答えが出ない問い
この問いについて、何年も考えている。答えは出ていない。出ていないが、考え続けることに意味があると思うから書く。
結婚できなかった。45歳、独身。婚姻歴なし。子どもなし。
この事実を誰かに話すとき、二つの説明が頭の中で競合する。ひとつは「環境のせい」。就職氷河期で安定した職に就けず、経済的な基盤がなく、結婚する余裕がなかった。もうひとつは「自分のせい」。本気で結婚したければ、経済的に厳しくてもできたはずだ。選ばなかったのは自分だ。
どちらも部分的には正しい。だが全面的に正しいわけではない。環境のせいだけではないし、自分のせいだけでもない。白か黒かで割り切れない灰色の領域に、この問題は存在している。
経済力と結婚の関係
統計を見れば、年収と婚姻率には明確な相関がある。男性の場合、年収が高いほど婚姻率が高い。年収300万円未満の男性の婚姻率は、年収500万円以上の男性に比べて著しく低い。
これは偶然ではない。結婚には金がかかる。結婚式、新居の初期費用、家具家電、引っ越し費用。その後の生活費も、一人暮らしより二人暮らしのほうがかかる。子どもが生まれればさらに。
「お金がなくても結婚はできる」と言う人がいる。確かに婚姻届を出すのにお金はいらない。だが現実問題として、経済的に不安定な状態で「結婚しよう」とパートナーに言えるか。相手の人生を巻き込む決断を、手取り14万円でできるか。
私はできなかった。正確には、する勇気がなかった。パートナーがいなかったわけではない。20代後半、付き合っていた人がいた。結婚の話が出たこともある。だが「今の収入では二人で暮らせない」「子どもなんてとても育てられない」という計算が先に立ち、踏み切れなかった。
踏み切れなかったのは自分だ。誰に止められたわけでもない。だから「自分のせい」と言えなくもない。だが踏み切れなかった理由が経済的な不安定さにあるなら、その不安定さを作ったのは環境だ。環境が選択肢を狭め、選択肢が狭まった中で私が選んだ。「環境のせい」と「自分のせい」が絡み合って、分離できない。
「結婚しないの?」攻撃
30代になると、周囲から「結婚しないの?」と聞かれ始める。親、親戚、同僚、美容師。なぜ美容師に結婚の話をされなければならないのかは永遠の謎だが、聞かれる。
「まあ、いい人がいればね」と答える。無難な回答だ。この回答は、「結婚する意思はあるが相手がいない」ことを示唆しつつ、深入りを拒む絶妙なラインだ。
だが本当のことを言えば、「いい人がいれば」ではなく、「経済的な余裕があれば」だ。いい人はいた。余裕がなかった。余裕がないから踏み切れなかった。踏み切れないうちに相手は去った。去った後で「ああ、あのとき踏み切っていれば」と思ったが、それは結果論だ。あのときの自分に、踏み切るだけの基盤がなかったのは事実だ。
40代に入ると、「結婚しないの?」は「結婚しなかったんだ」に変わる。進行形から完了形へ。まだチャンスがある人への問いから、もう選択が終わった人への確認へ。この変化は地味だが、受け取る側にはちゃんと伝わる。
環境のせいにしていいのか
ここが本題だ。結婚できなかったことを、環境のせいにしていいのか。
「していい」と言いたい自分がいる。就職氷河期のせいで経済的に不安定だった。不安定だったから結婚を選べなかった。因果関係は明確だ。環境のせいにして何が悪い。
「してはいけない」と言いたい自分もいる。同じ環境でも結婚した人はいる。年収300万円で結婚した人もいれば、派遣社員のまま家庭を持った人もいる。彼らにできて自分にできなかったのは、環境ではなく自分の問題ではないか。
この二つの声が、ずっと頭の中で議論している。結論は出ない。出ないまま、年を取っていく。
おそらく、正解は「環境のせいにしていいが、環境のせいだけにしてはいけない」というところに落ち着くのだろう。環境は確かに選択肢を狭めた。だが狭まった選択肢の中で、どう動くかは自分次第だった。環境を言い訳にして思考停止するのは違うが、環境の影響を無視して全部自分の責任にするのも違う。
この曖昧な結論は、誰も満足させない。でも、人生の問題に明快な結論が出ることのほうが珍しい。曖昧なまま抱えていく。それも、ひとつの生き方だ。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

