「結婚相手に求める年収」のアンケート結果を見て静かに閉じた話

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「結婚相手に求める年収」のアンケート結果を見て静かに閉じた話

ネットニュースのリンクを踏んだ

ある日、ネットニュースの見出しが目に入った。「独身女性が結婚相手に求める年収は? 最新アンケート結果」。

見なければいいのに、リンクを踏んだ。好奇心というより、自虐心だ。自分がどれだけ婚活市場で不利なのか、数字で確認したかった。数字で確認すれば、諦める根拠が得られる。根拠があれば、諦めが「合理的判断」に昇格する。感情ではなくデータに基づいた撤退。それを求めていた。

記事を開いた。グラフが表示された。女性が結婚相手の男性に求める年収の分布。

400万円以上:○%。500万円以上:○%。600万円以上:○%。300万円以下でもいい:○%。

具体的な数字は避けるが、300万円以下でもいいと答えた女性の割合は、非常に少なかった。一桁パーセント台。つまり、9割以上の女性が、結婚相手に300万円以上の年収を求めている。

私の年収は300万円弱。「以下」ですらなく、「弱」。300万円のラインに、かろうじてぶら下がっている程度。9割以上の女性の条件を満たせない。

グラフを見つめた。数秒間、数字と向き合った。そして、静かにブラウザのタブを閉じた。閉じて、スマートフォンを置いた。画面が暗くなった。暗い画面に、自分の顔が映った。

数字が突きつける現実

アンケートの数字は、個人の感想ではなく、統計的な事実として提示される。「女性の○%が年収400万円以上を希望」。この数字には、反論のしようがない。個人の意見なら「その人はそう思っているだけ」と受け流せるが、統計データは集団の傾向を示している。傾向に反論しても意味がない。

年収300万円弱の私は、婚活市場において「大半の女性の条件を満たさない男性」だ。これは統計的事実だ。感情ではなく、データ。データは冷たいが、嘘をつかない。

この事実を突きつけられたとき、いくつかの感情が同時に湧いた。

まず、怒り。なぜ年収で人間を判断するのか。年収は人格ではない。年収が高い人間が良い結婚相手とは限らないし、年収が低い人間が悪い結婚相手とは限らない。

だが怒りはすぐに萎んだ。なぜなら、結婚に経済基盤が必要なのは事実だからだ。子どもを育てるにはお金がいる。住宅を確保するにはお金がいる。病気になったときの備えも必要。年収を気にするのは、現実的な判断であり、贅沢や差別ではない。

次に、諦め。データが示す通り、私の年収では大半の女性の条件を満たせない。満たせないなら、婚活市場で勝負するのは非効率だ。効率の悪い賭けに、限られた資金(6000円の参加費)を投じるのは合理的ではない。撤退が合理的だ。

そして最後に、悲しみ。データの向こうに、自分の人生がある。年収が低いのは、怠けたからではない。就職氷河期に社会に出て、正社員になれず、非正規を転々とした結果だ。結果としての年収300万円が、結婚という人生の選択肢を狭めている。構造的な問題が、個人の人生の最も私的な領域にまで影響している。

「年収を気にしない人」を探す

9割以上の女性が年収を気にするなら、残りの1割弱にアプローチすればいい。理論上はそうなる。

だが実際には、その1割弱を見つけるのが難しい。婚活パーティーでもマッチングアプリでも、相手が「年収を気にしない人」かどうかは、事前にはわからない。会ってみて、話してみて、反応を見て、初めてわかる。わかるまでにコスト(時間と金)がかかる。コストをかけた結果、「やっぱり年収は気になります」と言われたら、投資が水の泡だ。

確率の問題として考えると、10人に会って1人が「年収を気にしない人」。その1人と相性が合う確率が、仮に50%。10人に会って、1人×50%=0.5人。つまり20人に会って1人とマッチングする計算。婚活パーティー1回で10人と話せるとして、2回参加で1人。参加費12000円で1人のマッチング。マッチングから交際に至る確率が、仮に30%。40人に会って1人と交際。4回参加で24000円。交際から結婚に至る確率は——もう計算するのをやめたい。

確率が低すぎる。低すぎるから、「静かにタブを閉じる」のが合理的な反応なのだ。

アンケートの向こう側

アンケートに回答した女性たちは、どんな気持ちで「年収400万円以上」と答えたのだろう。

おそらく、多くは現実的な判断として答えている。結婚生活に必要な費用を計算し、子育てや住宅を想定し、「最低限これくらいは」と算出した結果が400万円なのだろう。贅沢をしたいわけではない。普通の生活を送るための最低ラインとして、400万円。

この「普通の生活の最低ライン」が400万円だとすると、300万円弱の私は「普通以下」だ。普通の生活すら提供できない男性。それが数字上の私だ。

「お金だけじゃない」「愛があれば」と言う人がいる。確かにお金だけではない。愛は大事だ。だが愛だけで家賃は払えない。愛だけで子どもの教育費は出せない。愛と経済力は、結婚において両方必要だ。片方だけでは成り立たない。

経済力がない私は、「愛」だけで勝負しなければならない。だが愛を届けるには、まず出会わなければならない。出会うための婚活の場では、経済力がフィルターになっている。フィルターに引っかかって、愛を届ける前に弾かれる。愛の出番が来ない。

閉じたあとの感情

タブを閉じたあと、しばらくぼんやりしていた。

怒りも諦めも悲しみも、すでに通過した。残ったのは、空虚だ。空虚とは、感情が抜けたあとの状態。何も感じない。何も考えない。ただ、天井を見つめている。

この空虚は、数時間で消えた。消えたというより、日常に上書きされた。夕食を作り、テレビを見て、風呂に入り、寝る。日常の動作が、空虚を埋めてくれた。日常はありがたい。日常があるから、空虚に飲み込まれずに済む。

翌日には、アンケートの数字はほとんど忘れていた。完全にではないが、日常の中に沈殿した。沈殿した数字は、ときどき浮上する。婚活の話題が出たとき、結婚のCMがテレビで流れたとき、同僚が「嫁が」と話し始めたとき。沈殿した数字が浮上して、ちくりと刺す。刺されても、すぐに沈殿に戻る。この繰り返し。

アンケートを見なければよかったか。見なくても、数字は変わらない。私の年収が300万円弱であることは変わらない。知っていても知らなくても、現実は同じだ。だが知ったことで、無駄な期待をしなくなった。無駄な期待をしないことは、無駄な傷つきを防ぐ。防衛としては、有効だったかもしれない。

静かにタブを閉じた日。あの日から、婚活への熱量は確実に下がった。下がったのは諦めたからではなく、合理的に判断した結果だ。合理的な判断がもたらす冷たさを、受け入れた。受け入れることを、大人になったと呼ぶのかもしれない。成熟と諦めは、よく似ている。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。アンケート結果を見て複雑な気持ちになった人は、きっと少なくないはずです。

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