氷河期世代の子ども世代に伝えたいたった一つのこと

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氷河期世代の子ども世代に伝えたいたった一つのこと

子どもがいない私が書く資格

私には子どもがいない。結婚していないから、子どもはいない。子どもがいない人間が「子ども世代に伝えたいこと」を書く資格があるのか。少し迷った。

だが氷河期世代の「子ども世代」は、自分の子どもに限らない。甥や姪。同世代の友人の子ども。あるいは、職場で出会う若い世代。社会全体の「次の世代」に向けて、伝えたいことがある。

伝えたいことは一つだけだ。たくさんのことを伝えたい気持ちはあるが、たくさん言っても伝わらない。一つだけに絞る。

伝えたいたった一つのこと

それは、「社会のせいにしていい」ということだ。

氷河期世代は、「自己責任」を浴び続けた世代だ。就職できないのは自分のせい。正社員になれないのは努力が足りないから。貯金がないのは浪費したから。結婚できないのは人間的な魅力がないから。すべてが個人の責任に帰された。

この「自己責任」の重圧で、多くの同世代が苦しんだ。苦しみながら、自分を責め続けた。責め続けた結果、自己肯定感が低くなり、声を上げることができなくなり、状況の改善を求めることすらしなくなった。「自分が悪い」と思い込んでいるから、社会に文句を言えない。文句を言えないから、社会は変わらない。変わらないから、苦しみが続く。

次の世代には、この轍を踏んでほしくない。

もし何かうまくいかないことがあったとき。就職がうまくいかない、給料が上がらない、将来が見えない。そういうとき、まず「自分が悪いのか、社会の構造に問題があるのか」を冷静に分析してほしい。分析した結果、自分の努力で改善できる部分は改善すればいい。だが構造的な問題であれば、「社会のせいだ」と言っていい。言うべきだ。

「社会のせいにするな」と言われるかもしれない。「他責思考はダメだ」と言われるかもしれない。だが構造的な問題を個人の責任にすり替えることのほうが、よほどダメだ。個人に責任を押し付けることで、構造の問題が隠蔽される。隠蔽されると、改善されない。改善されないと、次の世代も同じ目に遭う。

声を上げることは、わがままではない。権利だ。社会がおかしいと思ったら、おかしいと言っていい。言うことで、少しずつ社会が変わる可能性がある。黙っていたら、何も変わらない。氷河期世代は黙りすぎた。黙りすぎた結果、20年間放置された。

次の世代には、黙らないでほしい。声を上げてほしい。上げた声が届かないことも多いだろう。届かなくても、上げ続けてほしい。上げ続けることで、いつか届く。届いたとき、社会が変わる。変わった社会の恩恵を受けるのは、声を上げた本人かもしれないし、そのまた次の世代かもしれない。どちらにしても、黙っているよりはましだ。

自己責任論の毒

自己責任論の毒性について、もう少し書いておく。次の世代が同じ毒にやられないように。

自己責任論は、問題の原因を個人に帰属させる。帰属させることで、社会は責任を免れる。社会が責任を免れると、政策的な対応が遅れる。遅れると、問題が深刻化する。深刻化した問題を、さらに個人のせいにする。この循環が、自己責任論の構造だ。

自己責任論を内面化した人間は、自分を責める。「自分がダメだから」「自分の努力が足りないから」。この自責は、一見すると「謙虚さ」や「反省」に見える。だが過剰な自責は、行動力を奪う。「どうせ自分が悪いのだから、何をしても無駄だ」という諦めにつながる。諦めた人間は、現状を受け入れる。受け入れた人間は、声を上げない。声を上げない人間は、社会の都合のいい存在だ。

自己責任論は、社会にとって都合のいい鎮静剤だ。問題を個人に押し付けることで、社会の安定を維持する。だがこの安定は偽りの安定であり、押し付けられた個人の犠牲の上に成り立っている。

次の世代には、この鎮静剤に麻痺しないでほしい。麻痺する前に「これはおかしい」と気づいてほしい。気づいたら、声に出してほしい。声に出すことが、鎮静剤の解毒剤だ。

私たちの世代の失敗から学んでほしいこと

氷河期世代の失敗は、「黙っていたこと」だ。黙っていたから、放置された。放置されたから、問題が固定化した。固定化したから、今も苦しんでいる。

黙っていた理由は、声を上げる余裕がなかったからだ。日々の生活に追われて、声を上げるエネルギーが残らなかった。これは個人の怠慢ではなく、構造的な帰結だ。生活に追われている人間に「声を上げろ」と言うのは酷だ。

だからこそ、余裕があるうちに声を上げてほしい。追い詰められてからでは遅い。追い詰められる前に、おかしいことにおかしいと言う。この習慣を、若いうちから身につけてほしい。

たった一つのこと。「社会のせいにしていい」。これが、氷河期世代の一人から、次の世代への、ささやかなメッセージだ。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。次の世代に何かを伝えたいと思ったことがある人は、きっと少なくないはずです。

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