1. はじめに――なぜ今、是川銀蔵なのか
株式投資という世界には、星の数ほどの「成功者」が存在します。バフェット、ソロス、リンチ、ダリオ……欧米の投資家の名前は枚挙にいとまがありません。しかし、日本人の個人投資家で、世界に通用するレベルの伝説を持つ人物となると、その数は一気に絞られます。その筆頭に挙げられるのが、本記事の主人公である是川銀蔵氏です。
是川銀蔵氏は、1897年(明治30年)に兵庫県赤穂市の貧しい漁師の家に生まれ、1992年(平成4年)に95歳で亡くなりました。最終学歴は高等小学校卒。今でいえば中学を出ていない学歴です。しかし1983年に発表された高額納税者番付では申告所得28億9090万円で全国1位となり、文字通り「日本一の個人投資家」の座に上り詰めた人物です。
なぜ今、是川銀蔵氏を学ぶ価値があるのでしょうか。私は三つの理由があると考えています。
第一に、是川氏の手法と哲学は、半世紀以上の時間を経てもまったく古びていないからです。AIによる超高速取引が支配する現代の株式市場でも、ファンダメンタルズに基づく「大局観」と「銘柄選別」という基本中の基本は、むしろ機械化の波の中で個人投資家が拠るべき唯一の砦になっていると感じます。
第二に、是川氏は「失敗を語る投資家」だからです。自伝『相場師一代』の冒頭で氏ははっきり書いておられます。株で巨万の富を得るのはほぼ不可能に近いことを伝えるために自伝を書いた、と。300億円の含み益を吐き出した同和鉱業の話、100億円の損失を出した持田製薬の話など、自分の失敗を赤裸々に書き残している投資家は、世界中を見渡してもなかなかいません。
第三に、是川氏の生き方そのものが投資哲学の体現だったからです。儲けた金を自分のために使わず、奨学財団に寄付し、晩年に住んでいたのは2LDKのマンション一室。「最後は裸一貫で死ぬ」と公言し、実際にそうなった人物です。お金を増やすためのテクニックだけではなく、お金とどう向き合うかという根源的な哲学が、是川氏の言葉には染み込んでいるのです。
私はこの記事で、是川氏の投資哲学を表面的になぞるのではなく、その背後にある思考プロセスや、現代の私たちが本当に学ぶべきエッセンスを掘り下げていきます。教科書的な紹介はネット上に山ほどありますので、本記事では「なぜそうだったのか」「どう活かすのか」という視点を大切に書いていきます。
2. 是川銀蔵という男――その生涯の全体像
是川銀蔵氏の生涯を年表的に整理しておきますと、その「波乱」という言葉以外に表現のしようがない人生が見えてきます。
- 1897年(明治30年):兵庫県赤穂市福浦に小山銀蔵として誕生(七人兄弟の末っ子)
- 1911年頃:14歳で神戸の貿易商「好本商会」に丁稚奉公
- 1914年:好本商会倒産。16歳で単身、ロンドンを目指して中国・大連へ
- 1914年〜:青島で日本軍向け商売を始める
- 1919年:大阪で鉄のブローカーとして独立
- 1923年:関東大震災後、トタン板の買い占めで巨利を得る(一度目の成功)
- 1927年:昭和金融恐慌で倒産(三度目の倒産)
- 1927年〜1930年:大阪・中之島図書館に3年間通い、独学で経済を学ぶ
- 1931年:34歳、70円を元手に大阪株式取引所で株式投資を開始
- 1933年:「昭和経済研究所」(後の是川経済研究所)を設立
- 1935年:綿花相場で仕手戦。300万円の利益を逃して逆に1万数千円の損失
- 1938年:朝鮮半島に是川鉱業を設立
- 1943年:是川製鉄株式会社を設立。従業員1万人規模の大企業に
- 1945年:終戦。朝鮮で逮捕されるも釈放
- 1960年:大阪府泉北ニュータウン予定地の土地投機で3億円を得る
- 1976年〜1977年:日本セメント株で30億円の利益(80歳)
- 1977年〜1979年:同和鉱業株で300億円の含み益を逃す
- 1979年:私財14億円で是川奨学財団を設立
- 1981年〜1982年:住友金属鉱山株で200億円の巨利
- 1983年:高額納税者番付で全国1位(申告所得28億9090万円)
- 1985年:長男・正顕死去。持田製薬株で100億円前後の損失
- 1991年:所得税6億8000万円を滞納
- 1992年9月12日:95歳で永眠
この年表を見て驚くのは、彼が本格的に相場師として有名になったのが、なんと70歳を過ぎてからだという事実です。日本セメントで大勝負に出たのは80歳の時、住友金属鉱山で歴史的な勝利を収めたのは84歳の時。普通の人なら隠居している年齢で、彼は人生最大の戦いを繰り広げていたのです。
ここに、是川哲学の重要なヒントが既に隠れています。投資というのは「若さ」や「反射神経」の世界ではなく、「経験」と「洞察」と「忍耐」の世界だということ。是川氏は若い頃から「相場師としての才能」があったわけではありません。むしろ、若い頃の事業の失敗、戦時中の鉱山経営、戦後の不動産取引など、ありとあらゆる経験を積み重ねた上で、晩年に至って「相場師」として完成したのです。
これは、若い投資家にとっても示唆に富む話だと私は感じます。今すぐ大儲けしようと焦るのではなく、長い時間をかけて市場と向き合い続けることに価値がある。是川氏の生涯は、そのことを身をもって教えてくれています。
3. 漁師の七男坊から始まった波乱の幼少期
是川銀蔵氏の人生を語る上で、彼の生まれと幼少期を抜きにすることはできません。なぜなら、後の彼の投資哲学に色濃く影響している「ハングリーさ」と「独学の精神」は、この時期に培われたものだからです。
是川氏は1897年7月28日、兵庫県赤穂郡福浦村(現・赤穂市福浦)の貧しい漁師の家に生まれました。本名は「小山銀蔵」。七人兄弟の末っ子でした。小山家は赤穂では旧家として知られていたものの、明治維新で没落し、彼が生まれたときには貧しい漁師の家でしかありませんでした。
3歳のとき、一家は神戸に転居します。尋常高等小学校を卒業すると、14歳で神戸の貿易商「好本商会」に丁稚奉公に出されました。これが彼の社会人としての第一歩です。当時の丁稚奉公というのは、現代人には想像もつかないような過酷な労働環境でした。早朝から深夜まで一日中働き、休みはなし。給料は寝食を与えられる程度のもの。
そんな少年銀蔵の唯一の楽しみは、新聞に連載されていた『太閤記』を読むことだったそうです。これは是川氏自身が後年語ったエピソードですが、私はこの一点に彼の人格形成の核を見る思いがします。
豊臣秀吉――尾張中村の貧しい百姓の子として生まれ、最後は日本の頂点に立った男。その生涯を、神戸の丁稚少年だった銀蔵は、自分と重ね合わせて読んでいたわけです。「いつか自分も天下を取ってやる」。そんな野心の種が、この時期に蒔かれていたのでしょう。
1914年(大正3年)、銀蔵が16歳のとき、勤めていた好本商会が倒産します。普通の少年なら、別の商家に奉公先を見つけて、また下働きから始めるところでしょう。しかし銀蔵は違いました。「世界経済の中心地はロンドンだ。そこで勝負しよう」と思い立ち、単身で日本を発ったのです。
16歳の少年が、ロンドンに行こうとする――。今でも常軌を逸した話ですが、当時としても並外れた行動です。シベリア鉄道に乗るために中国・大連港まで渡ったところで、運命のいたずらが訪れます。第一次世界大戦が勃発し、ロシアが参戦したため、シベリア鉄道に乗ることができなくなってしまったのです。
ロンドン行きを断念した銀蔵は、しかし諦めませんでした。日本軍がドイツ領青島攻略のため大連に集結しているのを見て、「軍隊を相手に商売してひと山当てよう」と思い立ち、なんと約250キロを徒歩で青島へ向かいました。途中、激しい下痢に襲われ意識を失うほどの過酷さでしたが、運良く行軍中の日本軍に助けられ、炊事係として採用されたといいます。
その後、簿記の知識を活かして会計係になり、軍需物資の運搬も任されるようになりました。1914年11月には自ら貿易会社を立ち上げ、軍への食料品や木材の納入で利益を上げ始めました。16歳で自分の会社を持ったわけです。
しかし、好事魔多し。将校への接待が憲兵から贈賄とみなされ、1915年に逮捕。未成年だったこともあり「君はまだ若い。正道を歩け」と諭されて無罪放免となりますが、事業はここで一度、潰えます。
この少年期の経験から私が読み取るのは、是川氏に元々備わっていた異常なまでの「行動力」と「胆力」、そして同時に身につけた「失敗の作法」です。16歳で異国の地で逮捕されるという経験は、普通の人なら一生立ち直れないトラウマになります。しかし銀蔵は、これを「学び」に変換する術を、少年の頃から身につけていたようです。
実は、是川氏が後に何度倒産しても再起できた背景には、この少年時代に植え付けられた「失敗は終わりではない、次への種だ」という感覚があったのではないかと、私は推察しています。これは投資哲学を学ぶ上でも極めて重要な点です。投資においても、損失をどう受け止めるかが長期的な勝者と敗者を分けるからです。
4. 三度の倒産が教えてくれたこと
是川銀蔵氏の生涯には、相場師として名を成すまでに「三度の倒産」がありました。これは彼自身が自伝で繰り返し触れている、ある意味で勲章のような経験です。
一度目の倒産(青島での貿易会社)
先述の通り、16歳で青島に立ち上げた貿易会社が、逮捕事件で潰れました。これが事実上の一度目の倒産です。
二度目の倒産(青島での金属取引)
その後、銀蔵は再び中国に渡り、現地の銅貨である「一厘銭」を金属資源として両替して売る商売を始めます。一厘銭は亜鉛・銅・鉛の合金でできており、第一次世界大戦による金属資源高騰の影響で、額面の2倍以上の価値で売れたのです。
これは見事な発想です。表面的な貨幣としての価値ではなく、その素材としての価値に目をつけた。後の是川氏の投資哲学に通じる「本質を見る目」が、すでにこの時点で芽生えていたと言えます。
しかし1916年、孫文を支援する日本軍に貸した3万円が返済されず、さらに12月にドイツからの講和打診により金属相場が下落して、再び倒産。これが二度目の挫折でした。
三度目の倒産(大阪伸鉄亜鉛メッキ株式会社)
日本に戻った銀蔵は、姉婿の縁で兵庫県龍野市で貝ボタン工場を経営した後、1919年に大阪へ出て鉄のブローカーとして独立。さらに伸鉄工場を作り、亜鉛メッキ工場を買収して「大阪伸鉄亜鉛メッキ株式会社」を設立しました。従業員260人を抱える中堅企業に成長させたのです。
1923年9月の関東大震災では、復興用のトタン板と釘を買い占め、大きな利益を得ます。ここで彼は重要な行動を取っています。「他人の不幸で得た利益だから」という理由で、利益の半分を大阪府に寄付したのです。後の是川氏の倫理観の原型が、すでにここに見えています。
しかし1927年、昭和金融恐慌が日本を襲います。預金していた銀行が破綻し、会社は倒産。これが三度目の倒産でした。債権者たちは「経営を続けてくれ」と理解を示してくれたそうですが、銀蔵は経営を債権者に任せて引退する道を選びました。30歳の年でした。
三度の倒産から学んだ教訓
私はこの三度の倒産から、是川氏が学んだことを三点に整理してみました。
第一に、**「景気循環は予測可能である」**という確信です。彼は昭和金融恐慌の経験から、資本主義に懐疑的になりますが、3年間の独学を経て、「恐慌は景気循環によって生じる予測可能な変動」だと結論づけました。投資5ヶ条の第二条「2年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つ」は、まさにこの確信から来ています。
第二に、**「自分でコントロールできないことには手を出さない」**という教訓です。二度目の倒産は孫文軍への貸付金が焦げ付いたことが原因でした。回収不能リスクを自分でコントロールできないものに大金を貸した結果、失ったのです。後の「過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する」という原則は、ここに根を持っていると私は見ています。
第三に、**「他人の不幸で儲けたお金は身につかない」**という人生観です。関東大震災のトタン板の利益を寄付したエピソードは、後年の「人の不幸に乗じて金を儲けたくない」という発言と完全に一貫しています。これは単なる綺麗事ではなく、是川氏なりの「長く相場で生き残るための作法」だったのではないかと、私は分析しています。市場で本当に長く成功するためには、市場参加者からの信頼が必要なのです。
倒産という経験は、どんな投資哲学書も教えてくれない「実感」を残します。是川氏が後に「投資5ヶ条」で「不測の事態などリスクはつきものと心得る」と書いた背景には、三度の倒産で身に染みた「世の中、何が起こるか分からない」という感覚があったはずです。
現代の投資家、特に若い世代の投資家には、是川氏のような三度の倒産経験はありません。しかしだからこそ、彼の言葉から、その「実感」を借りる必要があると私は思うのです。
5. 中之島図書館に通った三年間――独学が生んだ「実践派エコノミスト」
是川銀蔵氏の投資哲学を理解する上で、絶対に外せないエピソードがあります。それが、三度目の倒産後の「3年間の図書館通い」です。私はこの時期こそが、是川氏という人間を「相場師」から「実践派エコノミスト」へと変質させた決定的な転換点だったと考えています。
1927年に倒産した銀蔵は、家族5人を抱えながら、京都の嵐山から大阪の中之島図書館まで毎日通い続けました。家賃も払えず、米代も払えない極貧生活の中で、図書館の水道の水で空腹を満たしながら、経済関係の本や資料を貪り読んだといいます。
後年、是川氏は自伝で当時の生活をこう振り返っています。極貧生活の中で必死に勉強を続け、毎晩家で12時、1時過ぎまでノートを整理して自分だけの資料を作っていたと。3年間でなんと10キロも痩せてしまったそうです。
3年間。これがどれほど長い時間か、現代人は実感しづらいかもしれません。365日×3で1095日。これだけの期間、毎日図書館に通い続けるというのは、並外れた意志の力を必要とします。
何を勉強したのか
是川氏が図書館で何を勉強していたか、自伝『相場師一代』で具体的な記述があります。
まず、ダウ平均、銘柄相場、非鉄金属相場と在庫、入出庫状況、為替相場、金利――これらを毎日記録に取ることを習慣にしたといいます。これは現代でいえば、毎日Bloombergのデータをエクセルにつけているようなものです。当時はパソコンもインターネットもありません。すべて手書きで、図書館の新聞や経済誌から拾い集めた数字を、ノートに転記していたわけです。
次に、世界経済の動向です。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ソ連――主要各国の経済データ、政治動向、貿易統計などを徹底的に調べ上げました。日本一国の経済を見るのではなく、世界経済の中で日本がどう位置づけられているかを把握しようとしたのです。
そして、過去の景気循環の歴史です。1873年のグリュンダー恐慌、1907年のニッカーボッカー恐慌、1929年の世界大恐慌(これは彼の在野研究のさなかに起きた)――こうした過去の景気サイクルを研究することで、彼は「恐慌は予測可能なパターンを持っている」という確信に至ります。
「実践派エコノミスト」という自負
是川氏は自分を「最後の相場師」と呼ばれることを実は好まなかったと言われています。彼自身が自任していたのは「実践派エコノミスト」でした。これは非常に重要な点だと私は思います。
「相場師」というと、感覚と度胸で勝負するギャンブラーのようなイメージがあります。しかし是川氏は、自分は経済学者だと自負していました。学問としての経済学を、机上の空論ではなく実際の市場で実証する人間――それが「実践派エコノミスト」という言葉の意味です。
この自負があったからこそ、彼の投資判断は、感覚や噂ではなく、徹底した経済分析に裏付けられていました。後に詳述する住友金属鉱山株の買い占めも、菱刈金鉱山の埋蔵量と金価格から1株純資産を計算するという、極めて学術的なアプローチから始まっています。
現代の私たちが学ぶべき点
現代は情報が氾濫している時代です。スマホを開けば、無数の投資情報がタダで手に入ります。逆説的に、これが現代投資家の最大の弱点になっているのではないかと私は感じます。
是川氏が3年間図書館に通って手書きで集めた情報の質と、現代人がスマホで5分間眺める情報の質は、量こそ違えど、本質的にどちらが投資判断に役立つでしょうか。私は、是川氏の手書きノートの方が遥かに役立つと断言できます。
なぜなら、自分で集め、自分で整理し、自分の頭で消化した情報は、自分の思考の一部になるからです。スマホでスクロールするだけの情報は、目を通した瞬間に忘れます。これは認知科学的にも明らかなことで、能動的に処理された情報の方が、受動的に消費された情報より遥かに記憶と判断に残ります。
是川氏の3年間の図書館通いから現代投資家が学ぶべきことは、「ノートを取れ」「自分の言葉でまとめろ」「他人の意見ではなく一次情報に当たれ」――この三点に尽きると私は思います。
それと、もう一つ重要なのは、勉強する期間を長く取るということです。是川氏は3年間勉強してから、初めて株式投資に手を出しました。一週間や一ヶ月でマスターできるような世界ではないという認識が、そもそも前提にあったのです。
現代の投資ブームの中で、「すぐに始めて、やりながら学べ」という意見もあります。それも一理ありますが、是川氏の流儀は「土台を固めてから挑む」というものでした。私は、本当に大きな成果を出したいのなら、是川流の方が結果的に近道だと考えています。
6. 初めての株式投資――70円が7000円になった日
3年間の独学を終えた是川銀蔵氏が、初めて株式投資に挑戦したのは1931年、34歳の時でした。元手はわずか70円。
当時の70円の貨幣価値は、現代の感覚で言うとどの程度でしょうか。1931年の大卒初任給が約75円だったという記録がありますので、おおよそ「現代の大卒初任給」、すなわち20万円前後と考えれば良いでしょう。要するに、決して大金ではない、ごく庶民的な額からスタートしたわけです。
そして彼は、その年の年末までに、なんと7000円にまで増やしたといいます。100倍です。
これは普通に考えればあり得ない数字に思えますが、当時の日本株式市場は1931年から1932年にかけて大きな転換点を迎えていました。1931年12月、犬養毅内閣の高橋是清蔵相が金輸出再禁止を断行し、日銀引き受けによる積極財政に転じました。これが当時のリフレ政策の先駆けとなり、株価は急騰しました。
ここに、後の是川投資哲学の原型が見えます。彼は当時の政治・経済情勢を綿密に分析した上で、「金本位制離脱→円安→輸出関連株上昇」というシナリオを描いていたわけです。3年間の図書館通いで身につけた大局観が、いきなり結果として表れたのです。
「自分で勉強して選ぶ」の原点
是川氏が後年「投資5ヶ条」の第一条として掲げた「銘柄は人が奨めるものではなく、自分で勉強して選ぶ」――この原則は、まさにこの初投資の時点で確立されていました。
なぜ彼は他人の意見を聞かなかったのでしょうか。私が思うに、彼は3年間の独学を通じて、「他人の意見を聞いて判断できる人間がほとんどいない」という事実を悟っていたからです。
新聞記事を書いている記者も、証券会社のアナリストも、相場で大儲けしているわけではありません。本当に儲けている人は、自分の判断で動いて結果を出している。であれば、自分も自分の頭で考えて判断するしかない――そういう論理です。
これは現代でも全く同じ構造です。SNSや投資系YouTuberが「この銘柄が上がる」と言っていても、その本人がその銘柄で大儲けしている保証はどこにもありません。むしろ、本当に大儲けしている人は、自分のポジションを軽々しく公開しないものです。
昭和経済研究所の設立
1933年、株式投資で大きな成功を収めた是川氏は、大阪・堂島で「昭和経済研究所」(後の是川経済研究所)を設立します。これは投資助言業ではなく、純粋に経済研究を行う機関でした。
ここで彼は、自分の投資手法を理論化し、後進の指導も始めます。「実践派エコノミスト」としての自負は、このときから既に明確になっていたわけです。
ただし、ここで重要なのは、彼が研究所を作っても、相場師としての歩みを止めなかったことです。学者になるのではなく、あくまで実践し続けた。理論と実践の往復こそが、是川氏の真骨頂でした。
綿花相場での挫折
しかし、1935年に大阪三品取引所での綿花の仕手戦で、是川氏は手痛い失敗を経験します。世界的な綿花の凶作を見越して買いに回り、売り方の昭和綿花株式会社の駒村資平と数ヶ月にわたる仕手戦を繰り広げました。
一時は約300万円の利益が出ていたとされます。これは現代の感覚で数十億円規模の金額です。しかし、「解け合い」(仕手戦の手仕舞い交渉)を断った後に相場が反転し、最終的に1万数千円の損失で終わったのです。
300万円の利益から、1万数千円の損失へ。利益を吐き出すどころか、損失まで出した。この経験から是川氏が学んだのは、後に「投資5ヶ条」の第3条と第4条にまとめられる「株価には妥当な水準がある。値上がり株の深追いは禁物」「腕力相場は敬遠する」という教訓だったと私は考えています。
初期の投資経験から見える是川流の核
私が是川氏の初期投資経験から読み取る最も重要な点は、**「勝った経験よりも、負けた経験から多くを学んでいる」**ということです。
70円を7000円にした成功体験は、彼にとっては自信の根源になったでしょう。しかし彼が自伝で繰り返し語っているのは、綿花相場の失敗のような「学びの経験」の方です。
これは現代の投資家にとっても極めて重要な視点です。SNSなどで「私はこの銘柄で○%儲かりました」という成功体験を共有する人は多いですが、本当に学べるのは失敗の方です。なぜそのトレードが失敗したのか、何が判断ミスだったのか、どうすれば防げたのか――これを徹底的に振り返ることでしか、投資家としての成長はないと私は考えています。
是川氏は、初期の成功体験に酔うことなく、失敗を血肉にして、その後の70歳代、80歳代の大相場での勝利に繋げたのです。
7. 戦前・戦中・戦後――鉱山経営という伏線
是川銀蔵氏の生涯を語る上で、戦前から戦中、戦後にかけての時期は、表面的には投資の話とは関係ないように見えます。しかし、この時期に彼が経験したことが、後の住友金属鉱山の大相場という生涯最高の勝負を可能にした「伏線」になっていたのです。
極東の軍拡を予測した男
1930年代、是川氏は世界各国の経済動向を綿密に調査する中で、ある重大な事実に気づきます。アメリカ、イギリス、ソ連が水面下で極東に向けた軍拡を進めているという事実です。
これは普通の経済人にとっては「気づかなくても無理はない」レベルの情報でした。しかし是川氏は、各国の経済データから軍需産業向けの資源の流れを読み取り、極東での戦争が不可避だと予測しました。
そして彼はこの予測を、軍部、財界、マスコミに警告し続けました。当時の日本は米英との親善外交を旨としていた時期で、是川氏のような警告は「危険思想」とみなされ、憲兵隊の取り調べを受けることもあったといいます。
ここで重要なのは、是川氏が単なる相場師ではなく、当時の日本の知識人として、国家の進路にまで関心を寄せる人物だったということです。彼が後に「実践派エコノミスト」と自任した理由が、こうしたエピソードからも見えてきます。
朝鮮半島での鉱山経営
1938年、是川氏は朝鮮半島東部の江原道三陟郡(現在の北朝鮮)に「是川鉱業」を設立します。鉄鉱山の開発でした。これを短期間で軌道に乗せた後、1943年には「是川製鉄株式会社」も設立し、従業員1万人を雇用する朝鮮有数の大企業に育てます。
朝鮮総督だった小磯國昭との知遇を得て、1944年の小磯内閣誕生の際には入閣要請まで受けました。しかし是川氏はこれを断り、あくまで実業家・経済人としての立場を貫きました。
戦後の逮捕と釈放
1945年の終戦後、是川氏は国策会社のオーナーであったため、新生朝鮮の警察に逮捕されてしまいます。一時は処刑も覚悟したそうですが、朝鮮人従業員を平等に扱っていたことから、現地の朝鮮人による嘆願運動が起こり、釈放されました。
これは是川氏の人物像を語る上で、極めて重要なエピソードです。当時の朝鮮で日本企業を経営していた日本人の中には、朝鮮人を差別的に扱った者も少なくありませんでした。しかし是川氏は違いました。彼の経営方針が、結果として彼自身の命を救ったのです。
鉱山経営の経験という伏線
戦後、無一文で日本に帰国した是川氏ですが、朝鮮での鉱山経営で得た知識と経験は、彼の頭の中に確実に蓄積されていました。鉄鉱石の品位、選鉱の方法、ボーリング調査の意味、鉱脈の延び方――こうした鉱山業の専門知識を持つ経済人は、日本でも珍しい存在だったはずです。
そしてこの専門知識が、約40年後の1981年、住友金属鉱山株の歴史的大相場で決定的な役割を果たすことになります。
これは投資哲学を考える上で、極めて示唆に富む話だと私は感じます。
「機会は、準備された人にしか訪れない」――これはルイ・パスツールの有名な言葉ですが、是川氏の生涯はまさにこれを体現しています。1981年9月、彼が日本経済新聞に掲載された「菱刈金山発見」の小さな記事を見て、即座に大相場の到来を察知できたのは、40年以上前の朝鮮での鉱山経営経験があったからです。
普通の投資家がその記事を見ても、「ふーん、金鉱山が見つかったのか」で終わったでしょう。しかし鉱山経営の経験者である是川氏には、その記事から「これは異常な高品位鉱脈の発見だ」「住友金属鉱山の純資産は1株1000円を超える」という結論まで瞬時に導けたのです。
投資の世界で活きる「異業種経験」
ここに、現代の投資家にとって重要な示唆があります。投資で成功するためには、必ずしも「投資の勉強」だけが必要なのではない、ということです。むしろ、自分の本業や専門分野で得た経験・知識が、思わぬところで投資判断に活きてくることがあります。
例えば、医療従事者は製薬会社や医療機器メーカーの真の競争力を見抜けるかもしれません。エンジニアはテクノロジー企業の技術的優位性を評価できるかもしれません。流通業の現場で働く人は、小売チェーンの強さを肌で感じ取れるかもしれません。
是川氏が朝鮮で得た鉱山経営の知識が住友金属鉱山の大相場に活きたように、現代の私たち一人ひとりが持つ「異業種経験」が、投資判断において他人にはない優位性をもたらすのです。
このことは、ピーター・リンチが提唱した「自分の身の回りから投資先を探せ」という考え方とも通じます。是川氏の場合は「身の回り」というよりは「自分の過去の経験」だったわけですが、本質は同じです。自分が知っている領域で勝負せよ。これは普遍の真理です。
8. 復活の狼煙――泉北ニュータウンと日本セメント
戦後、無一文で日本に帰国した是川銀蔵氏は、しばらく不動産投資や農業の研究などをして過ごします。本格的に株式相場の世界に戻ってきたのは、昭和35年(1960年)以降と言われています。
泉北ニュータウン――不動産投資での3億円
1960年代、是川氏は大阪府南部の泉北丘陵地一帯に目をつけました。当時はまだ何もない田舎の丘陵地でしたが、大阪のベッドタウンとして必ず開発されるはずだ、と読んだのです。
これは典型的な「2年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つ」の実践でした。彼は丘陵地を坪300円で買収していきます。そして1965年、大阪府が泉北ニュータウン構想を発表すると、坪1500円で売却。3億円の利益を手にしました。坪単価で5倍、土地が大きかったので利益は3億円に達したわけです。
この3億円が、その後の彼の投資人生の元手となります。
ただし、是川氏自身は自伝でこの不動産取引について、「相手の弱みを握り、口先だけで安く買い上げているようなものである」と、いささか後ろめたい気持ちを吐露しています。これは是川氏の倫理観をよく表したエピソードです。儲かれば何でもいい、というドライな相場師ではなかったのです。
日本セメント株への着眼
1976年、79歳になっていた是川氏は、日本セメント(現・太平洋セメント)株に狙いを定めます。当時、セメント業界は第一次オイルショックの影響で未曾有の不況に陥っていました。日本セメントの株価は120〜130円程度の低水準で、赤字、減配というどん底の状況でした。
普通の投資家なら絶対に手を出さない銘柄です。しかし是川氏の見方は違いました。
第一に、不況だからこそ政府は景気対策を打つはずだ。 第二に、公共投資が増えればセメントの需要が伸びる。 第三に、日本セメントは業界大手だから、景気回復の恩恵を最も受ける。 第四に、株価がここまで下がっているということは、悪材料は既に織り込まれている。
この四点の論理で、是川氏は日本セメント株を120〜130円で淡々と買い始めました。
1976年12月、福田赳夫首相が「来年は景気対策をやりたい」とコメント。是川氏のシナリオ通りの展開が始まります。1977年7月までに3000万株を超える株を買い集め、これは総発行株式数の14.2%にあたる規模になりました。
その後、政府は財政投融資を柱とした大型予算を組み、セメント業界の業績は急回復。株価も順調に上昇しました。是川氏は3000万株をほぼ300円台で売却し、約30億円の利益を手にしたとされています。
元手3億円が、約1年で30億円に。実に10倍です。
日本セメント株から見える是川流の真髄
私はこの日本セメント株の勝負に、是川流投資哲学のすべてが詰まっていると考えています。
①底値での仕込み:株価120円というまさに「水面下」での買い。「カメ三則」第一条「銘柄は水面下にある優良なものを選んでじっと待つ」の完璧な実践です。
②大局観:政府の景気対策→公共投資→セメント需要、という2年スパンの読み。「投資5ヶ条」第二条「2年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つ」そのものです。
③業績への確信:セメント業界の底打ち、業界大手としての地位――業績がいずれ回復するという確信。「投資5ヶ条」第四条「株価は最終的に業績で決まる」の体現です。
④時間の使い方:1976年11月から1977年5月まで、約半年間、120円付近で買い続けています。慌てて買い上がるのではなく、ゆっくりと玉を集める。これがプロの仕事です。
⑤利益確定の規律:300円台でしっかり利食いをして、欲張らずに手仕舞いしました。これも「値上がり株の深追いは禁物」の実践です。
なお、この日本セメント株での成功体験が、皮肉なことに次の同和鉱業株での失敗を生む土壌になります。「もっとうまくいくはずだ」という慢心が、結果的に300億円の含み益を吐き出す失敗に繋がるからです。
しかしこの段階での是川氏は、まさに自分の哲学を完璧に実行できていました。80歳近くなって、彼の投資家としての能力が頂点に達しつつあったのです。
現代投資家への示唆
日本セメント株の事例から、現代の私たちが学べることを整理してみます。
第一に、不況業種・赤字企業こそ大化けする可能性があるということ。皆が嫌っている銘柄、ニュースも悪いものばかりの銘柄こそ、底打ち反転の余地があります。ただしこれは「いずれ業績が回復する見込みがある」場合に限ります。万年赤字で再建の見込みもない企業は、低位だからといって買ってはいけません。
第二に、マクロ経済と個別企業を繋げて考える視点です。是川氏は「政府の景気対策」というマクロ要因から、「セメント業界」という産業セクター、さらに「日本セメント」という個別企業へと、ロジカルに思考を展開しています。多くの個人投資家は、個別企業の情報だけを追ってマクロ環境を軽視する傾向がありますが、これは是川流ではNGです。
第三に、買い急がないことです。1976年11月から1977年5月まで、約半年間、120円付近で買い続けたわけですが、これは「いつ上がり始めるか分からないけど、いずれ上がる」という確信があるからこそできることです。買い急いで高値を掴むのではなく、ゆっくりと、相手に気づかれないように玉を集める。これが是川流の流儀でした。
第四に、利益確定のルールを持つことです。300円台でしっかり売り抜けたという事実は、「ここまで上がったら売る」という自分なりのルールを持っていたことを示します。後の同和鉱業ではこのルールが守れずに失敗するわけですから、ルール設定そのものよりも、ルールを守り切ることの方が難しいのです。
9. 同和鉱業の「欲ボケ自滅」――300億円が幻と化した教訓
是川銀蔵氏の生涯で、最も痛烈な失敗体験として語り継がれているのが、同和鉱業(現・DOWAホールディングス)株での「欲ボケ自滅」です。自伝『相場師一代』では第八章が丸ごとこのエピソードに当てられています。
仕掛けは見事だった
1978年、是川氏は赤字会社で株価100円台にまで低迷していた同和鉱業株を買い進めます。彼の読みはこうでした。
非鉄金属、特に銅相場は当時、底値圏にあった。世界的な不況による需要減退が原因だったが、いずれ景気は回復し、銅需要も戻る。そうなれば、銅鉱山を持つ同和鉱業の業績は急回復する。さらに、株価100円台というのは、市場が悲観に振れ過ぎた結果であり、業績回復が見えてくれば一気に上昇するはず――。
これは日本セメント株での成功体験を、そのまま非鉄金属セクターに応用したロジックでした。是川氏の読みは見事に的中し、株価は上昇を始めます。300円を突破し、400円台に入り、500円、600円、700円……。
是川氏は同和鉱業の筆頭株主となり、6000万株もの大量の株を保有していました。
900円――300億円の含み益
株価が900円に達したとき、是川氏の含み益は約300億円に達していました。1979年の300億円は、現代の貨幣価値で数百億円規模の話です。
この時点で売っていれば、住友金属鉱山の大相場を待つまでもなく、是川氏は伝説の相場師として確固たる地位を築いていたはずでした。しかし――。
「まだ、まだ」
是川氏の心の中で、欲が頭をもたげました。「1000円どころか、1500円までいくのではないか」――そう考えて、売ろうとしなかったのです。
このとき彼が思っていたであろう心理状態を、私なりに推察してみます。
第一に、「ここまで来たのだから、もっと行くはずだ」というモメンタムへの過信。 第二に、「自分の読みは間違っていなかった」という自信が、「だからもっと上がるはずだ」という願望にすり替わった。 第三に、6000万株という巨大なポジションをどう手仕舞うかという技術的な難しさ。 第四に、80歳を超えてここまで稼げるという、人生最後の大花火への執着。
これらの心理が複合的に絡み合って、是川氏は「もう少しだけ」と売り場を待ち続けたのでしょう。
しかし、相場の現実は無慈悲でした。株価は900円を頭打ちに下落を始めます。是川氏は慌てて売ろうとしますが、6000万株という巨大なポジションを簡単に売れるわけがありません。売れば売るほど株価は下がり、売りそびれた分はさらに損失が拡大する。
最終的に、彼が同和鉱業株を手仕舞いした水準は、買い始めた時とほぼ同じ水準でした。手元に残ったのは、買い始めの時と同じ約30億円だけ。300億円の含み益は幻と化したのです。
「もうはまだなり、まだはもうなり」
この経験から、是川氏は『本間宗久相場三昧伝』にある「もうはまだなり、まだはもうなり」という相場格言を、自伝で繰り返し噛み締めています。
この格言の意味を改めて整理してみましょう。
「もうは、まだなり」――「もう底だ、もう上がらない」と多くの人が思うとき、実はまだ上昇余地がある。 「まだは、もうなり」――「まだ上がる、まだ大丈夫」と多くの人が思うとき、実はもう天井で、下落が始まっている。
つまり、人間心理の自然な感じ方と、相場の実態は、しばしば逆になるという教えです。
私はこの格言を、行動経済学的に解釈し直すこともできると考えています。プロスペクト理論によれば、人間は利益と損失を非対称に評価します。利益が出ているときは、もっと欲しいという欲望が支配し、リスクを取りがちになる(リスク・シーキング行動)。一方で、損失が出始めると、損切りを躊躇して「いずれ戻るはず」と希望にすがる(リスク回避行動)。
是川氏が900円で売れなかったのは、まさにこの「利益局面でのリスク・シーキング」が働いたためだと解釈できます。300億円の含み益という巨大な利益を前に、彼の冷静な判断力が、欲望によって曇らされたのです。
「相場は逆に逆に出るもの」
自伝の中で是川氏は、「相場は逆に逆に出るもの」とも書いています。これは「相場というのは、自分の願望と反対方向に動くものだ」という意味です。
なぜ相場は願望と逆に動くのか。それは相場が「他人と自分の予想の総体」だからです。あなたが「もっと上がる」と願うとき、それは多くの参加者が既に「もっと上がる」と考えて買っている状態を意味します。買い手が出尽くせば、上昇は止まる。
逆に「もうダメだ」と諦めるとき、それは多くの参加者が既に「もうダメだ」と考えて売っている状態です。売り手が出尽くせば、下落は止まる。
是川氏が同和鉱業株で学んだのは、「相場には自分の願望や論理を持ち込んではいけない」という冷徹な事実だったのです。
野村証券と丸荘証券に救われた
実は同和鉱業株の失敗で、是川氏は破滅寸前まで追い込まれていたといいます。それを救ったのが、野村証券や取引先の丸荘証券による「異例の株の肩代わり」でした。
これも示唆深い話です。なぜ証券会社が是川氏を助けたのか。一つには、当時の彼が市場で人気の高い相場師だったため、潰せば証券界全体にもマイナスという計算があったでしょう。しかしもう一つの理由として、是川氏が普段から「人の不幸では儲けない」「正々堂々」を貫いてきたことの積み重ねが、いざという時に証券会社の支援を引き出したのだという見方もあります。
「綺麗事を貫いていると、いざという時に味方が現れる」――これは投資の世界に限らず、人生全般に通じる教訓だと私は感じます。
現代投資家への示唆
同和鉱業株の失敗から、私たちが学べることを整理します。
第一に、含み益は実現益ではないということ。スマホの画面に表示されている評価益は、売却して初めて確定するものです。それまでは、ただの「数字」に過ぎません。900円の900倍の6000万株という巨大な数字でも、実現できなければゼロと同じです。
第二に、利益確定のルールを事前に決めておくこと。是川氏ほどの人物でも、上昇相場の真っ只中で冷静な判断を下せなかったのです。私たち普通の投資家ができるはずがありません。だからこそ、感情が入り込む前に、買う前の段階で「ここまで上がったら売る」というルールを決めておくべきです。
第三に、売却にも時間がかかることを認識する。是川氏ほどの巨大なポジションでなくても、流動性の低い銘柄では「売りたい時に売れない」ことが普通にあります。買うときの流動性ではなく、売るときの流動性で銘柄を選ぶべきです。
第四に、自分の予測の正しさに執着しないこと。是川氏の同和鉱業に対する分析は、本質的には正しかったのです。問題は、その分析が正しいからといって、相場が彼の願望通りに動いてくれるわけではない、ということでした。分析と相場行動は、別物として扱う必要があります。
第五に、最も儲かっているときが最も危ないということ。含み益が最大になったときに、人は最大の油断をします。是川氏ほどの相場師でも、300億円の含み益という麻薬の前に、判断力を失いました。日々のトレードで利益が出ているとき、含み益が大きく膨らんでいるとき――そのときこそ、もう一度冷静に「ここで利食いすべきではないか」と自問する習慣が必要です。
10. 住友金属鉱山と菱刈金山――生涯最大の勝負
是川銀蔵氏の名を投資史に永久に刻んだのが、1981年から1982年にかけての住友金属鉱山株の歴史的買い占めです。これは是川氏が84歳の時に行った勝負で、わずか半年で200億円以上の利益を上げたとされています。
運命の一本の小さな新聞記事
1981年9月、ある朝、是川氏は日本経済新聞の産業面の小さな記事に目を釘付けにしました。「金属鉱業事業団、鹿児島県菱刈で金鉱脈を発見」――そんな記事だったといいます。
普通の人にとっては、見過ごしてしまうレベルの小さな記事でした。実際、株式市場はこの発表にほとんど反応していませんでした。
しかし是川氏は違いました。彼の頭の中で、40年以上前の朝鮮での鉱山経営経験が、瞬時に蘇ったのです。
プロが見抜いた異常な高品位
記事には、700メートル間隔で打ち込んだ2本のボーリングが、ともに高品位の金鉱石にあたったと書かれていました。
ここで、是川氏の鉱山経営経験が決定的に活きます。彼は知っていました。金鉱脈というのは、千本ボーリングしても数本あたるかどうか、というレベルの低確率現象だということを。それなのに、2本打って2本とも当たったというのは、偶然ではあり得ない――必ずや巨大な鉱脈が地下に延びているはずだ、と。
しかも、ボーリングで採取された鉱石の金品位は、通常の鉱山の数十倍と異常に高い水準でした。世界の主要金鉱山の平均品位が1トンあたり3〜5グラム程度であるのに対し、菱刈鉱山の平均は30〜40グラム。これは「世界一の金品位」と言われるほどの高品質でした。
ちなみに、これは菱刈鉱山が実際に開発された後の数字で、菱刈鉱山では1985年の出鉱開始以来、安定して金が産出されており、住友金属鉱山によると現在も日本国内で商業規模で操業を継続している唯一の金属鉱山となっています。
現地視察と埋蔵量の試算
是川氏は早速、現地・鹿児島県伊佐市に飛びました。地元の地形を見て、母岩の状態を確認し、何度も現地視察を重ねたといいます。そして大まかな埋蔵量を見積もりました。
金の埋蔵量と当時の金価格から計算すると、住友金属鉱山の1株あたり純資産は1000円を超える――彼はそう確信しました。当時の住友金属鉱山の株価は200円前後。実質的な企業価値の5分の1以下で取引されているわけです。
「これは買いだ」――是川氏は決断します。
買い集めの開始
是川氏は丸荘証券の担当者を呼びました。そして数十社の証券会社を動員し、成行で買いまくる作戦に出ました。途中、自身で「冷やし玉」(空売り)を入れて株価を抑えながら、最終的に約5000万株とも約1500万株とも言われる大量の株を集めていきます。
途中、株価は急騰し、1981年9月の203円から大きく上昇していきました。一方で、9月27日には東証が史上最大の下げ幅を記録するパニック相場が訪れます。ソニー、トヨタ、大手銀行株まですべてが売られる中、住友金属鉱山だけは活況で、37円高の347円で引けたのです。
是川氏の買いが市場の注目を集め、「銀蔵が買う銘柄なら間違いない」と多くの投資家が追随したからでした。
このとき記事を読んでいた投資家の中には「カラダが震えた」と感想を残している人もいます。市場全体が大きく下げ、多くの投資家が逃げ惑う中で、是川氏だけは自分の調査に確信を持って買い続けた――その姿勢が、後世の投資家に強烈な印象を残しました。
売り筋との激しい攻防
是川氏の買いに対して、当然、売り筋も現れました。「上がりすぎだ」「もう天井だ」と判断した投資家や、是川氏の買い占めに対抗する勢力です。
1982年3月、半月間で株価は772円から420円まで急落するという激しい局面もありました。是川氏は窮地に追い込まれます。しかしこの時の彼は、同和鉱業株で学んだ「相場は逆に出る」を肝に銘じていたはずです。
隣接鉱区の決定打
是川氏には、もう一つ秘策がありました。彼は菱刈金山に隣接する鉱区の鉱業権を、別途取得していたのです。
これは恐ろしいほど巧妙な戦略でした。菱刈金山の鉱脈は、地質学的に隣接鉱区にも必ず延びているはずだ――それが是川氏の読みでした。住友金属鉱山は、菱刈金山の本格開発を進めるためには、隣接鉱区も押さえる必要が出てくる。そうなれば、是川氏に頭を下げて鉱区を譲ってくれと言ってくるはずだ――。
1982年、是川氏の読み通り、住友金属鉱山は隣接鉱区を是川氏から買い取り、金鉱開発に着手すると発表しました。これで決着がついたのです。
1230円の高値と手仕舞い
ニュースを受けて、住友金属鉱山の株価は急騰。1982年4月には1230円の高値を付けました。底値の203円から、わずか半年余りで6倍以上に跳ね上がったのです。
是川氏はここで、しっかりと利益確定を行いました。同和鉱業の失敗を踏まえて、欲張らずに売ったのです。1982年3月末時点で住友金属鉱山株を720万株保有し、第7位株主となっていた(他に法人名義で約650万株)と公式記録に残っています。
最終的に約200億円の利益を得て、是川氏は1983年に発表された高額納税者番付で全国1位、申告所得28億9090万円を記録しました。
「ワシが隣接鉱区を買ってやる」
ちなみに自伝『相場師一代』には、住友金属鉱山との交渉時のエピソードが書かれています。住友側が態度を硬化させた際、是川氏は「ワシが隣接鉱区を買ってやる」と啖呵を切ったといいます。
これは投資家としての胆力を示すと同時に、是川氏の人物像をよく表すエピソードだと思います。84歳の老人が、日本有数の財閥系企業に対して、こんな啖呵を切れる――この度胸こそが、彼が「最後の相場師」と呼ばれる所以でしょう。
住友金属鉱山株から見える是川流の集大成
住友金属鉱山株の勝負は、是川氏の投資哲学のすべてが結集した「集大成」と言える勝負でした。
①情報の発見:日経の小さな記事を見逃さない眼力。「経済、相場の動きからは常に目を離さず自分で勉強する」の極み。
②専門知識の活用:朝鮮での鉱山経営経験。40年前の経験が今、活きる。
③現地調査:自分で現地に行って確認する徹底さ。「銘柄は人が奨めるものではなく、自分で勉強して選ぶ」の実践。
④定量分析:埋蔵量と金価格から1株純資産を計算する学術的アプローチ。「実践派エコノミスト」の真骨頂。
⑤大局観:金価格の動向、世界経済における金の役割、日本企業の動きまで読む。「2年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つ」。
⑥水面下での仕込み:株価203円という誰も注目していない水準での買い。「水面下にある優良なものを選んでじっと待つ」。
⑦戦略的な布陣:隣接鉱区の鉱業権取得という、相手の戦略まで読み切った周到な準備。
⑧売り抜けの規律:1230円の高値で手仕舞いするという、同和鉱業の教訓を活かした冷静な判断。
これら8つの要素がすべて噛み合って、初めて200億円という巨利が実現したのです。一つでも欠けていれば、是川氏は伝説にはなれなかったでしょう。
現代投資家への示唆
住友金属鉱山の事例から、現代の私たちが学べることは無数にあります。最大のものを一つ挙げるとすれば、それは**「情報の非対称性は今でも存在する」**ということです。
菱刈金山の発見記事は、誰でも読める日経新聞に載っていました。情報は完全に公開されていたのです。しかし、その情報の価値を理解できる人は、是川氏ぐらいしかいませんでした。
現代でも同じです。決算短信、有価証券報告書、官公庁の統計、業界誌、新聞――公開情報は山ほどあります。AIによって情報処理の速さでは個人投資家はプロに勝てません。しかし、**情報の「読み方」「結びつけ方」「文脈の理解」**においては、個人投資家の方が優位に立てる場面もあります。
自分の専門領域や経験を活かして、皆が見落としている情報の価値を発見する――これが現代における是川流の活かし方だと、私は考えています。
11. 是川銀蔵「投資五ヶ条」を徹底解剖する
ここまで是川氏の生涯と主要な投資事例を見てきましたが、ここからは彼が遺した投資哲学の核心である「投資五ヶ条」と「カメ三則」を、一つひとつ深く掘り下げていきます。
是川氏の「投資五ヶ条」は以下の通りです。
- 銘柄は人が奨めるものではなく、自分で勉強して選ぶ
- 2年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つ
- 株価には妥当な水準がある。値上がり株の深追いは禁物
- 株価は最終的に業績で決まる。腕力相場は敬遠する
- 不測の事態などリスクはつきものと心得る
それぞれを徹底的に解説していきましょう。
第一条:銘柄は人が奨めるものではなく、自分で勉強して選ぶ
これは是川流の根本中の根本です。なぜ人の奨める銘柄を買ってはいけないのでしょうか。
第一の理由は、情報の鮮度です。誰かが「この銘柄が良い」と言ってきた段階で、その情報は既に陳腐化しています。本当に良い情報は、まだ誰も気づいていないうちに自分で発見するものです。
第二の理由は、判断の責任です。他人の奨めで買った銘柄は、株価が下がったときに「あいつが奨めたから」と他人のせいにできてしまいます。これでは投資家として成長しません。自分で選んだ銘柄なら、失敗したときに自分の判断ミスを反省できます。これが投資家としての学習の出発点です。
第三の理由は、売り時の判断です。買ったのが他人の奨めだと、売り時も他人の言うことに頼らざるを得ません。しかし他人は、あなたの株を売ってあげるためにアドバイスをくれるわけではありません。買い推奨はしても、売り推奨は滅多にしてくれません。結果として、買いは早く、売りは遅くなる、という最悪のパターンに陥ります。
第四の理由は、確信の度合いです。自分で深く調べた銘柄なら、株価が下がっても「これは買い増しのチャンスだ」と確信を持てます。しかし他人の奨めで買った銘柄は、下落するとすぐに不安になり、底値で売ってしまいがちです。
現代版・「人の奨めない投資」の難しさ
現代は是川氏の時代と比べて、情報のシャワーを浴びる量が桁違いに増えました。SNS、YouTube、テレビ、雑誌、メルマガ――投資情報があらゆるところから流れ込んできます。
これは「人の奨める銘柄を買わない」ということの実践を、当時よりも遥かに難しくしています。なぜなら、「自分で発見した」と思っている銘柄でも、実はどこかで誰かに刷り込まれた銘柄である可能性が高いからです。
私が個人的にお勧めしたいのは、**「情報の流入を意識的に制限する」**ことです。投資SNSを見る時間を週に30分だけにするとか、特定のYouTuberを見ないと決めるとか。情報の取捨選択ではなく、情報そのものを断つことが、是川流の現代的実践になると考えています。
第二条:2年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つ
なぜ「2年後」なのでしょうか。是川氏は明言していませんが、私は以下のような理由があると推察します。
第一に、経済政策の効果が出るまでの期間です。政府が金融緩和や財政出動を決定しても、その効果が実体経済に表れるまでには1〜2年のタイムラグがあります。是川氏が日本セメント株を1976年11月に買い始め、1977年7月までに利益を出したのは、まさに政府の景気対策の効果が出るタイミングを2年スパンで読んでいたからです。
第二に、業績への反映の期間です。経済環境の変化が企業業績に反映されるまで、これも1〜2年かかります。例えば景気回復→受注増→売上増→利益増、というプロセスには時間が必要です。
第三に、短期的なノイズを排除する効果です。3ヶ月や6ヶ月の予測は、短期的なノイズに翻弄されます。逆に5年や10年の予測は、想定外の変数が多すぎて精度が落ちます。2年というのは、絶妙にバランスの取れた予測期間なのです。
第四に、他人と差をつけられる時間軸です。多くの市場参加者は、来週、来月の株価しか考えていません。逆に長期投資家は、5年、10年の視点で動きます。2年という時間軸は、両者の谷間にあるブルーオーシャンです。
大局観をどう養うか
大局観は一朝一夕では身につきません。是川氏が3年間図書館で勉強したように、相当の時間と労力が必要です。
私なりに、現代において大局観を養うための具体的な方法を提案するなら、以下のようになります。
①主要経済指標を毎月チェックする習慣:GDP、消費者物価指数、失業率、長短金利、為替、商品市況など。最初は意味が分からなくても、続けるうちに「あ、これは過去にも見たパターンだ」と気づくようになります。
②歴史を学ぶ:経済学の理論だけでなく、過去の景気循環、過去のバブル、過去の恐慌を勉強する。是川氏が昭和金融恐慌の経験から「恐慌は予測可能」という確信を得たように、歴史は最良の教師です。
③国際情勢への関心:日本だけを見ていては大局観は育ちません。米中関係、地政学リスク、エネルギー問題、技術革新の動向――こうした国際的な視点が必要です。
④異業種の知識:自分の専門分野以外にも好奇心を持つ。一見投資と関係なさそうな話題が、思わぬところで投資判断に活きてきます。
第三条:株価には妥当な水準がある。値上がり株の深追いは禁物
これは「バリュエーション」の話です。株価には、企業の業績や資産から計算される「妥当な水準」があり、それを大きく上回って買うのは危険だ、という教えです。
是川氏自身が同和鉱業株で900円という「妥当な水準を超えた可能性のある株価」を売り損ねて大失敗をしているので、この第三条は彼の血と汗から絞り出された教訓なのです。
「妥当な水準」をどう判断するか
これは難しい問いです。なぜなら、株価の妥当な水準は、業績、金利、市場心理、競合状況、技術革新、規制環境など、無数の要因によって変動するからです。
しかし、是川流のアプローチは比較的シンプルでした。住友金属鉱山の場合、彼は「金の埋蔵量×金価格」から純資産を計算し、それと株価を比較しました。日本セメントの場合は、業績回復後の予想利益と株価を比較したと思われます。
つまり、「企業の本質的価値を計算して、それと現在の株価を比較する」――これが是川流のバリュエーション手法です。
現代風に言えば、これはディスカウントキャッシュフロー法(DCF法)や、株主価値計算、純資産価値計算など、ファンダメンタル分析の根本にある考え方そのものです。是川氏は経済学を独学していたので、こうした学術的なアプローチに親和性が高かったのでしょう。
値上がり株の深追いの恐ろしさ
値上がり株を深追いすると、なぜ危険なのか。
第一に、買い手が出尽くしている可能性です。株価が大きく上がっているということは、既に多くの人が買っていることを意味します。新たな買い手が現れないと、株価はそれ以上上がりません。
第二に、期待値の織り込みです。値上がり株は、将来の好業績を既に株価に織り込んでいます。期待通りの業績が出ても、株価はもう上がりません。少しでも期待を下回れば、急落します。
第三に、「天井」の見えなさです。下値は「ゼロ円」とはっきりしていますが、上値には理論的な上限がありません。逆に言えば、「ここから下は限定的」と分かる下値圏では買いやすいですが、「ここから上は無限大」と思える上昇相場では、いつ売ればいいのか分からなくなります。
第四条:株価は最終的に業績で決まる。腕力相場は敬遠する
「腕力相場」とは、資金力を活用して強引に買い上げ、人為的に高い株価を形成することです。仕手筋がよくやる手口ですね。
是川氏自身が日本セメントや住友金属鉱山で巨額の買い占めを行っていたわけですから、「腕力相場を否定する」というのは矛盾しているように見えます。しかし、彼の主張はこうでした。
「自分は腕力で株価を釣り上げているのではない。本質的価値があるから買っているだけだ」――。
これは強弁にも聞こえますが、彼の言い分には一理あります。住友金属鉱山の場合、菱刈金山の発見によって本来の企業価値が大きく上がっているのに、市場がそれに気づいていなかった。だから自分が買って、本来の価値に近づけているだけだ――そういう理屈です。
逆に、業績の裏付けがないのに資金力で釣り上げている銘柄は、いずれ必ず急落します。是川氏が誠備グループの仕手戦に売りで対抗して勝利したのは、まさに「業績の裏付けがない腕力相場は必ず崩れる」という確信があったからです。
現代における「腕力相場」
現代でも、SNSやインフルエンサーの発言で急騰する銘柄、特定のテーマで一斉に買われるテーマ株など、「腕力相場」に近い現象は頻繁に発生します。
これらに乗ること自体が悪いわけではありません。短期的に大きな利益が出ることもあります。しかし、是川流の哲学に従えば、こうした相場は「敬遠すべき」ものです。なぜなら、業績の裏付けがないものは、いつ崩れるか分からないからです。
短期トレーダーであれば、こうした相場で機敏に立ち回って利益を取ることもできるでしょう。しかし、長期投資家にとっては、業績という基盤のない上昇は信頼できません。
第五条:不測の事態などリスクはつきものと心得る
最後の第五条は、ある意味で最も重要かもしれません。これは「投資にはリスクがある」という当たり前のことを言っているのではなく、「いくら自分が完璧に分析しても、想定外のことは必ず起こる」という認識を持て、ということだと私は解釈します。
是川氏は綿花相場での失敗、同和鉱業株での失敗、持田製薬での失敗など、何度も「不測の事態」に翻弄されました。彼ほどの分析力と経験を持つ人物でも、相場の不確実性からは逃れられなかったのです。
ましてや、我々普通の投資家は、もっと頻繁に「不測の事態」に直面します。コロナショック、ロシアのウクライナ侵攻、生成AIの登場、長期金利の急騰――近年だけでも数多くの想定外イベントが起こっています。
第五条の実践的意味
私が考える第五条の実践的意味は、以下の三点に集約されます。
第一に、全力投資はしないということ。資金の100%を株式に投じるのは危険です。常に現金を持っておけば、暴落時に追加投資できるし、生活も守れます。
第二に、分散投資の重要性。一銘柄、一業種、一国に集中するのではなく、複数のリスク要因に分散させる。是川氏自身は集中投資の人でしたが、それは並外れた分析力があってこそ。普通の投資家は分散の方が安全です。
第三に、シナリオを複数持つこと。自分の予想が外れた場合、相場が逆方向に動いた場合、どう対応するかを事前に考えておく。これがあるかないかで、不測の事態に直面したときの対応がまったく違ってきます。
12. 是川銀蔵「カメ三則」を徹底解剖する
「投資五ヶ条」と並ぶもう一つの是川哲学の柱が、「カメ三則」です。これはイソップ寓話の「ウサギとカメ」から着想を得たと言われており、ウサギのように才能を過信して途中で脱落するのではなく、カメのように地道に確実に進むことの重要性を説いています。
カメ三則は以下の通りです。
- 銘柄は水面下にある優良なものを選んでじっと待つ
- 経済、相場の動きからは常に目を離さず自分で勉強する
- 過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する
それぞれを詳しく見ていきましょう。
第一則:銘柄は水面下にある優良なものを選んでじっと待つ
「水面下」という表現が秀逸です。是川氏は富士山の登山に例えて、「二合目、三合目で買い、じっと待つ」と表現しています。
つまり、まだ多くの人が登山を始めていない、麓に近い段階で買い込んで、後から登ってくる人たちが押し上げてくれるのを待つ――これが「水面下にある優良なもの」を選ぶ意味です。
なぜ「水面下」が良いのか
第一に、競争が少ないから。皆が注目している銘柄を買おうとすると、既に株価は上がっています。誰も見ていない銘柄なら、安く買えます。
第二に、下値リスクが限定的だから。既に下がりきった銘柄は、それ以上大きく下がる余地が小さい。一方、人気銘柄は高値で買うと、調整局面で大きく下がるリスクがあります。
第三に、長期保有に耐えられるから。安く買えば、含み損になっても精神的に耐えられます。高値で買うと、少しの下落でパニックに陥ります。
「優良な」の意味
ここで重要なのは、「水面下にある」と同時に「優良な」という条件です。単に株価が下がっているだけの銘柄ではダメで、本質的に優良な企業でなければなりません。
是川氏が日本セメントを選んだのは、日本のセメント業界の大手で、景気回復時には必ず恩恵を受ける企業だったからです。住友金属鉱山を選んだのは、住友財閥の中核企業で、菱刈金山の隣接鉱区も持っていたからです。
万年赤字で経営再建の見込みもない企業を、ただ「安いから」という理由で買うのは、是川流ではありません。
「じっと待つ」の難しさ
カメ三則の第一則で最も難しいのは、実は「じっと待つ」の部分です。
是川氏は日本セメント株を1976年11月から1977年5月まで、約半年間、120円付近で買い続けました。半年間、含み益が大して出ない状況でひたすら買い増し続けるというのは、相当の精神力を要します。
現代の投資家、特に若い世代は、「3ヶ月で結果が出なければダメな投資だ」と考えがちです。しかし是川流では、買ってから売るまでに2〜3年かかるのが当たり前です。「じっと待つ」ことに耐えられないなら、是川流の投資は実践できません。
第二則:経済、相場の動きからは常に目を離さず自分で勉強する
これは「投資五ヶ条」の第一条・第二条と内容が重複していますが、より日常的な行動指針として読み解くべきです。
「常に目を離さず」――つまり、毎日、毎週、定期的に経済と相場の動向を観察し続けるということ。 「自分で勉強する」――他人の解説に頼らず、一次情報に当たって自分の頭で考えるということ。
是川氏は図書館に通って、ダウ平均、銘柄相場、非鉄金属相場、為替、金利を毎日記録し続けたと書きました。現代であれば、もっと簡単にこれらの情報にアクセスできます。しかし、「アクセスできる」ことと「実際にチェックする」ことの間には、大きな溝があります。
現代版・「自分で勉強する」
私が現代投資家にお勧めしたい「自分で勉強する」の具体的な方法は、以下の通りです。
①毎週末、自分のポートフォリオの企業の決算と業界ニュースをチェックする。スマホで30分もあればできます。
②月に1冊、投資・経済・歴史関連の本を読む。年12冊で、5年で60冊。これだけでも教養レベルが激変します。
③主要な経済指標(GDP、CPI、雇用統計、政策金利など)が発表されたら、その背景と影響を自分の言葉で書き留める。3行程度のメモでも構いません。
④自分の投資判断と結果を記録する。なぜ買ったか、なぜ売ったか、結果はどうだったか。これを続けると、自分の判断パターンが見えてきます。
第三則:過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する
これは「レバレッジを使うな」「信用取引で身を滅ぼすな」という戒めです。
是川氏は1935年の綿花相場の仕手戦で、レバレッジを効かせた商品先物取引で大失敗しています。300万円の利益が出ていたものを、解け合いを断った後の相場反転で、1万数千円の損失に変えてしまったのです。
この経験から、「過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する」という鉄則が生まれました。
なぜレバレッジは危険なのか
レバレッジが危険な理由は、突き詰めれば**「時間を奪うから」**です。
レバレッジを使わなければ、株価が下がっても、いずれ戻るまで待てます。会社が倒産しない限り、最悪でもゼロにはなりません。
しかしレバレッジを使うと、株価が下がった時点で追証(追加担保金)が要求されます。これを払えなければ強制決済され、含み損が確定損になります。「いずれ戻る」という余地が失われるのです。
長期で見れば株式市場はおおむね右肩上がりです。しかしその過程には、必ず急落局面が含まれます。レバレッジを使っている投資家は、その急落局面で強制退場させられるリスクが常にあります。
「手持ち資金」の定義
「手持ち資金の中で行動する」という言葉を、もう一段深く解釈したいと思います。
「手持ち資金」とは、単に銀行口座にあるお金、という意味ではありません。**「最悪ゼロになっても生活に影響しないお金」**こそが、真の「手持ち資金」だと私は考えます。
来年子どもの大学進学費用に使う予定の貯金は、「手持ち資金」ではありません。住宅ローンの繰上返済用の貯金も、「手持ち資金」ではありません。これらを株式投資に回すのは、レバレッジを使っているのと本質的には同じです。なぜなら、必要な時に引き出せないリスクがあるからです。
是川流に則るなら、投資に回すのは「失っても痛くない」資金だけ。これが本当の意味での「手持ち資金の中で行動する」だと、私は理解しています。
13. 「もうはまだなり、まだはもうなり」――相場格言の本当の意味
是川銀蔵氏が自伝で何度も引用している相場格言が、「もうはまだなり、まだはもうなり」です。これは江戸時代の伝説的米相場師、本間宗久(1724-1803)の『相場三昧伝』に出てくる言葉で、相場の世界では最も有名な格言の一つです。
ちなみに本間宗久は、是川銀蔵以前の「日本最大の相場師」と呼ばれた人物で、ローソク足チャートの原型を作ったとされる人物でもあります。
格言の表面的な意味
この格言の表面的な意味は、先に書きました。
- 「もう底だ」と多くの人が思うとき、実はまだ下がる余地がある(あるいは、まだ上がる余地がある)
- 「まだ大丈夫」と多くの人が思うとき、実はもう天井(あるいは底)である
要するに、人間の直感的な相場判断は、しばしば現実と逆になる、という教えです。
より深い解釈
しかし私は、この格言にはもっと深い意味があると考えています。それは、**「自分の心理状態を客観視せよ」**という教えです。
人間は相場を見るとき、自分の感情から完全に独立して判断することはできません。買った銘柄が上がれば嬉しい、下がれば悲しい、もっと上がってほしいと願う、損切りしたくないと願う――こうした感情が、判断を歪めます。
「もうはまだなり、まだはもうなり」を実践するとは、この自分の感情を一歩引いて観察できるようになることです。「私は今、もっと上がってほしいと願っている。だからこそ、ここで売るべきかもしれない」「私は今、もうダメだと思っている。だからこそ、ここで買うべきかもしれない」――こういう逆張りの思考が、相場では大切なのです。
是川氏が学んだのは「自分の弱さ」
是川氏は同和鉱業株で300億円の含み益を吐き出した経験から、この格言を腹の底から理解したと言います。
彼が学んだのは、相場のテクニックではなく、**「自分の弱さ」**だったのではないかと私は感じます。84歳の経験豊かな相場師でも、含み益が膨らむと欲が出る。「もう少し」「もっと」と思ってしまう。これは人間の本質的な弱さです。
この弱さを認めた上で、どう対処するか。是川氏の答えは、「事前にルールを決めて、そのルールに従う」というものでした。住友金属鉱山では、その教訓が活きました。1230円という具体的な目標値を持って、達成したら売り抜ける――そういう規律で勝負したのです。
現代行動経済学との符合
「もうはまだなり、まだはもうなり」は、現代の行動経済学で言う**「プロスペクト理論」**と完全に符合します。
ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが提唱したプロスペクト理論によれば、人間は利益と損失を非対称に評価します。具体的には:
- 利益局面では、リスク回避的になる(早く確定したがる)
- 損失局面では、リスク愛好的になる(損切りを躊躇する)
これが「コツコツドカン」(コツコツ稼いだ利益を、一度のドカンで失う)という個人投資家の典型的な失敗パターンを生みます。
「まだはもうなり」というのは、「利益が出ているとき、もっと欲しいと思ってリスクを取り続けると、結局すべてを失う」という警告です。 「もうはまだなり」というのは、「損失が出ているとき、もうダメだと諦めて売ると、結局そこが底だった」という警告です。
200年以上前の日本の相場師が、現代の行動経済学と全く同じ結論に達していたという事実は、人間心理の普遍性を物語っています。
実践的な対処法
「もうはまだなり、まだはもうなり」を実践的に活かすには、どうすれば良いのでしょうか。
私の提案は、**「逆指値注文を使う」**ことです。
買う時点で、「いくらまで上がったら売る」「いくらまで下がったら損切りする」というルールを決めて、それを逆指値注文として証券会社に入れておく。後は自分の感情とは関係なく、機械的に売買が執行されます。
これにより、「もっと欲しい」「まだ戻るはず」という感情の誘惑から自分を切り離せます。
是川氏の時代には逆指値注文などありませんでしたから、彼は自分の意志の力で同じことを実行する必要がありました。それが同和鉱業では失敗し、住友金属鉱山では成功したわけです。
現代の投資家は、テクノロジーの力で「自分の弱さ」を補完できます。これを使わない手はありません。
14. 是川流・大局観の養い方
是川銀蔵氏の投資哲学を貫く最重要キーワードが「大局観」です。この大局観を、どうやって養えばいいのか。是川氏の自伝や言行録から、私なりにそのエッセンスを抽出してみました。
大局観の四つの構成要素
私は、是川流の大局観は以下の四つの要素から成り立っていると分析します。
①世界経済の構造理解
是川氏は1930年代から世界各国の経済データを継続的にウォッチし、各国の経済構造、貿易関係、為替の動きを頭に入れていました。日本だけを見ていてはダメで、世界経済の中での日本の位置を理解する必要があります。
現代の投資家にとって重要なのは、米国の金融政策、中国の経済動向、欧州の政治情勢、新興国の動き、商品市場の動向――これらを継続的にウォッチすることです。
②歴史的視点
是川氏は過去の景気循環、過去のバブル、過去の恐慌を徹底的に研究しました。「歴史は繰り返す」とは言いませんが、似たようなパターンは何度も現れます。これを知らずに投資をするのは、地図を持たずに航海するようなものです。
例えば、1929年のウォール街大暴落、1987年のブラックマンデー、2000年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショック、2020年のコロナショック――これらに共通する構造は何か、何が引き金になったのか、回復までにどれくらいかかったのか。こうした歴史的知識が、現在の市場を読む上での基盤になります。
③政治・政策の理解
経済は政治と無関係ではありません。財政政策、金融政策、規制、税制――これらは企業業績や株式市場に直接影響します。
是川氏は福田赳夫首相の発言から日本セメント株を仕込むタイミングを判断しました。住友金属鉱山でも、政府の金属鉱業政策の動向を見ていたはずです。
現代の投資家も、日銀の金融政策、財務省の財政運営、米国FRBの動向、各国中央銀行の動きを把握する必要があります。
④産業構造の変化
技術革新、人口動態の変化、社会的価値観の変化――こうした構造的変化が、産業ごとの勝者と敗者を分けます。
是川氏の時代であれば、戦後復興期、高度経済成長期、安定成長期と、産業構造の変化に応じて勝つ業種が変わっていきました。セメント、鉱業、不動産――こうしたインフラ・素材産業が成長する時期と、技術・サービス産業が成長する時期があります。
現代であれば、AI、半導体、再生可能エネルギー、ヘルスケア、宇宙――こうした分野での構造的変化を読み取ることが、長期的な大局観の核になります。
大局観養成の具体的方法
これらの要素を踏まえて、現代の投資家が大局観を養うための具体的な方法を提案します。
①新聞を読む:日経新聞は最低限。可能なら、英フィナンシャル・タイムズ、米ウォール・ストリート・ジャーナルも目を通せると良い。重要なのは、毎日続けること。
②専門誌を読む:自分の関心ある業界の専門誌を1誌定期購読する。業界の生々しい動きが分かります。
③歴史本を読む:投資の歴史、経済の歴史、戦争の歴史、技術の歴史。バックグラウンド知識が大局観の土台になります。
④旅をする:可能なら、海外、特に新興国に行ってみる。机上の理解と現地で見聞きする実態は、まったく違います。
⑤異業種の人と話す:自分と違う業界の人と話すと、自分の固定観念が崩れます。
⑥定期的な思考整理:月に一度、現在の世界経済の状況、日本経済の状況、自分のポートフォリオの方向性を整理する。書くと整理されます。
これらは一朝一夕では身につきません。是川氏が3年間図書館に通ったように、年単位、十年単位の継続が必要です。しかし、これを続けた投資家とそうでない投資家では、長期的な成果に天と地ほどの差が生まれます。
15. 是川流・銘柄選定術
大局観があっても、実際にどの銘柄を買うかという銘柄選定の段階で誤れば、利益は出ません。是川流の銘柄選定術を、彼の事例から逆算して整理してみましょう。
選定の四つの条件
是川氏が買った銘柄(日本セメント、同和鉱業、住友金属鉱山など)を観察すると、以下の四つの条件を満たしていることが分かります。
条件①:株価が水面下にある
株価が低迷していること。具体的には、過去の高値から大きく下落し、底値圏で揉み合っている状態。
これは「カメ三則」第一則と完全に一致します。日本セメントは120円、同和鉱業は100円台、住友金属鉱山は203円――いずれも、誰もが「もう終わった銘柄」と見ていた時期に仕込まれています。
条件②:本質的価値がある
業界での地位、保有資産、技術力、ブランド、立地など、本質的に価値のある何かを持っていること。
日本セメントは業界大手、同和鉱業は鉱山資源、住友金属鉱山は財閥系で多くの鉱山と隣接鉱区も含めた資源――それぞれ確固たる本質的価値がありました。
条件③:触媒(カタリスト)が見える
株価を上昇させるきっかけになりそうな事象が、近い将来発生する見込みがあること。
日本セメントの場合は政府の景気対策、同和鉱業の場合は非鉄金属相場の反発、住友金属鉱山の場合は菱刈金山の開発――それぞれ明確な触媒がありました。
条件④:自分の専門性が活きる
是川氏自身の知識や経験で、その銘柄の価値を他人より深く理解できること。
鉱山系の銘柄が多いのは、朝鮮での鉱山経営経験が活きるからです。自分が深く理解できる分野で勝負する――これは投資の鉄則です。
現代投資家への適用
この四条件は、現代の投資にもそのまま使えます。
①株価が水面下にあるか:PERが業界平均より低い、PBRが1倍を割っている、過去3年で株価が大きく下落している、など。
②本質的価値があるか:自己資本比率が高い、フリーキャッシュフローが安定している、市場シェアが大きい、ブランド力がある、独自技術がある、など。
③触媒が見えるか:新製品の発表予定、業界規制の変更、経営陣の交代、構造改革の進展、市場環境の変化、など。
④自分の専門性が活きるか:自分の仕事や趣味、経験で深く理解できる業界か。
この四条件を満たす銘柄を継続的に探すことが、是川流銘柄選定術の核心です。
避けるべき銘柄
逆に、是川流で避けるべき銘柄も明確です。
①既に値上がりした銘柄:話題になってから買うのは遅い。 ②本質的価値のない銘柄:万年赤字、債務超過、業界衰退、技術的に陳腐化、など。 ③触媒のない銘柄:株価を動かす材料が見えない銘柄は、長期間塩漬けになる。 ④自分が理解できない銘柄:「人が良いと言うから買う」は最悪。
特に最後の「自分が理解できない銘柄」は重要です。例えば、最先端のバイオ技術や半導体製造装置の技術的詳細を、医学・工学のバックグラウンドのない人が理解するのは難しいです。それなら、無理してその分野に手を出さず、自分が理解できる分野(例:小売、外食、不動産、消費財など)で勝負すべきです。
16. 是川流・売買タイミング論
銘柄選定の次に重要なのが、売買のタイミングです。是川氏の事例から、彼の売買タイミングの考え方を抽出してみます。
買いのタイミング
是川氏の買いには、いくつかの共通パターンが見えます。
①底値圏での淡々とした買い増し
日本セメントを120円付近で約半年間買い続けた。住友金属鉱山も底値圏から徐々に積み増した。一気に買い上がるのではなく、少しずつ、相手に気づかれないように玉を集める――これが是川流の買い方です。
これは、株価が下落しているときに買えるかどうか、というメンタル面での試練でもあります。多くの投資家は、株価が下がっている銘柄を買うのが怖い。しかし、是川流では、まさにその下がっている時期こそが買い時なのです。
②触媒の前段階での買い
是川氏は、触媒が発動する前に買い始めています。日本セメントは政府の景気対策発表前、住友金属鉱山は菱刈金山の話題が広まる前。
触媒が発動した後に買うと、株価は既に上昇してしまっています。是川流の買い方は、「触媒が発動するはずだ」と自分で予測して、その前に仕込むというものです。これは大局観と銘柄分析の両方が必要で、難易度が高いです。
③暴落時の冷静な追加買い
住友金属鉱山では、1982年3月に半月で772円から420円まで急落する局面がありました。普通の投資家ならパニックになって損切りするところですが、是川氏はおそらく追加買いか、少なくとも持ち続けることを選んでいたはずです。
自分の分析に確信があるなら、短期的な価格変動には動じない――これが是川流の心構えです。
売りのタイミング
売りについては、是川氏自身が同和鉱業で失敗していますので、彼の中でも難易度の高いテーマでした。
①目標株価到達での売り
住友金属鉱山では、1230円付近で売り抜けています。事前に「ここまで上がったら売る」という目標株価を設定し、そこに到達したら機械的に売る、というルールです。
②時間軸での売り
日本セメントを1976年11月から買い始めて1977年の300円台で売却。約1年で売り抜けています。これは「景気対策→需要回復→業績改善→株価上昇」というシナリオが完成するまでの時間を見越したものです。
③過熱感での売り
「腕力相場」「値上がり株の深追い」を避ける、という観点。株価が業績や本質的価値から大きく乖離して上昇したと感じたら売る。
売りで失敗する三つのパターン
是川氏自身の経験から、売りで失敗する典型的なパターンを整理できます。
パターン1:欲ボケ 「もっと上がるはず」という欲望で売り場を逃す。同和鉱業の900円→売り損ねの典型例。
パターン2:判断麻痺 含み益が大きすぎて、売る決断がつかない。「もう少し様子を見よう」と先延ばしし続ける。
パターン3:感情的執着 特定の銘柄に思い入れがありすぎて、客観的に売れない。持田製薬がこのパターン(後述)。
売りの戒律
これらの失敗を防ぐために、是川氏は自分なりの戒律を持っていたはずです。
①事前に目標株価を決める:買う前に「ここまで上がったら売る」と決めておく。 ②売却のシナリオを書く:いつ、どんな状況で、どう売り抜けるかを具体的に考えておく。 ③含み益で判断しない:「○○億円儲かった」という気持ちで判断しない。 ④ニュースで売る:そのニュースを聞けば、自分が想定していたシナリオが完了したと判断できるニュースが出たら売る。
17. 是川流・リスク管理術
是川銀蔵氏は何度も大きな失敗を経験しました。綿花相場での損失、同和鉱業株での欲ボケ、持田製薬での親心の暴走。にもかかわらず、彼は95歳まで投資家として活動し続けることができました。これは彼が、結果的に「破滅しないためのリスク管理」を実践していたからです。
「破滅しない」が最優先
是川氏のリスク管理の根本は、「儲けることよりも、破滅しないこと」だったと私は考えます。
これは『相場師一代』の冒頭でも明確に語られていることです。彼は同時代の他の相場師たちが、最後はみんなすっからかんになって寂しく退場していくのを見てきました。「大勝負師といわれる人は一人の例外もなく、消え去ってしまっている」――この観察から、彼は「相場師の運命は破滅と隣り合わせ」という認識を持っていました。
だからこそ彼は、レバレッジを慎重に使い、過大な思惑を避け、生活そのものを質素に保ち続けたのです。
質素な生活というリスク管理
是川氏の生活の質素さは伝説的です。長者番付で日本一になった年も、彼は派手な生活をしませんでした。晩年に住んでいたのは2LDKのマンション。スーツも靴も古びたものを愛用し、無駄遣いを嫌いました。
これは「相場師の美学」というよりも、極めて合理的なリスク管理だったと私は分析します。
なぜなら、生活費が小さければ、相場で大失敗しても生活を維持できます。逆に、儲けたお金を高級住宅や別荘、高級車に注ぎ込んで生活費を膨らませてしまうと、相場で負けたときに生活レベルを維持できず、無理な勝負に出てさらに損失を拡大する――そういう悪循環に陥ります。
「もう一度株をやらせてくれ」
実は是川氏は同和鉱業株の失敗の後、ほぼ破産寸前の状態でした。野村証券や丸荘証券が異例の肩代わりをしてくれてかろうじて生き残ったわけですが、彼はそこから「もう一度株をやらせてくれ」と再起を願います。
そして、その再起の機会として現れたのが、菱刈金山の発見と住友金属鉱山の大相場でした。
この事実が示すのは、**「破滅しなければ、いつでも再起できる」**ということです。完全に破産してしまえば、二度と相場には戻れません。しかし、最後の最後で踏みとどまれば、次のチャンスは必ずやってきます。
現代版・是川流リスク管理
現代の個人投資家が是川流のリスク管理を実践するには、以下のような具体的なポイントがあります。
①信用取引・FX・暗号資産のレバレッジには手を出さない
最大のリスクは過大なレバレッジです。これに手を出さないだけで、破滅リスクは劇的に下がります。
②生活費の確保
最低でも1年分、できれば2年分の生活費を、株式投資とは別の口座に確保しておく。これがあれば、暴落時に慌てて売る必要がなくなります。
③ポジションサイジング
一銘柄に投じる金額を、運用資金の20%以下に抑える。是川氏は集中投資の人でしたが、それは並外れた分析力があってこそ。普通の投資家は分散すべきです。
④損切りラインの設定
買う前に、「ここまで下がったら諦める」というラインを決めておく。これを下回ったら、悲しくても機械的に損切りする。
⑤定期的なポートフォリオ見直し
四半期に一度はポートフォリオ全体を見直し、リスクが偏っていないか確認する。
⑥自分の生活レベルを上げない
これは是川氏に最も学ぶべき点です。投資で儲かっても、生活レベルを上げない。これだけで、相場の浮き沈みに精神的に振り回されにくくなります。
18. 持田製薬の失敗――親心が招いた百億円の損失
是川銀蔵氏の数ある失敗の中でも、最も人間的で、最も悲しいエピソードが、持田製薬株での失敗です。これは投資判断と私情を切り離せなかった例として、深く語り継がれています。
長男・正顕の喉頭癌
是川氏には、自慢の長男がいました。是川正顕(まさあき)氏。京都大学を卒業し、地学者として国際的に活躍する人物でした。フランクフルト大学理学部教授、同大結晶学研究所所長というポジションは、外国人として初めて就任した日本人とも言われています。ノーベル賞候補とも噂された逸材でした。
その長男が、喉頭癌に冒されました。療養のため日本に帰国します。
父・銀蔵にとって、これがどれほどの衝撃だったかは想像に余りあります。漁師の息子から日本一の納税者になり、息子は世界的な学者になった――その息子が、若くして癌に倒れた。
「OH-1」という制癌剤
是川氏は、持田製薬と岡山大学医学部が共同開発中の制癌剤「OH-1」の存在を知ります。林原生物化学研究所(現・ナガセヴィータ)が癌の特効薬を開発しており、持田製薬がその販売権を持っていました。
是川氏は自分で何度も調べ、この薬の可能性を信じて、持田製薬株を猛烈に買い始めました。当時の市場はちょうど「制癌剤ブーム」で、薬品株は人気セクターでした。
持田製薬の株価は2500円から、なんと16600円まで大暴騰します。是川氏も初めは含み益を抱えていたでしょう。
親心が判断を狂わせる
しかし、ここで是川氏の親心が決定的な役割を果たします。
普通の投資家であれば、株価がここまで急騰すれば「過熱しすぎだ」と利益確定するところです。是川流の哲学に従えば、「腕力相場は敬遠する」「値上がり株の深追いは禁物」となるはずです。
しかし、息子の癌を治してやりたいという親心が、是川氏に「OH-1は本当に効くはずだ」「持田製薬の株価はまだ上がるはずだ」と信じさせ続けました。これは投資判断ではなく、祈りでした。
結果として是川氏は、高値圏でも買い続け、最終的に株価が下落した時には100億円前後の損失を出したと言われています。
1985年、長男逝去
そして1985年、長男・正顕氏は57歳で病死します。父である是川氏は、息子を救うこともできず、株でも大損失を出すという、二重の悲しみを背負うことになりました。
この失敗から学ぶこと
持田製薬の失敗は、是川氏の人間味あふれるエピソードとして語られますが、投資哲学の観点からも極めて重要な教訓を含んでいます。
教訓1:私情を持ち込むな
投資判断には、私情(個人的な感情、思い入れ、希望)を持ち込んではいけない。これは是川氏ほどの相場師でも守れなかったルールです。
私たちは、自分が応援している企業の株を「応援したいから」買うことがあります。自分が好きな商品を作っている会社の株を「贔屓したいから」買うことがあります。これらはすべて、私情です。
私情で買った株は、判断が歪みます。客観的に見て売るべきタイミングでも、「もっと頑張ってくれ」と願って持ち続けてしまう。
教訓2:人生最大の関心事と投資を結びつけない
是川氏にとって長男の癌は人生最大の関心事でした。だからこそ、持田製薬という関連銘柄に異常な思い入れを持ってしまった。
現代でも、自分の親が病気になったから医療関連株を買う、自分の子どもが学校でいじめにあったから教育関連株を買う、というようなことは避けるべきです。投資と人生最大の関心事は、切り離して考えるべきです。
教訓3:成功体験の後ほど慎重に
是川氏が持田製薬で大失敗したのは、住友金属鉱山の大成功の数年後でした。日本一の納税者となり、自信が頂点に達していたタイミングです。
人間は、成功体験の後で最も危険な判断をします。「自分は何でも見抜ける」「これも必ず当たる」という慢心が、冷静な判断を曇らせます。
成功した直後こそ、自分の判断を疑う習慣が必要です。
教訓4:失敗を語ることの強さ
是川氏が偉大なのは、これだけの失敗を自伝で赤裸々に語っていることです。「100億円の損を出した」「親心で判断を誤った」――こうした恥ずかしい話を、彼は包み隠さず書き残しました。
これは後世への警告であり、彼の誠実さの表れです。多くの投資家は成功談しか語りません。失敗は隠します。しかし、本当の価値があるのは失敗の方なのです。
19. 誠備グループとの対決――売りで挑んだ伝説の戦い
是川銀蔵氏の戦いの中で、「最後の相場師、健在」と兜町で改めて存在感を示したのが、1980年から81年にかけての投機集団「誠備」グループとの対決です。
誠備グループとは
誠備グループは、加藤暠(かとう・あきら)氏が率いた投機集団です。1970年代後半から80年代初頭にかけて、株価操縦に近い手法で「誠備銘柄」と呼ばれる銘柄群を急騰させ、市場で大きな影響力を持ちました。
代表的な「誠備銘柄」には、宮地鉄工、サンウェーブ工業、北野建設、新潟鉄工所などがありました。これらの銘柄は、誠備グループの買い占めと情報操作によって、業績の裏付けを超えて急騰する典型的な「腕力相場」でした。
是川氏、売りで挑む
是川氏は、誠備グループの仕掛ける株価吊り上げに対して、空売りで対抗するという、極めて挑戦的な戦略を取りました。
なぜ彼は売りに回ったのでしょうか。
第一に、**「腕力相場は必ず崩れる」**という確信。業績の裏付けがない上昇は、いずれ必ず元の水準まで戻る。 第二に、誠備グループへの倫理的反発。投機による株価操縦は、健全な株式市場のあり方ではないという信念。 第三に、自分の哲学への忠実さ。「投資5ヶ条」第四条「腕力相場は敬遠する」を、敬遠どころか売りで挑む形で実践した。
結末
1981年、誠備グループのリーダーである加藤暠氏が脱税容疑などで摘発されると、誠備銘柄は一斉に暴落しました。是川氏の売りは見事に的中し、約60億円の利益を得たと伝えられています。
兜町では「是銀、健在」と評判が広がりました。84歳になっていた是川氏が、若い世代の投機集団に対して、独力で売りを浴びせて勝利する――これは投資史に残る痛快な逆転劇でした。
この対決から学ぶこと
誠備との対決から、いくつかの重要な教訓が引き出せます。
教訓1:腕力相場は必ず崩れる
業績の裏付けがない上昇は、いつかは終わります。誠備銘柄が暴落したのは、加藤氏の摘発という具体的なきっかけがあったからですが、たとえそれがなくても、いずれは崩れていたはずです。
短期的な値動きで利益を取ることは可能ですが、長期的には必ず本質的価値に収斂します。これは投資の鉄則です。
教訓2:誰の側に立つかが大事
是川氏は誠備グループの「カモ」になるのではなく、その対極の立場を取りました。市場で踊らされる側ではなく、踊らせている人たちの間違いを見抜く側に立った。
現代でも、SNSで持ち上げられる銘柄、テレビで紹介される銘柄に飛びつく投資家は、踊らされる側です。一方、その熱狂を冷ややかに観察し、過熱しすぎを見抜ける投資家が、本当の勝者になります。
教訓3:空売りは諸刃の剣
ただし、是川氏自身は空売りについて、慎重な姿勢を示しています。「私はつねづね、人の不幸に乗じてカネを儲けたくない」と語り、潰れかかっている会社に空売りでとどめを刺すような取引は避けてきたといいます。
誠備グループのような投機集団に対しては容赦なく売りを浴びせましたが、これは「正々堂々たる勝負」という大義名分があったからこそです。
教訓4:高齢でも勝てる
84歳の老人が、若い世代の組織的投機集団を打ち負かす――これは年齢が投資家としての能力に直結しないことを示しています。むしろ、経験と判断力が問われる場面では、高齢者の方が有利な場合すらあります。
20. 是川銀蔵の倫理観――「人の不幸では儲けない」
是川銀蔵氏を語る上で、絶対に外せないのが彼の倫理観です。これは単なる「いい人」のエピソードではなく、彼の投資哲学の根幹に関わる重要な要素です。
関東大震災の利益を寄付
1923年の関東大震災後、是川氏はバラックの需要を見越してトタン板を買い占め、大きな利益を得ました。これは典型的な「災害特需」での利益です。
しかし彼は、「他人の不幸によって得た利益だから」という理由で、利益の半分を大阪府に寄付しました。当時としては異例の行動です。
リッカー倒産時の空売り拒否
1980年代、大手ミシンメーカーのリッカーが倒産する前、是川氏は証券会社から「材料を提供するから空売りで儲けないか」と勧誘されたといいます。
しかし彼はこれを断りました。「人の不幸に乗じてカネを儲けたくない」と。
これは是川氏の一貫した姿勢でした。空売りそのものを否定するわけではなく(誠備銘柄では売りで勝負した)、潰れかかっている会社にとどめを刺すような取引は避けるという、明確な線引きをしていたのです。
「正々堂々」の哲学
是川氏が繰り返し語っていたのが、「正々堂々と勝負したい」という考えです。
彼の言葉を借りれば、たとえ失敗しても、誰からも非難されないような正々堂々たる失敗をしたい――そういう信念を持っていました。これは株式投資だけでなく、人生全般に対する姿勢でした。
「人間は金の奴隷ではない」――彼はそう言い切っています。お金を稼ぐことは大事だが、お金のために自分の人格を売り渡してはいけない、という思想です。
倫理観が投資の長期的成功を支える
私は、是川氏の倫理観が、彼の投資家としての長期的な成功を支えた重要な要因だったと考えています。
なぜか。
①市場参加者からの信頼
同和鉱業株で破産寸前になったとき、野村証券や丸荘証券が異例の肩代わりをしてくれたのは、是川氏が普段から「正々堂々」「人の不幸では儲けない」を貫いてきたからこそです。もし彼が手段を選ばない冷酷な相場師だったら、誰も助けてはくれなかったでしょう。
市場というのは、最終的には人間関係で成り立っています。良い情報を教えてくれる人、いざという時に支援してくれる人――こうしたネットワークは、倫理観の積み重ねの上にしか築けません。
②心理的な安定
「綺麗な勝負」を貫いていれば、夜よく眠れます。逆に、人を欺いたり追い詰めたりして得た利益は、心に重荷を残します。長期的に相場と向き合うためには、心理的な安定が不可欠で、それは倫理的な生き方からしか得られません。
③ブランドとしての価値
是川氏が住友金属鉱山株を買い始めたというニュースが流れただけで、多くの投資家が追随しました。これは是川氏が「信頼できる相場師」という「ブランド」を持っていたからです。
倫理観のない相場師の買いには、誰もついていきません。「裏切られるかもしれない」「カモにされるかもしれない」と警戒されるからです。是川氏の倫理的な評判は、結果として彼の相場における影響力を高めました。
現代投資家への示唆
倫理観と投資の関係について、現代の私たちが学ぶべきことは何でしょうか。
①SNSでの情報操作に加担しない:自分が買っている銘柄を、他人に推奨してから売り抜けるような行動は厳禁。これは「ポンプ・アンド・ダンプ」と呼ばれる違法行為に近いです。
②インサイダー的情報を悪用しない:仕事で得た非公開情報を投資に使うのは法律違反です。
③自分が信じない銘柄を他人に勧めない:「これは自分は買わないけど、君は買ってみたら?」というような誘い方は、相手にも自分にも嘘をついていることになります。
④失敗を隠さない:自分の投資判断ミスを認めて、他人と共有する勇気を持つ。これが業界全体の倫理観を上げます。
是川氏の倫理観は、ある意味で古臭く感じるかもしれません。「綺麗事だ」と片付ける人もいるでしょう。しかし、95年の生涯を通じて多くの人に愛され、敬われ、最後は奨学財団に私財を投じて貧しい子どもたちを支えた人物の生き方には、現代の私たちが学ぶべき何かが必ずあります。
21. 是川奨学財団――株で得た利益の使い道
是川銀蔵氏の人生の集大成として絶対に語らなければならないのが、是川奨学財団の設立です。
1979年、私財14億円
1979年、是川氏は私財14億円を投じて、是川奨学財団(当時は是川福祉基金、現・公益財団法人是川奨学財団)を大阪府に設立しました。
これは交通遺児などの恵まれない子どもたちを支援するための財団で、現在も活動を続けています。
14億円という金額の大きさを、当時の貨幣価値で考えてみましょう。1979年の14億円は、現代の感覚で言うと数十億円規模の話です。住友金属鉱山の大相場(1981-82年)の前ですから、彼にとっては相当な比率の私財を投じたことになります。
なぜ寄付したのか
是川氏が自伝『相場師一代』のあとがきで述べているところによれば、株で儲けた金は、世の中の恵まれない子どもたちのために使いたい、それが生きがいなのだ――そういう考えだったといいます。
これは唐突に出てきた発想ではなく、是川氏の人生を通じての価値観に根ざしたものです。彼自身が貧しい漁師の息子として生まれ、14歳で丁稚奉公に出された経験を持っています。お金のために学業を断念せざるを得なかった子どもたちの気持ちを、彼は実感として理解していたのです。
「裸一貫で死ぬ」
是川氏は、自分の財産を子孫に残すことに、あまり関心を示しませんでした。むしろ、「相場師は最後は裸一貫で死ぬべきだ」という美学を持っていたように見えます。
実際、彼の最晩年の1991年には、所得税6億8000万円を滞納していたため、自伝『波乱を生きる』の印税が大阪国税局に差し押さえられたという報道があります。彼自身が自伝で「株の利益は一銭も残っていない」と語っているように、株で得た利益は税金と寄付で消えていったのです。
是川氏が亡くなった後に遺された財産は、2LDKのマンション一室だけだったと伝えられています。
儲けた金の使い道という最も難しい問題
実は、投資の世界で最も難しいテーマは、「儲けた金をどう使うか」かもしれません。多くの投資家は、儲けた金で家を買い、車を買い、贅沢な生活を始めて、いつしか相場の感覚を失っていきます。
是川氏は違いました。儲けた金を使って自分の生活レベルを上げることは一切せず、すべて社会に還元しました。これにより、彼は最後まで「ハングリーな相場師」でいられたのです。
お金を増やす目的を問い直す
これは現代の私たちに、根本的な問いを投げかけます。
「あなたは、何のためにお金を増やしたいのですか?」
豪邸に住みたい?高級車に乗りたい?海外旅行に行きたい?早期リタイアしたい?
これらはすべて、お金を「使う」目的です。是川氏のように、「使わない」目的でお金を増やす人は、現代では稀でしょう。
しかし、「使わない目的」を持つことには、投資家として大きな利点があります。
第一に、生活レベルを上げないので、相場の浮き沈みに精神的に振り回されない。 第二に、お金そのものへの執着が薄いので、冷静に判断できる。 第三に、社会に還元する明確なゴールがあるので、目的意識が持続する。
私自身は、是川氏のように私財14億円を寄付できる規模の投資家にはなれません。多くの方も同様でしょう。しかし、「儲けた金の何%は社会に還元する」という習慣を、小さな金額からでも始めることはできます。それが結果として、自分の投資家としての成長にも繋がるはずです。
遺された奨学財団
是川奨学財団は、是川氏の没後30年以上経った現在も活動を続けています。彼が遺した最大の財産は、200億円の儲けでも、長者番付1位の称号でもなく、この奨学財団なのかもしれません。
多くの恵まれない子どもたちが、是川氏の遺した奨学金で学ぶことができ、社会で活躍するようになりました。彼らの中に、また将来の偉大な投資家、起業家、研究者、芸術家が出てくるかもしれません。
これこそが、是川氏の本当の「投資」だったのではないか――私はそう感じます。
22. 是川銀蔵とウォーレン・バフェット――比較考察
是川銀蔵氏の投資哲学を、海外の伝説的投資家と比較してみると、その特徴がより鮮明に見えてきます。まずは「投資の神様」と呼ばれるウォーレン・バフェット氏との比較から始めましょう。
共通点
是川氏とバフェット氏には、驚くほど多くの共通点があります。
①長期投資の重視
バフェット氏の「私の理想の保有期間は永遠だ」という言葉は有名です。是川氏も、銘柄を「水面下で買ってじっと待つ」というスタイルを実践しました。短期売買ではなく、価値が市場に認知されるまで待つというアプローチは共通しています。
②本質的価値の重視
バフェット氏の師であるベンジャミン・グレアム以来、バフェット流バリュー投資の核は「本質的価値より安く買う」ことです。是川氏も住友金属鉱山で、1株純資産1000円超の株を200円台で買うという、同じアプローチを取りました。
③大局観の重要性
バフェット氏は若い頃から世界経済の動向、各国の政策、産業構造の変化を継続的にウォッチしてきました。是川氏も同様に、世界経済の中での日本の位置を常に意識していました。
④質素な生活
バフェット氏は世界有数の大富豪でありながら、現在もネブラスカ州オマハの普通の住宅に住み続けています(1958年に31,500ドルで購入)。マクドナルドを愛し、コカ・コーラを飲み、贅沢な生活を一切しません。
是川氏も2LDKのマンション、質素な服装、無駄遣いを嫌う性格でした。
⑤社会への還元
バフェット氏はビル・ゲイツらと共に「The Giving Pledge」を立ち上げ、財産の99%を慈善活動に寄付すると公言しています。是川氏も14億円を奨学財団に寄付しました。
相違点
しかし、両者には大きな違いもあります。
①投資のスケール感
バフェット氏は若い頃から複利効果を信じて、長い時間をかけて資産を増やしてきました。1956年に小さな投資パートナーシップを始め、約60年かけて世界有数の資産家になりました。
一方、是川氏は70代後半まで本格的な投資家としてのキャリアを積まず、80代になってから大相場で巨利を得るというスタイルでした。複利よりも、大きな一発勝負を好む傾向がありました。
②集中投資 vs 分散投資
バフェット氏は「自分が理解できる優良企業に集中投資」というスタイルです。バークシャー・ハサウェイのポートフォリオは、上位5銘柄で全体の7-8割を占めることもあります。
是川氏はもっと極端な集中投資をしました。住友金属鉱山では1500万株(時価数百億円)を一社に集中投資。これは現代の機関投資家から見れば、リスク管理上、考えられないレベルです。
③仕手戦という要素
バフェット氏は「仕手戦」とは無縁の存在です。むしろ、株主として企業を長期に支えることを重視します。
是川氏は、株を買い占めて株価を吊り上げ、相手企業や市場と渡り合う「仕手戦」の要素が強い投資スタイルでした。日本セメント、同和鉱業、住友金属鉱山――いずれも筆頭株主級の保有比率まで買い込み、市場での影響力を行使しました。
④事業経営の経験
バフェット氏も若い頃にバークシャー・ハサウェイ(当時は繊維会社)を経営していますが、メインは投資家としてのキャリアです。
是川氏は事業家としてのキャリアの方が長く、朝鮮で従業員1万人規模の鉱山・製鉄会社を経営した経験があります。この事業経営の経験が、後に住友金属鉱山の鉱業権の取得など、戦略的な動きに活きました。
どちらが「上」か?
「どちらの投資家の方が優れているか」という問いは、無意味です。両者は異なる時代、異なる国、異なる環境で活動した投資家であり、単純比較はできません。
ただ、両者から学べることは確実にあります。
バフェット氏から学ぶべきこと:複利効果の重要性、長期保有の規律、優良企業への集中、自己投資(読書、学習)の継続。
是川氏から学ぶべきこと:大局観の重要性、専門知識の活かし方、底値圏での仕込みの勇気、失敗からの学び、倫理観と社会還元。
両者の長所を組み合わせて、自分なりの投資スタイルを作り上げていく――これが現代の投資家にとっての知恵だと、私は考えます。
23. 是川銀蔵とピーター・リンチ――比較考察
次に、フィデリティのマゼラン・ファンドを13年間運用し、年率29%という驚異的なリターンを叩き出したピーター・リンチ氏との比較を行いましょう。
ピーター・リンチとは
ピーター・リンチ氏は1944年生まれの米国のファンドマネージャーで、1977年から1990年までフィデリティのマゼラン・ファンドを運用しました。彼の運用期間中、ファンドの資産は2000万ドルから140億ドルに成長。年率29.2%という、ミューチュアル・ファンドとしては破格のリターンを達成しました。
著書『One Up On Wall Street』(邦題『ピーター・リンチの株で勝つ』)は、個人投資家のバイブルとして世界中で読まれています。
共通点
是川氏とリンチ氏には、いくつかの注目すべき共通点があります。
①身近なところから投資先を探す
リンチ氏の有名な手法は、「妻が買い物に行く店」「子どもが好きなおもちゃ」「自分の同僚が話題にする会社」など、日常生活の中から投資先を見つけるというものです。スターバックス、ダンキンドーナツ、ホームデポなど、多くの成功投資はこのアプローチから生まれました。
是川氏も同様に、自分の経験と知識が活きる領域(鉱業、不動産、セメントなど)で勝負しました。「自分が理解できる領域」での投資は、両者に共通する哲学です。
②基礎研究の重要性
リンチ氏は徹底した企業研究で知られています。年間500社以上の企業を訪問し、経営陣と直接話したと言われています。
是川氏も、住友金属鉱山では現地視察を何度も繰り返し、埋蔵量を独自に試算するなど、徹底した基礎研究を行いました。
③「人より早く」見つける
リンチ氏は「ウォール街のアナリストがカバーする前の銘柄を狙え」と説きました。誰も注目していない段階で見つけて買い込むのが、大化けの条件だと。
是川氏の「水面下にある優良なものを選ぶ」も、同じ思想です。
④失敗の重要性
リンチ氏は、自分が見逃した投資機会(後に大化けした銘柄を買わなかったケース)を「ten-bagger missed(10倍株を逃した)」として赤裸々に語っています。
是川氏も、同和鉱業の失敗、持田製薬の失敗を自伝で詳しく書いています。
相違点
①投資対象の数
リンチ氏のマゼラン・ファンドは、最大で1400社もの銘柄を保有していました。「すべての石をひっくり返してチェックする」というアプローチで、徹底的な分散投資をしました。
是川氏は逆に、数銘柄に集中投資するスタイル。
②時間軸
リンチ氏の保有期間は比較的短く、業績が予想を下回ったら売る、というプラグマティックなスタイルでした。
是川氏は、シナリオが完成するまで何年でも待つというスタイル。
③テンバガー思考
リンチ氏は「10倍株(テンバガー)」を見つけることを目標にしていました。複数のテンバガーを当てることで、ファンド全体のリターンを引き上げる戦略です。
是川氏は10倍株を狙うというよりも、「本質的価値より安く買って妥当な水準まで戻すのを待つ」というバリュー投資的なアプローチが中心でした。住友金属鉱山では結果として6倍株になりましたが、これは狙ったというより、菱刈金山の発見という稀有な触媒があってこそです。
両者から学ぶべきこと
是川氏とリンチ氏のアプローチは、似て非なるものですが、両者から学ぶべきことを統合すると、強力な投資フレームワークになります。
リンチ氏から学ぶ:身近な観察、徹底した研究、複数の機会への分散、テンバガー思考、業績重視。
是川氏から学ぶ:大局観、長期保有の規律、専門知識の活用、底値圏での仕込み、リスク管理。
特に、現代の個人投資家にとっては、リンチ氏の「身近な観察」と是川氏の「大局観」を組み合わせるのが現実的でしょう。日常の中で気づいた優良企業を、マクロ環境が追い風になるタイミングで仕込む。これが両者の知恵の結合点だと、私は考えます。
24. 是川銀蔵と本間宗久・山崎種二――日本の相場師との比較
最後に、是川氏を日本の歴史的相場師と比較してみましょう。
本間宗久(1724-1803)
本間宗久は、江戸時代の出羽国(現在の山形県)酒田出身の米相場師で、「相場の神様」と呼ばれた人物です。大坂の堂島米相場で活躍し、莫大な財を成しました。
本間が編み出したとされる「酒田五法」は、現代のテクニカル分析の基礎となっています。また、彼の言葉とされる『相場三昧伝』は、相場格言の宝庫です。「もうはまだなり、まだはもうなり」もこの書から来ています。
是川氏との共通点:「相場三昧伝」の格言を、是川氏は座右の銘としていました。本間宗久から200年の時を超えて影響を受けていたわけです。
相違点:本間は商品(米)相場の人で、是川は株式の人。本間はテクニカル(チャート)中心、是川はファンダメンタル中心。
山崎種二(1893-1983)
山崎種二氏は、山種証券(現・SMBC日興証券)の創業者で、是川銀蔵氏と同時代に活躍した相場師です。「売りの山種、買いの是川」と並び称されるほどでした。
山種氏は「上がっているときは売り、下がっているときは買う」という逆張りスタイルで知られました。特に空売りで巨利を得ることが多く、第二次世界大戦中の混乱期にも見事な売買で財を成しました。
是川氏との共通点:徹底した独学、長い時間軸での相場観、社会への還元(山崎氏は山種美術館を設立)。
相違点:山崎は売り中心、是川は買い中心(誠備対決を除く)。山崎は短期売買を含む機動的なスタイル、是川は長期保有が基本。
ちなみに、是川氏の自伝には山崎氏についての言及もあり、二人は同業者として互いの存在を意識していたようです。
日本の相場師に共通する精神
本間、山崎、是川――日本を代表する歴史的相場師に共通する精神は、何でしょうか。
①「武士道」的な美学
「正々堂々」「人の不幸では儲けない」「綺麗な勝負」――これらは日本の武士道に通じる美学です。是川氏が特に強くこの美学を持っていましたが、本間も山崎も、似たような精神を持っていたと言われます。
②社会への還元
本間宗久は飢饉のときに私財を投じて領民を救いました。山崎種二は山種美術館を設立しました。是川銀蔵は奨学財団を設立しました。儲けた金を社会に還元するという伝統が、日本の相場師には脈々と流れています。
③倹約と勤勉
派手な暮らしを嫌い、勤勉に研究を続けるという生活態度。これも日本の相場師に共通する特徴です。
現代の私たちが受け継ぐべきもの
私は、是川氏をはじめとする日本の相場師の伝統から、現代の私たちが受け継ぐべきものは、テクニックや手法以上に、精神性だと考えています。
お金を稼ぐことを目的化せず、社会の中で自分が果たすべき役割を考える。儲けた金を独り占めせず、社会に還元する。派手な生活を求めず、勤勉に学び続ける。
こうした精神性こそが、長期的に相場と向き合い続けるための、最大の支えになります。
25. 現代の個人投資家が是川哲学から学ぶべきこと
ここまで是川銀蔵氏の生涯と投資哲学を詳細に見てきました。最後に、現代の個人投資家が彼から学ぶべきことを、実践的にまとめてみましょう。
学ぶべき10のこと
①自分の頭で考える
「投資5ヶ条」第一条「銘柄は人が奨めるものではなく、自分で勉強して選ぶ」を、徹底的に実践する。SNS、YouTube、テレビ、雑誌――他人の意見を参考にするのは構いませんが、最終判断は必ず自分の頭で行う。
具体的には、買う前に「なぜこの銘柄を買うのか」を300字程度で書き留める習慣を持つ。書けないなら、買わない。
②2年スパンで考える
来週の株価ではなく、2年後の経済環境を予測する。長すぎても短すぎてもダメで、2年というのは是川氏が経験から導き出した最適な時間軸です。
具体的には、四半期に一度、「今後2年間で何が起こりそうか」を整理する習慣を持つ。
③底値圏で仕込む勇気
人気銘柄ではなく、誰も見ていない銘柄を発掘する。これは「逆張り」というメンタル的に難しい行動です。
具体的には、過去3年で株価が半値以下になっている銘柄リストを定期的にチェックする。その中から、本質的価値があるが市場が見落としている銘柄を探す。
④業績を最重視する
短期的な値動きやテーマ、ストーリーに惑わされず、最終的には業績が株価を決めるという原則を忘れない。
具体的には、四半期ごとに保有銘柄の決算をチェックし、業績トレンドが想定通りかを確認する。想定と違ってきたら、ポジションを見直す。
⑤レバレッジを使わない
信用取引、FX、暗号資産のレバレッジには手を出さない。「過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する」を徹底する。
⑥分散と集中のバランス
是川氏は集中投資の人でしたが、それは並外れた分析力があってこそ。普通の投資家は、5〜10銘柄程度に分散するのが現実的。
⑦自分の専門領域で勝負する
自分が深く理解できる業界、自分の経験が活きる分野で投資する。「サークル・オブ・コンピテンス(自分の能力の輪)」の中に留まる、というバフェット流の考え方とも一致します。
⑧失敗を記録し、学ぶ
成功体験よりも失敗体験から学ぶ。失敗を隠さず、自分の判断ミスを振り返る習慣を持つ。
具体的には、投資日記をつける。買った理由、売った理由、結果、学んだことを書き留める。
⑨生活レベルを上げない
儲かっても、生活レベルを安易に上げない。これにより、相場の浮き沈みに精神的に振り回されにくくなる。
⑩社会への還元を考える
儲けた金の使い道として、社会への還元を視野に入れる。寄付、ボランティア、後輩への支援――形は何でも良い。これが投資家としての精神的成熟を促す。
「自分なりの是川流」を作る
是川氏のスタイルをそのまま真似することは不可能です。彼は朝鮮で鉱山経営をした経験があり、84歳まで現役で勝負を続けられる体力と気力を持ち、貧しい家に生まれた強烈なハングリーさがありました。これらすべてを現代人が再現することはできません。
しかし、彼の哲学のエッセンスを抽出して、自分の状況に応用することはできます。
私自身が考える「現代版・是川流」のエッセンスは、以下の通りです:
- 自分の頭で考え抜く
- 大局観を持って2年先を読む
- 自分の専門領域で勝負する
- 底値圏で仕込み、じっと待つ
- 業績を信じ、市場の熱狂に惑わされない
- レバレッジを使わず、手持ち資金で勝負する
- 失敗から学び、記録する
- 質素な生活を続ける
- 社会への還元を視野に入れる
- 倫理観を持つ
これらを実践する投資家は、たとえ200億円の巨利を得られなくても、長期的に確実に資産を増やし、人間としても成長できると私は信じています。
26. 是川哲学の限界――真似してはいけない部分
是川銀蔵氏の哲学を称賛するばかりでは、客観的な評価にはなりません。ここでは、現代の投資家が「真似してはいけない」是川氏の特徴も、率直に指摘しておきましょう。
①極端な集中投資
是川氏は住友金属鉱山で1500万株、同和鉱業で6000万株という、現代の感覚ではあり得ない規模の集中投資を行いました。これがハマれば巨利を生みますが、外れれば破滅します。
実際、同和鉱業では破産寸前まで追い込まれ、証券会社の異例の救済でかろうじて生き残りました。普通の投資家がこれを真似すれば、確実に破滅します。
現代的なアドバイス:一銘柄の投資金額は、ポートフォリオ全体の10〜20%以下に抑える。
②仕手戦的な手法
是川氏は「腕力相場は敬遠する」と言いながら、自身は買い占めによって株価を吊り上げる戦略を取りました。本人の中では矛盾していなかったのでしょうが、客観的には「仕手戦」に近い手法です。
現代の証券取引法では、こうした手法は厳しく規制されています。個人投資家がそもそも資金規模で仕手戦を仕掛けることは不可能ですが、SNSなどで自分のポジションを宣伝して株価を吊り上げるような行為は、違法になる可能性があります。
現代的なアドバイス:株価に影響を与えるような行動は厳に慎む。
③税金を「滞納」する姿勢
是川氏は最晩年の1991年に所得税6億8000万円を滞納し、自伝の印税が差し押さえられました。彼自身の弁では「税制が不当だ」という不満があったようですが、これは法律違反です。
現代的なアドバイス:税金は適切に納める。法律の範囲内で最適な節税は行うが、脱税や滞納は厳禁。
④高齢での大相場
是川氏が大相場で勝負したのは70代後半から80代でした。これは並外れた体力・気力があったからこそできたことで、誰でも真似できることではありません。
特に、認知機能の衰えは年齢とともに不可避です。80代で200億円規模の判断を下せる人は、はっきり言って例外中の例外です。
現代的なアドバイス:高齢になったら、徐々にリスク資産の比率を下げ、保守的な運用に切り替える。
⑤情報源の偏り
是川氏の時代と現代では、利用可能な情報源が桁違いに違います。彼は新聞と図書館の本だけで世界経済を分析しましたが、現代はビッグデータ、AI、リアルタイムデータが手に入ります。
是川流を頑なに守ろうとして、現代の有用な情報源を活用しないのは本末転倒です。
現代的なアドバイス:是川氏の精神を守りつつ、現代のツールを積極的に活用する。
⑥家族への配慮の不足
是川氏は3年間の図書館通いの時期、家族5人を抱えながら極貧生活を強いました。妻と子どもには相当な苦労をかけたはずです。
現代の感覚で言えば、これは家族への配慮を欠いた行動です。投資に没頭するあまり、家族関係を犠牲にする生き方は、現代では推奨できません。
現代的なアドバイス:家族の生活費は、投資資金とは別に確保する。家族との時間も大切にする。
真似すべき部分と、真似してはいけない部分の見極め
是川氏に限らず、伝説的投資家から学ぶ際には、「真似すべき部分」と「真似してはいけない部分」を見極めることが極めて重要です。
是川氏の哲学(投資5ヶ条、カメ三則)は、現代でも普遍的に通用します。これは真似すべき部分です。
一方、彼の極端な行動(集中投資、仕手戦的手法、税金滞納、家族犠牲)は、現代では真似してはいけない部分です。
「全部真似する」のではなく、「本質を学んで、自分の状況に応用する」――これが伝説の投資家から学ぶ正しい姿勢だと、私は考えます。
27. 私なりの結論――是川銀蔵が遺した最大の教訓
ここまで25章にわたって是川銀蔵氏の生涯と投資哲学を詳細に見てきました。最後に、私なりの結論として、彼が遺した「最大の教訓」を整理したいと思います。
最大の教訓は何か
是川氏の生涯から私が読み取る最大の教訓は、何でしょうか。
「投資5ヶ条」でしょうか? 「カメ三則」でしょうか? 住友金属鉱山の200億円の勝利でしょうか? 同和鉱業の300億円の損失でしょうか?
これらはすべて重要な教訓ですが、私が最も重要だと考えるのは、それらの根底にある**「投資は人生の縮図である」**という認識です。
投資哲学は人生哲学
是川氏の投資哲学は、単なる「お金を増やすテクニック」ではありません。それは、彼の人生哲学そのものです。
「自分の頭で考える」――これは投資だけでなく、生き方の原則です。 「大局観を持つ」――これは投資だけでなく、キャリア、人生設計、子育てにも通じます。 「水面下で仕込む」――これは投資だけでなく、人生のあらゆる局面で「先手を取る」発想です。 「過大な思惑はせず、手持ち資金で行動する」――これは投資だけでなく、人生全般での「身の丈」の重要性です。 「不測の事態はつきもの」――これは投資だけでなく、人生のリスク管理そのものです。
是川氏が95年の生涯で示したのは、投資家としてどう振る舞うべきかではなく、人間としてどう生きるべきかという問いへの一つの答えだったのです。
「相場で成功するのは不可能に近い」という警告
是川氏が自伝『相場師一代』を書いた動機は、「株で成功することは不可能に近いという事実を伝える使命がある」というものでした。
これは、自身が長者番付1位になった人物の言葉とは思えない、強烈な警告です。
なぜ彼はこの警告を発したのか。それは、彼自身が三度の倒産、綿花相場の失敗、同和鉱業の300億円逃し、持田製薬の100億円損失、最晩年の税金滞納など、波乱の連続だったからです。
「相場で成功した」と言える瞬間が、彼の95年の人生の中に確実にありました。しかし、最後に手元に残ったのは、税金滞納の汚名と2LDKのマンション一室。彼自身、自伝で「すっからかんになった」と言い切っています。
これは何を意味するのか。
私の解釈は、こうです。お金を増やすこと自体は、人生の本質ではない。
是川氏は200億円を稼ぎ、200億円を税金や寄付で社会に還元しました。差し引きすれば、彼の手元には大した金は残らなかった。しかし、彼の人生は無意味だったでしょうか?
絶対にそうではありません。
彼は、漁師の七男坊から日本一の納税者になりました。 彼は、自伝を書き残し、後世の投資家に大きな影響を与えました。 彼は、奨学財団を設立し、何千、何万の子どもたちの未来を支えました。 彼は、「正々堂々」の生き方を貫きました。
これらは、お金では測れない価値です。そして、これこそが「相場で成功する」ということの本当の意味なのかもしれません。
最後に
是川銀蔵氏は、1992年9月12日、95歳でその生涯を閉じました。死因は老衰でした。
彼が残した遺産は、2LDKのマンション一室と、奨学財団と、自伝『相場師一代』、そして無数の投資家に与えた知恵でした。
私たち現代の個人投資家は、是川氏から学ぶことが山ほどあります。技術的な「投資5ヶ条」と「カメ三則」だけでなく、その背後にある人生哲学全体を、できる限り深く理解しようと努めることが大切です。
そして願わくは、私たち一人ひとりが、自分の人生において、自分なりの「是川流」を確立できますように。儲けることだけを目的とせず、知恵を磨き、社会に貢献し、最後は誇りを持って人生を終えられるような――そんな投資家、そんな人間になれるように。
是川銀蔵氏の遺してくれた知恵は、お金を増やすためのテクニックではなく、人生をより豊かに、より深く生きるための指針なのです。
私はこの記事を通じて、是川銀蔵氏という稀有な人物の存在を、できる限り多くの人に知ってもらえることを願っています。彼の知恵は、令和の時代を生きる私たちにとっても、決して色褪せることのない宝物です。
28. 参考資料
本記事の執筆にあたり、以下の資料を参考にしました。一次情報については、原典をご確認いただくことを強くお勧めします。
是川銀蔵氏自身の著作(一次資料)
- 是川銀蔵『波乱を生きる――相場に賭けた六十年』講談社、1991年。ISBN 4-06-204047-6。 ※是川氏が93歳のときに記した自伝の単行本版。
- 是川銀蔵『相場師一代』小学館文庫、1999年。ISBN 4-09-403471-4。 ※上記『波乱を生きる』の文庫版。現在最も入手しやすい是川氏の自伝。 ※本記事で引用した是川氏の言葉の多くは、この『相場師一代』に基づいています。
是川銀蔵氏に関する伝記・解説書
- 中村光行『希代の相場師 是川銀蔵』KKベストブック、1982年10月30日初版発行。 ※住友金属鉱山の大相場の最中に出版された、当時の評伝。
- 木下厚『是川銀蔵の戦い 証券史上に残る稀代の勝負師一代記』世界文化社、1989年9月。ISBN 4-418-89607-4。 ※是川氏の生涯と相場を詳細に追った伝記。
- 木下厚『是川銀蔵の株必勝法 “株の神様”の知恵を盗め!』ロングセラーズ、1990年6月。ISBN 4-8454-0313-7。 ※是川氏の投資手法に焦点を当てた解説書。
投資哲学全般の参考文献
- 桑原晃弥『株式投資 100の金言』さくら舎。 ※是川銀蔵を含む様々な投資家の金言を集めた本。
- 山下裕士『伝説のファンドマネジャーが見た日本株式投資100年史』クロスメディア・パブリッシング。 ※日本の株式投資史の中での是川銀蔵の位置づけが分かる本。
- ピーター・リンチ『ピーター・リンチの株で勝つ』ダイヤモンド社。 ※比較対象として参考にした、米国の伝説的ファンドマネージャーによる古典。
Web上の参考資料
- Wikipedia「是川銀蔵」: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AF%E5%B7%9D%E9%8A%80%E8%94%B5 ※基本的な経歴情報の確認に利用。
- Wikipedia「菱刈鉱山」: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E5%88%88%E9%89%B1%E5%B1%B1 ※菱刈金山の地質学的特徴や生産量データの確認に利用。
- 住友金属鉱山株式会社 公式サイト「菱刈鉱山(資源)」: https://www.smm.co.jp/corp_info/location/domestic/hishikari/ ※菱刈鉱山の現在の操業状況、品位データの一次情報源。
- コトバンク「是川銀蔵」: https://kotobank.jp/word/%E6%98%AF%E5%B7%9D%E9%8A%80%E8%94%B5-1076154 ※『20世紀日本人名事典』『日本人名大辞典』の項目を参照。
関連する解説記事
- 「『最後の相場師』是川銀蔵に学ぶ株式投資の基本原則」資産形成.com: https://asset-formation.com/korekawa-ginzo-famous-quote
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- 「是川銀蔵から投資を学ぶ! 『最後の相場師』の成功と失敗からわかること」1億人の投資術: https://oneinvest.jp/koregin/
- 「最後の相場師 是川銀蔵の人生」note: https://note.com/takuto0908/n/n976206ce9ff0
- 「最後の相場師・是川銀蔵の名言を押さえておきたい」おとなの株ラウンジ: https://kabu-lounge.com/investors/korekawa-ginzou/
- 「長者番付1位の『最後の相場師』是川銀蔵から学ぶ投資の3つの心得」LIMO: https://limo.media/articles/-/18541
- 「『最後の相場師』こと是川銀蔵 遺産は2LDKマンションだけ」NEWSポストセブン: https://www.news-postseven.com/archives/20130716_198790.html
- 是川銀蔵関連ページ・かぶどりーむ: https://www.kabudream.com/ginnzou/gn.html
関連書籍
- 本間宗久『本間宗久翁秘録』(『相場三昧伝』の名でも知られる) ※是川氏が引用した「もうはまだなり、まだはもうなり」の原典。
- ベンジャミン・グレアム『賢明なる投資家』 ※バリュー投資の古典。是川氏の投資哲学とも親和性が高い。
- ウォーレン・バフェット関連の各種著作・伝記 ※比較考察のために参照。

