ウォルター・シュロスの投資哲学 ―― 「地味さ」を貫いて市場に勝った男の思考法

この記事は約64分で読めます。
  1. 1. はじめに ―― なぜいま、ウォルター・シュロスなのか
  2. 2. ウォルター・シュロスとは誰か ―― 大学に行かなかった「使い走り」の少年
    1. 2-1. 大恐慌のさなかにウォール街へ
    2. 2-2. ベンジャミン・グレアムとの出会い
    3. 2-3. グレアム・ニューマン社という「学校」
    4. 2-4. 独立、そして半世紀の運用
  3. 3. 実績を冷静に検証する ―― 45年・年率15%超という事実の重み
    1. 3-1. 数字そのもの
    2. 3-2. 「年率5%の差」が半世紀でどうなるか
    3. 3-3. なぜこの実績が「効率的市場仮説」への反証になるのか
  4. 4. 哲学の核心①:「利益」ではなく「資産」を買う
    1. 4-1. 「利益」は変わりやすく、「資産」は変わりにくい
    2. 4-2. なぜ「資産」が「下値の守り」になるのか
    3. 4-3. 「株券」ではなく「事業の一部」
  5. 5. 哲学の核心②:安全余裕(マージン・オブ・セーフティ)の徹底
    1. 5-1. グレアムの最重要概念
    2. 5-2. シュロスにとっての安全余裕は「資産の割引」だった
    3. 5-3. 安全余裕と「分散」「忍耐」はワンセット
  6. 6. シュロスの「16のルール」全文と逐条解説
    1. ルール1:価格こそが、価値との関係で最も重要な要素である
    2. ルール2:会社の価値を見積もろうとせよ。株式の1単位は事業の一部であり、紙切れではない
    3. ルール3:簿価を出発点に企業価値を見積もれ。負債が資本の100%に等しくないことを確認せよ
    4. ルール4:忍耐を持て。株はすぐには上がらない
    5. ルール5:人の話(tips)で買うな。手っ取り早い値動き狙いで買うな。悪材料で売るな
    6. ルール6:孤独を恐れるな。ただし自分の判断が正しいことを確認せよ。下げる過程で買い、上げる過程で売れ
    7. ルール7:いったん決断したら、自分の信念を貫く勇気を持て
    8. ルール8:投資哲学を持ち、それに従おうとせよ
    9. ルール9:売り急ぐな。ただし市場全体の水準には注意せよ
    10. ルール10:買うときは、過去数年の安値近辺で買うと役に立つ
    11. ルール11:利益を買うより、資産を割安で買おうとせよ
    12. ルール12:尊敬する人の助言には耳を傾けよ。ただし受け入れる義務はない
    13. ルール13:感情に判断を狂わされるな。恐怖と強欲が最悪の感情だ
    14. ルール14:複利という言葉を忘れるな。72の法則を思い出せ
    15. ルール15:債券より株式を選べ
    16. ルール16:レバレッジに気をつけよ。それは自分に牙をむきうる
    17. 16のルールを貫く「3本の柱」
  7. 7. ベンジャミン・グレアムからの継承と「ネットネット投資」
    1. 7-1. ネットネット株とは何か
    2. 7-2. 「シケモク投資(cigar-butt investing)」というたとえ
    3. 7-3. なぜシュロスはネットネットに「とどまった」のか
  8. 8. シュロスとバフェット ―― 「もう一人のバフェット」が選ばなかった道
    1. 8-1. バフェットの「進化」と、シュロスの「一貫」
    2. 8-2. なぜシュロスはバフェットの道を選ばなかったのか
    3. 8-3. バフェットがシュロスに「影響を与えられなかった」こと
  9. 9. 銘柄選定の実務 ―― バリューライン、年次報告書、過去安値
    1. 9-1. 道具は「バリューライン」と「年次報告書」だけ
    2. 9-2. 何を見ていたか ―― 簿価、財務健全性、過去安値
    3. 9-3. 「不人気」のなかにこそ機会がある、というロジック
  10. 10. ポートフォリオの組み立て ―― なぜ100銘柄も持ったのか
    1. 10-1. 「分散しすぎ」への批判と、シュロスの反論
    2. 10-2. これは「弱さ」か「強さ」か
    3. 10-3. 「同じ額ずつ」ではない ―― 確信度に応じた傾斜配分
  11. 11. 売却の技術 ―― シュロスが「最も難しい」と言ったこと
    1. 11-1. シュロスの売却ルール
    2. 11-2. 「早すぎる売り」を、あえて受け入れる
    3. 11-3. 売りについてのシュロスの「正直さ」
  12. 12. 心理と気質 ―― 感情を排し、ストレスから距離を置く
    1. 12-1. 「自我」を投資から切り離す
    2. 12-2. ストレスを設計段階で排除する
    3. 12-3. 「謙虚さ」を学ばせてくれる商売
  13. 13. 報酬体系と顧客との関係 ―― 「儲けたときだけ報酬を受け取る」
    1. 13-1. 「利益が出たときだけ、25%」
    2. 13-2. これが「気質」と一枚岩である理由
    3. 13-3. 「他人の金を預かっている」という感覚
  14. 14. 変えたものと、変えなかったもの ―― 半世紀の適応
    1. 14-1. 変えたもの ―― 「割引率」
    2. 14-2. 変えなかったもの ―― 「資産を基準にする」という構造
    3. 14-3. 「一貫性」と「硬直」は違う
  15. 15. シュロス手法の限界と、それでも残るもの
    1. 15-1. 限界①:ネットネット株は、もうほとんど存在しない
    2. 15-2. 限界②:「資産割安」が機能しにくい時代がある
    3. 15-3. 限界③:「価値の罠(バリュートラップ)」
    4. 15-4. それでも残るもの ―― 「移植可能な核」
  16. 16. 現代の個人投資家は、シュロスから何を持ち帰れるか
    1. 16-1. 「自分は何が苦手か」から始める
    2. 16-2. 「価格」と「価値」を、口に出して分ける習慣
    3. 16-3. 「悪材料で売らない」ための事前準備
    4. 16-4. 分散と「傾斜」のバランス
    5. 16-5. 「早く売りすぎる」ことを許す
    6. 16-6. 「持続可能性」を最優先する
  17. 17. シュロス語録 ―― 本人の言葉から
  18. 18. まとめ
  19. 19. 参考資料
    1. 本稿についての注記

1. はじめに ―― なぜいま、ウォルター・シュロスなのか

投資の世界には「有名な天才」がいる一方で、「有名ではないが、確かに勝ち続けた人」がいます。ウォルター・シュロス(Walter J. Schloss、1916–2012)は、後者の代表格です。

彼の名前は、ウォーレン・バフェットほど世間に知られていません。テレビに出ることもなく、派手な買収劇を演じることもなく、難解な金融理論を語ることもありませんでした。ニューヨークの小さなオフィスで、息子のエドウィンと二人、企業の年次報告書をめくり、数字を書き写し、株価が下がるのを待つ ―― ただそれだけを、半世紀近く続けた人物です。

それでいて、彼の運用成績は驚異的でした。1955年に独立してから2002年までの約47年間、手数料控除後で年率およそ15〜16%、市場平均(S&P500、配当込み)の約10%を一貫して上回り続けたのです。バフェットは1984年の有名な講演とエッセイ『グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち(The Superinvestors of Graham-and-Doddsville)』のなかで、シュロスを「スーパー投資家」の筆頭格として紹介しました。

ここで重要なのは、シュロスの手法が「天才にしかできないもの」ではない、という点です。バフェットの投資は、企業の質を見抜く卓越した洞察力、経営者を見る目、優れた事業への深い理解 ―― いずれも真似のしにくい才能に支えられています。一方シュロスの手法は、驚くほど単純で、機械的で、誰でも理解できます。彼自身が1994年に1枚の紙にまとめた「16のルール」には、ギリシャ文字も、複雑な数式も、ブラックボックスも一切登場しません。あるのは、常識(コモンセンス)と規律(ディシプリン)と忍耐(ペイシェンス)だけです。

だからこそ、シュロスを学ぶ価値があります。本稿の狙いは、シュロスがなぜ、どうやって市場に勝ち続けたのかを、彼自身の言葉とバフェットらの一次的な証言にもとづいて、できる限りわかりやすく解き明かすことです。そしてその過程で、現代の私たち ―― とりわけ、機関投資家のような情報網も人員も持たない個人投資家 ―― が、彼の思考法から何を持ち帰れるのかを考えていきます。

ひとつ先に、本稿全体を貫く「シュロスの本質」を一文で言っておきます。

シュロスの強さは、「賢さ」ではなく「自分が賢くないことを知っていたこと」から来ている。

これがどういう意味なのか、これから順を追って見ていきましょう。


2. ウォルター・シュロスとは誰か ―― 大学に行かなかった「使い走り」の少年

2-1. 大恐慌のさなかにウォール街へ

ウォルター・ジェローム・シュロスは、1916年8月28日にニューヨークで生まれました。2012年2月19日、白血病のため95歳で亡くなっています。

彼の経歴で、まず誰もが驚くのが「大学に行っていない」という事実です。シュロスは大学教育を受けていません。1934年、18歳のとき、彼はウォール街で「ランナー(runner、使い走り)」として働き始めました。ランナーとは、証券会社のあいだで株券や書類を物理的に運ぶ、いわば最下層の仕事です。

時代背景を思い出してください。1934年といえば、1929年の大暴落から続く大恐慌の真っただ中です。株式市場はまだ瓦礫のなかにあり、株を持つことそのものが「愚か者のすること」と見なされていた時代です。多くの人が株式市場に絶望していたまさにそのときに、シュロスのキャリアは始まりました。この「市場が嫌われている時期に出発した」という原体験は、後の彼の逆張り的な気質と、決して無関係ではないでしょう。

2-2. ベンジャミン・グレアムとの出会い

シュロスの人生を決定づけたのは、ベンジャミン・グレアムとの出会いです。

彼はローブ・ローズ商会(Loeb, Rhoades & Co.)に勤めながら、ニューヨーク証券取引所付属の教育機関(ニューヨーク金融大学校、New York Institute of Finance)で、グレアムが夜間に教えていた証券分析の講座を受講しました。ちなみに、同じクラスにはのちにゴールドマン・サックスの会長となるガス・レヴィもいたと伝えられています。

グレアムは、いまでこそ「バリュー投資の父」として神格化されていますが、当時は一人の実務家であり教師でした。シュロスは『証券分析』や『賢明なる投資家』に触れ、グレアムの考え方 ―― 株式とは企業の一部の所有権であり、その「価値」は計算できる、市場が示す「価格」が価値を大きく下回っているときにこそ買え ―― を骨の髄まで吸収していきます。

シュロスはグレアムのもとで働きたいと強く望みました。バフェット自身が『グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち』のなかで紹介している逸話によれば、シュロスはグレアムの講座を受けたあと「タダで働かせてほしい」と申し出たのに、グレアムは「君は割高だ」と言って断ったといいます。グレアムは「価値」というものを冗談にできないほど真剣にとらえていた ―― というバフェット一流のユーモアですが、このエピソードは、グレアム一門の「価格と価値」への執着をよく表しています。何度も頼み込んだ末に、シュロスはついにグレアム・ニューマン社(Graham-Newman Corporation)に雇われました。

2-3. グレアム・ニューマン社という「学校」

シュロスは、グレアム・ニューマン社で「ピーザント(peasant、平社員)」レベルの一人として働きました。バフェットの回想によれば、1954年から1956年にかけて、この会社には3人のパートナーのほかに4人の「平社員」がいたといいます。その4人のなかにシュロスがいて、そしてもう一人、若き日のウォーレン・バフェットがいました。

つまりシュロスとバフェットは、グレアム・ニューマン社の「同僚」だったのです。バフェットにとってシュロスは、生涯にわたる最も古い友人の一人となりました。

グレアム・ニューマン社は1955年から1957年にかけて解散・清算されていきます。同社で働いた4人の「平社員」は全員、1955年から1957年のあいだに会社を去りました。バフェットは故郷オマハに戻り、自分のパートナーシップを立ち上げます。トム・ナップは後にトウィーディ・ブラウンの設立に関わります。そしてシュロスは ―― 1955年、自分の投資パートナーシップを立ち上げました。

2-4. 独立、そして半世紀の運用

シュロスのパートナーシップは、ごく小さな規模で始まりました。出資者はわずか数人、調達額は10万ドル程度。彼自身も自分の資金を入れていました。

その後、彼の運用は40年以上続きます。顧客の数はピーク時でも92人ほど。彼は意図的に運用資産の規模を「小さく、扱いやすく」保ち続けました。これは後で詳しく述べますが、シュロスの成功にとって決定的に重要なポイントです。1984年の時点で、シュロスと息子のエドウィンはおよそ4500万ドルを運用していました。

シュロスは派手なオフィスを構えませんでした。バフェットの伝記『スノーボール』には、80歳になってもシュロスは小さなアパートに住み、昔と同じやり方で株を選んでいた、という描写があります。90歳になってもテニスをしていた、とも伝えられています。彼は2000年前後にパートナーシップを通常の運用から事実上たたみ、その後は自身と家族の資金を中心に静かに投資を続けました。

ここまでの経歴だけでも、シュロスという人物の輪郭が見えてきます。学歴も、人脈も、内部情報も、巨大な組織も持たなかった一人の実務家が、ただ一つの哲学を半世紀貫いた ―― これがウォルター・シュロスです。バフェットがエッセイのなかで引用した作家「アダム・スミス」(ジョージ・グッドマンの筆名)の言葉が、シュロスの姿を的確にとらえています。「彼にはコネも、有用な情報へのアクセスもない。ウォール街で彼を知る者はほとんどおらず、誰も彼にアイデアを与えない。彼はマニュアルで数字を調べ、年次報告書を取り寄せる。やっているのはそれだけだ」。


3. 実績を冷静に検証する ―― 45年・年率15%超という事実の重み

シュロスの哲学を語る前に、まず「その哲学が本当に機能したのか」を、数字で確認しておきましょう。哲学は美しくても、結果が伴わなければただの理屈です。逆に、結果がこれほど明確であれば、その背後にある考え方を真剣に学ぶ価値がある、ということになります。

3-1. 数字そのもの

複数の一次的・準一次的な資料を突き合わせると、シュロスの運用成績はおおよそ次のように整理できます。

  • バフェットが1984年のエッセイで示した「表1(Walter J. Schloss)」では、シュロスは独立後の28年間の記録を残している、とされています。
  • ある集計では、1956年から1984年末までの28年間で、手数料控除後の複利年率がおよそ16.1%、これに対してS&P500(配当込み)はおよそ8.4%でした。
  • より長い期間で見ると、運用パートナーシップの全期間(1955年前後〜2002年)で、シュロス自身の見積もりとして手数料控除後で年率およそ15〜16%、同期間のS&P500がおよそ10%、という数字がよく引用されます。「45年で年率15.3%対10%」「45年で年率15.7%」といった表現が資料によって出てきますが、いずれも「市場平均を、長期にわたって、5%前後うわまわり続けた」という点では一致しています。

数字に資料ごとの細かな差があるのは、起点・終点の取り方(1955年か1956年か、2000年か2002年か)や、手数料控除前か後か、といった違いによります。重要なのは小数点以下の精度ではなく、「半世紀近く、市場平均を年率5%前後うわまわった」という事実のスケールです。

3-2. 「年率5%の差」が半世紀でどうなるか

「市場平均より年5%高いだけ」と聞くと、たいしたことがないように感じるかもしれません。しかし複利の世界では、この差は時間とともに天文学的に開いていきます。

仮に1万ドルを投資したとして、45年間運用したと考えてみましょう。

  • 年率10%で45年 → 1万ドルは約72万8000ドルになります(10000 × 1.10^45 ≈ 728,905)。
  • 年率15%で45年 → 1万ドルは約538万7000ドルになります(10000 × 1.15^45 ≈ 5,386,790)。

つまり、毎年たった5ポイントの差が、45年後には約7倍以上の最終資産の差を生みます。シュロス自身が16番目のルールの一つ前、第14のルールで「複利という言葉を忘れるな」「72の法則を思い出せ」と書いているのは、まさにこのことです。彼は自分の優位(エッジ)が小さいことを知っていました。だからこそ、その小さな優位を「長く、途切れさせずに」積み上げることに全神経を注いだのです。

3-3. なぜこの実績が「効率的市場仮説」への反証になるのか

バフェットが1984年にこのエッセイを書いた背景には、当時の学界を支配していた「効率的市場仮説」への反論がありました。効率的市場仮説とは、ごく単純化すれば「株価はすでにあらゆる情報を織り込んでいるから、市場平均を継続的に上回ることは不可能であり、上回って見える人がいてもそれは単なる偶然(運)だ」という考え方です。

バフェットの反論はこうです ―― もし市場に勝つことが本当に「コイン投げ」のような偶然なら、勝ち続ける人々はランダムに散らばっているはずだ。ところが、長期にわたって市場に勝ち続けた投資家たちを調べてみると、その多くが「グレアム・ドッド村」という一つの知的な出身地を共有している。シュロス、トム・ナップ、バフェット自身、ビル・ルーン、チャーリー・マンガー ―― 彼らはポートフォリオの中身こそバラバラで、互いに同じ銘柄を持っていない(バフェットはエッセイのなかで、彼らの保有銘柄が独立していることを強調しています)。共通しているのは「銘柄」ではなく「考え方」、すなわち「価格より価値が大きいものを買う」という一点だけだ。

シュロスは、この論証のなかで「表1」、つまり最初の証拠として置かれました。学歴のない、内部情報も持たない一人の男が、ただグレアムの考え方を規律正しく実行するだけで、28年にわたり市場を圧倒した ―― これは「偶然」では説明しにくい。だからこそシュロスの実績は、単なる成功譚を超えて、「バリュー投資という考え方そのものが機能する」ことの、生きた証拠になっているのです。

ここで一つ、私なりの分析を加えておきます。シュロスの実績が持つ説得力は、「リターンの高さ」よりむしろ「手法の透明性」にあります。バフェットの成功は、後から振り返ると「バフェットだからできた」と片づけられてしまう余地があります。しかしシュロスの手法は、本人が1枚の紙に全部書いてしまった。再現可能性が高く、ブラックボックスがない。「同じことをやれば、同じとは言わないまでも、近いことが起こりうる」と思わせる ―― そこにシュロスを学ぶ最大の意義があると私は考えます。


4. 哲学の核心①:「利益」ではなく「資産」を買う

ここからが本稿の中心です。シュロスの投資哲学は、突き詰めると二つの柱に集約できます。一つは「資産を買う、利益を買わない」。もう一つは「安全余裕を徹底する」。まずは前者から見ていきます。

4-1. 「利益」は変わりやすく、「資産」は変わりにくい

世の中の多くの投資家は「利益(earnings)」を見て株を買います。「この会社は来期どれだけ稼ぐか」「EPS(1株当たり利益)はどう成長するか」「PER(株価収益率)は何倍が妥当か」。証券アナリストの仕事の大半は、将来の利益を予想することに費やされています。

シュロスは、ここから意識的に距離を置きました。彼自身の言葉を、インタビュー記録から要約して紹介します。

私は利益が嫌いというわけではない。ただ、第一に、利益というものは変わりやすい。第二に、利益予想が当たったとしても、人々がその利益に与える「倍率(マルチプル)」のほうが変わってしまう。だから私は、簿価(ブックバリュー)を見るほうが、ずっと心地よく、納得がいく。

この言葉には、二段構えの洞察があります。

第一の問題:利益予想は外れる。 企業の利益は、景気、競争、原材料価格、経営判断 ―― あらゆる要因で大きく振れます。来期の利益を正確に当てることは、プロでも難しい。シュロスは自分が小型の二流企業ばかりを扱っていることを自覚しており、「これらの企業の利益を予想することはできない」とはっきり認めていました。

第二の問題:予想が当たっても、報われるとは限らない。 これがより深い洞察です。仮に利益予想が当たったとしても、その利益に市場が与えるPER(マルチプル)が変わってしまえば、株価は予想通りには動きません。利益が10%伸びても、PERが20倍から15倍に切り下がれば、株価はむしろ下がる。投資家は「利益」と「マルチプル」という二つの不確実なものを、両方とも当てなければならない。シュロスは、この「二重の賭け」を避けたのです。

これに対して「資産」、とりわけ簿価は、ゆっくりとしか変化しません。工場、土地、在庫、現金、売掛金 ―― これらは一夜にして消えたりはしません。シュロス自身の言葉を借りれば、「利益を買うなら、その企業についてずっと多くのことを知らなければならない。資産を割安で買うほうが(楽だ)」。第11のルールに、この考えは明快に書かれています。「利益を買うより、資産を割安で買おうとせよ。利益は短期間で劇的に変わりうる。通常、資産はゆっくりとしか変わらない」。

4-2. なぜ「資産」が「下値の守り」になるのか

シュロスが資産を重視したのは、それが「攻め」のためではなく「守り」のためでした。彼は繰り返し「下値の保護(protection on the downside)」という言葉を使っています。

基本的に、私たちは下値の保護を好む……簿価をパラメータとして使うことで、私たちは下値で自分の身を守り、ひどい痛手を負わずにすむ。

考え方はこうです。ある会社の株を、その簿価より大幅に安い価格で買ったとします。もし業績が改善すれば株価は上がる。だが、たとえ業績が改善しなくても、簿価という「実体のある価値」が、株価がそれ以上下がるのをある程度押しとどめてくれる ―― クッションになってくれる。シュロスにとって投資とは、「上がる理由」を探すことよりも、「これ以上ひどくは下がらない理由」を確保することでした。

ここに、シュロスとグロース投資家の決定的な世界観の違いがあります。グロース投資家は「どこまで上がるか」を考えます。シュロスは「どこまでなら下がっても耐えられるか」を考えました。彼の頭のなかでは、まず損失を限定する。リターンは、損失を限定した「結果として」ついてくるものでした。

4-3. 「株券」ではなく「事業の一部」

シュロスの「16のルール」第2項には、グレアム由来の、しかし極めて重要な一文があります。「株式の1単位は、事業の一部分を表すのであって、ただの紙切れではないことを忘れるな」。

現代の私たちは、スマートフォンの画面で株価がチカチカ動くのを見ています。すると、株が「事業の所有権」であることを忘れ、「数字が上下するゲームの駒」のように扱ってしまいがちです。シュロスは、年次報告書を読み、企業の資産を一つひとつ確認することで、常に「自分は何を買っているのか ―― 工場や在庫や現金を持った、生身の事業の一部だ」という感覚を手放しませんでした。

この「事業の一部を買っている」という感覚があるからこそ、株価が下がったときに「事業の価値も同じだけ下がったのか? それとも価格だけが下がったのか?」と問うことができます。価格だけが下がったのなら、それは損ではなく、むしろ買い増しの好機です。第6のルールにある「下げる過程で買い、上げる過程で売れ(buy on a scale down and sell on a scale up)」という行動は、この世界観があって初めて自然に出てきます。


5. 哲学の核心②:安全余裕(マージン・オブ・セーフティ)の徹底

5-1. グレアムの最重要概念

「安全余裕(margin of safety)」は、ベンジャミン・グレアムが残した、おそらく最も重要な概念です。グレアム自身、もし投資の極意を一言にまとめるなら「安全余裕」だと述べたほどです。

安全余裕とは、ごく単純に言えば「自分の見積もった価値と、実際に支払う価格のあいだの差」のことです。1ドルの価値があるものを、60セントで買う。このとき、40セントが安全余裕です。なぜこれが「安全」かというと ―― 自分の価値の見積もりが少々間違っていても(たとえば本当の価値は1ドルではなく80セントだったとしても)、まだ損はしない、という余白があるからです。

バフェットがシュロスを評した、有名な一節があります。「彼は単にこう言う。ある事業が1ドルの価値があって、それを40セントで買えるなら、何かいいことが自分に起こるかもしれない、と。そして彼はそれを、何度も、何度も、何度も繰り返す」。

ここで注目すべきは「40セント」という数字です。1ドルのものを「90セント」で買うのではなく「40セント」で買う。安全余裕を、ぎりぎりではなく、たっぷりと取る。シュロスは、自分が天才ではないこと、自分の価値評価が間違いうることを知っていたからこそ、安全余裕を「分厚く」取ることにこだわりました。

5-2. シュロスにとっての安全余裕は「資産の割引」だった

ここがシュロスの個性です。同じ「安全余裕」でも、その源泉が投資家によって違います。

  • グレアム(後期)やバフェットは、優れた事業の「将来生み出すキャッシュフロー」と価格の差に安全余裕を見出すようになっていきました。
  • シュロスは、生涯一貫して「いま貸借対照表に載っている資産」と価格の差に、安全余裉を見出し続けました。

シュロスの安全余裕は、未来の予想に依存しません。彼は「いま、ここにある資産」を割り引いて買いました。最初期には、グレアム直伝の「ネットネット株」(後述)、つまり正味流動資産価値すら下回る株。それが市場から消えると、簿価の3分の1で買えるもの、次に簿価そのもの、最後には簿価をわずかに上回る程度のもの ―― と、時代に応じて「割引率」は変えましたが、「資産を割り引いて買う」という構造そのものは決して変えませんでした。

私の見るところ、ここにシュロス手法の「壊れにくさ」の秘密があります。未来予想に立脚した安全余裕は、予想が外れた瞬間に消えてなくなります。しかし「いまある資産」に立脚した安全余裕は、少なくとも「事実」に根ざしている。事実は予想より、はるかに崩れにくいのです。

5-3. 安全余裕と「分散」「忍耐」はワンセット

安全余裕という概念は、単独では機能しません。シュロスにおいて、それは必ず「分散」と「忍耐」とセットになっていました。

  • 分散:個々の銘柄について、安全余裕の見積もりは外れることがある。だから多数の銘柄に分けて持つ。すると、見積もりが外れた数銘柄を、見積もり通り(あるいはそれ以上)になった銘柄が補ってくれる。
  • 忍耐:安全余裕がある株でも、「いつ」価格が価値に追いつくかはわからない。シュロスは「だいたい4年くらいかかる」と語っています。だから安全余裕を持って買ったあとは、ただ待つ。

第4のルール「忍耐を持て。株はすぐには上がらない」、第6のルール「孤独を恐れるな、ただし自分の判断が正しいことを確認せよ」 ―― これらはすべて、安全余裕という核を守るための「外装」なのです。


6. シュロスの「16のルール」全文と逐条解説

ここで、シュロスの思想が最も凝縮された一次資料を扱います。シュロスは1994年、「株式市場で利益を上げるために必要な要素(Factors Needed to Make Money in the Stock Market)」と題して、自らの投資哲学を1枚の紙にまとめました。これは「ウォルター&エドウィン・シュロス・アソシエイツ」名義の文書として知られています。

以下、その16項目を一つずつ、原文の趣旨を日本語に訳しながら、解説を加えていきます。なお原文は箇条書きで、表現は素朴そのものです。シュロス本人が「言葉のなかにある単純さに注目してほしい。ブラックボックスもアルゴリズムもギリシャ文字もない、ただ単純さと常識があるだけだ」という趣旨のことを述べていた、と伝えられています。

ルール1:価格こそが、価値との関係で最も重要な要素である

Price is the most important factor to use in relation to value.

すべての出発点です。どんなに良い会社でも、高すぎる価格で買えば良い投資にはならない。逆に、平凡な会社でも、十分に安い価格で買えば良い投資になりうる。重要なのは「会社の良し悪し」そのものではなく、「価値に対して価格がどうか」という相対関係です。シュロスは「いい会社」を探したのではなく、「価値に対して価格が安いもの」を探しました。

ルール2:会社の価値を見積もろうとせよ。株式の1単位は事業の一部であり、紙切れではない

Try to establish the value of the company. Remember that a share of stock represents a part of a business and is not just a piece of paper.

第4節でも触れた、グレアム由来の根本姿勢です。「価値を見積もろうとせよ(try to establish)」という、控えめな言い回しに注目してください。シュロスは「価値を正確に算定せよ」とは言っていません。「見積もろうとせよ」です。価値評価は本質的に不正確なものだ、という謙虚さが、この一語に表れています。

ルール3:簿価を出発点に企業価値を見積もれ。負債が資本の100%に等しくないことを確認せよ

Use book value as a starting point to try and establish the value of the enterprise. Be sure that debt does not equal 100% of the equity.

シュロス手法の「実務の入口」です。簿価(ブックバリュー)を、価値評価の出発点に置く。そして、財務の健全性 ―― 負債が自己資本に対して大きすぎないこと ―― を確認する。なぜ負債を警戒するかは、ルール16(レバレッジの警戒)とつながっています。負債の重い会社は、逆風が吹いたときに「待つ」体力がない。シュロス手法は「待つ」ことが前提なので、待てない会社は最初から選べないのです。

ルール4:忍耐を持て。株はすぐには上がらない

Have patience. Stocks don’t go up immediately.

これはルールというより、覚悟の表明です。シュロスは「割安な会社を買っても、買った直後に上がることはない。むしろ下がる。信じてほしい、下がるんだ」とまで語っています。彼の経験則では、価値が価格に反映されるまで「だいたい4年」。割安株投資は、せっかちな人には向かない ―― これをルールの4番目という早い段階に置いたのは、シュロスの誠実さだと思います。

ルール5:人の話(tips)で買うな。手っ取り早い値動き狙いで買うな。悪材料で売るな

Don’t buy on tips or for a quick move. Let the professionals do that, if they can. Don’t sell on bad news.

二つの戒めが入っています。前半は「噂や情報で買うな、短期の値ザヤ狙いで買うな」。後半が重要で、「悪材料で売るな」。割安株は、たいてい「悪いニュース」があるからこそ割安なのです。そこにさらに悪材料が出たくらいで売っていたら、割安株投資は成り立ちません。買う前に「これは資産価値に対して致命的か、それとも一時的な逆風か」を見極め、致命的でないなら、悪材料に動じない ―― これがルール5の後半の意味です。

ルール6:孤独を恐れるな。ただし自分の判断が正しいことを確認せよ。下げる過程で買い、上げる過程で売れ

Don’t be afraid to be a loner but be sure that you are correct in your judgment. You can’t be 100% certain but try to look for weaknesses in your thinking. Buy on a scale down and sell on a scale up.

三つの要素が詰まっています。

(1) 孤独を恐れるな。 割安株は、市場の多数派が嫌っているからこそ割安です。だから割安株投資家は、定義上、いつも少数派・逆張りの側にいます。みんなと反対のことをするのは、心理的につらい。その孤独に耐える覚悟が要る。

(2) ただし、自分の判断の弱点を探せ。 ここがシュロスの知的誠実さです。「孤独を恐れるな」だけなら、ただの強情です。シュロスは続けて「100%確実ではありえない。自分の思考の弱点(weaknesses)を探そうとせよ」と書いています。逆張りであることと、独りよがりであることは違う。自分が間違っているかもしれない可能性を、自分で必死に探す ―― これがあって初めて、逆張りは「強さ」になります。

(3) スケール売買。 「下げる過程で買い、上げる過程で売る」。一度に全力で買わず、価格が下がるにつれて少しずつ買い増す。一度に全部売らず、価格が上がるにつれて少しずつ売っていく。これは「自分は底も天井も当てられない」という前提に立った、極めて実務的な手法です。シュロス自身、「スケールで売るから、私が売った株のほとんどは、売値より上に行く。最高値も最安値も、決してつかめない」と率直に認めています。完璧を狙わない。「だいたい良いところ」で満足する。

ルール7:いったん決断したら、自分の信念を貫く勇気を持て

Have the courage of your convictions once you have made a decision.

ルール6の「孤独を恐れるな」と対になっています。十分に調べ、自分の思考の弱点も探したうえで「これは安い」と結論したなら、あとは市場が何と言おうと、その判断を貫く勇気を持て。調査の段階では徹底的に疑い、決断したあとは腹を据える ―― この二段階の切り替えが、シュロスの規律の本質です。

ルール8:投資哲学を持ち、それに従おうとせよ

Have a philosophy of investment and try to follow it.

シュロスはここに「上に書いたのは、私が成功だと感じたやり方だ」と付け加えています。彼が言いたいのは、「私のやり方が唯一正しい」ではありません。「自分なりの一貫した哲学を持ち、それを守れ」ということです。哲学がコロコロ変わる投資家は、相場の上げ下げのたびに方針を変え、結局いちばん高いところで買い、いちばん安いところで売ってしまう。どんな哲学であれ、一貫していることそのものに価値がある ―― これは現代の私たちにも、そのまま刺さる教えです。

ルール9:売り急ぐな。ただし市場全体の水準には注意せよ

Don’t be in too much of a hurry to sell. … Be aware of the level of the stock market. Are yields low and P/E ratios high?

株が「適正と思える価格」に達したら売ってよい。しかし、たとえば50%上がったというだけで反射的に売ってしまう人が多い。売る前に、もう一度その会社を評価し直し、いまの株価が簿価に対してどのあたりにあるかを見よ ―― とシュロスは言います。同時に「市場全体の水準」にも注意を促します。配当利回りが低く、PERが高く、市場が歴史的高値圏にあり、人々が極端に楽観的なときは、警戒すべきだ、と。個別銘柄を見つつ、市場全体の「温度」も感じておく。

ルール10:買うときは、過去数年の安値近辺で買うと役に立つ

When buying a stock, I find it helpful to buy near the low of the past few years.

具体的なテクニックです。シュロスは例を挙げています ―― ある株が125まで上がったあと60まで下げてきて「割安に見える」とする。だが3年前にはその株は20だった。つまり、その株には「20まで下がりうる脆さ」がある。過去の安値を知っておくことは、その株の「下値の現実的なリスク」を知ることだ、というわけです。これはグレアムの言う「価格づけ(pricing)」の考え方の応用とされています。「いつ上がるか(タイミング)」ではなく「いまいくらか(価格)」を見る。

ルール11:利益を買うより、資産を割安で買おうとせよ

Try to buy assets at a discount rather than to buy earnings. Earnings can change dramatically in a short time. Usually, assets change slowly.

第4節で詳述した、シュロス哲学の心臓部です。「利益を買うなら、その会社についてずっと多くを知らねばならない」とも付記されています。資産を割り引いて買うほうが、必要な知識が少なくてすむ ―― これは「自分の能力の限界」を見据えた、現実的な戦略選択です。

ルール12:尊敬する人の助言には耳を傾けよ。ただし受け入れる義務はない

Listen to suggestions from people you respect. … Remember, it’s your money and generally, it is harder to keep money than to make it.

シュロスは頑固でしたが、閉じてはいませんでした。尊敬する人の意見は聞く。ただし、聞くことと従うことは別だ、と。そして「これは自分の金だ」「一般に、金を稼ぐことより、稼いだ金を失わないことのほうが難しい」「一度大きく失った金を取り戻すのは難しい」と続けます。最終責任は自分にある、という当事者意識。これは、他人の推奨に乗って失敗したときに、いちばん効いてくる言葉です。

ルール13:感情に判断を狂わされるな。恐怖と強欲が最悪の感情だ

Try not to let your emotions affect your judgment. Fear and greed are probably the worst emotions to have in connection with the purchase and sale of stocks.

シュロス哲学のなかで、最も普遍的なルールかもしれません。恐怖は、いちばん安い「買い場」で人を売らせます。強欲は、いちばん危ない「天井圏」で人に買わせます。投資の失敗の大半は、分析の失敗ではなく、感情の失敗です。シュロスがなぜ「資産・簿価」という、計算でき、客観的で、動かしにくいものに固執したか ―― それは、感情の入り込む余地を、手法の設計段階でできるだけ小さくしておくためでもあった、と私は考えます。

ルール14:複利という言葉を忘れるな。72の法則を思い出せ

Remember the word compounding. … Remember the rule of 72.

「年12%で回し、再投資すれば、税引前で6年で資産は2倍になる。72の法則 ―― 72を年利回りで割れば、資産が2倍になる年数がわかる」。第3節で見た通り、シュロスは自分の優位が小さいことを知っていました。その小さな優位を、長く、途切れさせず、再投資し続ける。複利は、平凡な利回りを非凡な結果に変える「時間の魔法」です。

ルール15:債券より株式を選べ

Prefer stocks over bonds. Bonds will limit your gains and inflation will reduce your purchasing power.

債券は値上がり益を限定し、インフレが購買力を蝕む。長期の資産形成においては、(割安に買えるなら)株式のほうが報われる ―― という、長期投資家としての立場の表明です。

ルール16:レバレッジに気をつけよ。それは自分に牙をむきうる

Be careful of leverage. It can go against you.

最後のルールが「レバレッジへの警戒」であることは、象徴的です。シュロスは「下値の保護」を何より重んじた人でした。レバレッジ(借金による増幅)は、上手くいけばリターンを膨らませますが、逆に振れたときには損失を膨らませ、そして何より「待てなくなる」。シュロス手法は「待つ」ことが前提です。レバレッジは、その「待つ力」を奪う。だからシュロスは、自分のポートフォリオでも、選ぶ企業の財務でも、過剰なレバレッジを避けました。彼自身「時々、強欲になりすぎて、レバレッジの効きすぎた証券に手を出すことがある。レバレッジが逆に動くと、非常に危険だ。そういう状況からは離れるようにしている」と、自戒を込めて語っています。

16のルールを貫く「3本の柱」

16項目を眺め直すと、表現は素朴でバラバラに見えて、実は3本の柱に貫かれていることがわかります。

  1. 価値の柱(ルール1・2・3・10・11):価格と価値を比べ、資産・簿価を基準に、割安なものだけを買う。
  2. 規律の柱(ルール5・6・7・8・9):噂で買わず、悪材料で売らず、スケールで売買し、哲学を一貫させる。
  3. 気質の柱(ルール4・12・13・14・15・16):忍耐し、感情を排し、当事者意識を持ち、複利を信じ、レバレッジを避ける。

この3本 ―― 何を買うか(価値)、どう買うか(規律)、どういう心で臨むか(気質) ―― が三位一体で機能したとき、シュロスの45年が成立しました。逆に言えば、どれか1本でも欠ければ、この手法は崩れます。「割安なものを買う」だけでは足りない。「規律」と「気質」がなければ、割安なものを底で売ってしまうからです。


7. ベンジャミン・グレアムからの継承と「ネットネット投資」

7-1. ネットネット株とは何か

シュロスのキャリア初期を理解するには、グレアムが編み出した「ネットネット株(net-net)」という概念を知る必要があります。

ネットネット株とは、ごく単純化すれば「正味流動資産価値(NCAV: Net Current Asset Value)よりも、時価総額が低い株」のことです。

NCAVは、こう計算します。

流動資産(現金・売掛金・在庫など) − 総負債(流動・固定すべて)

つまり、固定資産(工場、土地、設備、のれんなど)の価値を一切ゼロと見なしたうえで、流動資産から負債を全部引いた残り。これがNCAVです。グレアムは、さらに保守的に「ネットネット運転資本(net-net working capital)」として、流動資産のなかでも在庫を割り引いたり除いたりした、より厳しい数字を使うこともありました。

ネットネット株を買うというのは、極端に言えばこういうことです ―― 「この会社を買って、即座に解散させ、工場も設備ものれんも全部捨て値で処分し、流動資産だけを現金化して、負債を全部返済しても、なお自分が払った金額より多くの現金が手元に残る」。

これがどれほど分厚い安全余裕か、想像してみてください。事業がこの先まったく利益を生まなくても、理論上は損をしない。これがグレアム流バリュー投資の「原型」であり、シュロスがグレアム・ニューマン社で叩き込まれた技術でした。

7-2. 「シケモク投資(cigar-butt investing)」というたとえ

バフェットは、この種の投資を「シケモク(cigar butt)投資」と呼びました。道に落ちているシケモク(吸い殻)は、見た目は汚くて誰も拾わない。だが、まだ一服分くらいは残っている。その「最後の一服」はタダ同然で手に入る ―― という比喩です。

ネットネット株は、まさにシケモクです。事業としては魅力がなく、誰も欲しがらない。だが、清算価値という「最後の一服」が、価格より大きい。シュロスは生涯、このシケモクを拾い続けた投資家でした。バフェットがやがてシケモク投資から「並の会社を割安に買うより、優れた会社を適正価格で買うほうがよい」(マンガーの影響)へと進化していったのに対し、シュロスは最後まで、本質的にシケモクの人であり続けました。

7-3. なぜシュロスはネットネットに「とどまった」のか

ここに、シュロスという投資家の自己認識が、はっきり表れています。

ネットネット投資は、企業の「質」をほとんど問いません。経営者が優秀かどうか、ビジネスモデルが秀逸かどうか ―― そういう「判断の難しいこと」を、ほぼ考えなくてよい。見るのは貸借対照表の数字だけ。計算でき、客観的で、ごまかしの利きにくいもの。

シュロスは、自分が「企業の質を見抜く天才」ではないことを、よく知っていました。だから彼は、天才でなくても実行できる手法 ―― 数字を読み、清算価値を計算し、それより安ければ買う ―― にとどまったのです。これは「限界」ではなく「戦略的選択」でした。バフェット自身が、シュロスについて「彼は私よりずっと多くの銘柄を持ち、事業の本質的な性質には、私よりずっと関心が薄い」と書いています。これは批判ではなく、シュロスが「自分に合った土俵」を選んでいたことの観察です。

第5節で「シュロスの安全余裕は事実に根ざしている」と書きました。ネットネット投資は、その究極形です。未来を予想しない。いまの貸借対照表という「事実」だけを見る。だからこそ、外れにくい。


8. シュロスとバフェット ―― 「もう一人のバフェット」が選ばなかった道

シュロスは、しばしば「もう一人のウォーレン・バフェット(the other Warren Buffett)」と呼ばれます。同じグレアム・ニューマン社の出身で、生涯の友人で、ともに市場に長く勝ち続けた。しかし、二人が歩んだ道は、実はかなり異なります。この対比を理解すると、シュロスの個性がいっそう鮮明になります。

8-1. バフェットの「進化」と、シュロスの「一貫」

最大の違いは、バフェットは大きく進化し、シュロスはほとんど進化しなかった、という点です。ただし、ここでの「進化しなかった」は、まったくの誉め言葉として使っています。

バフェットは、チャーリー・マンガーの影響を受けて、グレアム流の「シケモク投資(並の会社を激安で)」から、「優れた事業を適正な価格で買い、長く持つ」というスタイルへと、運用哲学そのものを大きく変えていきました。ブランド、参入障壁、経営者の質、長期の競争優位(堀/モート) ―― バフェットの後半生は、こうした「定性的で、判断の難しいもの」を見抜くことに賭けられています。

シュロスは、そこへは行きませんでした。彼は生涯、貸借対照表を見つめ続けました。彼が変えたのは「哲学」ではなく「戦術」だけです(次章で詳述します)。

8-2. なぜシュロスはバフェットの道を選ばなかったのか

シュロス自身が、その理由を、驚くほど率直に語っています。インタビュー記録から趣旨を訳します。

自分が何を知っていて、何を知らないかを知ることも大事だ。たとえばテンプルトンは、私には到底できない、見事なことをやっている ―― 彼は世界中の証券を買う。私は、米国の外で株を買った数少ない経験では、たいてい手痛い目に遭った。毎回ではないが、たいていは。

そして、ポートフォリオについての有名なやりとり。

エドウィンと私がやっていることの一つは、100社以上を保有することだ。ウォーレンは私に、それは「愚かさへの防御だ」と言った。私のウォーレンへの反論はこうだ ―― 私たちには、これらの会社の利益を予想できない、二流の会社だから。でも、どこかの時点で、そのうちのいくつかはうまくいく。どれがうまくいくかは私にはわからない。だから100社買うんだ。

ここには、二人の自己認識の違いが、くっきりと出ています。バフェットは「自分は事業の質を見抜ける」という確信のもとに、少数の銘柄に集中しました。シュロスは「自分は個々の会社の未来を予想できない」という自覚のもとに、多数の銘柄に分散しました。

どちらが優れているか、という問いは、おそらく間違っています。重要なのは、二人とも「自分にできること/できないこと」を正確に把握し、それに合った手法を選んだということです。バフェットはバフェットの土俵で、シュロスはシュロスの土俵で戦った。そして両者とも勝った。「自分を知ること」が、手法選びの土台にある ―― これが、二人を並べて見たときに浮かび上がる、最も重要な教訓です。

8-3. バフェットがシュロスに「影響を与えられなかった」こと

バフェットの『グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち』の、シュロスについての一節には、印象的な言葉があります。バフェットは、シュロスが自分よりはるかに多くの銘柄を持ち、事業の本質への関心が薄いことを述べたあと、こう続けます ―― 「私はウォルターに、あまり影響を与えられないようだ。それが彼の強みの一つだ。誰も彼には、たいして影響を与えられない」。

世界一の投資家が「自分でも彼を動かせない」と言う。これは普通なら頑固さの欠点として語られそうなところを、バフェットは明確に「強み(strength)」と呼んでいます。

なぜか。割安株投資の最大の敵は、外からの「影響」だからです。市場の熱狂、メディアの煽り、同業者の自慢話、評論家の予測 ―― これらに影響されて哲学を曲げた瞬間に、割安株投資は崩壊します。シュロスは、誰にも影響されない人でした。それは社交性の欠如ではなく、「自分の哲学を守り抜く力」の表れだったのです。第8のルール「投資哲学を持ち、それに従え」を、シュロスは人格のレベルで体現していました。


9. 銘柄選定の実務 ―― バリューライン、年次報告書、過去安値

ここまで哲学を見てきました。では、シュロスは具体的に「どうやって」銘柄を選んでいたのでしょうか。彼の実務は、拍子抜けするほど地味です。だがその地味さこそが要点です。

9-1. 道具は「バリューライン」と「年次報告書」だけ

シュロスは、企業の経営陣とほとんど話しませんでした。これは現代の機関投資家の常識からすると、異様なことです。今のアナリストは、経営者と面談し、工場を視察し、IR担当に質問を浴びせます。シュロスは、それをほぼしませんでした。

理由を、彼ははっきり述べています ―― 経営者は一般に楽観的すぎる。その前向きな見方を聞くと、投資家の判断が「汚染される(taint)」傾向がある、と。経営者は自社の株を売り込みたい立場にあります。彼らの話を聞けば聞くほど、こちらの冷静な計算は、彼らの熱意に引きずられてしまう。

代わりにシュロスが頼ったのは、二つの資料でした。

  • バリューライン(Value Line):米国の独立系の投資情報サービス。各企業の財務データ、過去の株価推移、各種指標が、定型のフォーマットで一覧化されています。シュロスは、このバリューラインを使って、財務的に割安な候補をスクリーニングしていました。
  • 企業の年次報告書(annual report):候補が絞れたら、その会社の年次報告書を取り寄せ、貸借対照表を中心に読み込む。

このシンプルさには、思想があります。バリューラインも年次報告書も、「誰でも手に入る、公開された、客観的な数字」です。シュロスは、内部情報や独自のコネクションといった「特権的な情報」で勝とうとしませんでした。むしろ「誰でも見られる情報を、誰よりも規律正しく、感情を交えずに使う」ことで勝とうとしたのです。

9-2. 何を見ていたか ―― 簿価、財務健全性、過去安値

シュロスがバリューラインや年次報告書で具体的に確認していたのは、概ね次のような点だと整理できます。

  1. 株価が簿価に対してどうか。 簿価の3分の1、簿価並み、簿価のわずか上 ―― 時代によって基準は変わりましたが、常に「簿価との比較」が出発点でした。
  2. 負債が過大でないか。 ルール3・16の通り。負債の重い会社は「待てない」ので除外。
  3. 過去数年の株価レンジ、とくに安値。 ルール10の通り。いまの株価が、過去の安値に対してどのあたりにあるか。「下値の現実的リスク」の把握。
  4. 不人気の理由。 その株がなぜ安いのか。シュロスは「不人気の会社」を好みました。彼自身の言葉 ―― 「私の会社はどれも沈んでいる。どれも問題を抱えている。どれが勝者になるかの保証はない」。ただし、その不人気が「資産価値を毀損する致命傷」なのか「一時的な逆風」なのかは見極める。

9-3. 「不人気」のなかにこそ機会がある、というロジック

シュロスがなぜ「沈んだ会社」「問題を抱えた会社」をあえて狙ったのか。そのロジックを、彼自身の言葉から再構成してみます。

市場は「利益」を見て値段をつける。だから、利益が出ていない会社、設備投資ばかりかさんで儲からない業界は、市場から見放され、株価が不当に安くなる。誰も欲しがらないから、安い。

ところが、こうした「不人気で割安な会社」を買っておくと、状況が少しでも自分に有利に転がったとき、大きな「てこ(レバレッジ)」が効く。シュロスは「沈んだ株を買うことには、3本の弦がある」と語りました。

  1. 利益が改善し、株価が上がる。
  2. 誰かがその会社の経営権を買いに来る(買収される)。
  3. 会社自身が自社株買いを始める、あるいは公開買い付けを行う。

つまり、たとえ本業の利益改善(弦1)が起きなくても、買収(弦2)や自社株買い(弦3)という別の経路で、割安が解消されうる。一つの賭けに、複数の「報われ方」が用意されている。これがシュロスの考える「下値は資産で守られ、上値は複数の経路で開けている」という、非対称な構造でした。

ここで強調したいのは、シュロスのこの実務が、すべて第4節〜第6節で見た哲学と、ぴたりと整合していることです。哲学(資産を買う/安全余裕/忍耐)が先にあり、実務(バリューライン/年次報告書/不人気株)はその哲学を地上で実行するための、最小限の道具立てにすぎない。哲学と実務が一枚岩であること ―― これがシュロスの強さの構造です。


10. ポートフォリオの組み立て ―― なぜ100銘柄も持ったのか

10-1. 「分散しすぎ」への批判と、シュロスの反論

シュロスのポートフォリオは、ピーク時には100銘柄を超えていました。これは、集中投資を信条とするバフェット流から見ると「分散しすぎ」です。実際バフェットは、シュロスに対して「それは愚かさへの防御(a defense against stupidity)だ」と言ったと、シュロス本人が回想しています。

集中投資派の論理はこうです ―― 本当に良い投資機会は、人生でそう何度も訪れない。確信を持てる数少ない機会に、大きく賭けるべきだ。100銘柄も持つのは、自分の判断に自信がない証拠であり、リターンを平準化して「凡庸」に近づける行為だ。

これに対するシュロスの反論は、第8節でも引用した通り、シンプルかつ誠実でした ―― 「私たちには、これらの二流の会社の利益を予想できない。でも、どこかの時点で、いくつかはうまくいく。どれがうまくいくかは私にはわからない。だから100社買う」。

10-2. これは「弱さ」か「強さ」か

私は、シュロスの分散を「弱さ」ではなく「自己認識の正確さ」だと考えます。

集中投資が機能するのは、「自分が確信できる機会を、本当に見分けられる」場合だけです。もしその見分けが実は不正確なら、集中投資は破滅への近道になります。シュロスは、自分が個々の二流企業の未来を正確に見分けられない、と知っていました。その自己認識が正しい以上、分散は合理的な帰結です。

「自分はどれが当たるかわからない。でも、十分な安全余裕を持って買った割安株を多数並べておけば、外れた数銘柄を、当たった銘柄が補ってくれる」 ―― これは、確率と安全余裕にもとづいた、極めて理にかなった設計です。バフェットの「愚かさへの防御」という言葉すら、シュロスは否定しませんでした。「その通り、これは防御だ。私には防御が必要だ」と受け入れたのです。この、自分を過大評価しない態度こそが、彼を45年間「ゲームに残らせた」のだと思います。

10-3. 「同じ額ずつ」ではない ―― 確信度に応じた傾斜配分

ただし、シュロスの分散は「100銘柄に機械的に等金額」ではありませんでした。彼ははっきり述べています ―― 「もちろん、各銘柄を同じ額だけ持つわけではない。気に入った株には、より多くの資金を入れる。確信の薄いポジションには、少なく入れる」。

つまり、分散の枠組みのなかに、確信度に応じた「傾斜」がある。完全な集中でも、完全な等分散でもない、その中間。これはバフェット流とグレアム流の、現実的な折衷点とも言えます。

そしてもう一つ、シュロスが分散について語った、地味だが本質的な一言。「大事なのは、その株に少しでも資金を入れておくことだ。資金を入れていないと、その株のことを忘れてしまう傾向がある」。少額でもポジションを持つことで、その銘柄を「自分ごと」として追い続けられる。そして「下げる過程で買い、上げる過程で売る」というルール6の実務を、忘れずに実行できる。分散は、単なるリスク管理ではなく、「多数の機会を、忘れずに追い続けるための仕組み」でもあったのです。


11. 売却の技術 ―― シュロスが「最も難しい」と言ったこと

買うことについては、シュロスは自信を持っていました。「何かが安いと見分けるほうが、いつ売るかを見分けるよりずっと簡単だ」と、彼は明言しています。逆に言えば、シュロスは「売り」を、投資のなかで最も難しい部分だと考えていました。「売りはきつい。最悪だ。すべてのなかで最も難しいことだ」 ―― これがシュロスの本音でした。

11-1. シュロスの売却ルール

断片的なインタビュー記録を総合すると、シュロスの売却の考え方は、おおむね次のように整理できます。

  1. 過去のレンジを基準にする。 利益が回復したとき、過去にその株が売られていた水準あたりで売る。
  2. 買収の可能性があるなら、売値を強気にする。 「もし買収(ディール)の可能性があると考えるなら、私たちは売値についてより強気になる」。
  3. 業界全体が急騰したら売る。 セクターまるごと大きく上げたときは、売り時のサイン。
  4. もっと安いものが見つかったら乗り換える。 バリュー投資では、Aがすでにかなり上がっていてBがずっと安いなら、Aを売ってBに乗り換える。
  5. 税制を意識して、おおむね1年保有してから売る。 米国の長期キャピタルゲイン課税の優遇を得るため。
  6. スケールで売る。 ルール6の通り、上げる過程で少しずつ売っていく。

11-2. 「早すぎる売り」を、あえて受け入れる

シュロスの売却哲学で、最も特徴的なのは「早く売りすぎることを、あえて受け入れていた」点です。

彼は率直に認めています ―― 「私たちはしばしば、少し早く売りすぎていることに気づく」。「スケールで売るから、私たちが売った株のほとんどは、売値より上に行く。最高値も最安値も、決してつかめない」。

普通の投資家は、これを「失敗」と感じます。せっかく持っていた株が、売ったあとさらに上がる ―― 悔しい。だがシュロスは、これを失敗とは考えませんでした。なぜか。彼の論理はこうです。

何かを売るときには、それを誰かにとって魅力的なものにしておかなければならない。だから、株が本当に過大評価される水準まで待ってしまうと、誰も買いたがらないリスクを冒すことになり、株はまた下がりうる。

つまり、「天井で売る」ことを狙うと、買い手がいなくなる領域まで踏み込んでしまう。それより、「まだ少し割安感が残っている」うちに、買い手がいる領域で、確実に売り抜けるほうがいい。残った値上がり益(テーブルの上に残した肉)は、安全と引き換えに、喜んで諦める。

第3節で引用した、バロンズ誌の記事でのシュロスの言葉 ―― 「この商売のコツの一つは、損失を小さく抑えることだ。そうすれば、いくつか良い当たりが出たときに、複利がうまく働いてくれる」。シュロスは、徹底して「損を出さないこと」を優先した結果、「儲けを取り切らないこと」を平気で受け入れられる人でした。これは、強欲(ルール13の戒める感情の一つ)に対する、構造的な防御策でもあったのです。

11-3. 売りについてのシュロスの「正直さ」

シュロスの売却論で、私が最も価値があると思うのは、その「正直さ」です。彼は売りについて、こうも言っています ―― 「売り時の見当はつけているが、その後、起こる変化に影響されてしまうことがある」「もし買収狙いの株を持っていて、大きな利益が出たとき、そこで売るべきか、ディールが成立するまで持つべきか ―― これは難しい。私たちは間違いを犯してきた。どちらに進むべきか、本当にわかりにくい」。

世界に名を残した投資家が、「売りは間違い続けてきた」「どうすればいいか本当にわからない」と認める。この正直さは、それ自体が一つの教えです。投資には、「正解の手順」が存在しない領域がある。シュロスは、それを認めたうえで、「完璧にはできないが、致命傷だけは負わない」やり方 ―― スケール売り、早めの売り、損失の限定 ―― を選びました。完璧主義ではなく、「壊滅回避主義」。これがシュロスの売却の本質です。


12. 心理と気質 ―― 感情を排し、ストレスから距離を置く

シュロスの手法を「価値・規律・気質」の3本柱で見たとき、最も語られにくいのが「気質」の柱です。だが、おそらくこれこそが、シュロスを「45年」という異例の長さで走らせた、本当のエンジンです。

12-1. 「自我」を投資から切り離す

ある論者は、シュロスについてこう書いています(趣旨を訳します) ―― シュロスは、自分の投資に対して、過度に感情的になることが決してなかったように見える。彼は自分のポートフォリオに対して、健全な「距離(detachment)」を保っていた。つまり、彼の自我(エゴ)や自己肯定感は、投資のパフォーマンスと結びついていなかった。だからこそ、彼は他の多くの投資家よりずっと長く、ゲームのなかにとどまることができた。多くの投資家は、10年か、せいぜい20年でバーンアウト(燃え尽き)してしまうのに。

これは鋭い観察です。多くの投資家にとって、運用成績は「自分の知性の通信簿」になってしまいます。株が上がれば「自分は賢い」、下がれば「自分はダメだ」。すると、下落局面での精神的ダメージが大きすぎて、長く続けられない。あるいは、自分の正しさを証明するために、間違ったポジションに固執する。

シュロスは、ここを切り離していました。投資はあくまで「規律にもとづいた作業」であって、「自分が賢いことの証明」ではない。だから、ある銘柄が下がっても、それは「自分の人格の否定」ではなく、単に「もう少し安く買い増せる機会」にすぎない。この距離感が、感情(ルール13の言う恐怖と強欲)が判断に侵入するのを防いでいました。

12-2. ストレスを設計段階で排除する

シュロスは、ストレスを嫌いました。そして重要なのは、彼が「ストレスに耐えた」のではなく、「ストレスが生まれにくいように、手法そのものを設計した」ことです。

考えてみてください。シュロスの手法には、ストレスの源になりそうなものが、ことごとく排除されています。

  • 経営者と話さない → 楽観的な話に振り回されるストレスがない。
  • 利益予想をしない → 予想が外れる恐怖がない。
  • 内部情報を追わない → 情報競争のプレッシャーがない。
  • 多数に分散する → 1銘柄の失敗で眠れなくなることがない。
  • レバレッジを使わない → 強制ロスカットの恐怖がない。
  • 顧客が92人と少ない → 巨大な資金を動かすプレッシャーがない。
  • 哲学が一貫している → 相場のたびに方針を悩むストレスがない。

シュロスのオフィスは小さく、人員はほぼ息子一人。彼は80歳になっても小さなアパートに住み、90歳でテニスをしていました。この「生活と投資が無理なく統合された、持続可能なスタイル」 ―― これはたまたまではありません。ストレスを生まない手法を選んだ結果として、ストレスのない人生があった。そして、ストレスのない人生だからこそ、45年間ゲームに残れた。そして、45年間残れたからこそ、複利が効いた。

ここに、本稿の冒頭で述べた一文が回収されます ―― シュロスの強さは「賢さ」ではなく「自分が賢くないことを知っていたこと」から来ている。自分が賢くないと知っていたから、賢さを必要としない手法を選んだ。賢さを必要としない手法だから、ストレスがなかった。ストレスがなかったから、長く続いた。長く続いたから、勝った。

12-3. 「謙虚さ」を学ばせてくれる商売

シュロスは、投資という仕事について、印象的な言葉を残しています ―― 「この商売で学ぶことの一つは、謙虚さだ。なぜなら、自分の間違いを翌日には目にするからだ。多くの人は間違いを犯すが、それを翌日の新聞で見ることはない」。

医者の誤診、教師の教え損ない、経営者の判断ミス ―― 多くの職業では、自分の間違いはなかなか「数字」になって突きつけられません。だが投資家は、毎朝、自分の判断の結果を株価という数字で突きつけられる。シュロスは、この「強制的な謙虚さ」を、むしろ財産だと考えていました。毎日間違いを見せられるからこそ、傲慢になれない。傲慢にならないからこそ、安全余裕を分厚く取り続けられる。

そしてシュロスは、タイミングの難しさについても、誰よりも謙虚でした ―― 「投資の問題は、タイミングだと思う。あなたは正しいかもしれない。だが長期的には、私たちはみな死ぬ。たとえあなたが正しくても、それが実を結ぶのに20年かかるなら、それは破滅でありうる」。1929年に「産業の長期的成長」を信じて株を買った人々は、見立てとしては正しかった。しかし多くの場合、まともな利益を得るまでに25年待たねばならなかった ―― シュロスはそう指摘しています。だからこそ彼は、「いつか価値が上がる」だけでなく「いま、十分な安全余裕がある(だから待っているあいだも守られている)」ことに、こだわり続けたのです。


13. 報酬体系と顧客との関係 ―― 「儲けたときだけ報酬を受け取る」

シュロスの哲学は、銘柄選びだけでなく、「自分の商売の構造」にまで一貫して貫かれていました。その象徴が、彼の報酬体系です。

13-1. 「利益が出たときだけ、25%」

シュロスのパートナーシップの報酬体系は、現代のファンドマネジャーが見たら落ち着かなくなるようなものでした。

シュロスは、「自分の報酬は、成功と結びついているべきだ」と考えていました。だから彼は、**実現益の25%**を報酬として受け取りました。ただし ―― もし損失が出た場合は、リミテッド・パートナー(出資者)の損失が完全に埋め合わされるまで、シュロスは1セントも受け取らない。つまり彼は、出資者が儲かったときにだけ、報酬を得たのです。

固定の運用報酬(資産残高に対して毎年何%、というもの)を、彼は取りませんでした。現代のヘッジファンドの典型的な「2%(固定)+20%(成功報酬)」と比べてみてください。シュロスには「固定の2%」に当たる部分が、ない。彼の収入は、文字どおり、出資者の損益と運命を共にしていました。

13-2. これが「気質」と一枚岩である理由

この報酬体系は、単に「良心的」という話ではありません。シュロスの投資哲学全体と、構造的に一枚岩なのです。

固定報酬があると、運用者には「とにかく資産規模を大きくしたい」という誘惑が生まれます。残高が増えれば、運用成績と関係なく収入が増えるからです。だが第2節で見た通り、シュロスは意図的に運用資産を「小さく、扱いやすく」保ちました。これは、固定報酬を取らなかったことと、表裏一体です。規模を追う動機が、最初から報酬構造のなかに組み込まれていなかった。

そして、規模を小さく保ったからこそ、シュロスは生涯、小型株や「特殊な状況」の銘柄に投資し続けることができました。巨大ファンドは、小型のネットネット株を買えません。買おうとすれば、その小さな会社の株を買い占めてしまい、株価を自分で吊り上げてしまう。規模が大きくなると、グレアム流のシケモク投資は物理的に不可能になっていきます。バフェットがシケモク投資から離れざるをえなかった理由の一つも、まさにこの「規模」でした。

シュロスは、報酬体系を「出資者と運命を共にする」形にすることで、規模を追う誘惑を断ち、規模を小さく保つことで、自分の得意な土俵(小型・割安・特殊状況)に生涯とどまり続けた。報酬体系 → 規模 → 投資対象 → 哲学が、すべて一本の線でつながっている。シュロスの一貫性は、ここまで徹底していました。

13-3. 「他人の金を預かっている」という感覚

バフェットが『グレアム・ドッド村』のなかで引用した、作家アダム・スミスのシュロス評には、こうあります ―― 「彼は、自分が他人の金を扱っているということを、決して忘れない。そしてこのことが、彼の生来の、損失への強い嫌悪を、さらに強めている」。

シュロスにとって、出資者の金は「抽象的な運用残高の数字」ではなく、「現実の、生身の金」でした。「彼にとって金は現実であり、株も現実だ ―― そしてここから、『安全余裕』という原則への愛着が流れ出している」。

つまり、シュロスの「安全余裕への執着」は、技術的な投資手法であると同時に、「他人の現実の金を、減らしてはいけない」という倫理感覚の表れでもありました。報酬体系も、規模の抑制も、分厚い安全余裕も、分散も ―― すべては「預かった金を守る」という、たった一つの感覚から派生していたのです。


14. 変えたものと、変えなかったもの ―― 半世紀の適応

シュロスはしばしば「45年間、同じことを続けた頑固な人」と描かれます。これは半分正しく、半分間違っています。正確には、シュロスは「哲学は一切変えず、戦術だけは時代に合わせて変え続けた」のです。この区別が、極めて重要です。

14-1. 変えたもの ―― 「割引率」

第7節で触れた通り、シュロスがキャリアの初期に使っていたのは、グレアム直伝の「ネットネット株」でした。正味流動資産価値すら下回る、究極の割安株です。

ところが、市場が長期的に上昇していくにつれて、ネットネット株は市場から消えていきました。シュロス自身が語っています ―― 「私たちは、運転資本(working capital)よりも安く売られている会社を買っていた。だが、いまではそれはできない。そういう会社は買収されてしまう」。誰もが割安株の存在を知るようになり、ネットネット株は見つけた瞬間に誰かに買われてしまう。グレアムの時代に有効だった「正味流動資産割れ」という基準は、機能しなくなっていったのです。

ここでシュロスは、興味深い選択をします。彼は『65 Years on Wall Street』のなかで、趣旨としてこう述べています ―― 「(私たちの戦略が)変わったのは、市場が変わったからだ。もう運転資本割れの株は買えない。だからといって『買えないなら、このゲームはやらない』と言うのではなく、自分が何をしたいのかを決めなければならない」。

そこでシュロスは、基準を段階的に緩めていきました。

  • まず、簿価の3分の1で買えるもの。
  • 次に、簿価そのもので買えるもの。
  • 最後には、簿価をわずかに上回る程度のもの。

「資産割れ」から「資産の割引」へ、そして「資産のわずかなプレミアム」へ。割引率は、時代とともに、確かに変わりました。

14-2. 変えなかったもの ―― 「資産を基準にする」という構造

しかし、ここで見落としてはならないのは、割引率は変わっても、「資産(簿価)を価値評価の基準に据える」という構造そのものは、最後まで一切変えなかったということです。

シュロスは、ネットネット株が消えたとき、「では利益を基準にしよう」とは考えませんでした。「では成長性を基準にしよう」とも、「では経営者の質を基準にしよう」とも考えなかった。彼は、自分が最もよく理解できるもの ―― 資産 ―― を基準にし続けた。「私は資産を、いちばんよく理解できる」と、彼ははっきり述べています。

ある論者は、シュロスのこの姿勢を「投資哲学には忠実でありwhile、戦略は変化する時代に合わせて調整した、完璧な例」と評しています。そしてこう付け加えています ―― シュロスの変化は、バフェットの変化のように劇的ではなかった。シュロスは自分の限界(リミット)を知っていた。彼の戦略がわずかに変わったのは、選択というより、選択肢がなくなったからだ。機会のほうが消えたのだ、と。

14-3. 「一貫性」と「硬直」は違う

ここから引き出せる教訓は、現代の投資家にとって、非常に実践的です。

「投資哲学を一貫させよ」(ルール8)というのは、「同じ銘柄基準を未来永劫使い続けよ」という意味ではありません。市場環境は変わります。ある時代に有効だったスクリーニング基準が、別の時代には1銘柄もヒットしなくなる、ということは当たり前に起こります。

そのとき、二つの間違った反応があります。一つは「基準を曲げて、本来買うべきでないものまで買ってしまう」こと(哲学の放棄)。もう一つは「基準に合うものが一つもないのに、昔の基準に固執して、何もしない、あるいは別の論者が言うように『ゲームから降りる』」こと(硬直)。

シュロスが示したのは、第三の道です ―― 「資産を割安で、十分な安全余裕を持って買う」という哲学の核は絶対に守る。だが、その核を現実の市場で実行するための具体的な数値基準(戦術)は、機会の在りかに合わせて、柔軟に動かす」

核は岩のように固く、外装は水のように柔らかい。この組み合わせが、シュロスを半世紀にわたって機能させ続けました。一貫性とは、硬直することではなく、「変えてよいもの」と「絶対に変えてはいけないもの」を、明確に区別し続けることなのです。


15. シュロス手法の限界と、それでも残るもの

どんな投資哲学にも、限界と弱点があります。シュロスを正しく理解するためには、その手法が「うまくいかない場面」も、誠実に見ておく必要があります。これはシュロス自身が「自分の思考の弱点を探せ」(ルール6)と教えていることでもあります。

15-1. 限界①:ネットネット株は、もうほとんど存在しない

第14節で見た通り、グレアム=シュロス流の純粋な「ネットネット株」は、先進国の通常の市場では、ほぼ絶滅状態です。情報は瞬時に行き渡り、スクリーニングは誰でもでき、割安な会社は買収やアクティビストの標的になる。シュロス自身が現役のうちに、すでにこの「機会の消滅」に直面していました。

現代の個人投資家が「シュロスのネットネット手法をそのまま使おう」としても、対象がほとんど見つからない、という壁にぶつかります。一部の論者は「市場の片隅、あるいは海外の不人気な市場には、まだネットネット的な機会が残っている」と指摘しますが、シュロス自身が「米国外での投資ではたいてい手痛い目に遭った」と認めていた通り、それは新たな難しさ(為替、会計基準、情報の質、ガバナンス)を抱え込むことを意味します。

15-2. 限界②:「資産割安」が機能しにくい時代がある

シュロス手法は「資産(簿価)」を価値の基準に据えます。しかし、現代の経済では、企業価値の源泉が「貸借対照表に載らないもの」へと、大きくシフトしています。

ソフトウェア企業のソースコード、プラットフォーム企業のネットワーク効果、ブランド、データ、人的資本、知的財産 ―― これらは、伝統的な会計上の「簿価」にはほとんど反映されません。簿価がごくわずかしかないのに、巨大な収益力を持つ企業が、現代には数多く存在します。

そういう企業は、シュロスのスクリーニングには「割高」としか映りません。シュロス手法は、その構造上、「資産は薄いが収益力は厚い」タイプの優良企業を、ほぼ取りこぼします。実際、長期で見ると、いわゆる「バリュー(割安株)」が「グロース(成長株)」に対して長期間アンダーパフォームする局面が、繰り返し訪れています。シュロス流が機能しにくい「冬の時代」は、確かに存在するのです。

15-3. 限界③:「価値の罠(バリュートラップ)」

シュロス手法の永遠の敵が、「価値の罠(value trap)」です。

簿価に対して株価が安い ―― だが、それには理由があるかもしれません。その会社の資産が、実は劣化し続けている。事業が構造的に衰退していて、簿価そのものが年々目減りしていく。経営陣が無能で、株主価値を破壊し続けている。こういう会社は、「安く見える」まま、ずるずると価値ごと沈んでいきます。買っても買っても、底が抜けていく。

シュロスは、分散(多数の銘柄に分ける)と、財務健全性のチェック(過大な負債を避ける)と、忍耐(4年待つ)で、この罠にある程度対抗しました。だが、それでも個々の銘柄レベルでは、価値の罠を完全には避けられません。シュロス自身、「私の会社はどれも問題を抱えている。どれが勝者になるかの保証はない」と認めていました。彼の手法は「個別では外れる、ポートフォリオ全体で勝つ」ことを前提としており、逆に言えば「個別銘柄を当てにいく」使い方には向いていないのです。

15-4. それでも残るもの ―― 「移植可能な核」

では、限界が多いから、シュロスはもう古いのでしょうか。私はそうは思いません。

シュロスの手法のうち、「ネットネット株を買う」「簿価の3分の1で買う」といった具体的な戦術は、確かに時代遅れになった部分があります。だが、シュロスの哲学の核は、まったく古びていません。むしろ、時代を超えて移植可能です。その核とは ――

  • 価格と価値を、必ず分けて考える。 良い会社かどうかではなく、価値に対して価格がどうか。
  • 未来の予想ではなく、いま検証できる事実に、できるだけ立脚する。
  • 安全余裕を、ぎりぎりではなく、分厚く取る。
  • 自分の能力の限界を正確に知り、それに合った手法を選ぶ。
  • 感情を排し、規律で動く。手法そのものを、ストレスが生まれにくいように設計する。
  • 哲学の核は岩のように守り、戦術は水のように柔らかく変える。
  • 長く続けられること(持続可能性)を、リターンの最大化より優先する。なぜなら、長く続けることそのものが、複利の前提だから。

これらは、ネットネット株が絶滅しても、グロースの時代が来ても、まったく有効性を失いません。シュロスから学ぶべきは「シケモクの拾い方」ではなく、「シケモクを拾うという行為の背後にあった、思考の構造」なのです。


16. 現代の個人投資家は、シュロスから何を持ち帰れるか

ここまでの議論を、現代の個人投資家が実際に使える形に、落とし込んでみます。シュロスは、機関投資家ではなく、むしろ「個人」に近い存在 ―― 小さなオフィス、少ない人員、特権的情報なし ―― でした。だからこそ、彼の教訓は、個人投資家にこそ「移植しやすい」のです。

16-1. 「自分は何が苦手か」から始める

シュロスの出発点は「自分は企業の質を見抜く天才ではない」という自己認識でした。多くの個人投資家は、ここを飛ばします。「自分は良い会社を見抜ける」と暗黙に前提して、いきなり銘柄探しを始めてしまう。

シュロス流に倣うなら、最初の問いは「何を買うか」ではなく、「自分は何が苦手で、何ならできるか」です。将来の利益を予想するのが苦手なら、予想に依存しない手法を選ぶ。個別企業の深い分析が苦手なら、分散と安全余裕で補う。感情に流されやすいなら、機械的なルールで自分を縛る。自己認識が、手法選びの土台になります。

16-2. 「価格」と「価値」を、口に出して分ける習慣

シュロスのルール1は「価格は価値との関係で最も重要」でした。個人投資家が今日からできる最も簡単な実践は、銘柄を検討するたびに、二つの問いを「別々に」立てることです。

  • 問い1:この事業の価値は、だいたいどのくらいか?(完璧でなくてよい。「見積もろうとする」だけでよい)
  • 問い2:いまの価格は、その見積もった価値に対して、安いか、高いか?

「この会社、good だから買おう」ではなく、「この会社の価値はだいたいXで、価格はYで、YはXよりこれだけ安いから買おう」。この言い換えを習慣にするだけで、高値づかみの多くは防げます。

16-3. 「悪材料で売らない」ための事前準備

ルール5の「悪材料で売るな」は、言うのは簡単ですが、実行は難しい。実行するには、事前準備が要ります。

買う前に、紙に書いておくのです ―― 「自分はこの株を、これこれの理由(資産価値に対して安い、財務が健全、過去安値から見て下値リスクは限定的)で買う」。そして「自分が売るのは、これこれの場合(資産価値そのものが致命的に毀損したと判断できる場合、価格が見積もり価値に十分追いついた場合)だ」。

こう書いておけば、買ったあとに悪いニュースが出たとき、「これは『資産価値の致命的毀損』に当たるか? それとも単なる一時的逆風か?」と、感情ではなく、事前のルールで判断できます。シュロスが「資産」という動かしにくいものを基準にしたのは、まさにこの「感情の侵入を防ぐ」ためでした。

16-4. 分散と「傾斜」のバランス

個人投資家にとって、シュロスの100銘柄をそのまま真似る必要はありません。重要なのは銘柄数そのものではなく、その背後の論理 ―― 「自分はどれが当たるか正確には予想できない。だから、十分な安全余裕を持って買った候補を、複数並べる。確信度に応じて金額に傾斜はつけるが、1銘柄に運命を賭けない」。

完全な集中(1〜数銘柄)でもなく、何も考えない等分散でもない。「安全余裕のある候補を複数、確信度で傾斜配分」 ―― これがシュロス流の現実的な落としどころです。そして「少額でもポジションを持つことで、その銘柄を追い続けられる」という彼の指摘も、忘れずに。

16-5. 「早く売りすぎる」ことを許す

ルール9と第11節で見た通り、シュロスは「早く売りすぎる」ことを、あえて受け入れていました。個人投資家が陥りがちなのは、その逆 ―― 「もっと上がるはず」と欲張って、天井を狙い、結局、買い手がいなくなる領域まで持ち続け、急落をくらう。

シュロス流に倣うなら、「テーブルの上に肉を残してよい」と、自分に許可を出すことです。スケールで、上げる過程で少しずつ売る。最高値は取れない。それでいい。「損失を小さく抑えれば、複利がうまく働いてくれる」 ―― この順序を、守る。

16-6. 「持続可能性」を最優先する

そして、おそらく最も重要な持ち帰り。シュロスが45年走れたのは、「ストレスの生まれない手法」を選んだからでした。

個人投資家も、自分に問うべきです ―― 「自分がいま採用しようとしているこの手法を、20年、30年、感情をすり減らさずに、続けられるか?」。続けられないなら、リターンの期待値がどれだけ高くても、それは「自分にとっては」良い手法ではありません。なぜなら、途中でやめてしまえば、複利は効かないからです。

シュロスの45年・年率15%は、「年率15%の手法」を見つけたから達成されたのではありません。「45年続けられる手法」を見つけ、それがたまたま年率15%だったから達成されたのです。順序が逆なのです。続けられること。それが、すべての前提です。


17. シュロス語録 ―― 本人の言葉から

最後に、シュロス本人やバフェットの言葉のうち、本稿で触れた重要なものを、要点として振り返っておきます(いずれも趣旨を日本語で要約したもので、逐語訳ではありません。原文の出典は参考資料を参照してください)。

投資の基本姿勢について

  • 株式の1単位は、事業の一部であって、ただの紙切れではない。(16のルール 第2項)
  • 利益は短期間で劇的に変わりうるが、資産は通常ゆっくりとしか変わらない。だから、利益を買うより資産を割安で買おうとせよ。(16のルール 第11項)
  • 私は利益が嫌いなのではない。ただ、利益は変わりやすく、たとえ利益予想が当たっても、人々がそれに与える倍率のほうが変わってしまう。だから簿価を見るほうが心地よい。

下値の守りについて

  • 基本的に、私たちは下値の保護を好む。簿価をパラメータにすることで、下値で身を守り、ひどい痛手を負わずにすむ。
  • この商売のコツの一つは、損失を小さく抑えること。そうすれば、いくつか良い当たりが出たとき、複利がうまく働いてくれる。

規律と気質について

  • 孤独を恐れるな。ただし、自分の判断が正しいことを確認せよ。100%確実ではありえないのだから、自分の思考の弱点を探そうとせよ。(16のルール 第6項)
  • 恐怖と強欲は、株の売買に関して持つべき、おそらく最悪の感情だ。(16のルール 第13項)
  • この商売で学ぶことの一つは、謙虚さだ。なぜなら、自分の間違いを翌日には目にするからだ。
  • 投資哲学を持ち、それに従おうとせよ。(16のルール 第8項)

売却について

  • 何かが安いと見分けるほうが、いつ売るかを見分けるよりずっと簡単だ。
  • 売りはきつい。最悪だ。すべてのなかで最も難しいことだ。
  • スケールで売るから、私が売った株のほとんどは、売値より上に行く。最高値も最安値も、決してつかめない。

自分の限界について

  • 自分が何を知っていて、何を知らないかを知ることも大事だ。
  • 私たちには、これらの二流の会社の利益を予想できない。どれがうまくいくかわからない。だから100社買う。

バフェットによるシュロス評

  • 彼は、ある事業が1ドルの価値があって、それを40セントで買えるなら、何かいいことが起こるかもしれない、と考える。そしてそれを、何度も、何度も繰り返す。
  • 私はウォルターに、あまり影響を与えられない。それが彼の強みの一つだ。誰も彼には、たいして影響を与えられない。
  • 彼は、自分が他人の金を扱っていることを、決して忘れない。

18. まとめ

ウォルター・シュロスは、投資の世界における「静かな証明」です。

彼が証明したのは、市場に勝つために、天才である必要も、大学に行く必要も、内部情報を持つ必要も、巨大な組織を率いる必要も、複雑な理論を操る必要もない、ということです。必要だったのは、たった一つの一貫した哲学と、それを半世紀守り抜く規律と気質だけでした。

本稿で見てきたシュロスの哲学を、最後にもう一度、骨格だけ取り出しておきます。

  1. 資産を買い、利益を買わない。 利益は変わりやすく、資産は変わりにくい。検証できる事実に立脚せよ。
  2. 安全余裕を、分厚く取る。 1ドルのものを、90セントではなく40セントで買え。自分の見積もりは間違いうるのだから。
  3. 価格と価値を、必ず分けて考える。 「良い会社か」ではなく「価値に対して価格がどうか」。
  4. 自分の限界を、正確に知る。 バフェットの道とシュロスの道、どちらが上ということはない。「自分にできること」に合った手法を選んだ者が勝つ。
  5. 分散と忍耐で、個別の誤りを吸収する。 個別では外れる。ポートフォリオ全体で、時間をかけて勝つ。
  6. 感情を排し、規律で動く。 そして、手法そのものを、ストレスが生まれにくいように設計する。
  7. 哲学の核は岩のように守り、戦術は水のように変える。 一貫性とは硬直ではない。「変えてよいもの」と「絶対に変えてはいけないもの」を区別し続けることだ。
  8. 何より、続けられること。 45年・年率15%は、「年率15%の手法」ではなく「45年続く手法」を選んだ結果だった。複利は、続けた者にしか報いない。

冒頭に置いた一文を、もう一度。

シュロスの強さは、「賢さ」ではなく「自分が賢くないことを知っていたこと」から来ている。

自分が賢くないと知っていたから、賢さを必要としない手法を選んだ。賢さを必要としない手法だから、ストレスがなかった。ストレスがなかったから、長く続いた。長く続いたから、複利が効いた。複利が効いたから、勝った。

これは、特別な才能を持たない私たちにとって、むしろ希望の物語です。シュロスは「真似できない天才」ではなく、「真似しようと努力する価値のある実務家」です。彼が1枚の紙に書き残した16のルールは、いまも、それを規律正しく、感情を交えずに、長く実行しようとする者の前で、静かに開かれています。


19. 参考資料

本稿は、以下の一次資料および準一次資料・解説資料にもとづいて作成しました。一次資料(シュロス本人の文書・発言、バフェットのエッセイ等)を軸に、伝記的事実や数値はそれを引用・解説する複数の資料を相互に突き合わせて確認しています。数値(運用年数・年率リターン等)は、起点・終点の取り方や手数料控除前後の違いにより資料間で差異があるため、本稿では「半世紀近くにわたり市場平均を年率5%前後うわまわった」という趣旨で記述しています。

一次資料(シュロス本人・バフェット)

  • Walter Schloss, “Factors Needed to Make Money in the Stock Market”(株式市場で利益を上げるために必要な要素/いわゆる「16のルール」), Walter & Edwin Schloss Associates, L.P., 1994. ―― 全文は GrahamValue.com に再掲:https://www.grahamvalue.com/blog/sixteen-factors-make-money-stocks-walter-schloss
  • Warren E. Buffett, “The Superinvestors of Graham-and-Doddsville”(グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち), Hermes(コロンビア・ビジネス・スクール誌), 1984. ―― コロンビア・ビジネス・スクール掲載:https://business.columbia.edu/insights/chazen-global-insights/superinvestors-graham-and-doddsville
  • Walter J. Schloss, “Benjamin Graham and Security Analysis: A Reminiscence”, 1976.(ベンジャミン・グレアム追悼に関するシュロスの回想)
  • Walter Schloss, “65 Years on Wall Street”(ウォール街での65年)ほか、シュロスの講演・インタビュー記録。

シュロスのインタビュー・発言を集成した資料

  • Novel Investor, “Wise Words from Walter Schloss”(ディープバリュー投資・ポートフォリオ構築・売却・失敗についてのシュロスの発言集):https://novelinvestor.com/wise-words-from-walter-schloss/
  • Novel Investor, “Walter Schloss: Making Money in the Stock Market”(16のルールの紹介と背景):https://novelinvestor.com/walter-schloss-investing-stocks/
  • Outstanding Investor Digest(OID)によるシュロスへのインタビュー記録。
  • Barron’s, “The Right Stuff”, 1985年2月25日(シュロス親子へのインタビュー記事)。

伝記的事実・経歴

  • Wikipedia, “Walter Schloss”(生没年、経歴、運用成績の概要):https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Schloss
  • The Walter Schloss Archive(シュロスに関する資料アーカイブ、経歴と運用成績の概要):https://www.walterschloss.com/
  • Gabelli Center for Global Security Analysis(Fordham大学), “Walter J. Schloss”(経歴資料・写真):http://www.fordhamgabellicenter.org/wp-content/uploads/2021/12/Walter-Schloss.pdf
  • Columbia University Libraries Archival Collections, “Schloss Family Business Papers, 1957–2003″:https://findingaids.library.columbia.edu/archives/cul-12851449

手法・哲学の解説資料

  • GuruFocus, “The Investing Philosophy of Walter Schloss”(資産重視・受動的スタイル・運用成績の解説):https://www.gurufocus.com/news/128615/the-investing-philosophy-of-walter-schloss
  • GuruFocus, “Walter Schloss: 16 Golden Rules for Investing”:https://www.gurufocus.com/news/72536/walter-schloss-16-golden-rules-for-investing
  • Macro Ops, “Walter Schloss’ Investment Strategy Explained”(逆張り哲学・損失限定の解説):https://macro-ops.com/investing-in-shipping-stocks-lessons-from-walter-schloss/
  • Monevator, “Walter Schloss: His rules that beat the market”(経歴・16のルール・運用成績):https://monevator.com/walter-schloss/
  • Stockopedia / Rupert Hargreaves, “The Superinvestors Of Graham-and-Doddsville: Walter Schloss”:https://www.stockopedia.com/content/the-superinvestors-of-graham-and-doddsville-walter-schloss-90668/
  • Base Hit Investing, “Walter Schloss – Factors Needed to Make Money in the Stock Market”(16のルールとシュロスの長寿・気質についての考察):https://basehitinvesting.substack.com/p/walter-schloss-factors-needed-to-make-money-in-the-stock-market
  • Net Net Hunter, “Your Essential Guide to Walter Schloss Investing”(ネットネット投資と戦略の変遷):https://www.netnethunter.com/your-essential-guide-to-walter-schloss-investing/
  • Worldly Investor, “Walter Schloss’s 16 Investment Principles”:https://www.worldlyinvest.com/p/walter-schlosss-16-investment-principles
  • Mohammad Siddiquee, “Walter J. Schloss: The Superinvestor of Graham-and-Doddsville”, SSRN, 2022(学術的考察):https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4205950
  • Graham And Doddsville(grahamanddoddsville.net), Walter Schloss 関連ページ:https://www.grahamanddoddsville.net/?cat=78

背景知識として参照した古典

  • Benjamin Graham,『賢明なる投資家(The Intelligent Investor)』(とくに「安全余裕」の章)。
  • Benjamin Graham and David Dodd, 『証券分析(Security Analysis)』(1934年初版)。
  • Alice Schroeder, 『スノーボール(The Snowball)』(バフェット伝、シュロスの晩年の描写を含む)。

本稿についての注記

本稿は、公開された一次資料・解説資料にもとづくウォルター・シュロスの投資哲学の解説であり、特定の銘柄・手法の推奨や投資助言を目的とするものではありません。投資に関する最終的な判断は、ご自身の責任において、必要に応じて専門家に相談のうえ行ってください。また、シュロスの運用成績に関する数値は資料により差異があり、本稿はその趣旨を要約して記述しています。引用はすべて原文の趣旨を日本語に要約したものであり、逐語訳ではありません。正確な原文は、上記の参考資料をご参照ください。

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