酒量が増えた時期と減った時期を振り返ると人生が見える
酒量は人生のバロメーター
酒を飲む量は、人生の状態を映す鏡だ。
調子がいいとき、酒は「楽しむもの」だ。友達と飲んで笑う。一人でも、好きなつまみと一緒に味わう。適量で満足し、翌朝はすっきり起きる。
調子が悪いとき、酒は「忘れるもの」になる。不安を洗い流すために飲む。考えたくないことを頭から追い出すために飲む。適量では足りなくなる。もう一杯。もう一本。翌朝は頭が重い。重い頭で出勤する。
この20年間の酒量の増減を振り返ると、人生の浮沈がくっきりと浮かび上がる。酒量のグラフと人生の幸福度のグラフは、きれいな逆相関を描いている。不幸なときに酒が増え、まあまあのときに酒が減る。
20代後半、増え始めた時期
大学時代は、酒はそこまで飲まなかった。飲み会のときに飲む程度。一人で飲む習慣はなかった。
酒量が増え始めたのは、20代後半。就職に失敗し、派遣で働き始めた頃だ。
仕事から帰って、発泡酒を1本開ける。350ml。最初はこれで十分だった。テレビを見ながら飲む。発泡酒の炭酸が喉を通り、体が少しだけ緩む。一日の緊張がほぐれる。
1本では足りなくなったのは、契約更新が不安になり始めた頃だ。不安で頭が回り続ける夜に、発泡酒1本では回転が止まらない。2本目を開ける。2本飲むと、少しだけ不安が薄まる。薄まった隙に、眠気が来る。
2本が3本になったのは、正社員の面接に落ち続けた時期。面接で不採用になった日の夜は、3本飲まないと眠れなかった。不採用の衝撃を、アルコールで麻痺させる。麻痺させないと、翌日の面接に向かう気力が湧かない。
この時期、月のアルコール代は約5000円。食費3万円のうちの5000円。食費の6分の1が酒に消えていた。本来は食材に使うべき金が、発泡酒に流れていた。だが発泡酒なしでは夜を越えられなかった。食材か精神安定剤か。精神安定剤を選んだ。
30代前半、ピークの時期
酒量のピークは30代前半だ。
非正規のまま30歳を迎え、「もうこのままかもしれない」という諦めが忍び寄ってきた頃。友達が結婚し、家を建て、子どもが生まれていく中で、自分だけが取り残されている感覚が日々強まっていた。
発泡酒3本が日常になった。週末は4本。たまに缶チューハイも加わる。金曜日の夜は、発泡酒3本+チューハイ1本。合計で約1.5リットルのアルコール飲料。一人で。テレビの前で。
翌朝は頭が重い。口の中が乾いている。体が怠い。それでも出勤する。出勤して、頭痛をこらえながら仕事をして、帰って、また飲む。
この頃の月のアルコール代は約8000円。食費の4分の1以上が酒に消えていた。冷静に考えれば異常だが、冷静ではなかった。酒を飲まなければ夜を過ごせない状態が、もう常態化していた。酒なしの夜は、不安と孤独が剥き出しになる。剥き出しの不安は、直視できない。酒は、不安に薄い膜を張ってくれる。膜があれば、なんとか夜を越えられる。
依存症だったのか。グレーゾーンだったと思う。毎日飲んでいた。量も増えていた。だが朝起きて仕事に行くことはできていた。仕事中に飲みたくなることはなかった。「依存」の定義にギリギリ当てはまらない範囲で、酒に依存していた。
30代後半、少し減った時期
30代後半、酒量が少し減った。
理由は複数ある。まず、体が酒を受け付けなくなってきた。20代の頃は発泡酒3本飲んでも翌朝元気だったが、30代後半になると2本で頭痛がする。体がアルコールの処理に追いつかなくなっている。加齢による肝機能の低下。
次に、健康診断の数値が悪化した。γ-GTPが基準値を大幅に超えた。医師に「お酒を控えてください」と言われた。言われたからといってすぐにやめられるわけではないが、数字を見ると少し怖くなった。
そして、「酒に逃げている自分」に嫌気が差した。酒を飲んでも問題は解決しない。翌朝、同じ問題が頭痛とともに待っている。酒は問題を先送りするだけだ。先送りの代償が二日酔いだ。先送りと二日酔いのセットを何百回も繰り返して、ようやく「これは無意味だ」と気づいた。
発泡酒を3本から2本に減らした。2本から1本に減らした。週に数日は「飲まない日」を作った。最初は辛かった。飲まない夜は、不安が剥き出しだ。剥き出しの不安と向き合うのは、酒を飲むより疲れる。だが慣れた。慣れると、飲まない夜のほうが翌朝の体調が良いことに気づく。当たり前だ。だがこの当たり前に、何年もかかって到達した。
40代、安定した時期
40代に入って、酒量は安定した。発泡酒1本、週に4、5日。月のアルコール代は約3000円。ピーク時の3分の1以下。
減らした理由は、前述の体力低下と健康不安に加えて、「酒代を他に回したほうがいい」という経済的な判断もある。月5000円の節約は、年6万円。NISAに回せる額だ。発泡酒を飲まない夜が、20年後の自分への投資になる。この計算ができるようになったのは、40代になってからだ。
ただし完全にやめたわけではない。1本だけ飲む。1本だけの発泡酒は、「忘れるための酒」ではなく「一日の区切りとしての酒」だ。仕事モードから休息モードへの切り替えスイッチ。プシュ、と缶を開ける音が、今日の仕事の終了合図。この使い方であれば、酒は害ではなく、生活のリズムの一部として機能している。
1本で止められるようになったのは、不安との付き合い方が変わったからだ。20代、30代は、不安を酒で消そうとしていた。消えないから、もっと飲んだ。40代は、不安を消すのではなく、不安と共存する方法を覚えた。不安はある。あるが、あるままでいい。あるままで夜を過ごせるようになった。不安と共存できれば、酒は1本で足りる。
酒量と人生の相関図
20年分の酒量と人生の出来事を、年表にしてみた。
25歳。就職失敗。酒量:1本/日。上昇開始。
28歳。正社員面接連続不採用。酒量:2〜3本/日。急上昇。
30歳。30歳の大台を非正規で迎える。酒量:3本/日。ピーク接近。
32歳。友人の結婚ラッシュ。孤独感の増大。酒量:3〜4本/日。ピーク。
35歳。「35歳の壁」到達。転職市場からの締め出し感。酒量:2〜3本/日。横ばいからやや減少。体が追いつかなくなる。
38歳。健康診断でγ-GTP要注意。酒量意識的に減らし始める。酒量:1〜2本/日。
40歳。ねんきん定期便ショック。酒量一時的に増加。2〜3本/日。その後落ち着く。
42歳。NISA開始。酒代を投資に回す決断。酒量:1本/日。安定期入り。
45歳。現在。酒量:1本/日、週4〜5日。安定。
この年表を眺めると、酒量のグラフは人生の困難度のグラフとほぼ一致していることがわかる。困難が増えると酒が増え、困難が減る(あるいは慣れる)と酒が減る。酒は、困難のバッファだった。バッファとしての酒が不要になる(別の対処法が見つかる)と、酒量は自然に下がる。
酒と金と健康のトリレンマ
酒、金、健康。この三つは、トリレンマの関係にある。
酒を飲めば、金が減り、健康が損なわれる。酒を我慢すれば、金が浮き、健康が保たれるが、精神的なストレスが増える。ストレスが増えると、別の形で金がかかるか、別の形で健康が損なわれる。
三つを同時に満たすのは難しい。酒を楽しみつつ、金を使いすぎず、健康を維持する。この三立を実現するには、「適量」を守ることが必要だ。適量とは何か。医学的には「純アルコール20g/日まで」とされている。ビール中瓶1本、日本酒1合程度。
私の現在の1本(発泡酒350ml)は、だいたいこの範囲内だ。週に4、5日ということは、「休肝日」も設けている。医学的にはまあまあの水準だ。
だが20代後半から30代前半の酒量は、明らかにこの水準を超えていた。超えていた期間は約10年。10年間の過剰飲酒が、体にどのくらいのダメージを与えたのか。今のところ目立った症状はないが、10年分の蓄積がいつか表面化するかもしれない。しないかもしれない。わからない。わからないことを、また検索してしまいそうだ。深夜2時に。
酒をやめられない人へ
酒をやめたい、あるいは減らしたいが、やめられない。減らせない。そういう人がいたら、伝えたいことがある。
無理にやめなくていい。無理にやめようとすると、反動で増える。「明日からやめる」は、たいてい続かない。
代わりに、「量を少しだけ減らす」から始めてみてほしい。3本を2本に。毎日を5日に。これだけで、月のアルコール代が数千円浮く。浮いた金で、少し良い食材を買える。少し良い食材で、少し体調が良くなる。体調が良くなると、酒に頼る度合いが少し減る。
少しずつ。少しずつでいい。一気にゼロにしなくていい。ゼロにすることが目標ではない。「酒に支配されない」ことが目標だ。1本で止められるなら、それで十分だ。
酒は敵ではない。使い方次第だ。敵にもなるし、味方にもなる。20代の私は酒を敵にしていた。40代の私は酒を味方にしている。敵を味方に変えるのに、15年かかった。長かったが、変えられた。
酒量の変遷を振り返ると、人生が見える。見えるのは苦い景色が多いが、最後のほうは少しだけ穏やかだ。穏やかになったのは、酒との付き合い方が変わったからだ。酒が減った分だけ、人生の見通しが少しだけ明るくなった。少しだけだが。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。酒量と人生の浮沈の相関に心当たりがある人は、きっと少なくないはずです。
