氷河期世代の「年賀状をやめた日」——人間関係の断捨離と罪悪感

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氷河期世代の「年賀状をやめた日」——人間関係の断捨離と罪悪感

はじめに——年賀状が「義務」になった年

12月に入ると、郵便局の前に年賀状の特設コーナーが出る。「もう年賀状の季節か」と思う。思うだけだ。もう買わない。5年前に年賀状をやめた。やめた年の1月、届いた年賀状は3枚だった。3枚。20代の頃は30枚以上出していたのに、40歳を過ぎたら3枚。3枚のうち1枚は保険会社からの営業年賀状。実質2枚。2枚のために63円×2=126円の切手と、住所を書いてプリンターで印刷する手間をかけるべきか。答えは「もういい」だった。

年賀状をやめた。やめたことに罪悪感を感じた。「もう二度と年賀状をくれないかもしれない」「あの人との縁が完全に切れるかもしれない」。だが冷静に考えれば、年に1回の定型文の年賀状で「つながっている」と言えるのか。言えない。年賀状は「つながり」ではなく「儀礼」だった。儀礼を維持するために63円と30分の手間をかける意味は、もうなかった。

このエッセイでは、年賀状をやめることから始まる「人間関係の断捨離」について考える。何を残し、何を手放すか。手放すときの罪悪感とどう折り合いをつけるか。

年賀状が減っていった経緯

大学時代は年賀状を40枚以上出していた。サークルの仲間、ゼミの友人、高校の同級生、バイト先の先輩後輩。住所録を管理し、プリンターで刷り、一言メッセージを手書きで添えて、12月25日までに投函。年賀状の準備は12月の恒例行事だった。

就職氷河期に放り出され、生活が一変した。まず「年賀状を出す余裕」がなくなった。ハガキ代(当時は50円)×40枚=2000円。プリンターのインク代。年賀状のデザインを考える時間。これらが「贅沢」に感じられるようになった。出す枚数を30枚に減らした。

25歳。友人が結婚し始めた。結婚した友人の年賀状には、家族写真が印刷されている。赤ちゃんを抱いた夫婦の笑顔。自分は独身のまま。独身の自分が「あけましておめでとう。今年もよろしく」と書いて送る。相手は家族写真付きで返してくる。このギャップが、年々辛くなった。

30歳。年賀状を出す相手が20人に減った。疎遠になった友人には出さなくなった。出さなければ、向こうからも来なくなる。来なくなれば、リストから消す。リストが年々短くなる。

35歳。15人。40歳。8人。43歳。5人。そして45歳。出すのをやめた。5人に「今年で年賀状は最後にします」と書いて送った。翌年、5人のうち2人から年賀状が届いた。「最後」と書いたのに届いた。申し訳ない気持ちと、「ちゃんと読んでくれなかったのかな」という気持ちが混ざった。2人には「やめました」のLINEを送った。それで終わった。

年賀状をやめて「失ったもの」と「得たもの」

失ったもの。年に1回の「生存確認」の機会。年賀状は、疎遠な相手との「最低限のつながり」を維持する手段だった。「年賀状が届く=あの人はまだ自分のことを覚えている」。この確認が、年に1回の安心材料だった。やめたことで、この安心材料がなくなった。

もう一つ失ったのは「1月1日の小さな楽しみ」だ。元旦にポストを開けて、年賀状を確認する。「誰から来てるかな」。この小さなワクワクが、なくなった。ポストを開けても、届いているのはチラシだけ。元旦のポストが、少し寂しくなった。

得たもの。12月の時間と手間。年賀状の準備に費やしていた2〜3時間が自由になった。ハガキ代とインク代(合計1000〜2000円)が浮いた。金額は小さいが、「やらなければならない義務」から解放された精神的な軽さは大きい。「年賀状書かなきゃ」という12月の焦燥感がゼロに。

もう一つ得たのは「人間関係の整理」だ。年賀状をやめたことで、「本当につながっていたい人」と「惰性でつながっていた人」の区別がつくようになった。年賀状がなくても連絡を取り続ける人=本当につながっていたい人。年賀状がなくなった途端に音信不通になる人=惰性だった人。この「選別」が、人間関係の断捨離の第一歩だった。

「人間関係の断捨離」とは何か

物の断捨離は一般的になった。使わない服を捨てる。読まない本を売る。壊れた家電を処分する。だが「人間関係の断捨離」は、物の断捨離より遥かに難しい。なぜなら、人間関係には「感情」が絡むからだ。

「あの人との関係を断つ」ことは、「あの人を捨てる」ように感じる。捨てることへの罪悪感。「薄情だ」「冷たい」と思われるのではないか。自分自身も「自分は薄情な人間だ」と感じてしまう。

だが「断捨離」は「捨てる」ことではなく「整理する」ことだ。必要なものを残し、不要なものを手放す。人間関係も同じだ。大切な関係は残す。惰性の関係は手放す。手放すことで、大切な関係にリソース(時間、エネルギー、お金)を集中できる。

氷河期世代の独身者にとって、リソースは限られている。手取り16万円。自由時間は平日3時間。エネルギーは慢性的に不足。この限られたリソースを、惰性の人間関係に分散させる余裕はない。大切な関係(たとえば母との電話、月1回のサークル活動)に集中させるべきだ。

「手放す」関係の判断基準

どの関係を手放し、どの関係を残すか。判断基準を示す。

基準1は「その人と会った後、気分が良くなるか悪くなるか」。会った後に「楽しかった」「元気になった」と感じる人→残す。会った後に「疲れた」「嫌な気分になった」と感じる人→手放す。

基準2は「連絡を取りたい気持ちがあるか」。「あの人に連絡してみようかな」と自然に思う人→残す。「連絡するのが面倒」「何を話せばいいかわからない」と思う人→手放す。

基準3は「困ったときに頼れるか」。本当に困ったとき(入院、失業、精神的な危機)に連絡できる人→残す。困ったときに連絡する気にならない人→手放す。

基準4は「過去の関係か、現在の関係か」。「昔は仲が良かった」だけで、今は接点がない→手放す。今も定期的に会っている、連絡を取り合っている→残す。

これらの基準で判断すると、「残す」関係は意外と少ないことに気づく。2〜3人かもしれない。ゼロかもしれない。ゼロならゼロで、新しい関係を作ればいい。別のエッセイ(独身24)で書いた「社会とつながり続けるための10の仕組み」を参照してほしい。

「罪悪感」との折り合いのつけ方

人間関係を手放すと、罪悪感が生じる。「薄情ではないか」「相手を傷つけたのではないか」「もう二度と関係が戻らないのではないか」。

罪悪感への対処法1は「手放したのは『関係』であり『人』ではない」と認識すること。相手の人間性を否定しているのではない。「現在の自分の状況において、この関係を維持するリソースがない」だけだ。相手が悪いわけでも、自分が悪いわけでもない。状況の問題だ。

対処法2は「手放し方を丁寧にする」こと。突然音信不通にするのではなく、「最近忙しくて」「しばらく連絡できないかもしれないけど元気で」と一言伝える。丁寧に手放せば、罪悪感は軽減される。そして将来、状況が変わったときに再接続する余地も残る。

対処法3は「自分のリソースの有限性を受け入れる」こと。時間もエネルギーもお金も有限だ。有限なリソースですべての関係を維持するのは不可能。不可能なことに罪悪感を持つのは、自分を追い詰めるだけだ。「すべての関係を維持できないのは、自分がダメだからではなく、リソースが有限だからだ」。この認識が、罪悪感を和らげる。

「断捨離」の先にあるもの——少数精鋭の関係

人間関係を断捨離した先にあるのは「少数精鋭の関係」だ。2〜3本の細いが確かなつながり。数は少ないが、質が高い。質が高い関係は、メンテナンスコストが低い。月に1回の連絡で維持できる。年に数回会うだけで十分。それでも「何かあったら連絡していい」という安心感がある。

100本の惰性の糸より、3本の確かな糸のほうが、人生を支える力がある。3本の糸で十分だ。

年賀状の「代わり」——誕生日メッセージという選択

年賀状をやめた代わりに、「誕生日メッセージ」を送ることにした。LINEで「誕生日おめでとう」と一言送る。年賀状は「全員に同じタイミングで定型文を送る」行為だが、誕生日メッセージは「特定の相手に、その人だけのタイミングで、パーソナルなメッセージを送る」行為だ。後者のほうが「つながりの実感」がある。

誕生日メッセージのメリット。相手が「自分のことを覚えていてくれた」と感じる。年賀状より個人的な温かさがある。LINEなら費用はゼロ。年間で「残す関係」の2〜3人にだけ送る。2〜3回のメッセージで、1年間のつながりが維持される。

「誕生日を覚えていない」場合は、LINEの友達情報に誕生日を登録しておけば通知が来る。通知が来たら「おめでとう」を送る。仕組み化すれば、忘れない。

SNSの「つながり」は年賀状の代わりになるか

「年賀状はやめたが、SNSでつながっている」。これで十分か。答えは「不十分だが、ないよりまし」だ。

SNSのフォロー関係は「つながり」の最も薄い形態だ。相手の投稿を見る。いいねを押す。たまにコメントする。この程度の関係で「つながっている」とは言い難い。だが「完全な無関係」よりはましだ。相手の近況を知ることができる。「あの人、元気そうだな」。この情報だけでも、孤立感の軽減になる。

SNSのつながりを「リアルのつながり」に格上げするには、「ダイレクトメッセージを送る」ことが必要。タイムラインへの「いいね」は公開の行為であり、個人的なつながりにはならない。ダイレクトメッセージは「あなた個人に向けた」コミュニケーションであり、つながりの質が一段上がる。

まとめ——「やめる勇気」と「残す覚悟」

年賀状をやめた。人間関係を断捨離した。手放した関係は戻ってこないかもしれない。戻ってこないことへの寂しさはある。だが、惰性で維持していた関係の「重さ」から解放された軽さのほうが、寂しさを上回っている。

やめる勇気。残す覚悟。この二つが、45歳からの人間関係の設計に必要だ。やめるべき関係はやめる。残すべき関係には、ちゃんとリソースを注ぐ。誕生日にメッセージを送る。月に1回電話する。年に数回会う。少数の関係を、丁寧に維持する。

丁寧に維持された少数の関係が、人生を支えてくれる。年賀状40枚の「広く浅い関係」より、誕生日メッセージ3通の「狭く深い関係」のほうが、45歳の独身者の人生を豊かにする。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。

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