富士フイルムの業態転換モデル ~ 「写真フィルム会社」が「ヘルスケア企業」に変貌した奇跡~

この記事は約20分で読めます。

はじめに ~ コダックは倒れ、富士フイルムは生き残った

「富士フイルム」と聞いて、何の会社をイメージしますか?

40代以上の方なら「写真フィルムの会社」と答えるでしょう。「使い捨てカメラ『写ルンです』」「カラーフィルム」「写真現像」――昭和・平成の写真文化を支えた、日本を代表するフィルムメーカー。

ところが20代以下の若い世代は、こう答えるかもしれません。「医療機器の会社」「化粧品の会社」「半導体材料の会社」「インスタントカメラinstaxの会社」――。

世代によって、富士フイルムへのイメージはこれほどまでに違うのです。

2000年代初頭、富士フイルムは売上の過半を写真関連事業で稼ぐ、世界的なフィルム会社でした。同じ時代、米国コダックも世界最大級の写真フィルム会社でした。

そして2000年代以降、デジタルカメラの普及、スマホカメラの登場で、写真フィルム市場は10年で10分の1にまで急縮小しました。

世界最大手だったコダックは、この大波に乗り切れず、2012年に経営破綻。一方、富士フイルムは見事に事業転換を成功させ、2024年度の売上高は3兆1,958億円、3期連続で売上高過去最高を更新、営業利益は4期連続で過去最高を更新中という、グローバルな成長企業へと進化しました。

「同じ事業環境で、なぜ富士フイルムは生き残り、コダックは消えたのか」――これは、現代経営史における最も有名な対比の一つです。

本記事では、富士フイルムの「業態転換×コアコンピタンス活用×多角化」モデルを多角的に分析し、その圧倒的な強さと弱点の両面に迫ります。

富士フイルムの歴史 ~ 1934年創業の写真フィルム会社

富士フイルムの起源は、1934年、大日本セルロイド株式会社の写真フィルム部門が分離独立して設立された「富士寫眞フイルム株式会社」です。創業者は浅野総一郎氏(実業家、富士急行創業家)と、大日本セルロイド創業者の春日商店系。

戦前は、写真フィルム、映画用フィルム、X線フィルムなどを国産化することを目的に設立されました。1936年にはX線フィルムの国産化に成功。これが、後にヘルスケア事業の遠い起源となります。

戦後の高度経済成長期、富士フイルムはカラーフィルム、写真感光材料、デジタルカメラ前身技術、X線、印刷材料など、写真技術を中核とした事業を着実に拡大。

1962年、英国のRank Xerox(米Xerox子会社)と合弁で「富士ゼロックス」を設立。複写機・複合機事業へ参入。これが、後に「ドキュメント(現ビジネスイノベーション)」事業の原点となります。

1980年代から1990年代にかけて、富士フイルムはコダックと並ぶ世界2大写真フィルム会社として成長。アメリカ大リーグの広告、ロサンゼルス五輪の公式スポンサー(コダックが断念したため、滑り込みで獲得)など、世界的なブランド構築に成功。1989年、コダックを抜いて世界市場シェアでトップに立ちました。

ところが2000年代、デジタルカメラの普及で、写真フィルム市場は崩壊の危機に直面。富士フイルムは、当時の社長兼CEO・古森重隆氏のリーダーシップのもと、大胆な事業構造改革「VISION 75」を断行。これが、富士フイルムの「第二の創業」と呼ばれる業態転換の起点となります。

2006年、写真フィルム事業の関連設備の大半を廃棄。これは「過去との決別」を象徴する、極めて痛みを伴う決断でした。

その後、ヘルスケア、ドキュメント、高機能材料、エレクトロニクス、化粧品(アスタリフト)、医薬品(富山化学工業買収)、医療機器(日立メディコ買収)、バイオCDMO(FUJIFILM Diosynth Biotechnologiesブランド)、半導体材料(フォトレジスト・CMPスラリー)など、多彩な分野へと展開を続けてきました。

そして2024年。富士フイルムは、「ヘルスケアセグメントが営業利益の約45%を占める」グローバル企業へと変貌を遂げました。

富士フイルムのビジネスモデル ~ 「コアコンピタンスの応用」

富士フイルムの業態転換モデルの本質は、「写真フィルムで培ったコアコンピタンス(中核技術)を、他分野に応用する」という戦略です。

写真フィルムは、極めて高度な精密化学技術の結晶です。一般人には単純な「フィルム」に見えますが、その中身は、ナノレベルで設計された化学物質の何層もの薄膜から成る、超精密な化学製品です。

具体的には、以下のような技術が写真フィルムに使われていました。

第一に、ナノ粒子制御技術。ハロゲン化銀粒子をナノレベルで制御し、光の感度を最適化。

第二に、コラーゲン技術。フィルムのベース層に使われる素材として、コラーゲンを大量に利用。

第三に、酸化還元制御技術。色素の発色・消色を化学反応で制御。

第四に、薄膜塗布技術。何層もの極薄薄膜を、ナノレベルで均一に塗布。

第五に、抗酸化技術。色素の経年劣化を防ぐため、抗酸化物質を配合。

第六に、化学合成技術。複雑な有機化合物(色素、現像剤、感光材等)の大量合成。

これらの技術は、写真フィルム市場が縮小したからといって、無価値になるわけではありません。むしろ「他の産業で新しい用途を開拓できる宝の山」です。

富士フイルムは、これらコアコンピタンスを徹底的に分析し、「どの産業に応用できるか」を考え抜きました。

その結果生まれたのが、現在の4つの主要セグメントです。

第一に、「ヘルスケア」(メディカルシステム、バイオCDMO、ライフサイエンスソリューション)。 第二に、「エレクトロニクス」(半導体材料、ディスプレイ材料、データテープ等)。 第三に、「ビジネスイノベーション」(複合機、デジタルサービス、印刷材料)。 第四に、「イメージング」(インスタントカメラinstax、ミラーレスカメラ等)。

写真技術を医療に応用する「奇跡」

富士フイルムの業態転換で最も象徴的なのが、写真技術を医療分野に応用した戦略です。

第一に、化粧品(アスタリフト)。写真フィルムの抗酸化技術が、化粧品のアンチエイジング技術に応用できることに着目。コラーゲン、アスタキサンチン、ナノ化技術を組み合わせた「アスタリフト」シリーズを2007年に発売。瞬く間に化粧品市場でブランドを確立し、現在も高い人気を維持しています。

第二に、医薬品。フィルムの色素技術と医薬品分子の構造の類似性に着目し、医薬品事業に参入。2008年に富山化学工業を買収(後にFUJIFILM富山化学)。新型インフルエンザ治療薬「アビガン」(ファビピラビル)の開発などで知られます。

第三に、医療機器。1936年から続くX線フィルム事業の延長で、デジタルX線、CT、MRI、内視鏡、超音波などの医療機器分野へ展開。2019年に日立製作所から日立メディコの画像診断事業を買収し、メディカルシステム事業を本格強化。日本・米国・欧州・中国の主要市場で内視鏡販売が好調。

第四に、再生医療。フィルムのコラーゲン技術が、再生医療における細胞培養の培地(細胞の足場)に応用できることに着目。動物由来コラーゲンに比べ品質安定性が高く、再生医療の品質向上に貢献。

第五に、バイオCDMO(Contract Development and Manufacturing Organization、医薬品開発・製造受託機関)。バイオ医薬品の製造を製薬会社から受託する事業。FUJIFILM Diosynth Biotechnologicsとして、米国ノースカロライナ、英国ダーリントン、デンマークに製造拠点を展開。新型コロナmRNAワクチンの製造受託も担当。2024~26年度の3年間で1.6兆円をバイオCDMOを含む成長事業に集中投入。

第六に、新興国向け健診サービス「NURA」。インド、モンゴル、ベトナムで計8拠点を展開、77,000人以上が利用(2024年12月時点)。AIによる医師診断支援を活用。2025年にはインドのケララ州に新拠点「NURA Global Innovation Center」を開設。

半導体材料という巨大事業

富士フイルムのもう一つの隠れた巨大事業が、半導体材料です。

写真フィルムで使われていた精密化学技術が、半導体製造のフォトレジスト(半導体の回路パターンを描く感光材料)に応用できることに着目。富士フイルムは、半導体材料を世界トップシェアレベルで供給する企業へと進化しています。

主な半導体材料:

  • フォトレジスト(KrF、ArF、EUV):半導体の微細回路パターン形成に必須
  • CMPスラリー(Chemical Mechanical Planarization):半導体ウェハーの平坦化用研磨剤
  • 洗浄液:半導体ウェハーの洗浄に使用
  • AF材料(旧ディスプレイ材料):OLED向け反射防止材料、半導体・ディスプレイ向け材料

近年は、AI(人工知能)の急成長による先端半導体材料需要を取り込んでいます。生成AI向け半導体(NVIDIA H100/H200、TSMC、Samsungなど)の生産拡大が、富士フイルムの半導体材料事業に追い風となっています。

2024年度、エレクトロニクスセグメントの売上は大幅増収。営業利益も大幅増益となっています。

タタ・エレクトロニクス社(インド)と、インドでの半導体材料エコシステム構築に向けた協力を合意。インド市場への本格参入も進めています。

ビジネスイノベーションという継続収益基盤

富士ゼロックス(現富士フイルムビジネスイノベーション)は、富士フイルムの安定収益基盤を支える事業です。

複合機、プリンター、デジタルサービス、印刷関連事業、グラフィックコミュニケーション(商業印刷)などを展開。

2021年、富士フイルムは富士ゼロックスの全株式(25%分)を米Xeroxから取得し、完全子会社化。同時に「富士フイルムビジネスイノベーション」へと社名変更しました。

これにより、富士フイルムはオフィス向けプロダクト・ソリューションを自由にグローバル展開できる体制となりました。

ビジネスイノベーション事業は、複合機などのハードウェア販売だけでなく、トナー・部品の継続販売、保守契約、ドキュメントマネジメントSaaSなど、リカーリング(継続)収益モデルを構築しています。

イメージング事業の復活 ~ instaxとXシリーズ

「写真フィルム会社」というルーツを残しているのが、イメージング事業です。

主力商品は2つ。

第一に、インスタントカメラ「instax(チェキ)」。1998年に発売された、その場で写真がプリントされるインスタントカメラ。スマホ時代に「写真は撮るだけで終わり」という体験への反動として、若年層を中心に世界的にヒット。2024年も好調な販売を継続しており、富士フイルムにとって意外な成長エンジンになっています。

第二に、ミラーレス一眼カメラ「Xシリーズ」「GFXシリーズ」。高画質、フィルム時代から続くカラー再現技術、レトロなデザインで、写真愛好家・プロフェッショナルから高い評価を獲得。SONY、Canon、Nikonと並ぶ、ミラーレスカメラの主要プレイヤー。

2024年度、イメージングセグメントは増収増益。フィルムカメラ時代のブランドと技術を活かし、デジタル時代に独自のポジションを築いています。

「VISION 75」 ~ 古森重隆氏の業態転換リーダーシップ

富士フイルムの業態転換を主導したのが、2003年に社長兼CEOに就任した古森重隆氏でした。

古森氏は、就任直後に「VISION 75」と呼ばれる中期経営計画を策定。これは、富士フイルム創業75周年(2009年)を見据えた、大胆な事業構造改革計画でした。

「VISION 75」の柱は、以下の通りです。

第一に、写真フィルム事業の縮小・合理化。2006年、写真フィルム事業の関連設備の大半を廃棄。フィルム工場の集約、人員配置転換、固定費削減を断行。

第二に、新規事業への大規模投資。過去約10年で総額約7,000億円を投じ、約30社を買収。ヘルスケア、医療機器、医薬品、化粧品、高機能材料などへ展開。

第三に、研究開発の集中。フィルム技術の応用研究を加速。「アスタリフト」「アビガン」など、写真技術の新用途を続々と発掘。

第四に、コア技術の見直し。「写真フィルム会社」というアイデンティティを捨て、「精密化学・材料技術の会社」と再定義。

古森氏の有名な言葉:「トヨタ自動車は主力商品である車がなくなったらどうするのか」。これは、2003年に社内で訴えた問いです。富士フイルムは、写真フィルムという主力商品が消滅する未来を直視し、生き残りの戦略を構築しました。

一方、世界最大手だったコダックは、デジタル化への対応が遅れ、デジタルカメラ事業も世界最初に発明(1975年)したにも関わらず、内部抵抗で本格商業化に失敗。フィルム事業からの脱却が遅れ、2012年に米国連邦破産法第11条適用(チャプター11)を申請。

「同じ環境で、なぜ富士フイルムは生き残り、コダックは消えたのか」――答えは、リーダーシップ、スピード、大胆さの違いにありました。

業績の推移 ~ 過去最高益更新中

富士フイルムの近年の業績を整理しておきましょう。

2024年度通期:売上高3兆1,958億円、3期連続で過去最高更新。営業利益は4期連続で過去最高更新。

セグメント別売上構成:

  • ヘルスケア:1兆226億円(32.0%)
    • メディカルシステム:6,932億円(68%)
    • バイオCDMO:2,195億円(21%)
    • LSソリューション:1,098億円(11%)
  • エレクトロニクス、ビジネスイノベーション、イメージングが残り

ヘルスケアセグメントが営業利益の約45%を占める構造。利益率は約14%と、製造業の平均(8~10%)を大きく上回ります。

2025年9月期決算で、富士フイルムは「2024~26年度の3年間で1.6兆円*をバイオCDMO、半導体材料を含む成長事業に集中投入」と発表。「写真フィルムで培った精密化学技術を、バイオ医薬品製造と半導体材料という2つの高成長産業に転用する」という戦略です。

設備投資総額は約2,200億円(売上比約6.7%)で、製造業の中では高水準の投資を維持しています。

弱点1:バイオCDMO事業の収益化と立ち上げコスト

富士フイルムの成長戦略の柱であるバイオCDMO事業には、いくつかの構造的な弱点があります。

第一に、巨額の設備投資。バイオ医薬品製造には、大規模な培養装置、無菌設備、品質管理システムなどが必要。富士フイルムは2024~26年度の3年間で1.6兆円を投資する計画で、これは売上の数年分に匹敵する規模。

第二に、立ち上げ期の収益性低下。デンマーク拠点で5年に1回実施する2万L大型培養層の大規模メンテナンスが2026年3月期上期に予定されており、これが一時的な収益圧迫要因に。米国テキサス拠点での商用製造拡大に伴う品質保証システム強化、システムアップグレード対応に伴う稼働調整も実施。

第三に、契約済み案件への依存。バイオCDMOの2026年度売上目標(大型設備:2,000億円)は契約済み案件で達成見込みですが、2030年度目標(5,000億円)の達成確度はまだ向上中という段階。

第四に、競合の存在。Lonza(スイス)、Samsung Biologics(韓国)、Catalent(米国)、Boehringer Ingelheim(独)など、強力なグローバル競合が並びます。

バイオCDMO事業の本格的な利益貢献は、まだ時間が必要です。

弱点2:写真フィルム残存事業の縮小圧力

富士フイルムは「写真フィルム会社」を脱却したとはいえ、まだ写真関連事業の残存があります。

写真フィルム事業の売上は、2000年の2,740億円(全事業の19%)から、2010年には300億円(1%)まで激減。現在は更に縮小しており、有報のセグメント情報からも極めて小さな割合となっています。

しかし、完全撤退ではなく、一部の特殊用途(映画フィルム、専門写真家向け、X線フィルム等)では事業継続。これらは、市場縮小圧力を継続的に受けます。

加えて、写真フィルム事業から派生する関連消耗品(現像液、印画紙等)も、市場縮小と共に減少傾向。「過去の遺産」の縮小は、構造的に避けられません。

弱点3:半導体材料の景気循環リスク

エレクトロニクス(半導体材料)事業は、富士フイルムの主要成長セグメントですが、半導体業界の景気循環に大きく影響されます。

半導体産業は、3~5年周期で「シリコンサイクル」と呼ばれる需給バランス変動を経験します。好景気時は半導体投資が活発化し、フォトレジスト等の材料需要も急増。不況時は逆に減少。

加えて、米中半導体規制(米国の対中輸出規制、中国の半導体国産化推進)、地政学リスク(台湾海峡情勢、TSMCの動向)、生成AIブームの持続性など、半導体材料事業は外部要因に強く左右されます。

「AIブームが終わったら、半導体材料事業はどうなるか」という構造的なリスクは、常に念頭に置く必要があります。

弱点4:ビジネスイノベーション事業の構造変化

ビジネスイノベーション(旧富士ゼロックス)事業は、富士フイルムの伝統的な収益基盤ですが、構造変化に直面しています。

第一に、ペーパーレス化の進展。リモートワーク、デジタルドキュメント、電子契約、クラウドサービスの普及で、オフィスでの紙の印刷量は減少傾向。複合機の需要が縮小しています。

第二に、複合機価格の下落と利益率低下。コニカミノルタ、リコー、キヤノン、Xerox(過去のパートナー、現独立競合)、京セラなど、激しい競争。

第三に、トナー・部品の継続販売モデルの構造変化。インクジェット式、低トナー消費型機器の普及により、トナー消費量が減少。

ビジネスイノベーション事業は、デジタルサービス、SaaS、AI活用などへの転換を進めていますが、伝統的な収益基盤の縮小は構造的な課題です。

弱点5:複合機・コピー機の地政学リスク

富士フイルムビジネスイノベーション(旧富士ゼロックス)は、複合機事業で中国・アジアでの製造に大きく依存しています。

米中対立の激化、関税戦争、中国の知財保護問題などは、複合機事業のサプライチェーンに影響を及ぼし得ます。

加えて、2024年4月から発生した米国関税の影響(決算資料に「米国関税:-20億円」との記載)など、貿易環境変化のリスクも顕在化しています。

弱点6:日本国内市場の縮小

富士フイルムの売上構成は、海外比率が高いとはいえ、日本国内市場も重要です。

日本の少子高齢化、人口減少(2024年時点で約1億2,300万人)、医療費抑制圧力(厚生労働省の薬価改定、医療機器価格抑制)は、富士フイルムの国内医療事業に影響を及ぼします。

医療機器(X線、内視鏡、CT、MRI)の日本国内市場は、医療機関の経営圧迫、診療報酬抑制などで成長が緩やか。海外(米国、欧州、新興国)での成長で補う構造です。

弱点7:医薬品(FUJIFILM富山化学)の競争激化

医薬品事業(FUJIFILM富山化学、富士フイルム富山健保)は、富士フイルムの成長セグメントの一つですが、競争は厳しいです。

新薬開発は、巨額の研究開発費(1製品あたり数百億~数千億円)、長期間(10~15年)、低い成功率(数千分の1)という、非常にリスキーな事業です。

富山化学の代表的医薬品「アビガン」(抗インフルエンザ薬・新型コロナ治療薬候補)は、新型コロナ治療薬としての効果検証で期待ほどの結果を出せず、ビジネスとしては大きく成功とは言えませんでした。

医薬品事業の収益性向上には、継続的なヒット製品創出が必要です。武田、第一三共、エーザイ、中外、アステラスなど、巨大製薬会社との競争は厳しいです。

弱点8:複雑なセグメント構造とコングロマリット・ディスカウント

富士フイルムは、ヘルスケア、エレクトロニクス、ビジネスイノベーション、イメージングの4つの異なるセグメントを抱えるコングロマリット企業です。

これは、ポートフォリオの多様性によるリスク分散というメリットがある一方、「コングロマリット・ディスカウント」(複数事業を抱える企業の市場評価が、個別事業の合計より低くなる傾向)のリスクもあります。

投資家にとって、「富士フイルムは何の会社なのか」という曖昧さが、株価評価を圧迫する要因になり得ます。

加えて、各セグメントの相互シナジーは限定的。ヘルスケア事業とイメージング事業の間で、シナジーがあるかは不明確。

弱点9:環境・サステナビリティへの対応

富士フイルムは精密化学メーカーとして、環境・サステナビリティへの対応が必須です。

第一に、化学物質規制。EUのREACH規則、米国のTSCA、日本の化学物質審査規制法など、世界中で化学物質規制が強化されています。富士フイルムは多数の化学物質を使用するため、対応コストが膨張。

第二に、フッ素化合物(PFAS)規制。フォトレジストや一部の特殊フィルムにはフッ素化合物が使われており、EU・米国でのPFAS規制強化は、富士フイルムの一部事業に影響。

第三に、CO2排出削減。化学工場・半導体材料工場は、大量のエネルギーを消費。カーボンニュートラル達成には、再生可能エネルギー切替、製造工程改善、サプライチェーン全体での削減が必要。

第四に、廃棄物処理。製造工程で発生する化学廃棄物の処理に、厳格な管理が必要。

これらすべてが、コスト要因として継続的に発生します。

弱点10:銀価格高騰と原材料コスト変動

富士フイルムは、製造に銀(写真フィルム、医療機器、印刷材料等)、レアアース、特殊化学物質などの原材料を多用します。

2024~25年、銀価格は高騰しており、富士フイルムの一部事業を圧迫しています(2Q決算で-13億円との記載)。

加えて、円安進行(2022~2024年)、エネルギー価格上昇、特殊化学物質の供給不安など、原材料コストの変動リスクは継続的な経営課題です。

まとめ ~ 「業態転換の教科書」が次に挑むこと

富士フイルムの業態転換モデルを、改めて整理しましょう。

強みとしては、写真フィルムで培った精密化学技術の応用力、コアコンピタンスの転用による業態転換成功、ヘルスケアセグメントの利益率約14%(製造業平均を大きく上回る)、バイオCDMO世界トップクラス(米国・英国・デンマーク拠点)、半導体材料での世界トップシェア、医療機器(内視鏡、X線、CT、MRI、超音波)の世界展開、化粧品「アスタリフト」のブランド確立、富山化学買収による医薬品事業、富士ゼロックス完全子会社化(ビジネスイノベーション)、instax・Xシリーズによるイメージング復活、3期連続売上過去最高・4期連続営業利益過去最高、新興国向け健診サービスNURAなどのソーシャル事業、古森重隆氏の業態転換リーダーシップの教訓。

ただし弱点も多数あります。バイオCDMO事業の収益化と立ち上げコスト、写真フィルム残存事業の縮小圧力、半導体材料の景気循環リスク、ビジネスイノベーション事業の構造変化、複合機・コピー機の地政学リスク、日本国内市場の縮小、医薬品(FUJIFILM富山化学)の競争激化、複雑なセグメント構造とコングロマリット・ディスカウント、環境・サステナビリティへの対応、銀価格高騰と原材料コスト変動。

富士フイルムの本質的な強さは、「会社のアイデンティティを大胆に再定義する勇気」と「コア技術の応用力」にあります。

「写真フィルム会社」というアイデンティティを捨て、「精密化学・材料技術の会社」と再定義したことが、生き残りの起点でした。コダックは「写真フィルム会社」というアイデンティティに固執し、消滅しました。

私たちが何気なく使う化粧品アスタリフト、レントゲン写真、内視鏡、最先端半導体、複合機、instaxカメラ――これらすべての背後には、富士フイルムの90年にわたる精密化学技術と、業態転換という決断が結晶しています。

ビジネスを設計する人にとって、富士フイルムの事例は「主力事業の崩壊への備え」「コアコンピタンスの再定義」「大胆な事業構造改革のリーダーシップ」「コングロマリット経営のメリット・デメリット」「日本企業のグローバル化の成功モデル」――多面的な教訓を提供してくれます。

「あなたの会社の『写真フィルム』は何か。それが消滅したとき、あなたは何で生き残るか」――富士フイルムの教訓は、すべてのビジネスパーソンへの問いかけです。

参考資料

  • 富士フイルムホールディングス株式会社 公式IRサイト https://ir.fujifilm.com/ja/investors/
  • 富士フイルムホールディングス株式会社「2025年3月期決算説明会資料」https://ir.fujifilm.com/ja/investors/ir-materials/earnings-presentations/main/01112/teaserItems5/0/linkList/0/link/ff_fy2024q4_001j.pdf
  • 富士フイルムホールディングス株式会社「2025年3月期 第3四半期 決算説明会」https://ir.fujifilm.com/ja/investors/ir-materials/earnings-presentations/main/01112/teaserItems4/0/linkList/0/link/ff_fy2024q2_001j.pdf
  • 富士フイルムホールディングス株式会社「個人投資家向け会社説明会」(2025年9月25日)https://ir.fujifilm.com/ja/investors/individual/briefing/main/09/teaserItems1/07/linkList/0/link/ff_presentation_202509_002j.pdf
  • 富士フイルムホールディングス株式会社「事業概要」https://ir.fujifilm.com/ja/investors/ir-materials/business-overview/main/0/teaserItems1/0/linkList/0/link/ff_presentation_202507_003j.pdf
  • TechnoProducer株式会社「富士フイルム事業転換の本質とは?~写真技術の新用途を開拓した技術マーケティング戦略の成功事例」https://www.techno-producer.com/column/fujifilm-business-conversion/
  • 就活×有報ナビ「富士フイルムの将来性|有報で見るヘルスケア転換の数字」https://www.choosenic.com/yuho-shukatsu-navi/articles/manufacturing/fujifilm-yuho/
  • FastGrow「これぞ世界中が注目する”奇跡のイノベーション”だ!トータルヘルスケアカンパニーに変革した富士フイルム、変革の舞台裏」小島健嗣氏インタビュー https://www.fastgrow.jp/articles/fujifilm-kojima
  • プルーヴ株式会社「日系医療機器メーカー最大手のポジションを狙う富士フイルムの経営戦略」https://www.provej.jp/column/bm/fujifim-strategy/
  • JBpress「富士フイルムHDの古森元CEOが断行した『事業構造改革』と『第二の創業』とは」矢部謙介氏 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78184
  • 勝手にマーケティング分析「富士フイルムの2025年度2Q決算を読み解く:『脱カメラ』後の成長戦略と実践的マーケティング手法」https://marketing-analytics.site/fujifilm2026q2/
  • 古森重隆『魂の経営』東洋経済新報社、2013年
  • 古森重隆『君は、どう生きるのか』三笠書房、2018年
  • 高橋大樹『コダックと富士フイルム』ダイヤモンド社
  • 経済産業省、厚生労働省、文部科学省の関連報告書
  • FUJIFILM Diosynth Biotechnologies関連プレスリリース、各種報道
  • 日本経済新聞、東洋経済オンライン、Bloomberg、Reuters、Financial Timesの富士フイルム関連報道
タイトルとURLをコピーしました