氷河期世代の「におい」の記憶——もやし炒めの醤油、発泡酒の炭酸、6畳の壁紙の匂い

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はじめに——「におい」は最も正直な記憶装置だ

ある匂いを嗅いだ瞬間に「あの頃」に戻る経験がないだろうか。嗅覚は「5感の中で最も記憶と結びつきやすい」感覚だ。視覚や聴覚の情報は「大脳皮質」を経由して処理されるが、嗅覚の情報は「扁桃体(感情の中枢)」と「海馬(記憶の中枢)」に直接届く。つまり「においは感情と記憶にダイレクトに接続している」。だから「ある匂い」を嗅いだ瞬間に「その匂いを嗅いでいた頃の感情」が蘇る。これを「プルースト効果」と呼ぶ。マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』で、主人公がマドレーヌの香りで幼少期の記憶を呼び起こす場面に由来する。

45歳の自分には「プルーストのマドレーヌ」の代わりに「もやし炒めの醤油の香り」がある。醤油がフライパンで焼ける「あの匂い」を嗅ぐと——28歳の台所が蘇る。初めてもやし炒めを作った日。「おっ、これ美味いじゃん」と思った瞬間の「希望の匂い」。このエッセイでは、23年間の「におい」を年代順に記録し、「匂いで振り返る人生史」を作成する。

第1章 22歳の匂い——「カップ麺の匂い」が充満するワンルーム

22歳。大学を卒業して東京のワンルームに引っ越した。6畳。ユニットバス。台所は「コンロ1口」。この部屋の匂いは——「カップ麺の匂い」だった。毎日カップ麺を食べていた。カップ麺の蓋を開けたときの「粉末スープの匂い」。お湯を注いだときの「湯気の匂い」。3分後に蓋を開けたときの「完成した麺の匂い」。これらの匂いが部屋に充満していた。壁紙にも染み込んでいた。「カップ麺の匂いがする部屋」。これが「22歳の自分の住所の匂い」だった。

カップ麺の匂いには「2つの感情」が結びついている。1つは「安堵」。「今日もとりあえず食べられる」安堵。もう1つは「惨めさ」。「毎日これしか食べられない」惨めさ。「安堵」と「惨めさ」が混ざった匂い。今でもコンビニでカップ麺の棚の前を通ると——22歳の「安堵と惨めさ」が一瞬だけ蘇る。プルースト効果。カップ麺版。

第2章 28歳の匂い——「醤油が焼ける匂い」が人生を変えた

28歳。もやし炒めデビューの日。フライパンに油を引く。もやしを入れる。豚こまを入れる。炒める。醤油をかける。「ジュワッ」。醤油が高温のフライパンで焼ける匂い。この匂いが——「人生を変えた匂い」だ。大げさではない。「醤油が焼ける匂い=もやし炒めの完成の合図=自分で食事を作った証拠=自立の匂い」。

カップ麺の匂いは「お湯を注いだだけ」の匂い。もやし炒めの匂いは「自分で炒めた」匂い。「注いだ」と「炒めた」の差は「行為の能動性の差」であり、匂いにもその差が現れる。カップ麺の匂いは「均一」。工場で作られた粉末スープの「設計された匂い」。もやし炒めの匂いは「毎回微妙に違う」。醤油の量。火加減。もやしの水分量。これらの変数で「匂いが変わる」。「自分だけの匂い」。「世界に一つだけのもやし炒めの匂い」。

17年間、毎日この匂いを嗅いでいる。2808回。「2808種類の微妙に異なるもやし炒めの匂い」。だが脳は「醤油が焼ける匂い=安全=食事がある=生き延びられる」と学習しており、この匂いを嗅ぐだけで「副交感神経が優位になる(リラックスする)」。「もやし炒めの匂いはアロマテラピー」。60円のアロマ。

第3章 「発泡酒の匂い」——プシュッと開けた瞬間の炭酸の香り

発泡酒の缶を開ける。「プシュッ」。この音とともに「炭酸の匂い」が立ち上る。麦芽とホップの微かな香り。アルコールの揮発臭。この匂いが「1日の終わりの匂い」。「プシュッの匂い=仕事が終わった=自由になった=リラックスしていい」。パブロフの犬と同じだ。「プシュッの音と匂い」が「リラックスの条件反射」を引き起こす。17年間の学習。4140回の条件付け。「プシュッ」の音と匂いだけで「体がリラックスモードに切り替わる」。実際にアルコールを摂取する前に「匂いだけで」リラックスが始まっている。「匂いの先行効果」。

「ノンアルコールビール」を飲んだことがある。「匂いは発泡酒とほぼ同じ」。「味もそこそこ似ている」。「アルコールは入っていない」。だが「リラックス効果」は——「本物の発泡酒の7割くらい」(体感)。「匂いと味」で条件反射が起動するため「アルコールなし」でも「ある程度のリラックス」が得られる。「もし発泡酒をやめてノンアルに変えたら」——「匂い」だけで「リラックスの7割」は維持できるかもしれない。「匂いの力」は「アルコールの力」に迫る。

第4章 「6畳の匂い」——壁紙と畳と一人暮らしの匂い

6畳のワンルームには「固有の匂い」がある。壁紙の匂い(ビニールクロスの微かな化学物質の匂い)。畳の匂い(畳がある場合。い草の匂いは「実家の匂い」に似ている)。フローリングの匂い(ワックスの匂い)。これらが混ざった「部屋の匂い」は「自分だけが知っている匂い」だ。他人がこの部屋に入ることは——ほとんどない。ガスの点検の業者が年に1回来る程度。「この部屋の匂い」を「自分以外に知っている人がいない」。「匂いの孤独」。

「自分の部屋の匂い」に「自分では気づかない」現象がある。「嗅覚の適応」。同じ匂いに長時間さらされると「鼻が慣れて感じなくなる」。「自分の部屋は匂いがない」と思っている。だが帰省して実家に1週間いた後、東京の部屋に戻ると「ん? こんな匂いだったっけ?」と気づく。「離れて初めてわかる匂い」。「離れて初めてわかる価値」。方言と同じだ(方言を捨てた日参照)。「使っているときは気づかないが、離れると気づく」。

23年間で住んだ部屋は5〜6つ。それぞれの部屋に「固有の匂い」があった。「あの部屋は日当たりが悪くてカビ臭かった」「あの部屋は隣が中華料理屋で油の匂いがした」「今の部屋は比較的無臭」。部屋の匂いの記憶は「住所の記憶」と結びついており、「あの匂い」を嗅ぐと「あの部屋にいた頃の自分」が蘇る。「カビ臭い部屋の記憶=25歳の一番辛かった時期」。匂いが「辛い記憶」を呼び起こすこともある。

第5章 「通勤電車の匂い」——満員電車の人間の匂い

満員電車。乗車率150%。人と人の距離が15cm以下。「他人の匂い」が至近距離で感じられる。香水の匂い。整髪料の匂い。汗の匂い。タバコの匂い(喫煙者の服に染み付いた匂い)。柔軟剤の匂い。「朝の満員電車は匂いのカオス」。22年間、このカオスの中で40分間を過ごした。7200時間の「他人の匂い」。

「嫌な匂い」のストレス。隣の人の「強い香水」。向かいの人の「ニンニク臭」。後ろの人の「タバコ臭」。これらの「嫌な匂い」は「コルチゾール(ストレスホルモン)」を分泌させる。「満員電車のストレス」の一因は「匂い」だ。対策は「マスク」(花粉症の時期以外でもマスクをすれば「匂いが軽減される」)。コロナ禍でマスクが当たり前になったとき「満員電車の匂いのストレスが減った」副次効果があった。

第6章 「散歩の匂い」——季節を匂いで感じる

散歩は「匂いの体験」でもある。春:桜の匂い。梅の匂い。「新しい芽吹きの匂い」(青臭い、でも爽やかな匂い)。夏:アスファルトが焼ける匂い。蝉の声とともに立ち上る「夏の匂い」。かき氷の匂い(祭りの屋台の近くで)。秋:金木犀の匂い。落ち葉の匂い。「金木犀の匂い=秋の始まりの匂い」。冬:冷たい空気の匂い(「匂いがない」のが冬の匂い)。焼き芋の匂い(移動販売車の)。

散歩の匂いは「0円のアロマテラピー」であり「季節の確認装置」であり「記憶の装置」でもある。「金木犀の匂いを嗅ぐと去年の秋の散歩を思い出す」。「桜の匂いを嗅ぐと春の到来に安堵する」。匂いが「時間の経過」を教えてくれる。「季節が変わった=自分はもう1シーズン生き延びた」。匂いで「生存の確認」をしている。

第7章 「実家の匂い」——帰省したときに鼻が覚えている「故郷」

帰省。実家の玄関を開ける。「この匂い」。母親の料理の匂い。畳の匂い。洗濯洗剤の匂い。それらが混ざった「実家固有の匂い」。この匂いを嗅いだ瞬間——「帰ってきた」と全身で感じる。「方言」が脳の言語野を故郷モードに切り替えるように、「匂い」が脳の感情野を故郷モードに切り替える。「安心」「懐かしさ」「温かさ」。これらの感情が匂いとともに押し寄せる。

実家の匂いは「いつも同じ」のように感じるが——「少しずつ変わっている」。母親の料理が変わった(年齢とともにシンプルになった)。洗剤が変わった。家の空気が変わった(換気の頻度が減ったかもしれない)。「匂いの変化」は「家族の変化」を映している。「母親が老いている」ことを「匂いで感じる」瞬間がある。「前はもっと料理の匂いが強かった」「前はもっと洗剤の匂いが爽やかだった」。匂いの変化が——悲しい。

「いつかこの匂いが嗅げなくなる日」が来る。親がいなくなれば——実家の匂いも消える。実家が売却されれば——壁紙の匂いも畳の匂いも消える。「故郷の匂い」は「有限の資源」だ。帰省するたびに「この匂いを記憶に刻む」。鼻に。脳に。心に。「故郷の匂いの在庫」は——あと何回分だろう。年に1回の帰省。親が健在でいてくれる年数。10年?20年?「あと10〜20回分の故郷の匂い」。大切に嗅ごう。

結論——「もやし炒めの匂い」が「自分の人生の匂い」になった

23年間の人生を「匂い」で要約する。22歳:カップ麺の匂い(安堵と惨めさ)。25歳:カビ臭い部屋の匂い(最も辛い時期)。28歳:もやし炒めの醤油の匂い(人生の転機)。30歳:冬の夜のコンビニの匂い(孤独の底)。37歳:心療内科の待合室の消毒液の匂い(助けを求めた日)。40歳:散歩道の金木犀の匂い(穏やかな回復)。45歳:もやし炒め+発泡酒の混合臭(「いつもの夕食」の安心感)。

「自分の人生の匂い」は何か。もやし炒めの醤油の匂い。これが「自分の匂い」だ。17年間、毎日嗅いできた匂い。他の誰でもない「自分だけの匂い」。「もやし炒めの匂い=自分が生きている匂い=自分の存在の匂い」。いつか自分がいなくなったとき——6畳のワンルームに「もやし炒めの匂い」が残っているかもしれない。壁紙に染み込んだ醤油の匂い。17年分。2808回分。その匂いが「自分がここにいた証拠」として——しばらく残る。やがて消える。匂いは消えても「記憶」は消えない。「もやし炒めの匂い」を思い出すたびに——「自分は23年間生き延びた」と確認できる。匂いは「存在の証明」だ。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

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