独身おひとりさまの「お金の使い方」哲学——誰のためでもない消費の自由と不安

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独身おひとりさまの「お金の使い方」哲学——誰のためでもない消費の自由と不安

はじめに——「誰のためにお金を使っているのか」

結婚している人のお金の使い道は、ある程度明確だ。家族のための食費、子どもの教育費、住宅ローン、家族旅行。「家族のため」にお金を使うことは、社会的に認められた「正しいお金の使い方」だ。

独身おひとりさまのお金の使い道は、すべて「自分のため」だ。自分の食費、自分の家賃、自分の通信費、自分の娯楽。誰のためでもない、自分だけのための消費。この「誰のためでもない消費」に、複雑な感情を抱く独身者は少なくない。

一方では「自由」を感じる。自分のお金を、自分の判断で、自分のために使える。誰にも文句を言われない。好きなものを買い、好きなものを食べ、好きな場所に行ける。この自由は、結婚している人には味わえない特権だ。

他方では「不安」を感じる。「自分のため」にしかお金を使わない人生。誰かのために使うことで得られる「意味」や「充実感」がない。お金を使っても使っても、「何のために生きているのか」という問いが消えない。

このエッセイでは、独身おひとりさまの「お金の使い方」について、自由と不安の両面から考える。

独身おひとりさまの「お金の自由」

独身のお金の自由は、実はすごい。家計を一人で管理している。収入は全額自分のもの。使い道を誰とも相談する必要がない。「○○を買いたい」と思ったら、自分の判断だけで買える。「今月は外食を増やそう」と思ったら、増やせる。「NISAの積立を3万円に増やそう」と思ったら、増やせる。

結婚している人は、「お小遣い制」で月3万円しか自由に使えない場合がある。残りは家計に回る。家族のための出費は、本人の意思だけでは決められない。「新しいパソコンが欲しい」→「家族会議で否決」。独身者にはこの「否決」がない。

自由には責任が伴う。自由に使えるからこそ、使いすぎのリスクもある。歯止めをかけてくれる家族がいないから、衝動買いを止める人もいない。「先取り貯蓄」や「月の予算」という仕組みで、自分で自分を律する必要がある。自律は面倒だが、自律できれば、お金の自由度は最大だ。

「自分のためにお金を使う」罪悪感

独身おひとりさまの中には、「自分のためにお金を使う」ことに罪悪感を感じる人がいる。

「こんなにお金を自分のためだけに使っていいのだろうか」「家族がいれば子どもの教育に使えるのに」「社会に還元すべきではないのか」。この罪悪感は、日本社会の「自己犠牲を美徳とする」価値観と、「家族のために働くのが正しい」という規範から来ている。

だが自分のためにお金を使うことは、何も悪くない。税金を払っている。消費税を払っている。社会保険料を払っている。これらを通じて、十分に社会に貢献している。その上で残ったお金を、自分のために使うのは当然の権利だ。

むしろ「自分のためにお金を使えないこと」のほうが問題だ。必要な医療を受けない。歯医者に行かない。栄養のある食事を取らない。「自分に使うのはもったいない」と思って、自分の健康を損なう。これは節約ではなく自己放棄だ。

自分のためにお金を使うことを、自分に許可する。許可を出すだけで、罪悪感は和らぐ。「自分のために使っていい」。この許可は、自分だけが出せる。誰かの許可を待つ必要はない。

独身おひとりさまの「お金の使い方」三つのカテゴリ

独身おひとりさまのお金の使い方を、三つのカテゴリに分ける。

カテゴリ1は「生存のための出費」。家賃、食費、光熱費、通信費、医療費、社会保険料。これらは「生きるために必要な出費」であり、削減はできても、ゼロにはできない。このカテゴリの出費は、淡々と支払う。節約できる部分は節約する。だが「健康を損なうレベル」まで削らない。

カテゴリ2は「未来のための出費」。NISAの積立、銀行貯蓄、iDeCo、保険料、資格取得の費用。これらは「将来の自分」を助けるための出費。今は我慢だが、将来のリターンがある。このカテゴリの出費は、「投資」として捉える。我慢ではなく、自分の未来への投資。投資なら、ポジティブに取り組める。

カテゴリ3は「今の幸福のための出費」。趣味、旅行、外食、本、映画、カフェ。これらは「今の自分を幸せにする出費」。将来のリターンはない。だが「今を生きる理由」になる。このカテゴリの出費を完全にゼロにすると、人生が「生存」と「投資」だけになる。生存と投資だけの人生に、喜びはない。

三つのカテゴリのバランスが重要だ。「生存70%:未来20%:今の幸福10%」くらいが、手取り16万円の場合の現実的なバランス。手取り16万円なら、今の幸福に使えるのは月16000円。16000円で何ができるか。年に1回の格安旅行(1万円)。月に1回の外食(800円)。月に1冊の本(図書館で0円)。発泡酒の週1本(500円)。合計すると月1300〜2000円。16000円の予算に対して大幅に下回る。残りは「何もしない月の予備費」として貯めておき、半年に1回の「ちょっとした贅沢」に使う。

「お金を使わなすぎる」リスク

節約シリーズで「節約疲れ」について書いた。「お金を使わなすぎる」こともリスクだ。

お金を使わなすぎると、生活に「彩り」がなくなる。毎日もやし炒め。毎週同じ散歩コース。毎月同じルーティン。変化がない。変化がないと、時間の感覚が鈍る。「先月も同じことをしていた」「去年も同じだった」。時間が無色透明に流れていく。無色透明な時間は、記憶に残らない。記憶に残らない人生は、振り返ったとき「何もなかった」ように感じる。

対策は「月に1回、小さな非日常を買う」ことだ。いつもと違うルートで散歩する(0円)。いつもと違う食材で料理する(数百円)。いつもと違うカフェでコーヒーを飲む(300〜500円)。いつもと違う本を読む(図書館で0円)。「いつもと違う」を月に1回だけ取り入れる。それだけで、時間に「色」がつく。色がついた時間は、記憶に残る。記憶に残れば、「何もなかった」人生にはならない。

「遺すため」ではなく「使い切るため」の計画

結婚している人は、お金を「子どもに遺す」動機がある。独身おひとりさまには、遺す相手がいない(親族や寄付先を除けば)。遺す必要がないなら、「使い切る」ことを目標にできる。

「DIE WITH ZERO」という本がある。「ゼロで死ぬ」——人生で稼いだお金を、生きている間にすべて使い切る。死んだときの預金残高がゼロ。これが理想だ、という哲学。

もちろん「いつ死ぬかわからない」ので、完全にゼロにするのは難しい。だが「遺すために貯める」のと「使い切るために使う」のとでは、お金への向き合い方が全く異なる。「使い切る」計画を持てば、「お金を使うこと」への罪悪感が消える。

具体的には、「生存のための資金」と「使い切る資金」を分ける。生存のための資金(生活防衛資金+老後の年金不足分)を確保した上で、残りは「使い切る資金」として、旅行、趣味、寄付、経験に使う。使い切る資金は「使わなければ損」だ。死んだら持っていけないのだから。

「寄付」という選択肢

独身おひとりさまのお金の使い道として「寄付」がある。自分のためだけに使うことに虚しさを感じるなら、一部を社会のために使う。

月500円の寄付。年間6000円。児童養護施設、フードバンク、災害支援団体、動物保護団体。500円で世界を変えることはできないが、「誰かのためにお金を使った」という実感が得られる。この実感は、独身おひとりさまの「何のために生きているのか」という問いへの、一つの答えになりうる。

ふるさと納税は、寄付の一形態でもある。返礼品目当てだけでなく、「この自治体を応援したい」という気持ちで寄付先を選ぶこともできる。災害復興支援のふるさと納税なら、返礼品なしで全額が支援に充てられる。

まとめ——「誰のためでもないお金」は「自分のためのお金」

独身おひとりさまのお金は、「誰のためでもない」のではなく「自分のため」のお金だ。自分の生存、自分の未来、自分の幸福。この三つのために使う。三つのバランスを取りながら、後悔なく使う。

お金を使うことに罪悪感を持たない。使わなすぎることに満足しない。使い切ることを恐れない。独身おひとりさまのお金は、自分だけが管理し、自分だけが決定権を持つ。この「完全な自由」を、楽しむ。楽しめれば、独身でお金を使うことの「不安」は、「自由」の方向に傾く。自由に傾けば、人生は少しだけ軽くなる。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

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