転職エージェントに「厳しい年齢ですね」と言われ続けた記録

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最初に言われたのは32歳だった

「率直に申し上げますと、年齢的にはちょっと厳しくなってきますね」

転職エージェントの面談室で、この言葉を初めて聞いたのは32歳のときだった。32歳。人生の折り返し地点にも達していない年齢で、「厳しい」と言われた。

何が厳しいのか。走れる。徹夜もできる。新しいことを覚える意欲もある。体力も気力も、20代の頃と大差ない——と自分では思っている。なのに目の前のエージェントは、私の職務経歴書を見ながら、まるで精密検査の結果を伝える医者のような顔をしている。

「32歳で未経験の業界への転職は、かなりハードルが高いです」

なるほど。32歳は「未経験」を許されない年齢なのだ。20代なら「ポテンシャル採用」という魔法の言葉がある。若さという資産を担保に、経験不足を帳消しにできる。しかし30代になると、ポテンシャルの有効期限が切れる。代わりに求められるのは「即戦力」。即戦力になれるだけの経歴がなければ、市場価値は暴落する。

しかし、ちょっと待ってほしい。なぜ私に即戦力としての経歴がないのか。就職氷河期に新卒で正社員になれず、派遣で転々としてきたからだ。つまり「キャリアを積めなかった理由」は時代のせいであり、「キャリアがないから年齢的に厳しい」と言われるのは二重の罰だ。椅子を用意しなかった社会が、椅子に座っていなかった人間を責めている。

35歳の壁

転職市場には「35歳の壁」という言葉がある。35歳を超えると、求人の数が激減する。正確に言えば、未経験OKの求人が激減する。35歳以上に残されるのは、専門性の高い即戦力ポジションか、マネジメント経験者向けのポストか、あるいは「年齢不問」と書いてある代わりに労働条件が厳しい仕事だ。

35歳になる前年、34歳のときに別のエージェントに相談に行った。今度こそ正社員を目指したかった。

「来年35になる前に動いたほうがいいですよ」とエージェントは言った。まるで爆弾の導火線が燃えているかのような切迫感だ。35歳が何かの閾値であるかのように。

「35歳を過ぎると、ご紹介できる求人がぐっと減ります」

ぐっと。副詞で表現される希望の減少。数字で言ってくれたほうがまだ楽だ。「30%減ります」なら心の準備ができる。「ぐっと」では、減り幅が想像に委ねられ、不安だけが膨らむ。

結局、34歳のうちに転職は決まらなかった。35歳になった。壁の向こう側に来てしまった。壁の向こう側の景色は、こちら側とそこまで劇的に変わらなかったが、エージェントの態度は変わった。紹介される求人の質が明らかに落ちた。以前は「この企業はいかがでしょう」と提案してくれたのが、「この条件で検討いただけますか」という下からの打診に変わった。選ぶ側から選ばれる側へ。主語の転換。

エージェントとの面談記録

ここに、私が実際に経験したエージェントとの面談の記録を、いくつか書き留めておく。固有名詞は伏せるが、内容は概ね事実だ。

32歳、エージェントA社。「厳しい年齢ですね」が初登場。提案された求人は3件。うち2件は契約社員、1件は正社員だが給料は前職の派遣より低い。「最初は条件を下げてでも入ることが大事です」とアドバイスを受けた。つまり「贅沢を言うな」の婉曲表現だ。

34歳、エージェントB社。「35歳までがひとつの区切りですからね」と言われた。区切り。人生に勝手に区切りをつけないでほしい。提案された求人は5件。そのうち興味を持った2件に応募したが、書類で落ちた。エージェントから「もう少し幅広く見ませんか」と言われた。「幅広く」は「条件を下げろ」のさらに婉曲な表現だ。

36歳、エージェントC社。登録時の電話で「ご年齢とご経歴を拝見しまして……」と前置きされた段階で、嫌な予感がした。案の定、「現状では弊社でお力になれる範囲が限られてしまいまして」と言われた。翻訳すると「あなたに紹介できる仕事はほとんどありません」だ。

38歳、エージェントD社。面談の冒頭で「38歳で、このご経歴ですと」と言われ、「このご経歴」の「この」の部分に微量の落胆が混ざっていた。提案された求人は1件。介護職だった。別に介護職を見下しているわけではない。だが私が希望したのは事務職であり、介護の経験は一切ない。エージェントは「今、介護は人手不足ですから、未経験でも歓迎されますよ」と言った。人手不足の業界に流し込もうとしている。私は転職を希望しているのであって、「どこでもいいから働ける場所」を探しているのではない——と言いたかったが、言えなかった。言えなかった理由は、半分は遠慮で、半分は「本当にどこでもいいから働きたい」という気持ちもあったからだ。

40歳、エージェントE社。オンライン面談。開始3分で「年齢的に、エージェント経由よりもハローワークのほうが合っている案件が多いかもしれません」と言われた。つまり「うちではもう無理です」の変形。エージェントに断られるとは思わなかった。こちらがクライアントのはずなのに、サービスの提供を拒否されている。門前払いの丁寧語。

年齢で何が変わるのか

冷静に考えてみたい。年齢で何が変わるのか。

体力。確かに20代の頃よりは落ちている。だがデスクワークにおいて、20代と40代の体力差がどれほど業務に影響するのか。データ入力のスピードが20%落ちるとでもいうのか。落ちない。むしろ正確性は上がっている。

学習能力。新しいソフトウェアを覚えるスピードは、確かに20代のほうが速いかもしれない。だが40代には「似たようなソフトを10個使ってきた」という経験がある。新しいソフトを一から覚えるのではなく、既存の知識から類推して使い方を推測できる。これは経験の蓄積による効率化であり、「老化による学習能力の低下」とは本質的に異なる。

柔軟性。「年を取ると柔軟性がなくなる」とよく言われるが、これは偏見だ。20代で頑固な人間もいれば、50代で柔軟な人間もいる。年齢と柔軟性の相関は、統計的にはあるかもしれないが、個人レベルでは意味がない。目の前の人間が柔軟かどうかは、年齢ではなく面接で見ればわかる話だ。

給与水準。これが本音だろう。年齢が上がると、求職者の「希望年収」が上がる。企業は安い人材がほしい。同じ仕事をさせるなら、年収300万の25歳と年収400万の40歳では、25歳を選ぶ。これは合理的な判断だ。合理的だが、そこに人間の尊厳は考慮されていない。人間の価値が、コストパフォーマンスで測られている。

結局、「厳しい年齢」とは「企業にとって使いにくい年齢」の言い換えだ。使いにくい理由は、能力の問題ではなく、コストの問題であり、マネジメントの問題であり、「なんとなく」の問題だ。なんとなく、40代の新人は使いにくそう。なんとなく、若い人のほうが素直そう。その「なんとなく」で、数十万人の中年がキャリアの選択肢を奪われている。

年齢の話をするエージェントの心理

エージェントが年齢の話をするとき、彼らは何を考えているのだろう。

まず、エージェントはボランティアではない。ビジネスだ。求職者を企業に紹介し、採用が決まれば企業からフィーをもらう。つまり、「採用されやすい人材」を優先的に扱うのは当然の営業戦略だ。年齢が高く、経歴が薄い人材は「売りにくい商品」であり、売りにくい商品に時間をかけるのは非効率だ。

エージェントが「厳しい年齢ですね」と言うとき、それは「あなたを売るのは難しいので、期待値を下げてください」という営業メッセージだ。求職者の人生を心配しているのではなく、自分のビジネスの効率を考えている。

これを批判するつもりはない。ビジネスとして合理的だ。だが、その合理性の中で削り取られているのは、求職者の希望と自尊心だ。「厳しいですね」と言われるたびに、自分の市場価値が下がっていく感覚。スーパーの閉店間際の値引きシールのように、年齢が上がるごとに値札が書き換えられていく。

エージェントは「現実を伝えている」と思っているだろう。確かにそうだ。だが現実を伝えることと、現実を突きつけることは違う。伝え方ひとつで、同じ現実でも受け取り方は変わる。「厳しい年齢ですね」の代わりに「この年齢だからこそ活かせる経験がありますよね」と言ってくれたら、同じ現実でも見え方が変わる。もっとも、後者を言ってくれたエージェントには、一度も出会ったことがない。

年齢を言い訳にする社会

日本社会は、年齢を異常に気にする社会だ。

履歴書に年齢を書かせる。写真を貼らせる。生年月日から逆算して、この人が何歳で何をしていたかを確認する。年齢が「若い」ことは武器であり、「高い」ことはハンディキャップだ。

海外では、採用における年齢差別は違法とされている国が多い。アメリカの雇用機会均等法、イギリスの平等法。履歴書に年齢や写真を載せないのが一般的な国もある。年齢ではなく、スキルと経験で評価する。

日本でも法律上は「年齢制限の禁止」が定められているが、実態は形骸化している。「長期勤続によるキャリア形成のため、35歳以下」という例外規定を使えば、事実上の年齢制限が可能だ。この例外規定は、「若者を育てたい」という企業の意向を反映しているが、裏を返せば「中高年は育てたくない」ということだ。

「厳しい年齢ですね」は、この社会の構造を一言に圧縮した言葉だ。エージェント個人の意見ではなく、社会全体の価値観の代弁。エージェントは伝書鳩にすぎない。悪いのは鳩ではなく、メッセージを書いた社会のほうだ。

記録:言われた言葉リスト

ここに、10年以上にわたる転職活動の中でエージェントから実際に言われた言葉を、記録として残しておく。

「このご年齢ですと」
「率直に申し上げますと」
「正直なところ」
「現実的なお話として」
「市場感としては」
「弊社のデータベースでは」
「ご経歴を拝見しまして」
「お気持ちはわかるのですが」
「ご希望にそえる案件が限られておりまして」
「条件を少し柔軟にしていただければ」
「未経験でもお受けいただける業界としては」
「給与面ではある程度の妥協が」
「まずは契約社員という形から」
「紹介予定派遣という選択肢も」
「ハローワークにも並行して」

これらの言葉に共通しているのは、「あなたのスペックでは高望みするな」というメッセージだ。丁寧語に包まれているが、芯の部分は同じ。年齢が上がるほど、包み方がぞんざいになっていく。32歳では「少し厳しい」だったものが、40歳では「かなり限られる」に変わり、45歳では「弊社ではお力になれない」に到達する。段階的な見捨てられ方。

エージェントに会わなくなった理由

40代半ばを過ぎたあたりで、エージェントに会いに行くのをやめた。

やめた理由は三つある。

ひとつは、紹介される求人がほぼなくなったから。会いに行っても「現在ご紹介できる案件がございません」と言われるだけなら、わざわざ往復の交通費をかけて行く意味がない。

ふたつめは、精神的な消耗。「厳しい年齢ですね」を何度も聞くと、言葉に対する耐性がつくかと思いきや、逆だ。回数を重ねるほどダメージが蓄積する。10回目の「厳しい」は、1回目の「厳しい」より効く。「ああ、本当に厳しいんだな」という確認作業になってしまうのだ。希望を持って行ったのに、絶望を確認しに行く場所になった。

みっつめは、もっと根本的な理由だ。エージェントは、私のための存在ではないと気づいたからだ。エージェントは企業のための存在であり、私は彼らにとって「商品」だ。売れる商品には手をかけるが、売れない商品は棚から下ろされる。下ろされた商品は、自分で次の棚を探すしかない。

結局、ハローワークと直接応募に切り替えた。エージェントの華やかなオフィスではなく、ハローワークの蛍光灯の下で求人票をめくる日々に戻った。回り道をして元の場所に戻ってきた感覚だが、不思議と嫌ではなかった。ハローワークの相談員は、年齢の話はしなかった。ただ求人票を一緒に見て、「これはどうですか」と言ってくれた。それだけで十分だった。

年齢は本当に「厳しい」のか

ここで立ち止まって考えたい。年齢は本当に「厳しい」のか。

厳しいのは年齢ではなく、「年齢を理由に門前払いする社会」のほうではないか。

45歳の人間が新しい仕事を覚えられないわけがない。50歳の人間が職場に適応できないわけがない。実際、中高年で転職に成功し、新しい職場で活躍している人はたくさんいる。年齢は能力の指標ではない。だが採用の現場では、年齢はフィルターとして機能している。一定の年齢以上は書類すら通さない。面接にすら呼ばない。能力を見る前に、数字で弾く。

これは差別だ。だが「年齢差別」という言葉は、日本ではまだ市民権を得ていない。性差別や人種差別に比べて、年齢差別は「仕方がないこと」として受容されている。「だって企業だって若い人がほしいでしょ」と言われれば、反論が難しい。若い人がほしい企業の気持ちはわかる。わかるが、だからといって年齢だけで人間を排除していい理由にはならない。

「厳しい年齢ですね」と言うエージェントに、いつか聞いてみたい。「では、何歳なら厳しくないんですか?」と。25歳? 28歳? 30歳まで? その境界線は誰が引いたのか。なぜそこに引かれているのか。その線は、人間の能力と本当に関係しているのか。

答えは「No」だ。線は便宜的に引かれている。「なんとなく35歳」「なんとなく40歳」。根拠のない線。しかしその根拠のない線によって、無数の人間の人生が左右されている。

それでも

これだけ「厳しい」と言われ続けて、それでも転職活動を続けたのは、なぜか。

答えは単純だ。働かなければ生きていけないからだ。

崇高な理由なんてない。キャリアアップのためでも、自己実現のためでもない。家賃を払い、食費を稼ぎ、最低限の生活を維持するために、仕事が必要だった。そして仕事を得るためには、「厳しい年齢ですね」と言われながらも、エージェントの面談室や、ハローワークの窓口や、面接室の椅子に座り続けなければならなかった。

座り続けた。何年も。何十回も。断られ、値踏みされ、同情され、見捨てられ、それでも座り続けた。

こう書くと美談のように聞こえるかもしれないが、美談ではない。選択肢がなかっただけだ。座らない選択肢がなかった。座るか、座らないかを選べる人間は恵まれている。私は座るしかなかった。だから座った。

エージェントへの、送らない手紙

最後に、これまで「厳しい年齢ですね」と言ったすべてのエージェントに、送らない手紙を書いておく。

エージェント殿。

あなたが「厳しい年齢ですね」と言うとき、それはあなたの仕事として、市場の現実を伝えてくれているのだと理解しています。あなた個人を恨むつもりはありません。

ただ、知っておいてほしいことがあります。あなたが「厳しい」と言ったその年齢に至るまでに、私はずっと働いてきました。正社員ではなかったかもしれない。華々しいキャリアではなかったかもしれない。でも働いてきた。社会の片隅で、誰かの仕事の一部を担い、給料をもらい、税金を払い、生活してきた。その何十年分の労働が、あなたの前に座った瞬間に「厳しい」の一言で片づけられる。

あなたにとって私は「売りにくい商品」のひとつかもしれません。でも私にとっての私は、売りにくかろうが売りやすかろうが、この体ひとつで生きてきた人間です。年齢は、私が生き延びてきた時間の証です。その時間を「厳しい」と否定されるのは、「あなたが生きてきた時間には価値がない」と言われているのと同じです。

もちろん、あなたにそんなつもりはないのでしょう。でも言葉は、意図を超えて着弾します。「厳しい年齢ですね」は、あなたが思っている以上に、重い。それだけ伝えたかった。

来月また別のエージェントに登録するかもしれませんし、もうしないかもしれません。どちらにしても、私はまだ働き続けます。「厳しい年齢」であっても、年齢は毎年確実に上がる。上がるたびに厳しくなるなら、今日が残りの人生で一番マシな日だということになる。

だったら今日、動くしかない。

 

 

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。「厳しい年齢ですね」と言われた経験のある人は、きっと少なくないはずです。

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