「自己責任」という言葉を浴び続けた世代の話

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最初に浴びせられた日のこと

「自己責任」という言葉を初めて意識したのは、いつだったか。

正確な日付は覚えていない。ただ、状況は覚えている。大学4年の冬、就職が決まらないまま卒業が迫っていた頃、親戚の集まりで叔父にこう言われた。「就職できないのは、結局は本人の問題だろう」。

本人の問題。つまり、自己責任。

叔父はバブル期に就職した世代だ。複数の企業から内定をもらい、選ぶ側だった世代。就職活動とは「どの会社を選ぶか」であって、「どこかに拾ってもらえるか」ではなかった世代。その叔父が、100社以上落ちた甥に向かって「本人の問題」と言った。

悪意はなかったと思う。叔父の中では、就職とは「本人が頑張れば決まるもの」であり、決まらないのは頑張りが足りないからだ、という素朴な因果関係が成立していたのだろう。その因果関係は、叔父の時代においてはおそらく正しかった。頑張れば報われる時代に生きた人間にとって、「頑張っても報われない」という状況は想像の外にある。

あの日から、「自己責任」は私の人生にまとわりつく言葉になった。就職できなかったのは自己責任。非正規なのは自己責任。貯金がないのは自己責任。結婚できないのは自己責任。老後が不安なのは自己責任。すべてが「自己」に帰着する。社会は何の責任も負わない。

「自己責任」が流行語だった時代

2000年代前半、「自己責任」は社会のあちこちで使われた。

きっかけのひとつは、2004年のイラク人質事件だった。イラクで日本人が拘束され、解放後に「自己責任だ」というバッシングが起きた。危険な地域に自ら行ったのだから、結果は自分で負うべきだ、と。この事件をきっかけに「自己責任」という言葉は一気に市民権を得た。

しかし、就職氷河期世代にとっては、この言葉はもっと前から日常に存在していた。就職できない。正社員になれない。生活が不安定。これらの状況に対して、社会が返す答えはいつも同じだった。「それは自己責任でしょう」。

テレビのコメンテーターが言う。「選ばなければ仕事はある」。新聞の社説が言う。「若者の甘え」。ネット掲示板が言う。「努力不足」。家族が言う。「頑張りが足りない」。

四方八方から「自己責任」を浴びせられ続けると、人間はどうなるか。最初は反発する。「違う、時代のせいだ」と。次に疲弊する。反発し続けるエネルギーが尽きてくる。そして最後に、内面化する。「そうか、やっぱり自分のせいなんだ」と。

自己責任論の最も恐ろしいところは、浴びせ続けられると本人がそれを信じてしまうことだ。外部からの批判が、いつの間にか内部の声に変わる。「お前が悪い」と言われ続けた人間は、やがて自分で「俺が悪い」と言い始める。洗脳と言ったら大げさかもしれないが、構造は似ている。

「選ばなければ仕事はある」の嘘

自己責任論の定番フレーズに、「選ばなければ仕事はある」がある。

確かに、選ばなければ仕事はある。ブラック企業と呼ばれる会社、違法すれすれの労働条件の会社、心身を壊すリスクの高い会社。選ばなければ、いくらでもある。

だが「選ばなければ仕事はある」と言う人は、自分は選んだ上で今の仕事に就いているはずだ。選ぶ権利を行使した人間が、選ぶ権利を放棄しろと他人に言う。この矛盾に、言っている本人は気づいていない。

そもそも「選ぶ」とは何か。給料が最低賃金を下回らないことを求めるのは「選んでいる」のか。週休が1日あることを求めるのは「選んでいる」のか。残業代が支払われることを求めるのは「選んでいる」のか。これらは法律で保障された当然の権利であり、「選り好み」ではない。

「選ばなければ仕事はある」は、言い換えれば「権利を放棄すれば仕事はある」だ。労働者の権利を放棄してまで働くことを、なぜ強いられなければならないのか。そしてなぜ、権利の放棄を拒んだ人間が「自己責任」と断じられなければならないのか。

この問いに対する答えを、私はまだ聞いたことがない。

自己責任論の便利さ

「自己責任」は、使う側にとって非常に便利な言葉だ。

なぜ便利か。責任の所在を個人に固定することで、社会や制度の問題を免責できるからだ。

「就職できないのは自己責任」と言えば、就職氷河期を生んだ経済政策の失敗を問わなくて済む。「非正規なのは自己責任」と言えば、非正規雇用を拡大した労働法制の改正を問わなくて済む。「貯金がないのは自己責任」と言えば、低賃金を放置した社会構造を問わなくて済む。

自己責任論は、社会のための免罪符だ。個人に責任を負わせることで、社会は免責される。そしてこの免罪符は、非常にローコストだ。「自己責任」と一言言えばいい。政策を変える必要もなければ、予算を組む必要もない。言葉ひとつで問題を個人に封じ込められる。

便利だから、広まった。政治家が使い、メディアが使い、一般市民が使った。「自己責任」と言えば、複雑な社会問題を考えなくて済む。思考の節約。認知の効率化。その裏で、責任を押しつけられた個人がすり減っていることには、目を向けなくて済む。

「努力すれば報われる」という神話

自己責任論の土台には、「努力すれば報われる」という信念がある。

この信念は、条件つきでは正しい。努力すれば報われる「こともある」。だが「必ず」報われるわけではない。努力と結果の間には、無数の変数が介在している。時代、環境、運、健康、家族、出身地。これらの変数を無視して「努力すれば報われる」と断言するのは、宝くじを買えば当たると言うのに等しい。買わなければ当たらないのは確かだが、買っても当たるとは限らない。

就職氷河期世代は、努力しても報われなかった世代だ。受験勉強を頑張って大学に入り、就職活動を頑張ってエントリーシートを何十枚も書き、面接を何十回も受けた。頑張った。間違いなく頑張った。その上で、報われなかった。

「頑張りが足りなかった」と言う人がいる。では、どれだけ頑張れば十分だったのか。100社受けて足りないなら200社か。200社でも足りないなら300社か。際限がない。「足りなかった」という評価は、結果が出なかったことへの後づけの解釈であり、事前に「ここまでやれば十分」というラインが示されていたわけではない。

結果が出なければ「努力が足りない」、結果が出れば「努力した」。これは結果から原因を逆算するトートロジーであり、何も説明していない。成功した人は努力したから成功した。失敗した人は努力が足りなかったから失敗した。この循環論法に疑問を持たない人は、自分がたまたま成功した側にいることに気づいていない。

浴び続けた結果、何が起きたか

自己責任論を20年以上浴び続けた結果、何が起きたか。

まず、声を上げなくなった。困っていても助けを求めなくなった。助けを求めれば「甘えるな」と言われるとわかっているから。ハローワークに行っても、「もっと広く探しましょう」としか言われない。相談しても「自分で考えてください」に帰着する。どこに助けを求めても、最終的には「自分でなんとかしてください」と返される。そのうち、助けを求めること自体がエネルギーの無駄に思えてくる。

次に、連帯しなくなった。同じ境遇の人間同士がつながって声を上げれば、社会を動かせるかもしれない。だが自己責任論を内面化した人間は、自分の苦しさを「自分のせい」だと思っている。自分のせいなのだから、社会に訴える正当性がない。同じ境遇の人間に出会っても、「あの人はあの人、自分は自分」と切り分けてしまう。連帯ではなく孤立。自己責任論は、人と人のつながりを断ち切る作用がある。

そして、自分を責め続けた。これが最も深刻な影響だ。「自分が悪い」「自分の努力が足りなかった」「自分がもっとちゃんとしていれば」。このセルフトークが、何年も、何十年も続く。心の中に居候した批判者が、朝から晩まで自分を批判し続ける。追い出したくても出ていかない。なぜなら、社会がその批判者の言い分を支持しているから。「そうだ、お前が悪い」と、社会全体が批判者の味方をしている。一人で批判者に抵抗するのは、群衆の中で一人だけ反対意見を叫ぶようなものだ。できなくはないが、疲弊する。

「自己責任」と「自助」の接続

自己責任論は、やがて「自助」という政策用語と接続した。

「自助・共助・公助」。この三つの柱のうち、強調されるのは常に「自助」だ。まず自分でなんとかしろ。それでもダメなら地域で助け合え。最後の最後に、国が助ける。この順番は、一見合理的に見える。何でもかんでも国に頼るのは良くない。まずは自分で、というのは正論だ。

だが「自助」を強調するとき、「自助できない人間はどうなるのか」という問いがセットで語られることはほとんどない。自助できる前提で話が進む。自助できない人間は、自助できるようになるまで頑張れ。頑張れない人間は——そこから先は沈黙だ。

就職氷河期世代は、20年以上「自助」してきた。自分で仕事を探し、自分でスキルを身につけようとし、自分で生活をやりくりしてきた。自助の限界まで自助した。それでも状況が改善しなかった人間に、まだ「自助が足りない」と言うのか。

自助の限界を超えた先に共助や公助があるはずなのに、共助はコミュニティの弱体化で機能しにくくなり、公助は「財源がない」と後回しにされる。結果として、自助だけが残る。自助しかない世界で、自己責任論が唯一の評価軸になる。自助できた人間は「偉い」、できなかった人間は「自己責任」。この二項対立の世界に、20年以上閉じ込められてきた。

あの頃の自分に言いたいこと

20代の自分に伝えたいことがある。

お前のせいじゃない。

就職できなかったのは、お前の努力が足りなかったからではない。100社以上に落ちたのは、お前に問題があったからではない。時代が悪かった。社会が悪かった。そう言うと「言い訳だ」と返されるかもしれないが、事実と言い訳は違う。事実は事実だ。

お前はこれから20年以上、「自己責任」という言葉を浴び続ける。テレビから、ネットから、親戚から、同僚から、初対面の人から。浴びるたびに、少しずつ自分を疑うようになる。「やっぱり俺のせいなのか」と。

違う。お前のせいではない。

ただし残念ながら、お前のせいではないと気づくのに、20年くらいかかる。その間、自分を責め続ける。それは仕方がない。周囲が全員「お前のせいだ」と言っている中で、一人だけ「俺のせいじゃない」と確信し続けるのは、ほぼ不可能だからだ。

だから、せめてこれだけ覚えておいてほしい。「自己責任」と言ってくる人間の大半は、お前の状況を知らない。知らないから言える。知っていたら、少なくとも一部の人間は、別の言葉を選ぶだろう。知らない人間の言葉に、全体重を預ける必要はない。

「自己責任ではない」と言えるようになるまで

「自分のせいではなかった」と思えるようになったのは、40代に入ってからだ。

きっかけは特定のひとつの出来事ではなく、いくつかの経験の積み重ねだった。

ひとつは、就職氷河期世代を取り上げたドキュメンタリーや記事を目にするようになったこと。同じ時代に同じような経験をした人間が、日本中にたくさんいた。自分だけが落ちこぼれたのではなく、世代として構造的に排除されていた。この認識は、自己責任の殻を少しずつ溶かしてくれた。

ひとつは、氷河期世代の支援策が政府の議題に上がるようになったこと。遅すぎるとはいえ、政府が「世代として支援が必要」と認めたということは、問題が個人にあるのではなく構造にあったと、公的に認められたということだ。この「公的な認定」は、自己責任論に対する反証として、個人の内面を支える力になった。

もうひとつは、単純に年を取ったこと。40代になると、人生を俯瞰する視点が自然と備わる。20代の自分を、距離を置いて眺められるようになる。あの頃の自分は精一杯やっていた。精一杯やった上で結果が出なかった。それは自己責任ではなく、条件の問題だった。この結論に至るのに、20年の歳月が必要だった。

まだ浴びている

40代になって「自分のせいではない」と思えるようになったとはいえ、自己責任論が消えたわけではない。

転職活動をすれば「この年齢で」と言われ、その裏に「自己管理ができていない」というニュアンスが漂う。年金の見込額が少なければ「ちゃんと払っていなかったんでしょう」と言われ、その裏に「自業自得」がちらつく。貯金がなければ「何に使っていたの」と言われ、その裏に「浪費していたんでしょう」が透ける。

自己責任論は、形を変えて今も降り注いでいる。20代の頃は大雨だったが、40代の今は小雨になった程度の変化だ。傘を差せるようにはなったが、傘があっても濡れるものは濡れる。

ただ、ひとつ変わったことがある。浴びても、信じなくなった。

「自己責任でしょう」と言われても、「そうですね」と受け流せるようになった。受け流すのは同意ではない。「あなたの言葉は聞こえたが、私の中には入れない」という静かな拒否だ。20代の頃はこれができなかった。すべての「自己責任」を真正面から受け止め、全身でダメージを食らっていた。今は受け流せる。受け流すスキルを身につけるのに、20年かかった。高い授業料だった。

自己責任論を超えて

自己責任論を否定したいのではない。

個人の責任は存在する。自分の選択の結果を引き受けることは、大人として当然だ。暴飲暴食をして体調を崩したら、それは自己責任だろう。勉強せずに試験に落ちたら、それも自己責任だろう。個人の意志で選択可能なことの結果は、個人が負うべきだ。

問題は、「個人の意志では選択不可能なこと」にまで自己責任論を適用することだ。生まれた年は選べない。景気は選べない。求人の数は選べない。これらの選択不可能な変数によって人生が左右されたとき、それを「自己責任」と呼ぶのは不当だ。

自己責任の範囲は、個人の選択可能性の範囲と一致すべきだ。選べたのに選ばなかったなら自己責任。選びようがなかったなら自己責任ではない。この線引きは単純に見えるが、実際の運用では曖昧になる。「選べたのに選ばなかった」と「選びようがなかった」の境界は、外からは見えにくい。見えにくいから、外部の人間は安易に「選べたはずだ」と判断する。

就職氷河期に100社落ちた人間が「選べた」のか。理論上は、101社目で受かる可能性はあった。だが100社落ちた時点での精神状態、経済状態、体力の状態を考慮すれば、「もう選べなかった」と言ったほうが実態に近い。選択肢が理論上存在することと、実際に選択可能であることは、同じではない。

静かな反論として

このエッセイは、大声での抗議ではない。デモでもストライキでもない。

ただの、静かな反論だ。

「自己責任」と言われ続けた世代の一人として、「それは違う」とここに記しておく。声を荒げても届かないことは、20年で学んだ。だから静かに書く。静かに書いて、どこかに置いておく。いつか誰かが読んで、「ああ、そういう世代がいたんだ」と知ってくれれば、それでいい。

自己責任。この四文字が、どれだけ多くの人間を黙らせ、孤立させ、自分を責めさせてきたか。この四文字を投げつけた人々は、きっと覚えていないだろう。投げた側は覚えていないが、受けた側は忘れない。石を投げた人間は手の痛みをすぐ忘れるが、石を当てられた人間の痣はいつまでも残る。

最後にもう一度だけ書いておく。

就職できなかったのは、自己責任ではない。非正規なのは、自己責任ではない。貯金がないのは、自己責任ではない。年金が少ないのは、自己責任ではない。

時代が悪かった。構造が悪かった。そして、その構造の中で生き延びてきたことは、責められるべきことではなく、認められるべきことだ。

認めてくれなくてもいい。認めてもらうために書いているのではない。ただ、「自己責任ではなかった」と、自分自身に向かって言うために書いている。他人が認めてくれなくても、自分だけは知っている。あの頃の自分は、精一杯やっていた。それを「自己責任」の四文字で片づけられてたまるか。

この一言を、20年前の自分に届けたい。届かないことは、わかっている。わかっているが、書いておく。

 

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。「自己責任」という言葉に傷ついた経験のある人は、きっと少なくないはずです。

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