通帳の残高推移という自分史
通帳を並べると、人生が見える。
20代の通帳。残高はほぼ一定で、低い。入金があり、ほぼ同額の出金がある。お金が通過していくだけの口座。溜まらない。溜まりようがない。入ってくる額と出ていく額がほぼ同じだから。差額がゼロに近い生活を、何年も続けていた。
30代の通帳。20代とほとんど変わらない。多少は入金額が増えたが、それに比例して出金額も増えた。家賃が上がった。なんとなく生活水準が微妙に上がった。「上がった」というより「維持するのにコストが増えた」というほうが正確だ。年齢とともに、安い食事が体に合わなくなり、安い服が社会的に許されなくなり、安い部屋が精神的に耐えられなくなった。
40代の通帳。ようやく残高に少しだけ厚みが出てきた。少しだけ。焼け石に水程度の。
この通帳の推移を見て、「20代・30代のお前は何をしていたんだ」と責める人がいるかもしれない。「もっと節約していれば」「もっと収入を増やしていれば」「貯金の習慣をつけていれば」と。
私は、あの頃の自分を責める気になれない。責めるのは簡単だが、フェアではない。あの頃の自分には、貯金できない理由が山ほどあった。そして、その理由のほとんどは、自分ではどうにもならないものだった。
手取り14万円の生活
20代後半、派遣事務をしていた頃の手取りは約14万円だった。
14万円で一人暮らしの生活を組み立てる。まず家賃が5万5000円。都内ではこれでもかなり安い部類だ。築30年、駅から徒歩15分、6畳一間、風呂トイレ別がかろうじて。
残り8万5000円。ここから食費3万円。光熱費1万円。通信費5000円。交通費が定期代で1万円。ここまでで残り3万円。この3万円から、衣服費、日用品費、医療費、交際費、そして「もしも」のための予備費を賄う。
3万円。月に3万円の「自由に使えるお金」。ただしこの3万円は「自由」ではない。急な出費——歯医者、家電の故障、冠婚葬祭——があれば一瞬で消える。自由に使えるお金は、実質ゼロに近い。
この状態で「貯金しろ」と言われても、どこから貯金すればいいのか。食費を2万円に削るか。やったことがある。毎日もやしとパスタの生活を一ヶ月続けた。確かに1万円浮いた。だが体調を崩して医療費がかかり、差し引きマイナスになった。節約にも物理的な限界がある。
家賃をさらに下げるか。5万5000円より安い物件は、都内ではかなり限られる。あるにはあるが、立地や設備に著しい難がある。通勤時間が増えれば体力が削られるし、設備が悪ければ光熱費が上がる。安い部屋は、見えないコストが高い。
手取り14万円の生活には、「遊び」がない。「遊び」とは娯楽のことではなく、ハンドルの遊びのことだ。余裕、余白、バッファ。それがゼロ。ハンドルの遊びがない車は、少しの段差で操作不能になる。14万円の生活は、段差だらけの道をバッファなしで走っているようなものだった。
「節約すればいい」の限界
「貯金できないなら節約しろ」とよく言われる。正論だ。だが正論には射程距離がある。
節約の入門書やネット記事を読むと、「まずは固定費の見直しから」と書いてある。保険の見直し、通信費の見直し、サブスクの整理。なるほど。しかし、保険に入る余裕がないからそもそも加入していない。通信費はすでに格安プランだ。サブスクはひとつも契約していない。見直す固定費が、もう残っていない。
次に提案されるのは「変動費の削減」。外食を減らす、コンビニで買わない、自炊する。これもやっている。外食は月に一度あるかないか。コンビニは割高だから基本的に使わない。自炊は毎日。もやし、豆腐、卵、鶏むね肉のローテーション。これ以上何を削るのか。食事の回数を減らせとでも言うのか。
「ラテマネー」という概念がある。毎日のカフェラテ代を貯金に回せば、年間で何万円になる、という話。しかしカフェラテを飲む習慣がない人間には、削るラテマネーがない。すでにラテを飲んでいない人間に「ラテを我慢しろ」と言われても、我慢のしようがない。
節約術の多くは「そこそこの収入があるが、無駄遣いが多い人」向けに設計されている。「収入自体が少なく、無駄遣いする余裕すらない人」は、節約術のターゲット外だ。ターゲット外の人間にターゲット内のアドバイスをするのは、砂漠で「水の使い方を工夫しましょう」と言うのに等しい。水がないのだ。
「副業すれば」「転職すれば」
節約が限界なら、収入を増やせ。これも正論だ。
副業。最近はクラウドソーシングやフリマアプリで手軽に副収入を得られる、と言われる。しかし派遣社員の場合、契約によっては副業が禁止されている。仮に禁止されていなくても、日中フルタイムで働いたあとに副業をする体力と時間が必要だ。朝8時から夕方6時まで働き、帰宅は7時、夕食を作って食べて片づけて、ようやく自由な時間は夜9時。ここから副業を始めて、何時に寝るのか。慢性的な睡眠不足は、遅かれ早かれ体を壊す。
転職。収入を増やすための最も効果的な方法だ。しかし前述の通り、非正規の職歴しかない人間の転職は容易ではない。「もっと給料の高い仕事に就けば」と言うのは簡単だが、給料の高い仕事は応募条件も高い。経験者優遇、要マネジメント経験、年齢制限。ハードルが高く、越えるためのジャンプ力がない。
スキルアップ。資格を取る、プログラミングを学ぶ、英語を身につける。どれも有効な手段だが、学ぶための時間とお金がいる。スクールに通う費用、参考書の費用、試験の受験料。投資と同じで、「余裕がある人間にとっての正論」であり、余裕がない人間にとっては「わかっているけどできない」だ。
結局、収入を増やす方法はどれも、「すでに一定のリソースを持っている人間」向けのアドバイスだ。リソースがゼロに近い人間は、アドバイスの入口にすら立てない。
浪費していたわけではない
念のため書いておくが、20代・30代の私は浪費していたわけではない。
ブランド品を買ったことはない。車を持ったことはない。海外旅行に行ったことはない。ギャンブルはしない。タバコは吸わない。酒は発泡酒を週に数本。趣味はもっぱら図書館の本と、安い古本。
贅沢といえる支出は、月に一度の外食くらいだ。チェーン店のファミリーレストランで、1000円のセットメニューを頼む。それが「贅沢」だった。
この生活で、どこに貯金の余地があったのか。手取りの全額が、生きるための最低限のコストに消えていた。これを「浪費」と呼ぶなら、「生きること自体が浪費だ」と言っているのと同じだ。
「貯金は習慣」の嘘と本当
「貯金は習慣だ」とよく言われる。「収入の1割を天引きで貯金する。これを習慣にすればいい」と。
確かに、天引き貯金は有効な方法だ。給料日に自動的に別口座に移す。残りの金額で生活する。これを続ければ、知らないうちに貯金が増える。マジックのように。
しかしこのマジックには、前提条件がある。「収入の1割を引いても生活できる」という前提だ。
手取り14万円の1割は14000円。14万円から14000円を引くと12万6000円。前述の生活費の内訳を思い出してほしい。家賃5万5000円、食費3万円、光熱費1万円、通信費5000円、交通費1万円。これで11万円。残り1万6000円。ここからさらに衣服費、日用品、医療費を出す。不可能ではないが、一切の予備費がなくなる。歯が痛くなったら、貯金を崩すか歯医者に行かないかの二択だ。
「収入が少ないなら1割ではなく5000円から」とアドバイスされることもある。月5000円の貯金。年間6万円。10年で60万円。この数字を見て、希望を感じるか絶望を感じるか。私は後者だった。10年間、一度も崩さずに5000円ずつ貯めて60万円。そして一度でも崩せば、年数はリセットされる。家電が壊れれば数万円飛ぶ。冠婚葬祭があれば数万円飛ぶ。60万円に達する前に、何度も崩す。貯めては崩し、貯めては崩し。賽の河原の石積みのようだ。
貯金できる人とできない人の分岐点
同じ時代に社会に出た同世代でも、貯金できた人とできなかった人がいる。その分岐点はどこにあったのか。
最大の分岐点は「新卒で正社員になれたかどうか」だ。正社員になれた人間は、昇給がある。ボーナスがある。退職金の積立がある。社会保険が完備されている。住宅手当が出ることもある。これらの「正社員であることのメリット」が、貯金のベースを作る。
一方、非正規のまま30代、40代を迎えた人間には、これらのメリットがほとんどない。昇給はない。ボーナスはない。退職金はない。社会保険は加入できたりできなかったりする。住宅手当は当然ない。
つまり、貯金できるかどうかは、「個人の意志力」以前に「雇用形態」によって大きく規定されている。正社員として月25万円もらっている人間と、派遣で月14万円もらっている人間が、同じように「貯金は習慣です」と言われても、スタートラインが違いすぎる。
さらに言えば、正社員はボーナスという「まとまった余剰資金」が年に2回ある。このボーナスを丸ごと貯金に回せば、それだけで年間数十万円の貯金ができる。非正規にはボーナスがない。月々の給料だけで貯金を捻出しなければならない。ボーナスの有無だけで、貯金のしやすさに天と地の差がつく。
実家暮らしという変数
もうひとつ、貯金の有無に大きく影響する変数がある。実家暮らしかどうかだ。
実家暮らしなら、家賃がかからない。あるいは、かかっても月数万円の「家に入れるお金」で済む。食費も光熱費も、実家の分に乗っかる形で抑えられる。手取り14万円でも、実家暮らしなら月5万円以上は貯金に回せる計算になる。
しかし実家暮らしを選べるかどうかは、家庭環境による。実家が都市部にあるか地方にあるか。親との関係が良好か。部屋があるか。就職先が実家から通える距離にあるか。これらの条件が揃わなければ、実家暮らしは選択肢にならない。
私の場合、実家は地方にあり、仕事は都市部にしかなかった。だから一人暮らしを「選んだ」のではなく、一人暮らし「しかなかった」。選択ではなく、条件の帰結だ。
実家暮らしで貯金を増やした同世代に対して、羨ましいとは思うが、恨みはない。彼らは彼らの条件の中で合理的に行動しただけだ。ただ、「実家に住めばいいじゃん」と言われると、少し困る。それができたらやっている。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」
日本には「若い頃の苦労は買ってでもしろ」ということわざがある。若い頃に苦労することで、人間的に成長する、という意味だ。
確かに、苦労から学ぶことはある。14万円の生活から学んだことは多い。お金の使い方、節約の技術、少ない選択肢の中で最善を選ぶ判断力。これらは「成長」と呼べるかもしれない。
だが、成長と引き換えに失ったものもある。貯金がないまま40代を迎えたこと。投資を始める余裕がなかったこと。老後の備えがゼロに近いこと。20年分の複利効果を逃したこと。
「苦労は買ってでもしろ」と言う人は、苦労の「学び」の部分だけを見ている。苦労の「代償」の部分を見ていない。学びと代償を天秤にかけたとき、どちらが重いかは人による。私の場合、代償のほうが重い。人間的に多少成長したとしても、その成長は口座残高に反映されない。成長で家賃は払えないのだ。
あの頃の自分に言いたいこと
もし20代の自分にタイムスリップして何か言えるとしたら、何と言うか。
「もっと貯金しろ」とは言わない。言っても無理だからだ。14万円の手取りで、これ以上何をどう節約するというのか。
「もっと稼げ」とも言わない。稼ぐ手段がなかったのだから。稼ぐための経歴もスキルも人脈も、持っていなかった。
言うとしたら、こうだ。「お前は何も悪くない」。
貯金ができなかったのは、お前のせいではない。浪費していたわけでも、怠けていたわけでもない。入ってくるお金が少なすぎて、出ていくお金を減らしようがなかった。それだけのことだ。
そして、もう一言。「でも、できる範囲で何かしておけ。月1000円でいい。500円でいい。何かの形で、未来の自分に送金しろ。500円玉貯金でいい。自販機を一回我慢して、その分を缶に入れろ。10年後の自分が、ほんの少しだけ楽になるから」。
言ったところで、20代の自分が聞く耳を持つかどうかはわからない。当時の自分は、10年後のことを考える余裕がなかったから。でも言っておきたい。聞いてくれなくてもいいから、言っておきたい。
責めないことの意味
20代・30代の自分を責めない。これは甘えではない。
責めても何も変わらないからだ。過去は変えられない。貯金できなかった20年間は、もう戻ってこない。その20年間を「お前が悪い」と断罪しても、口座残高は1円も増えない。
それよりも、「あの状況では仕方がなかった」と認めたうえで、「では今から何ができるか」を考えるほうが建設的だ。月5000円のNISA。付加年金。少しでも長く働くこと。できることは限られているが、限られた中で最善を選ぶ。
過去の自分を責めることは、現在の自分のエネルギーを過去に向けて消費することだ。エネルギーの無駄遣い。限られたエネルギーは、未来に向けて使ったほうがいい。
だから私は、貯金ができなかった20代・30代の自分を責める気になれない。責める代わりに、「よく生き延びたな」と言いたい。14万円で、都会で、一人で、何年もよく耐えた。その忍耐力は、通帳には記録されないが、確かにそこにあった。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。貯金ができなかった過去を悔やんでいる人は、きっと少なくないはずです。でも、どうか自分を責めないでほしい。

