- はじめに——「損をした」と感じる瞬間、「得をした」と感じる瞬間
- 第1章 「損」の全貌——氷河期世代が失ったものの総決算
- 第2章 「損の原因」を分析する——誰が、何が、この損失を生んだのか
- 第3章 「損」の中身を問い直す——本当に「損」だったのか
- 第4章 「得」の発掘——氷河期世代が手に入れた「予想外の資産」
- 第5章 「損得の天秤」にかけてみる——7000万円の損失 vs 予想外の資産
- 第6章 「損得」を超える視点——「損か得か」で人生を測ることの限界
- 第7章 「損を取り戻す」は可能か——45歳からのリカバリープラン
- 第8章 「損」を「物語」に変換する——氷河期世代にしか語れないストーリー
- 第9章 「他の世代」と比較する——氷河期世代だけが損をしているのか
- 第10章 「損の受容」——損をしたことを認め、それでも前を向く方法
- 第11章 「次の世代」に伝えたいこと——氷河期世代の損を繰り返させないために
- 第12章 「もやし炒め」から見た損得論——30円の食材が教えてくれたこと
- 第13章 「発泡酒」から見た損得論——135円が教えてくれた「幸福の方程式」
- 第14章 「損ばかりしている」と感じたときの処方箋——認知の転換5つ
- 第15章 「損」と「得」の最終決算——氷河期世代は「損ばかりしている」のか
- あとがき——「損をした世代」が「損を知っている世代」として生きる
はじめに——「損をした」と感じる瞬間、「得をした」と感じる瞬間
「氷河期世代は損ばかりしている」。この言葉をSNSでよく見かける。テレビの特集でも聞く。本のタイトルにもなっている。そして自分自身も、何度もそう思ってきた。100社不採用。手取り16万円。ボーナスなし。退職金なし。13社の派遣先を転々。貯金は45歳で220万円。同級生の正社員は貯金1500万円。差額4580万円。「損をした」。数字が証明している。
だが——本当に「損ばかり」なのか。「損しかない人生」なのか。23年間を振り返ったとき、「得」は一切なかったのか。もやし炒めを覚えたこと。発泡酒の美味さを知ったこと。NISAを始めたこと。100均の使い方を極めたこと。散歩の習慣を持ったこと。月1万円で暮らす技術を身につけたこと。これらは「得」ではないのか。「得」と呼ぶには小さすぎるか。「もやし炒めを覚えた」が「4580万円の損失」と釣り合うか。釣り合わない。到底釣り合わない。だが「釣り合わないから価値がない」のか。
このエッセイでは「氷河期世代は損ばかりしているか」という問いに、「損」と「得」の両面から答える。「損」を直視し、「得」を探し出し、最終的に「損得の総決算」を行う。結論を先に言えば——「氷河期世代は確かに大きな『損』を被った。だが『損ばかり』ではない。損の中から掘り出した『得』がある。その『得』は、損があったからこそ手に入った、この世代だけの『資産』だ」。
第1章 「損」の全貌——氷河期世代が失ったものの総決算
まず「損」を徹底的に洗い出す。目を逸らさない。「自分がどれだけ損をしたか」を正確に把握しなければ、「損ばかりか」の問いに答えられない。
損1は「生涯賃金の喪失」。22歳〜45歳の23年間。手取り総収入4437万円。同じ年に大学を出て正社員になった同級生の手取り総収入は推定8800万円。差額4363万円。この差額は「22歳のときに正社員になれなかった」ことから生じた。22歳の分岐点一つで、23年間で4363万円の差。これは「個人の努力の差」ではなく「社会の構造が生んだ差」だ。求人倍率0.99倍の年に生まれ、大学を出たことが原因。「生まれた年の不運」で4363万円を失った。
この4363万円の中身をさらに分解する。ボーナスの差。正社員は年間ボーナスが約100万円×23年=2300万円。派遣社員はゼロ。差額2300万円。昇給の差。正社員は毎年の昇給で月給が20万円→35万円に。派遣社員は14万円→17万円にしか上がらなかった。この昇給の差が23年間で約1500万円。退職金の差。正社員は定年時に2000万円以上の退職金。派遣社員はゼロ。45歳時点では「まだ退職金を受け取っていない」が、「将来受け取れない」ことが確定している(公務員になれば別だが)。
損2は「年金の損失」。非正規雇用で厚生年金に加入していない期間があれば、将来の年金受給額が減る。正社員として40年間厚生年金に加入した人と、非正規で厚生年金の加入期間が短い人では、月の年金額に3〜5万円の差が出る。30年間(65歳〜95歳)で1080〜1800万円の差。「老後の年金が少ない」のは「現役時代の雇用形態」が原因であり、「個人の年金の払い方の問題」ではなく「社会が非正規雇用に追いやった構造の問題」だ。
損3は「社会的信用の喪失」。住宅ローンが組めない。クレジットカードの審査に通りにくい。結婚市場で不利。これらは「社会的信用が低い」ことの具体的な影響だ。社会的信用は「目に見えない損失」であり、金額に換算しにくい。だが「住宅ローンが組めないことで生涯の住居費が1000万円以上高くなる可能性」「結婚できないことで孤独死のリスクが高まる」など、間接的なコストは計り知れない。
損4は「キャリアの喪失」。正社員なら「同じ会社で20年間→部長→役員」のキャリアパスがありえた。派遣社員には「キャリアパスがない」。23年間で13社を転々とし、すべて「一般事務」。スキルの蓄積がない。専門性がない。「23年間の労働経験」があるのに「キャリアがない」。キャリアがないことは「次の仕事を探すときに不利」であり「給与交渉ができない」ことを意味する。
損5は「時間の喪失」。22歳から45歳までの23年間=201480時間。この時間の多くを「手取り16万円のための労働」に費やした。同じ時間を「年収700万円の仕事」に使えていたら——4363万円多く稼げていた。「同じ時間を使って、4363万円少なく稼いだ」。時間は「等しく与えられた」のに「得られた対価」は「不平等」だった。
損6は「精神的な損失」。100社不採用の屈辱。派遣切りの絶望。「来月の仕事があるかわからない」不安。「自己責任」と言われた怒り。「同窓会に行けない」引け目。これらの精神的ダメージは金額に換算できないが、「睡眠の質」「健康状態」「人間関係」に影響を与え、間接的に「経済的損失」を生んでいる。不眠→集中力低下→仕事の効率が落ちる→評価が下がる→時給が上がらない。精神的損失は「見えない利息」として経済的損失を膨らませる。
損7は「結婚・家族の喪失」。45歳独身。子どもなし。「結婚したかったかもしれない」が「できなかった」。手取り16万円では「結婚相手を養えない」「子どもを育てる余裕がない」。経済的な理由で「家族を持つ選択肢」が奪われた。家族を持つことが「正解」かどうかは別として、「選択肢すら与えられなかった」ことは「損失」だ。「選べなかった」のは「選ばなかった」とは違う。選択肢を奪われたこと自体が損失。
損8は「健康の損失」。手取り16万円で「健康にお金をかける余裕がない」。歯の検診を10年放置した。健康診断を受けなかった年がある。ジムに通う余裕がない。食事はもやし炒め中心(栄養の偏り)。これらの「健康への投資不足」が「将来の医療費の増加」として跳ね返る可能性がある。「今の節約が将来の出費を生む」皮肉。
損の総額を「推定」する。生涯賃金の差4363万円+年金の差1080〜1800万円+社会的信用の損失(推定500万円相当)+キャリアの損失(推定500万円相当)+精神的損失(推定300万円相当。医療費・生産性の低下等)+健康の損失(推定200万円相当)=合計6943〜7663万円。
「約7000万円の損失」。もやし炒めに換算すると約233万食分。1日3食もやし炒めを食べても2130年分。弥生時代から令和まで食べ続けても足りない量。「7000万円の損失」の絶望感がリアルに迫ってくる。
第2章 「損の原因」を分析する——誰が、何が、この損失を生んだのか
7000万円の損失は「なぜ」生じたのか。原因を分析する。
原因1は「バブル崩壊後の不況と、それに対する政策の遅れ」。1991年のバブル崩壊から2000年代前半まで、日本経済は「失われた10年」と呼ばれる長期不況に陥った。企業は「新卒採用を大幅に絞った」。採用を絞られた世代が「就職氷河期世代」だ。政策面では「景気刺激策」が打たれたが、効果は限定的。「氷河期世代への直接的な支援策」は2019年まで本格的に行われなかった。20年遅かった。
原因2は「労働者派遣法の規制緩和」。1999年に派遣対象業務が原則自由化。2004年に製造業への派遣が解禁。企業は「正社員を雇わず派遣社員で代替する」インセンティブを得た。結果、非正規雇用が急増。「正社員の椅子」がさらに減った。氷河期世代は「正社員になれなかった世代」であると同時に「非正規雇用に誘導された世代」だ。
原因3は「新卒一括採用制度」。日本独特の「22歳の1回のチャンスにすべてが賭けられる」システム。このシステムのせいで「22歳のときの不景気」が「一生の不利」に固定された。「やり直しが効かないシステム」が「運の悪い世代」を「永遠に不利な世代」に変えた。
原因4は「自己責任論の蔓延」。「就職できないのは努力が足りないから」「非正規なのは自分の選択」。この自己責任論が「政策の遅れ」を正当化した。「個人の問題だから政策で対応する必要はない」。自己責任論は「社会の怠慢を正当化するイデオロギー」として機能し、「氷河期世代への支援」を20年間遅らせた。
原因5は「世代間の無理解」。バブル世代は「自分たちは就職に困らなかった→困っている人は努力が足りない」と思い込んだ。ゆとり世代・Z世代は「氷河期世代の苦しみを知識としては知っているが、実感としてはわからない」。世代間の無理解が「氷河期世代の問題は氷河期世代の問題」として放置される原因になった。
これらの原因を見ると、7000万円の損失は「個人の責任」ではなく「社会の構造の問題」であることが明白だ。「損をしたのは自分が悪いから」ではない。「損をさせられた」のだ。「させられた」主語は「社会の構造」であり「政策の遅れ」であり「制度の欠陥」だ。
第3章 「損」の中身を問い直す——本当に「損」だったのか
第1章で列挙した「損」を1つずつ問い直す。「本当に損だったのか」を、別の角度から検証する。
損1の問い直し:「生涯賃金の差4363万円は本当に損か」。4363万円が「もらえなかった」のは事実だ。だが「もらえなかったことで得たもの」はないか。正社員の同級生Aさんは年収700万円だが「毎日残業2〜3時間」「休日出勤月2回」「上司からのプレッシャー」「部下のマネジメントのストレス」を抱えている。自分は「定時退社」「休日出勤なし」「責任が限定的」。「4363万円を放棄した代わりに、残業0時間×23年=0時間の自由時間を得た」とも言える。正社員が残業に使った推定12000時間(年間520時間×23年)を「自分の時間」として持っている。12000時間÷24=500日。「500日分の自由」を「4363万円で買った」計算。1日あたり8万7260円。「1日の自由に8万7260円を払った」のは——高いか安いか。答えは人による。
もちろんこの「問い直し」は「負け惜しみ」に聞こえるかもしれない。「自由な時間があっても、金がなければ楽しめないじゃないか」。その通り。「金のない自由」は「制約つきの自由」だ。「散歩はできるが旅行はできない」「図書館は行けるがカフェは行けない」「もやし炒めは作れるがステーキは食べられない」。制約つきの自由。だが「制約つきでも自由は自由」だ。正社員が「金はあるが時間がない」のと、派遣社員が「時間はあるが金がない」のと。どちらが「損」かは一概に言えない。
損4の問い直し:「キャリアがないことは本当に損か」。正社員のキャリアは「1つの会社の中でのキャリア」であり、「その会社でしか通用しない能力」が含まれる。「社内の根回し」「社内システムの操作」「社内政治の立ち回り」。これらは「転職市場では無価値」だ。一方、派遣社員は「13社の異なる環境で働いた経験」がある。13の異なるシステム。13の異なる業務フロー。13の異なる人間関係。この「多様性の経験」は「適応力」として蓄積されている。「どんな環境でも1週間で馴染める」スキルは、正社員が20年間同じ会社にいて身につけるのは難しい。
損6の問い直し:「精神的な損失は本当に損だけか」。100社不採用の経験は「屈辱」だったが、同時に「打たれ強さ」を育てた。「100回断られて、まだ101回目を出す」メンタルは「10回断られたら心が折れる人」にはない。派遣切りの経験は「絶望」だったが、同時に「立ち直る力(レジリエンス)」を鍛えた。「5回派遣切りされて、5回とも復帰した」実績は「一度も失職したことがない人」には作れない。精神的ダメージは「傷」だが、傷が治った跡は「より強い組織」になる。骨折が治った骨は「折れる前より太くなる」と言われるように。
損7の問い直し:「結婚・家族の喪失は本当に損か」。「結婚しなかったこと」で失ったものは大きい。だが「結婚しなかったこと」で得たものもある。「自分の時間のすべてを自分のために使える」こと。「もやし炒めを毎日食べても文句を言われない」こと。「発泡酒を好きなだけ飲めること(1本だが)」。「6畳のワンルームを自分だけの城にできる」こと。「休日に誰にも気を遣わずダラダラできる」こと。これらは「独身の特権」であり「結婚していれば手に入らないもの」だ。「特権」と呼ぶには小さいかもしれないが「存在しないもの」ではない。
第4章 「得」の発掘——氷河期世代が手に入れた「予想外の資産」
第3章では「損の中の得」を探した。第4章では「損とは無関係に存在する純粋な得」を発掘する。
得1は「節約スキル」。手取り16万円で23年間生き延びるには「節約の天才」にならざるを得なかった。もやし炒め(1食60円)。100均の活用。格安SIM(月290円)。封筒管理法。半額シールのハンティング。水筒持参。サブスク解約。これらの「節約スキル」は「年収700万円の人には必要ないスキル」であり「年収700万円の人が持っていないスキル」だ。
このスキルの価値を「金額」にすると。もやし炒め vs 外食の差額:23年間で約578万円。100均 vs 通常店の差額:23年間で約45万円。格安SIM vs 大手キャリアの差額:15年間で約72万円。半額シール vs 定価の差額:23年間で約25〜41万円。合計約720〜736万円。「節約スキルで23年間に約720万円を『守った』」。7000万円の損失と比べれば10分の1だが、「720万円を守る能力」は「ゼロではない資産」だ。しかもこのスキルは「今後の人生でも使い続けられる」。45歳から65歳まで20年間で同じペースなら約625万円の追加節約が可能。「節約スキルの生涯価値は約1345万円」。
得2は「レジリエンス(回復力)」。5回の派遣切り。3回の空白期間。2回の消費者金融。これらの「谷底の経験」から「毎回這い上がった」実績がある。「谷底から這い上がる力」はレジリエンスと呼ばれ、心理学では「幸福度と正の相関がある」ことが示されている。レジリエンスが高い人は「困難な状況でも精神的に安定しやすい」「ストレスからの回復が早い」「変化に適応しやすい」。
正社員として20年間「安定した環境」にいた人は「安定を前提とした精神の強さ」を持っている。だが「安定が崩れたとき」(リストラ、病気、離婚等)に「崩壊する」リスクがある。「安定しか知らない人」は「不安定への耐性がない」。氷河期世代の非正規雇用者は「不安定を23年間経験した人」であり「不安定への耐性が高い」。これは「見えない資産」であり「市場価値に換算しにくい」が「人生の危機を乗り越える力」として「プライスレス」だ。
得3は「自炊能力」。22歳のカップ麺時代から45歳の「120通りのもやし炒めバリエーション」に至るまで、17年間の「独学の料理修行」で身についた自炊能力。この能力は「月の食費を1万5000〜2万円に抑えつつ栄養バランスを維持する」実践的なスキルだ。正社員の同級生は「外食やコンビニ弁当に頼りがち」であり「自炊能力が低い」ケースが多い。退職後に「収入が減ったとき」「自炊能力の差」が「生活の質の差」に直結する。「もやし炒めを作れる人」は「もやし炒めを作れない人」より「経済的ショックに強い」。
得4は「ミニマリズムの実践力」。6畳のワンルームに133点の持ち物。「少ないもので暮らす技術」は「持ちすぎた人」には身につかない。「持たない暮らし」の実践力は「引っ越しが楽」「掃除が楽」「管理コストが低い」「所有物への執着がない」「失うものが少ない」など、多くの「副次的なメリット」をもたらす。
得5は「お金の価値を知っていること」。「1万円の重さ」(提案4参照)で述べた通り、手取り16万円の人間は「お金の価値」を「体感的に」知っている。1万円=もやし炒め333食分。100円=発泡酒0.74本分。この「体感的な金銭感覚」は「衝動買いを防ぐ」「無駄遣いをしない」「NISAの価値を実感できる」能力に直結する。年収700万円の人は「1万円を気軽に使える」が「1万円の価値を実感しにくい」。手取り16万円の人は「1万円を気軽に使えない」が「1万円の価値を骨身に染みて知っている」。「お金の価値を知っている」ことは「お金を正しく使う能力」であり、「持っているお金を最大限に活かす力」だ。
得6は「制度の知識」。手取り16万円で生き延びるために「公的制度」を必死に調べた。高額療養費制度。失業保険。生活保護。住民税非課税世帯の減免。確定申告の還付金。国民年金の免除申請。法テラスの無料相談。自治体の無料健康診断。これらの「制度の知識」は「余裕のある人」は持っていないことが多い。「制度を知っている」ことは「制度を使える」ことであり、「困ったときに自分を守れる力」だ。
得7は「共感力」。23年間の不安定な生活が「同じ境遇の人への共感力」を育てた。「あの人も大変なんだろうな」と想像できる力。「自分が苦しかったからこそ、他人の苦しみがわかる」。この共感力は「人間関係を築く力」であり「人の役に立つ力」であり「公務員として住民に寄り添う力」にもなりうる。面接で「住民の困りごとに寄り添えます」と言えるのは「困りごとを経験した人間」だけだ。
得8は「感謝の能力」。「当たり前のこと」を「ありがたい」と感じる能力。もやし炒めが美味いこと。発泡酒が冷えていること。散歩中の桜がきれいなこと。布団が暖かいこと。水道から水が出ること。これらの「当たり前のこと」に「ありがたい」と感じられるのは「当たり前でなかった時期を経験したから」だ。発泡酒すら買えなかった月がある。もやし炒めの材料費を心配した月がある。「あの時期」を経験したからこそ「今の日常」が「ありがたい」と感じられる。「感謝の能力」は「幸福度を上げる最も確実な方法」として心理学で実証されている。「同じ状況でも、感謝できる人のほうが幸福度が高い」。氷河期世代は「感謝の能力が高い」。これは「7000万円の損失」からは生まれない、「7000万円を失った経験」から生まれた「資産」だ。
第5章 「損得の天秤」にかけてみる——7000万円の損失 vs 予想外の資産
損の総額:約7000万円(推定)。得の総額を金額に換算する。節約スキルの生涯価値:約1345万円。レジリエンス:換算不能(だが「人生の危機を乗り越えるプライスレスの能力」)。自炊能力:生涯の食費差額約1000万円相当(外食中心の場合との差)。ミニマリズムの実践力:生涯の家財コスト差額約500万円相当。お金の価値を知る能力:衝動買い・無駄遣いの防止で生涯約300万円相当。制度の知識:制度の利用による生涯の節約約200万円相当。共感力:換算不能。感謝の能力:換算不能。
金額換算可能な「得」の合計:約3345万円。金額換算不能な「得」(レジリエンス、共感力、感謝の能力):プライスレス。
損7000万円−得3345万円=差額3655万円の「純損失」。プライスレスの資産を加味しても「純損失」は残る。「損ばかりか」の答えは——「損のほうが多い。だが得もある」。「損ばかり」ではなく「損が多い」。この「ばかり」と「多い」の差は大きい。「ばかり」は「100%損」を意味する。「多い」は「損もあるが得もある」を意味する。得の存在を認めることで「100%の絶望」が「60%の現実」に変わる。60%でもきついが、100%よりはマシ。マシなところに「希望の余地」がある。
第6章 「損得」を超える視点——「損か得か」で人生を測ることの限界
ここまで「損得」で人生を評価してきた。だが「損得で人生を測る」こと自体に限界がある。人生は「損益計算書」ではない。「売上−コスト=利益」の等式で評価できるほど単純ではない。
限界1は「金額に換算できない価値」がある。もやし炒めを初めて作った日の感動。発泡酒の一口目の爽快感。散歩中に見つけた夕焼けの美しさ。本の中で「これは自分のことだ」と感じた瞬間。NISAの残高が初めて50万円を超えた日の喜び。これらは「金額に換算できない」が「人生の質を決定的に左右する体験」だ。7000万円の損失がこれらの体験を「無効化する」わけではない。損失と体験は「別の次元」に存在する。「7000万円損したから、もやし炒めが不味くなる」わけではない。もやし炒めの味は「損失」に影響されない。
限界2は「比較の罠」にはまる。「正社員との比較」で「損をした」と感じる。だが「比較しなければ」どうか。「手取り16万円で23年間暮らしてきた」事実を「正社員と比較せずに」見たとき、何が見えるか。「23年間、自分の力で生き延びた」。「もやし炒めを2808回作った」。「発泡酒を4140本飲んだ」。「NISAで90万円を積み立てた」。「本を260冊読んだ」。「13社で働き、すべての職場で業務を全うした」。これらの事実は「比較」によって「損」に見えていただけで、「単独で見れば」立派な実績だ。
限界3は「損の固定化」。「損をした」と認定した瞬間、その損失は「永遠に確定したもの」に感じられる。だが損失は「固定」ではなく「変動」する可能性がある。45歳で公務員になれば「45歳〜65歳の20年間で損失の一部を取り戻せる」(公務員シナリオ参照)。NISAで月2万円を20年間積み立てれば約822万円。「損失は確定していない。これからの行動で変動する」。
限界4は「損の主体」の問題。「誰が損をしたのか」。「自分が損をした」と感じるのは「自分を主体に見ているから」だ。だが「社会全体」を主体に見れば、「氷河期世代が損をしたことで、企業は人件費を削減し、利益を確保した」。つまり「氷河期世代の損失は、企業の利益の裏面」だ。損失は「消えた」のではなく「移転した」。企業が「得」をした分だけ、氷河期世代が「損」をした。これは「社会の富の再分配の不公正」の問題であり、「個人の損得」の問題ではなく「社会正義」の問題だ。
第7章 「損を取り戻す」は可能か——45歳からのリカバリープラン
7000万円の損失を「完全に取り戻す」のは現実的ではない。だが「損失の一部を回収する」ことは可能だ。具体的なリカバリープランを示す。
プラン1は「公務員試験に合格する」。45歳〜65歳の20年間。公務員の手取り総収入(推定):約7600万円(月28万円×12ヶ月+ボーナス年100万円×20年)。派遣社員のまま20年間の手取り総収入:約3840万円(月16万円×12ヶ月×20年)。差額3760万円。退職金700万円を加えると4460万円。「公務員になれば、45歳〜65歳で4460万円の回収が可能」。7000万円の損失のうち64%を回収。「完全な回収」ではないが「大幅な回収」。
プラン2は「NISAで資産を最大化する」。月2万円×20年×年利5%=約822万円。公務員の退職金700万円と合わせると1522万円。現在の貯金130万円+NISA90万円=220万円を加えると1742万円。「65歳時点で1742万円の資産」。
プラン3は「節約スキルを最大限活用する」。45歳〜65歳の20年間で節約スキルによる追加節約:約625万円(推定)。この625万円が「資産の上積み」になる。
プラン1+2+3の合計回収額。公務員になった場合:4460万円+NISA822万円+節約625万円=5907万円。7000万円の損失のうち約85%を回収。「85%回収」は「完全」ではないが「ほぼ取り戻した」と言えるレベル。
派遣社員のままの場合:NISA411万円(月1万円で計算)+節約625万円=1036万円。7000万円の損失のうち約15%を回収。回収率は低いが「ゼロよりは遥かにマシ」。
第8章 「損」を「物語」に変換する——氷河期世代にしか語れないストーリー
7000万円の損失は「数字」だ。数字は冷たい。だが「7000万円の損失を経験した人生」は「物語」だ。物語は温かい。
22歳で100社に落ちた。「もう終わりだ」と思った。だが終わらなかった。派遣社員として働き始めた。手取り14万円。足りない。足りないなりに「生きる方法」を編み出した。もやし炒め。100均。格安SIM。散歩。図書館。発泡酒。「足りないなりの豊かさ」を見つけた。
29歳でリーマンショック。派遣切り。3ヶ月の空白。消費者金融。「もう終わりだ」と思った。だがまた終わらなかった。また仕事を見つけた。また生き延びた。41歳でコロナ禍。また派遣切り。だが今度は「貯金がある」。借金せずに乗り越えた。「成長している」と実感した。
45歳。NISAを始めた。散歩を始めた。エンディングノートを書いた。「これからの20年間を設計する」作業を始めた。「22歳のときには想像もしなかった45歳」を生きている。想像できなかったが「生きている」。生きていること自体が「物語の続き」だ。
この物語は「サクセスストーリー」ではない。「年収1億円を達成しました」的な華やかさはない。だが「サバイバルストーリー」だ。「手取り16万円で23年間、一人で生き延びました」。このストーリーは「年収700万円の正社員」には語れない。「100社不採用の屈辱」も「もやし炒め2808回の積み重ね」も「発泡酒4140本の夜」も「知らない人」には語れない。このストーリーは「氷河期世代にしか語れない」固有の物語であり、「損失からしか生まれない種類の物語」だ。
物語には「価値」がある。同じ境遇の人が読んで「自分だけじゃないんだ」と感じる価値。次の世代が読んで「こういう構造の問題があったんだ」と学ぶ価値。政策に携わる人が読んで「同じ過ちを繰り返してはいけない」と戒める価値。「7000万円の損失」を「価値ある物語」に変換すること。これは「錬金術」ではないが「損失の昇華」ではある。
第9章 「他の世代」と比較する——氷河期世代だけが損をしているのか
「氷河期世代は損ばかりしている」と言うとき、暗黙の前提は「他の世代は損をしていない」だ。だが本当にそうか。各世代の「損」を検証する。
団塊世代(1947〜1949年生まれ)の損。高度経済成長の恩恵を受けたが「猛烈な長時間労働」「家庭を顧みない仕事人間」「定年後のアイデンティティ喪失」「妻との関係の冷え込み」。物質的には豊かだったが「人間的な豊かさ」を犠牲にした世代とも言える。
バブル世代(1965〜1970年生まれ頃)の損。バブル崩壊で「入社した会社の業績が急悪化」「出世が頭打ち」「リストラの対象になった人もいる」。「バブルの恩恵を受けた」イメージが強いが「バブル崩壊の被害を最も直接的に受けた世代」でもある。
ゆとり世代(1987〜2004年生まれ頃)の損。「ゆとり教育のせいで学力が低い」偏見。リーマンショック直後に就職した世代(2009〜2012年卒)は「第二の就職氷河期」を経験。「ゆとりだから」と揶揄されるストレス。
Z世代(2000年代生まれ)の損。コロナ禍で「大学生活が失われた」。オンライン授業。サークル活動の制限。就活のオンライン化。「青春がコロナに奪われた」世代。加えて「インフレ」「社会保険料の増加」「少子高齢化の負担」が今後のしかかる。
各世代がそれぞれの「損」を抱えている。「氷河期世代だけが損をしている」のではなく「各世代がそれぞれの形で損をしている」。ただし「経済的な損失の大きさ」で言えば、氷河期世代の損失は「他の世代と比較しても突出して大きい」。「7000万円の生涯賃金の差」は他の世代には見られない規模。「氷河期世代の損は『量的に』突出している」は正しい評価だ。
第10章 「損の受容」——損をしたことを認め、それでも前を向く方法
「損をした」ことを認めるのは辛い。「自分は7000万円損をした」と認めることは「自分の人生が7000万円分『少ない』人生だった」と認めることだ。認めたくない。認めると「自分の人生が否定された」気がする。だから「損なんかしていない」「自分は幸せだ」と強がるか、逆に「すべてが損だ」「何もかもダメだ」と絶望する。両極端。どちらも「損を正面から受け止めていない」。
「損の受容」とは何か。キューブラー=ロスの5段階モデル(怒りの行方参照)の「受容」だ。「損をした。それは事実だ。事実は変えられない。だが事実を認めた上で、これからの人生を良くすることはできる」。この「だが」が「受容」の核心。「損をした。だが——」。「だが」の後に何を続けるかが、残りの人生を決める。
「損をした。だが、もやし炒めは美味い」。「損をした。だが、NISAで資産を作り始めた」。「損をした。だが、散歩で見つけた桜はきれいだった」。「損をした。だが、発泡酒は今夜も冷えている」。「だが」の後に「小さな得」を置く。小さな得の積み重ねが「損の受容」を支える。7000万円の損失を「一気に埋める」ことはできない。だが「今日のもやし炒め60円の得」を積み重ねることはできる。60円×365日×20年=43万8000円の得。7000万円の0.6%。0.6%では焼け石に水だが「水を撒かないよりはマシ」。マシなことを続ける。続けることが「受容」の実践だ。
第11章 「次の世代」に伝えたいこと——氷河期世代の損を繰り返させないために
氷河期世代の損失は「取り返せない部分」がある。だが「次の世代に同じ損失を繰り返させない」ことは可能だ。何を伝えるべきか。
伝えること1は「新卒の就職活動が失敗しても、人生は終わらない」。22歳の1回のチャンスに失敗しても「やり直しはきく」。ただし「社会がやり直しを許す仕組み」が必要であり、それは「個人の努力」だけでは解決しない。「通年採用」「ジョブ型雇用」「リカレント教育」の拡充を社会に求め続ける必要がある。
伝えること2は「非正規雇用は『自分の選択』ではなく『社会の構造』の結果であり得る」。自己責任論に負けてはいけない。非正規が増えたのは「政策の結果」であり「個人の怠慢」ではない。次の世代が「非正規は自己責任」と言われたとき、「いや、構造の問題だ」と反論できる知識を持ってほしい。
伝えること3は「お金の知識を早く身につけろ」。NISAを22歳から始めていたら。月1万円×23年×年利5%=約578万円。45歳の今の資産が220万円ではなく800万円だった可能性がある。「早く始める」の価値は計り知れない。次の世代には「22歳から投資を始めろ」と伝えたい。22歳の自分に言えなかったことを、次の世代に言う。
伝えること4は「節約スキルは一生の財産」。もやし炒め。100均。格安SIM。これらの「節約術」は「収入が低い時期だけのもの」ではなく「一生使えるスキル」だ。年収700万円になっても「もやし炒めを作れること」「100均の価値を知っていること」は「資産」であり続ける。
伝えること5は「投票に行け」。氷河期世代の苦しみは「政策の不在」が原因の一つだ。政策を変えるのは「投票」だ。「投票しても何も変わらない」は「投票しない言い訳」にすぎない。「投票しなければ確実に何も変わらない」。次の世代には「投票は権利であると同時に武器だ」と伝えたい。
第12章 「もやし炒め」から見た損得論——30円の食材が教えてくれたこと
もやし1袋30円。この30円の食材が「損得」について何を教えてくれたか。
教え1は「安いものにも価値がある」。30円のもやしが「23年間の人生を支えた」。30円の食材が「月の食費を1万5000円に抑え」「578万円の節約を生み」「自炊スキルを育て」「もやし炒め2808回の『達成感』を与えてくれた」。「安い=価値がない」は嘘だ。「安くても価値がある」が真実。この教えは「手取り16万円の人生」にそのまま当てはまる。「手取りが安い=人生の価値が低い」は嘘だ。「手取りが安くても価値のある人生は可能」が真実。
教え2は「繰り返しの中に変化がある」。もやし炒めを2808回作った。「同じ料理を2808回作って飽きないのか」。飽きない。なぜなら「毎回微妙に違うから」。醤油の量。火加減。もやしのシャキシャキ感。2808回のもやし炒めのうち「まったく同じもやし炒め」は1回もない。2808通りのもやし炒め。同じことの繰り返しの中に「変化」がある。人生も同じだ。「毎日同じことの繰り返し」に見えて、毎日「微妙に違う」。昨日より少しだけNISAの残高が増えている。昨日とは違う本を読んでいる。昨日とは違う景色を散歩で見つけた。「損ばかりの繰り返し」に見えても、「損の中の微小な変化」がある。その変化を見逃さないこと。
教え3は「自分で作ることの喜び」。コンビニ弁当は「誰かが作ったもの」。もやし炒めは「自分が作ったもの」。「自分で作った」ことの喜びは「お金では買えない」。同様に「自分で生き延びた人生」は「お金で買えない」。7000万円の損失があっても「自分の力で23年間生き延びた事実」は残る。この事実は「誰にも奪えない」。お金は奪われうるが「生き延びた事実」は奪われない。
第13章 「発泡酒」から見た損得論——135円が教えてくれた「幸福の方程式」
発泡酒1本135円。年収700万円の人にとって135円は「気にならない金額」。手取り16万円の人にとって135円は「1日の食費の22.5%」。同じ135円でも「重さ」が違う。だが「135円の発泡酒を飲んだときの幸福感」はどうか。
年収700万円の人が「プレミアムビール(350円)」を飲む。「うん、美味い」。幸福度:7/10。手取り16万円の自分が「発泡酒(135円)」を飲む。「プシュッ。ゴクッ。ふぅ〜〜〜」。幸福度:10/10。なぜ「135円の発泡酒」のほうが「350円のプレミアムビール」より幸福度が高いのか。
理由1は「1日の疲労が大きいから」。手取り16万円の仕事は「やりがいが少ない」「将来が不安」「いつ契約を切られるかわからない」ストレスを伴う。1日のストレスが大きいほど「ストレスからの解放」の幸福感が大きい。発泡酒の「プシュッ」は「1日のストレスの解放音」であり、ストレスが大きいほど解放の快感が大きい。
理由2は「滅多に飲めないものは美味い」。毎日3本飲んでいれば「当たり前」になり幸福度が下がる。1日1本だけ。「今日の1本」。この「限定感」が幸福度を上げる。「希少性」の原理。毎日ステーキを食べている人にとってステーキは「日常」。年に1回ステーキを食べる人にとってステーキは「特別」。同じステーキでも「幸福度」がまるで違う。発泡酒も同じ。「毎日1本だけ」の制約が「毎日の1本を特別にする」。
理由3は「感謝の能力が高いから」。第4章で述べた「感謝の能力」が発泡酒の幸福度を上げている。「発泡酒を飲めること自体がありがたい」と感じる能力。この能力は「発泡酒すら買えなかった月」の記憶が育てた。「あのとき飲めなかった。今は飲める。ありがたい」。この「ありがたさ」が135円の発泡酒を「350円のプレミアムビール以上の幸福」に変換する。
「幸福の方程式」をここに示す。幸福度=(体験の質×感謝の能力)÷(期待値)。年収700万円の人:体験の質8(プレミアムビールは美味い)×感謝の能力3(当たり前すぎて感謝しにくい)÷期待値8(「このくらいは当然」)=3。手取り16万円の自分:体験の質6(発泡酒はプレミアムビールより劣る)×感謝の能力10(飲めるだけでありがたい)÷期待値2(「発泡酒があるだけで嬉しい」)=30。
数字は恣意的だが「方程式の構造」は正しい。「感謝の能力」が高く「期待値」が低いほど「同じ体験でも幸福度が高くなる」。氷河期世代は「感謝の能力が高く」「期待値が低い」。この2つの「特性」が「少ないお金でも高い幸福度を得られる能力」に変換される。「損をしたからこそ、少ない投入で高い幸福を得られる体質になった」。これは「損の中から生まれた得」であり「損がなければ手に入らなかった能力」だ。
第14章 「損ばかりしている」と感じたときの処方箋——認知の転換5つ
「損ばかりしている」と感じる瞬間は来る。同級生のSNS投稿を見たとき。ニュースで「平均年収」を見たとき。「老後2000万円」の記事を見たとき。その瞬間に使える「認知の転換」を5つ示す。
転換1は「比較の方向を変える」。上を見れば「損をした」。下を見れば「まだマシ」。どちらも「比較」だが、方向が違う。「正社員の同級生と比較する」のではなく「22歳の自分と比較する」。22歳:手取り14万円、貯金ゼロ、スキルゼロ。45歳:手取り17万円、貯金130万円、NISA90万円、もやし炒めマイスター。「22歳の自分と比べれば、確実に前に進んでいる」。この「過去の自分との比較」は「他人との比較」より健全であり、自己肯定感を維持できる。
転換2は「損の中の『学び』を見つける」。すべての損には「学び」がある。100社不採用→「面接で何が評価されるかを100回学んだ」。派遣切り→「雇用の不安定さを身をもって知った。だからこそ生活防衛資金の重要性を理解している」。手取り16万円→「お金の価値を体感的に知っている。だからこそ無駄遣いをしない」。損を「損だけ」で終わらせず「学びの原材料」として使い直す。
転換3は「時間軸を変える」。「今日の損得」で判断せず「10年後の損得」で判断する。「今日の手取りは16万円で損だが、10年後にNISAが400万円に育っていれば得」。短期的な損に囚われず、長期的な得を見据える。NISAは「短期的には損に見えるが長期的には得」の代表例。
転換4は「絶対評価に切り替える」。「正社員と比べて損」は「相対評価」。「23年間一人で生き延びた」は「絶対評価」。相対評価は常に「上がいる」ため永遠に「損」を感じ続ける。絶対評価は「自分の基準」で測るため「達成感」を感じられる。「NISAが90万円ある」を相対評価すれば「正社員のNISAは300万円。損している」。絶対評価すれば「ゼロから90万円を積み立てた。すごい」。どちらの評価が「精神に良いか」は明白だ。
転換5は「感謝のリストを作る」。「損のリスト」の代わりに「感謝のリスト」を作る。「今日、もやし炒めが美味かった。感謝」「発泡酒が冷えていた。感謝」「散歩中に空がきれいだった。感謝」「NISAの残高が100円増えていた。感謝」。感謝のリストが「損のリスト」より長くなれば、「損ばかり」の認知が「得もある」に変わる。感謝のリストを毎日3項目書く。3項目×365日×20年=21900項目の感謝。21900の感謝は「7000万円の損失」を「消す」ことはできないが「薄める」ことはできる。
第15章 「損」と「得」の最終決算——氷河期世代は「損ばかりしている」のか
最終決算を行う。
損の部。生涯賃金の差:4363万円。年金の差:1080〜1800万円。社会的信用の損失:推定500万円。キャリアの損失:推定500万円。精神的損失:推定300万円。健康の損失:推定200万円。合計:約6943〜7663万円。
得の部(金額換算可能なもの)。節約スキルの生涯価値:約1345万円。自炊能力の生涯価値:約1000万円。ミニマリズムの生涯価値:約500万円。お金の価値を知る能力:約300万円。制度の知識:約200万円。合計:約3345万円。
得の部(金額換算不能なもの)。レジリエンス(回復力):プライスレス。共感力:プライスレス。感謝の能力:プライスレス。「幸福の方程式」の体質:プライスレス。23年間のサバイバルストーリー:プライスレス。もやし炒め2808回の技術:プライスレス。発泡酒4140本の記憶:プライスレス。
損得の差引。金額換算可能な分:損6943万円−得3345万円=純損失3598万円。金額換算不能な得:プライスレス。
結論。「氷河期世代は損ばかりしているか」。答えは「No」。「損が多い」は事実だが「損ばかり」ではない。3345万円分の「得」がある。さらにプライスレスの「得」がある。「損ばかり」と「損が多い」の差は——「希望の有無」だ。「損ばかり」なら希望はない。「損が多いが得もある」なら希望がある。希望がある以上、「前を向ける」。前を向けば「得を増やせる」。得を増やせば「損と得のバランス」が少しずつ変わる。
7000万円の損失を一気に消すことはできない。だが「今日のもやし炒め60円の得」を積み重ねることはできる。「今日のNISA投資1万円の得」を積み重ねることはできる。「今日の散歩30分の得」を積み重ねることはできる。積み重ねた得が、いつか「損の重さ」を少しだけ軽くしてくれる。「少しだけ」でいい。「少しだけ軽くなった」と感じられれば、もやし炒めが「少しだけ美味くなる」。発泡酒が「少しだけ甘くなる」。散歩の空が「少しだけ青くなる」。
損ばかりではない。得もある。得は小さい。だが確かにある。もやし炒めの中に。発泡酒の中に。散歩の途中に。NISAの残高の中に。「あるもの」を見つける力。それが氷河期世代の、損の中から掘り出した「最大の得」だ。
あとがき——「損をした世代」が「損を知っている世代」として生きる
「損をした世代」。この呼び名は「被害者」のレッテルだ。だが「損を知っている世代」と言い換えれば「経験者」のレッテルになる。被害者は「助けを待つ」存在。経験者は「知恵を共有する」存在。どちらの呼び名を選ぶかで、自分のアイデンティティが変わる。
自分は「損を知っている世代」を選ぶ。損を知っているからこそ「もやし炒めの30円の価値」を知っている。損を知っているからこそ「1万円の重さ」を知っている。損を知っているからこそ「NISAの月1万円の意味」を知っている。損を知っているからこそ「発泡酒1本の幸福」を知っている。「知っている」ことは「力」だ。知識の力。経験の力。「損をしたことがない人」にはない力。
今夜もフライパンを火にかける。油を引く。豚こまを入れる。もやしを投入する。醤油をかける。皿に盛る。発泡酒を開ける。プシュッ。一口飲む。「ふぅ」。この「ふぅ」の中に、23年間のすべてが詰まっている。100社不採用の悔しさ。13社の契約終了の虚しさ。手取り16万円の苦しさ。そして——もやし炒めが美味い喜び。発泡酒が冷えている幸せ。「今日も生き延びた」達成感。損と得が混ざり合った「ふぅ」。
損ばかりではない。得もある。得は小さいが、確かにある。もやし炒めの湯気の向こうに、得が見える。見えたら——もう1回、フライパンを振る。明日も、もやし炒めを作る。明日も、発泡酒を飲む。明日も、生き延びる。「損を知っている世代」として。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。
