書店で見かけた本のタイトル
書店で「おひとりさまの老後」「おひとりさまの楽しみ方」「おひとりさまの資産術」といった本を見かけることがある。
どれも、一人で暮らすことをポジティブに捉えた内容だ。一人は自由だ。一人は気楽だ。一人は自分のペースで生きられる。一人を楽しもう。一人を選ぼう。一人をデザインしよう。
「おひとりさま」。なんだかオシャレな響きだ。カフェでゆったりとコーヒーを飲みながら読書する一人の時間。休日に一人で美術館を巡る洗練された趣味。一人旅で知らない土地を歩く自由。
美しい。美しいのだが、私の現実とは相当な距離がある。
私の「おひとり」は、カフェでの読書ではない。6畳一間で発泡酒を飲みながらテレビを見ている。美術館巡りではない。スーパーの半額シールを追いかけている。一人旅ではない。帰省の交通費すら惜しんでいる。
同じ「一人」でも、経済力によって、その質はまったく違う。「おひとりさま」という言葉がオシャレに響くのは、経済的な余裕がある人だけだ。
「おひとりさま」の二つの意味
「おひとりさま」という言葉には、二つの意味がある。
ひとつは「選んで一人でいる人」。結婚しない選択をした。一人のほうが自分らしく生きられる。パートナーは必要ない。この「選択型おひとりさま」は、ポジティブだ。自己決定の結果としての一人。尊重されるべき生き方だ。
もうひとつは「結果として一人でいる人」。結婚したかったがかなわなかった。パートナーがほしかったが見つからなかった。経済的な理由で結婚を諦めた。この「結果型おひとりさま」は、必ずしもポジティブではない。本人の意志ではなく、状況の帰結としての一人だ。
世間で語られる「おひとりさま」は、たいてい前者の意味で使われる。雑誌の特集、テレビの番組、書籍のタイトル。これらが描く「おひとりさま」は、自分で選んだカッコいい一人だ。高収入で、おしゃれな部屋に住み、趣味を楽しみ、旅行を満喫する。「一人を謳歌する」ライフスタイル。
私は後者だ。結果として一人でいる。一人を謳歌しているのではなく、一人で凌いでいる。凌いでいる人間に向かって「おひとりさまを楽しもう!」と言われても、楽しむ余裕がない。
余裕のある「おひとり」と余裕のない「おひとり」
余裕のある「おひとりさま」と、余裕のない「おひとりさま」の違いを、具体的に書いてみる。
食事。余裕のあるおひとりさまは、一人のディナーを楽しむ。おしゃれなレストランでカウンター席に座り、シェフの料理を堪能する。一人だからこそ、自分のペースで食事ができる。余裕のないおひとりさまは、半額の惣菜を買って帰り、発泡酒と一緒にテレビの前で食べる。一人だから、誰に気兼ねすることもなく食べられる。だがそれは「楽しんでいる」のではなく「他に選択肢がない」だけだ。
住まい。余裕のあるおひとりさまは、広めの1LDKや2LDKに住み、インテリアにこだわり、快適な空間を作る。余裕のないおひとりさまは、築30年の6畳一間に住み、家具は最小限、インテリアにこだわる余裕はない。壁紙は変色し、窓からの景色は隣のビルの壁だ。
休日。余裕のあるおひとりさまは、美術館、映画館、温泉、旅行。一人の時間を能動的に使う。余裕のないおひとりさまは、家でテレビを見る。外出すればお金がかかる。お金を使わない休日の選択肢は限られている。図書館は無料だが、一日中いるわけにもいかない。
老後。余裕のあるおひとりさまは、老後の資金計画を立て、民間の介護保険に入り、信頼できる弁護士に死後事務を委任する。備えが万全だ。余裕のないおひとりさまは、老後の資金計画が立てられず、介護保険の余裕もなく、死後事務の心配だけが増えていく。
同じ「おひとりさま」でも、中身がまったく違う。「おひとりさま」という言葉で一括りにすると、この差が見えなくなる。見えなくなると、余裕のないおひとりさまは「一人を楽しめていない人」として、自分を責め始める。「一人でも楽しんでいる人がいるのに、なぜ自分は楽しめないのか」と。
楽しめないのは、楽しむ余裕がないからだ。余裕があれば楽しめる。余裕がなければ楽しめない。シンプルな話だ。「おひとりさまを楽しもう」のスローガンは、余裕のある人向けのメッセージであり、余裕のない人には届かない。届かないどころか、「楽しめない自分」への自己嫌悪を増幅させる副作用がある。
「一人が好き」と「一人しかない」の違い
「一人が好き」と「一人しかない」は、別の状態だ。
「一人が好き」は、選択だ。一人でいることを、複数の選択肢の中から選んでいる。いつでもパートナーを作れるが、あえて一人を選んでいる。いつでも友人と過ごせるが、あえて一人の時間を選んでいる。選んでいるから、充実している。
「一人しかない」は、状況だ。選択肢がないから一人でいる。パートナーがほしいが見つからない。友人と過ごしたいが友人がいない。一人でいることを選んだのではなく、一人になってしまった。なってしまったから、充実ではなく、凌ぎだ。
「おひとりさま」の本や雑誌は、前者を描いている。読者として想定されているのも前者だ。後者の人間がこれらを読むと、「自分もこうなれるかもしれない」と一瞬期待するが、すぐに「余裕がないから無理だ」と気づく。気づいた瞬間の落差が、少しつらい。
「おひとりさま」ブームの裏側
「おひとりさま」がブームになっている背景には、未婚率の上昇がある。結婚しない人が増え、一人暮らしの人が増え、「おひとりさま」が市場として無視できないサイズになった。
市場ができると、ビジネスが生まれる。一人用の家電、一人用のレストラン、一人用の旅行プラン、一人用の保険。「おひとりさま」向けの商品やサービスが次々と登場した。
このビジネスのターゲットは、「お金を使えるおひとりさま」だ。可処分所得が高い独身者。彼らの財布を開かせるために、「一人を楽しもう」「一人は自由だ」「一人をデザインしよう」というメッセージが発信される。
つまり「おひとりさま」ブームは、マーケティング戦略の産物だ。一人であることをポジティブに語ることで、一人向けの商品を買わせる。商品を買えない「おひとりさま」は、このブームの蚊帳の外だ。
蚊帳の外にいる私は、ブームを横目で見ている。「おひとりさま」という言葉がキラキラしているのは、お金のある人だけ。お金のない「おひとりさま」は、キラキラではなく、ひっそりだ。ひっそりと、6畳一間で、半額の惣菜を食べている。キラキラの対極にある、ひっそり。
ひっそりの「おひとりさま」を、誰も特集しない。特集しても視聴率が取れないから。購買力がないターゲットを特集しても、広告主が喜ばないから。だからひっそりの「おひとりさま」は、いないことにされる。いるのに、いないことにされる。
「おひとりさま」の言い換え
「おひとりさま」という言葉を使わずに、自分の状態を表現するなら、何と言うか。
「独り暮らし」。これが最も実態に近い。「おひとりさま」のオシャレ感はなく、素朴で、地味で、正確だ。独り。暮らし。一人で暮らしている。それ以上でもそれ以下でもない。
「独身」。これも使えるが、「独身貴族」のようなポジティブなニュアンスと、「独身のまま年を取った」のようなネガティブなニュアンスの両方がある。文脈によって意味が変わる。
「一人」。最もシンプル。「一人で生きている」。装飾がない分、事実だけが伝わる。
私は「一人で生きている」と言いたい。「おひとりさま」ではなく。「おひとりさま」はパッケージされたイメージだ。キラキラした、ポジティブな、消費可能な一人。私の一人は、パッケージされていない。むき出しの、地味な、消費されない一人。
むき出しの一人にも、尊厳はある。キラキラしていなくても、生きている。生きている限り、尊厳がある。その尊厳を、「おひとりさま」という言葉に奪われたくない。オシャレでなくてもいい。キラキラしなくていい。ただ、一人で、生きている。それだけで十分だ。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。「おひとりさま」という言葉に違和感を持ったことがある人は、きっと少なくないはずです。

