「いい人いたら紹介して」と頼める友達がもういない問題

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「いい人いたら紹介して」と頼める友達がもういない問題

かつて使えたはずのルート

結婚に至るルートの中で、「友人の紹介」は根強い王道ルートだ。

友達に「いい人いたら紹介して」と頼む。友達が自分の交友関係の中から、合いそうな人を見繕って引き合わせてくれる。共通の友人がいることで安心感があり、相手のスペックや人柄を事前に知ることができる。マッチングアプリや婚活パーティーにはない「信頼の仲介」がある。

婚活の統計を見ると、「友人の紹介」で出会ったカップルの結婚率は高い。出会いの質が良いからだろう。友人というフィルターを通している分、ミスマッチが少ない。

素晴らしいルートだ。このルートを使いたい。使いたいが、使えない。

理由は単純だ。「いい人いたら紹介して」と頼める友達が、もういないのだ。

友達がいなくなった経緯

友達がいなくなった経緯は、別のエッセイで詳しく書いた。ライフステージの分岐、経済格差、自分からの発信の減少。これらが重なって、45歳の今、連絡を取り合う友達はゼロだ。

友達がゼロということは、「紹介を頼む先」がゼロということだ。誰にも頼めない。頼む相手がいない。

20代の頃は、友達に「誰かいい人いない?」と気軽に聞けた。友達も「ああ、会社の後輩にいい子がいるよ」と紹介してくれることがあった。実際に紹介でデートに至ったことも、数回ある。結婚には至らなかったが、出会いのルートとしては機能していた。

30代になると、友達自身が結婚していった。結婚した友達の交友関係は、配偶者中心になる。独身の知人を紹介できるほどの交友範囲を、結婚後も維持している人は少ない。紹介の打診をしても、「うーん、最近はそういう知り合いがいなくてさ」と返ってくるようになった。

35歳を過ぎると、「いい人いたら紹介して」自体が言いにくくなった。友達に会う頻度が減り、会っても婚活の話を切り出すタイミングがない。切り出しても、相手が困った顔をする。「紹介」は、紹介する側にもリスクがある。うまくいかなかった場合、紹介した責任を感じる。そのリスクを引き受けてくれるほどの親密さが、もう残っていなかった。

40代。友達がゼロに近づくにつれて、「紹介」というルートは完全に閉ざされた。出会いのルートが一つ消えた。消えたルートは、もう復活しない。

「紹介」を頼むための前提条件

友人に紹介を頼むためには、いくつかの前提条件がある。これらを並べてみると、なぜ自分にはこのルートが使えないのかが明確になる。

条件1。頼める関係性の友達がいること。「紹介して」は、ある程度の親密さがないと言えない。表面的な知り合いに頼むのは難しい。自分のプライベートな領域(恋愛・結婚)を開示できる信頼関係が必要。

条件2。友達に紹介できる知人がいること。友達が独身の知人を持っている必要がある。友達の交友関係が狭い場合、紹介できる人がいない。

条件3。自分が紹介に値する人間であること。友達は、紹介相手に対して「この人はいい人だよ」と保証する。保証するに足る人間でなければ、友達は紹介をためらう。年収が低い、雇用が不安定、見た目がぱっとしない。これらの要素があると、友達は「紹介して大丈夫かな」と心配する。

条件4。紹介のリスクを友達が引き受けてくれること。うまくいかなかった場合の気まずさ、紹介相手との人間関係への影響。これらのリスクを友達が負ってくれる必要がある。

私の場合、条件1がすでに満たされていない。友達がいない。条件1を満たさなければ、残りの条件は検討以前の問題だ。

「紹介してもらえない人」の婚活手段

友人の紹介が使えないとき、残る婚活手段は何か。

マッチングアプリ。これは使った。結果は前のエッセイで書いた通り。スペックでフィルタリングされる世界で、私のスペックでは厳しい。

婚活パーティー。これも使った。マッチングゼロで撤退した。

結婚相談所。まだ使っていない。次のエッセイで書くが、入会金のハードルが高すぎて断念した。

職場での出会い。派遣先に独身の女性がいることはあるが、職場恋愛はリスクが高い。うまくいかなかった場合、残りの契約期間が地獄になる。派遣社員は契約期間が限られているので、職場恋愛のリスクは正社員より高い。

趣味のコミュニティ。趣味がない。コミュニティに属していない。出会いの場がない。

ナンパ。論外。そのスキルもメンタルもない。

つまり、残された手段のすべてに、何らかのハードルがある。友人の紹介は「最もハードルが低い手段」だったのだが、それすら使えなくなった。最もハードルが低い手段がなくなったとき、残りのハードルがすべて相対的に高くなる。一つのドアが閉まると、他のドアもきつく感じる。

友達がいれば変わったか

もし友達がいたら、状況は変わっていたか。

変わっていたかもしれない。友人の紹介で出会い、結婚に至った可能性がある。ゼロではない。紹介を通じて出会えば、スペックではなく人間性を先に見てもらえる。「この人はスペックはアレだけど、いい人だよ」という友人の保証があれば、スペックのハンデを多少はカバーできる。

だが友達がいないことは、私が作った状況であると同時に、構造的な帰結でもある。経済格差がライフスタイルの分岐を生み、分岐が友人関係を疎遠にし、疎遠が断絶になった。友達がいないのは、性格の問題だけではなく、生活環境の問題でもある。

友達がいない→紹介を頼めない→出会いの場が減る→結婚できない→一人でいる→友達が減る。この循環の中で、すべてが縮小していく。縮小のスパイラル。スパイラルの中では、一つの要素を改善しても、他の要素が足を引っ張る。

「いい人いたら紹介して」と言えることの贅沢

「いい人いたら紹介して」。この一言が言える人は、恵まれている。

この一言を言うためには、頼める友達がいなければならない。友達がいるということは、人間関係を維持できているということだ。維持できているということは、維持するだけの経済力、時間、気力があるということだ。

つまり「いい人いたら紹介して」は、一定の社会的資本を持っている人だけが使えるフレーズだ。社会的資本がない人間には、このフレーズを使う権利がない。権利と言うのは大げさだが、条件が満たされていないという意味では、権利がないのと同じだ。

婚活の手段は平等に見えて、平等ではない。マッチングアプリは誰でも使えるが、スペックで差がつく。婚活パーティーは誰でも参加できるが、見た目とトークで差がつく。友人の紹介は、友人がいる人だけが使える。結婚相談所は、入会金を払える人だけが使える。

手段の多い人は、手数が多い。手数が多ければ、ヒットの確率が上がる。手段の少ない人は、手数が少ない。手数が少なければ、ヒットの確率が下がる。私は手段が少ない。少ない手段で、低い確率に賭けている。

いつか、新しい友達ができるかもしれない。できたら、「いい人いたら紹介して」と言ってみたい。言えるだけの関係性を築きたい。その日がいつ来るかはわからないが、来たら、一度くらいは言ってみたい。言えること自体が、贅沢だとわかっているから。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。紹介を頼める友達がいない悩みを抱えている人は、きっと少なくないはずです。

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