独身おひとりさまの「帰省」問題——実家との距離感と親戚の視線への対処法
はじめに——帰省が「憂鬱」になった年齢
帰省は楽しいものだった——20代の頃は。実家のご飯を食べて、昔の友人と会って、のんびり過ごす。「お正月は帰ってくるんでしょ?」と母が電話をくれるたびに、「うん、帰る」と答えていた。
いつからだろう。帰省が「憂鬱」になったのは。30代後半。親戚の集まりで「まだ結婚しないの?」と聞かれ始めた頃だ。いとこは結婚して子どもがいる。兄は家を建てた。自分だけが、何も変わっていない。何も変わっていない自分を、親戚の目にさらすのが辛くなった。
40代に入ると、聞かれることすらなくなった。「まだ結婚しないの?」が「結婚しないのね」に変わった。質問から確認へ。そしてやがて話題にすらされなくなった。話題にされないのは楽だが、「もう期待されていない」という寂しさも混じる。
45歳の今、帰省は「義務」と「愛情」と「苦痛」が混ざった複雑なイベントだ。母に会いたい気持ちはある。実家のご飯は食べたい。だが「独身の自分」を実家の空間に持ち込むのが、どうにも居心地が悪い。
このエッセイでは、独身おひとりさまの「帰省」にまつわる問題を正面から取り上げ、実家との距離感の取り方、親戚の視線への対処法、そして「帰省しない」という選択肢について考える。
「帰省が辛い」の正体
帰省が辛い理由を分解してみる。
理由1は「比較される(またはされている気がする)」ことだ。結婚した兄弟、子どもがいるいとこ。彼らと自分を、自分自身が比較してしまう。親戚が比較しているかどうかは関係ない。自分の中で勝手に比較し、勝手に劣等感を抱く。「自分だけが取り残されている」感覚。この感覚が、帰省を辛くする。
理由2は「母の期待と落胆を感じる」ことだ。母は口に出さない。だが目が語っている。「この子はいつ結婚するのかしら」「孫の顔が見たかったわ」。母の期待に応えられなかった自分への罪悪感。罪悪感が、帰省のたびに心を締めつける。
理由3は「実家での自分の立ち位置がわからない」ことだ。実家に帰ると「子ども」の役割に戻る。だが45歳の「子ども」は、すでに「子ども」ではない。かといって「家長」でもない。結婚して家族を持った兄は、帰省すると「一家の主」として振る舞える。独身の自分は、帰省しても「独り身のまま歳を取った子ども」という中途半端な立ち位置。この中途半端さが、居心地の悪さを生む。
理由4は「帰省にお金がかかる」ことだ。交通費(新幹線なら往復2〜3万円)、手土産代(3000〜5000円)、親戚への年始の挨拶(お年玉やお年賀の菓子折り)。合計3〜5万円。手取り16万円の人間にとって、3〜5万円は月収の20〜30%。この出費が、帰省への心理的ハードルをさらに上げる。
親戚の「結婚は?」への対処法
45歳にもなれば、「結婚は?」と直接聞いてくる親戚は減る。だがゼロではない。特に年配の親戚は、悪気なく聞いてくる。対処法をいくつか示す。
対処法1は「軽く流す」こと。「いやぁ、ご縁がなくて(笑)」。笑顔で、さらっと。深入りさせない。「ご縁がなくて」は事実であり、嘘ではない。相手が「そうなの、大変ねえ」と言えば、話題は終わる。
対処法2は「話題を変える」こと。「それよりおばさん、このお漬物おいしいですね。作り方教えてください」。相手の話題に切り替える。高齢の親戚は、自分の得意分野の話を振られると、嬉しくなってそちらに乗ってくる。
対処法3は「正直に言う」こと。「正直、その質問はちょっとしんどいんです」。これが言えれば一番いい。だが実際に言えるかどうかは、相手との関係性による。言える相手には言う。言えない相手には、対処法1か2で乗り切る。
対処法4は「事前に母に根回しする」こと。帰省前に母に電話して「結婚の話題は出さないように、親戚にも言っておいてほしい」と頼む。母が協力してくれれば、話題が出るリスクが下がる。母が「気にしすぎよ」と言うかもしれないが、気にしているのは自分なのだから、遠慮なく頼む。
実家との「適切な距離感」
帰省が辛いなら、帰省の頻度と滞在期間を調整する。「適切な距離感」は人によって異なるが、目安を示す。
パターン1は「年に1〜2回、1泊2日」。お正月とお盆だけ帰る。滞在は1泊。長居しない。1泊なら、辛い時間も翌日には終わる。「もう帰るの?」と言われても、「仕事があるから」と答える。
パターン2は「年に2〜3回、日帰り」。宿泊しない。朝行って夕方帰る。宿泊しないことで、「実家のペース」に巻き込まれるのを防ぐ。自分のペースを維持できる。交通費は宿泊なしで抑えられる。
パターン3は「年に1回、母だけに会う」。親戚の集まりには参加しない。母と二人で食事する。母との関係が良好なら、これが最もストレスが少ない。母を外食に誘う。実家ではなく、ファミレスやカフェで会う。「実家に帰る」のではなく「母に会いに行く」。この切り替えで、帰省のニュアンスが変わる。
パターン4は「帰省しない」。後述する。
「帰省しない」という選択肢
「帰省しない」は、選択肢として存在する。帰省が辛すぎて精神的に消耗するなら、帰省しないほうが健全だ。
「帰省しない」ことへの罪悪感は理解できる。「親不孝だ」「母が悲しむ」「世間体が悪い」。だが自分の精神的な健康を犠牲にしてまで帰省する必要はない。精神的に不健全な状態で帰省しても、母を心配させるだけだ。元気に電話で「今年は帰れないけど、元気でやってるよ」と伝えるほうが、母は安心するかもしれない。
帰省しない代わりに、別の方法で親との関係を維持する。月に1〜2回の電話。LINEでのメッセージ。誕生日にプレゼントを送る。母の日にカーネーションを送る。これらの「小さなつながり」を維持していれば、帰省しなくても関係は保てる。
「帰省しない=親との縁を切る」ではない。「帰省しない=帰省以外の方法で関係を維持する」だ。帰省だけが親孝行ではない。電話も手紙もプレゼントも、立派な親孝行だ。
帰省の費用を抑える方法
帰省する場合、費用を抑える方法を簡単に示す。別の記事で詳しく書いたが、ここでも要点だけ。
交通費の削減。新幹線→夜行バス(3分の1以下)。早割チケット。青春18きっぷ(期間限定)。LCCのセール。
手土産の工夫。デパートの高い菓子折り→スーパーで買える地域の名産品。「東京の有名店の菓子」を期待する親戚もいるが、「これおいしいんですよ」と笑顔で渡せば、中身は何でもいい。
お年玉の節約。いとこの子どもへのお年玉は、年齢に応じた相場の下限で。幼児なら1000円。小学生なら2000〜3000円。無理をしない。
「帰省先がない」人もいる
このエッセイは「帰省が辛い」人に向けて書いているが、「帰省先がない」人もいる。両親がすでに亡くなっている。実家がもうない。帰る場所がない。この人たちにとって、帰省の話題は「辛い」以前に「存在しない」問題だ。
帰省先がない人は、年末年始やお盆を「自分だけの時間」として過ごす。別の記事(「GW・お盆・シルバーウィークを0円で過ごす完全ガイド」)が参考になる。帰省先がないことは寂しいが、「帰省のストレスがない」という見方もできる。親戚の「結婚は?」もない。交通費もかからない。静かに自分の時間を過ごせる。
帰省先がない人にとっては、「友人」「地域のコミュニティ」「オンラインのつながり」が、家族の代わりの「帰る場所」になりうる。年末に一緒に過ごせる人が一人でもいれば、その人がいる場所が「帰省先」だ。
まとめ——帰省は「義務」ではなく「選択」
帰省は義務ではない。選択だ。帰りたければ帰る。帰りたくなければ帰らない。帰るなら、自分のペースで、自分の方法で。滞在期間も、会う人も、自分で決める。
45歳の独身として帰省することに、居心地の悪さを感じるのは自然だ。その感覚を否定する必要はない。だが感覚に支配されて「帰省=地獄」と思い込む必要もない。工夫すれば、帰省のストレスは軽減できる。軽減した上で、母の顔を見る。母の手料理を食べる。「来てくれたのね」と言ってもらえる。その瞬間に、帰省の意味がある。
親がいる時間は有限だ。有限であることを知りつつ、無理のない形で関係を維持する。無理しなくていい。でも完全に断ち切らなくてもいい。この「ちょうどいい距離感」を見つけるのが、独身おひとりさまの「帰省問題」の答えだ。答えは人によって違う。自分だけの答えを、自分で見つける。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

