「なんとかなる」と「なんともならない」の境界線はどこか

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「なんとかなる」と「なんともならない」の境界線はどこか

「なんとかなる」と言われ続けて

「なんとかなるよ」。この言葉を、20年以上聞かされてきた。

就職できないとき。「なんとかなるよ」。派遣の契約が切れたとき。「なんとかなるよ」。貯金が底をつきかけたとき。「なんとかなるよ」。老後が不安だと言ったとき。「なんとかなるよ」。

言ってくれるのは、親、同僚、たまに会う知人。善意で言っている。励ましのつもりだ。深刻に考えすぎるな、気楽に行け、というメッセージ。

そして実際、なんとかなってきた。就職できなくても、派遣で食いつないだ。契約が切れても、次の仕事を見つけた。貯金がなくても、餓死はしていない。なんとか、なってきた。

だが「なんとかなっている」のと「大丈夫」は違う。なんとかなっているのは、ギリギリで持ちこたえているだけだ。ギリギリの均衡が、少しでも崩れたら、なんともならなくなる。

「なんとかなる」と「なんともならない」の境界線はどこにあるのか。この問いを、45歳の今、真剣に考えている。

「なんとかなっている」の内訳

今の自分が「なんとかなっている」理由を分析してみる。

理由1。健康だから。体が動く。仕事ができる。仕事ができるから収入がある。収入があるから食べられる。この連鎖の起点が「健康」だ。健康が失われたら、連鎖が切れる。

理由2。仕事があるから。派遣ではあるが、契約がある。契約があるから時給が入る。時給が入るから家賃が払える。仕事がなくなったら、収入がゼロになる。ゼロになったら、3ヶ月で貯金が尽きる。

理由3。住む場所があるから。賃貸だが、部屋がある。部屋があるから住所がある。住所があるから仕事に応募できる。住所を失ったら、仕事にも応募できない。

理由4。最低限の社会保障があるから。健康保険、国民年金(厚生年金)、雇用保険。これらのセーフティネットが、最低限の安全を保証している。保証があるから、「最悪の事態」にはまだ至っていない。

これらの理由はすべて「条件付き」だ。条件が一つでも欠けたら、「なんとかなっている」が「なんともならない」に反転する。反転のトリガーは、病気、失業、住居喪失のいずれかだ。

境界線を越えるトリガー

「なんとかなる」から「なんともならない」に移行するトリガーを、具体的に考えてみる。

トリガー1。大きな病気。がん、脳卒中、心筋梗塞。入院が必要な病気になったら、仕事ができない。仕事ができなければ収入がゼロ。傷病手当金があっても、派遣の場合は契約終了で打ち切り。貯金50万円は数ヶ月で消える。

トリガー2。長期の失業。景気悪化や年齢のハンデで、次の仕事が半年以上見つからない場合。失業保険は90日から150日程度。それが終わったら、収入ゼロ。貯金が尽きたら、家賃が払えない。家賃が払えなければ、住居を失う。

トリガー3。親の介護の深刻化。母が倒れて、介護離職を余儀なくされた場合。収入ゼロ、貯金激減、再就職困難。このトリガーは、前のエッセイで詳しく書いた。

トリガー4。精神の崩壊。うつ病が悪化して、動けなくなった場合。仕事に行けない。外出できない。電話もできない。誰にも助けを求められない。このトリガーは、最も見えにくく、最も危険だ。

これらのトリガーのどれか一つが引かれたら、「なんとかなる」は終わる。終わったあとに待っているのは「なんともならない」だ。

「なんともならない」状態とは

「なんともならない」状態を、リアルに想像してみる。

収入ゼロ。貯金ゼロ。仕事なし。住居喪失の危機。食費を切り詰めても、家賃が払えない。電気が止まる。ガスが止まる。水道が止まる。スマートフォンが止まる。連絡手段がなくなる。仕事を探すこともできなくなる。

この状態に至ったら、選択肢は限られる。生活保護の申請。福祉事務所への相談。NPOへの支援要請。最後のセーフティネットに頼る。

だが「最後のセーフティネットに頼る」には、心理的なハードルがある。「生活保護を受けてもいいのか」という自問。「自分はそこまで落ちたのか」という自責。このハードルが、申請を遅らせ、状況をさらに悪化させる。

「なんともならない」状態は、一度ハマると抜け出すのが極めて困難だ。住所がないと仕事に応募できない。仕事がないと収入がない。収入がないと住所を確保できない。すべてが連鎖して、下降スパイラルを形成する。

境界線の位置

では「なんとかなる」と「なんともならない」の境界線は、具体的にどこにあるのか。

私の場合、境界線は「貯金50万円」だ。

貯金が50万円ある限り、トリガーが引かれても、3ヶ月は持ちこたえられる。3ヶ月の間に次の手を打てれば、「なんとかなる」側にとどまれる。

貯金がゼロになったら、持ちこたえる余裕がない。トリガーが引かれた瞬間に、「なんともならない」に突入する。バッファがない。クッションがない。落ちたら直撃だ。

50万円。この金額が、「なんとかなる」と「なんともならない」の境界線。薄い。薄すぎる。50万円は、家賃5万円×10ヶ月分。10ヶ月。10ヶ月のバッファ。10ヶ月で人生を立て直せるか。

立て直せるかもしれない。立て直せないかもしれない。境界線の上に立って、両方を見下ろしている。右に行けば「なんとかなる」。左に行けば「なんともならない」。風が吹けば、どちらかに落ちる。風が吹かないことを祈りながら、境界線の上を歩いている。

「なんとかなる」を維持するために

境界線の上にいる限り、落ちないための努力が必要だ。

貯金を減らさない。できれば増やす。NISAの積立を続ける。健康を維持する。仕事を続ける。介護の負担を分散する。精神的な安定を保つ。

これらは全部、このエッセイシリーズで書いてきたことだ。書いてきたことを実行する。実行し続ける。実行し続けることが、境界線の上にとどまるための唯一の方法だ。

「なんとかなる」は、何もしなくてもなんとかなるわけではない。なんとかするために、毎日行動している。行動しているから、なんとかなっている。行動を止めたら、なんともならなくなる。

「なんとかなるよ」と言ってくれる人には、こう返したい。「なんとかしているんだよ」と。なんとかなっているのではなく、なんとかしている。自分の手で。自分の足で。自分の判断で。毎日、境界線の上で、バランスを取りながら。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。「なんとかなる」と「なんともならない」の間で揺れている人は、きっと少なくないはずです。

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