体が動かなくなってきたのに収入が増えない矛盾

この記事は約11分で読めます。

朝、体が重い

朝6時半。目覚ましが鳴る。手を伸ばして止める。もう一つの目覚ましが5分後に鳴る。それも止める。布団の中で、天井を見つめる。

起き上がらなければならない。わかっている。わかっているが、体が重い。物理的に重い。比喩ではなく、本当に体が重い。肩が凝っている。腰が痛い。首が回らない。昨日の疲れが、一晩寝ても取れていない。

20代の頃は、こんなことはなかった。目覚ましが鳴れば、すぐに起きられた。寝れば疲れは取れた。朝から体が重いなんて、考えたこともなかった。

30代後半あたりから、朝の重さが始まった。最初は「昨日飲みすぎたかな」くらいに思っていた。だが飲まなくても重い。寝ても重い。早く寝ても重い。毎朝、重い。これが「加齢」というものなのか、と40歳を過ぎた頃にようやく悟った。悟ったが、対策はない。体は勝手に老いていく。

目覚ましが3個目に鳴る。さすがに起きる。ベッドから足を下ろす。膝が軋む。立ち上がる。腰が鈍く痛む。洗面台まで歩く。鏡に映る顔には、枕の跡と、取れない疲れが同居している。

この体で、今日も8時間働く。

交差しない二本の曲線

人生には、二本の曲線がある。

一本目は「体力の曲線」。20代をピークに、緩やかに下降する。30代で少し落ち、40代でさらに落ち、50代で明確に落ちる。個人差はあるが、方向は一つ。下降だ。

二本目は「収入の曲線」。正社員の場合、年功序列で緩やかに上昇する。20代で低く、30代で中程度、40代で高くなり、50代でピークに達する。

正社員の場合、この二本の曲線は美しく交差する。体力が落ちる頃に収入が上がり、お金で体力の低下を補える。タクシーを使う。家事代行を頼む。良い食材で栄養を取る。ジムに通って体を維持する。体力のハンデを、経済力でカバーする。理にかなった設計だ。

非正規の場合、この交差が起きない。

体力は同じように下がる。同じ人間なのだから、加齢の影響は同じだ。だが収入が上がらない。フラット。あるいは、社会保険料の増加と物価の上昇を考慮すれば、実質的には微減だ。

体力の曲線は下がる。収入の曲線は横ばい。二本の曲線は交差せず、平行に走っている。いや、体力のほうが下がっているから、二本の線は徐々に開いていく。ハサミのように。開いた隙間に、生活の困難が詰まっていく。

体力が落ちることの具体的な意味

「体力が落ちる」とは、具体的にどういうことか。ざっくりした表現ではなく、日常レベルで書いてみる。

朝起きるのがつらい。20代の頃は目覚ましなしで起きられた。今は2つの目覚ましを5分間隔でセットしても、布団から出るのに15分かかる。体がだるい。起き上がるためのエネルギーが、毎朝少しずつ減っている。

通勤がつらい。満員電車で30分立ち続けるのが、20代の頃とは比較にならないほどきつい。腰が痛い。膝が痛い。足の裏が痛い。座れれば天国だが、朝のラッシュで座れる確率は低い。グリーン車という選択肢もあるが、追加料金は出せない。

午後の集中力が持たない。午前中はまだいい。昼食後、14時あたりから急に眠くなる。データ入力のスピードが落ちる。ミスが増える。ミスをカバーするために見直しの時間が必要になり、全体の効率が下がる。

残業がきつい。20代の頃は、必要なら終電まで働けた。今は18時を過ぎると急に集中力が切れる。体が「もう帰りたい」と全力で訴えてくる。精神はまだ働けるが、体がついてこない。精神と肉体の分離。これが40代の労働だ。

帰宅後の気力がない。仕事から帰ると、何もする気にならない。食事を作る気力がない。洗濯物を畳む気力がない。副業をする気力は、さらにない。テレビの前で座ったまま眠ってしまう夜が増えた。ソファで寝落ちして、深夜2時に目が覚めて、歯を磨いてベッドに移動する。このパターンが週に3回はある。

休日も回復しきらない。20代の頃は、土曜日に爆睡すれば日曜日には元気だった。今は土曜日に爆睡しても、日曜日にまだ疲れが残っている。月曜日の朝は、金曜日の疲れを引きずったまま迎える。一週間のサイクルで、疲労が完全にリセットされない。微量の疲労が毎週蓄積されていく。

収入が増えないことの具体的な意味

「収入が増えない」とは、具体的にどういうことか。こちらも日常レベルで。

手取りは10年前とほぼ同じ。正確には、社会保険料の増加で微減している。額面は少し上がったかもしれないが、天引き額が増えたので、手取りは変わらないか減っている。

一方、物価は上がっている。コンビニのおにぎりは100円から170円に。電気代は値上がりした。家賃は据え置きだが、契約更新のたびに「次は上がるかも」と不安になる。

手取りが横ばいで物価が上がるということは、実質的な生活水準が下がっているということだ。同じ金額で買えるものが少なくなる。生活の質が、静かに、しかし確実に、削られていく。

昇給がない。正社員であれば年に数千円、数万円の昇給がある。微々たるものでも、毎年の積み重ねで手取りは増えていく。非正規にはこれがない。時給が変わらなければ、月収も変わらない。変わるのは控除額だけ。増えるのは天引きだけ。

ボーナスがない。正社員の年収には、月給とは別にボーナスが含まれる。年に2回、月給の数ヶ月分がまとめて入る。このボーナスが、大きな支出——家電の買い替え、冠婚葬祭の費用、旅行、投資——の原資になる。非正規にはボーナスがない。大きな支出は、月々の手取りから少しずつ貯めるしかない。貯められないから、大きな支出ができない。

退職金がない。正社員なら、定年時に数百万円から数千万円の退職金が出る。この退職金が、老後の生活資金の柱になる。非正規には退職金がない。老後の資金は、全部自分で作らなければならない。作れていないから不安だ。

体力で稼ぐ仕事と、頭で稼ぐ仕事

仕事には、大まかに二種類ある。体力で稼ぐ仕事と、頭で稼ぐ仕事だ。

正社員として長年働くと、通常、体力で稼ぐ仕事から頭で稼ぐ仕事へ移行する。20代は現場で走り回り、30代はチームを率い、40代はマネジメントをし、50代は戦略を立てる。身体を動かす仕事から、判断力や経験を活かす仕事へ。この移行により、体力が落ちても収入が維持される。

非正規の場合、この移行が起きにくい。40代でも50代でも、20代と同じ作業を同じ時給で行う。データ入力、電話応対、書類整理。内容は変わらない。時給も変わらない。10年前と同じ作業を、10歳衰えた身体で続ける。

さらに言えば、非正規の事務作業は「身体を動かす」仕事ではないが、「身体が資本」の仕事だ。8時間デスクに座り続ける体力、モニターを見続ける視力、キーボードを打ち続ける指の耐久力。これらは加齢とともに確実に低下する。低下しても、仕事の要求水準は変わらない。

要求は同じ。身体は衰える。このギャップが、年を重ねるごとに広がっていく。20代の自分なら楽にこなせた作業量が、40代では精一杯になる。精一杯でこなしても、評価は変わらない。時給は変わらない。「同じ仕事を同じ時給で」の裏側で、私の身体は着実に消耗している。

体の不調と経済力の関係

体力の低下は、様々な不調として現れる。

腰痛。40代に入ってから、慢性的な腰痛が始まった。デスクワークの姿勢が原因だろう。整体に通えば改善するかもしれないが、1回4000円の整体に月2回通う余裕がない。だから市販の湿布を貼って、誤魔化している。

眼精疲労。パソコンのモニターを8時間見続けていると、夕方には目がかすむ。ブルーライトカットの眼鏡を買いたいが、ちゃんとした眼鏡は2万円以上する。100均のブルーライトカット眼鏡で凌いでいる。効果は不明だ。

慢性疲労。睡眠の質が落ちている。寝つきが悪い。夜中に目が覚める。朝起きても疲れが取れていない。良いマットレスを買えば改善するかもしれないが、良いマットレスは5万円以上する。今のマットレスは、10年前にホームセンターで買った1万円のものだ。もうスプリングがへたっている。

歯の問題。歯科検診に行っていない。虫歯があるのはわかっているが、治療費が怖い。治療が遅れるほど費用は増える、というのは頭ではわかっている。わかっていても、今月の生活費が優先される。歯は来月も痛いが、家賃は今月払わないと追い出される。

これらの不調に対して、十分な対処ができない。対処するにはお金がいる。お金がないから放置する。放置するから悪化する。悪化するとさらにお金がかかる。あるいは、体の状態が仕事のパフォーマンスに影響し、最悪の場合、仕事を失う。

「健康は最大の資産」とよく言われる。確かにその通りだ。だが「健康を維持するにも資産が必要」という前段階の話が抜けている。資産がなければ健康を維持できない。健康を維持できなければ働けない。働けなければ資産を得られない。このループの入口に、経済力がある。経済力のない人間は、ループの外側にいる。ループに入れない。

正社員の同年代との比較

同じ年齢の正社員と比較してみる。同い年の正社員Aさん。仮定のプロフィールだが、よくあるパターンだ。

Aさん。45歳。大手メーカー勤務。年収700万円。管理職。デスクワーク中心だが、部下のマネジメントが主な仕事。腰痛はあるが、月2回の整体に通っている。年に1回は家族で旅行に行く。ジムに週2回通って体力維持。健康診断のオプションも全部受ける。

私。45歳。派遣社員。年収300万円弱。データ入力と電話応対。腰痛はあるが放置。旅行は年にゼロ回。ジムには通っていない。健康診断は最低限だけ。

同じ年齢、同じ大学を出ている可能性もある。同じ年に社会に出た。なのに、体のメンテナンスにかけられる費用にこれだけの差がある。Aさんは整体とジムで体を維持し、私は湿布で誤魔化している。10年後、20年後の体の状態に、この差が反映される。

Aさんの体力の低下は、お金でカバーされる。私の体力の低下は、カバーされない。むき出しのまま老いていく。同じ人間の体なのに、老いのスピードが違う。経済力が、老いのスピードを決めている。

「あと何年働けるか」という問い

45歳。定年まで20年。年金支給開始が65歳だとすると、あと20年は働かなければならない。

20年。この数字を、今の体力で割ると、答えが出ない。今の体力があと20年持つのか。持たない気がする。持たないが、持たせなければならない。持たせるためには、体のメンテナンスが必要。メンテナンスにはお金が必要。お金がない。永遠のループ。

もし50歳で体を壊したら。働けなくなったら。収入がゼロになったら。貯金はほぼない。失業保険は数ヶ月分。そのあとは。生活保護か。障害年金か。どちらにしても、今より厳しい生活が待っている。

この不安は、体力が落ちるたびに強くなる。膝が痛むたびに、「いつかこの膝が動かなくなったら」と考える。腰が痛むたびに、「いつかこの腰が持たなくなったら」と考える。考えても仕方がない。考えても対策が打てない。対策を打つ金がない。考えるだけ無駄だ。無駄だが、考えずにはいられない。

これが「体が動かなくなってきたのに収入が増えない矛盾」の、最も深刻な側面だ。体の衰えは止められない。収入の増加は見込めない。二つの事実が重なったとき、将来は一直線に暗くなる。暗い将来を照らすためのライトが、手元にない。

「体力」という資産の減価償却

会計用語に「減価償却」という概念がある。固定資産の価値が、時間の経過とともに減少していくことを表す。建物は年々劣化する。機械は年々摩耗する。その劣化と摩耗を、会計上の費用として計上する。

人間の体力も、減価償却される資産だ。20代をピークに、毎年少しずつ価値が減っていく。45歳の体力は、20代の体力と比べて、かなり減価償却が進んでいる。

正社員の場合、体力の減価償却に合わせて、別の資産——経験、人脈、判断力、管理能力——が蓄積されていく。減る資産と増える資産が、帳簿上では相殺される。

非正規の場合、体力は同じように減価償却されるが、代替資産の蓄積が少ない。同じ仕事を繰り返しているだけでは、マネジメント能力や人脈は蓄積されない。体力は減り、代替資産は増えない。減る一方。帳簿は赤字だ。

そして、減価償却された体力は、もう元には戻らない。20代の体力に戻すことは不可能だ。筋トレや運動で多少は回復できるが、加齢には逆らえない。逆らえないものを相手に、同じ仕事を同じ給料で続ける。この構造が「矛盾」だ。

もし体が完全に動かなくなったら

最悪のシナリオを考えてみる。体が完全に動かなくなったら。

大きな病気になった場合。がん、脳卒中、心筋梗塞。あるいは、慢性疾患が悪化した場合。糖尿病、腎臓病、肝臓病。働けなくなる。

正社員なら、傷病手当金がある。健康保険から、給料の約3分の2が最長1年6ヶ月支給される。これで治療に専念できる。復帰後も、元の職場に戻れる可能性が高い。

非正規の場合。健康保険に加入していれば傷病手当金は出るが、契約期間が終われば雇用関係は終了だ。病気で休んでいる間に契約が切れたら、傷病手当金は終了。復帰先もない。治った後で、また一から仕事を探す。病み上がりの体で。しかも職歴に空白が加わった状態で。

このシナリオが現実にならないことを祈るしかないが、祈りだけでは不十分だ。健康診断を受ける。早期発見する。治療する。この基本的なプロセスが、金銭的な理由で滞っている。滞った結果、発見が遅れ、治療が大がかりになり、費用が膨らむ。あるいは手遅れになる。この悪夢のシナリオを、完全に排除する方法がない。

それでも、動ける限り動く

暗い話ばかりになった。少しだけ、光を入れておきたい。

体は確かに衰えている。収入は増えない。将来は不安だ。だが、今日、私は動けている。動けている限り、やれることをやる。

朝、重い体を起こす。目覚ましを止めて、布団から出る。洗面台で顔を洗う。コーヒーを入れる。着替えて、家を出る。電車に乗る。会社に着く。パソコンを起動する。データを入力する。電話に出る。昼食を食べる。午後も働く。退勤する。スーパーに寄る。半額シールを待つ。惣菜を買って帰る。夕食を作る。食べる。テレビを見る。風呂に入る。寝る。

この一連の動作を、明日もやる。明後日もやる。来週もやる。来月もやる。来年もやる。

この繰り返しを「単調」と呼ぶ人もいるだろう。だが私にとっては、この繰り返しこそが生きている証だ。繰り返せること自体が、体が動いている証拠だ。動けなくなったら、この繰り返しは止まる。止まるまでは、回し続ける。

体力の曲線と収入の曲線は、交差しない。交差しないまま、二本とも先へ延びていく。延びていく先が上り坂か下り坂かは、今の時点ではわからない。わからないが、歩いてみなければ、先は見えない。

重い体で、増えない給料で、それでも歩く。歩けなくなったら、止まる。止まったら、そのとき考える。今考えても答えは出ない。出ないなら、今日は歩く。明日も歩く。

矛盾を抱えたまま、歩く。矛盾が解消される日は、来ないかもしれない。来なくても、歩く。歩けることが、今の私の最大の資産だ。口座残高よりも、この両足が、今は頼りだ。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。体力と収入の矛盾に悩んでいる人は、きっと少なくないはずです。

タイトルとURLをコピーしました