職務経歴書に書けることが少なすぎる問題

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A4用紙の白が多すぎる

職務経歴書を書こうとパソコンの前に座ると、画面の白さが目に刺さる。

履歴書と職務経歴書は違う。履歴書は学歴と職歴を時系列に並べるだけだから、まだなんとかなる。年月と会社名を書けばいい。中身が薄くても、枠は埋まる。しかし職務経歴書は「何をしたか」「どんな成果を出したか」を書く書類だ。ここが問題だ。

派遣事務を転々とした人間の職務経歴書には、書けることが恐ろしく少ない。

「一般事務(データ入力、電話応対、書類整理)」「期間:6ヶ月」。次の行も「一般事務(データ入力、電話応対、ファイリング)」「期間:8ヶ月」。その次も同じ。コピーペーストしたかのような職歴が、短い期間ごとに繰り返される。

転職エージェントに見せたら「もう少し具体的に書いたほうがいいですね」と言われた。具体的に? 何を? データ入力のスピードだろうか。一日に何件の電話を取ったかだろうか。書類を何枚ファイリングしたかだろうか。それを書いたところで、誰が喜ぶのだ。

職務経歴書とは、自分の仕事人生をA4数枚の紙に凝縮する作業だ。濃い人生は濃い経歴書になり、薄い人生は——いや、薄いのは人生ではない。経歴書に映る像が薄いだけだ。しかし採用担当者にはその区別がつかない。紙の上の情報がすべてだ。

書けることと、やったことは違う

職務経歴書に書けることが少ないのは、何もしていなかったからではない。やったことが、「職務経歴書に書ける言語」に変換できないだけだ。

たとえば、派遣先でのこんな経験がある。部署の業務マニュアルがぐちゃぐちゃだったので、自主的に整理し直した。前任者が放置していたファイルサーバーのフォルダ構成を、わかりやすく再構築した。新しく来た派遣スタッフに、引き継ぎ資料を一から作って渡した。

これらは全部「やったこと」だ。だが職務経歴書に書くと、「業務マニュアルの整備」「ファイルサーバーの管理」「新人教育」になる。一行で終わる。しかもこの一行から伝わる「すごさ」はゼロに近い。正社員の「新規プロジェクトの立ち上げと推進」や「売上前年比130%達成」と並べたら、見劣りするどころの話ではない。同じ土俵にすら立っていない。

もっと言えば、派遣で一番大変な仕事は「新しい環境に適応すること」だ。半年から一年ごとに職場が変わる。そのたびに、新しい人間関係を構築し、新しいルールを覚え、新しいシステムに慣れ、新しい空気を読む。これは相当な適応能力を要する作業だが、職務経歴書には書けない。「環境適応力があります」と書いたところで、「それは職務経歴じゃなくて自己PRに書いてください」と言われるだけだ。

派遣の仕事で求められるのは、黒子としての有能さだ。目立たず、波風立てず、求められたことを正確にこなし、契約が終わったらスッと消える。その「スッと消える」ところまでが仕事だ。完璧にこなせばこなすほど、痕跡が残らない。職務経歴書に書ける「成果」は、痕跡から生まれるものだ。痕跡を残さないことが美徳とされる仕事では、成果が可視化されない。

これは構造的な矛盾だ。優秀な派遣ほど、経歴書が薄い。

「実績」という概念の暴力

職務経歴書のテンプレートには、たいてい「主な実績」という欄がある。

実績。この言葉を辞書で引くと「実際に成し遂げた成果」と出てくる。なるほど。では、派遣事務の「実績」とは何か。

ミスなくデータを入力した? 実績とは言いにくい。ミスなく入力するのは「普通」であって、「実績」ではない。電話応対で顧客から褒められた? 悪くないが、数値化できない。定量的な実績が求められる現代の転職市場において、「褒められました」は弱い。

正社員の営業職なら「新規顧客○社獲得」「売上○○万円達成」と書ける。エンジニアなら「新機能の実装によりユーザー数○%増加」と書ける。マネージャーなら「チーム生産性を○%改善」と書ける。数字だ。数字があれば実績になる。数字がなければ実績にならない。

派遣事務に数字はほとんどない。あるとすれば「処理件数」だが、「月間データ入力5000件」と書いたところで、それが多いのか少ないのか、読む側にはわからない。比較対象がないのだ。しかも5000件入力したこと自体は大変だが、それは「能力」ではなく「作業量」でしかない。評価されるのは能力であって作業量ではない——と、転職エージェントに教わった。

つまり私は何年もかけて、評価されない種類の作業を膨大に積み上げてきたことになる。経験値は入っているのにレベルが上がらないRPGのようだ。バグっている。しかしバグっているのはゲームではなく、評価システムのほうだ。

テンプレートとの戦い

転職サイトから職務経歴書のテンプレートをダウンロードする。きれいにレイアウトされたWordファイルが開く。サンプルとして記入されている架空の人物の経歴がまぶしい。

「株式会社○○ 営業部 主任」「新規事業の企画立案から実行までを一貫して担当。初年度売上1.2億円を達成し、社内表彰を受ける」——これがサンプルだ。こんな経歴を持つ人間は、そもそも転職サイトのテンプレートなど必要としないのではないか。

サンプルを消して、自分の経歴を入力し始める。

「株式会社○○(派遣先) 総務部」「一般事務として、データ入力、電話応対、書類作成を担当」

一行で終わった。

テンプレートにはまだスペースがたっぷり余っている。余白が私を見ている。「もっと書くことはないのか」と言わんばかりに。ない。これ以上書くことがないのだ。書類作成のフォーマットをExcelで改良したことくらいは書けるかもしれないが、それは「実績」なのか「小さな工夫」なのか、判断がつかない。

結局、一つの派遣先につき3〜4行で終わる記述が、ずらずらと並ぶことになる。行数は多いが、内容は繰り返し。「データ入力」「電話応対」「書類作成」——この三種の神器が、何度も何度も現れる。私の職務経歴書は、同じ曲を延々と繰り返すカセットテープのようだ。

転職エージェントの添削

職務経歴書を転職エージェントに添削してもらったことがある。

担当者は画面を見ながら、しばらく黙っていた。その沈黙の長さが、すべてを物語っていた。

「もう少し、具体的なエピソードを入れたほうがいいですね」

具体的なエピソード。たとえば?

「たとえば、業務改善の経験とか。何か効率化した経験はありませんか?」

考えた。ファイリングの方法を変えて、書類を探す時間を短縮したことがある。確かに効率化だ。だが「ファイリング方法の改善により書類検索時間を短縮」と書いて、それが転職市場で戦力になるのだろうか。

「それ、いいじゃないですか。数字を入れましょう。何分くらい短縮できましたか?」

わからない。測っていない。そもそも「書類を探す時間」を計測してから改善する派遣社員がいたら、それはもう派遣ではなくコンサルタントだ。

「では、推定でいいので。30分かかっていたのが10分になった、とか」

推定。つまり、想像で書いていいのか。それはもう「実績」ではなく「創作」ではないか。

しかしエージェントは真剣だった。「職務経歴書は、事実を効果的に伝えるための書類です。嘘はいけませんが、表現の工夫は必要です」

表現の工夫。要するに、装飾しろということだ。平凡な素材を、高級料理のように盛り付けろと。具材はキャベツと豆腐しかないけれど、盛り付けとソースで一流レストランのように見せろと。

やってみた。「ファイリングの方法を変えた」を「書類管理フローの最適化を提案・実施」と書き換えた。「新人に教えた」を「後任者への業務引継ぎ体制の構築」と書き換えた。「Excelで表を作った」を「業務データの可視化ツールを作成し、チームの意思決定を支援」と書き換えた。

書き換えたあと、自分の職務経歴書を読み直した。なんだか別人の経歴のように見えた。嘘は書いていない。だが本当のことも書いていない。事実と虚構のあいだの、曖昧なグレーゾーンに着地した文章。これが「職務経歴書」なのだとしたら、この書類は一体何を測定しているのだろう。事実ではない。能力でもない。「事実を能力に見せかける文章力」を測定している。

書けないことのほうが大事

職務経歴書に書けることが少なすぎる。だが、書けないことのほうが、実は仕事人生においては重要だったりする。

書けないこと。たとえば、派遣先で正社員に理不尽な指示をされて、それでも笑顔で対応したこと。たとえば、契約更新されるかどうかわからない不安を抱えながら、毎日出社し続けたこと。たとえば、同じオフィスで正社員がボーナスの話をしているのを横で聞きながら、自分にはボーナスがないという現実を飲み込んだこと。

これらは「メンタルの強さ」や「忍耐力」や「感情のコントロール能力」と呼ばれるスキルだが、職務経歴書に「忍耐力があります」と書いても、それは自己PRであって経歴ではない。

書けないこと、その2。職場の人間関係を調整した経験。派遣社員は正社員同士の力関係や派閥に巻き込まれやすい。どちらにもつかず、しかしどちらからも頼りにされるポジションを維持するのは、高度な政治的スキルだ。だが「社内の政治的バランスを巧みに維持しました」と書く欄は、職務経歴書にはない。

書けないこと、その3。「何もない日を耐える力」。派遣の仕事は、暇な日もある。正社員が会議に行っている間、一人でオフィスに残されて、やることがない。しかし帰るわけにはいかない。暇であることを暇そうに見せてはいけない。何か仕事をしているフリをしながら、8時間を過ごす。これは一種の演技力であり、持久力であり、精神力だ。しかし職務経歴書には書けない。書いたら「やることがない職場にいた」と解釈されて逆効果だ。

職歴の「多さ」という罪

派遣を転々としていると、職歴の数が増える。これが問題だ。

一般的に、職歴が多い人間は「長続きしない人」と見なされる。「どうしてこんなに転職が多いんですか?」と聞かれる。正社員の転職ならまだいい。キャリアアップのための転職はポジティブに解釈されうる。だが派遣先が変わったことを「転職」としてカウントされると、ただの「定着できない人」になる。

実際には、自分の意志で職場を変えたわけではないケースがほとんどだ。契約期間が満了した。派遣先の業績が悪化して契約を切られた。部署が統合されてポジションがなくなった。こちらの都合ではなく、先方の都合で職場が変わる。それなのに、経歴書上は「また変わったの?」と疑問を持たれる。

ある転職サイトに「職歴が多い場合の書き方」というアドバイス記事があった。「類似した業務をまとめて書く」「短期間の職歴は省略する」「派遣期間はまとめて一つの職歴として記載する」——なるほど、つまり事実を加工しろということだ。10社の派遣先を「派遣会社○○に所属し、複数の企業にて事務業務に従事」と一行にまとめる。まとめると経歴はスッキリするが、10社分の経験が一行に圧縮されるのは、なんとも言えない気持ちになる。

私の20年間の仕事人生が、A4一行に収まってしまう。それは効率的であると同時に、残酷だ。

空欄を埋める技術

職務経歴書の空白を埋めるために、人はさまざまな技術を身につける。

ひとつは「言い換え」の技術。「電話番」を「インバウンドコミュニケーション対応」と書く。「コピー取り」を「資料作成・管理サポート」と書く。「お茶出し」を「来客対応および社内ホスピタリティ業務」と書く。本質は同じだが、文字列としての重みが違う。カタカナと英語を混ぜると、なんとなく「できる人」感が出る。

もうひとつは「膨らませる」技術。実際には30分で終わった作業を、あたかもプロジェクトのように書く。「Excelで表を作った」→「業務効率化のためのデータ管理ツールを独自に開発・導入し、部署全体の作業時間削減に貢献」。嘘ではない。嘘ではないが、真実からはだいぶ距離がある。

そしてもうひとつは「省略」の技術。書かないことで職歴を整える。短すぎる職歴、トラブルで辞めた職場、あまりにも単純作業だった仕事。これらを省略することで、経歴書の見栄えを保つ。省略は嘘ではないが、全体像を歪めている。

これらの技術を駆使して、ようやく「それなりに見える」職務経歴書が完成する。だが完成した瞬間、自分がやったことは「経歴を創作する作業」であって、「経歴を記録する作業」ではなかったことに気づく。職務経歴書は、事実の記録ではなく、事実のフィクション化だ。

本当の職務経歴書

もし嘘も装飾も省略もなく、本当のことだけを書いた職務経歴書を提出できるとしたら、こんな感じになるだろう。

「派遣社員として、指示されたことを正確にこなしました。自分の判断で動くことは求められていませんでしたが、たまに小さな改善を自主的にやりました。それが評価されることはほぼありませんでした。契約が切れるたびに次の仕事を探し、新しい職場に適応する作業を繰り返しました。この適応能力は相当なものだと自分では思っていますが、数値化できません。精神的にきつい時期もありましたが、なんとか乗り越えました。乗り越え方は、特に技術的なものではなく、ただ耐えただけです。」

こんな職務経歴書を出したら、一発で不採用だろう。だがこれが真実だ。そして真実は、転職市場では商品にならない。商品になるのは、真実を加工した虚像だけだ。

経歴書の向こう側

職務経歴書を書くたびに思う。この書類の向こう側に、私の実際の仕事人生がある。書類に書ける部分は全体の10%くらいで、残りの90%は行間に沈んでいる。

行間に沈んでいるもの。朝の満員電車で消耗する体力。職場の人間関係に神経をすり減らす精神力。契約更新の不安。正社員との待遇格差を目の当たりにしながらも平静を保つ演技力。安い給料でやりくりする計算力。先の見えない将来に対する漠然とした恐怖。そしてそれでも毎朝起きて、スーツを着て、家を出る意志力。

これらは全部、職務経歴書には書けない。書けないが、確かに「能力」だ。そしてこの能力は、非正規で長年働いてきた人間のほうが、正社員よりも高いことが多い。不安定な環境を生き抜くために鍛えられたサバイバル能力。だがサバイバル能力は、安定した環境にいる面接官には評価しにくい。評価基準にないからだ。

いつか、職務経歴書に「生存能力」「環境適応能力」「不確実性への耐性」を書ける時代が来るだろうか。来ないだろうな。来たとしても、その頃には私はもう労働市場を退場している。

それでも書かなければならない

結局、職務経歴書は書かなければならない。書けることが少なすぎると嘆いても、それは転職活動のルールだ。ルールに従わなければ、試合に参加すらできない。

だから私は今日もパソコンの前に座り、白い画面に向かう。「データ入力」「電話応対」「書類作成」。何度も書いた三種の神器を、また書く。そしてそれを「業務データの管理・分析」「社内外のコミュニケーションハブとしての窓口業務」「文書管理体制の運用・改善」と翻訳する。

翻訳するたびに、少しずつ自分から離れていく感覚がある。これは自分の経歴なのに、自分のものではない何かになっていく。でもそうしなければ書類選考を通過できない。通過できなければ面接に呼ばれない。面接に呼ばれなければ——この連鎖は、もう何度も経験してきた。

職務経歴書に書けることが少なすぎる。それは事実だ。だが、書けないことが多すぎる、と言い換えたほうが正確かもしれない。この社会の評価システムが拾い上げてくれない経験が、あまりにも多い。そしてその拾われない経験の中にこそ、本当の「職務経歴」がある。

いつか面接官に、こう聞いてみたい。「この経歴書の行間を、読んでいただけますか」と。もちろん、言わない。言ったら落ちる。だから行間に詰め込んだまま、A4の紙を差し出す。受け取った面接官がそこに何を読み取るかは、向こうの問題だ。こちらにできるのは、書けることを書くことだけ。書けないことは、ここに書いておく。ここなら、行間の必要はないから。

 

 

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。職務経歴書の空白に悩んだことのある人は、きっと少なくないはずです。

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