「お金に働いてもらう」と言われても元手がない件について

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「お金に働いてもらう」と言われても元手がない件について

その名言を初めて聞いた日

「お金に働いてもらいましょう」。

この言葉を初めて聞いたのは、テレビの経済番組だったか、ネットの投資記事だったか。とにかく、投資の世界ではよく使われるフレーズだ。自分が働く代わりに、お金に働いてもらう。不労所得。資産運用。お金が、お金を生む。

素敵な概念だ。自分が寝ている間にも、お金が働いてくれる。株式の配当金。投資信託の分配金。不動産の家賃収入。お金を適切な場所に置いておけば、勝手に増える。増えたお金が、さらに増える。複利の魔法。

だが、この魔法には前提条件がある。「お金に働いてもらう」ためには、まず「働かせるお金」が必要だ。つまり元手だ。

元手がない。

これが問題の本質であり、この話のすべてだ。

元手がないとはどういう状態か

「元手がない」を、もう少し具体的に書く。

手取り16万円。家賃5万5000円。食費3万円。光熱費1万円。通信費3000円。交通費1万円。日用品・衣服費5000円。社会保険料・税金は天引き済み。ここまでで約11万3000円。残り4万7000円。

この4万7000円から、医療費、冠婚葬祭、急な出費の予備費を考えると、自由に使える金は月2〜3万円。この2〜3万円から、NISAの月5000円を捻出している。残り1万5000円〜2万5000円。

1万5000円。これが「自由に使えるお金」の最大値だ。この1万5000円を、追加の投資に回すか。回すと、その月は発泡酒も買えなくなる。趣味も持てなくなる。急な出費に対応できなくなる。

「お金に働いてもらう」ためには、自分の生活を極限まで削らなければならない。生活を削って投資に回す。これは「お金に働いてもらう」ではなく「自分を犠牲にしてお金に貢ぐ」だ。主従が逆転している。

投資の入門書には「余剰資金で投資しましょう」と書いてある。余剰資金。余って剰った資金。余りの金。私の家計に「余り」はない。使い道のない金が発生しない。すべての円に、行き先が決まっている。家賃行き、食費行き、光熱費行き。宛先のない円は、存在しない。

「100円から投資できます」の真実と虚構

最近の証券会社は、「100円から投資できます」と宣伝している。確かに100円から投資信託を買える。敷居は低い。昔と比べれば、投資へのアクセスは格段に改善された。

だが100円の投資が、実際にどれだけの効果を生むか。100円を年利5%で20年運用すると、約265円になる。165円の利益。うまい棒16本分。20年待って、うまい棒16本。これを「お金に働いてもらっている」と呼べるだろうか。

もちろん、100円は象徴的な金額であり、実際にはもっと多く投資することが期待されている。だが「100円からできます」という宣伝は、「お金がなくても始められますよ」というメッセージだ。始められる。だが始めたところで、元手が少なければリターンも少ない。リターンが少なければ、資産形成にはならない。

「100円から始められます」は真実だ。だが「100円で資産が形成できます」は虚構だ。投資は始められるが、資産形成は別の話だ。資産を形成するには、ある程度のまとまった元手が必要。そのまとまった元手がないから困っているのだ。

始めること自体には意味がある。月5000円でも、10年、20年と積み立てれば、まとまった金額になる。だがそれは「お金に働いてもらう」というよりは「時間に助けてもらう」に近い。元手がない人間に残されたのは、時間だけだ。時間を味方につける。45歳から始めた場合、味方につけられる時間は限られているが。

「お金持ちはもっとお金持ちになる」の構造

投資の世界には、厳然たる構造がある。元手が多い人ほど、多くのリターンを得る。

同じ年利5%でも、元手100万円の人は年5万円のリターン。元手1000万円の人は年50万円のリターン。元手5万円の人は年2500円のリターン。同じ利率でも、絶対額がまったく違う。

つまり、すでにお金を持っている人は、投資によってさらにお金を増やせる。お金がない人は、投資しても微々たるリターンしか得られない。お金持ちはもっとお金持ちになり、貧しい人は貧しいままか、ごく緩やかにしか改善しない。

これは「格差の複利効果」だ。金融の複利は、元本が大きいほど効果が大きい。人生の複利も同様で、初期条件が良いほど加速度的に資産が増える。初期条件が悪い人間は、複利の恩恵をほとんど受けられない。

「お金に働いてもらう」は、お金をすでに持っている人のための言葉だ。持っていない人にとっては、「お金に働いてもらいたいが、雇うお金がない」という状態だ。雇用主なのに、従業員を雇う資金がない。事業を始められない。

投資を勧められるたびに思うこと

テレビ、雑誌、SNS、職場の雑談。あらゆる場所で投資が勧められる。「NISAやってる?」「やらないと損だよ」「お金に働いてもらわないと」。

これらの言葉を聞くたびに思う。

「働いてもらうお金がないんです」。

言わない。言うと「じゃあ少額から」「100円からでも」「まずは家計を見直して」と返ってくる。見直した。見直しきった。もう絞れない。それでも「まだ何かあるはず」と言われる。ない。ないものはない。

投資を勧める人は、善意で言っている。投資は資産形成に有効だし、早く始めるほど効果的だ。それは事実だ。だが「やらなきゃ損」という言い方は、「やれない人間はずっと損をし続ける」という宣告にもなる。やれない人間への配慮が、この手のメッセージには欠けている。

「やったほうがいいですよ」ではなく「できる範囲でやってみては」と言ってくれたら、少し楽になる。「余剰資金で」ではなく「たとえ数百円でも」と言ってくれたら、始めるハードルが下がる。言い方ひとつで、受け取り方は変わる。

それでも5000円を積み立てている

元手がない。余剰資金がない。それでも月5000円を積み立てている。

5000円は「お金に働いてもらう」と呼べるほどの金額ではない。だが「お金にアルバイトしてもらう」くらいの感覚では、捉えられるかもしれない。フルタイムで働かせるほどの雇用はできないが、週末だけ手伝ってもらう程度の関係。そのくらいの距離感だ。

5000円のアルバイト代(リターン)は微々たるものだ。年間250円程度の運用益。缶コーヒー2本分。だが缶コーヒー2本分でも、「何もしないゼロ」よりはある。あるということが大事だ。

投資の世界では、私のような少額投資家は見向きもされない。証券会社にとっても、月5000円の顧客は収益にならないだろう。だが私は顧客だ。少額だが、顧客だ。市場の参加者だ。参加していることの意味は、金額では測れない。

元手がないのに投資をしている。これは矛盾だろうか。矛盾かもしれない。だが矛盾の中でしか生きられないのが、この人生だ。矛盾を抱えたまま、5000円を入金する。入金することが、この人生における最小限の前進だ。前進の幅は5000円分。歩幅にすれば数センチ。だが前に進んでいる。後ろには下がっていない。

「お金に働いてもらう」。この名言を、いつか実感できる日が来るだろうか。来るとしたら、5000円が10万円になり、10万円が100万円になった頃だ。その頃まで生きているかどうかもわからないが、その頃を夢見て積み立てる。夢が「趣味」ではないかもしれないが、これが今の私にとっての夢に最も近いものだ。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。「お金に働いてもらう」と言われて苦笑したことがある人は、きっと少なくないはずです。

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