ふるさと納税を始めたら「これが中間層の気分か」と思った話
ふるさと納税を知った日
ふるさと納税の存在自体は、何年も前から知っていた。テレビのCMで、芸能人が「ふるさと納税で○○をもらいました!」と笑っている。職場で「ふるさと納税でカニが届いた」「今年は米にした」と話す同僚。
知っていた。だが自分には関係ないと思っていた。理由は単純で、「そんなお得な制度は、自分のような低所得者には使えないだろう」と思い込んでいたからだ。納税額が多い人が得する制度。高所得者向けの制度。そう勝手に決めつけていた。
調べてみたのは、40代に入ってからだ。きっかけは同僚の一言。「○○さんの年収でも、ふるさと納税できますよ」。え、本当に?
調べた。ふるさと納税のシミュレーションサイトで、自分の年収を入力してみた。年収300万円弱。独身。扶養なし。
控除上限額:約28000円。
28000円。この金額までのふるさと納税なら、自己負担2000円で、残りが税金から控除される。つまり26000円分の返礼品が、実質2000円で手に入る。
2000円で26000円分の返礼品。これは得だ。低所得者でも使えるのか。使える。知らなかった。何年も知らなかった。知っている人は、毎年カニや牛肉やフルーツをもらっている間、私は知らないまま何年も過ごしていた。知らないことの損失は、取り返せない。
初めての返礼品が届いた日
ふるさと納税サイトで、初めて寄附を行った。迷いに迷って選んだのは、10kgの米だった。
カニも気になった。牛肉も魅力的だった。だが実用性を考えると米がベストだ。米10kgは、一人暮らしで約2ヶ月分。スーパーで買えば3000円前後。これが実質2000円で届く。1000円の節約。節約額は大きくないが、「お得感」は金額以上に大きい。
注文してから2週間後、段ボール箱が届いた。開けると、10kgの米が入っている。白い袋に、産地の名前と品種が書いてある。知らない自治体の、知らない品種の米。
この米を炊いた。いつもの炊飯器で、いつもの水加減で。炊き上がりを見て、少し驚いた。粒が大きい。艶がある。いつもスーパーで買う5kgパックの安い米とは、明らかに違う。
食べた。うまい。明らかにうまい。甘みがある。粘りがある。おかず不要。米だけで満足できる。半額の惣菜と合わせたら、もはや贅沢だ。
この米を食べながら、奇妙な感覚に包まれた。「これが中間層の気分か」と。
「中間層の気分」の正体
なぜ「中間層の気分」と思ったのか。考えてみた。
ふるさと納税は、納税者が自治体を選んで寄附する制度だ。寄附に対して返礼品が送られる。返礼品は、地域の特産品——米、肉、魚、フルーツ、工芸品など——から選べる。
この「選ぶ」行為が、中間層の気分を演出している。普段の買い物は「選ぶ」のではなく「買えるものを買う」だ。値段で決まる。安いほうを買う。選択の余地は狭い。
だがふるさと納税では「好きなものを選んでいい」のだ。カニを選んでもいいし、牛肉を選んでもいいし、米を選んでもいい。金額の範囲内であれば、何でも。この「何でもいい」という自由度が、普段の買い物にはない開放感を与えてくれる。
選ぶ楽しさ。欲しいものを、欲しいから選ぶ。値段を気にせず(実質2000円だから)、純粋に「何がほしいか」で選ぶ。この行為は、日常では経験できない。日常では常に値札を見る。値札を見ないで選ぶことが、こんなに楽しいとは。
返礼品のカタログを眺めている時間は、幸福だ。デパートのカタログギフトを見ている気分。カタログギフトは、もらったことがない。もらう機会がないから。ふるさと納税は、自分で自分にカタログギフトを贈る制度。年に一度の、自分への贈り物。
この「選ぶ楽しさ」と「もらう喜び」が、「中間層の気分」の正体だった。中間層は、日常的にこういう買い物をしているのだろう。欲しいものを欲しいから買う。値札を見ずに。その感覚を、ふるさと納税で初めて味わった。年に一度だけの、中間層体験。
知らなかった自分への怒り
ふるさと納税を始めて、最も強く感じたのは「なぜもっと早く知らなかったのか」という怒りだ。
制度は2008年に始まっている。私がふるさと納税を始めたのは2024年。16年間、使えたはずの制度を使わなかった。16年分の返礼品。仮に毎年26000円分の返礼品をもらっていたら、累計416000円分。約42万円分の特産品を、もらい損ねた。
42万円。この金額を見て、少し目眩がした。42万円あれば、歯の治療ができた。健康診断のオプションを受けられた。NISAの積立を大幅に増やせた。温泉旅行にも行けた。
42万円の機会損失。これは「知らなかった」ことの代償だ。知っている人は16年間毎年もらっていて、知らない人は16年間もらい損ねていた。同じ税金を払っているのに、知っているかどうかで、16年×26000円の差がつく。
怒りの矛先は自分自身に向いた。なぜ調べなかったのか。なぜ「自分には関係ない」と決めつけたのか。テレビでCMを見るたびに「金持ちの制度だ」と切り捨てていた自分が、恨めしい。
だが冷静に考えれば、「調べる余裕がなかった」のも事実だ。日々の生活に追われて、税金の制度を研究する時間も気力もなかった。ふるさと納税の存在は知っていても、「自分の年収でも使えるか」をシミュレーションする一歩が踏み出せなかった。その一歩を踏み出すための余裕が、生活の中になかった。
情報格差は、経済格差を拡大する。金持ちは情報にアクセスしやすく、お得な制度をフル活用する。貧しい人は情報にアクセスしにくく、お得な制度の存在すら知らない。知らないまま、同じ税金を払い、リターンは得られない。格差が格差を生む構造の、一つの具体例がふるさと納税だ。
2年目の選択
ふるさと納税2年目。今度は迷わなかった。
米10kgと、ティッシュペーパー24箱のセットにした。実用一辺倒。カニでも牛肉でもなく、米とティッシュ。中間層気分はどこへ行ったのか。
答えは簡単だ。1年目は「選ぶ楽しさ」に酔っていたが、2年目は「実用性」に目覚めた。米10kgで2ヶ月分の米代を浮かせ、ティッシュ24箱で半年分のティッシュ代を浮かせる。浮いた分は、食費に回すか、NISAに回すか。
この実用主義が、「中間層の気分」を一年で消し去った。中間層なら、米やティッシュではなく、贅沢品を選ぶだろう。カニを選び、牛肉を選び、フルーツを選ぶ。日常では買えないものを、ふるさと納税で入手する。それが中間層のふるさと納税の使い方だ。
私のふるさと納税は「日常で買うものを、ふるさと納税で入手して節約する」使い方だ。贅沢ではなく節約。お得感はあるが、キラキラはない。米とティッシュ。地味だ。だが地味で実用的であることが、私の人生の基調だ。今さらキラキラする必要はない。
ワンストップ特例制度の存在
ふるさと納税を始めるとき、もう一つハードルに感じたのが確定申告だ。ふるさと納税をしたら、確定申告で寄附金控除を申請しなければならない。確定申告は面倒だ。やったことがない。
だが調べてみると、「ワンストップ特例制度」というものがあった。寄附先が5自治体以内なら、確定申告なしで控除を受けられる。寄附時にワンストップ特例の申請書を送るだけ。これなら確定申告不要。ハードルが一気に下がった。
この制度も、知らなかった。知っている人は最初からワンストップで楽に利用している。知らない人は「確定申告が面倒そう」で諦めている。知っているかどうかの差が、利用するかどうかの差になり、それが年間数万円の差になる。
知識は金だ。文字通り、知識の有無が金額の差になる。知識を得るための情報リテラシーが、経済格差を左右する。この構造は、ふるさと納税に限らず、あらゆる制度に共通する。
年に一度の「中間層体験」
ふるさと納税は、年に一度の中間層体験だ。カタログを眺め、選び、届くのを待つ。届いた箱を開ける。中身を確認する。この一連のプロセスは、普段の買い物にはないワクワク感がある。
2年目は米とティッシュにしたが、3年目はどうしようか。少し冒険して、果物を選んでみようか。シャインマスカットとか。一度も食べたことがない。スーパーで見かけても、値段を見て棚に戻す果物だ。ふるさと納税でなら、実質2000円で手に入る。
年に一度のシャインマスカット。これが私の「贅沢」だとしたら、ささやかすぎるかもしれない。だがささやかな贅沢にも、確かな喜びがある。喜びの大きさは、金額に比例しない。普段手の届かないものに手が届いたとき、喜びは金額以上に大きい。
ふるさと納税。この制度を教えてくれた同僚に、心から感謝している。あの一言がなければ、今も「自分には関係ない」と思い続けていただろう。一言の力。情報の力。知ることの力。
来年のカタログを、もう少し楽しみに待つことにする。米かティッシュかシャインマスカットか。悩む時間が、年に一度の贅沢の前菜だ。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。ふるさと納税を「金持ちの制度」だと思い込んでいた人は、きっと少なくないはずです。
