株主としての監視と、債権者としての監視が組み合わさることで、「ものを言わない安定株主」だらけになっても、メインバンクという『最後の番人』が経営の規律を保っていた——これが、高度成長期に持ち合いがうまく機能した(ように見えた)理由の一つ、という説明である。

ただし、この研究は同時に、重要な但し書きをつけている。「メインバンクが合理的な監視者として機能する」という関係は、1964〜69年の局面では確認できたが、1969〜74年の局面では確認できなくなっていた、というのだ。つまり、安定株主が積み上がるにつれて、メインバンクの規律づけ機能そのものが、徐々に弱まっていった可能性がある。

ここに、持ち合いという仕組みの「時限爆弾」が埋め込まれていた、と私は考える。高度成長期、企業が右肩上がりで成長し、銀行も貸し出しを増やし、株価も上がり続けるあいだは、誰もが満足し、監視の緩みは表面化しない。だが、成長が止まり、株価が下がり始めたとき——持ち合いの「監視なき安定」という負の側面が、一気に噴き出すことになる。その「とき」が、バブル崩壊だった。第7章で詳しく見ることになる。

5-5 第二次ブームの完成形——「日本株式会社」

1970年代半ばまでに、日本の株式持ち合い構造は、ほぼ完成形に達した。

その姿を、当時の海外メディアはしばしば「ジャパン・インク(日本株式会社)」と呼んだ。日本中の主要企業が、銀行を軸に、株式持ち合いと系列取引で網の目のようにつながり、まるで一つの巨大な「会社」のように振る舞っている、という意味だ。政府(通産省など)が産業政策で方向を示し、銀行が資金を供給し、企業集団が長期的視点で投資を続ける。外部の株主からの短期的なプレッシャーは、持ち合いによって遮断されている。

この「日本株式会社」モデルは、1970年代から80年代にかけて、世界的な賞賛の対象にすらなった。二度の石油ショックを日本企業が比較的うまく乗り切り、自動車や電機で世界市場を席巻すると、「日本型経営こそが資本主義の未来形だ」という議論が、海外の経営学者からも盛んに語られた。短期的な株主の圧力に振り回されず、長期的視点で経営できる——その強さの源泉として、株式持ち合いと安定株主は、むしろ「美点」として礼賛されたのである。

しかし、その絶頂は、崩壊の前夜でもあった。次章では、持ち合いが文字どおり「最高潮」に達したバブル期を見ていく。


第6章 バブルの絶頂——持ち合いが「最高潮」に達した時代(1980年代-1990)

6-1 エクイティ・ファイナンスの「受け皿」として

1980年代後半、日本はバブル経済に突入する。地価と株価が、実体経済からかけ離れて高騰した時代である。この時期、株式持ち合いは「最後の、そして最大の」拡大局面を迎えた。

バブル期の持ち合い拡大を駆動したのは、「エクイティ・ファイナンス」だった。エクイティ・ファイナンスとは、株式を発行して資金を調達することの総称で、増資や転換社債(CB)、ワラント債などを含む。

バブル期、株価がどんどん上がっていたため、企業にとって株式発行は「きわめて有利な資金調達手段」だった。株価が高いときに新株を発行すれば、少ない株数で大きな資金が手に入る。さらに当時は「エクイティ・ファイナンスで調達した資金を、財テク(金融投機)で運用し、その利益でまた投資をする」という、今思えば危うい循環すら回っていた。

問題は、大量に発行される新株を「誰が引き受けるか」だった。ここで再び登場するのが、取引先や金融機関である。第三者割当増資という形で、あるいは公募増資の安定的な引き受け手として、取引先・銀行・生保が新株を引き受けた。こうして、バブル期の大量のエクイティ・ファイナンスは、株式持ち合いという「受け皿」によって吸収された。資金調達をするたびに、持ち合いがさらに厚くなる。バブルの膨張と持ち合いの拡大は、同じコインの裏表だった。

6-2 ピーク——時価総額の約7割

こうして、株式持ち合いは1990年前後に歴史的なピークを迎える。

野村資本市場研究所の推計によれば、政策保有株(持ち合い的な保有)が上場株式の時価総額に占める比率は、1990年前後にはおよそ70%程度に達していたとされる。これは驚くべき数字だ。日本の株式市場に上場している株式の、価値にして7割が、「純投資ではない目的で、お互いに売らない約束で持たれている株式」だった、ということになる。

裏を返せば、本当に市場で自由に売買されている「浮動株」は、全体の3割程度しかなかった。市場は、見かけ上は巨大だが、実際に流通している株は限られた、きわめて「硬直的」な市場だったのである。

6-3 「日本型経営」礼賛論の頂点

バブル期は、「日本型経営」への礼賛が頂点に達した時期でもあった。

株式持ち合いと安定株主は、「日本企業が短期的な株主のプレッシャーから自由で、長期的な視点で経営できる仕組み」として、肯定的に語られた。終身雇用、年功序列、メインバンク制、そして株式持ち合い——これらがワンセットの「日本型システム」として、世界が学ぶべきモデルだと、国内外で論じられた。

「アメリカの企業は、四半期ごとの決算と株価に追われ、短期主義に陥っている。それに対して日本企業は、安定株主に支えられ、腰を据えた経営ができる」——この対比は、当時のビジネス書や経済論壇の定番だった。

6-4 絶頂に隠されていた「三つの爆弾」

しかし、独自の視点で振り返れば、この絶頂期にこそ、後の「解消」を必然にする三つの爆弾が埋め込まれていた。

第一の爆弾は、「含み益依存」である。 持ち合い株は、取得したときの値段(簿価)のまま帳簿に載っていた。バブルで株価が上がれば、簿価と時価の差額が巨大な「含み益」になる。企業や銀行は、この含み益を「いざというときの隠し財産」として頼りにしていた。だが、含み益は株価が上がっているあいだだけの幻である。株価が下がれば、含み益は含み損に変わる。絶頂期の安心感そのものが、爆弾だった。

第二の爆弾は、「相互の株価連鎖」である。 A社とB社が株を持ち合っているということは、B社の株価が下がればA社の資産が痛み、A社の株価が下がればB社の資産が痛む、ということだ。上げ相場ではこの連鎖は「みんなで一緒に儲かる」仕組みとして働く。だが下げ相場では、「みんなで一緒に沈む」仕組みに反転する。持ち合いは、危機を増幅する装置でもあった。

第三の爆弾は、「監視なき経営の蓄積」である。 第5章で見たように、メインバンクの規律づけ機能は、すでに70年代前半には弱まり始めていた。バブル期、株も土地も上がり続けるなかで、経営の規律はさらに緩んだ。安定株主に守られた経営陣は、過大な投資、無謀な財テク、不透明な経営に走った。その「ツケ」は、まだ表面化していないだけだった。

1990年、株価は崩れ始める。そして1991年には地価も下落に転じる。バブルは崩壊した。埋め込まれた三つの爆弾が、いっせいに作動を始める。ここから、日本の持ち合いは「拡大の時代」から「解消の時代」へと、歴史的な転換を迎える。次章からは、いよいよ「解消」の物語に入る。


第7章 転換点——バブル崩壊と「第1期持ち合い解消」(1990年代後半-2000年代前半)

7-1 含み益の枯渇——「隠し財産」が消えた

1990年初頭、日経平均株価は史上最高値(3万8915円、1989年末)から転落を始めた。その後、株価は長期低落トレンドに入り、企業や銀行が頼みにしていた持ち合い株の「含み益」は、みるみる枯渇していった。

ここで効いてきたのが、第6章で述べた「第一の爆弾」である。バブル期、企業は持ち合い株の巨額の含み益を「いざというときの備え」と考えていた。ところが株価が下がると、含み益は減り、やがて簿価を割り込んで「含み損」に転じる銘柄も出てきた。「隠し財産」だと思っていたものが、「隠れた爆弾」だったことが、誰の目にも明らかになっていく。

7-2 銀行の苦境——不良債権とBIS規制の二重苦

とりわけ深刻な打撃を受けたのが、銀行だった。銀行は二つの問題に同時に直面した。

一つは、不良債権問題である。 バブル期に不動産関連などに大量の融資をしていた銀行は、バブル崩壊で巨額の不良債権を抱え込んだ。貸したお金が返ってこない。銀行の経営体力は、急速に削られていった。

もう一つは、BIS規制(自己資本比率規制)である。 国際的に活動する銀行は、「総資産に対して自己資本を一定比率(8%)以上持たなければならない」という国際ルール(BIS規制)に縛られている。ここで問題になるのが、銀行が大量に保有していた持ち合い株だ。株価が下がると、保有株式の評価額が下がり、それが自己資本に響く。つまり、銀行は、株価が下がるたびに自己資本比率が悪化し、BIS規制をクリアできなくなるリスクにさらされた

不良債権で体力を削られ、株価下落で自己資本を削られる——この二重苦のなかで、銀行はついに「持ち合い株を売る」という、それまでタブーに近かった決断に踏み切る。記録的には、銀行による保有株式の本格的な売却は1997年ごろから始まったとされる。長く「売らない株主」の代表格だった銀行が、自らの生き残りのために「売る側」に回った。これが、後に「第1期持ち合い解消」と呼ばれる動きの始まりである。

7-3 会計ビッグバン——「時価」という劇薬

第1期解消を決定的に加速させたのが、2000年前後に断行された「会計ビッグバン」、すなわち会計制度の抜本的な見直しだった。なかでも持ち合いに直撃したのが、次の二つである。

第一に、連結決算制度の本格導入(2000年3月期から)。 それまで日本企業の決算は「単体(親会社単独)」が中心だったが、子会社・関連会社を含めた「連結(グループ全体)」が主役になった。グループ全体の実態が見えるようになり、ごまかしが効きにくくなった。

第二に、そして持ち合いにとって決定的だったのが、持ち合い株式の時価評価の導入である。 それまで持ち合い株は「取得時の値段(簿価)」のまま帳簿に載せておけた。株価が下がっても、売らなければ損は表面化しない——いわゆる「含み損の飛ばし」が可能だった。ところが、「その他有価証券」に区分される持ち合い株について時価評価が導入されると(2001年4月1日以後開始事業年度から適用、前年度からの先行適用も容認)、株価の変動が、そのまま企業のバランスシートに反映されるようになった。

これは、企業にとって「劇薬」だった。持ち合い株を持っているだけで、株価が下がれば自社の純資産が痛む。持ち合いは「安定の象徴」から「リスクの塊」へと、会計上の意味を一変させた。RIETIの研究も、「00年代初頭の会計制度の大幅見直しにより、連結決算制度や持ち合い株式の時価評価が導入され、事業会社は株式持ち合いのリスクを強く意識するようになった」と指摘している。「売らなければ損は出ない」という持ち合いの安全神話が、会計ルールの変更によって崩された——これが第1期解消の核心である。

7-4 銀行株式保有制限法と「銀行等保有株式取得機構」

2001年、政府は持ち合い解消をさらに後押しする、二つの強力な政策を打ち出した。

一つは、「銀行等の株式等の保有の制限等に関する法律」(銀行株式保有制限法、2001年法律第131号、同年11月成立)である。 この法律の目的は明快で、「銀行が株価変動リスクで経営を揺るがされないよう、銀行による株式保有そのものを制限する」ことだった。具体的には、銀行(信託銀行を含む)、長期信用銀行、農林中央金庫、信金中央金庫などを対象に、保有株式を自己資本の範囲内に収めることを義務づけた(2003年の法改正で、その期限は最終的に2006年9月末に設定された)。法律の効果として政府が期待したのは、銀行経営の健全化だけではなかった。「株式持ち合いの縮小を通じた株式市場の活性化」「株主による経営監視の強化(=コーポレートガバナンスの強化)」も、明確に狙いとして掲げられていた。つまり、この法律は「銀行を守る」と同時に「持ち合いを崩す」ことを意図した、二重の目的を持つ立法だった。

もう一つは、「銀行等保有株式取得機構」の設立である。 銀行が持ち合い株を一斉に市場で売れば、株価がさらに暴落し、それがまた銀行の自己資本を痛める——この悪循環を避けるため、2001年の緊急経済対策に基づいて、銀行が持つ株式を一時的に買い取る受け皿として、銀行等保有株式取得機構が設立された。機構は会員(銀行・農林中央金庫・信金中央金庫)の拠出金で運営され、買い取った株式は信託銀行に管理を委ね、時間をかけて個人投資家や機関投資家に売却していく仕組みだった。いわば「持ち合い解消の、ショックを和らげるクッション」である。

この「銀行株式保有制限法」と「取得機構」のセットは、日本の持ち合い解消史において、画期的な意味を持つ。初めて、政府が法律と公的機関を使って、明示的に「持ち合いを縮小させる」方向に動いたからだ。それまで持ち合いは、良くも悪くも「民間の慣行」だった。それが、政策的に解体を促される対象になった。第3期解消で金融庁や東証が前面に出てくる構図の、いわば「原型」がここにある。

7-5 第1期解消の「副産物」——株式を誰が引き受けたか

銀行が大量に放出した持ち合い株は、どこへ行ったのか。これは、解消の歴史を通して繰り返し問われる重要な問いである。

第1期解消の局面で、放出された株式の「受け皿」になった主な主体は、二つあった。一つは外国法人(海外投資家)。1990年代後半から、海外投資家の日本株保有比率は趨勢的に上昇していく。もう一つは信託銀行名義の保有で、これは2001年度から公的年金の積立金が市場で自主運用されるようになったことなどを背景に増えていった。

ここに、第1期解消の本質的な意味がある。持ち合い解消とは、単に「持ち合い株が消える」ことではない。「ものを言わない安定株主」が持っていた株式が、「ものを言う株主」——海外投資家や機関投資家——の手に移っていくことなのだ。株式の所有構造そのものが、静かに、しかし決定的に組み替えられていく。この所有構造の組み替えこそが、後の「ガバナンス改革」が可能になった土壌である。第10章以降で、この点はさらに重要になる。

7-6 第1期解消の「限界」——事業会社は動かなかった

ただし、第1期解消には大きな限界があった。動いたのは主に銀行であって、事業会社(事業法人)はあまり動かなかったのである。

国立国会図書館の調査資料も、「都銀・地銀等」については時価会計導入や株式保有制限法施行の前後で保有比率が顕著に低下した一方、「事業会社については、銀行の場合ほど顕著な保有比率の低下は見られない」と指摘している。

なぜ事業会社は動かなかったのか。理由は単純だ。事業会社には、銀行を縛ったような「保有制限の法律」がなかった。会計の時価評価という圧力はかかったが、「自己資本の範囲内に収めよ」というような強制力のあるルールは、事業会社には課されなかった。そのため、事業会社同士の持ち合い——取引先との関係維持を名目にした持ち合い——は、銀行ほどには崩れずに残った。

この「銀行は減らした、事業会社は残した」という非対称性は、その後の日本の持ち合いの基本的な姿になる。そして、まさにこの「残った事業会社の持ち合い」こそが、第3期解消(2015年以降)のメインターゲットになっていく。歴史は、宿題を先送りしていたのである。


第8章 揺り戻し——2000年代半ばの持ち合い「復活」(2005-2007)

8-1 解消は一直線ではなかった

ここで、持ち合い解消の歴史を語るうえで、しばしば見落とされる重要な事実を強調しておきたい。持ち合い解消は、決して一直線に進んだわけではない。 むしろ、2000年代半ばには、はっきりと「揺り戻し」——持ち合いの再強化、復活——が起きている。

三菱UFJモルガン・スタンレー証券の用語解説も、「2000年代後半に一時的に持ち合いが盛り返した」と明記している。野村證券の解説も、「2005年頃から外資による買収防衛策の導入や事業提携などを目的として、一時、持ち合いが強化された」としている。RIETIの研究によれば、この時期、ある区分の持ち合い保有分は2001年度末の1.2%から2008年度末には8.4%へと上昇している。

なぜ、解消が進んでいたはずの持ち合いが、この時期に「逆流」したのか。

8-2 敵対的買収の時代の到来

理由は、「敵対的買収の脅威が、突然、現実のものになったから」である。

2000年代半ばの日本では、それまでほとんど見られなかった「敵対的買収」「アクティビストによる株主提案」が、相次いで表面化した。村上世彰氏が率いるいわゆる「村上ファンド」、米国のスティール・パートナーズ、そしてライブドアによるニッポン放送株の大量取得とフジテレビをめぐる攻防——これらの出来事は、日本の経営者に強烈な衝撃を与えた。

「持ち合いを解消して浮動株を増やした結果、自社が買収の標的になるのではないか」。第1期解消で安定株主を減らした企業ほど、この恐怖はリアルだった。経営者たちは、再び「防衛」へと動く。

8-3 ブルドックソース事件と買収防衛策

この時期を象徴するのが、2007年の「ブルドックソース事件」である。スティール・パートナーズがブルドックソースに買収を仕掛けたのに対し、ブルドックソース側は買収防衛策を発動。最終的に最高裁まで争われ、防衛策の発動が認められた。この事件は、「日本でも買収防衛策は法的に有効でありうる」という先例として、多くの企業の関心を集めた。

買収防衛策(事前警告型のいわゆる「ポイズンピル」など)の導入が、この時期ブームになった。そして、買収防衛策と並んで——あるいはそれと一体のものとして——「安定株主の再構築」、すなわち持ち合いの再強化が進んだ。RIETIの研究は、日立金属と大同特殊鋼が2006年に資本・業務提携の一環として相互に株式を買い増した例や、アクティビスト・ファンドに直面した東映などの中規模成熟企業で持ち合いが強化された例を挙げている。買収という「外圧」に対して、企業はまたしても「持ち合い」という古い武器を手に取った。

8-4 なぜ「揺り戻し」は一時的に終わったのか

しかし、この揺り戻しは長続きしなかった。2008年のリーマン・ショックで世界の株価が暴落すると、持ち合いは再び「解消」へと向かう(次章で詳述)。

ここで、独自の視点を述べたい。2000年代半ばの「揺り戻し」が一時的に終わった理由は、二つあると考えられる。

一つは、株価暴落という単純な事情である。 リーマン・ショックで株価が暴落すれば、持ち合い株は再びリスクの塊になる。「防衛のために持ち合いを増やしたい」という気持ちより、「これ以上、株価リスクを抱えたくない」という事情が勝った。

もう一つは、より構造的な理由である。 2000年代半ばの揺り戻しは、あくまで「個別企業の防衛本能」に基づくものだった。それに対して、その後に来る第3期解消は、「制度」と「投資家」という、はるかに強力で持続的な圧力に支えられている。個別企業の本能 vs 制度的・構造的な圧力——この対決では、後者が勝つ。 2000年代半ばの揺り戻しは、いわば「最後の抵抗」だった。持ち合いという仕組みが、構造的な逆風のなかで、それでも一度だけ見せた「巻き返し」。それが2005〜2007年だったのだ。

この「揺り戻し」の存在は、私たちに一つの教訓を与えてくれる。買収の脅威が高まれば、企業はいつでも持ち合いに回帰しうる。 だとすれば、今まさに進行している第3期解消も、もし将来「敵対的買収の波」が本格的に来れば、再び揺り戻す可能性がゼロではない——この点は、第15章・第16章の展望で改めて考えることにしたい。


第9章 リーマン・ショックと「第2期持ち合い解消」(2008-2014)

9-1 再びの株価暴落、再びの解消

2008年9月、米国の投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、世界金融危機(リーマン・ショック)が発生した。世界中の株価が暴落し、日本株も例外ではなかった。

この株価暴落を背景に、いったん揺り戻していた持ち合いは、再び解消へと向かう。野村證券の解説は、「2008年のリーマン・ショックによる株価下落を背景に再び株式持ち合いの解消が進んだ」と端的に述べている。これが「第2期持ち合い解消」と呼ばれる局面である。

第2期解消のメカニズムは、基本的には第1期と同じだ。株価が下がる→持ち合い株が含み損を抱える→自己資本が痛む→リスクを減らすために持ち合い株を売る。とりわけ海外投資家は、サブプライム問題を背景に2007年から日本株を売り越しに転じており、市場全体が「リスク資産を減らす」方向に大きく傾いていた。

9-2 第2期解消の「地味さ」——なぜ印象が薄いのか

ただし、第2期解消は、第1期や第3期に比べると、歴史のなかで「印象の薄い」局面である。これにはいくつか理由がある。

第一に、第2期解消には「大きな制度的後押し」がなかった。 第1期解消には、銀行株式保有制限法という強力な立法と、銀行等保有株式取得機構という公的な受け皿があった。第3期解消には、後述するコーポレートガバナンス・コードという制度的な枠組みがある。ところが第2期解消には、そうした「時代を画する制度」が伴っていなかった。あくまで「株価暴落への、市場の自然な反応」という色彩が強かった。

第二に、第2期解消は「危機対応」であって「ガバナンス改革」ではなかった。 企業が持ち合いを売ったのは、「ガバナンスを良くしよう」と考えたからではなく、「これ以上、株価リスクを抱えたくない」という防衛的な動機からだった。だから、株価が落ち着けば、解消の勢いも止まった。実際、リーマン・ショックの直接の影響が薄れた2010年代前半、持ち合い解消のペースは緩やかなものにとどまった。

9-3 「危機ドリブン」の限界——三度目の宿題

ここまで、第1期(1990年代後半〜)と第2期(リーマン・ショック後)の二つの解消の波を見てきた。両者に共通するのは、どちらも「危機」によって引き起こされた解消だった、という点である。

バブル崩壊という危機が第1期を、リーマン・ショックという危機が第2期を駆動した。危機が来れば持ち合いは解消に向かい、危機が去れば解消は止まる——あるいは2000年代半ばのように、むしろ揺り戻す。「危機ドリブン(危機が原動力)」の解消には、構造的な限界がある。 危機は一時的なものだから、危機が引き起こす解消も一時的なものにとどまってしまうのだ。

しかも、第1期・第2期の解消で主に動いたのは、やはり銀行や金融機関だった。事業会社同士の持ち合いという「本丸」は、依然として相当部分が残されたままだった。

つまり、2010年代前半の時点で、日本は「持ち合い解消」という宿題を、三度目の先送りをしようとしていた。第1期で先送りし、第2期でも先送りした宿題が、まだ机の上に残っていた。

この「先送りされ続けた宿題」に、これまでとはまったく異なるアプローチで取り組もうとする動きが、2014年ごろから始まる。それは「危機」ではなく「成長戦略」を旗印に掲げ、「企業の自主性に任せる」のではなく「制度で枠をはめる」ことを選び、「銀行」ではなく「事業会社」を本丸として狙い撃ちにした。それが、この記事の本丸である「第3期持ち合い解消」である。

ここから先、記事の重心は一気に「現在」へと近づいていく。次章では、第3期解消の起点となった「ガバナンス改革」の幕開けを描く。


第10章 ガバナンス改革の時代——「第3期持ち合い解消」の幕開け(2014-2021)

10-1 アベノミクスと「日本再興戦略」——成長戦略としてのガバナンス改革

第3期持ち合い解消の起点は、2012年末に発足した第2次安倍政権の経済政策「アベノミクス」にある。

アベノミクスは「三本の矢」——大胆な金融政策、機動的な財政政策、そして民間投資を喚起する成長戦略——を掲げた。このうち三本目の「成長戦略」の中核に据えられたのが、コーポレートガバナンス改革だった。

ここに、第3期解消が第1期・第2期と決定的に異なる第一のポイントがある。第1期・第2期は「危機対応」だったが、第3期は「成長戦略」として始まった。 政府の問題意識はこうだった。「日本企業は、欧米企業に比べてROE(資本効率)が低い。利益を上げても、それを成長投資にも株主還元にも回さず、現預金や有価証券として企業内に貯め込んでいる。この『稼ぐ力』の弱さを克服しなければ、日本経済は再生しない」。

2014年6月に閣議決定された「『日本再興戦略』改訂2014」には、「持続的成長に向けた企業の自律的な取組を促すため、東京証券取引所が、新たにコーポレートガバナンス・コードを策定する」と明記された。「稼ぐ力」を取り戻すための成長戦略——その文脈のなかに、政策保有株式の問題は位置づけられたのである。政策保有株は、まさに「成長のための投資ではなく、取引関係維持や買収防衛のために貯め込まれた、収益を生まない有価証券」の典型例として、改革のターゲットになった。

10-2 伊藤レポートと「ROE 8%」

2014年、もう一つ重要な文書が公表された。経済産業省のプロジェクトがまとめた、通称「伊藤レポート」(一橋大学の伊藤邦雄教授が座長を務めたことから、こう呼ばれる)である。

伊藤レポートは、日本企業に対して「最低限8%を上回るROEを達成することにコミットすべきだ」という、具体的な数値目標を投げかけた。「ROE 8%」という分かりやすい旗印は、その後の日本の資本市場の「合言葉」になっていく。

そして、ROEを引き上げるうえで、政策保有株は明白な「足かせ」だった。分母(自己資本)に対して、収益を生まない政策保有株という資産がぶら下がっていれば、ROEは構造的に低くなる。実際、純資産に占める政策保有株の割合が高い企業ほどROEが低くなる傾向は、データでも確認されている。「ROEを上げよ」という圧力は、そのまま「政策保有株を減らせ」という圧力に直結した。

10-3 スチュワードシップ・コード(2014)——「ものを言う投資家」を制度化する

制度面での最初の一手は、2014年に策定された「『責任ある機関投資家』の諸原則」、通称「スチュワードシップ・コード」だった。

これは、企業ではなく「機関投資家」の側に行動原則を求めるものだ。年金基金や運用会社といった機関投資家に対して、「投資先企業の経営をしっかり監視し、必要なら対話を通じて経営改善を促し、議決権を適切に行使せよ」と求めた。

スチュワードシップ・コードの狙いを一言でいえば、「機関投資家を、ものを言う株主に変える」ことである。第7章で見たように、持ち合い解消によって、株式は「ものを言わない安定株主」から「機関投資家」の手に移りつつあった。だが、その機関投資家自身が、株を持っているだけで何も言わなければ、ガバナンスは改善しない。スチュワードシップ・コードは、その「受け皿」である機関投資家に、能動的な役割を求めた。後の章で見る「機関投資家の議決権行使基準の厳格化」は、このスチュワードシップ・コードの延長線上にある。

10-4 コーポレートガバナンス・コード(2015)——「原則1-4」の登場

そして2015年、第3期解消の制度的な背骨となる「コーポレートガバナンス・コード」(CGコード)が、金融庁と東京証券取引所によって策定された。同年3月に原案が公表され、6月から全上場企業に適用が開始された。

CGコードは、企業統治に関する幅広い原則を定めた行動規範である。「株主の権利・平等性の確保」「株主以外のステークホルダーとの協働」「適切な情報開示と透明性」「取締役会の責務」「株主との対話」という5つの基本原則の下に、多数の原則・補充原則がぶら下がる構造になっている。

このなかで、政策保有株式を正面から扱ったのが「原則1-4」である。2015年版の原則1-4は、上場会社に対して、政策保有に関する方針の開示、個別の政策保有株式について保有の狙いや合理性を取締役会で検証すること、政策保有株式に係る議決権行使について適切な基準を持つこと、などを求めた。

ここで、CGコードの「効き方」を理解しておくことが重要だ。CGコードは法律ではない。違反したら罰則がある、というものではない。採用しているのは「コンプライ・オア・エクスプレイン(comply or explain)」という方式である。すなわち、「原則を実施(comply)するか、実施しないなら、その理由を説明(explain)せよ」。強制ではないが、「実施しない理由」を投資家の前で堂々と説明し続けるのは、企業にとって相当な負担になる。法的強制力はないが、市場の目を通じて、じわじわと企業を動かす——これがCGコードの仕組みである。

10-5 2018年改訂——「縮減」へ、そして「妨害の禁止」へ

CGコードは、おおむね3年ごとに改訂されることになっている。最初の改訂は2018年6月だった。

2018年改訂は、政策保有株式について、明確に一歩踏み込んだ。具体的には、原則1-4が「政策保有に関する方針を開示すべき」から、「政策保有株式の縮減に関する方針・考え方など、政策保有に関する方針を開示すべき」へと書き換えられた。「縮減」という言葉が、はっきりと書き込まれたのである。「持つなら理由を説明せよ」から「減らす方針を示せ」へ——要求のレベルが上がった。

さらに2018年改訂には、もう一つ画期的な内容が盛り込まれた。「上場会社は、自社の株式を政策保有株式として保有している会社(政策保有株主)から、その株式の売却等の意向が示された場合には、取引の縮減を示唆することなどにより、売却等を妨げるべきではない」という趣旨の規定である。

これがなぜ画期的か。持ち合いの「鎖」が、なぜ簡単にほどけないかを考えてみてほしい。A社がB社の株を売りたいと思っても、「うちの株を売るなら、おたくとの取引は減らしますよ」とB社に暗にほのめかされたら、A社は売るに売れない。持ち合いは、こうした「無言の圧力」によって維持されてきた面がある。2018年改訂は、その「売らせない圧力」そのものを禁じた。持ち合いを『維持する側』の行動に、初めて規律をかけたのである。自社では持ち合いの意義を感じていないのに、取引先から求められて仕方なく持ち合いに応じている——そういう経営者は実際に多かった。この改訂は、そうした経営者に「断る大義名分」を与えた、という点でも意義が大きかった。

10-6 有価証券報告書の開示厳格化(2019年3月期〜)——「見える化」の威力

CGコードと並行して、もう一つの強力な圧力装置が整備された。有価証券報告書における政策保有株式の開示の厳格化である。

2019年3月期から、有価証券報告書での政策保有株式の個別開示が大幅に厳格化された。それまで個別銘柄の開示は限られた数にとどまっていたが、開示すべき銘柄数が大幅に増やされ、さらに「保有目的」「保有の合理性」「相手企業との取引関係」「議決権行使の基準」などを、具体的に書かせるようになった。

この「見える化」の威力は、想像以上に大きかった。それまで政策保有株は、いわば「決算書の片隅の、よく分からない数字」だった。それが、「どの会社の株を、いくら分、なぜ持っているのか」を、一銘柄ずつ、世間の目にさらさなければならなくなった。

投資家は、この開示情報を使って企業を厳しく問い詰めることができるようになった。「御社はこの取引先の株を○億円分持っているが、その経済合理性は本当にあるのか」「保有額が自己資本の○%を占めているが、これは過大ではないか」。開示の厳格化は、投資家に『攻撃の弾薬』を与えたのである。CGコード(コンプライ・オア・エクスプレインのソフトな圧力)と、有価証券報告書の開示厳格化(具体的な事実の強制開示)。この二つが噛み合うことで、第3期解消は、第1期・第2期にはなかった「持続的な圧力」を手に入れた。

10-7 2021年改訂——市場再編とサステナビリティ

CGコードの二度目の改訂は、2021年6月だった。この改訂は、政策保有株式そのものよりも、取締役会の機能発揮、中核人材の多様性、サステナビリティ(ESG)、人的資本の開示などに重点が置かれた。

ただし、2021年改訂は、次章で述べる「東証の市場区分再編」と深く連動していた。プライム市場の上場企業には、より高い水準のガバナンスが求められることになり、独立社外取締役を3分の1以上選任することなどが求められた。「プライム市場にふさわしい企業であろうとするなら、政策保有株のような『古い慣行』も見直さざるをえない」——市場再編は、間接的に、しかし強力に、持ち合い解消を後押しすることになる。

ここまでが、第3期解消の「制度的な土台」である。スチュワードシップ・コード、CGコード(2015/2018/2021)、有価証券報告書の開示厳格化——これらが2014年から2021年にかけて、層を成すように積み上げられた。だが、第3期解消が本当に「加速」するのは、ここから先だ。市場の構造そのものを変える「東証改革」、そして業界を揺るがす「損保不祥事」。次の二つの章で、その「加速の物語」を描く。


第11章 東証の市場再編と「資本コスト経営」——構造を変える圧力(2022-2023)

11-1 市場区分の再編——プライム・スタンダード・グロース

2022年4月、東京証券取引所は、それまでの市場区分(東証一部、二部、マザーズ、JASDAQ)を、「プライム市場・スタンダード市場・グロース市場」の三つに再編した。

この再編は、単なる「名前の付け替え」ではなかった。それぞれの市場に、明確なコンセプトと、具体的な「上場維持基準」が設定された。とりわけ最上位のプライム市場には、「グローバルな投資家との建設的な対話を中心に据えた企業向けの市場」という位置づけが与えられ、厳しい数値基準が課された。

11-2 流通株式比率——持ち合いを「狙い撃ち」にした基準

市場再編が持ち合い解消に直結した最大の理由が、上場維持基準のなかの「流通株式比率」と「流通株式時価総額」である。

「流通株式」とは、ざっくり言えば「市場で実際に流通しうる株式」のことだ。ここで決定的に重要なのは、政策保有株式は「流通株式」に含まれない、という点である。持ち合い株は「固定株(動かない株)」と見なされ、流通株式から除外される。

プライム市場の上場維持基準は、流通株式比率35%以上、流通株式時価総額100億円以上などと定められた。つまり、こういうことだ。政策保有株式の比率が高い企業は、その分だけ流通株式比率が低くなり、上場維持基準を満たせなくなる恐れがある。 プライム市場に残りたければ——あるいはプライム市場に上場したければ——政策保有株を減らして、流通株式比率を引き上げるしかない。

これは、持ち合い企業にとって、これまでにない種類の圧力だった。CGコードは「コンプライ・オア・エクスプレイン」のソフトな圧力だったが、上場維持基準は違う。基準を満たせなければ、最終的には上場廃止という「実害」が待っている。 「説明すれば済む」話ではなくなったのである。

11-3 浮動株の定義変更——インデックスからの「圧力」

同じタイミングで、もう一つ地味だが効く変更があった。TOPIXをはじめとする多くの株価指数が採用する「浮動株時価総額加重方式」における、浮動株の算定方法の変更である。

株価指数は、各企業の「浮動株(自由に流通する株)」の時価総額に応じて構成される。ここでも、政策保有株式は「固定株」と見なされ、浮動株から除外される方向で算定方法が見直された。

これが何を意味するか。政策保有株式の比率が高い企業は、指数のなかでの「ウエイト」が下がる。指数に連動して運用するパッシブファンド(インデックスファンド)は、ウエイトの下がった銘柄を、その分だけ売ることになる。「持ち合いが多い」というだけで、インデックス経由の資金が流出する——市場再編は、こういう形でも持ち合い企業に「コスト」を課した。

11-4 「PBR1倍割れ」問題——東証からの異例の要請

そして2023年3月31日、東証は、日本の資本市場の歴史に残る「異例の要請」を発した。プライム市場・スタンダード市場の全上場会社を対象とした、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の要請である。

この要請は、メディアでは「PBR1倍割れ問題」として大きく報じられた。PBR(株価純資産倍率)が1倍を割っているということは、「その企業の株式市場での評価額が、会社が持っている純資産の額よりも低い」ことを意味する。極端に言えば、「会社を解散して資産を分配したほうが、株を持ち続けるより価値がある」と市場に判断されている、ということだ。これは上場企業として、本来あってはならない状態である。

ところが当時、東証の指摘によれば、プライム市場の約半数、スタンダード市場の約6割の上場会社が、ROE8%未満かつPBR1倍割れという状況にあった。日本の上場企業の「資本効率の低さ」が、改めて白日の下にさらされた。

東証は、全上場企業に対して、(1)自社の資本コストと資本収益性を正確に把握し、取締役会で現状を分析・評価すること、(2)改善に向けた計画を策定・開示すること、(3)その取り組みを投資家との対話を通じて継続的に進めること、を求めた。さらに東証は、2024年1月からは「要請に基づいて開示している企業の一覧表」を毎月公表し始めた。「やっている企業」と「やっていない企業」を、名指しで可視化する——これは企業にとって、強烈なプレッシャーだった。開示状況は着実に進み、2024年12月末時点では、検討中も含めてプライム企業の約9割、スタンダード企業の約半数が開示を行うに至った。

11-5 なぜ「資本コスト経営」が持ち合い解消を加速したのか

「PBR1倍割れ問題」「資本コスト経営」は、一見すると政策保有株式と直接の関係がないように見えるかもしれない。だが、実際には、この要請こそが持ち合い解消を一段と加速させた。論理はこうだ。

PBRやROEを改善するには、大きく二つの道がある。一つは「分子(利益)を増やす」、つまり成長すること。もう一つは「資本効率を高める」こと。後者の最も手っ取り早い方法の一つが、**「収益を生まない政策保有株式を売却し、その資金を、自社株買いや増配などの株主還元、あるいは成長投資に振り向けること」**である。

政策保有株を売れば、(1)バランスシートから「収益を生まない資産」が消え、(2)売却資金で自社株買いをすれば発行済株式数が減ってROE・PBRが改善し、(3)売却資金を成長投資に回せば将来の利益が増える。「PBRを上げよ」という東証の要請は、企業にとって「政策保有株を売れ」という要請とほぼ同義だったのである。

実際、大和総研の分析によれば、政策保有株式の縮減の加速は、「株式の売出し」や「自己株式の公開買付け」の件数の増加にはっきり表れている。2019〜2023年の5年間では、株式売出しは年平均46件、自己株式の公開買付け(自己株TOB)は年平均18件だった。それが2024年には、それぞれ80件、29件へと急増した。そして、株式売出しの「売り手」が、創業家などの個人ではなく「上場企業」であるケースが目立つようになった。これはまさに、企業同士が持ち合い株を放出し合っている、第3期解消の加速を示す動かぬ証拠である。

ここまでで、第3期解消を支える「制度的圧力」(第10章)と「市場構造的圧力”(第11章)が出そろった。だが、第3期解消が「教科書的な改革」から「業界を巻き込む地殻変動」へと質的に変化する、決定的な事件があった。それが、損害保険業界の不祥事である。


第12章 損保不祥事という分水嶺——「もたれ合い」が断罪された日(2023-2024)

12-1 二つの不祥事——ビッグモーターと保険料カルテル

2023年、損害保険業界を、二つの大きな不祥事が相次いで襲った。

一つは、中古車販売大手ビッグモーターによる保険金不正請求問題である。 ビッグモーターが、自動車の修理にあたって故意に車両を傷つけるなどして保険金を水増し請求していた問題で、これを代理店としていた損害保険ジャパンの対応が厳しく問われた。2024年1月25日、金融庁は、損害保険ジャパンと親会社のSOMPOホールディングスに対し、保険業法に基づく業務改善命令を出した。

もう一つは、企業向け保険の「保険料カルテル」問題である。 東京海上日動火災保険、損害保険ジャパン、三井住友海上火災保険、あいおいニッセイ同和損害保険の損保大手4社などが、企業向け保険の見積もりにあたって、事前に保険料を調整(カルテル)していた疑いが浮上した。2023年12月19日、公正取引委員会が独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで立ち入り検査に入り、同年12月26日には金融庁が4社に業務改善命令を発出した。

12-2 金融庁の「異例の指摘」——政策保有株が競争を歪めた

ここで、損保不祥事が「持ち合い解消の歴史」において決定的な意味を持つ理由を説明したい。

金融庁が2023年12月に大手損害保険会社に対する行政処分を公表した際、その文書のなかで、保険料調整(カルテル)が起きた背景要因の一つとして、**「政策株式保有割合」**を明確に名指ししたのである。

金融庁の指摘の趣旨は、こうだ。企業向け保険契約の入札などにおいて、「政策株式の保有割合」や「本業への支援」といった、保険契約の条件そのものとは関係ない要素が、契約のシェアに少なからず影響を及ぼしていた。つまり、「お宅の株をこれだけ持っていますよ」「お宅の本業に協力していますよ」という関係性が、「どの損保がその企業の保険を引き受けるか」を左右していた。その結果、損保の営業担当者にとって、「保険料の安さ・商品の良さで勝負する」という、本来あるべき適正な競争への意欲が損なわれた——金融庁は、そう認定した。

これは、第1章で述べた「持ち合いが取引を歪める」という弊害の、これ以上ないほど明快な「実例」だった。自動車メーカーが部品メーカーを切れない、という第1章の架空の例が、損保業界では現実に起きていた。 保険を売る側(損保)と買う側(企業)が株を持ち合っているために、保険料や補償内容という「本来競争すべき土俵」での競争が機能していなかった。金融庁は、構造的な問題として、政策保有株の売却促進を強く求めた。

12-3 損保4社の「ゼロ」宣言——6.5兆円の決断

金融庁からの圧力を受け、損害保険大手4社は、歴史的な決断を下す。

2024年2月、損保大手4社が金融庁に提出した業務改善計画のなかで、保有するすべての政策保有株式を売却し、中長期的にゼロにする方針を打ち出したことが明らかになった。

その規模は、桁外れだった。報道によれば、4社が保有する政策保有株は合計でおよそ6兆5000億円。保有先は、トヨタ自動車、ホンダ、スズキといった自動車大手をはじめ、三菱商事、伊藤忠商事、信越化学工業など、のべ5900社に及ぶとされた。2023年3月時点で、4社合計の含み益は約4兆6000億円に達していたという。MS&ADは2030年3月末、SOMPOは2031年3月末などと、それぞれ「ゼロ」達成の期限まで示した。

長らく「顧客企業とのもたれ合いの象徴」とされてきた政策保有株を、業界最大手4社がそろって「全廃する」と宣言した——これは、日本の持ち合い解消史において、紛れもない「分水嶺」だった。

12-4 なぜ損保不祥事が「分水嶺」なのか——三つの意味

損保4社の「ゼロ」宣言が持つ意味を、独自の視点で三つに整理したい。

第一に、「縮減」から「ゼロ」へと、目標水準が一気に引き上げられた。 それまでのCGコードが求めていたのは、あくまで「縮減」だった。「減らす方針を示せ」であって、「ゼロにせよ」ではなかった。ところが損保4社は、自ら「ゼロ」という到達点を掲げた。一業界の最大手が「ゼロ」を宣言したことで、「政策保有株は、減らすものではなく、本来ゼロであるべきもの」という新しい規範意識が、市場全体に広がるきっかけになった。実際、後述するように、2025年のCGコード改訂をめぐる議論では「政策保有株式はゼロにすべき」という意見が、有識者会議の場で公然と語られるようになる。

第二に、「自発的縮減」から「他律的全廃」へと、解消の性格が変わった。 損保4社の決断は、「自分たちで考えて減らす」のではなく、「不祥事を起こし、行政処分を受け、その業務改善計画のなかで全廃を約束させられる」という形で行われた。これは、第3期解消が「企業の自主性に委ねるソフトな改革」から、「不祥事を契機に行政が踏み込む、より強制力のある改革」へと、性格を変えつつあることを示していた。

第三に、そして最も重要なのが、「他業界への波及」である。 大和総研の分析は、「2023年12月に大手損害保険グループ傘下の保険会社が金融庁から業務改善命令を受けたこと」を、政策保有株式の縮減が「加速するきっかけ」として明確に位置づけている。損保4社の「ゼロ」宣言は、損保業界だけの話では終わらなかった。それは、他のすべての上場企業に対する「問いかけ」になった——「損保が顧客企業の株を全部手放すというのに、御社はなぜ、まだ取引先の株を持ち続けているのですか?」。

さらに興味深い現象も起きた。株を「持っている側」だけでなく、株を「持たれている側」が、自ら動き出したのである。大和総研は、「株式を売られる側の上場会社が、自ら株主に政策保有株式の売却を相談する動きも見られる」と報告している。「うちの株を持ち合いで持ってもらっているが、もう解消しましょう」と、持たれる側から声をかける。持ち合いの鎖は、両端から同時にほどかれ始めた。

損保不祥事という「分水嶺」を越えて、第3期解消は、もはや一部の先進企業の取り組みではなく、市場全体の「不可逆な潮流」になった。次章では、この潮流を「下から」支えるもう一つの力——機関投資家とアクティビストの圧力——を見ていく。


第13章 機関投資家とアクティビスト——「下から」突き上げる圧力

13-1 議決権行使基準への「数値基準」の導入

第10章〜第12章で見たのは、いわば「上から」の圧力——政府・金融庁・東証という制度の側からの圧力だった。だが、第3期解消には、それと並行して「下から」、つまり株主・投資家の側から突き上げる、もう一つの強力な圧力があった。

その代表が、**機関投資家による「議決権行使基準の厳格化」**である。

野村資本市場研究所の分析によれば、2021年度ごろから、国内の機関投資家のあいだで、ある新しい動きが広がり始めた。それは、「政策保有株式を過大に保有している企業に対しては、株主総会で経営トップ(会長や社長)の取締役選任議案に反対する」という、数値基準を伴った議決権行使基準を導入することだった。

たとえば、「政策保有株式が純資産(自己資本)の20%を超える企業については、経営トップの再任に反対する」といった具体的な基準だ。基準の数値は運用機関によって異なるが、共通しているのは、「政策保有株を減らさない経営者は、信任しない」という明確なメッセージである。

13-2 「経営トップが落ちかける」という現実

この議決権行使基準の威力は、すぐに「数字」となって表れた。

野村資本市場研究所の分析によれば、2023年6月開催の株主総会において、政策保有株式を過大に保有していることを理由に、経営トップの取締役選任議案の賛成率が80%以下に低下したと見られる事例が複数観測された。なかには、賛成率が60%台にとどまった事例まであった。

経営トップの選任議案というのは、本来「99%賛成」が当たり前の、いわば「通って当然」の議案である。その賛成率が60〜80%台まで落ちるというのは、経営者にとって「死刑宣告に近い屈辱」だ。賛成率が著しく低ければ、再任されたとしても「株主からの信任が薄い経営者」という烙印を押される。場合によっては、次の総会での再任が危うくなる。

「政策保有株を減らさないと、自分の地位そのものが危うくなる」——機関投資家の議決権行使基準は、経営者にとって、これ以上ないほど切実な「個人的インセンティブ」を作り出した。CGコードが「会社」に課す圧力だとすれば、議決権行使基準は「経営者個人」に課す圧力である。後者のほうが、ときに効き目が鋭い。

13-3 アクティビストの台頭

「下から」の圧力の、もう一つの担い手が、いわゆる「アクティビスト(物言う株主)」である。

アクティビストとは、投資先企業の株式を取得したうえで、経営陣に積極的に提言を行い、企業価値の向上(と自らの投資リターン)を求める投資家のことだ。彼らがしばしば標的にするのが、まさに政策保有株である。「御社は収益を生まない政策保有株を○○億円も抱えている。これを売却して、自社株買いや増配に回すべきだ」——これは、アクティビストの「定番の要求」になっている。

第8章で見た2000年代半ばのアクティビストは、まだ「異物」「黒船」として警戒される存在だった。だが第3期解消の局面では、状況が変わっている。アクティビストの要求は、CGコードや東証の要請、機関投資家の議決権行使基準と、方向性が「一致」しているのだ。「政策保有株を減らせ」という点で、アクティビストと、ごく普通の機関投資家と、東証と、金融庁が、同じことを言っている。アクティビストは、もはや孤立した攻撃者ではなく、「市場全体の声の、最も先鋭的な表現者」になった。これが、アクティビストの圧力が第3期解消において格段に効くようになった理由である。

13-4 「持ち合い解消」がテーマの投資商品まで登場

第3期解消の「市場テーマ」としての存在感を象徴する出来事として、「持ち合い解消そのものをテーマにした投資商品」の登場がある。

2023年9月には、シンプレックス・アセット・マネジメントが、「政策保有解消推進ETF」というアクティブ型の上場投資信託(ETF)を新規上場させた。このETFは、銀行やトヨタ系企業、ゼネコンなど、「政策保有株の解消が見込める企業」を投資対象とするものだ。報道によれば、このETFはTOPIX(東証株価指数)をアウトパフォームする成績を見せた。

「持ち合いを解消しそうな企業の株を買えば儲かる」という発想が、一つの投資戦略として成立し、商品化される——これは、持ち合い解消が、市場にとって「儲けのタネ」になるほど確実なメガトレンドだと、多くの市場参加者に認識されていることの証左である。

13-5 「上から」と「下から」の合流

ここで、第3期解消の構造を整理しておきたい。

第3期解消が、第1期・第2期と決定的に違うのは、「上から」の圧力と「下から」の圧力が、同じ方向に合流している点である。

  • 「上から」: 政府の成長戦略、金融庁、東証、CGコード、有価証券報告書の開示制度、市場再編、資本コスト要請、損保への行政処分。
  • 「下から」: 機関投資家の議決権行使基準、アクティビストの株主提案、投資家との対話、海外投資家の選別。

第1期・第2期は、基本的に「危機」という一過性の出来事が引き金だった。だから危機が去れば勢いも止まった。だが第3期は、「制度」と「投資家の行動様式」という、構造的で持続的な二つの力に、上下から挟み撃ちにされている。この挟み撃ちの構造こそが、第3期解消を『止まらない潮流』にしているのである。野村資本市場研究所が、現在進行中の解消を「今後も継続すると見込まれる」と評価するのは、この構造的な理由による。

それでは、その「止まらない潮流」は、今、どこまで来ているのか。次章では、最新のデータで「現在地」を確認する。


第14章 いま、何が起きているか——最新データで見る「現在地」(2024-2026)

14-1 野村資本市場研究所——「5年連続で過去最低を更新」

第3期解消の「現在地」を、まず野村資本市場研究所のデータで確認しよう。同研究所は、上場銀行と事業法人の株式保有比率を示す「株式持ち合い比率」(これに生保・損保を加えたものが「広義持ち合い比率」)を、毎年算出している。

そのトレンドは明快だ。2021年度の狭義の持ち合い比率は8.4%、2022年度は7.7%。そして同研究所の発表によれば、2023年度の株式持ち合い比率は前年度比でさらに低下し、5年連続で過去最低水準を更新した。保有主体別に見ると、損害保険会社は前年度横ばいだったが、上場事業法人、上場銀行、生命保険会社はいずれも低下した。

長期で見れば、その変化の大きさは歴然としている。政策保有株が時価総額に占める比率は、1990年前後のピーク時にはおよそ70%程度。それが2022年度には31%程度。ピークから半分以下になった。そして野村資本市場研究所は、現在進行中のこの動きを、第1期・第2期に続く「第3期持ち合い解消」と位置づけ、「今後も継続すると見込まれる」と評価している。

14-2 大和総研——銘柄数も金額も、二ケタの縮減

より直近の動きは、大和総研の分析(2024年版)が捉えている。同研究所がTOPIX500構成企業を金融機関と事業会社に分けて検証した結果、2023年から2024年にかけて、政策保有株式は銘柄数・保有額の両方で、はっきりとした縮減を見せた。

  • 事業会社が保有する政策保有株式の銘柄数(延べ数): 約10,500銘柄(2023年)→約9,400銘柄(2024年)。約11%の縮減
  • 金融機関が保有する政策保有株式の銘柄数(延べ数): 約8,200銘柄(2023年)→約7,000銘柄(2024年)。約15%の縮減
  • 事業会社が保有する政策保有株式の合計額: 約29兆円(2023年)→約24兆円(2024年)。約18%の縮減
  • 金融機関が保有する政策保有株式の合計額: 約28兆円(2023年)→約21兆円(2024年)。約26%の縮減

注目すべきは、この期間、株価そのものはむしろ上昇していたことだ。株価が上がれば、保有株の評価額は黙っていても増える。それにもかかわらず保有額が二ケタ%減ったということは、企業が「株価上昇による評価増を打ち消すほどの勢いで、実際に売却を進めた」ことを意味する。見かけの数字以上に、実態としての解消は激しく進んでいる。

14-3 売却額9.7兆円——2年連続で過去最高

「実際にどれだけ売られたか」を示す、最も生々しい数字が、政策保有株の売却額である。

日本経済新聞の集計によれば、2025年3月期の政策保有株の売却額は、前の期比でおよそ5割増の9.2兆円となり、過去最高を記録した。さらに、各社が2025年に提出した有価証券報告書ベースで見ると、政策保有株の売却額は前年比でおよそ5割増の9兆7655億円に達し、2年連続で過去最高を更新した。

年間10兆円に迫る規模で、政策保有株が市場に放出されている。これは、第1期・第2期の解消局面と比べても、突出した規模である。

14-4 個別企業の動き——メガバンクと損保

マクロのデータだけでなく、個別企業の動きも見ておこう。

**三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)**は、政策保有株の削減について、2023年3月からの3カ年で2000億円を削減する計画を1.5年前倒しで達成。これを受けて2024年11月には、2024年3月末からの5カ年で6000億円(簿価)を削減する新計画を公表した。同社の見通しによれば、この計画により「SMBC設立時以降の累計で9割超の削減」となる。三井住友銀行単体で見ても、国内上場会社の政策保有株式は2024年3月末の858銘柄から、2024年度に250銘柄を売却し、2025年3月末には777銘柄まで減っている。同社は、保有の合理性を「RARORA」という独自指標(資本コストを上回るかどうか)で検証し、採算基準を満たさない銘柄を売却するという、厳格なプロセスを開示している。

損保大手は、第12章で見たとおり「ゼロ」に向けた段階的売却の途上にある。MS&ADの社長は「(政策株の売却で得た資金を)運用にシフトし、政策株の配当以上(のリターン)を目指す」と述べるなど、「政策保有から純投資・本来の運用へ」という発想の転換を明言している。

事業会社でも、トヨタ自動車やANAホールディングスといった大企業が、政策保有株の売却を進めている。野村資本市場研究所の西山賢吾氏は、トヨタ自動車グループ全体での持ち合い解消への期待に加え、「裾野が広く、政策保有が多い『建設業』など、これまであまり持ち合い株解消に積極的でなかった業態でも動きが出始めている」と指摘している。解消の波は、金融機関から事業会社へ、そして「これまで動かなかった業種」へと、着実に広がっている。

14-5 株式は「どこへ」行ったか——外国人保有比率、過去最高

第7章で「持ち合い解消とは、株式の所有構造の組み替えである」と述べた。第3期解消でも、それは続いている。

東京証券取引所などが公表する「株式分布状況調査」によれば、外国法人等(海外投資家)の株式保有比率は、2023年度に31.8%となり、それまで最高だった2014年度の31.7%を上回って過去最高を更新した。そして2024年度には、さらに32.4%へと上昇し、過去最高を更新し続けている

一方、政策保有の主たる担い手だった事業法人等の保有比率は、2023年度に19.3%と、こちらは「過去最低」を更新した。

構図は明快である。「ものを言わない安定株主」だった事業法人が持ち分を減らし、その株式を「ものを言う株主」である海外投資家が吸収している。 投資信託の保有比率も、2013年度の4.8%から2023年度には10.4%へと着実に拡大し、いまや銀行や保険といった金融機関を上回る存在感を持つに至った。新NISAの開始もあり、個人投資家の動向にも注目が集まる。日本企業の株主名簿は、第3期解消を通じて、静かに、しかし根本的に書き換えられている。

14-6 さらに続く制度の動き——2025年・2026年

第3期解消を支える制度の側も、止まっていない。

有価証券報告書の開示は、さらに厳格化が続いている。2025年3月31日以後に提出される有価証券報告書では、政策保有株式を「純投資目的」に保有目的を変更した場合、最近5事業年度の保有状況や、保有目的を変更した理由などの開示が求められることになった。これは、「政策保有株を、見かけ上『純投資』に区分し直すことで、規制の網から逃れる」という”抜け道”を塞ぐ趣旨である。「見せかけの解消」を許さないための、開示制度の進化と言える。

コーポレートガバナンス・コードの3度目の改訂も動いている。金融庁は2025年6月30日に「コーポレートガバナンス改革の実質化に向けたアクション・プログラム2025」を公表し、CGコードの見直しを掲げた。2015年の適用開始、2018年・2021年の改訂に続く、4度目の検討である。2025年10月から「コーポレートガバナンス・コードの改訂に関する有識者会議」が議論を重ね、2026年2月26日には改訂案が示された。

注目すべきは、その改訂案の中身だ。報じられているところによれば、政策保有株式について、これまで「補充原則」に置かれていた「政策保有株主からの売却の意向を妨げてはならない」「政策保有株主との間で経済合理性を十分に検証しないまま取引を継続するなど、会社や株主共同の利益を害する取引をすべきではない」といった規定が、より上位の「原則」へと格上げされる方向だという。規定の「格上げ」は、その項目の重要性が増したことを意味する。 さらに、有識者会議の場では、「政策保有株式はゼロにすべき」「政策保有株式を持ち続ける正当性と、解消に向けたタイムラインのより明確な開示が期待される」といった、踏み込んだ意見が公然と語られている。なかには、「一定期間を区切って、その間に売却すれば税制上の優遇措置を設けてはどうか」という、思い切った提案まで出ている。

第3期解消は、2026年の時点でもなお「加速の途上」にある。制度はさらに厳しくなり、目標水準は「縮減」から「ゼロ」へと引き上げられつつある。これが、持ち合い解消の「現在地」である。


第15章 持ち合い解消の「光と影」——論点を、フェアに整理する

ここまで、持ち合い解消を「進むべき方向」として描いてきた面が強い。だが、フェアな議論のためには、「解消には影もある」「解消に慎重な立場にも、相応の論拠がある」ことを、きちんと整理しておかなければならない。この章では、賛否両論を、できるだけ公平に並べる。

15-1 解消推進派の論拠——おさらい

まず、解消を推進すべきだという立場の論拠を、改めて整理しておく。これは第1章で述べた「三つの弊害」の裏返しである。

第一に、資本効率の改善。収益を生まない政策保有株を売却し、成長投資や株主還元に回せば、ROEやPBRが改善し、企業価値が高まる。第二に、ガバナンスの正常化。「ものを言わない安定株主」を減らせば、株主による経営監視が機能し、経営に規律が働く。第三に、取引の適正化。持ち合いという「しがらみ」を断てば、損保カルテルのような「歪んだ取引」がなくなり、企業は本来の競争——品質と価格の競争——に集中できる。第四に、株価形成の適正化。持ち合い株(売られない固定株)が減れば、市場で流通する株式が増え、企業の業績や実態を正しく反映した株価が形成されやすくなる。

15-2 慎重派・擁護論の論拠——「特殊」ではない、という反論

一方で、「持ち合いの全否定」には慎重であるべきだ、という立場も存在する。その論拠を見ていこう。

第一に、「長期的・安定的な取引関係の基盤」という機能である。 持ち合いには、企業同士の長期的な信頼関係を担保し、腰を据えた共同開発や安定的なサプライチェーンを支える、という側面が確かにあった。資本提携を伴う業務提携——たとえば二社が技術や原料を共同開発・共同購入するために、お互いの株を一定比率持ち合う——のようなケースでは、株式の持ち合いに明確な事業上の合理性がある。すべての政策保有株を一律に「悪」と決めつけるのは乱暴だ、という議論である。実際、CGコードも「すべての政策保有株を禁止する」とは言っておらず、「保有の合理性を検証し、合理性のないものを減らせ」と言っているにすぎない。

第二に、「敵対的買収に対する防衛」という機能である。 第5章・第8章で見たように、持ち合いはもともと買収防衛の手段として発達した。持ち合いを解消して浮動株を増やせば、その企業はそれだけ買収されやすくなる。「腰を据えた長期経営」のためには、一定の安定株主が必要だ、という議論には、今なお一定の説得力がある。とりわけ、買収の脅威が現実に高まっている近年の日本では、この論点は重みを増している。

第三に、「国際比較で見れば、日本は『特殊』ではない」という指摘である。 これは野村資本市場研究所が明確に述べている点だ。同研究所は、「国際的に見れば政策保有が一定の存在感を持つ日本の株式保有構造が『特殊』というわけではなく、政策保有をゼロにすることは喫緊の課題とは言えない」との見方を示している。欧州など他の地域にも、企業間の安定的な株式保有は存在する。「日本の持ち合いは異常で、ゼロにすべきだ」という議論は、やや単純化されすぎているのではないか、という冷静な指摘である。

15-3 「解消した株は、どこへ行くのか」という問題

賛否を超えて、解消の「副作用」として真剣に考えるべき論点がある。それは、**「解消された株式は、どこへ行くのか」**という問題だ。

第14章で見たように、放出された政策保有株の主な受け皿は、海外投資家である。これをどう評価するかは、立場によって分かれる。

肯定的に見れば、「ものを言わない安定株主」が「ものを言う規律ある株主」に置き換わったのだから、ガバナンスにとっては前進だ。実際、海外投資家は合理的で、企業に資本効率の向上を求める。

しかし、懸念する立場もある。海外投資家のなかには、長期保有のポートフォリオ投資家もいれば、短期で売買を繰り返すヘッジファンドもいる。「安定株主が減り、短期志向の投資家の比重が高まることで、企業経営がかえって短期主義に振り回されるのではないか」——これは、かつて「日本型経営」が礼賛されたときの論点(第6章)の、現代版の蒸し返しでもある。また、海外投資家の保有比率が高まることは、日本企業の経営に対する「海外からの影響力」が強まることでもあり、これを安全保障や経済主権の観点から懸念する声もある。

15-4 「真の解消」か「見かけの解消」か

もう一つ、専門家のあいだで議論されているのが、「今進んでいる解消は、本物か」という論点である。

懸念されている”抜け道”の一つが、保有目的の「区分変更」だ。政策保有株を売らずに、有価証券報告書上の区分だけを「政策保有目的」から「純投資目的」に変更すれば、政策保有株は数字の上では減る。だが、実態としては同じ株を持ち続けている。これは「解消」ではなく「見かけの解消」にすぎない。第14章で触れたとおり、2025年からの開示制度の厳格化(区分変更時の開示義務)は、まさにこの抜け道を塞ぐためのものだ。逆に言えば、規制当局がわざわざ抜け道を塞ぐということは、「見かけの解消」が実際に行われうる、という認識があるからである。

「銘柄数や金額が減った」という統計の裏側で、どれだけが「本物の売却」で、どれだけが「区分の付け替え」なのか——この見極めは、今後の重要な論点であり続ける。

15-5 売却益の使途——「解消」がゴールではない

最後に、これは東証自身が繰り返し強調している点だが、「政策保有株を売ること自体が目的化してはいけない」という論点がある。

政策保有株を売れば、企業には大きな売却資金が入る。問題は、その資金を「何に使うか」だ。自社株買いや増配といった株主還元に回すのは分かりやすい。だが、東証や一部の専門家は、「株主還元だけにとどまらず、成長投資に振り向けてほしい」と求めている。

なぜなら、企業価値を本当に高めるには、「資本効率の改善」だけでなく「成長」が必要だからだ。政策保有株を売って自社株買いをすればROEは一時的に改善するが、それだけでは「縮小均衡」に陥りかねない。売却で得た資金を、新規事業や研究開発、M&Aといった「未来をつくる投資」に回せるか——そこまで含めて初めて、「持ち合い解消は成功した」と言える。解消はゴールではなく、スタートラインである。 この視点を欠くと、持ち合い解消は「数字合わせ」に堕してしまう。


第16章 これからどうなるのか——七つの論点で展望する

最終章では、これまでの通史を踏まえて、持ち合い解消の「これから」を、七つの論点に分けて展望したい。

16-1 第3期解消は「続く」——ただし「ゼロ」にはならない

まず大きな絵として、第3期解消は今後も続く可能性が高い。第13章で述べたとおり、「上から」(制度)と「下から」(投資家)の挟み撃ち構造は、一過性の危機と違って、簡単には消えない。CGコードの改訂(2026年)はむしろ規制を強める方向であり、機関投資家の議決権行使基準も緩む気配はない。

ただし、「持ち合いがゼロになる」とは考えにくい。資本提携を伴う真の業務提携など、「事業上の合理性がある政策保有」は残る。野村資本市場研究所が「政策保有をゼロにすることは喫緊の課題とは言えない」と述べるように、現実的な着地点は「ゼロ」ではなく、「合理性のないものは消え、合理性のあるものは残る」という”選別後の均衡”だろう。重要なのは、企業が一銘柄ずつ「持つ理由」を説明できる状態になることであって、数をゼロにすることそのものではない。

16-2 残る「岩盤」——事業会社間、特定業種

第7章で述べたとおり、解消の歴史は一貫して「銀行は減らす、事業会社は残す」という非対称性を抱えてきた。第3期解消はこの「事業会社間の持ち合い」という本丸に切り込んでいるが、それでもなお、ここが最後まで残る「岩盤」になる可能性が高い。

特に、裾野が広く取引先が多い業種——建設業(ゼネコン)などはその典型として名指しされている——では、持ち合いのネットワークが複雑に絡み合っており、ほどくのに時間がかかる。「自分が売りたくても、相手が売らない」「業界全体で足並みをそろえないと動きにくい」という、ネットワーク特有の粘着性がある。第3期解消の「最後の局面」は、この岩盤との長い対峙になるだろう。

16-3 「買収の時代」の到来——揺り戻しのリスク

ここで、第8章で見た「2000年代半ばの揺り戻し」を思い出してほしい。買収の脅威が高まると、企業は持ち合いに回帰しうる——これは歴史が示した事実である。

近年の日本では、経済産業省が「企業買収における行動指針」を示すなど、M&A(同意なき買収提案を含む)を一定程度「正常な経済活動」として受け入れる方向に、環境が変わりつつある。買収が活発になること自体は、経営に規律を与えるという意味で、ガバナンス改革と方向性が一致する。だが同時に、「買収されるかもしれない」という現実的な恐怖は、経営者を再び「安定株主が欲しい」という誘惑に向かわせる。

持ち合いが露骨に復活することは、もはや制度的に難しい。だが、「業務提携に伴う資本提携」「政策保有ではなく純投資という建前での相互保有」といった”形を変えた安定株主づくり”が、買収の時代に再び増える可能性は、頭の片隅に置いておくべきだろう。第3期解消が「不可逆」だとしても、それは「持ち合い的なものが二度と現れない」という意味ではない。

16-4 税制という「未解決の論点」

第14章で触れたように、CGコード改訂の有識者会議では、「一定期間内に政策保有株を売却すれば税制上の優遇措置を設けてはどうか」という提案が出ている。

これは、現時点では「思い切った案」「やや現実離れしているかもしれない」案として語られている段階だが、論点としては本質的だ。なぜなら、政策保有株の売却には、しばしば多額の売却益が発生し、それに課税されることが、企業が売却をためらう一因になっているからだ。「売りたいけれど、税負担が重い」という事情を、政策的にどう扱うか。今後、持ち合い解消をさらに加速させようとするなら、税制は避けて通れない論点になる。

16-5 「実質化」——形式から中身へ

金融庁が掲げるキーワードに、「ガバナンス改革の実質化」がある。これは、「形だけ整える(=コードに表面的に対応する)段階は終わった。これからは中身を問う」という宣言である。

政策保有株についていえば、「縮減方針を開示しました」「銘柄数を減らしました」という”形式”だけでは、もはや評価されない。「なぜその銘柄を売り、なぜその銘柄を残したのか」「残した銘柄の合理性を、資本コストに照らしてどう検証したのか」「売却で得た資金を、何に使ったのか」——こうした”中身”を、投資家との対話のなかで説明できるかどうかが問われる。三井住友フィナンシャルグループが「RARORA」という独自指標で一銘柄ずつ検証プロセスを開示しているのは、この「実質化」の先進例と言える。第3期解消の次のステージは、「減らす競争」から「説明する競争」へと移っていく。

16-6 「危機ドリブン」から「構造ドリブン」へ——歴史的な質の変化

通史を振り返って、改めて強調したい独自の視点がある。それは、第3期解消は、日本の持ち合い解消史において「質的な転換点」だった、ということだ。

第1期(バブル崩壊)も第2期(リーマン・ショック)も、「危機」という外的ショックが引き金だった。危機が去れば勢いは止まり、2000年代半ばのように揺り戻すことさえあった。「危機ドリブン」の解消には、構造的な限界があった。

ところが第3期は、「危機」ではなく「制度」と「投資家の行動様式の変化」という、構造的で持続的な力に支えられている。成長戦略としてのガバナンス改革、CGコードの段階的強化、開示制度の進化、市場再編、機関投資家の議決権行使基準、アクティビストの常態化——これらは、株価が上がろうが下がろうが、消えない。第3期解消は、「危機ドリブン」から「構造ドリブン」への転換だった。だからこそ、これだけ長く(2015年から10年以上)続いており、今後も続くと見られている。これは、過去二回の解消とは「種類が違う」のである。

16-7 最大の問い——「安定」を手放した日本企業は、何を得るのか

最後に、最も大きな問いを置いておきたい。

戦後日本企業は、持ち合いによって「安定」を手に入れた。買収されない安定、長期投資ができる安定、腰を据えて経営できる安定。その「安定」には、第5章で見たように、その時代なりの合理性があった。

だが今、日本企業は、その「安定」を手放しつつある。では、安定を手放した代わりに、日本企業は何を得るのか。

答えは、「規律」と「効率」、そして「市場からの信頼」であるはずだ。ものを言う株主に監視され、資本効率を問われ、説明責任を果たす——その緊張関係のなかでこそ、企業は本当に強くなる。それが、第3期解消に込められた「賭け」である。

しかし、それは”賭け”であって、”約束された結果”ではない。安定を手放した日本企業が、規律によって本当に強くなるのか。それとも、短期主義に振り回されて消耗するのか。あるいは、買収の波にさらされて、再び「形を変えた安定株主」を求めて回帰するのか。その答えは、まだ出ていない。 私たちは今、70年続いた「ねじれ」がほどけていく、その途中の景色を見ているにすぎない。持ち合い解消の物語は、まだ「結末」を迎えていないのである。


おわりに——70年の「ねじれ」が問いかけるもの

この長い記事を、三つのポイントに凝縮して締めくくりたい。

第一に、持ち合いは「効率」ではなく「防衛」から生まれた。 GHQの証券民主化が買い占めの恐怖を生み、「第二の黒船」(資本自由化)が安定株主工作を加速させた。持ち合いは、外圧に対する日本企業の「防衛本能」の産物だった。だからこそ、買収の脅威が高まれば、いつでも回帰しうる危うさを、本質的に抱えている。

第二に、解消は「自発的な反省」ではなく「外圧と危機」によって進んだ。 第1期はバブル崩壊と会計ビッグバンと銀行株式保有制限法、第2期はリーマン・ショック、第3期は成長戦略・CGコード・市場再編・損保不祥事・投資家の圧力。日本企業が自ら「持ち合いはやめよう」と悟って動いたことは、ほとんどなかった。動かしたのは、いつも「外」だった。これは、日本の企業ガバナンスの「変わり方」そのものの特徴かもしれない。

第三に、第3期解消は、過去二回とは「種類が違う」。 危機という一過性のショックではなく、制度と投資家の行動様式という構造的な力に支えられている。「上から」と「下から」の挟み撃ち。だからこそ10年以上続き、今も加速し、「ゼロにすべき」という声まで上がっている。これは、もはや「波」ではなく「潮目の変化」かもしれない。

戦後日本の株式市場は、「安定」を最優先する仕組みとして設計され、運用されてきた。今、その設計思想そのものが、「規律」と「効率」を優先する思想へと、書き換えられようとしている。70年かけて編み上げられた「ねじれ」が、ほどけていく。その先に、日本企業がより強くなった姿があるのか——それを見届けるのは、これからの私たちである。


参考資料・出典

本記事は、以下の一次資料・調査資料・報道等に基づいて執筆した。データや事実関係は、各資料の公表時点のものである。

政府・取引所等の一次資料

  • 金融庁・東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード」(2015年策定、2018年・2021年改訂)、および原則1-4(政策保有株式)に関する各規定
  • 金融庁「コーポレートガバナンス・コードの改訂に関する有識者会議」(令和7年度第1回)議事録(2025年10月21日)、および同会議のCGコード改訂案関連資料(2026年2月26日)
  • 金融庁「コーポレートガバナンス改革の実質化に向けたアクション・プログラム2025」(2025年6月30日)
  • 金融庁「大手損害保険会社に対する行政処分について」(2023年12月26日)、および別紙「大手損害保険会社の保険料調整行為等に係る調査結果について」
  • 金融庁・損害保険業の構造的課題に関する有識者会議 事務局説明資料(2024年3月26日)
  • 「銀行等の株式等の保有の制限等に関する法律」(2001年法律第131号、銀行株式保有制限法)、および同法要綱
  • 東京証券取引所「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の要請(2023年3月31日)、および「開示企業一覧表」の公表(2024年1月15日〜)、市場区分の見直しに関するフォローアップ関連資料
  • 日本取引所グループ「株式分布状況調査」各年度版(2023年度調査結果〔2024年7月公表〕、2024年度調査結果〔2025年7月公表〕など)、所有者別持株比率の長期データ
  • SOMPOホールディングス株式会社「行政処分(業務改善命令)について」(2024年1月25日)等の適時開示資料
  • 三井住友フィナンシャルグループ「政策保有株式について」(コーポレートガバナンス関連の開示)
  • 株式会社大林組「政策保有株式に関する方針」(IR開示)

調査機関・研究資料

  • 野村資本市場研究所(西山賢吾)「我が国上場企業の株式持ち合い比率」シリーズ(2018年度版〜2023年度版、『野村サステナビリティクォータリー』掲載)。「第3期持ち合い解消」の概念、持ち合い比率の長期推移、政策保有株の時価総額比(ピーク時約70%→2022年度約31%)等
  • 大和総研(矢田歌菜絵)「政策保有株式の縮減状況〜2024年版〜」(2025年11月11日)。TOPIX500構成企業の銘柄数・保有額の縮減データ
  • 大和総研(中村昌宏)「政策保有株式の縮減は『資金使途』や『配当方針』にどう影響する?」(2025年3月5日)。株式売出し・自己株TOBの件数推移、損保不祥事を契機とする縮減加速の指摘
  • 経済産業省プロジェクト「持続的成長への競争力とインセンティブ〜企業と投資家の望ましい関係構築〜」(伊藤レポート、2014年)
  • RIETI Discussion Paper「株式所有構造の多様化とその帰結」(11-J-011)。会計制度改革・銀行の株式売却・2000年代半ばの持ち合い再強化に関する分析
  • 宮島英昭・原村健二・江南喜成「戦後日本企業の株式所有構造——安定株主の形成と解消」。安定株主化局面(1965-74年)とその解消局面(1989-99年)、メインバンクの規律づけ機能に関する実証研究
  • 国立国会図書館 調査と情報「銀行等の保有株式の買取りと処分の動向——買取り期限の延長を受けて——」(第934号)。銀行株式保有制限法・銀行等保有株式取得機構・所有者別持株比率の長期推移
  • 銀行等保有株式取得機構の制度概要(設立経緯、買取りスキーム等)

報道・解説

  • 日本経済新聞「政策保有株の売却5割増、過去最高9兆円」(2025年7月)、「2025年この数字(2)政策株売却、最高9.7兆円」(2025年12月)、「損害保険大手4社が政策保有株ゼロへ 6.5兆円、段階的に売却」(2024年2月28日)等
  • Bloomberg「日本株再浮上の鍵握る持ち合い解消」(2023年10月3日)、「金融庁が損保ジャパン処分、ビッグモーター巡り『管理機能不全』」(2024年1月25日)等
  • 各社証券用語解説(野村證券、SMBC日興証券、三菱UFJモルガン・スタンレー証券等)における「株式持ち合い」「持ち合い解消」の項目
  • みずほ証券、M&Aキャピタルパートナーズ、企業法務ナビ等による政策保有株式・株式持ち合いに関する解説記事
  • 「株式持ち合い」「財閥解体」に関する事典的記述(第一次・第二次持ち合いブームの時期区分、陽和不動産事件、独占禁止法改正の経緯等)
  • 東京証券取引所「東証マネ部!」掲載記事(戦後の証券民主化と持ち合いの形成、市場再編の趣旨等)

※本記事中の数値・固有名詞・時期等は、上記資料に基づき可能な限り正確を期したが、調査資料間で集計方法や対象範囲が異なる場合があるため、厳密な数値は各一次資料を参照されたい。特に「持ち合い比率」「政策保有株の規模」は、算出主体(野村資本市場研究所、大和総研、東証など)によって定義・対象が異なる点に留意が必要である。

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