独身中年の「SNSとの付き合い方」——他人のリア充投稿で消耗しないための技術
はじめに——SNSを開くたびに削られる自己肯定感
スマートフォンを開く。Xのタイムラインを眺める。「家族でディズニーランドに行ってきました!」写真には笑顔の家族。「マイホーム完成しました!」写真には新築の一軒家。「息子が初めて歩きました!」動画にはよちよち歩きの赤ちゃん。
どれも幸せそうだ。微笑ましい。おめでとう。——と思えればいいのだが、実際に感じるのは「自分には何もない」という寂しさと、「自分だけが取り残されている」という焦燥感だ。
独身中年にとってSNSは、情報収集の便利なツールであると同時に、自己肯定感を削る凶器でもある。他人の「幸せな日常」と自分の「何も起きない日常」を無意識に比較し、比較するたびに自分が小さく感じる。
このエッセイでは、SNSとの「健全な付き合い方」を考える。SNSを完全にやめるのではなく、「消耗しない使い方」を身につける。
なぜSNSで消耗するのか——「比較の罠」
SNSで消耗する最大の原因は「社会的比較」だ。人間は、自分と他人を比較して自分の位置を確認する本能を持っている。この本能は、小さなコミュニティ(村、学校、職場)で生きていた時代には有用だった。周囲の50〜100人と比較して、自分の立ち位置を把握する。
だがSNSは、比較対象を「数千人〜数百万人」に拡大した。フォローしている全員の「ハイライト」が流れてくる。旅行、グルメ、家族、キャリアの成功。全員が「最も良い瞬間」だけを投稿している。もやし炒めの夕食を投稿する人はいない。仕事で怒られた話を投稿する人は少ない。
つまりSNSのタイムラインは「数千人の人生のハイライト集」であり、「数千人の日常」ではない。ハイライト集と自分の日常を比較すれば、自分の日常が色褪せて見えるのは当然だ。比較の対象が間違っている。
この「比較の罠」を理解するだけで、SNSのダメージは半減する。「あの人は幸せそうだ」→「あの人の24時間のうちの5秒間のハイライトを見ているだけだ」。この変換が、心の防御壁になる。
消耗しないための5つの技術
技術1は「SNSの利用時間を制限する」ことだ。スマートフォンの「スクリーンタイム」機能で、SNSアプリの利用時間に上限を設定する。iPhoneなら「設定→スクリーンタイム→App使用時間の制限」。Androidなら「設定→Digital Wellbeing→アプリタイマー」。1日30分に設定すれば、30分を超えるとアプリが使えなくなる(無視することもできるが、「もう30分経ったよ」という通知が心理的なブレーキになる)。
技術2は「フォローを整理する」ことだ。「見ると辛くなるアカウント」をミュートまたはフォロー解除する。幸せな家族の投稿、成功したキャリアの自慢、高額な消費のアピール。これらが自分の精神に悪影響を与えているなら、見ないようにする。ミュートすれば、相手に通知されずにタイムラインから消せる。
代わりに「見ると楽しくなるアカウント」をフォローする。猫の写真、美しい風景、面白い漫画、役に立つ節約情報。SNSのタイムラインを「自分が心地よいと感じるコンテンツ」で満たす。タイムラインは自分で作れる。自分のための「心地よい空間」にカスタマイズする。
技術3は「投稿を義務にしない」ことだ。「いいね」が欲しくて投稿する。投稿しても反応がない。反応がないことで落ち込む。この「反応依存」は消耗の原因になる。投稿は「したいときだけする」。反応がゼロでも気にしない。そもそもSNSの投稿は「独り言」だ。独り言に反応を求めるのは、期待しすぎだ。
技術4は「比較を意識したら、すぐにアプリを閉じる」ことだ。タイムラインを見ていて「自分には何もない」と感じた瞬間、アプリを閉じる。閉じてスマートフォンを置く。「比較の感情」が消えるまで、5分間放置する。5分後に再開してもいいが、だいたいは「もういいや」と思える。
技術5は「SNSを『情報収集ツール』として割り切る」ことだ。SNSの本来の用途は「情報を得ること」と「情報を発信すること」。他人の私生活を覗くことではない。ニュースアカウント、業界情報アカウント、趣味のアカウント。これらの「情報」を得るためだけにSNSを使い、「他人の私生活」には関心を持たない。関心を持たなければ、比較も起きない。
「リア充アピール」の裏側を知る
SNSで「リア充」を投稿している人は、本当に幸せなのか。答えは「わからない」だ。だがいくつかの研究は、SNSに幸せな投稿をする人ほど「承認欲求が強い」傾向があることを示している。承認欲求が強いのは、自己肯定感が低いことの裏返しかもしれない。
旅行の写真を投稿するのは、「旅行を楽しんでいる自分」を他人に見せたいから。マイホームの写真を投稿するのは、「家を買えた自分」を承認してもらいたいから。投稿の裏に「認めてほしい」という切実な欲求が隠れている場合がある。
もちろん、純粋に「嬉しいから共有したい」という動機で投稿する人もいる。すべてが承認欲求ではない。だが「すべてが本物の幸福でもない」ことを知っておくだけで、比較の苦しみは和らぐ。
独身中年は、SNSに「リア充」を投稿する必要がない。投稿するネタがないと自虐的に感じるかもしれないが、裏を返せば「承認欲求に駆られない自由」がある。誰にも見せなくていい。誰にも認めてもらわなくていい。自分の日常を、自分だけで味わう。もやし炒めを食べながら「今日も生き延びた」と思う。その感覚を、誰にも共有しない。共有しない日常は、外から見れば退屈かもしれない。だが中にいる自分は、それなりに充足している。充足しているなら、それでいい。
SNSの「良い使い方」——情報と緩やかなつながり
SNSを完全にやめる必要はない。「良い使い方」をすればいい。
良い使い方1は「情報収集」。節約情報、転職情報、NISA関連のニュース、地域のイベント情報。これらの「役に立つ情報」をSNSから得る。情報アカウントだけをフォローし、個人の私生活アカウントはフォローしない。
良い使い方2は「趣味のコミュニティ」。将棋、読書、散歩、料理。自分の趣味に関連するアカウントやハッシュタグをフォローする。同じ趣味の人と緩やかにつながる。「いいね」を押し合う程度の関係でも、「同じ趣味の人がいる」という安心感は得られる。
良い使い方3は「匿名での発信」。実名では言えないことも、匿名なら言える。「今日は仕事がきつかった」「もやし炒めが美味かった」「散歩中に猫を見つけた」。日常の小さなことを匿名で投稿する。誰かに読まれるかもしれないし、誰にも読まれないかもしれない。どちらでもいい。「発信する行為」自体が、自分の存在を確認する手段になる。
「SNSを見ない日」を作る
週に1日、「SNSを見ない日」を作ってみる。日曜日をSNSフリーの日にする。SNSアプリを非表示にして、1日過ごす。
最初の数時間は「そわそわ」するかもしれない。「何か起きていないか」「通知が来ていないか」。この「そわそわ」は、軽度のSNS依存の症状だ。数時間経てば収まる。収まったら、「SNSがなくても日常は回る」ことに気づく。気づけば、SNSへの依存度が下がる。
SNSフリーの日は、散歩、読書、料理、昼寝。SNS以外の活動で時間を埋める。これらの活動は、SNSより確実に「自分の時間の質」を上げる。SNSで他人の人生を眺めるより、自分の人生を生きるほうが、はるかに充実する。
まとめ——SNSは「道具」であって「世界」ではない
SNSは道具だ。ハサミと同じ。紙を切るのに使えば便利。自分を傷つけるのに使えば危険。使い方次第で、道具にもなり凶器にもなる。
独身中年がSNSで消耗するのは、「道具」を「世界」だと錯覚しているからだ。タイムラインに流れる情報が「世界のすべて」だと思い込む。タイムラインに映らない自分の日常は「価値がない」と思い込む。だがタイムラインは世界の0.001%にも満たない「切り取り」だ。残りの99.999%は、タイムラインには映らない。映らない部分にこそ、人生の本体がある。
SNSを開くとき、心の中で唱える。「これは道具だ。世界じゃない」。この一言が、比較の罠から自分を守ってくれる。守られた心で、自分の日常を生きる。自分の日常を、自分で肯定する。肯定できれば、他人のタイムラインに脅かされることはない。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

