派遣先の忘年会で「来年もよろしく」と言われて契約が切られた話

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12月の金曜日

12月の第3金曜日。派遣先の忘年会だった。

居酒屋の座敷席。部署のメンバー15人くらいが集まっている。正社員が12人、派遣社員が3人。私はその3人のうちの一人だ。

忘年会の雰囲気は悪くなかった。ビールが回り、料理が並び、一年の労をねぎらう空気がある。部長が冒頭で挨拶する。「今年も一年お疲れさまでした。来年もよろしくお願いします」。拍手。乾杯。

宴もたけなわの頃、直属の上司が私のところに来た。ビール片手に、上機嫌で。「○○さん、今年はほんと助かりました。来年もよろしくね」。

「こちらこそ、来年もよろしくお願いします」。笑顔で答えた。本心からそう思った。この職場は居心地がいい。人間関係もまずまず。仕事も慣れた。できれば来年も、ここで働きたい。

「来年もよろしく」。この言葉を信じた。信じて、年末年始を過ごした。

1月の電話

年が明けて1月7日。仕事始めの翌日。派遣会社の営業担当から電話が来た。

「○○さん、お疲れさまです。ちょっとお話がありまして」。

この「ちょっとお話がありまして」の響きに、嫌な予感がした。良い話の場合、営業はもっと明るい声で切り出す。「ちょっとお話が」は、悪い話のイントロだ。経験則でわかっていた。

「先方から連絡がありまして、3月末で契約を終了したいとのことです」。

3月末。つまり、あと3ヶ月。契約を切られる。

一瞬、頭が真っ白になった。真っ白になりながら、12月の忘年会の光景がフラッシュバックした。上司の笑顔。「来年もよろしくね」。ビールのグラスをカチンと合わせた音。あの笑顔と、この電話の内容が、うまく重ならない。

「理由は何ですか」と聞いた。営業は「業務の見直しに伴い、派遣枠を縮小するそうです」と答えた。業務の見直し。派遣枠の縮小。つまり私個人の問題ではなく、組織の都合。私が悪いわけではない。悪いわけではないが、切られることに変わりはない。

「来年もよろしく」の正体

「来年もよろしく」は、何だったのか。

考えられる可能性はいくつかある。

可能性1。上司は、契約が切られることを知らなかった。忘年会の時点では、契約終了の決定がまだ下りていなかった。上司は純粋に「来年もよろしく」と思っていた。決定が下りたのは年明け以降。だとすれば、上司に罪はない。知らなかっただけだ。

可能性2。上司は知っていたが、忘年会の場で伝えるのは不適切だと判断した。宴席で「実は来年は契約ないんだけど」とは言えない。場の空気を壊す。だから「来年もよろしく」と言って、正式な通知は派遣会社を通じて後日行うつもりだった。

可能性3。上司は知っていて、かつ「来年もよろしく」が社交辞令であることを、当然相手も理解していると思っていた。つまり「来年もよろしく」は、「良いお年を」と同程度の定型句であり、文字通りの意味ではない。

どの可能性が正しいのか、確かめる術はない。確かめるために上司に直接聞くこともできるが、それは空気を悪くするだけだ。聞いたところで、何も変わらない。契約は切られる。理由は組織の都合。以上。

だが心情的には、どの可能性であっても、傷つく。知らなかったとしても、知っていて黙っていたとしても、社交辞令だったとしても。「来年もよろしく」と言われて「はい、よろしくお願いします」と返した自分が、どの可能性においても、一方的に期待を裏切られている。

忘年会と契約切りのタイミング

忘年会は12月中旬。契約終了の通知は1月上旬。このタイミングが、絶妙に残酷だ。

忘年会の「来年もよろしく」で、心が安定する。年末年始を穏やかに過ごせる。正月は少しだけ気持ちが上向く。「来年も頑張ろう」と思える。

そして年明け、契約終了の通知。年末年始の安定が、一瞬で崩壊する。正月に食べたおせちの味が、口の中で苦くなる。「来年も頑張ろう」の「来年」が、3ヶ月で終わることを知る。

もし忘年会の前に通知されていたら、忘年会に参加しただろうか。参加したとしても、「来年もよろしく」と言われたとき、どんな顔をすればよかったのか。「あ、実は来年はもうないんですけどね」と笑えただろうか。笑えない。笑えないから、忘年会の前に通知しなかったのかもしれない。上司の「配慮」が、結果的に残酷さを増幅させた。

契約終了後の現実

3月末で契約が終了した。最終日、上司が「お世話になりました」と声をかけてくれた。忘年会で「来年もよろしく」と言った同じ口で。「また機会があれば」とも言われた。「また機会があれば」は、「もう機会はない」の婉曲表現だということは、経験上わかっている。

翌日から、無職だ。次の派遣先を探す。派遣会社に連絡する。「今すぐご紹介できる案件が限られておりまして」。いつものセリフ。いつもの展開。いつもの不安。

1ヶ月後、次の派遣先が決まった。新しい職場。新しい人間関係。また一から。この「一から」を、何度繰り返してきたか。新しい環境に適応するのは、年齢とともにきつくなる。だが適応しなければ、仕事が続かない。続かなければ、収入がゼロになる。

新しい派遣先で、12月が来た。また忘年会の季節だ。また「来年もよろしく」と言われるだろう。言われたとき、今度は信じすぎないようにしよう、と思う。思うが、人間は期待してしまう生き物だ。期待しないと決めても、期待してしまう。期待して、裏切られる。裏切られても、また期待する。この繰り返しを、派遣社員は永遠に続ける。

「来年もよろしく」の重さ

正社員にとって、「来年もよろしく」は軽い挨拶だ。来年も同じ職場にいることが前提だから。前提が揺るがないから、軽く言える。

派遣社員にとって、「来年もよろしく」は重い言葉だ。来年もいられるかどうかが不確実だから。不確実なのに「よろしく」と言われると、確実であるかのように錯覚する。錯覚は、裏切られたときの落差を大きくする。

この重さの非対称性を、正社員は知らない。知らないから、軽く言える。軽く言って、軽く忘れる。言われた側は重く受け取り、重く引きずる。

「来年もよろしく」が本当に嬉しい言葉になるのは、来年もそこにいることが確定している人間だけだ。確定していない人間にとっては、嬉しさと不安が混在した、複雑な言葉だ。

もしこれを読んでいる正社員の方がいたら、派遣社員に「来年もよろしく」と言うとき、少しだけ立ち止まってほしい。その言葉が、相手にとってどういう重さを持つか。一瞬でいいから、想像してほしい。想像したからといって言わないほうがいいとは言わない。言ってくれたほうが嬉しい。嬉しいが、信じすぎない準備も同時にさせてほしい。「来年もよろしく。でも組織のことだから、わからないけどね」。この一言が加われば、落差は和らぐ。和らげてほしい。忘年会の居酒屋で、ビールのグラス越しに。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。忘年会の「来年もよろしく」を信じて裏切られた人は、きっと少なくないはずです。

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