介護と非正規の仕事を両立できるのかという未解決問題
両立という言葉の重さ
「仕事と介護の両立」。この言葉は、政府の白書にも、企業のパンフレットにも、介護関連の書籍にも頻繁に登場する。仕事を続けながら介護もする。両方を成り立たせる。両立。
だがこの「両立」は、正社員を前提にした言葉だ。介護休業制度、介護休暇制度、短時間勤務制度、フレックスタイム。これらの「両立支援制度」は、正社員向けに設計されている。法律上は非正規でも利用可能だが、実態として非正規が使えるかどうかは別問題だ。
派遣社員が介護休業を取ったらどうなるか。93日間の休業。その間、派遣先は代替要員を手配する。代替要員が見つかれば、そちらのほうが都合がいい。休業が終わって戻ってきても、元のポジションはない。契約期間中なら復帰できるかもしれないが、契約が更新されない可能性が高い。
つまり、介護休業を使うと仕事を失うリスクがある。仕事を失わないためには介護休業を使わない。使わないなら、介護をどうするか。
この矛盾が、非正規の「両立」の実態だ。制度はある。あるが使えない。使えないのは制度の問題ではなく、非正規の雇用構造の問題だ。構造が「両立」を許さない。
派遣社員の介護の現実
派遣社員が介護と仕事を両立しようとすると、具体的にどうなるか。
朝、出勤前に親に電話する。「今日の調子はどう?」。母が「大丈夫よ」と言えば安心して出勤する。「ちょっと調子悪くて」と言われると、一日中心配しながら仕事をする。仕事中にスマートフォンが振動するたびに、「何かあったか」と心臓が跳ねる。
急な呼び出しがあった場合。親が転倒した、具合が悪い、病院に連れて行かなければならない。この「急」に対応できるか。派遣社員が「急用で帰ります」と言ったとき、派遣先の反応は冷たいかもしれない。「また早退ですか」。頻繁に早退すれば、信頼を失う。信頼を失えば、契約更新されない。
定期的な通院の付き添い。月に2回、父の通院に付き添う。平日の午前中。仕事を半日休む。半日×月2回=月1日分の収入減。時給1200円×4時間×2回=9600円。月に約1万円の減収。年12万円。この12万円は、NISAの年間積立額に匹敵する。
ケアマネジャーとの面談。月に1回。これも平日の日中。仕事を抜けるか、休むか。
介護サービスの調整。デイサービスの送り出し、訪問介護の立ち会い。これも日中。
介護に関連するタスクの多くが「平日の日中」に発生する。平日の日中に仕事をしている人間にとって、このタスクをこなすには仕事を休むしかない。休むたびに収入が減り、評価が下がり、契約更新のリスクが増す。
「遠距離介護」の負荷
私の場合、親の住む実家と自分の住む場所は新幹線で3時間の距離だ。遠距離介護。
遠距離介護は、近距離介護とは異なるコストが発生する。
交通費。往復3万円弱。月に一度帰省すると、年間36万円。NISAの積立を6年分以上に相当する。この交通費は、介護保険ではカバーされない。全額自己負担。
時間。往復6時間。帰省のたびに、丸一日が移動で消える。週末を使って帰省すると、土曜の朝に出発して日曜の夜に帰宅。休息の時間がゼロ。月曜日の朝、疲れた体で出勤する。
精神的な負荷。離れているから、様子がわからない。電話で「大丈夫」と言われても、本当に大丈夫かは見ないとわからない。見に行くには3時間かかる。3時間の距離が、不安を増幅する。近ければすぐに駆けつけられるが、遠いと「何かあったらどうしよう」が常に頭の片隅にある。
遠距離介護のコストを軽減するには、実家の近くに引っ越すのが最善だ。だが引っ越すと仕事を失う。仕事を失わずに引っ越す方法は、リモートワークが可能な仕事に転職することだが、派遣の事務職にリモートワークの選択肢は少ない。少ないのではなく、ほぼない。
介護と仕事の両立は「贅沢」なのか
両立が難しいなら、どちらか一方を選ぶしかない。仕事を辞めて介護に専念するか、介護を他者に任せて仕事を続けるか。
仕事を辞めれば、介護には専念できるが、収入がゼロになる。収入がゼロの状態が続けば、自分の生活が崩壊する。崩壊すれば、介護どころではなくなる。
介護を他者に任せれば、仕事は続けられるが、介護の質が心配だ。プロの介護サービスは利用しているが、「家族が見ていない時間」に何が起きているか。不安は消えない。
両立は、両方を「そこそこ」のレベルで維持する試みだ。仕事も100%ではなく、介護も100%ではない。どちらも70%くらいで回す。70%の仕事と70%の介護。合計140%。100%を超えている。超えている分は、自分の時間、休息、健康から搾り取っている。
「仕事と介護の両立」は、言葉の響きは前向きだが、実態は自分を削る行為だ。削り続ければ、いつか削る部分がなくなる。なくなったとき、両方が崩壊する。
だから「両立」は、持続可能な方法で行わなければならない。持続可能にするには、外部のサポートが必要だ。介護サービスの最大限の活用、兄弟との分担、地域のサポート。自分一人で両立しようとすれば、必ず限界が来る。
未解決のまま生きる
このエッセイのタイトルに「未解決問題」と書いた。未解決だ。解決していない。解決の見通しも立っていない。
介護と非正規の仕事を両立できるのか。答えは、「できるかもしれないし、できないかもしれない」だ。状況次第。親の介護度次第。母の健康状態次第。仕事の契約状態次第。あまりにも多くの変数があり、どれか一つが変わるだけで全体のバランスが崩れる。
崩れないように、毎日バランスを取り続ける。綱渡りだ。落ちたら終わり。落ちないように、一歩ずつ。風が吹いても。雨が降っても。一歩ずつ。
綱渡りを何年続けられるか。5年か。10年か。それとも来月終わるか。わからない。わからないまま、綱の上を歩く。歩き続ける。歩き続けることだけが、今の自分にできる「両立」だ。
いつかこの問題が「解決」する日が来るだろうか。来るとしたら、介護が終わったとき(親が施設に入る、あるいは亡くなる)だろう。その日が来るまで、未解決のまま生きる。未解決を抱えたまま、朝起きて、仕事に行って、電話をかけて、帰省して、半額の惣菜を買って、発泡酒を飲んで、寝る。
未解決は、不快だ。だが未解決のまま生きることに慣れてきた。氷河期世代の人生は、未解決問題の集合体だ。就職の問題も未解決。貯金の問題も未解決。結婚の問題も未解決。老後の問題も未解決。介護の問題も未解決。すべてが未解決のまま、日常を回し続けている。
解決を待っていたら、何も始まらない。未解決のまま進む。進みながら、少しずつ状況を改善する。改善できなくても、悪化を防ぐ。防ぐだけで十分だ。十分だと思えるようになったのが、40代の成果かもしれない。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。介護と仕事の両立に悩んでいる人は、きっと少なくないはずです。

